その間、学園では新たなウマ娘がやってきたり、とか色々イベントはあったけど、アタシは……一度たりともレースに出ることなく、体を休めた。
もちろん、トレーニングを欠かすことはしなかったけど。
そうして迎えた6月も後半になったその日──アタシは地元の中京レース場にいた。
もちろん、アタシがいるのはターフの上。
むしろそっちにいるのは──
「ユウ、がんばれ!!」
アタシのレースを見に来てくれたルームメイト、コスモドリーム。
彼女はほぼ一年前にアタシと争った高松宮杯以来、未だに出走は無し。骨折のせいで狂った感覚を修正して、今の脚に負担のかからない走り方へと変えている最中だけど……やっぱり容易ではないみたいで、未だに復帰への見通しが立っていないみたい。
そんな自分のことをおくびにも出さず、明るくアタシを応援してくれる彼女には本当に頭が上がらない。
「さすがコスモよね。本当に強い……」
彼女の声に手を振って応えながら、アタシはポツリと呟いた。
すると──
「あの……コスモドリームの知り合いっスか?」
「え?」
声をかけてきたのは──真ん中に「夢」と書かれた鉢巻きを巻いたウマ娘だった。
突然のことに戸惑ったけど……彼女の顔を見て、アタシは眉をひそめた。
「……バンブーメモリー、よね?」
「はい、そうっス! あれ、名前、知ってくれているっスか? ありがとうっス!!」
……いや、だって……アナタ、アタシと同じレースで走ったことあるわよね?
それこそコスモと一緒に走った、唯一のレースの高松宮杯で。
アタシが呆れ半分でジト目で見ているのに気が付かず。彼女は「いや~、自分も有名になってきたっスね」と頭を掻いて照れている。
(また同じレースになったのね……)
彼女の成績は覚えている。7位だったアタシよりもずっと上の2位。
あの時のレースで、明らかに力の差を感じた相手の一人だもの。忘れはしないわ。
なによりも今回のレースは、あのとき以来の格上挑戦で、重賞GⅡの──CBC賞なんだから。
「で、コスモドリームの知り合いっスか? ユウさんは?」
「──ハ?」
なに? この人……いきなり人をユウ呼ばわりして。
親しくもないアンタに、馴れ馴れしく言われたくないんですけど?
アタシが冷め切った目で、敵意を込めて睨んだら、相手はかなり驚いた様子で──
「ご、ごめんっス、えっとユウなんとかさん……コスモドリームとはどういう関係で……」
「従姉妹でルームメイトよ。それに、アタシはユウなんとかじゃなくて、ダイユウサクなんですけど?」
「あぁ、思い出したっス。あの……」
思わずポンと手を打ったバンブーメモリーをキッとにらみつける。
なによ、その“あの”は? どの“あの”なつもり? どうせ「“あの”号泣ウイニングライブで有名な──」って続くんでしょ!?
アタシの剣幕に押されたバンブーメモリーだったけど、おそるおそるといった様子で、さらに訊いてくる。
「きょ、今日はコスモドリームのトレーナーさんは来てるっスか?」
「巽見トレーナー? さぁ、来ていないんじゃないの? 分からないけどねッ!!」
用事はそれだけ?
アタシは憤然としながら、バンブーメモリーの元から離れる。
背後では「よかったっス~」と安堵の声がが聞こえたけど──関係ないわよ、まったく!!
「よりにもよって、格上挑戦するなんて……」
「不満か? ミラクルバード」
「不満というか、不安というか……ううん、不安どころか勝てる要素を探す方が厳しくない?」
オレが担当しているウマ娘、ダイユウサクが今日走るのは、昨年までは年末に開催されていたCBC賞だ。
今年は6月の開催になったが、距離が変わった訳じゃない。
「短距離。しかもそれを得意にしている実力者が集まっているわけだからな」
「そうだよ。しかも短距離はG1がほとんど無いと同じだもん。必然的にG2のレベルは高くなるのに……」
責めるような目で、ミラクルバードはオレを見てきた。
「ダイユウ先輩って、短距離得意じゃないって、トレーナー言ってなかった?」
「得意じゃない、とは言っていないぞ。現に
アイツが出したのは去年の秋。確かに阪神の1200でレコードを出している。
「それなら期待できるってこと?」
「どうだろうな……」
オレは思わず苦笑してしまった。
不得意ということはない。だが、もっとも得意とする距離帯は違う、とオレは思っている。
「期待できないのに、格上挑戦したの? しかも復帰戦なのに……」
「そうジト目で睨むな。もちろん考えあってのことだ」
そう言って宥めたものの、それでも不満げにオレを見てくるミラクルバード。
「……しばらくぶりの
なにしろ半年も
しかし、仮に負けてもかまわないと言っても、もしも自己条件で走って結果が出なければ後に引くし、ムキになるパターンだ。
負けても仕方ない、という理由付けのための格上挑戦というわけである。
「ま、つきあいも長くなってきたからな。それに……」
ミラクルバードに説明しながら、思わず苦笑してしまう。
「それに?」
「もしも、まかり間違って勝っちまったら、それはそれでオープンクラスになれるだろうし。万々歳だ」
「う~ん、そうなったら最高だろうけどね」
ミラクルバードも苦笑で返す。
──そして案の定、ダイユウサクはCBC賞を制することはできなかった。
しかし着順は4位。
短距離で結果を残した“差し”でのレース展開をしたのだが──やはり壁は厚い。
途中まで併走していた、2位だった
しかし、それでも昨年にG2の高松宮杯に格上挑戦した時と違って入賞圏内に入ったのは、オレ達《アクルックス》にとって明らかな手応えだった。
──7月。
学園の食堂で、アタシはため息を付いた。
(……勝てない、わね)
アタシは、復帰後2戦目のレースに出走した。
でも──結果は再びの4位。
またしても勝つことができなかった。
「これでランクが上がってから6連敗か……」
思わず言葉が口をついて出て、つぶやきが漏れてしまう。
準オープンクラスになってから未だに未勝利。
格上挑戦もあったけど、もちろん自己条件で走ってる方が多いんだから言い訳にならない。
半年の休養があったから、ランクが上がってからすでにもう9ヶ月。
4月までにオープンクラスに上がるのに焦っていたけど、その必要がなくなって少し気が抜けていたのかもしれない。
「ユウ、食欲無いの?」
アタシの箸が止まっていたのを見咎めた、ルームメイトのコスモドリームが不思議そうに見ていた。
そんな彼女は──去年の高松宮杯以降、一年以上出走していない。
あの時に決意した、骨折後の足に合った走り方を目指して再リハビリ&トレーニング中なのだが──まるでデビュー前に戻ったような基礎の基礎からのトレーニングは、まだ上手くいっていない様子。
でも、コスモはそんな様子をおくびも出さず、明るい笑顔を浮かべているのには、尊敬さえするわ。
「そんなことないわよ……」
アタシが考えにふけるのをやめて、再び箸を進める。
すると──さっきの会話で目をキラーンと光らせたウマ娘が、少し寂しそうにしながら目の前に置かれたものへと視線を戻した。
その葦毛の彼女──オグリキャップのテーブルを見て、その量にアタシは思わず苦笑する。
「……相変わらずね、オグリ…………」
「怪我を治すためにしっかりと栄養補給をしないと……」
「「──え?」」
思わず声が出てしまうアタシとコスモ。
お互いにチラッと視線を合わせ、そしてオグリへと苦笑交じりの笑みを浮かべる。
「そっか。オグリは秋に復帰できるんだね」
「ああ。本当ならアメリカ遠征だったんだが、脚が……」
コスモの言葉に、オグリキャップがうなずき、自分の足へと視線を落とした。
あれ? この二人ってこんなに仲良かったっけ?
「ねぇ、コスモ。アナタ確か……オグリに苦手意識持ってなかった?」
「苦手意識? なんのこと?」
「だって……一昨年の高松宮杯で負けてから、怖がっていたじゃない」
「怖がってなんかないけど……うん、今年になってからリハビリとかトレーニングで会う機会が増えたからね。話してみたら結構いいヤツだった」
オグリキャップを見て笑顔を浮かべるコスモドリーム。
彼女の言うとおり──オグリキャップもまた去年末の有馬記念から長期の休養に入って、6月に復帰。
でも、その後の宝塚記念後にケガが分かって──おかげで、計画していた海外への遠征も無くなった。
その話になって、オグリの側にいたベルノライトが大きくため息を付いた。
「そうだったのよね……せっかく、アメリカにいけると思ったのに……パスポートも用意したのに……」
「そ、それは気が早すぎたんじゃ──」
「だって、早いに越したことはないと思って……」
グッと迫ってくるベルノライト。
それにアタシは苦笑で応じる。
「海外だとか、ずいぶんスケールの大きな話でうらやましいわよ。アタシなんかまだ下で燻っているんだから」
「燻るとか、そんな自虐的になること無いと思うけど?」
「だって、復帰しても2回とも勝てなかったし……」
これを燻ると言わずして、何を燻るというのか。
なんてアタシが思っていたら、ベルノライトは不思議そうにアタシを見ていた。
「え? その2回って、勝てなくても仕方ないってレースじゃなかったの?」
「──え? いや、確かにCBC賞は格上挑戦だったけど……」
そっちはともかく、今回のレースはそうじゃなかったはずよ。
でも、ベルノライトはどうしてそんなことを。
「あれ? 六平さんはそう言っていたんだけど……違ったのかな? 」
「……どういうこと?」
アタシの問いに、困り顔のベルノライトは気まずそうにしながら「あくまで六平トレーナーの言ってたことだよ?」と前置きして説明を始めた。
「今回と前回のレースはあくまで、レース間が空きすぎたから勘を取り戻すため、あるいはこれ以上勘を鈍らせないため、だって。秋レースが始まってからが本番と、割り切って狙ってやがるな、って感心していたんだよ?」
そうしたら、それを聞いていたコスモまで──
「ああ。そういえば、涼子さんも同じこと言ってた」
「え? 涼子さんまで!? もう、あんのトレーナー……」
それを聞いて──カチンときた。
だってアタシにはそんな説明、全然しないんだから。
怒りを燃やし始めたアタシに、ベルノライトは焦った様子でフォローを入れる。
「で、でも……あくまで六平トレーナーと、コスモちゃんのところの……」
「涼子さん? 巽見っていうんだよ?」
「そうそう。巽見トレーナーの二人の意見が合致しただけで、乾井トレーナーの思惑は別にあるかも……」
「そうかな? コスモも、乾井トレーナーは今回も前回も勝ちに来ていなかったと思うけど?」
「こ、コスモちゃん!?」
フォローしようとがんばったのに、あっさり裏切られたベルノが、コスモに抗議するように視線を向けた。
だけど──そんなのを読めるコスモじゃないわよ。
「なんで?」
アタシが聞くと、コスモは笑顔で──
「だって、乾井トレーナーは勝ってないのに全然焦ってなかったじゃん」
……は?
アタシは思わずコスモを呆然と見つめる。
「悔しそうにはしてたよ。でもね、追いつめられた感じが全然無かった。例えば……去年の秋の方がよほど険しい顔になってたし、初勝利のレース前なんてもっと切羽詰まってたよ」
「それはそうでしょうよ。あの時は……」
アタシが勝たなければ、あの人は
「ここでモヤついてるくらいなら、訊いてみたら?」
「え……? 何を?」
「そんなの決まってる。乾井トレーナーが、どんなつもりで2つのレースに出走させたのか、をだよ。そうだ! コスモも付いていってあげるから、今すぐいこう!!」
そう言うや、コスモドリームはアタシの腕を取って、引っ張る。
「なッ? ちょ!? アタシまだ、ご飯ほとんど食べてな──」
「大丈夫、大丈夫。ご飯は逃げないけど、トレーナーは逃げちゃうかもしれないでしょ」
謎の理論を説くコスモに連れられて、呆気にとられているベルノライトに見送られたアタシは、そのまま食堂を後にした。
「…………ベルノ、これは食べてもいいんだろうか?」
「いいんじゃないかな。ダイユウちゃん、ほとんど手を付けてなかったみたいだしね」
「うん。残すのはもったいないからな。食べられないのは可哀想だ」
「ダイユウちゃんのこと?」
「いや、ここに残された食べ物のことだが……」
「はぁ……そうだと思った。オグリちゃんって、やっぱりマイペースだよね」
「あ? その通りだぞ。復帰後の2戦は負けても仕方ないとは思ってた」
オレがトレーナー部屋にいたら、勢い込んで二人のウマ娘──コスモドリームとダイユウサクがやってきて、部屋に入るなりオレの方へとやってきた。
で、そのうちのダイユウサクがオレに──「前の2戦、ダメもとだったってホント?」と訊いてきたので、オレは素直に答えた。
すると──ダイユウサクは驚いた様子で固まり、隣のコスモドリームは笑顔で「だから言ったじゃん」と言っている。
さすがにこんな騒動になったので、同部屋でコスモドリームの担当トレーナーでもある巽見も、気になったようでこちらを見ているのがわかった。
「なんで言ってくれないのよ!?」
「言えるか? このレースは負けてもいいからな、なんて走る前に」
「それは……そうだけど……」
オレの正論に、ダイユウサクは機先を削がれる。
だが、その様子を見ていたコスモドリームが口を開いた。
「でもさ、乾井さん。走った後に教えてあげたらよかったんじゃない? それならユウも必要以上に悔しがらなくてよかったんだから」
「そ、そうよ! なんで言ってくれなかったのよ!?」
それで息を吹き返したダイユウサクがバッと顔を上げて詰め寄ってくる。
う~ん、コイツはあまり言いたくないんだがな……オレは、思わず苦々しい表情を浮かべつつ、チラッと巽見を見た。
彼女は笑顔を浮かべながら──言っちゃいなさい、と言外に主張していた。
まぁ、言っても問題はないか。
オレは意を決して、ダイユウサクに伝える。
「じゃあ、正直に言う。まずオレが考えるオープンクラスに上がる計画では、本命のレースまでにもう一戦、同じように走ってもらう必要があるからだ。それまで言いたくなかった」
「もう一戦? また無駄に走れっていうの?」
そう言って気色ばむダイユウサク。
ほらな、やっぱりそういう反応をするから──
「そういうところだよ、ダイユウ先輩」
そう言って、部屋の奥から車椅子のウマ娘が現れる。
「ミラクルバード……いたの?」
「うん。巽見トレーナーからも意見を聞かれてね」
そう言ってミラクルバードはチラッと巽見の方へ視線を向ける。
すると巽見は黙って笑みを浮かべてうなずいた。隣だったので聞こえたが、コスモドリームの調整について聞かれていたようだったが──やはり引退の話も出たコスモの復活は容易ではないらしい。
「無駄なレースなんてないよ。もちろんトレーナーは考えあって計画を組んでいるんだから」
ミラクルバードが言うと、ダイユウサクはなにか言いたげにしながら──悔しげに彼女を見て、口をつぐんだ。
そして目をそらす。
そんな様子を傍らで見ていたコスモドリームが苦笑して、代弁するように話し始める。
「じゃあ、それを教えてあげてよ、乾井さん。ミラクルバードにばかり説明して、ユウに教えてあげないのは……不公平だし、ユウだって面白くないよ、きっと」
「なッ!? ちょっとコスモ、余計なこと言わないでよ! アタシはそんなこと全然──」
「寂しくないの? 自分のことのはずなのに、トレーナーとミラクルバードは知ってて、ユウだけ知らされてないなんて……」
「う……」
コスモに言われ、うつむくダイユウサク。その耳も困惑したように垂れている。
確かに、コスモドリームの言うことには一理あるとは思った。
最近──というか、ミラクルバードが来るまで、オレは自分一人の考えでトレーニングやレースの計画を組んでいたし、それを話す相手は巽見くらいだった。
もちろん他のチームのサブトレである以上、当たり障りのない話しかできなかったが。
オレだって経験豊富なトレーナーってわけじゃない。自分の方針に不安や疑問を持ちながらやってきて、失敗も重ね──そんな中で、ミラクルバードという相談相手ができた。
今まで、自分の頭の中で完結していて、ダイユウサクには話さなかったり、あえて黙っている必要があったことも、ミラクルバードには話すようになった。
(ま、これは
天与の才で、優れた競走ウマ娘としての視点を持った彼女の目の付け所は的確だった。
それに、やはりただの人間でしかないオレには理解できない、ウマ娘の感覚によるところも補ってくれた。
だからこそ──頼りすぎたのかもしれない。
「──それに、コンちゃんもだよ。サポート役なら競走ウマ娘の気分をのせていかないとダメじゃないか」
「「コンちゃん?」」
ミラクルバードを見ながら言ったコスモドリームの言葉に、オレとダイユウサクは首を傾げた。
一方、ミラクルバードは──
「こ、コスモ先輩……その呼び方、いったいどこで……」
「チームの後輩からだよ。同級生の間ではそう呼ばれてるって……由来も、もちろん聞いたよ。おなか空いたりノドが乾いたら、ついクセで壁をコンコンって叩いちゃうからだよね?」
「う……」
返答に詰まるミラクルバード。その反応がコスモドリームの話の信憑性を何よりも証明していた。
そして──爆笑するダイユウサク。
「アハハハ……コンちゃん、ね。なるほどなるほど……」
「ちょ、笑うなんてひどいよ、ダイユウサク!! コスモ先輩もなんでそんなことを……」
焦ってコスモドリームに詰め寄ろうとするミラクルバードを、ダイユウサクは笑みを浮かべてなだめる。
「いいじゃないの、ミラクルバード。ちょうどアナタの愛称が欲しいと思ってたところだし、ミラクルとかバードだとどうにもしっくりこなかったのよ……これからコン助って呼ぶわ」
「助っ!? なんで助が出てくるの?」
慌てるミラクルバード。
それに勝ち誇った笑みを浮かべるダイユウサク。
それをコスモドリームが、「まぁまぁ」となだめている。
そんな3人を眺めながら──オレは脱線する前の話について考えていた。
(自身のことなのに一人だけ知らなかったら、疎外感を感じるのも当然だよな)
ミラクルバードからマウントをとってはしゃぐダイユウサクを見て、オレは意を決した。
「話を戻すが……正直な話、本格復帰は秋からだとオレは考えてる」
オレが説明を始めると、ダイユウサク達は慌ててオレの方へ振り返る。
「──え? でも……6月のCBC賞に復帰したじゃないの」
「本音を言えば、そのころから戻したかったが……夏は大きなレースがほとんど無いからな」
メイクデビュー戦が始まる夏は、その気候のせいもあって重賞は極端に減る。
「幸いなことに、半年ゆっくりできたおかげで、去年酷使したときの体はほぼ癒されたが……だからといって秋を前にまた無理もしたくなかった」
夏に重賞が減るのは、猛暑の中で走るのが負担になるということでもある。
デビュー前やデビュー直後で体に負荷が溜まっていない
しかし、夏の時期に積極的にレースを走らせるのは、今のダイユウサクではせっかく癒した体に余計な負担をかけてしまうことにもなる。
おまけにレースも少なく選択肢が限られる。
「9月以降の秋シーズンになれば、重賞を含めたレースも盛んになり、出走の選択肢も増える。その秋も前半のうちに──昇級を目指す」
「……それなら、秋に復帰でよかったんじゃないの?」
疑問を呈したのはコスモドリームだった。
「それだと前走から期間が空きすぎる。10ヶ月近く本番の
無論、トレーニングは欠かしていない。他のウマ娘に頼んで“併せ”もやっている。
しかしやはり、本番での雰囲気とはかけ離れているし、なによりトレーニングである以上、“全力で鎬を削る真剣勝負”という点では遠く及ばない。
「この2戦は、空いたブランクのせいで鈍った
オレはカレンダーをめくり、指していた日付から指を動かし──その日付を指す。
9月の第5土曜日──9月29日。
ダイユウサクと、そしてミラクルバードも息をのむ。コイツにもここまでは話していなかったからな。
「……本番のレースで調整って、本気?」
一方、聞いていた巽見があきれた様子で苦笑している。
「ああ、本気だ。
「……アレは、別格でしょ」
さらに苦笑──今度は呆れの色が混じった苦笑へと変える巽見。
とある“偉大なるウマ娘”の話だが、当時は随分と“偏屈”であられたその方は、調整では「本気になれない」とまるでやる気を出さず、担当トレーナーを随分と困らせたそうだ。
それで苦肉の策で取られたのが、本命のレース前に別のレースを走って調整を行う、という方法。
当時は「レースそのものを愚弄している」と批判もあったようだが、今では“あの方”の伝説の一つになっている。
「……これで納得したか? ダイユウサク」
「ええ。おかげで目標がハッキリしたけど、でも……」
言葉を切った彼女は、オレが指しているよりも上の、その直前に指した日付──9月9日を指す。
「ここで勝っちゃっても、構わないんでしょう?」
そう言って勝ち気な笑みを浮かべる彼女に、オレは──
「あのなぁ。そこはセントウルステークス、格上挑戦だぞ? どうせお前がそう言い出すだろうと思ったからな」
ため息をつきながら俺が言うと、行動を見透かされたダイユウサクが顔を赤くしながらムキになって言い返してくる。
「う、うるさいわね! とにかく、ここで勝っちゃえばオープンになるんだから──」
「構わないけど、無理すんなよ。あくまで本命はオレが言った方だ。もしもそこまででちゃんとオープンになってたら──とっておきのお祝いを用意してやる」
「──え?」
驚いて固まったダイユウサク。
……ん? なんでコイツ、顔を赤くしているんだ?
お祝いがそんなに嬉しいのか? まだ内容も言ってないが──アレは楽しいだけじゃないと思うんだが、な。
◆解説◆
【教えて!! 乾井トレーナー】
・今回の元ネタは、2021年8月26日に約20年ぶりにリメイクされたTYPE-MOONの『月姫』。
・ゲームでのバッドエンドの後にあるヒントコーナー「教えて!!
・漫画版でもパロディされていて、単行本発売の宣伝で使われていました。
・さてリメイク版の『月姫 -A piece of blue glass moon-』は発表されたのが2008年6月……13年も前だったので、今年になって発売するという話が出たときには正直、「ホントかよ」と思ったのですが……ホントに出ました。
・ただ、まだ未プレイなんですけど、聞いたところによればルートはアルクとシエルルートしかないようで……秋葉は?
・一番見たいのはさっちんルートですけどね……。
【同じレースで走った】
・はい。あります。前年の高松宮杯で顔を合わせています。第30R参照。
・この時は、コスモドリームに声をかけていたのでダイユウサクをまったく意識していませんでした。
・なお毎回毎回、巽海トレーナーにビビる描写しかないバンブーですが、これには理由がありまして……
・マイラーで同級生のバンブーメモリーは、89年のマイルチャンピオンシップ、90年の安田記念、さらにはダイユウサクも出走した90年の天皇賞(秋)で、オグリキャップと鎬を削って争います。
・その上、ウマ娘化もしているので今後の『シンデレラグレイ』には99.9999パーセント、まず間違いなく登場するキャラなんです。
・しかし育成では実装しておらず、サポカも持っていないという個人的事情、加えてアニメ未登場、さらには原案ではかなりオラついた感じだったのに、ゲームに出てくるのは全く感じないので違和感がある──と、どんなキャラ付けされるのか、現時点でサッパリわかりません。
・ですので、「出走しているからとりあえず顔出し」程度のことしかできませんでした。
・今まで、イナリワンやゴールドシチーも同じ扱い(シチーは現在では育成実装されて性格把握しやすいですが)にしてサラッと出して流してました。
・しかし、さすがにバンブーは回数が多くなりすぎて、「巽見トレーナーにビビる」ネタも書いている側もちょっとしつこいかな、と思い始めたもので──ちょっとした言い訳です。
・ただなぁ……実は、今後もバンブーはダイユウサクと絡むんですよ。
・この後は、90年天皇賞(秋)、91年スワンステークス、同マイルチャンピオンシップと3回同じレースで顔会わせるんですよね。
・さすがに今後も毎回、同じネタを使うわけにはいきません。
・遅咲きのオグリ世代、という点ではバンブーとダイユウサクは共通していましたからね。同じようにランク上げるのを苦労してますし。(バンブーも生涯で39戦も走っています)
※追記(2021年9月12日)
・シングレ3巻の20ページ目中段のコマで、右列最後尾に、どう見てもバンブーメモリーなウマ娘を発見……これ、同級生だったというオチかも。
・この先、クラス違う前提で書いてしまったので、ちょっと考え中です。
【CBC賞】
・今回の元ネタになるレースは、1990年のCBC賞。
・その開催日は6月24日で中京競馬場。芝の1200。
・当日の天気は晴れ。良馬場。
・そもそも「CBCとはなんぞや?」というと中部日本放送(略称CBC)のこと。そこが寄贈賞を提供してます。
・1965年に創設された重賞レースで砂(例によってダートではない)の1800メートルで創設。
・1970年、中京競馬場に芝コースが新設されて芝の1800に。
・翌1971年に1400、1981年に1200に距離変更され、現在に至る。
・開催時期は、設立時に12月の前半に開催していたのですが──今回のモデルになる1990年から6月後半に変更になっています。
・そのため、開催時期変更前なので36話に出走候補のレースに名前が挙がっていました。
・その後、1996年に11月開催になり、2000年には12月開催に戻り……2006年にまた6月開催、2012年に7月開催に変更になって現在に至る──なんとも開催時期の安定しないレースです。
・しかも……グレード制に移行した1984年にはGⅡに指定され、ダイユウサクが走った時もGⅡだったのですが、2006年にGⅢに降格しました。え? そんなことあるの?
・……ともあれ、本作ではGⅡ扱いです。
【短距離はGⅠがほとんど無い】
・現在のGⅠレースでさえ、短距離に分類されるのは高松宮記念とスプリンターズステークスの二つしかない。
・以前の解説にもあったように、高松宮記念はもともとは高松宮杯で1996年にGⅠになる際に1200メートルになったもの。
・それ以前はスプリンターズステークスしかなく、モデルになっている年の1990年にG1に格上げ。
・ということは、1989年以前って……
・ゲームのウマ娘でも、短距離ウマ娘育てるときには、大きなレースが少ないのでどうしてもファン数が伸びないんですよね。
【着順は4位】
・1990年のCBC賞、ダイユウサクの着順は4位でした。
・本文中にもあるように、実装済みのウマ娘である場バンブーメモリーが2位。
・1位だったのは、ダイユウサクやバンブーと同じオグリ世代で、その中でもパッとしたのがいない牝馬にあたってしまう、パッシングショット。
・生涯成績は27戦5勝。2位が10回、3位が3回……どうにも勝ちきれない感じですね。
・重賞制覇も今回のCBC賞と、この年のマイルチャンピオンシップ(GⅠ)くらい。
・
・ただ……バンブーメモリーが主役の話なら間違いなく出てくるキャラ。
・90年は今回のCBC賞とマイルチャンピオンシップをパッシングショットが制した時には2位というライバル的存在。
・しかしスプリンターズステークスで2番人気だったパッシングショットは、ゲート入り直前に放馬というアクシデントがあり、それが響いて8位(バンブーが優勝)で、それを最後に引退した。
・繁殖牝馬に入ったパッシングショットでしたが──初年度の種付け直前に転倒し、頭蓋骨骨折で死亡……というなんとも呆気ない最期。
・その相手の予定だったのがニッポーテイオー。ダイユウサクが種牡馬引退後に一緒に過ごしたり、とこの世代と何かと縁のある馬です。
【復帰後2戦目】
・復帰後の2戦はジュライステークス。
・元ネタの1990年は7月7日に開催。1500万下の条件戦で中京競馬場、芝の1200。距離や場所は前走と同じ。
・天気は曇り。馬場は良。
・2番人気のダイユウサクは、前走CBC賞と同じように中段待機の“差し”で──4位、というまさにCBCの焼き直しのような結果に。
・ちなみに勝ったのは1番人気だったルイテイト。オグリ世代の牡馬です。
・また、他の出走メンバーも有名どころはいません。
【コン助】
・プリコネのキャルがコッコロを呼ぶときの
・原作で、ミラクルバードが主戦騎手や厩舎で呼ばれていた愛称が本当の元ネタ。
・飼葉桶や飲み水が空になると、壁をコンコンと2度蹴るクセがあり、そこから「コン助」というあだ名がつけられ、主戦騎手もそう呼んでいた。
・原作でミラクルバードが命を落としたレースでは降ろされてしまっていたその主戦騎手も、そのシーンを見てミラクルバードではなく「コン助が死んだ!」と叫んでいます。
【とある“偉大なるウマ娘”の話】
・はい。シンザンのことです。
・競走馬のシンザンはとても頭のいい馬だったそうで、極力無駄なことをしない性格でした。
・しかも調教嫌いで走らず、調教師から「シンザンはゼニのかかっていないときは走らん」と言われてしまうほど。
・しかしそれも序の口で、本番レースでさえ「大差でちぎって勝つ」ことさえしません。
・ウィニングランなんてもってのほか、勝ったらゴール板過ぎたらさっさと足を止めてしまいます。
・もしも今後、ウマ娘で実装されたらゴール後にすぐに立ち止まってる、というキャラになるかも。
・そしてレコード勝ちが一度もないほど「無駄なことはしない」のを徹底ぶり。
・調整で「走らない」のに困った陣営が考えたのが「本命レースの前に別のレースを走らせて調整する」というやり方。
・競馬評論家の大川慶次郎氏曰く「一回の調教では取れない太めが、レースに使うと三回調教をしたくらいに解消する」とのこと。
・以前の解説で触れましたが、シンザンの2位4回の事情とは「本番前の調整でレースに走った」から。
・その4回のうち夏負けの体調不良での2回でさえ、本命はクラッシック三冠の秋のレース、菊花賞に向けての調整でした。
・あとは
・おかげでラストランの有馬記念は、前週にオープンを走っての連闘というスケジュールでした。
・ただそのやり方はレース軽視と言われかねないため、当然ことながら批判もあり、先の大川慶次郎氏は「ファンや評論家からの立場から腹が立つ」旨の発言をしています。
・まぁ……大川氏は初見のスプリングステークスを前にシンザン見たときに、調教で走らないのを見て(あ……)低評価したら勝たれ、それ以来、一度も本命に挙げずにシンザンに勝てる馬を必死に探すくらいにシンザンを目の敵にしていたみたいなので──