──スワンステークスの翌日。
ウイニングライブまで終わり、控え室に戻ってきた、とあるウマ娘とその陣営。
しかし、彼女たちの間に流れる空気は非常に重苦しく──とてもレースを制し、センターの座を射止めたとは思えないようなものだった。
「……………………」
誰もが無言。
というよりも、その主役であったはずのウマ娘の纏う空気を恐れ、誰もなにも言えなかったのだ。
乱暴に椅子に腰掛けたそのウマ娘。
黒服にサングラス姿のトレーナーも、声をかけることさえできない。
そんな彼女の目が──ジロッと部屋の一角を見た。
そこには──
『天皇賞(秋)制覇おめでとう!』
の文字が……
それに気づいて、トレーナーは「バカが!」と心の中で叫んだ。
チームメンバーの誰かか、はたまた関係者の誰かか。いずれにしてもなんと空気の読めないバカがいたものだ、と呆れた。
いや、呆れている場合ではない。こんなものを目にしたら──
「ふざッけるなあああぁぁぁぁぁぁ!!」
そのウマ娘の怒号が控え室に──いや、周囲の廊下の隅々にまで響きわたった。
続いてズンと低く鈍い音が響き、さらにはガンガンと物同士がぶつかる音が激しく響く。いずれも音が一つ響く度に、周囲の地面からなにからが小さく揺れた。
すわ、何事か──と警備員達がその部屋に駆けつけるが、出入口にいた黒服とサングラス姿の男や女、さらにはウマ娘達が「なんでもありません。大丈夫です」と警備員が入るのを止めている。
それでも──と入ろうとした警備員達だったが……やがて、音が収まっていくと、彼らも無理に中には入ろうとはしなかった。
なぜならそこが、誰の控え室だったか気がついたからだ。
そして、同情さえしていた。
あの、あまりにあんまりなウイニングライブの、完全なる被害者だったのだから。
「ふざッけるなあああぁぁぁぁぁぁ!!」
私は思わず叫んでいた。
もう駄目だ。我慢ができない。
このやり場のない怒りをどこかにぶつけなければ、私は私でいられなくなる。
気がつけば席を立ち、そして目の前の机を蹴飛ばしていた。
派手な音を立てて吹っ飛んだ机を見て、トレーナーが焦って顔をひきつらせたのが、サングラスをかけていても分かった。
「こんな、勝ちなんて……こんな屈辱ッ!!」
振り向きざまに、椅子をけっ飛ばす。
机以上に派手に吹っ飛び、壁にぶつかって一発で壊れた。
それでも気は晴れない。
そのとき私の目に飛び込んできたのは、『天皇賞(秋)制覇おめでとう!』の文字。
いったい、どこの誰が張ったのか。思わずカッと頭に血が上る。
「バカに、するなああぁぁぁぁッ!!」
怒号と共に、繰り出した蹴りは、見事にその横断幕を壁ごとぶち抜いた。
それでトレーナーは我に返り、慌てて私の方へと駆け寄ってくる。
「落ち着いてください! お嬢!!」
「お嬢って呼ぶなっつってんだろうがああぁぁッ!!」
手近にあった椅子をけっ飛ばすと床を滑り、近寄ってきたトレーナーへと直撃する。
それで転んだトレーナーだったけど、それでも痛みに耐えながら、どうにか私のところへとやってきた。
「お願いです。落ち着いてください。私だって気持ちは──同じですから」
「なら、分かるだろ!! ここまでコケにされた私の気持ちが!!
未だ収まらない私の怒り。
その目に映ったのは……ある一枚の“板”だった。
そう。今の私にとってそれはただの板きれにしか見えない!
それを見つけた瞬間、私の頭は再度カッとなり──拳を振り下ろす。
「こんなもの──ッ!!」
「お嬢、いけないッ!!」
突然、私の拳からかばうように、“それ”に抱きついたトレーナー。
拳はそのまま振り下ろされ、彼の背中を強打した。
「グぅ…………」
飛びついた勢いもあって、そのまま壁に衝突し、そして床へと落ちる。
その間、彼は抱えた物を決して離そうとしなかった。
私はその傍らへと寄り──仁王立ちになって見下ろす。
「……それを、離せ」
「私が離したら、どうするつもりですか?」
「決まってるだろ……盾ってのは殴られるために存在してる。違うかッ!?」
「この“盾”は、違いますッ!!」
彼は体をこわばらせ、それを守るためにさらに強く抱え込んだ。
そして、そのままの姿勢で言う。
「お嬢、勘弁してください。これは……これを壊したら、いや、壊さなくても殴ったなんて知られたら、URAにはいられなくなります! それどころか……」
「構わない! あんな“屈辱の天皇賞制覇”として汚名を残すくらいなら、“盾を殴って除名されたウマ娘”として名前を残す方がまだマシさ!!」
「お嬢……」
トレーナーはそれを抱えたまま、床に横になって「勘弁してください。勘弁してください」と繰り返している。
その姿を見て──煮えくり返っていた私の心は、少しだけ落ち着いた。
同時に、廊下ではドタバタと押し問答をしているような音が聞こえ──僅かながら頭が冷えた。
「フウゥゥゥ──……」
ハッキリ言って、私の気持ちは全然収まっていない。
これまで生きてきて、ここまでの屈辱を与えられたのは初めてのことだった。
今日、私が出走したのは秋の天皇賞。
毎日王冠制覇という栄誉を引っ提げ、そのレースに参加した私だったが──ゴール版を通過したのは、2番目だった。
それも大差を付けられての、2番目。
(その結果には不満なんて無かった……)
そこまで実力差を見せつけられれば、反論や文句のつけようがない。
誰がどう見ても完全な力負け。
私も完敗を認め、その勝者を称える気持ちだってあった。
スポーツマンシップにのっとれば当然のことだし、それほどの実力を持っているウマ娘に敬意を抱くのは当然のことだと思う。
だが──そのとき、私は気がついていなかった。
そしてウイニングランをしている彼女もまた、気がついていなかった。
掲示板に『審議』の文字が点灯していることに。
「……その結果が、あんなことになるなんて…………」
思い出してこみ上げてきた怒りが、私の拳をグッと堅く握らせる。
そして拳全体が、痙攣するようにブルブルと震える。
私は悔しさを感じながら、そのときのことを思い出した。
(スタンドの妙などよめきと雰囲気で、いつもと違うことに気がついた……)
そして観客の視線が掲示板に集中しているのに気がついて、私もそれで分かった。
なかなか確定しない掲示板。
そして消えない審議の文字。
長い長い時間が過ぎ……ようやく表示された、確定した掲示板からは──マックイーンの13番は影の形もなかった。
そして、代わりに1着のところに出たのは10番。
(私の数字に切り替わると、観客席からはどよめきが起こった……)
当然だ。私だって困惑した。
だけど確定した順位は覆らない。レースの結果は私が1着ということで確定してしまったのだ。
そう、彼女に……メジロマックイーンに6バ身も離されてゴールした、この私の優勝で。
『優勝って、6バ身差をつけられてもかよ……』
表彰台で聞こえたその声に、私の耳は思わずピクッと動いていた。
今と同じように悔しさと屈辱で手が、腕が、肩が震えた。
動揺収まらないままのウイニングライブは、納得できない多くの客が帰ってしまい──残ったファンものれるはずもない。
(そもそも、どのツラ下げて歌えって言うのよ……)
悔しさのあまり噛みしめた結果、歯ぎしりのような音が周囲に響く。
大差をつけられた者が舞台のセンターに立ち、大差をつけた者が舞台の隅っこで踊っている。
観客の視線と興味は、私ではなく彼女へと注がれていたのだ。
(歌っている私は、完全に晒し者だった)
もちろん彼女も晒し者という意味では同じだけど、彼女は自分のせいだ。私に何の罪があるというんだ!!
まるで御通夜のような、なにをしても、どれだけのパフォーマンスをしても一つも盛り上がることのないライブ。
それが私の──初のGⅠを制したライブだった。
「ウアアアアアあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」
私はこみ上げ、最高潮に達した怒りを拳に込めて──叩きつけた。
「────ッ!!」
体を強ばらせたトレーナー。
そんな彼の横の床に、私は振り下ろした拳を叩きつけていた。
涙で、見つめる拳が歪んだ。
滲む視界の中で、私はポツリとつぶやく。
「絶対に……絶対に、許さない」
こんな結果、いったい誰が悪いのか。
彼女に勝てなかった、一番でゴール前を駆け抜けなかった私が悪いのか?
(そんなはずはない!!)
私は2位という順位に納得していたんだ。
あれだけの大差を付けられれば、それもそうだろう。
それを、アイツが勝手に転がり落ちていっただけじゃないか!
そのせいで、なぜ私が──
「この屈辱、晴らさでおくべきか……」
あのウマ娘と真っ向から戦い、そして勝つ。
そうして、この秋の天皇賞を私が勝ったということを誰も文句を言えないようにしなければならない。
「トレーナー……」
「は、はい!!」
「次、マックイーンが出てくるのは、どのレース!?」
私の問いに、トレーナーは相変わらず床に横になって優勝盾を抱えたまま、焦った様子で答える。
「おそらくはジャパンカップ、そしてその次は有馬記念かと……」
「ジャパンカップは2400、か……」
今日のレースは2000メートルだった。
それでも私にとっては長い距離であり──春の天皇賞や菊花賞を制した彼女にとっては短い距離。
まして2400メートルは彼女がレコード勝ちした、前走の京都大賞典と同じ距離になる。
「ま、まさか出るとかいうんじゃないですよね? お嬢の次はマイルチャンピオンシップで、そこから一週間しか──」
「黙りなさい!」
私が強く言うと、彼は体を強ばらせて縮こまる。
「アイツを叩き潰さないで、アンタは私にこの先どのツラ下げて走れと!? アイツに正面から勝たない限り、今回の件は“偽りの栄光”と一生言われ続けることになる!」
「な!? ではマイルチャンピオンシップは……」
「当然、出ない──いえ、出ている場合じゃない。例えそれに勝ったところで、アイツに勝たなければ汚名を雪いだことにならないわ!!」
“マックイーンが出ていないマイルチャンピオンシップでなら勝てた”と言われるだけ。
この先、どのGⅠを勝とうとも、あのウマ娘が出ていないのなら、それは同じように言われるだけなんだ。
だからこそ──この呪縛を解くには“アレ”に勝たなければならない。
「ジャパンカップまでは2週間……アイツに勝つ体力をつけるには間に合わない」
「しかしお嬢、その次は……」
「ええ、分かってる。有馬記念に……私も出る」
有馬記念への出走は、投票が集まらなければかなわない。
でも、私にとっては屈辱的なことではあるけど、それでも秋の天皇賞をとったという事実は変わらない。
それに毎日王冠も制している。
出走に得票は足りると思う。
(いざというときは、天皇賞の雪辱を晴らしたいと訴えれば、それで票は集まるわ)
今日の結果には納得していなかったり、もやもやしているファンも大勢いることだろう。
その決着をつけるとなれば、出走させるために投票する者も大勢出るはず。
「そんな無茶な!? 有馬は2500……今日以上の長さですよ?」
「有馬の開催日は12月22日……それまで1月近くあるわ。それまでの間、徹底的に体力を鍛える。2500のレースを戦えるほどに」
「し、しかし、そうは言っても……」
「やかましいわ!! 去年の有馬記念、誰が制したか忘れたんじゃないでしょうね!?」
なかなか腹をくくろうとしないトレーナーにイラ立ちを覚え、私は怒鳴っていた。
「マイラーのオグリキャップが制したんだ! 私にだって勝てない理由はない!!」
「あの、お嬢? オグリはその前の前の年に優勝していて……」
「ウダウダウダウダやかましい! アンタ、さっき私の気持ちが分かるって言ったんじゃないの!?」
「は、はいィ!!」
「なら、分かるでしょ!? 有馬記念であの女に実力で勝ち、借りを返す! 絶対に!!」
私の声に、トレーナーは「心得ました!」と大きな声で返事をした。
さて……首を洗って待っていなさい、マックイーン!!
件の秋の天皇賞から、早くも数日が経った──
「やはり、御婆様は会ってくださいませんでしたか……」
「はい……」
私──メジロアルダンの問いに、マックイーンはうつむき、肩を落として頷きました。
私は周囲に目を走らせ、他のウマ娘の姿がないのを確認しました。
こんな姿を周囲にさらしていると知れれば、ますます御婆様の不興を買うだけですから。
「とはいえ、わたくしもどのような顔で御婆様に会えばいいのか……ひたすら頭を下げることしかできません」
「それがわかっているからこそ、会わないのではありませんか? 会えば貴方を責めることになってしまいますからね」
浮かないマックイーンに、私はそう言って微笑みかけます。
マックイーンが秋の天皇賞に出走したのは先日のこと。
その結果は──1位入線。されど着順は最下位の18着。
スタートして最初のコーナーに向かう際に、外枠スタートのマックイーンは先頭で入ろうとしたためインに詰めてしまい、その影響を受けて他の出走者達が一気に窮屈になってしまいました。
結果、“斜行”と判断され、その影響を受けたもっとも下の順位だった者よりも下の順位──それが最下位──にされてしまったのです。
「先頭で入線したというのに、あのような結果……責められて当然ですわ」
それもダントツ……2位に6バ身もの差を付けての入線でした。そのまま気づかずにウイニングランをやってしまうほどの。
おかげで表彰式からウイニングライブまで、異様な雰囲気のままでした。
なんとも気まずい空気でしたし、1着になったウマ娘も納得していないような様子でしたからね。
「……マックイーン。貴方はわざわざ、御婆様にあのようなことを責めさせるつもりですか?」
「え!? あ……はい、そうなってしまいますね……配慮が足りませんでした」
御婆様の気持ちを理解していない彼女に、わざわざ指摘しました。
そんなことをわざわざ、御婆様はもちろん、誰が言わなくても明白なことですから。
最下位になった原因は明らかで、それはメジロ家の名を貶めるもの。
ず~ん、と落ち込んだままの彼女の姿を見ていて──このままではいけない、と私は思いました。
今のことも私の指摘ですぐに気がつくのだから、自分で察して欲しかったところですけど、やはりショックが大きくて気が回らないようですね。
(マックイーンはここ数年のメジロ家を背負って立つべきウマ娘。ここで潰れさせるにはあまりにも惜しい……)
体が……特に足の弱かった私には荷が重すぎたメジロ家という存在。今までの結果を見れば、「背負えたか?」と問われれば頷くことはできません。
それを彼女ならできるはずなんです。
しかし、このままでは……
「マックイーン、貴方の次の出走予定は……」
「はい、ジャパンカップの予定です」
「そうですか……では、それに私も出ましょう」
「──え?」
私の言葉に驚くマックイーン。
「あの、脚の具合は大丈夫なんでしょうか?」
そして怪訝そうに尋ねてくる。
そうするのも無理はありません。私の脚は楽観できるような故障ではなかったんですから。
現状で、なんの不安もなく完璧に治っているかと訊かれたら……正直な話、答えは否です。
でも……
「ええ。心配いりませんよ」
私は笑顔で彼女に言いました。
「とはいえ、私の同級生達も次々と一線を退いているところですし、貴方と走れる機会もそれが最初で最後かも知れません」
「な……」
「ですから、よろしくお願いしますね」
戸惑っている彼女へと笑顔を向け──そして、さらに付け加えました。
「もちろん、仲良く一緒に走りましょう、というわけではありません。走るからには全力で……勝負いたしましょう」
ジャパンカップは海外の強豪も参加するレース。
やってくる彼女たちと競い合うマックイーンと共に走るには──私もぶっつけ本番というわけにはいきませんね。
(復帰して一度レースに出てから、ジャパンカップで……)
マックイーンのため……
ひいては未来のメジロ家のために、この病弱な私をここまで走れるウマ娘にしてくださった恩を、返させていただきましょう。
たとえ、それが最後のレースになろうとも…
◆解説◆
【“盾”の勝者は繰り上がり】
・久しぶりのわかりやすい元ネタありタイトル。
・もちろん元ネタは『盾の勇者の成り上がり』です。
・なお最初の案では“勝者”ではなく“敗者”だったのですが、入線順はどうあれ優勝者なのだから敗者呼ばわりは無礼で、勝者とするのが妥当、と判断してこうなりました。
・今回結構、ギリギリの橋わたってるかもな~と思ってるのが多いです。
【天皇賞(秋)制覇おめでとう!】
・まぁ、仕方ないと思うんですよね。
・実際、お祝いしないわけにもいかないし、すれば怒らせるのわかってるし。
・見えている地雷でも、踏み抜かないわけにはいかない……どうしようもなかったんだと思います。これを貼った人は。
【私】
・いやぁ、誰なんでしょうねぇ~? このウマ娘。ちょっとわからないなぁ~。
・……というのも今回のこのシーン、書き終わってから、「あれ? コンプラ大丈夫かな?」と思ったので──急遽、名前を消しました。
・今さら別の名前で……というわけにもいきませんし、このシーンのためだけに彼女の名前を消してしまうのはもったいないですし。
・で、彼女なんですが……「怒らせたら本気でキレて、メチャクチャ怖い」という設定は、思い通りにならないと反発するという実際の気性以外にも理由があるのですが……
・それを解説してしまうと、「二次創作のガイドライン」(具体的にはその4あたり)に該当しかねないので──この件も解説できません。ゴメンナサイ!!
・そんなわけで、ちょっと大暴れさせ過ぎました。
・──とはいえ、誰だかバレバレなんですけどね。
【一度レースに出て】
・メジロアルダンが91年の秋復帰戦に選んだのは、11月10日開催されたオープン特別の富士ステークス。
・マイルチャンピオンシップの前週で、その翌週がジャパンカップというスケジュールになっています。
・1番人気でしたが出走数8で着順は6位。全盛期の見る影もありません。
・概ね史実通りに進む本作も同じレース結果になります。
・それでもアルダンは、ジャパンカップへと出走するのでした。