──そして宝塚記念はスタートした。
その中継を、オレは一人、東京のトレセン学園のトレーナー部屋のテレビで観戦していた。
同じ部屋になっている巽見はそのレースに出走しているコスモドリームの担当だから現地だし、オレが担当しているウマ娘、ダイユウサクもそのルームメイトであり従姉妹だから応援したいということで、そちらに残った。
「さて……」
オレはコーヒー片手にそのレースを見ていた。
日曜午後の定番、民放のウマ娘競走中継。
距離に関係なくアップでの映像が流れるのはありがたいが、レース場と違って自分の見たい対象に注目できるわけではないのが難点だ。
オレが見たいのは──やはり、コスモドリーム。年上の後輩である巽見の担当だし、そのレースの結果はダイユウサクにも影響を与えるだろう。
そしてなにより──
「前走のオーストラリアトロフィーか……」
あのレースで、オレはコスモドリームに違和感を感じていた。
彼女は前年のオークスの覇者。
やはり八大レースの一つである。さらには一生に一度しか走れないクラシックレースだけに注目度は高い。
当時は今のように知り合い、会話するような間柄になるとは予想もしていなかったが、それでもオレはそのレースを見ていた。
あのレースとの違い──彼女の走りに、わずかに力が無いような気がしたのだ。
「だが、今日のレースは前走とは周囲がまるで違う」
歴史があり、格も最高峰のG1。
おまけにこの宝塚記念は、出走メンバーはファン投票で決まる。G1の中でもファンが選ぶ実力上位者が集うレース。
現に、コスモドリームと同年代のクラシック3冠のうち、菊花賞とダービーを制した二人が集まっているし、コスモが取れなかったトリプルティアラの桜花賞、エリザベス女王杯をどちらも2位だったシヨノロマンも出ている。
同世代以外でもイナリワンやゴールドシチーという実力者もいる。
レースのレベルそのものがまるで違っている。
「そんな中で走れば──僅かな不安が、大きな差として出ることになる」
少しでも隙を見せれば、そこに噛みついてくる猛者ばかり。
今回のレースこそ、コスモドリームの真価が問われるレースなんだ。
中継のカメラは先頭から最後尾まで一度写し──コスモドリームは中段ではなく後方に位置していた。
「く……」
思った以上に、みんな速い。
そんな焦りがコスモの心の中に生まれてた。
普段なら中段に位置して、ラストスパートに備えるはずなのに、今のコスモのペースだと、中段を維持できない。
気持ちは焦る。
でも……ここで焦って前に出たら、脚を使っちゃったら最後の勝負ができなくなる。
それが分かるから、今は耐えるしかない。
(分かってたけど、レース自体のレベルが高い……)
G1の挑戦は今回で2度目。
その前回こそ、優勝したオークスなんだけど──同い年しか出てこないそのレースと違って、宝塚記念は年齢に関係なく現役のトップクラスが集まるレース。
おまけにコスモの同学年達だって、そこから幾多のレースを乗り越えて、さらに強くなってる。
(確かに、コスモは半年走れなかったけど──それでも、負けない!!)
レースはいよいよ終盤。
出走しているウマ娘達は、阪神レース場の第3コーナーから第4コーナーを駆け抜け、最後の直線へと向かう。
(──ッ!! ここだぁぁぁッ!!)
待機している位置が中段から後方へ変わり、差しが追い込みになろうとも、やることは変わらない。
勝負どころを見極め、スパートして前のウマ娘達を追い抜いていく。
そのために、コスモは脚に力を込め──
「──え?」
その時、初めて違和感を感じた。
イメージしていたのは、同じG1のオークスの時の走り。
最高の末脚が炸裂し、最高の結果を得られたあのときのイメージで踏み込んだ足は──コスモの思い描くそれを大きく裏切ったんだ。
「なんで……」
同じように地を蹴っているはずなのに、思うように速度は出ない。
あのとき──前走でも同じようにイメージを描いて走って上手くいったのに。
前を走るウマ娘を追い抜き、後ろを走るウマ娘達を近寄らせなかった、あの走りは──今回はまったく出来ていなかった。
前を走るウマ娘達に、追いつくことさえ出来ない。
「くっ、そおおおぉぉぉぉぉ!!」
思わず、叫び声が口から出た。
悔しくてたまらない。口惜しくてたまらない。思い通りの走りが、全然出来ない。
なんで──
「なんでコスモを裏切るんだよッ!! コスモの脚なのにーッ!!」
叫んでも、コスモの脚は応えない。
違和感はますます大きくなっていく。そうして乱れた心では──集中することなんて無理だった。
「「──コスモ!?」」
メインスタンドが近づいて、チームメイトのみんなの顔が見えた。
その中に混じって、ずっとコスモを見続けて、応援し続けてくれた──たとえ喧嘩しても、それでも見守り続けてくれた親友の姿があった。
彼女は、コスモの情けない姿に驚きながら、それでも勝利を信じて──ここからの逆転を思い描いてくれている。
(その気持ちに、応えないと──)
その使命感でコスモは集中する──けど、足は応えてくれなかった。
違和感は消えない。
それどころか──
「くッ!?」
わずかな鈍痛。
え? なんで? どうして足が痛むの? 骨折は治ったはずなのに。
気持ちは前へと進もうとしているのに、足がついてこない。
最下位からどうにか一人抜かして、上がらない速度をもどかしく思っていると──
「────ッ!?」
前を走っていたウマ娘が、急速に失速して下がってきたのが見えた。
それを避け──
その姿を横目に見て──
苦しそうに顔をゆがめているサクラチヨノオーの顔が見え──
そして、後ろに流れていった。
(今のは……)
疑問に思っている間に──コスモドリームは、ゴールをきっていた。
スパートをかけることもできなくて、なにもできずにそのレースは終わっちゃっていた。
そのことに気づいたのは、ゴール後に少し走ってから。
でも、前にゴールしていたみんなが、心配そうに振り向いているのに気が付いて──コスモも思わず振り返る。
そこには──途中で抜かした一人、サクラチヨノオーが不格好な感じで走っていて──走るのをやめると、足をおさえるようにうずくまった。
「チヨノオー!!」
誰が呼びかけたのか、その声に応じて数人のウマ娘が彼女の下に集まる。
その中には、今のレースに参加していたウマ娘達もいたけど──コスモは、そこに加われなかった。
ただ痛みに耐えてジッとしているサクラチヨノオーの姿を呆然と見ることしかできなかったから。
「いけない。屈腱炎の再発かも……」
チヨノオーのチームメイトが漏らした言葉が、コスモの耳に届く。
(再発……)
その言葉は、コスモの胸に鋭く刺さって、決して抜けようとはしなかった。
宝塚記念のゴールを見て、オレは大きくため息をついた。
いろいろ気になることはあった。
さすが、と言えるレースを制したイナリワンの強さ。
敗れたとはいえ、光るものを見せていたヤエノムテキはさすがと思ったし、バンブーメモリーの気迫にも見るところがあった。
そして、気になるのはやはり──負傷したサクラチヨノオーの具合だ。
どの程度のものだったのか、再起は可能なのか、やはりウマ娘の負傷は気がかりだった。
それに──
「コスモ、ドリーム……か」
ハッキリ言って、まったく見所がなかった。
中継の映像にはほとんど映らず、レース結果をよく見てみれば道中は中段以下で、最後方になったことも。
最終的な順位は下から3番目の14位。しかも最下位が負傷して失速したとしか思えないサクラチヨノオーなことを考えれば、実質は
「詳しい映像を見てみないとなんとも言えないが……やっぱり、オレが考えたとおりなのか?」
正直、怪我が再発した……つまりは再度の骨折とは思っていない。
もしもそうならもっと痛がっているはずだし、とても走れたものじゃないだろう。それこそチヨノオーと同じように失速していたはずだ。
(骨の付き方が悪かったか、あるいは……)
そもそもの折れ方が悪くて、元のようには戻らない骨折だったか。
いずれにしても仮説の域を出ない話であり、正確なことを掴むには、いろいろと情報不足だった。
そこへ──オレの携帯電話が鳴った。
確かめると画面には“巽見”の名前が──
「もしもし?」
「あ、先輩? スミマセン、急遽変更がありまして……」
かけてきたのはやはり後輩トレーナーの巽見涼子だった。
彼女が言うには、予定に変更があるのでダイユウサクを学園まで送るのが厳しくなったとのことだった。
「……アイツも大人なんだから、自力で学園まで戻れるだろ?」
「その途中で万が一にでもなにかあったら、責任とりきれないから連絡してるんだけど?」
「あ~、わかったわかった。で、どこまで出向けばいいんだ?」
「とりあえずわかりやすいところで、東京駅まで迎えに来てもらっていい? ウチのチームメンバーの一人と一緒に新幹線に乗せるんで」
担当しているコスモドリームが完全な惨敗をしたんだから、ほかのウマ娘の面倒を見るどころじゃなくなったんだろ。
「わかった。そっちは任せとけ。お前は自分の仕事に集中しろ。いいな?」
「うん……助かり、ます」
そんな巽見の返しに、オレは思わず吹き出してしまう。
「な、なに!? なんでそんな……私の感謝の言葉に、どこに吹き出すような要素があったわけ?」
「いつになく、殊勝だと思ってな。口だけ“先輩”“先輩”とか言う割には、ちっとも敬意を感じてなかったし。珍しく敬語なんて使うからな」
「その先輩が、オレの方が年下なんだから、敬語は使うなって言ったんじゃないの」
「ああ、たしかに言った。けど……こんな時なんだから、“先輩”を遠慮なく使えよ。で、自分のウマ娘を支えてやれ」
そうオレが言うと、アイツは「ありがと」と言い、電話を切った。
その後、新幹線に乗せたという連絡が来て、その時刻に合わせてオレは東京駅へ向かい、ダイユウサクともう一人のウマ娘をそこで迎えた。
彼女の惨敗を目の前で見た二人の表情は──とても硬かった。
◆解説◆
【足より響く
・最近、タイトルがオリジナルが多くて、解説入れづらい。
・ちなみにカコフォニーは不快な音のことで、音楽用語での“不協和音”は「濁った音」をさすため、不協和音=カコフォニーではありません。
・コスモドリームにしてみれば「不快な音」なのであえてカコフォニーのルビを入れました。
【宝塚記念】
・今回のレースの元になるのは第30回宝塚記念。芝の2200メートル。
・1989年6月11日に阪神競馬場の第10Rで開催されました。
・16頭立てで当日の天気は晴れ、馬場も良。
・なおこのレース、枠順発表後にランドヒリュウが
・ランドヒリュウはそのまま引退……どこかで聞いた名前だなと思っていたら、前年の高松宮杯でオグリキャップに次いで2着だった馬でした。
・同レースはコスモドリームが3着だったレース。
・もちろん、ウマ娘のランドヒリュウをコスモドリームは知っていましたし、怪我で引退したのはショックでした。
・──というように、コスモ周辺でいきなり暗雲が見え隠れし始めています。
【オークスの時の走り】
・本作でのあのレースでは、コスモの固有スキルが発動した数少ないレースです。
・そのため、コスモにとっての最高の走りはあのときのものです。
・ちなみに前走のオーストラリアトロフィーでもダイユウサクがいたので密かに発動しています。
・しかし乾井トレーナーが見抜いたように、足に不安があったせいで100パーセントの力は発揮せず、「以前よりも踏み込みが甘い」という評価になってしまいました。
・今回は──ダイユサクもいて条件もそろっていますが、終盤でのコスモの精神状態が悪く発動に至っていません。
【サクラチヨノオー】
・ダイユウサクやオグリキャップ世代で、ジュニア期のG1である朝日杯ジュニアステークス(史実の朝日杯3歳ステークス)を制したサクラチヨノオー。
・阪神ジュニアステークス(史実の阪神3歳ステークス)を制した
・史実ではこの宝塚記念の最中に故障を発生させて失速。ぶっちぎりの最下位となってしまいます。
・その故障が原因となり、このレースで引退ということになってしまいました。
・ちなみに──阪神3歳ステークスを制したサッカボーイは前年の有馬記念でオグリキャップと競い、そのレースを最後に引退しています。
・世代の先頭を走ってきた存在が終焉を迎える一方で、いまだに全盛期になっていない同世代のダイユウサク──やはりピークの違いは馬にもありますね。
・「シンデレラグレイ」での有馬記念や宝塚記念後のディクタストライカやチヨノオーがどう描かれるのか、今から注目してます。
・ちなみに──この宝塚記念のころのオグリは怪我の療養中なので、宝塚記念はスルーされる確率が高いですけど。
・気が付いたらチヨノオーいなくなってた、とかだったら悲しすぎる。
・平成三強のイナリワンとか、この後競うことになるバンブーメモリーとか出てるし、描いてほしい反面──コスモドリームがモブウマ娘でどんな姿になるのか期待と不安が。
・対決した前年の高松宮杯は一コマで終わって出番無かったし。(笑)
【ウチのチームメンバーの一人】
・巽見トレーナーが他に一人つけたのは、新幹線に乗っているだけとはいえ、やっぱりウマ娘を一人だけで返すのは何があるかわからないので不安だったから。
・ちなみにこの一緒に帰ってきたウマ娘、考えていたのは本作ではG1ウマ娘のコスモドリームを尊敬していることになっているビコーペガサスの予定だったのですが……
・史実的にはビコーペガサスはまだまだ出てこないので、登場させるのをためらって名前と登場シーンをあえて出しませんでした。
・馬なら1991年生まれなので存在していないのですが、ウマ娘なら成長に時間かかるでしょうし、生まれていると思われますし。
・『ウマ娘 プリティダービー』の世界観なら出しても何の問題も無いのですが、本章が準拠している「シンデレラグレイ」となると少なくとも下の世代が登場していないので。
・本章以降になると、シンデレラグレイ準拠を外れる予定ですので世代ごちゃ混ぜの『ウマ娘』になっていくと思います。