──季節は過ぎ、3月も終わりを迎えようとしていた。
寒かった冬もすっかり身を潜め、桜の花も咲いたこの時期……アタシはレースに復帰しようとしていた。
今回のレースは──産経大阪杯。
「大阪杯なのに、なんで京都でやるのよ……」
京都レース場のターフに立ったアタシは、思わずそう呟いていた。
「安心しろ。そんなの今年だけで、普段は阪神レース場で開催されてるからな」
「……どういうこと?」
アタシの呟きにきっちり答えた人──トレーナーへと振り返る。
彼は苦笑しながら、説明を始めた。
「今、阪神レース場は改装工事中でな。使えなかったから今年は近くの京都で開催するってわけだ」
「ふ~ん……」
そう答えながら、アタシは少し「それはラッキーかも」と思ってもいた。
目下のところ3連勝中のアタシ。その3戦ともが、ここ京都レース場での開催だったからだ。
ある意味慣れているし、相性のいいレース場って言えるでしょうし。
(ま、阪神でやるよりは、全然いいかも……)
対して、阪神レース場は最近、勝ちに恵まれていない。
去年は一度も走ってないし、オープン昇格に躍起になっていた一昨年の12月は2連戦してどちらも勝てず。
たしかに当時は9月のころには1200のレコード出したりして勝ったのもあったけど……最近、走ってないっていう不安の方が大きいもの。
──なんて、考えていたら……
「あの! ダイユウサクさんですよね?」
背後から声をかけられ、アタシは振り返る。
そこにいたのは茶髪──鹿毛のウマ娘だった。
本日、アタシと同じレースに出走するのは明らかなウマ娘で、体につけたゼッケン番号は5番。
えっと、確か名前は……
「メルシーアトラ? 2番人気の……」
トレーナーがつぶやく声が聞こえた。
ちなみに今日のアタシは3番人気だから、彼女よりも下。
まったく、3連勝中だっているのに……失礼な話よね。
「……なに?」
アタシがややぶっきらぼうに答えると──彼女はなぜかキラキラした目でアタシを見てきた。
え? この
「今日、ご一緒できて光栄です!! 実は私、ダイユウサクさんに憧れていて……」
「はあ!?」
…………ちなみに、今の驚きの声を上げたのは、アタシじゃないわよ。
声を上げたのはトレーナー。
アタシがキッと睨むとバツの悪そうに苦笑して引っ込んだけど……まったく、失礼にもほどがあるわよ!!
とはいえ、まぁ、アタシだって少なからず驚いたわ。「憧れている」なんて初めて言われたし。
「そ、そうなの?」
戸惑いながら問い返すと、彼女はいい笑顔を浮かべて──
「ハイ! だってダイユウサクさん……秘密兵器っぽいじゃないですか!」
「…………はい?」
えっと……なんて、言われたのかな。たしか、秘密兵器とかなんとか……
「だって、デビューから2戦続けてありえないくらいの大惨敗をして、その後もなかなか勝てなくて。同期のみなさんが派手に活躍する中、ひっそりと苦労しながらここまで上がってきて……まるで目立たないように、実力を隠してきたじゃないですか! この前の金杯、ビックリしましたよ」
うっさいわ!!
隠してきたんじゃなくて、純粋に目立たなかっただけよ!!
ちなみにその金杯(西)、一番人気はアタシだからね!!
「で、今日も見事に実力を隠して、3番人気に収まるなんて、ホント、カッコいいです!! 秘密兵器ならそれくらい目立たないようにしないとダメですよね? 私、“栗東寮の秘密兵器”なんて言われてるのに、2番人気になっちゃって……」
う~ん、この
アタシがこめかみをヒクヒクさせ始めていると──
「今日の一番人気、美浦寮のホワイトストーンですよ。絶対に、私達が勝ちましょう!!」
そう言って──彼女は笑顔で手を振りながら去っていった。
え、っと……
「ま、あまり気にするな。アイツはお前をどうこうしようとかそういうの全然考えてないな。天然だぞ、きっと……」
トレーナーも、戸惑った様子で苦笑を浮かべてたわ。
ゲートが開き、いよいよ始まった産経大阪杯。
GⅡのこのレースは、3番のゼッケンをつけたウマ娘が
それを追いかける展開になったんだけど……
(先頭の後ろにはホワイトストーンと、さっきのメルシーアトラか……)
そして彼女たちのすぐ後ろに、アタシと8番が並ぶように走っていた。
距離は2000メートル。
ただし天気はあいにくの曇天で、芝の状態はその前に降った雨の影響で稍重になっている。
(気にするほどじゃないけど、良バ場じゃないわ。これは最後の直線まで仕掛けるのは抑えるべきかも)
良バ場に比べると稍重はスリップしやすい。
直線はともかくコーナーの途中で加速するのは、普段よりもリスクを抱えることになる。
幸い、良い位置にいるし、逃げているウマ娘にも十分に追いつけそうな気配がある。
1番人気と2番人気という実力の二人の動きには気をつけないと行けないけど……
そう考えながら──レースは終盤を迎えようとし……
……それは、起こった。
「いける!」
私は確かな手応えを感じていた。
現在、私──メルシーアトラの位置は3番手で、それで第4コーナーを回ろうとしていた。
前にいるのは逃げていた3番と、私よりも上の人気になっていた1番人気のホワイトストーン。
(あの有馬記念に出ていたけど……)
早くも“伝説”と呼ばれ始めている去年の有馬記念。
でもあのスローペースだったレースで勝てなかったウマ娘でもあるってことよ。彼女には絶対王者のような強さはないわ。
(3番にも、ホワイトストーンにも……勝てる!!)
自信を持って私は足に力を入れた。
“栗東寮の秘密兵器”と言われながら、ダービーも菊花賞も取れず、“秘密で終わる秘密兵器”なんて言われかけている私。
そんな評価を払拭すべく、私は全力で──
「ッ!!」
──地面を蹴ったとき、私の足が滑ったのが分かった。
稍重のバ場。芝が滑りやすくなっていたのを甘く見ていた、と後悔がよぎる。
でも、本当の後悔は──ほんのわずかな時間差を置いて──次の瞬間にやってきた
「ッ、ゥゥゥアアアァァ──ッッッ!!」
言葉にならないほどの激痛が私を襲う。
今まで体験したことのないような痛みに、私はバランスを崩す。
たったその一瞬で──私はとてもじゃないけど、まともに走れるような状態ではなくなっていた。
「──なッ!?」
前を走っていたメルシーアトラが、急に片足をかばうような不格好な走りになって失速し──アタシへと迫ってきた。
慌てて横へとステップし──どうにかそれを回避するのに成功する。
「ッ!」
そんな無理のせいで妙な足の着き方をしたのは、完全に失敗だった。
でも──それだけ。
走る足から痛みはないし、捻ったり痛めたような様子は幸いなことになかった。
(まったく……冷や冷やさせないでよ)
思わぬハプニングに恨み言の一つでも言いたくなるわ。
いったい、なにが起きたっていうの?
彼女を避けるときに、一瞬だけ横顔が見えた。
苦しそうに悶絶し、必死に痛みをこらえて噛みしめる彼女の顔が後方へと流れていった。
それが脳裏にちらつきながらも、それを振り払うように素早く気を取り直し──アタシはグッと地面を踏みしめ……
「──ッ」
足の指に、違和感とともに鋭い痛みが走った。
顔をしかめつつ──それでも、我慢すれば走れないことはない!!
(なによ、これ……)
さっきはなにもなかったと思ったけど──違っていたってこと?
それでも片足が地面を蹴る度に、同じ違和感が足を襲う。
(でも、これくらい耐えて見せるわよ! ド根性ォォォッ!!)
ランナーズハイに身を任せ、アタシは構わずに駆けた。
スパートでグンと加速するアタシの体。
でも──
(くぅッ! やっぱりいつも通りってわけには……)
集中を欠いたアタシのスパートは──どうにか先頭を逃げていたウマ娘をかわし、後ろからの追い上げに追いつかれないようにするのがやっと。
おかげで──
『ゴール!! 一着は! 産経大阪杯を制したのは、ホワイトストーンだああぁぁぁ!!』
──アタシは、2着でレースを終えた。
ゴールし、立ち止まったダイユウサク。
手を膝に付いてうつむき、呼吸を整えている彼女の姿に──オレはわずかながら違和感を感じた。
(アイツ……あんな風に呼吸を整えていたこと、あったか?)
いつもなら、走る速度をジョギングくらいまで落としつつ、呼吸を整えていたはず。
それが今日に限っては、急に止まった。
(まぁ、アイツの親戚……“あの方”がそんな感じだったって聞いたことはあるが……)
彼女は余計なことをしなかったという噂を聞いたことがあり、ゴール板を通過したらすぐに足を止めていたという。
それを急にリスペクトし始めた……というわけでもあるまいし。と思ったオレだったが──原因はすぐに分かった。
ある程度呼吸が整うや、ダイユウサクはサッと小走りで走り──無念にもゴールを通過することができずに倒れ込んでいるウマ娘へと駆け寄ったのだ。
「あれは……」
うずくまっている背中には「5」のゼッケンがかろうじて見えた。
その番号をつけていたのは、たしか──
「メルシーアトラ、だったか?」
「う、うん……たしか、そうだったね」
答えたのは、いつも通りに車椅子に座ってオレとともに観戦していたミラクルバードだった。
だが……彼女の様子もおかしかった。
震えそうになる体を止めるかのように、彼女は肩を抱きすくめている。
(無理もない、か……)
ダイユウサクに注目していたオレだったが、もちろんメルシーアトラの異常にも気が付いた。
突然、足を庇うように不格好に走り始めた彼女に異常が起きたのは明らかだったし、それが深刻な故障だったのは、彼女がゴールにたどり着けなかったのが雄弁に語っている。
(後続と衝突しなかったのは不幸中の幸いか)
もしもぶつかれば、巻き込まれた方は言わずもがな、自身は新たによりひどい負傷をする危険もある。
そして無関係な相手を巻き込んでしまった負い目という心の傷を背負いかねないし、当然、相手から恨みをかうことにもなるだろう。
そのあまりにも痛々しい姿は、ミラクルバードが自己に投影するのも無理はなかった
負傷から数年経っても未だに足が動かないミラクルバード。普段明るく振舞っているが、そんな心の傷もきっかけがあれば傷口が開いてしまう。
「落ち着け。命に関わるような倒れ方をしたわけじゃないから……」
オレはミラクルバードの頭を撫で、そっとその肩に触れる。
彼女の負傷した状況は、他のウマ娘と激しく接触し、派手に転倒したものだった。
そのせいで一時期は命の危険があったほどだったが──今回の負傷は接触はなく、そういった深刻な“事故”では無かったように見えた。
「うん……」
怯えたように耳を伏せたミラクルバードは、肩に触れたオレの手にしがみつくように掴むと、そのまま腕を引き寄せ、しっかりと抱くようにすがりつく。
やがて持ってきた担架でメルシーアトラが運ばれていく。
それを見る彼女の体の震えが、オレにもしっかり伝わっていた。
◆解説◆
【嵐を呼ぶ大阪杯!!(in京都)】
・今回のタイトル、意識した元ネタと言えば……勇者シリーズ第4作『勇者特急マイトガイン』の最終話「嵐を呼ぶ最終回」ですかね。
・……え? また最終回ネタ? ひょっとして最終回が近いのか!?
・(in京都)は、大阪杯なのに京都で開催、という本文中でも触れたネタです。
【産経大阪杯】
・今回のレースは第35回産経大阪杯がモデル。開催されたのは1991年3月31日。
・産経大阪杯は、もともと「大阪盃競走」の名称で創設され、阪神競馬場の芝1800mで施行されていました。
・一貫して芝、距離は最初1800だったのが、1965年に1850、翌年に1900と刻んで伸ばし、1972年以降は2000での開催になっています。
・最初の正賞は大阪新聞社賞。大阪新聞は産経新聞の前身「日本工業新聞」を僚紙として創刊してその後に分社している。いわば兄弟や親子のようなもの。
・その関係か、1962年には正賞が産経新聞賞へと変更。
・その後、 名称を1964年 に「サンケイ大阪盃」に、1969年に「サンケイ大阪杯」へと変更。
・1984年、グレード制施行でGⅡレースとなる。
・1989年、名称を「産経大阪杯」へと変更。
・その後──2017年に名称が「大阪杯」へと変更され、GⅡからGⅠへ昇格しました。
・そのため、ゲームのウマ娘では春の中距離GⅠ「大阪杯」として登場しています。
【京都で開催】
・1991年の産経大阪杯は、阪神競馬場の改装工事のために京都競馬場で開催されました。
・これ以外に阪神以外で開催されたことが今までにもう1回あります。
・それが──それから4年後、1995年の産経大阪杯です。
・このときの理由は……同年1月17日未明に発生した阪神・淡路大震災です。
・阪神競馬場の被害は非常に大きく、駐車場と歩道橋が崩壊し、コースも埋没、隆起してしまい、レースを再開できたのはこの年の12月のことでした。
・その間のレースは京都競馬場や中京競馬場で代替開催され、産経大阪杯は再び京都で開催されることに。
・なお……今回の京都での代替開催の理由──改装工事が、後々になってダイユウサクに大きな影響を与える要因となります。
【メルシーアトラ】
・1991年の産経大阪杯に5枠5番、2番人気で出走したメルシーアトラは第4コーナー付近で深刻な故障が発生。
・それは──左前脚の中手骨を開放骨折という酷いもの。
・とても走れるような状況ではなく競走中止。そして……予後不良と判断されることになってしまいました。
・ウマ娘では──この後の彼女はどうなってしまうんでしょうかね。
・アニメではサイレンススズカもif展開で復帰してましたし、それに倣って本作でも直接描写はしていませんがスイートローザンヌが頑張っているという話は何度か出してきました。
・なお、今回のメルシーアトラの負傷原因が、レース中、稍重のバ場で足を滑らせた、となっていますが──あくまで独自解釈です。ですので誤解無きようにお願いします。