──炎天下の8月のとある日……
「不許可ッ! それは断じて、許容でき~ん!!」
理事長室に、秋川やよいの大きな声が響きわたる。
それを私──駿川たづなはハラハラしながら見ていたのですが……
「ふむ……理事長、それはなぜでしょうか?」
「そ、それは……」
眼鏡のブリッジを指でクイッと押し上げ、冷めた目を向けた黒岩理事に対し、理事長は口ごもってしまいました。
「理事長が反対しておられるのは、感情ゆえ、でしょうか?」
「否ッ!! 違う、そうではなくて……」
「では、私の提案が受け入れられない理由を、論理的に説明してください」
「うぅ~、確かに黒岩理事の提案は、もっともではあるのだが……トレセン学園は教育機関である。そこに所属するウマ娘達の成長を考えれば──」
「成長を考えればこそ、の提案です。いいですか──」
黒岩理事は、先ほど自身が述べられた提案について、さらに説明を始めた。
「チームという存在が、馴れ合いの仲良しクラブになってしまっては、その役目を果たしているとは言えません。しかし現状……そのようなチームが複数あるのは確かではないですか?」
「そ、それは……」
「──理事長?」
黒岩理事に問いつめられ、秋川理事長は渋々といった様子で頷く。
「否定……ッ、できん……」
「ですから、私は先ほどの提案をしているのです。『
「そ、その通り──なのだが……」
「では、そこへ至る道を拓き、導く環境を整えるべきではありませんか。ですから──」
──秋川理事長が、黒岩理事の弁舌に勝てる要素はなく……その提案は、受け入れざるを得ないようです。
ただ、私は気になっていました。
その提案は──ひょっとして、またあのチームをねらい打ちにしたものではないか、と。
「やれやれ、だな……」
学園の廊下を歩きながら、オレは盛大にため息をついた。
呼び出されたので、そこへ向かっているのだが──正直、心底行きたくない。
「先輩、また何かやらかしたの?」
うなだれて歩くオレの横に、年上の後輩トレーナーが並び、そんな声をかけてきた。
「──なんで、そんなことを?」
訊くんだ、という言葉までオレには言わさず、彼女──巽見 涼子はしたり顔で答える。
「この先は理事長室よ。そこへ向かって先輩が歩いている──となれば、呼び出されて叱られる、くらいしか考えられないから」
「あのなぁ……オレの指導を評価してくれて、理事長からお褒めの言葉を預かり、その秘書が『乾井さん、ステキッ!!』ってなるかもしれ──」
「──ハァ?」
巽見の冷めた視線が、オレを貫いた。
これは……効く、な。
「……あの、巽見さん。ボケに真顔で蔑んだ表情向けるの、やめてもらえませんか?」
「先輩がつまらないボケを何度も繰り返すからじゃないの。いい加減、たづなさんに怒られるわよ」
「いや。それは、真剣なんだけどな……」
視線をそらしながらボソッと言ったのだが、巽見は聞こえていたのかいないのか、完全に無視された。
「……お前はそう言うけど、ひょっとしたら《アクルックス》の成績を評価してくれる、って話かもしれないだろ?」
「それなら、そんなふうに俯いてため息つかないんじゃない?」
「そこから見ていたのなら、そう言えよ……」
オレは再びうなだれて、さらに理事長室へと向かう。
「で、そうやって憂鬱になる心当たりは?」
「この前の、カブで敷地内を走り回った件だろ、どうせ……」
その時のことを思い出しながら答える。
最後は、車椅子に乗ったウマ娘と事故になりかけたのだから、注意されるのもやむを得ないだろう。
「それだけでわざわざ呼ばれるかしら? もう怒られたんでしょう?」
「たづなさんには、な」
巽見に答えながら、オレは歩く。
「今回は理事長直々に、改めて叱ってくださるんだろうよ。ありがたいことに」
「えぇ……あれくらいの女の子に怒られるのが嬉しいの?」
「そういう特殊な趣味はないな」
純粋に皮肉だったんだが、巽見にはそうとってもらえなかったようだ。
理事長室のすぐ近くまでたどり着くと──巽見は「いってらっしゃい」とばかりに笑顔でオレに手を振る。
「なんだ、一緒に来てくれるんじゃなかったのか?」
「……行く理由が無いでしょう? 先輩がことあるごとに言うように、私とはチームが別なんだから」
「お前、品行方正なんだから、理事長に怒られたこと無いだろ? 良い機会だからちょっと付き合って──」
「私が一緒にいたら、たづなさんに誤解されるんじゃないの?」
「おぉ、それはイカン……」
巽見を放り出して、理事長室の扉へと向き直る。
オレがノックするのとほぼ同時に──巽見がため息をついた気がした。
さて──今は、学園が夏休みになっている8月。
よく冷房の効いたその部屋に入ったオレは、そこで直立不動の姿勢をとった。
そして目の前にはチビッ娘偉大なる尊敬すべき理事長がいる。
……不満そうな顔をするな。ちゃんと訂正しただろ。
そしてオレの後ろには怒っていて、やはり不満顔の理事長秘書・駿川たづなさんが挟むように立っていた。
彼女からこういう目を向けられるのは、やっぱり辛い。
オレがそんなことを考えていると──
「用件は……わかっているか?」
「ええ。この前、ハンターカブで敷地内を走った件、でしょう?」
ジーっと睨む理事長にオレが答えると、彼女は「はんたーかぶ?」と首を傾げる。
それを見たたづなさんが「あのオートバイのことです」とフォローし、「うむ」と頷いた。
「肯定ッ! その通りだ!! あんな危険な走行は、断じて認めるわけにはいかーん!!」
「あれは、スミマセンでした。オレもちょっといきすぎたという自覚はありまして……」
言い訳とかではなく、ああいうことになってしまった事情をオレは説明した。
理由も言わずにプールでのトレーニングから逃げるダイユウサクを追いかけるため、やむなくバイクを使ってしまった、と。
「ふむ? トレーニングから逃げてしまったのか?」
「ええ、まぁ……それが頑なだったので、ついムキになってしまい──」
オレの説明に、理事長は急に扇子を開いた。
そこには「天晴ッ!!」の文字が──
「うむ! さすが私が見込んだトレーナーだな! そこまでウマ娘に親身になってくれるとは本当に──」
「理事長、今日は叱責するはずではなかったんですか?」
上機嫌で言い掛けた理事長に、その秘書がスッと近づいて耳打ちをする。
すると、戸惑った様子で「う、そうだった……」と急にテンションを落とした。
そしてコホンと咳払いをして──
「と・も・か・く! あの運転で、事故に巻き込まれかけたウマ娘がいたのは事実!」
「あ~、ですね。アイツには本当に悪いことをしてしまった。逃げられなかったから恐怖もひとしおだっただろうに……」
ウマ娘だというのに、わざわざ車椅子を使っていたのだから、彼女が自らの足で駆けることができないのは明白だった。
ままならない体で、迫る危機から回避することさえできなかったのは、さぞや怖かったことだろう。
本気で悪いことをした、とオレが反省していると──なぜか理事長はキラキラした目でオレを見ている。
「その通り! ウマ娘にとって走れないのはとても辛いのだ。その気持ちだけでなく、彼女の恐怖まで察するとは、さすが──」
「──理事長?」
再び、秘書に詰め寄られ、秋川理事長は「むぅ……」と少し不満げながらも、言葉を飲み込む。
そして──このままでは埒があかないと判断したのか、代わりにその秘書──駿川たづなが説明を始めた。
「本日、こうして乾井トレーナーをお招きした理由は色々とあるのですが……その一つは、間違いなく先日の“それ”です。本当に……あと少しで、本当に危険だったんですよ。反省してください」
その責める目は、やはり当日の現場では、巻き込みかけたウマ娘に少しだけ遠慮していたのだろう。彼女の本気の怒りが垣間見えた気がした。
「はい……すみませんでした」
オレは神妙に頭を下げる。
先ほども思ったが──ヒトよりも足の速いウマ娘は回避が上手いということでもある。その足を使えなかった彼女は、自らの意志ではオレとオートバイからは逃げることができず、本当に怖かったのだろう、と推測できたからだ。
そんなオレの態度に、理事長秘書はとりあえず引き下がり──次の件を話し始めた。
「それで、反省しているのでしたら──乾井トレーナーには責任をとって、面倒を見ていただこうかと思っています」
「──え? たづなさんの面倒をオレが?」
「「「………………」」」
理事長とオレと理事長秘書、その3人の中で沈黙が流れる。
それを破ったのは──やっぱりたづなさんだった。
「どうして、私の面倒になるんですか!? 私ではなく、あのときのウマ娘のです! あなたが轢きそうになった──」
「ああ、アイツか……」
強い調子で言うたづなさんに対し、オレは誤魔化すようにポンと手を打った。
なるほど、責任をとってとはそういうことか。
ん──?
「え? ちょっと待った。面倒見るってまさか、アイツの一生をオレが──」
「否定ッ!! 断じて、違ああぁぁぁう!!」
慌てた様子で否定する理事長。
いや、それはもちろん安心するが──なにもそこまで大げさに否定しなくても。
そんな理事長をたづなさんがチラッと見て、さらに彼女はオレをジロッと見る。
「乾井さん。あなたもトレーナー、いわば教育者なんですから。そういう発言は……」
「はい、スミマセン」
また頭を下げることになってしまった。
「ええと……乾井トレーナー、あなたは彼女のこと、知っていますよね?」
「もちろん。4ヶ月近く前とはいえ、かなり騒がれましたからね、あの件は」
そう言ってオレは思い出す。
あのとき──ダイユウサクが初勝利した後、この部屋に異議を申し立てにきたときのことだ。
その時にこの部屋で会ったのは黒岩という理事。
ダイユウサクのウイニングライブの配信差し止めを申し立てたオレに対し、コンテンツ管理を担当しているというその理事が、その申し立てを却下した理由の一つが──同じ週に行われた皐月賞での事故だった。
その事故当事者こそ──
「……ミラクルバード。よくぞあそこまで回復したと言うべきか。それとも……」
「まだ、立ち上がることができませんからね、彼女は」
そう言って沈痛そうに目を伏せるたづなさん。
理事長もまた、しょぼんと気落ちした様子になり──頭上の猫も「ナァ~」とやはり悲しげに鳴いていた。
そう、あのときぶつかり駆けた車椅子のウマ娘こそ、今年の皐月賞の最中に大怪我をして、一時は生死をさまよったミラクルバードというウマ娘だったのだ。
どうにか命をとりとめた彼女は、この4ヶ月で傷はだいぶ回復したのだが──その後遺症として足がマヒしてしまっている、とオレは耳にしている。
「……治るんですか? 彼女の足は」
「なんとも。医師の診断では、治りつつあるそうなんですが……」
「憂慮……ッ、あのまま車椅子では翼をもがれた鳥のようなもの。本当に可哀想なのだ……」
事故前の彼女は、いるだけで周囲までも楽しくさせるような、それほどまでに明るく前向きなウマ娘だった。
あのときに少し話したが、持ち前の明るさは変わっていないようだったが、しかし、今はそれが痛々しくも感じられてしまう。
「彼女、転科を申し出たんですよ……」
「なッ!? まさか、競走科から──」
「はい。スタッフ育成科へ、です。車椅子では走ることはできないから、みんなのサポートをしたいと言い出しまして」
そこまで思い詰めていたのか、とオレは思った。
あの事故でのミラクルバードの負傷は、足というよりは競走中にヨレたことで後ろから追い上げてきたウマ娘と無防備にぶつかり、吹っ飛ばされたことで、頭を激しく打ってしまった。
だから足の負傷よりも、脊椎への損傷から足や下半身への不随の方が深刻という状況で、今も彼女の足は思うように動かない。
だから──もう走れない、とあきらめてしまったのかもしれない。
「そ・こ・で、とあるチームに所属し、サポートして欲しいと思っているのだが……」
「理事長、それってひょっとして、ウチの……」
「うむ!」
理事長が扇子を開くと今度は「正解ッ!!」の文字が。
さっきと文字が違うんだが──あの扇子、どういう構造になっているんだ?
「《アクルックス》に所属して、サポートをして欲しいと思っている!」
と、力説する理事長だったが──オレは躊躇った。
その様子に、たづなさんが気がつく。
「乾井トレーナー? あの、ひょっとして……受け入れるのは、厳しいんでしょうか?」
「正直に言えば、その通りですね」
オレはうなずき、説明する。
「まず……現状、ソロチームであるウチは、オレがダイユウサクに専念できていて人手が足りていることです」
「うむ。だからこそ、だ。手が足りているからこそ、車椅子というハンデのある彼女に気を遣うこともできるはず」
知事長の言い分はわかる。
ソロチームだからこそ部屋でも人が集まり過ぎるということもない。
ミラクルバードは車椅子になってしまうので、どうしてもスペースを確保しなくてはならないから、それに対応できるから、というのは理由になるだろう。
しかし──
(車椅子だからこそ思い通りの移動というわけにもなかなかいかないんだよな。車椅子生活であれば、周囲の補助は欠かせないが──オレやダイユサクがそれに時間をとられては、本末転倒だ)
ウチのように人数的に余裕がないチームであれば、サポートする側もされる側もストレスを感じるようになってしまいかねない。
オレは困り果てて頭を掻く。
「あとは……ダイユウサクは気難しいんですよ、アイツ」
ダイユウサク自身の気性も問題だ。
普段はオレやコスモドリーム、そのトレーナーの巽見と気兼ねなく話しているし、同世代でもオグリキャップやそのサポートをしているベルノライト、その周囲にいるメジロアルダンやサクラチヨノオーあたりと仲がいいらしいんだが──実は、人見知りが激しい。
それ以外──あとは親戚のシヨノロマンやサンキョウセッツとは話すらしいが、それ以外には基本的に素っ気なく、ウイニングライブとか機嫌がいいときに多少話す程度。
「コミュ障とは言わないが──同世代でも無いし、親戚でも知り合いでもない彼女を、ダイユウサクが受け入れるかどうか……」
《アクルックス》というチームは、結成された経緯を考えれば、ダイユウサクのためのチームといっても過言ではない。
そもそも、ソロチームで競走できるのが彼女しかいない以上、ダイユウサクを第一に考えるのは至極当たり前のことだ。
彼女の意志が最優先されるべきであり──オレが難色を示したことで、理事長とたづなさんは顔を見合わせる。
「困惑……これは、困ったことになった……」
「はい、もしも受け入れていただけなかったら──」
その表情が冗談や演技ではなく、本気で戸惑っている様子なのを見て、オレは嫌な予感がよぎった。
「え? ひょっとして、また……」
「うむ──」
「はい──」
理事長とたづなさんは、同時に頷き──
「《アクルックス》存在の危機、だ!」です!」
語尾こそ違えど、ハッキリそう言った。
正直──「またかよ」とオレは嘆きたくなった。
◆解説◆
【理事長からの提言】
・元ネタないし、まんまなので今回は解説をお休みします。
【
・ウマ娘では有名な言葉で、中央トレセン学園の校訓。
・“Eclipse first, the rest nowhere.”を直訳すると、「エクリプス1着、2着馬はなし。」
・じゃあ、そのエクリプスってなんなのさ、となるわけですが──18世紀後半の英国で活躍した牡馬。
・自身はもちろん、種牡馬としても活躍した馬で、サラブレッドの三大始祖の一つ、ダーレーアラビアンから5代目にあたります。その優秀さのために、その血統がエクリプス系と呼ばれるようになったほどで、現在では90%以上もその血統に入るという大父系です。
・そのあまりの強さに3人目の馬主のデニス・オケリー氏が、全馬の着順を賭けてもいいと宣言した際に発言した言葉というのが──それ。
・1着馬から240ヤード以上離された場合には入着を認められないというルールがあったので……つまりは、エクリプスが2位に240ヤード以上引き離して勝つから、“2着馬はなし”ということ。
・で、実際にエクリプスが圧勝してその通りになったとか……
・そのエクリプスを指して「唯一抜きんでて、並ぶものなし」というわけです。
【転科】
・トレセン学園にはいくつかコースがあるようなので、再起不能の故障をしたウマ娘の救済策としてそれを変更する“転科”というものを出してみました。
・現在のところ、原作ではアニメ、漫画、ゲームのいずれにも明確に出てきていないので本作独自の設定になります。
・が、現実の学校であれば認められる(審査や試験はあるでしょうが)制度なのでそれほど珍しいことではないかと。
・オグリキャップのような地方からの転校も認められているわけですし。
・地方と言えば、ベルノライトがそうじゃないの? と思われる方もいるかもしれませんが、彼女の場合は特殊で“カサマツの競走科”から試験を経て“中央のスタッフ育成科”に編入していますので、一つの学校内での転科ではありません。
・あとは……トゥインクルシリーズを走る競走科とは別に、障害レースのための“障害科”とかもありそうですね。
・障害レースに転向した競走馬も多いですし、もしも科が違えばそれも転科となりそうです。
・ガルパン外伝『リボンの武者』でのタンカスロンのように、障害レースに焦点を当てた外伝があっても面白そうですね。
【人見知りが激しい】
・この性格付けは、競走馬ダイユウサクが人にも馬にも愛想がなかった、という話から。
・また遅い生まれのせいで体格が小さく、他の馬にイジメられていたというエピソードから他のウマ娘とは距離をとりがちという設定があり、その理由としてこの性格付けでもあります。
・なお、厩務員だった平田修氏にも愛想はなかったようで……その辺りが、慕っているくせに素直になれていないという性格になってます。