「♪こっこ ろ~も~ 満タンに~♪」
歌を口ずさみながら、コスモは風を感じていた。
腰をつけた芝生は青々と繁り、そこ感触は心地良い。
そして近くに置いたラジオからは──今日やっているレースの実況が流れてくる。
「今日は……勝てなかったか、ユウ…………」
今さっき、ゴールして競走は終わっていた。
時刻は午後4時をとっくに回ってた。
この時期は日が長いからまだまだ明るいけど、冬場なら日が沈みかけるような時刻なんだよね。
こんな遅いレースはユウは未経験なんじゃないかな、とふと思った。
(──ダイユウサク。コスモのルームメイトで従姉妹)
同じウマ娘で、去年の秋にデビューしたけどぜんぜん勝てなくて──今年の4月に初勝利。
そうしたら──
「それを含めて、最近の4戦は2勝して4位が1回。そして今回が2位……か」
強くなった、と思う。
前走の勝利でクラスが格上げされたから、全体的なレベルが上がったはずなのに、それでも2位だったんだから。
しかも2000メートルの競走は初挑戦のはず。
「負けて、いられないよね! コスモも……」
立ち上がって数回膝の屈伸運動をする。
彼女の足音は、後ろに聞こえているような気がした。
だからコスモも走らないと。
いつか一緒に走りたい。
でも絶対に追いつかれたくない。
それがコスモドリームにとっての彼女、ダイユウサク──大親友であり、ライバル。
でも、まだ──彼女と走るまでには時間がかかるだろう。
なぜならコスモはさらに上のオープンクラス。
昨年の“樫の女王”の称号は伊達じゃないんだからね。
──ある日のこと。
コスモがトレーナーの巽見 涼子さんに用事があって、そのトレーナー部屋に入ろうとしたら、扉の向こうから大きな声が聞こえてきた。
「だ~か~ら~、その日は帰らずに一泊しましょうって言ってるでしょ!!」
「ダ・メ・だッ!!」
「──失礼します」
コスモが声をかけてから扉を開けたけど……その大きな声のせいで誰も気がつかなかった。
で、そこにいた男性トレーナーが胸の前で腕を交差させて“×”の字を作って拒絶してる。
それを見て腹を立てているのは──コスモのルームメイト、ダイユウサクだった。
「ああ、もう! 本当になんて分からず屋なのかしら」
「そっちがな!」
「なんですってぇ!? 分からず屋はそっちでしょ!? だいたい、なんでダメなのよ!?」
「金がねえって言ってるだろ!!」
ユウが詰め寄ると、負けじとばかりにトレーナーが彼女に指を突きつけた。
「いいか? この前、4月末に無茶して新潟から京都を強引に移動して一泊したせいで、金がないんだよ!! あのとき言ったよな。もう次はダメだって!」
「今回は全然、無茶じゃないわよ! 大阪に行って、そこで一泊するだけ。それで次の日に帰ってくるんだから……」
「そんな余裕さえもないんだよ!!」
納得しないユウは声を荒げているけど、トレーナーがそう言うんだから仕方ないんじゃないかな。
コスモがそれを見て──視線をずらすと、目的だった涼子さんと目が合う。
彼女は二人を指さして、苦笑しながら肩をすくめてる。
お互いに引かなくて、不毛な言い争いになってるみたい。
「この前のあの無茶……4月末って言ったらゴールデンウィーク中だぞ? おかげで割高だったんだよ。計画したのも急だったからより高くついたし、な」
「でも……せっかく、アタシとコスモの出走が重なったのに──」
え? コスモの出走?
たしかに計画はユウに話したけど……
「アタシが走るのは6月10日でしょ? その次の日は宝塚記念よ! コスモが出るって言ってたんだから。そうでしょ、巽見さん!?」
「え、ええ……まぁ、そうだけど。幸い、投票も入って選ばれたわけだし……」
ユウの剣幕に押されて、苦笑気味に涼子さんが答えると、「ほら見なさい」とユウは自分を担当している乾井トレーナーに詰め寄る。
そんな姿を見ていると──涼子さんがジト目を向けてきた。
え? それって話しちゃいけなかったの?
ユウも自分の走る予定を話してくれたから、ついコスモも話しちゃったんだ。
彼女が出るのは鷹取特別ってレースなんだって。クラスが上がったから、出られるようになったのよ、って嬉しそうに話してたっけ。
「そのたった、一泊よ!?」
「その一泊の余裕さえもないんだよ。だからあの時に無茶しなければ……」
「仕方ないでしょ!? あの時はコスモの復帰戦だったんだから!」
乾井トレーナーが責めるような目で見ると、ユウは少し気まずそうにしながらも、それでも強気の姿勢を崩さない。
そんな彼女を乾井トレーナーはさらに責めた。
「で、今度はまたコスモドリームの応援のために一泊か?」
「でも……だって、G1よ? 宝塚記念よ!? 格が違うわ」
「良い身分だな、ダイユウサク」
少し呆れた様子の乾井トレーナー。
その口調が厳しくなってきた。
「いいか? クラスが上がったんだぞ? 油断してるとすぐに負けが重なるからな」
「うぅ~~~~」
自覚があるからかな。ユウは反論できなかった。
前走からクラスが上がってる。それでも2位だったのはすごいけど、逆に言えば勝ちきれなかったってことでもあるんだよね。
クラスが上がるとやっぱり難しくなる、という実感はあったみたい。
でも……ユウって知らない人には本当に無関心だけど、親しい人には──
「ケチ!! まもなくボーナスなんでしょ!?」
──そうやって遠慮ないよね。
ほとんど子供じゃん……と半ば呆れながら見る。思わず苦笑しちゃったよ。
「なッ!? そんなの、まだ一ヶ月近く先の話で金が無いのに変わりはない! どんなに言われようと、無い袖は振れねえよ。あきらめろ!」
ボーナスという言葉は多少は効いたみたいね。
でも、たしか……涼子さんが言ってたけど、トレーナー個人のお金とチームの運用費は別にしないといけないって言ってたような……
そうしないとトレーナー同士のマネーゲームが始まって、結局はトレーナーの能力よりも資金力がものをいうようになっちゃうから、それを防ぐためってことらしいけど。
「ふん! たづなさんに甲斐性無しだって言いふらしてやる」
「なッ!? お前、それは卑怯だろ! オレの印象を悪くしようとか……」
ユウのその言葉で、乾井トレーナーはかなり焦った表情になった。
あの人弱点分かりやす過ぎだよね。もう完全にユウにバレてるじゃん。
すると──
「…………もう、仕方ないわね」
ふと、近くでの呟きが聞こえた。
振り向けば、ため息混じりに一歩踏み出す涼子さん。
彼女は、乾井トレーナーに近づくと呆れた顔で「先輩……」と声をかける。
「一泊くらい、いいんじゃない?」
「あのな! これはうちのチームの問題だ。我が儘を許していたらキリが無くなるんだよ」
「なによ! まるでアタシが子供みたいじゃないの、その言い方!!」
ユウ……端から見てると、本当に子供みたいだよ?
自分では気がついてないんだろうけど……
「でも先輩、どうせボーナス出たら趣味のバイク買うんでしょ? この前、そう言ってたわよね?」
「え……?」
「なッ!? なにを──」
涼子さんがバラしたおかげで、ユウが乾井トレーナーをジト目で見る。
それで露骨に動揺する乾井トレーナー。
「……それくらい余裕があるなら、宿泊費くらい出せるわよね?」
「それとこれとは別の金だぞ。それにまだ出てないんだから手元にないんだ。結果は一緒だ」
「なんでよ~!!」
またユウがトレーナーに詰め寄るけど……袖を引っ張るその姿は、完全に親におねだりする子供そのものなんだけど……
それを見て、意地悪い笑みを浮かべる涼子さん。ああ、この人は悪いこと考えてるな~
「えっと……私はヘルメット用意しておけばいいのかしら? タンデム用に」
「──ッ!!」
キッと乾井トレーナーを睨むダイユウサク。
乾井トレーナーは「ちょ、おま──」と恨みがましい目で涼子さんを見るけど、あの人は相変わらず笑みを浮かべていた。
それを見て、乾井トレーナーは「悪魔め……」とつぶやいてる。
うん、コスモもそう思う。
「どういうこと!? 二人してバイクで──二人乗りして出かけるってこと!?」
「いや、そうじゃなくてだな……というか、そもそもまだ買ってないし、いつ金が貯まるか……」
「でも、免許は持ってるわよね? 大型バイクの」
「そりゃあ趣味だから──って、巽見!!」
「やっぱり……アンタ達、うまぴょいする気で…………」
詰め寄るユウ。
言い訳する乾井トレーナー。
それを叩き潰す涼子さん。
完全に楽しんでる涼子さんはいじめっ子気質だよね、完全に。
3人が喧々囂々に話をする様を、コスモは一歩離れた場所で見てるんだけど──これ、どう収拾つけるんだろ。
──なんて思っていたら、涼子さんが「アハハハ……」って笑い始めた。きっと満足したんだろうなぁ。
「いいわよ、ダイユウサク。向こうに泊まりましょ」
「なっ……おい、勝手に決めるなよ」
反論する乾井トレーナーだったけど、涼子さんは魅力的な提案をしてくれた。
「ようは、費用を抑えればいいんでしょ? それなら私とコスモと3人で泊まればいいんじゃない? そうすれば割安になるんだから」
「あ……そっか」
涼子さんの提案に、なるほどとコスモは納得した。
そうすれば部屋は一つですむもんね。
「オイ、それじゃあお前に負担がかかっちまうだろ。ただでさえG1出走直前の担当を抱えてるのに、さらにもう一人面倒見るだなんて……」
「アタシは負担になんかならないわよ!」
乾井トレーナーの涼子さんに対する気遣いに噛みつくユウ。
それを見て涼子さんは笑みを浮かべる。
「そうよ。ダイユウサクだって一人前のウマ娘よ? 分別だってあるし、基本的に真面目だもの。コスモと一緒に引率したって負担にならないわ」
そんな涼子さんの言葉に、ユウはうんうんと大きくうなずいてる。
「しかし、そうは言うがな……」
「先輩のことだから、別のチームだしなにかあったら迷惑がかかるって考えてるんでしょ? 心配無用よ。ちゃんとチーフにも許可はとるし、
さすが涼子さん。コスモのことをちゃんと見てくれてる。
ユウがいると調子がいいことが多いってことに気づいてくれてたんだ。
あれ? でもそれって──
「ということは、ユウだけ残って乾井トレーナーは帰るってこと?」
コスモが言うと、ダイユウサクは途端に眉をひそめた。
でも涼子さんは気にした様子もなく、笑顔でうなずく。
「そうね。先輩がいたら、どうしても2部屋は必要になるから。節約を考えたら、残る理由のない先輩は帰った方がいいわね」
「そ、そんなの駄目……」
反論しようとしたダイユウサクに、涼子さんは意地悪そうな笑みを浮かべる。
「あら? それともダイユウちゃん、先輩と同じ部屋で寝る?」
「は? ……ハァッ!? そんなの出来るわけ無いじゃない!!」
「そうよね~。4人で1部屋ってわけにはいかないんだから」
「なッ!?」
「あら? その動揺の仕方、先輩と二人で一部屋だと思った? それとも……普段はそうしてるの?」
「そ、そそそそんなわけないでしょ!?」
「あのなぁ、巽見……それやったらオレが
動揺するユウに対し、乾井トレーナーは呆れ気味に返していた。
──そうして予定が決まり、当日を迎えることになった。
土曜日での阪神レース場の第10レース、鷹取特別。
前回の二度目の1位で、アタシはランクが上がった。
だから今までより上のランクのレースに出たわけだけど──
「──追いついた! これで……」
最後の直線まで2位だったアタシは、前を走っていた5番のゼッケンをつけたウマ娘についに追いつき──抜いた。
道中、二番手を争った9番のウマ娘は、その少し前に「無理~」と言いながらズルズルと下がっていってる。
だから──
(このレース、勝った!!)
そう思った瞬間──横を他のウマ娘が抜けていく。
(なッ──!?)
『おっと、ワンダーメルベーユだ!! 人気通りの強さ! その末脚、恐るべしー!!』
一瞬の隙をつくようにしてアタシの真横に現れたその影は、かっさらうかのように1着を少しの差で奪い──アタシは2着だった。
「く……」
悔しい。
目前で、勝ったと思って油断したのもあったのかもしれない。
距離は──前回と同じだから理由にはならない。
今日、勝ちきることが出来なかった理由には。
(やっぱり、クラスが上がったことでのレベルの違い、かしら)
なんてことを、悔しさを紛らわすためにウイニングライブ前に考え込んでいたんだけど──
そんな心ここにあらずなアタシを見た1着のウマ娘は首を傾げる。
「あら? 今日は二位で悔しいからって、号泣しないでくださいね」
「するか!!」
思わずアタシはツッコんでいた。
◆解説◆
【ある日の
・意外と、ネタに困ってるタイトル。今回はどうしようかな、と思っていたら「ある日のこと」で始めたのに気が付き──内容はと言えば“喧嘩”してる。
・それで浮かんだのが『Mighty Heart ~ある日のケンカ、いつもの恋心~』という曲のタイトル。
・ゲーム『つよきす』の主題歌ですね。ゲームも好きでしたが、この曲も好きでした。
・“ケンカ”を漢字にしたのはPCで見るときに目次で2行にしたくなかったから。
・え? 2学期? そんなものなかったよ?
【♪こっこ ろ~も~ 満タンに~♪】
・とあるCMソング。
・思わず口ずさんでいるのはコスモ繋がりから。
【今日は……勝てなかったか】
・該当レースはダイユウサクの8走目。
・史実の8走目は1989年5月27日の阪神競馬場の第12レース、4歳以上900万下の条件戦。芝の2000メートル。
・天気は晴れ。久しぶりの良馬場。
・結果は2位。逃げたヒラヨシルーキーに迫るもクビの差で届かず。
・今まで400万下だったのが、今回から900万下にランクアップしてます。
・しかも、今回はなんと一番人気。初めての一番人気でした。
【4月末に無茶して新潟から京都を強引に移動して一泊した】
・23話参照。
・あのとき思った方もいたかもしれませんが……「一泊する必要、なくね?」と。
・ええ、私も思いました。
・シナリオ的には、今回のこのシーンで金欠にするため、あえてダイユウサクのわがままを通したのです。
【宝塚記念】
・G1レースの一つ。
・ゲーム版ではクラシック以降の6月後半に阪神レース場で開催されるG1。芝の2200メートルで中距離レースに該当。
・史実では1960年から開始されたG1レースで、当初は1800メートルだったのが、翌年に2000メートル、1966年に現在の2200メートルになる。
・特徴的なのは、人気投票で出走馬が決まること。
・これは先に創設された有馬記念の出走馬決定方法に倣ったもので、「有馬記念の関西版」として、下半期の締めくくりである有馬記念に対し、上半期の締めくくりに行われるレースとして、春の中距離実力日本一決定戦になった。
・今回のモデルになるのは1989年の第30回。ファン投票1番だったのはヤエノムテキでした。
・6月前半に開催されていたレースで、現にコスモドリームが出走した1989年も6月11日に開催されましたが、1995年から7月の前半、2000年から現在の6月の後半に開催されています。
・ゲーム版では最近の日程になるので、6月後半になっています。
【鷹取特別】
・ダイユウサクの9走目。ゲーム版では出てこないレース。
・史実でダイユウサクが出たのは1989年6月10日(土)に阪神競馬場の第10レースで行われたレース。
・距離は2000で芝。
・当日の天気は曇。馬場はまたしても重でした。
・この年は12頭立てで、ダイユウサクは3番人気。
・道中2位で、逃げていた先頭を終盤で抜いたのですが──
【5番のゼッケンをつけたウマ娘】
【9番のウマ娘】
・5番はミントスター、9番はハインリッヒというウマ娘。
・ミントスターは逃げをうって、このレースを引っ張り続けるも、最後に力尽きて追いつかれ、それでも結果は3位と堂々の結果。
・ハインリッヒは道中でダイユサクと2位を競ったものの、そこで力を使い過ぎたのか、力尽きて結果は10位。
・ミントスターは生涯成績を見てみると典型的な逃げですね。見事に中盤くらいの順位が無い。
・ハインリッヒはこの後、障害レースに転向して結果を残すようですね。
【ワンダーメルベーユ】
・鷹取特別を勝ったのは、ワンダーメルベーユでした。
・レース中盤まで後方で待機していたワンダーメルベーユは、抜群の末脚で一気に追い込んで1位でゴール。
・ちなみに一番人気でした。
・史実では鞍上は武豊。最近、この名前が出ると、そのウマ娘のトレーナーが全員奈瀬さんに見えてしまう。
・まぁ、そんなわけない。もしもそうなら奈瀬さん過労死してしまう。