見えぬ輝きの最南星《アクルックス》   作:ヤットキ 夕一

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 ──その日、東京の空は抜けるような青空だった。

 気持ちのいい秋晴れ。
 時期的には絶好の運動会陽和(びより)と言えるだろう。
 そんな空の下、中央トレセン学園のすぐ近くにある東京レース場の観客席は、多くの人出でごった返していた。
 オグリ熱狂(フィーバー)で沸く世間。彼女の復帰レースである天皇賞(秋)の注目度は高く、早い時間からすでに混雑していた。
 そんな東京レース場。普通の観客席ならもうすでに満員になった観客席の中で、それも最前列に、3人のウマ娘がいた。
 そこは本来なら、出走するウマ娘のチーム関係者のためのスペース。
 もちろん出走人数が多い時のことも考えて、そんなに大勢がいられるほどに確保されているわけではない
 しかし──そのウマ娘のチーム関係者はたったの二人しかいない。
 そのために持て余しているそのスペースへ、3人はチーム部外者だったものの「お前達にはお世話になったからな」とチームのトレーナーから言われ、招かれたのだ。
 その3人とは──

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 超満員の観客席(スタジアム)の最前列。
 そこに陣取ったショートカットのウマ娘が、「うわぁ、こんなに混んでいるなんて……」と物珍しげに背後の席を見る。
 すると、遅れてやってきた二人のうちの一人が、どこかのんびりした口調で話しかけた。

「あら? これはこれは……コスモドリームさん。やはり来ていらしたのですね」
「シヨノロマン! うん、もちろんだよ。学園から目と鼻の先だし……なによりユウの晴れ舞台なんだからね」

 髪を短めにしているウマ娘──コスモドリームは晴れがましい目で、ターフに思い思いの場に散っているウマ娘のうちの一人を見る。
 それに釣られるように、瞳が見えぬほど細い目をした、長い髪を一本の三つ編みにまとめて背中に流しているウマ娘──シヨノロマンもまた彼女を見つめる。
 長い栗毛の髪の毛を後ろに流したその髪型。
 周囲に知り合いがいないせいか、普段は浮かべている勝ち気な笑みを潜め、今は無感情に近いような、淡々とした表情になっていた。
 そしてそんな様子を──いや、勝負服を見て残りの一人が不満そうにつぶやく。

「まったく……赤地に黒の勝負服なんて、恐れ多いんじゃありませんこと……」

 赤を基調とし、胸元を含めたアクセントに黒、さらにスカートの上部分を黄色に染めた、まるでドレスのような勝負服を彼女は身にまとっていた。
 普段は体操服で走るが、GⅠレースだけは例外。彼女達がそれぞれ持っているオリジナルのデザインである勝負服を着てレースに挑むのだ。

「あら、セッツ。でもあれは……お婆様自身が、あの勝負服を彼女に贈ったそうですよ」

 シヨノロマンが、傍らで不機嫌そうにしていたツインテールのウマ娘に言うと、彼女──サンキョウセッツはやはり不機嫌そうな顔のまま返す。

「それがズルい──いえ、不敬なのですわ! お婆様と同じ色味の勝負服だなんて……」
「え? でも黄色入ってるじゃん」

 思わずコスモドリームのツッコミが入り──サンキョウセッツはそちらを見た。
 強気な態度は相変わらず……と言いたいところだが、表情は強気でも少しだけ腰が引けている。
 サンキョウセッツはコスモドリームには潜在的に苦手意識があるのだ。

「そ、そんなの……偉大なるお婆様からの頂き物なのですから、それを床の間に飾るなり大切に保管すべきなのですわ! それと別で自分のものを用意すればいいことではありませんか……」

 …………サンキョウセッツの家って、床の間あるの?
 洋風のお嬢様っぽい雰囲気を醸し出しているので、まさかそんなものが彼女の実家に存在するとは思っていなかったコスモドリームは、同じことを思ったサンキョウセッツとともに思わず彼女を見つめてしまう。

「な、なんですの? 二人とも……」
「いえ……相変わらず、ダイユウサクさんにはキツくあたるのですね、と思いまして。それにコスモドリームさんのことは苦手みたいで……」
「そ、そんなことありませんわ! ダイユウサクなど歯牙にもかけていませんし、コスモドリームを恐れる理由などありませんもの……ええ、そうですわ!!」
「へぇ~、そっか。そういえばサンキョウセッツはコスモの一世一代の晴れ舞台を奪ってくれたもんね……」

 コスモが一度意地悪そうに笑みを浮かべてからジッと睨む。
 それにサンキョウセッツは「ひッ!」と短い悲鳴をあげ──恨みがましい目でシヨノロマンを無言で見つめた。

「シヨノ! 余計なことは言わないでくださいまし」
「はぁ……余計なことを言ったのは、セッツではありませんか……」

 そんなサンキョウセッツとコスモドリームのやりとりに、シヨノロマンはくすくすと笑い──すっかり高くなった秋の空を見上げる。

「ふ、フン! ……今日は道に迷いませんでしたの? コスモドリーム」
「それを言う!? そんなに何度も迷わないよッ!! まったく、ユウと妙なところで似てるんだから……」

 反撃とばかりに言うサンキョウセッツに、彼女の数少ない痛いところを突かれてムキになるコスモドリーム。
 そう、それはあの日の話──
 なかなか現れない彼女に、関係者や出走するウマ娘──自分たちまでもがそわそわし始めるという事態にまでなっていた。
 やっと現れたコスモドリームに、真っ先に食って掛かったのは……ルームメイトの彼女だった。
 そんなエピソードさえも、今は懐かしく思う。
 たった2年前のことなのに──

「それにしても……思い出しますね。季節こそ違えど、私達が走った、あの競走(レース)を」

 今日、一人のウマ娘を応援するために顔をあわせたこの3人が、揃って出たレースは一つだけ。
 それは奇しくも、今日と同じくGⅠレース。場所も同じく東京レース場。
 そのレースは──オークス。
 3人を含めたゴールした21人──いや、スタートを切った22人が鎬を削り、結果的にはコスモドリームが制したレースだ。

「あの時はデビューさえしてなくて、そんな目処さえまったくなかったユウが──」
「あの貧相で、ろくに走れず、チンチクリンだったダイユウサクが──」
「まさか、このような大舞台に立っていらっしゃるだなんて……本当に不思議なものですね」

 三者三様にそのウマ娘を再び見つめる。

 ──従姉妹としてルームメイトとして、守るべき対象であった彼女。
 ──期待を裏切られ、嫉妬と失望でつい辛くあたってしまった彼女。
 ──気にかけていたものの、近寄りがたく距離を詰められなかった彼女。

 そんな彼女──ダイユウサクが、ついに秋の天皇賞という八大レースの一角に挑む。
 感慨深く感じると共に、やはりこの大一番に挑める彼女を、競走ウマ娘として少なからず嫉妬を抱いてしまう三人。

 並みいる一流のウマ娘に混じったその姿は、雛だった頃は見栄えが悪く、虐げられてきたその子が大きく成長し、白く立派な白鳥となった童話──みにくいあひるの子(The Ugry Duckling)のようであった。



第47R 大秋晴! 風紀委員長の、名に懸けて!

 

 秋の天皇賞の出走前──

 

 アタシは、芝の走路に思い思いに散っている出走するウマ娘の中で、あるウマ娘に近寄った。

 彼女にどうしても言いたいことがあったから。

 

「……ちょっといい? バンブーメモリー」

「は、はい!? 何っスか?」

 

 今まで高松宮杯とCBC賞で顔を合わせた彼女。

 頭には「夢」と書かれた鉢巻きが巻かれているのは変わらないけど、今日は出走前から勝負服を着てる。

 その彼女はアタシの声に振り返り──

 

「ダイユウサク……」

 

 と、アタシの名前をつぶやいて──それから何かを思い出して慌てて周囲を見渡す。

 

「きょ、今日はコスモドリームの……」

「落ち着きなさいよ。この前のお礼を言っておこうと思って声をかけただけよ」

「この前のお礼?」

「合同記者会見のとき。小声でアドバイスしてくれたでしょ?」

「ああ、あのことっスか。気にする必要なんてないっスよ。風紀委員長として、当然のことをしただけっスから」

 

 そう言って笑顔を浮かべるバンブーメモリー。

 しかし、そんな彼女の答えにアタシは思わず眉をひそめた。

 

「風紀委員長として?」

「ええ。そうっス。そもそも風紀とは、なぜ必要か……わかるっスか?」

「学園内の秩序維持のためじゃないの?」

「そういう意味合いももちろんあるっス。ウマ娘の中には自由で勝手な気ままな性格も多いっスからね」

 

 笑みを苦笑に変えつつ、答えるバンブーメモリー。

 風紀委員として、要注意人物として記憶されている何人かを頭に浮かべているのかしらね。

 

「じゃあ、なぜ学園に秩序が必要か……わかるっスか?」

「え、っと……」

 

 それは、秩序がなければ困るから──と考えて、全然理由になっていないのに気がつく。

 さすがにこんな子供みたいな答えは返せない、とアタシが悩んでいると……

 

「トレセン学園が、そしてトゥインクルシリーズが憧れられる存在であり続けるためっスよ。どんなに速かったり歌や踊りが優れていても、そこが無法状態だったら、誰も憧れないっス。自分もああなりたい、あの場に飛び込みたい、って思わないっスからね」

「それは、確かに……」

「だから風紀委員の仕事は、学園内の風紀の取り締まり──あこがれられ続けられるための秩序維持っス。だからこの前は、差し出がましいこととは思ったっスけど、言わせてもらったっス」

 

 バンブーメモリーは笑みを消し、アタシをジッと見た。

 

「慣れていないのはわかるっスけど、ああいう大規模な記者会見場で醜態をさらすのは“あこがれの存在”とは言えないっスからね」

「あ……はい。ごめんなさい……」

 

 思わずアタシが頭を下げると、バンブーメモリーは笑みを浮かべて応じた。

 

「わかればいいっスよ。学園のウマ娘……それも同級生が醜態をさらすのを見過ごせなくて、あえて“敵に塩を送った”だけっスよ。だから今日は……」

「ええ。全力で戦わせてもらうわ」

「よろしく頼むっス」

 

 バンブーメモリーは気持ちのいい笑みを浮かべ、アタシに応えた。

 

「とはいえ……今日はちょっと調子が狂うっスけど」

 

 異常な熱を帯びている観客席(スタンド)をちらっと見て苦笑を浮かべ、さらには──走路にいるあの葦毛のウマ娘の様子を見た。

 

「さすがに他のウマ娘を気にする余裕は無いっス。申し訳ないっスけど……」

 

 その目が一瞬で鋭さを増した。

 でもそれはアタシも同じこと。彼女の視線を追ったアタシもまた、その姿に表情と気持ちを引き締めた。

 このレース場全体が彼女の勝利を期待し、他のウマ娘達がまるで悪役のような雰囲気は、けっして面白くはないわよね。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──観客席の誰もが

 ──走路で出走を待つウマ娘達が

 ──中継番組で見守る全国の人たちが

 

 その誰もが一人のウマ娘を注目する中──たった一人だけ、彼女を見ていないウマ娘がいた。

 彼女は観客ではなく、出走するウマ娘の一人。

 その彼女が意識しているのは、同じレースで競う相手でさえなく……

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 私は、観客席(スタンド)の最前席で、彼女の姿を見つけました。

 同時に私の心が沸き立つのがハッキリ感じられました。

 

(浮かれるな、私ッ!!)

 

 舞い上がりそうな私の心に──喝を入れます。

 でも……心の中の気合いだけでは、足りません。

 

「はっ!! 敵は! 内にありッ! はっ!! 己と! 向き合えッ!!」

 

 気合いの声とともに、正拳を突き出して、型を行う。

 私の突然の大きな声に、驚いたウマ娘もいたようですが……精神統一のため、と理解していただけたようで、すぐに興味を失ったようでした。

 

(ようやく……落ち着いてきました)

 

 型を終え、長く息を吐き出す私。

 もしかしたら見に来るのではないか、という淡い期待はありました。

 しかしそれは、私の走る姿を見に来るわけではない、と分かっています。

 

(出走表に彼女の名前を見つけたので“ひょっとしたら”と思っていましたが、本当に見に来るとは……幸運でしたね)

 

 出走表にあったのは、彼女の遠い親戚だというウマ娘の名前。

 それだけなら彼女が見に来る可能性は低かったと思います。

 しかし今回は──開催地が良かった。

 秋の天皇賞が開催されるのは東京レース場。トレセン学園から歩いて来られる範囲です。

 これがもし春の天皇賞だったら開催地は京都になっていたところです。わざわざ京都にまで応援に来るほどの繋がりはなかった(と思う)ので、レースを見に来ることもなかったでしょう。

 

「そういう意味では、貴方に感謝するべきかもしれません」

 

 私は目を動かし、そのウマ娘をチラッと眺める。

 彼女の赤いドレスのような勝負服は初めて見ました。

 それにクラスメートですので、ある程度は知っています。

 所属するチームがソロだから、関係者枠が余って親戚のウマ娘たちを応援要因として招いたのでしょう。あのウマ娘以外にいる二人も彼女の親戚らしいですし。

 同じレースで走るのはこれが初めて。なぜなら彼女の主戦場は今まで私の主戦場であるオープンクラスのレースではなかったから。

 それが──ようやくここまで上がってきた。

 

「“あの方”の親戚……というだけではなかったようですね」

 

 最初はそんな縁故でのコネ入学という噂を聞いてイラ立ち、軽蔑さえもしましたが──

 しかし、地道に努力している彼女の姿を見て、それが報われないことに憐憫さえ感じた時期もありましたが──

 様々な苦難を経験し、乗り越え、この場に立ったことに──私は敬意を払いますよ。

 そして願わくば──強者であること、を。

 私が切磋琢磨する研鑽の相手として、強者は歓迎したいと思っていますし──

 

(なにより、彼女に見てもらう今日の競走(レース)が盛り上がるように……)

 

 再びそのウマ娘に視線を戻す。

 私自身、無骨で不器用で打ち込んできた武芸と鍛えた体しか誇れるものはなく──まるでその対極のように、たおやかで、優しく、美しい、そのウマ娘。

 私に無い物を持ちながら、同じ競走(レース)という世界で競う姿に──私は心惹かれ、私の姿に彼女の心が惹かれてほしいと切実に願う。

 

 ──この一戦を、走りを……彼女に、シヨノロマンに捧げる。

 

 は決意を込めて──気合いの声とともに最後に拳を突き出した。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ファンファーレが響きわたる。

 そして、超満員の観客から怒号のような歓声が響きわたった。

 それからゲートへと入り──アタシは集中力を高めていた。

 

(これが……GⅠレース)

 

 いつもと同じゲートのはずなのに、空気が違う。

 なによりいつもの体操服ではなく、今日は勝負服。

 アタシの身を包む、赤いドレスに──

 

(『怪物』なんて関係ないわ。アタシには──“”とも呼ばれた“あの方”がこうしてついてくださっているんだから)

 

 自分の身を包むその服とともに、贈ってくださった方の優しさを感じる。

 あの方が持っていた強さのほんの少しかもしれないけど、アタシに力を与えてくれているような気がした。

 いつも以上に研ぎ澄まされた神経が──ゲートの開放を感じる。

 

「今ッ!!」

 

 ガコン──

 

 ゲートが開く音と同時に、アタシは飛び出した。

 そうして──アタシの初めてのGⅠ、天皇賞(秋)はスタートした。

 




◆解説◆

【風紀委員長の、名に懸けて!】
・ああ、これは簡単ですね。『金田一少年の事件簿』の決め台詞が元ネタ……と思われるでしょうが、違います。
・『ウマ娘 プリティダービー』のゲーム版でのサクラバクシンオーのイベント「学級委員長の、名に懸けて!」が本当の元ネタ。
・とはいえ、このシナリオタイトルがそもそも『金田一~』っぽいですからね。

その日
・今回のレースの元ネタは第102回天皇賞(秋)。
・開催されたのは1990年10月28日(日)。場所は東京競馬場。
・秋の天皇賞は芝2000メートル。
・当日の天気は晴れ。馬場も良でした。
・え~、そのころ世間では何があったのか、と言えば……1990年10月に、東西ドイツが“再統一”してますね。
・ベルリンの壁が壊れたのはその前の年の11月ですけど。

今日は道に迷いませんでしたの?
・コスモが道に迷ったのは、オークスの時。
・あれ? オークスって東京レース場の開催だよね?
・で、学園と同じ府中市にあって……
・……迷う余地、なくね?
・と、今頃になって気が付きました。
・そもそもコスモがレース場に来るまでに道に迷ったというのは、そのときのコスモドリームに騎乗した熊沢騎手が東京競馬場が初めてで道に迷った──というエピソードを元にしたのですが……トレセン学園も東京競馬場も同じ府中市にあるのを完全に忘れていました。
・──後付けですが……オークス当日、コスモは東京レース場開催を中山レース場と勘違いして電車で向かってしまった……というのを一応考えました。
・でもそれ……“道”に迷ってなくね?


・このシーン、名前が伏せられていましたが……もちろん出走しているウマ娘です。
・なにやらシヨノロマン(とあるウマ娘)にご執心だったり、特徴のある集中のやり方をしたり。
・一体、誰なんだ……?
・──裏話をすると、実は書いてる人が、本気で文中に名前を書き忘れただけという()()だったりします。
・完成して読み直したら「あれ? 名前書いてないわ」と気づいたのですが、逆に明言しない方が良いと思ったので、そのままにしました。
・……バレバレですけどね。(笑)


・“あの方”であるシンザンの元ネタ史実馬は、戦後競馬会への多大な貢献から「神馬」と呼ばれた馬でした。
・ウマ娘である以上、「神馬」にはできないため、協会内では「神」扱いする人もいる、ということで。


※次回の更新は9月23日の予定です。  


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