見えぬ輝きの最南星《アクルックス》   作:ヤットキ 夕一

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『ダイユウサク、このレースを制しました~』

 前走から二週後、アタシは再び1位でゴール版を駆け抜けていた。
 走り抜け、足を止め、俯きながら呼吸を整え──そして顔を上げる。
 スタンドからはアタシに向かって声援が飛んでいる。
 それに手を振って応えつつ──アタシは思った。

「これで、あと一つ……」

 今回の勝利で──クラスが上がる。
 それでアタシは準オープンになる。オープンクラスに手が届く位置まで、ついに来た。
 アタシを祝福してくれる中に──トレーナーの姿があった。

(ほら、見なさい。ちゃんと順調に勝ててるでしょ? だから心配することなんて無いのよ)

 このまま勝ち続けて、年内にはオープンクラスになってやるわよ。
 目標を見つけたアタシは、強いんだから!

 ──横にいる車椅子焼き鳥ウマ娘共々、雁首そろえて待ってなさいよ!!



第36R 大憤懣… ダイユウサクもかくありたい

 

 ──だが、そんなに上手くいかないのが世の中だ。

 

 10月の半ば。準オープンになって初めて出走したレース──ダイユウサクは10位だった。

 ターフで俯き、息を整えてる彼女の姿を見ながら、オレはそれをどこか納得していた。

 

(やはり短距離は……適正があってるとは思えない、な)

 

 それに加えて、クラスを上がるとそこには壁があってぶつかることになる。

 無論、それを難なく軽々と越えていくウマ娘もいるが──ダイユウサクはそういうタイプじゃない。

 一歩一歩確実に、壁を越えていくタイプなのだが──本人は、納得していないだろうな。

 なにより今のアイツは焦っている。

 

「ふむ……」

 

 下を向いたまま悔しそうな顔を隠している彼女の姿に、オレはある決意をした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「ハァ!? どういうことよ!!」

 

 我が《アクルックス》のチーム部屋に大きな声が響きわたり、「バン!」とテーブルを強く叩く音が響く。

 傍らでは、大きな音に首をすくめる車椅子のウマ娘がいる一方で、オレは眉一つ動かさずに、その音を立てた──テーブルに両手を叩きつけたダイユウサクを見た。

 

「どういうこともなにもない。次のレースは3週間後だ」

「分かってるの? 前回は10位だったのよ? これを挽回しないと年内にオープンクラスに昇格なんて──」

「それはお前が勝手に言い始めたことだろ」

「なッ──!?」

 

 驚き、「信じられない」と言わんばかりに目を丸くするダイユウサク。

 そして──キッとオレと、そして車椅子に座っているミラクルバードを睨んだ。

 

「……アンタ達、そうまでして…………」

「勘違いするな。そいつは関係ない」

「そんな言葉を信じろっていうの? 現にそうやってアタシの邪魔をしているのに!」

「邪魔じゃないだろ。落ち着け。準オープンに上がったら、出走のペースを落とすのはオレが前から考えていたことだ」

 

 実際、その負けた前走はその前から3週空けているんだが……忘れているのか、気が付いていないのか。

 準オープンよりも下のクラスに所属しているウマ娘は、1ヶ月に2回──つまりは2週に一度のペースで出走しているのが多い。

 これは多くのレースを経験して、少しでもポイントを稼いで上のクラスに上がるためだ。

 だがオープンクラスを目前に控えた準オープンはレースのレベルが違う。

 そこで勝つには、出走ペースを落とすべきだと判断した。

 だが──ダイユウサクは納得しない。

 

「でも! それじゃあオープンクラスに──」

「焦るな、ダイユウサク。チームにオープンクラスウマ娘の所属が必須になるって例の話も、まだ具体的になっていない。少なくとも来年の春以降の話に──」

「そんなの、わからないじゃないの!! 今年の春先のことを忘れたの? 突然、実績求められて、次のレースで勝たないと解散なんて言われて──」

 

 (かぶり)を振るダイユウサク。その姿にオレは沈痛さを感じていた。

 あのとき、やはり彼女はかなりプレッシャーだったのだろう。

 それ程までに、このチーム──《アクルックス》を大切に思ってくれている。その気持ちは嬉しいし、オレだって負けないくらいに大切に思っている。

 

「わかってる。だからこそ準オープンでの一戦一戦を大切にしていこう。クラスが上がって周囲のレベルが上がっても、それでも勝ってポイントを稼ぐ。そのための策だ」

「でも──」

 

 そのとき、ダイユウサクの目がチラッと何かを見た。

 彼女の視線を追い……見た物に気がつく。

 テーブルの上に無造作に置かれた新聞。

 そこに書かれているのは──次の週末に迫った、秋の天皇賞の記事だった。

 

(焦る理由は、コレか)

 

 それで合点がいった。

 秋の天皇賞。出走する有力ウマ娘は──

 今年頭の故障から秋に復帰したオグリキャップをはじめ、メジロアルダン、スーパークリークが名を連ねる。

 そこへ負けじとヤエノムテキも気勢を上げる。

 さらには──ディクターランド等、他に出走を予定しているウマ娘達もいる。

 

(これだけ同期が揃えば……意識するなという方が無理だよな……)

 

 かたや盾を巡って同級生達が集って争い──しかし、その中に自分は加われずに蚊帳の外。

 オープンという同じ土俵にさえ立っていないのだ。

 しかしそれがやっと手の届くところまで来ている。

 焦る気持ちは、痛いほどに分かった。

 

 だが──

 

「先を見すぎずに足元を見ろ。やっとここまで来られたんだぞ? (つまず)けば取り返しのつかないことにだってなりかねない」

 

 オレが努めて冷静に言うと、ダイユウサクは少しだけ疑わしくジロッと見た。

 そして──

 

「そうだよ、ダイユウサク……」

 

 と、寂しく笑みを浮かべるミラクルバードを見た。

 ……いや、お前がそこで同意するのはある意味反則だよな、バード。説得力あり過ぎんだろ。

 文字通りに躓き、そして歩くことさえままならなくなってしまったその姿はあまりにも痛々しすぎる。

 さしものダイユウサクも小さくため息をつく。

 

「……ハァ。分かったわよ。アタシはトレーナーについて行くって、あのときに決めたんだから、従うわ。でも……年内のオープンクラス昇格を諦めたわけじゃないんだからね!」

 

 ビッと指さしてそう言い放ち、ダイユウサクは部屋の外へ向かう。

 そして「ウォーミングアップして待ってるから」と言い残し──部屋から出ていった。

 それを見て、ミラクルバードはホッとため息をつく。

 

「よかった、納得してくれて」

「あのなぁ……自虐ネタなんてやらなくていいんだぞ。説得するにしても、キチンと理解するまで話すし、それがオレたちのやり方なんだから」

 

 少し怒ってオレが言うと、ミラクルバードは「出しゃばってゴメンなさい」と素直に謝った。

 そうやって屈託なく謝ったり感情を露わにできるのは彼女のいいところなのだが──

 

「……信頼してるんだね」

「ダイユウサクのことか? そりゃあ、オレの方からトレーナーにならせてくれって頼んだしな。それで、どうにかここまでやってこられたし」

「それもだけど、ダイユウサクの方も、乾井トレーナーのことを信頼しているんだと思って」

「そうか? もし信頼しているなら、こんなことでゴネないだろ?」

「そんなことないよ。ゴネることも受け止めてくれるって信頼がなければ、できないでしょ。本音で言い合えるって素敵な関係だと思うよ」

 

 笑みを浮かべて見上げるミラクルバードの視線から、思わず逃げるように視線を逸らした。

 ほら、まったく……お前のその屈託のない性格は反則だわ。

 やや強引に話を逸らす。

 

「ま、前走の結果で身に染みて理解しているんだろ。アイツも……」

 

 今までのやり方では勝てない。

 その手応えがあったから、ダイユウサクもオレの案に従ったんだろう。

 

 ここからの道は──それほどまでに険しいんだ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 それを示すように──

 

『──ダイユウサクは届かない! 一着は……』

 

『一番人気ダイユウサク、差しきられた~!! 1バ身離され、一着は──』

 

 11月半ばの京都、12月頭の阪神でそれぞれレースに出走したが……連続で惜しくも2位。

 前のクラスの時の再現のように、勝ちきれないレースが続いた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「──ダイユウサク、この前の……」

「わかってるわよ!!」

 

 チーム部屋で、オレが発しようとした言葉を遮り、苛立たしさを隠そうともしないダイユウサク。

 すでに馴染みつつあるミラクルバードはそんなダイユウサクの苛立ちさえも慣れたのか、苦笑を浮かべつつ、持ってきていた物をテーブルに出した。

 

「まぁまぁ、コレでも食べて落ち着いて……」

 

 そう言って、パックに入った焼き鳥を並べる。

 彼女の実家は焼き鳥屋で、地元では有名らしい。父親直伝だという彼女の腕前もなかなかで、今までもこうしてお手製の焼き鳥が差し入れされていたのだが、確かに美味い。

 スタッフ育成科へ転科したミラクルバードは、基礎となることを学び実践しつつも、その調理の腕を生かせる栄養士やその方面から支えるスタッフを目指すらしい。

 ダイユウサクも不満そうにしながらも、今までの差し入れでその味を覚えており、ミラクルバードに小声で「ありがと」と言いつつ無造作に串をまとめて数本掴むと口に運ぶ。

 なんだかんだで、ミラクルバードもうちのチームに馴染んできてるな。

 

「オレが言いたいのは、レースじゃないぞ。その後のウイニングライブだ」

「え……?」

「険しい顔になってたぞ。悔しい気持ちは……分かるけどな」

 

 そう言うと、オレは小さく息を吐き、ミラクルバードの焼き鳥を一本取ると、椅子の背もたれに背を預けて天井を見ながら、それを食べた。

 絶妙に火が通された肉からは、旨い肉汁が出て──その美味しさがささくれ立った心を幾分か落ち着かせてくれる。

 

「……そうだった?」

「ああ。お前の隠れた負けん気の強さは長所だが……ウイニングライブでアレはマズい」

「そう、よね……ゴメンなさい」

 

 そう言って素直に頭を下げるダイユウサク。

 まぁ……同じ2位でも大差で負けたライブならともかく、僅差だったライブでその感情を押し殺してパフォーマンスを行うのはなかなか難しいと思う。

 とはいえ、それをやってこそプロ、なわけではあるが……

 

「いやいやいやいや。ボクも見たけど……トレーナーに言われたから、そうかな? と思うくらいだったよ」

「──つまり、気がつくヤツは気がつくってことだ」

 

 オレが言うと、ミラクルバードは微妙な顔で苦笑する。納得がいっていないようだ。

 

「まして2位だったからな。そして、それが続いたことくらいトゥインクルシリーズのファンなら知ってる。そういうのを見透かされるようになったら大変だぞ」

「それって、やっぱり気がつくのは乾井トレーナーか、よほど熱心なおっかけくらいじゃないのかな」

「ほう、それはつまり……ダイユウサクには熱心なおっかけなんているはずがない、と……」

「それは論理の飛躍だよ!?」

 

 ミラクルバードをからかってやったが……ん? ダイユウサクからの反応はないな。

 てっきり、噛みつくかと思ったんだが──見れば、焼き鳥をモゴモゴしながら心ここにあらずと言った感じで、ジッと一点を見つめている。

 なにやってんだろうか……と思いつつ、アイツの手元付近の焼き鳥を全部レバーに変えて──

 

「ねえ、トレーナー。お願いが……って、なにやってるのよ?」

「え? あ、いや……鉄分補給にレバーはいいらしいから、な」

 

 考えに整理がついて、オレに話しかけようとしたらしく──気がついてオレにジト目を向けてきた。

 オレの誤魔化しに、ミラクルバードは「そうだよ~」と爛漫な笑みを浮かべつつ、手をひらひらと振りながらテキトーな感じで肯定した。

 さすがスタッフ育成科。栄養学の知識も彼女が言えば説得力が違う。

 味覚がお子さまのダイユウサクはレバーを少し苦手にしていたから、からかってやろうというオレの目論見は無事に隠され──

 

「そんなことよりも! 一つ、お願いがあるのよ」

「……なんだ?」

 

 う~ん、ダイユウサクも最近は自分の要望を結構言うようになってきたからな。

 変なことを言い出さなければいいが、と不安な気持ちになる。

 すると案の定──

 

「年内に、もう一戦走りたいのよ。予定を組んで」

 

 ほら、やっぱりな。

 オレが渋面を浮かべると、ダイユウサクはズイッと近づいてきて「お願い」と駄目押ししてきた。

 そういうのでオレは意見や態度を変えはしないけどな。

 

「……もう一つ走って、仮に勝ったとしても……オープンへの昇格はない。それこそ──」

 

 オレはチラッとテーブル上にあった新聞をチラッと見る。

 そこにはまだ数週間先の話とはいえ──記念の記事が掲載されていた。

 紙面に載っている有力ウマ娘の名前が目に入る。イナリワン、スーパークリーク、ヤエノムテキ、そして……オグリキャップ。

 オープンクラスのウマ娘──今のダイユウサクから見れば化け物クラスの面々の名が並んでいる。

 

「──格上挑戦して、勝ちでもしない限り」

 

 無論、有記念には出られない。あのレースは今年、コスモドリームが出走した宝塚記念と同じで、ファン投票で出走が決まる。

 ここ最近、1番人気の多いダイユウサクだが──それはあくまで準オープンやその下のクラスだったから、という話。

 オープンクラスの中で、さらにファン投票で出走が決まる有記念は国内最高峰クラスのレース。まさに雲の上の戦いだ。

 そんな頂上決戦のG1以外に残されているのは、その前の週に行われる──ジュニア対象の朝日杯ジュニアステークスと、阪神ジュニアステークスしか残っていない。

 

(あとはその二つのレースと同日開催のG2、CBC賞……しかし距離は1200。適性があっているとは思えん)

 

 秋戦線ではダイユウサクは短距離を連戦していたが、それは別の目的からだ。連戦の疲れが見えてきているので、あえて長い距離を避けた。

 準オープンに上がってからは、短距離があってないように見えたのと、出走間隔が空けたので2000mを連戦させたが。

 確かに阪神レース場の1200でレコードを出した。が、スプリント適正がそこまで高いとは思えない。

 もし出たとしても──格上の短距離を得意とする猛者相手に、今のダイユウサクで勝てるとは思えなかった。

 そして、そんな一か八かの勝負もしたくはない。

 

「──そんなの、分かってる。今年の昇格は無理だって理解してるわよ」

 

 オレの指摘に俯き、耳もしょんぼりとうなだれさせるダイユウサク。

 

「でも、負けっぱなしはイヤなのよ。準オープンになって、せめて一勝……来年に向けて、オープンに向けての布石にするために、今年中に勝っておきたいのよ」

 

 そう主張するダイユウサクは、悲壮ささえ感じられた。

 その姿にオレは──ある決意をした。

 

「……わかった。年内にもう一戦、予定を組む」

「え? トレーナー!?」

 

 驚いたのはミラクルバードだった。

 正式なチームメンバーではない彼女だが、今後の予定は話していた。

 その変更に、彼女は驚くが──オレは無視する。

 一方、ダイユウサクはオレが認めたために、笑顔──しかし満面のそれではなく勇ましくも、どこか辛く悲しげな笑みを浮かべる。

 

 ──その表情を、オレは危険だと思った。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 阪神レース場の、走路へと繋がる通路。

 そこは観客からは見ることができない場所であり──たった今、レースを終えたウマ娘が俯き加減で歩いていた。

 4番のゼッケンをつけたそのウマ娘の順位は──その表情が示すとおり、不本意なものであり、3位。

 ターフではまだ、1位をとった眼帯をしたウマ娘が観客の歓声に手を挙げてこたえているらしく、その歓声がここまで響いている。

 レース中の反省点はもちろんあった。

 思うようにレースを展開できなかったもどかしさもある。

 そうさせてしまった自分の足への不満……

 そういったものを胸の内にモヤモヤと抱えながら歩いていた彼女は──目の前に人影を感じて、顔を上げた。

 

「トレーナー……」

 

 腕を組み、いつになく厳しい顔をした彼。

 自身の、そして自分だけが所属しているチーム《アクルックス》のトレーナーである乾井。

 その彼がなにかを言い出すよりも早く──彼女は口を開いた。

 

「ごめんなさい、トレーナー。また結果を出せなくて……でも、でもね。次は必ず……今回、いろいろ反省点は分かったし、見えてくることもあったから、年が明けて次のレースを──」

「いや……」

 

 彼は、首を横に振った。

 ……え? どういう、こと?

 気持ちが焦る。今のはきっと聞き間違いよ。そう思ってまた言葉を重ね──

 

「年が明けたら、どのレースに出るの? 格上挑戦で金杯? それとも──」

「……ダイユウサク」

 

 彼は──アタシの名前を静かに呼んだ。

 そこには、有無を言わさぬ迫力と、そこに秘められた様々な感情が感じられた。

 え? トレーナー? いったい、なにを言うつもりなの?

 次の言葉が怖い──アタシがそう感じたとき、彼はアタシの予感通り、最も恐ろしい言葉を告げてきた。

 

「──しばらく走らなくていい」

「え……?」

 

 絶句するアタシ。

 もちろん驚いた。

 次に浮かんだのは、オープンに上がらないといけないのにという焦り。

 にも関わらず、走るなという理不尽な指示に対する怒り。

 それらが一緒くたになって──

 

「なんでよッ!!」

 

 アタシは叫んでいた。

 

「あと少しで、オープンに手が届くのよ!? こんなところで、立ち止まるわけにはいかないわよ!! もっとレースに出て──」

「ダメだ」

 

 目の前に立つ人に向かって感情を叩きつけたけど──彼は静かに首を横に振った。

 そんな彼の姿に、アタシはますますカッとなって、声をぶつけようと大きく息を吸い──次の瞬間、アタシの体は彼の大きな体に包まれていた

 

「──え?」

 

 戸惑い、機先を削がれる。

 彼はアタシの体を労るように抱きしめていたのだ。悲痛そうな表情の彼の顔がすぐ近くにある。

 

「今のお前に必要なのは──レースじゃない。休養だ」

「そ、そんな……確かに今走ったばかりだから疲れはあるけど、年明けまで休めばちゃんと──」

 

 アタシが言うが、トレーナーは首を横に振る。

 

「そういう短期的なものじゃない。《アクルックス》所属になって初めて走った3月から10ヶ月、お前は休まず走り続けてきて──ハイペースで出走し続けたツケが、抜けきらない疲労が蓄積しているんだ」

「疲労? そんなの──」

 

 アタシは思わず自分の手足を確かめる。

 普通に動くし──さっきだって全力で走れた。痛みもない。体に不安なんて──

 

「お前の本来の力なら、準オープンでも十分に通じるはずなんだ。勝てるはずなのに……勝てないのはそれが原因だ」

「確かになかなか1位にはなれないけど、でも……昇格直後の10位はともかく、その後は2位を2回だったし、今回だって3位よ? 悪い成績なんかじゃないわ!」

 

 そう。手応えはあるのよ。

 だからこそ、その手応えを忘れないうちに次のレースを出て、次こそ──

 

「次こそ1着をとれるわ。そうしたら、それをきっかけに前のクラスみたいに──」

「その前に、体が壊れる」

「──ッ!?」

 

 冷たく言い放った彼の言葉に、アタシは身を震えさせた。

 

「確かに夏以降はソエも無くなった。競走ウマ娘としてのお前の体は完成したかもしれない。だが、それまでの間にさせた無理は確実に響いている。ここで休まずに走り続ければ、待っているのは……」

「そ、そんなのわからないじゃないの!! 休養だってオープンになってからでも──」

「お前だって、体を壊したヤツのことは、間近で見ていただろ!!」

 

 トレーナーの大きな言葉で、アタシは息を呑んだ。

 そう……見ていた。

 数々のウマ娘が、負傷する様子を。

 アタシ達の世代で最強と言われてるオグリキャップだって、今年の上半期は怪我の治療に専念して走ってなかった。

 去年のダービーで骨折したメジロアルダンは、一年かけて復帰したのに──この前の秋の天皇賞の出走後に再び骨折した。

 そして、アタシのもっとも身近にいたウマ娘……ルームメイトのコスモドリームは、昨年の秋に骨折して、春に復帰したけど調子が戻らず──その目処はたっていない。

 サクラチヨノオーも宝塚記念で怪我が再発。ディクタストライカも今年の春にトレーニング中に骨折、秋に復帰する予定が再発して……去年の有記念が最後のレースになってる。

 今でこそ活躍しているスーパークリークだって、去年は怪我に泣かされてダービーへの挑戦を断念してる。

 そして──コスモを応援しに行ったときに見た光景が脳裏に浮かんだ。

 

(スイートローザンヌ……)

 

 レース中に負傷した彼女の姿はハッキリと覚えている。

 だからこそリアルに想像できた。

 このままレースを重ね──その最中に自分が故障して棄権することになる光景が。

 

「……お前をそうしたくはない。前に言っただろ。黒岩に言われて勝たないといけなくなってお前が特訓しようとしたときに──」

 

 ええ、覚えてるわよ。もちろん……

 

「破滅的な勝利なら意味がない。たとえ勝てても、チームが残ってもそこにお前がいなければ、どうしようもないだろ?」

 

 背に回されていた彼の手が、アタシの両肩をつかむ。

 体は離れ、目の前にやってきた彼の顔は──アタシをジッと見つめていた。

 

「《アクルックス》には──オレには、お前しかいないんだから、な」

「──っ」

 

 アタシの目から、思わず涙がこぼれる。

 悔しかった。ランクが上がったのに結果を残せないアタシ自身に。

 腹立たしかった。今まで──今年になるまでロクに走らずにいたのに、たった10ヶ月で悲鳴をあげたアタシの体が。

 悲しかった。これからどれくらいの期間になるのか、“競走”というウマ娘の本能に刻まれた自己表現の場を失って。

 

 そして──嬉しかった。アタシを必要としてくれる人がいて、その人が本当にアタシのことを大切に思ってくれて。

 

 

 ──こうしてアタシは、長期間の休養に入ることになった。

 




◆解説◆

【ダイユウサクもかくありたい】
・大河ドラマ『独眼竜正宗』の「梵天丸もかくありたい」という有名な台詞から。
・なんで『独眼竜正宗』を採用したかは、下の方の解説を参照。
・ちなみに「憤懣(ふんまん)」とは「腹が立ってどうにもがまんできない気持ち」「むしゃくしゃする精神的状態」のこと。
・採用したのは、どちらかといえば後者で「焦燥」の類語です。
・大焦燥はもう使っていたので、今回はこちらになりました。

今回の勝利
・今回のレースは甲東特別。
・元になったのは1989年9月30日開催の阪神競馬場第10レース。
・当時は4歳以上900万以下の条件戦。
・芝なのは変わらないのですが、設立した1987年から1993年までは1400mで94年だけ1200m、以降は1600mのマイルレースに、と距離が変更されています。
・2020年は11月22日に開催。それ以外はこの時のように9月に開催されていました。
・当日の天候は曇りで、馬場は良。
・1番人気だったダイユウサクは順当に勝利。
・今回、差しの展開で勝っています。前走の結果から採用し、見事結果を出したといったところでしょうか。
・この勝利によって、ダイユウサクは900万以下から1400万以下(準オープン)へクラスが上がりました。

出走したレース
・該当するのは貴船ステークス。
・元になったのは1989年のそれで、10月22日開催。京都競馬場の第10レース。1400メートル。晴の良馬場。
・結果は本文中にあるように10位。
・その原因をクラスが上がったから、と本作はしていますが──実はこのレース、芝ではなくダート。今回の結果はその適正が無かったからなんじゃ……
・それを証明するように、以後は一度もダート戦に出ていません。(時代的にダートレースが冷遇されていた、というのもありますが)
・そもそもデビューから6戦は、5戦がダート戦(2戦目だけ芝)。初勝利こそダート戦でしたがそれ以外に1位はもちろん、2位3位も無しとあまりいい結果を残したとは言えません。
・以後、結果を残し始めたのも芝を主戦場にし始めてから。
・ちなみにデビューが1988年の10月30日でしたので、ここでデビューから約一年ということになります。
・この一年で14戦。5勝して2位も2回。
・それ以外に入賞も2回と出走レースの半分以上で結果を出しているのだから、個人的にはもうオープンクラスになっていてもいいと思うんだけど……

秋の天皇賞
・1989年の天皇賞(秋)は10月29日開催。
・オグリキャップも出ているレースなので、いずれはシンデレラグレイでもやるレースだと思うので、詳細な解説は省きます。
・出走14中9がダイユウサクの同期生。オープンクラス入りを意識しているダイユウサクには気にするな、という方が無理と言うもの。
・ちなみに結果も──1位から5位、つまりは入賞全員が同期生。
・天皇賞後はますます意識してしまうことに。

それぞれレースに出走
・11月半ばの京都レース場は比叡ステークス。
・モデルは1989年11月11日(土)の第10レース。2000mで晴の良馬場。
・結果は惜しくも2位。とはいえ一番人気のダイユサクが2着で、1着のミリオンハイラインは2番人気だったので、レース結果自体は順当の範囲内。
・ダイユウサクは、前走もですが先行のレース展開。
・しかし、逃げたミリオンハイラインに届きませんでした。
・距離も次走を含め、短距離から2000mのレースに戻しています。
・ちなみに──この翌日の11月12日に同じ京都競馬場では第10レースでエリザベス女王杯が開催されました。
・その第14回エリザベス女王杯の勝者こそ……サンドピアリスに間違いない!
・そう! 今も破られぬ……ダイユウサクも届かなかったG1単勝最高配当430.6倍を叩きだしたあのエリザベス女王杯です。
・ここで裏話なんですが──正直、サンドピアリスは本作『見えぬ輝きの《最南星(アクルックス)》』の主役の一人にしたい競走馬でして……チームメンバーに入れたかったのですが、G1取るのが早すぎるんですよね。
・この時点で彼女がG1をとってしまうとチーム初のG1タイトルになってしまい、ダイユウサクの頑張りや輝き、そしてあの栄冠が弱くなってしまうので──泣く泣くスルーしました。
・オグリのラストランにも出走しているし、出したかったなぁ!! orz
・本章がシンデレラグレイ準拠のために時系列順にイベントが発生しているのですが──本章以降は、アニメ版を見習ってウマ娘時空に突入する予定ですので、何章になるかはわかりませんが、サンドピアリスはそれ以降に登場予定になっています。
・閑話休題。
・12月頭の阪神でのレースは1989年12月3日(日)に開催されたゴールデンホィップトロフィーがモデル。
・“ホイップ”ではなく“ホィップ”です。
・……発音難しいな。
・前走もですが1400万以下の条件戦。2000mの芝。
・晴天で良馬場。結果は──惜しくも2位。
・今回も先行で道中1位になるシーンもあったのですが……後からスパートしたサツキオアシスに差し切られてしまいました。

記念
・ウマ娘の世界では『馬』の概念がないので文字がない。
・「ハーメルン」では独自のフォントで「」の文字があるので、使わせていただくことにしました。
・でも……当初は「有馬記念」は普通にこの表示だったような気がするのですが。
・そもそも有馬記念の「有馬」は当該レース設立に尽力した創設者、日本中央競馬会理事長だった有馬頼寧氏から命名されたから、それに敬意を払い、「ウマ」を指すのではなく人名由来だから「有馬記念」の文字を使う──とういことだと思っていたんですけど。
・変えてしまったら敬意も何もないような。
・ちなみにこの年──1989年の有馬記念は12月24日に開催。
・これまたオグリキャップが出走しているのでシンデレラグレイで描かれることになるでしょうし、ここでは詳細はスルーします。
・ただ、天皇賞(秋)と同じように同級生が複数出走しているし、また下の年代まで出始めているのでダイユウサクの焦りは強くなってきています。

レース
・逆瀬川ステークスのこと。ダイユウサクの第17走目。
・元になるのは1989年12月16日(土)の第11レース。1600メートル芝。1400万下の条件戦でした。
・天気は晴れの良馬場。
・レースの描写を丸々カットしたので解説しますと、まずこのレースを乾井トレーナーが選んだのは他に合う条件戦が無く、中1週になってしまったのでなるべく短い距離、ということで選択。
・で、今回も差しではなく実績のある先行を採用してレースを展開、一時はトップに立ちましたが──後方でレース展開をしていた2人に差しきられてしまい、結果は3位。
・準オープン昇格後の初勝利はまたもお預けになりました。

眼帯をしたウマ娘
・そのレースを制したのはメイショウマサムネというウマ娘。
・もはや名物でさえある、セリフのないオリジナルウマ娘の一人。
・元の競走馬メイショウマサムネは、その名が示すようにメイショウドトウと同じ馬主さん。
・その名、メイショウマサムネ=名将正宗となるバッチリな名前は、ほぼ間違いなく伊達政宗から。
・というのもこの馬もダイユウサクと同じでオグリキャップ世代。新馬年度は1987年であり──未だに歴代1位2位を争う人気を誇る大河ドラマ『独眼竜正宗』が放送されたのが1987年ですから。
・そのため、そんな独眼竜から眼帯キャラのウマ娘となりました。
・マサムネという名前だけでおいしいキャラでもっと使いたくもなるのですが──実はこの勝利がモデル馬は最後の勝利なので、おそらくこれっきりの登場。
・90年の金杯には格上挑戦しているんですけど──1年後だったら、ダイユウサクと再戦になって登場もあったのに。

ディクタストライカ
・シンデレラグレイ準拠の当作は、サッカーボーイ相当のウマ娘としてディクタストライカになっています。
・競走馬のサッカーボーイは本文中での説明通りに負傷して復帰する前に再発し──そのまま引退。結果的には前年の有馬記念が最後のレースになってしまいました。
・まぁ、シンデレラグレイでは名前も違いますし、どんな展開になるかはまだわかりませんけど……
・そういえば、ディクタさんと並んでオリジナルの名前でシンデレラグレイの中央編初期に出てきたラガーブラックことブラッキーエールさん、最近出てないけどどうなったんだろ……と思って調べてみました。
・皐月賞出走までがピークだったようで……オープンクラスなものの、オグリにペガサスステークスで負けて以降、勝ち星はありません。
・なんか──オークスに出走したのが最大の見せ場だった誰かさん(サンキョウセッツ)を思い出すのですが……
・もちろん、そこまでの成績が違い過ぎますけどね。降級せずにオープン維持もできてましたし。
・1989年11月がラストランなので、本作の現時点では引退してることになりますね。

※次回の更新は8月21日の予定です。  

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