──時は少し遡る。
「どういうこと、コスモ? あなた、あんなことを言い出して……」
コスモの担当トレーナーの巽見 涼子さんが、そう言って怒るのは、だいたい予想できてた。
話は、さっきウチのチームの正トレーナー、
コスモの勝手な判断でやったことだから、相生トレーナーも驚いて涼子さんに確認して……バレちゃった。
だからもちろん、答えも用意してある。
「うん……涼子さんには悪いとは思ったけど、今回の、有馬記念に挑むユウのサポートに戦力を尽くすことにしようと思うんだ。ユウのために走ろうって……」
「な……なにを言ってるの?」
案の定、涼子さんは信じられない、といった顔でコスモのことを見てきた。
「せっかくここまで我慢して、積み上げてきたんじゃないの。復帰まであと少しなのよ?」
骨折したコスモの足に合わせた走りを手さぐりで探して、やっと見つけたのが身になりかけているのは、自分でも分かってる。
思った以上に、時間がかかったことも……
そして、未完成な今、もしもユウのトレーニングのために全力疾走を繰り返したら、慣らした感覚もまた狂うことも……
そんなことをしてしまえば、以前程じゃなくても走ると痛みが走るようになる、きっと。
それでも──
「涼子さん、今までありがとね。こんなコスモに付き合ってくれて……」
「なにを言うのよ。そんなの当たり前──」
困惑しながら苦笑し、答える涼子さん。
この人は優しいからコスモに残酷な現実を突きつけられないんだよね。
だから、コスモはハッキリ言った。
「今、復帰できても、もうコスモに居場所なんて、無いよね?」
一瞬、涼子さんの動きが止まる。
それで答えは十分だった。
「そ、そんなこと──」
「ケガや後遺症の無かった他のウマ娘でさえ、年齢的に厳しくなってるんだよ。それくらいコスモにも分かるよ」
「それは……」
「コスモにだってケガとは関係なく年齢的な衰えがきているんでしょ? だからもし完璧に後遺症無く足が治って、以前みたいに全力で走れても……今のコスモはトゥインクルシリーズでは通じない。違う?」
コスモの問いに──涼子さんは答えなかった。
ジッと目を閉じて、何度か口を開こうとしたけど、結局できず……やがて小さく、うなずいた。
うん。やっぱり、涼子さんだもん。この人ほど優秀なトレーナーが、気が付かないはずがないよね。
コスモにはもったいないくらいのトレーナーだよ。
だからコスモは……
「だからね、涼子さん……今まで一緒に……付き合ってくれて、ありがと」
この言葉を、言わなくちゃいけない……涼子さんは、優しいから……
「た、巽見トレーナーも、次の……ウマ、娘を…………」
「コスモ!!」
涼子さんは、慌ててコスモを抱きしめた。
胸に埋もれて、なにも話せなくなる。
「大丈夫、言わなくていい! ううん、言わないで……お願いだから……」
少しだけ力が抜けて、コスモが話せるようになる。
「でも、言えないでしょ? コスモに……もう、やめた方がいい、なんて。だって、優しいから……言えないの、分かってるから。だから……」
「分かってないわ、コスモ。あなたは──私にとって掛け替えのない……代わりなんていない、特別なウマ娘だもの。だから──」
「でも、次の担当をもたないなんて、そんなわけにはいかないでしょ?
コスモが苦笑しながら言うと、抱きしめる腕の力がまた強くなった。
それに身を任せながら──コスモはさらに続けた。
「涼子さんがコスモにかけてくれた努力……無駄にしたくないんだ」
「え……?」
「それをユウに託したいんだ。涼子さんから教わったコスモのすべて……距離に合わせた走り方、ペース配分、他の注意するべきところ……そしてあの“差し”の走り方」
それはコスモが《アルデバラン》に入って、目の前のこの人と出会って一緒に走ってきたコスモの競走人生の、まさに全てだ。
「涼子さんと今まで治してきたこの足で、ユウを鍛えながら全部教えてくるよ。涼子さんとコスモの魂を継承させる……それくらいの意気込みで、ね」
「コスモ……」
涼子さん……巽見トレーナーはコスモの背中に回していた腕を解いてくれた。
その目に指をあてて、そっと拭い──そして、いつものあの人らしく悪戯っぽく笑みを浮かべる。
「なら、それがキチンと教えられたか、私がチェックしないとね。それが終わるまで──私から卒業証書はあげられないわよ」
「……ひどいや。それじゃあ、ユウが勝たないと、コスモはいつまでも卒業できないじゃないか」
「ふふ……」
そんな言葉を交わして──二人で笑ったんだ。
大きな声を出して、心の底から笑った。
どちらも……目から涙をこぼしながら。
──有馬記念まであと少し。
推薦での出走が決まったアタシ──ダイユウサクは、トレーナーに言われた課題に取り組んでいた。
それは──
(2500メートルへの対応……)
アタシが走っていたレースは2000まで。唯一出たそれを越えるレース──2400メートルの京都大賞典ではスタミナ切れを起こして惨敗してる。
でも──
『京都大賞典に挑戦したのは無駄じゃない。そこで失敗したおかげで、逆にイメージできただろ? それに、備えて鍛えたおかげで中長距離を走る土台ができていたからな』
そして、阪神レース場新装特別後のトレーニングで下地はできた、とトレーナーは言ってた。
あとはペース配分だ、とも。
(ペース配分って言っても、ねぇ……)
ここで問題が発生した。
ウチのチームの欠点として──“併せ”ができる相手がいないのよね。
ソロチーム……でもなくなってきた《アクルックス》だけど、ミラクルバードは走ることができないし、オラシオンもまだ本格的なトレーニングを開始する前。アタシと“併せ”で走れるほどにはなってないもの。
「できれば、誰かと“併せ”をやりたいところだけど……」
他のウマ娘たちは、きっとその相手がいるだろう。
え? チーム以外でも知り合いや友人に頼めばいいだろって?
…………いないわよ。
トレーナーに言ったら必ず笑ってくるでしょうけど、アタシには“併せ”をやってくれるような、親しい相手がいないのよ。
でも仕方ないでしょ!? だって、同級生は軒並み引退しちゃってるし!!
オグリもアルダンも、チヨノオーもクリークもヤエノムテキも、バンブーも引退しちゃってるんだから!!
どうしろってのよ?
下の世代に頼め? アタシがそんなに顔広いように見える? そんな相手、いるわけないじゃないの!!
「ああ、まったく……どうしよう。相手いないし……」
「じゃあ、コスモが手伝ってあげるよ」
「は……?」
突然の背後からの声──もだけど、独り言に返事があったことに驚いて、尻尾がピンと立った。
振り返れば、アタシが驚いたのが想定外だったのか、「えへへ……」と気まずそうに苦笑する、髪型をショートカットにしているウマ娘。
アタシはその顔に、もちろん見覚えがあった。
「コスモ……?」
「一世一代の晴れ舞台なんだから、こんな時こそ頼ってよ、ユウ。そうじゃないと……ちょっと寂しいよ?」
笑みを少しだけ翳らせながらコスモドリームは言った。
そんな彼女の横には、アタシのトレーナーがいる。
「オレも、お前の併走相手を探していたんだが……《アルデバラン》から逆に申し込みがあったんだ。
「うん。2000メートル超のレースならコスモの方が経験は上だからね」
トレーナーの言葉で、今度は恥ずかしそうな照れ笑いになった。
本当に表情の変化が忙しいわね、コスモは。
そんな彼女の姿が──私の視界が歪む。
「……ありがと……コスモ」
「ああ、もう! ユウってば、こんなことで泣かないでよ」
「な、泣いてなんかないわよ!!」
アタシは涙を隠すために俯きながら、慌てて目の辺りを
「──まったく、これから年末のグランプリに挑もうという者が、情けないですわね」
……え?
なんか、あんまり聞きたくない声が聞こえたような……
おそるおそる顔をあげると──トレーナーの後ろからウマ娘が2人、顔を出す。
勝気なツインテールのウマ娘と、細い目をした三つ編みのウマ娘──
「セッツ!? それにシヨノロマンも……」
「はい。お久しぶりですね、ダイユウサクさん。微力ながら協力させてくださいな。2000メートル越えのレースの経験が少ないとか……まぁ、私も少ないですけどね」
そう言ってシヨノロマンは悪戯っぽく微笑む。
「ですから私達三人がアナタにそれをみっちりと教えて差し上げますわ! なにしろ私達3人は……オークスの経験者ですから!」
そう言って無駄に胸を張るサンキョウセッツ。ツインテールの片側を手で風になびかせて、「お~っほっほっほ!!」と高笑いをした。
「……えっと、2人ともありがとう。でもセッツは……パスで」
「ハァ!? なんでですの!?」
「だって……ねぇ?」
「そうだねぇ。確かにセッツは、ついてこられるの? ユウやコスモ、それにシヨノロマンに……」
コスモが言うとシヨノロマンは苦笑を浮かべ──セッツは「キーッ!!」と金切り声をあげた。
「お言葉ですけど、シヨノは2年も前にレースから離れ、何年もリハビリしかしてない誰かさんと違って、私は今年の夏まで出走してましてよ? ブランクの長いアナタ方よりもよっっっぽど、役に立ちますわ!」
「「えぇ~」」
シヨノロマンはともかく、アタシとコスモが疑わし気にジト目を向ける。
「それに! 貴方たち3人ッ!!」
サンキョウセッツがアタシ、コスモ、シヨノロマンの順にビシッと指を付きつける。
「誰一人として、中山の経験が無いではありませんかッ!!」
「「「う……」」」
有馬記念の舞台は中山レース場。
アタシは出走したことないんだけど……あれ? コスモもシヨノロマンもそうなの?
それを如実に表すように、2人は気まずげにサンキョウセッツから目を逸らしてる。やっぱりそうなんだ……
「それでしたら私が一番役に立つか、不安ですね……精一杯努めますので。もし足手まといになるようでしたら、雑用係でもなんでもお手伝いいたしますから」
シヨノロマンは「どうぞお願いします」とトレーナーに向かって頭を下げた。
勢いよく下げたせいで、三つ編みの髪が揺れる
「お、おう……こ、こちらこそよろしく頼むな、シヨノロマン」
「はい……」
顔をあげ、ニッコリとほほ笑む彼女。
──んん? なんか、トレーナー……顔、赤くない?
(そういえば、部屋にあった雑誌のグラビアとか、目が細い
ひょっとして、そういうのが好みなわけ?
「──よし、じゃあ3人は2人ずつ交代でダイユウサクの併走の相手をしてくれ。1人は休憩しながらなら、ブランクのハンデになるだろ。距離はもちろん2500……最初は、サンキョウセッツとシヨノロマンでいいか?」
「構いませんわ」「ええ、私も大丈夫です……」
セッツが勝ち気に、シヨノロマンがふんわりと笑顔を浮かべる。
すると、トレーナーは……
「シヨノロマン、無理するんじゃないぞ?」
なんてちょっと心配そうな目をして話しかけた。
イラァ…………
「……ヲイ」
アタシは、トレーナーの頭を背後からガッと片手で付かんで、力一杯絞める。
「ガッ……なッ!? 割れ……ッ、ダイユウサク、何してるんだ!?」
「何してる、はアタシの台詞なんだけど? なんでシヨノロマンにだけ態度が違うのよ。セッツやコスモと比較したって……」
「そ、そんなこと……ないぞ?」
「そんなことあるわよ!! アンタ、シヨノロマンの胸を見てたじゃない!!」
「……え?」
思わず腕で胸を隠すシヨノロマン。
……ま、スレンダーだから簡単に隠れたけど。
それは、問題じゃない。問題はこのドスケベをどうするかだけど……
「誤解だ!!」
「誤解じゃないわよ。見てたでしょうがッ!!」
「それじゃなくて……シヨノロマンは心臓に不安があるんだよ! だからそれを思い出して思わず見ただけだ。他意はない!!」
「え……? 本当なの、シヨノロマン?」
「は、はい……実は。現役の時に、ちょっと……」
シヨノロマンは納得したのか、腕のガードを解いてる。
ふ~ん、まぁ、そういう理由なら……納得しなくもないけど。アタシは頭を掴んでいた手を離す。
「まったく……ダイユウサク、お前も“併せ”の準備をして……って、なんでまた睨んでるんだよ?」
「なによ、こういう目が好きなんでしょ?」
目を細めて見てあげたら、そういうことを言ってきたから言い返してやったわ。
「……なにを勘違いしてるんだかしらないが、睨まれて喜ぶ特殊な趣味はねぇよ」
なんて言ってため息を付いてから、「せっかく3人も手伝ってくれるんだから、実のあるものにしろ」と言って振り返った。
まったく、人がせっかく──
「で、コスモドリーム。さっきの件、もう少し詳しく聞いていいか?」
「うん。構わないよ」
トレーナーの言葉に、コスモが笑顔でうなずく。
「……さっきの件?」
「ああ。さっきコスモドリームがここに来たときに、少し話したことがあってな。その続きだ」
「なによそれ?」
アタシが訊くと、トレーナーは少し困った顔をした。
「ま、今は気にしなくていい。ただ……ハッキリした話になれば、切り札になるかもしれない、としかまだ言えないけどな」
「……余計、気になるんですけど」
「気にするな、って言っただろ。お前はあっちに集中、な……」
トレーナーは笑って誤魔化しながらアタシの頭の上に手をポンと置き、そして指を指す。
その先では──
「ほら! ダイユウサク、早く用意してくださいまし! シヨノも私も待っていますのよ!!」
「あー、もう! わかったわよ!!」
アタシは、セッツの急かす大きな声に応えてから、慌てて二人の待つスタート地点へと向かった。
チラッとだけ見ると──トレーナーとコスモは、
(──どういうこと?)
確かに気にはなったけど……まもなくコスモも戻ってきた。
おかげで併せもできたし、3人からペースや仕掛けるポイント等の2000超の中長距離を走るコツとか、セッツから中山の特長なんかを教えてもらい、とても有意義なトレーニングができた。
──トレーナーの不可解な行動は、少し気になったけど。
──都内某所。
中山レース場で行われるはずの有馬記念のセレモニーが、どうして都内で行われるんだろうか、と結論のでない疑問をオレは頭に浮かべていた。
GⅠのような大きなレースでは毎回、本番の前に行われる集団記者会見が開催されたのが、まさに今日だった。
(──と言っても、今年は……)
集団とは名ばかりのもで、実質的に誰の為のセレモニーだったのやら。
そう思っていると──
「お、ウソツキ発見や」
たたずむオレを見つけた記者の一人がニヤリと笑ってやってくる。
「会うなり、人を嘘つきよばわりとか……マスコミの信頼を落としますよ。藤井記者」
「信頼落としたのはアンタの方やで、乾井トレーナー。アンタ、有馬には出ないって言ったやんか」
「それ、去年の話じゃないですか」
思わず苦笑して返す。
やってきた記者は藤井泉助。オグリキャップに魅せられて、彼女を追い続けたウマ娘競走担当の記者。それも、その気になれば外国からきたウマ娘とその国の言葉で流暢に会話できるほど語学堪能な、有能な記者だ。
といってもその語学力を身に着けた原動力が、ひょっとしたら海外のウマ娘と話したい、という一念に思えてしまい──ウマ娘競走狂いの一人、にしか見えなくなってしまう。
「おーおー、確かに今年はまだ訊いてなかったかもしれんな。しかし、まさかねじ込んでくるとは思わなかったで」
彼の苦笑が、呆れの色を含んだ。
「てっきりスプリンターズステークスに出走するのかと思っとったら阪神のオープン特別になんぞに出走しとるから、『あ、これはルビーやケイエスミラクルから逃げたんや』と思っとったのに──気が付いたらこんなところにいるんやからな。完全に騙されたわ」
「オレだって賭けでしたよ。推薦もらえるかどうか、分かりませんでしたからね」
「聞いとるで。結構、反対くらったらしいな。『ダイユウサクなんぞ出したら、レースの格が落ちるわ』なんて言うた委員もおったらしいし」
「む……」
さすがにそれは面白くないな。そんなことを言ったヤツはどこのどいつだ?
オレが内心憮然としていると……それが表情に出ていたらしく、藤井記者は苦笑する。
「ま、その理事らも安心しとるんやないか? さっきの受け答え見て──」
「意地悪な質問、しないでやってくださいよ。アイツ、マスコミ対応が下手なんだから……まだGⅠは3走目ですからね?」
「知らんわ。それに十分できとったやないか。去年とは
彼に言われて、オレはついさっき行われた会見の様子を思い出す──
「ダイユウサクさん、最年長での出走ですが意気込みは?」
「最年長と言っても、まだGⅠは三度目です。そう言う意味では他の方の方が経験は上ですし、アタシは挑戦する立場です。挑戦者として精一杯頑張ります」
記者の質問に、アタシは微笑を浮かべながら答えたわ。
正直、今の質問は完全に予想してたし。なにしろ出走メンバーを見たら、ついに同学年が消えていたんだから。
ふぅ……これであとはどうせ質問なんて来ないでしょ。
みんな聞きたがっているのは、アタシなんかじゃなくてマックイーンの話──
「あ! こっちもいいですか? ダイユウサクさん」
…………いたわ。
あの眼鏡記者……たしか藤井とか言ったっけ?
「……どうぞ」
「おおきに。ほな早速……今回は号泣のご予定は?」
「アタシも最年長なんで、どんなに悔しくてもみっともなく泣くことはできないと思ってます。もしも勝ったらその限りじゃないですけど──」
そう言いながら、アタシはこのレースの大本命にチラッと視線を向けた。
アタシは苦手だから、受け答えとかやりたくないの。
でも、こっちに話を振ればもう、戻ってくことはないでしょ?
「──では、誰も泣かなくて済みますわね」
案の定、彼女はニッコリと笑みを浮かべて返してくれた。
あぁ、よかった。マスコミ慣れしてるって素晴らしいわね。
そのウマ娘は、長い葦毛の淡い色をした髪を優雅になびかせて微笑んでいる。
やれやれ、これであとは他人事だから、ゆっくり鑑賞できる……
「──メジロマックイーンさん、意気込みをお願いします!!」
「特にありません。出走したからには勝つ。それだけですわ」
……はずだったのに、その答えで周囲の空気が凍り付いた。
えぇ~……わざわざ挑発すること無いと思うけど?
ちょっとウンザリしながら、そんなことを思っていると──3枠5番の、ボリュームのあるツインテールのウマ娘と目があった。
どうやら彼女も「やれやれ、お熱いことで……」なんて一歩引いた目で見ていたらしく、アタシと変なところで共感したみたい。
えっと、たしかナイスネイチャって言ったっけ──
「……大層な、物言いだこと……」
4枠6番の出走枠を引いたウマ娘のポツリと言った声が、意外と大きく周囲に響きわたった。
あちゃー……これは、間違いなく聞こえたわよね。
案の定、マックイーンの目はそのウマ娘──今年の秋の天皇賞を制したプレクラスニーを捉えていた。
ジッと無言で見つめるマックイーン。
それにプレクラスニーは──
「それができるのなら、様になるんでしょうね……」
──さらにもう一言追加。
マックイーンがまとう雰囲気がさらに剣呑になる。
プレクラスニーから視線を外して……質問した記者へと向けた。
「──おそれながら、今まさに申し上げたことですが、訂正させてくださいな」
質問をした記者を見ながら、マックイーンは言う。
「意気込みですが……この秋のシーズンの締めくくりとして、圧倒的な力を見せつけて勝利し、誰が一番だったのかを見せつけて差し上げますわ。特に──自分の力を勘違いなさっている方に」
ピクンと今度はプレクラスニーの眉が跳ね上がる。
あ~、もうこれは泥沼だわ。
ため息ついて我関せず──と思ったところでさっきのナイスネイチャと目が合う。
そしてお互いに再び苦笑。
「……秋になってGⅠとっていないヤツが、恥ずかしくもなくよくもそんなこと言えるものね」
「そのままそっくりお返しいたしますわ。あんな有り様でよく結果を自慢する気になりますわね。それとも……ヘリオスさんの気持ちを代弁されたのかしら?」
「へ? ウチ?」
巻き込まれたのは、プレクラスニー以外ではこの場にいる唯一の秋のGⅠ勝者──マイルチャンピオンシップを制したダイタクヘリオスが目を丸くする。
そりゃあ、こんな二人の諍いに巻き込まれたくないわよね。
同情するわ。ご愁傷様……
「クッ……誰のせいで、あんなことになったと──」
「むッ……先に言い出したのは貴方ではありませんか──」
いがみ合う二人に、記者陣もドン引きしてるような状況。
それはアタシらウマ娘も同じで、巻き込まれかけたダイタクヘリオスは「マジヤバくない? アレ……」なんて完全におびえてるし、マックイーンの親戚のメジロライアンが慌てて二人の間に入って止めようとしてる。
え? なんでアタシをチラチラと見るウマ娘が数人いるわけ?
ひょっとして……まさか、最年長なんだから止めろって? そんなの無理に決まってるじゃないの!!
アタシが密かに愕然としている中──
「ふふ~ん。ま、走ったらターボが勝つけどなッ!!」
なんて元気よく記者に向かってVサインしてる、青い髪した空気読めない脳天気なのがいた。
えっと……誰?
「──出走者のトレーナーであるアンタにいうのも変やけど、実際のところ、マックイーンがどう勝つかってレースやで。プレクラスニーなんてキャンキャン犬っころが吠えてるとしか思われてへん」
オレがあのギスギス会見を思い出していたら、藤井記者も同じだったらしい。
さすがにその表現には苦笑した。
「犬っころ、ね。確かに天皇賞の6バ身を見たらな」
「せや。2000で6バ身なら、2500ならどんだけステイヤーがマイラーに差を付けることか」
「そうは言うけど……昨年の覇者はマイラーじゃないんすか? 彼女を追い続けた記者さん」
「あんなん、今なら言えるが、ペースのおかげの奇跡や。毎年、奇跡を起こされてたまるか」
それについてはオレも同意見。今年はあんなペースにはならない。
なぜなら──“あの”ウマ娘がいるからな。
(全力疾走が大好き……というかそれしか考えていないウマ娘が)
空気を読むとか、全く考えない。
そんなウマ娘が──今回の有馬記念の鍵を握るのかもしれない。
「だいたい、今回の有馬はメンバーが弱いんや。“無敗の二冠ウマ娘”もおらんし……極めつけは記者に体調心配されとるようなヤツもおる」
ああ、いたなぁ……そういうのも。
余りに顔色が悪くて記者から──
『そんな調子で大丈夫ですか?』
『大丈夫だ、問題ない』
なんて答えてたのが。
辛そうに見えたけど……まぁ、いいヤツだったよ。アイツは。
たしか名前は……そう、オースミシャ──
「そんなのしかおらんから、ダイユウサクでも出走できたんや!!」
「ってオイ!!」
オレは思わず思考を止めて、藤井記者にツッコミを入れていた。
◆解説◆
【ウマ娘とハサミは使いよう】
・元ネタはことわざ……ではなく、ライトノベル『犬とハサミは使いよう』から。
・ただし、意味合い的にはことわざの方から。
・この世に役に立たないものなんて、無いんだよ。ねぇ、セッツ。
【誰一人として、中山の経験が無い】
・調べて自分でも驚きました。
・ダイユウサクは有馬記念に出走するまで、コスモドリームとシヨノロマンに至っては引退するまで……中山競馬場での出走はただの一度もありませんでした。
・それに対して、サンキョウセッツの中山競馬場の出走は全43戦中14回に上ります。
・他は札幌2戦、函館7戦、東京20戦。アレ? 中京、京都、阪神は?
・サンキョウセッツに比べて、ダイユウサク、コスモドリーム、シヨノロマンの中山出走が異常に少ないのは──サンキョウセッツが美浦所属の関東馬で、ダイユウサク達が栗東所属の関西馬だったからですね。
・つまり──ウマ娘だとセッツだけ美浦寮で、他の3人は栗東寮ということになります。
・セッツが美浦寮なのはずいぶん前に描写がありましたが。
・セッツがシヨノロマンやダイユウサクの応援に各地に行くのは──自分が東京や中山ばかりで、中京や関西方面にはレースで行かなかったから、雰囲気だけでも味わいたかったからかもしれません。
・なお──ミラクルバードは弥生賞は回避していますが皐月賞を走っていますので、経験がある……けど完走してません。むしろトラウマレース場になってしまっている可能性さえあります。
【心臓に不安】
・シヨノロマンは、コスモドリームやダイユウサクと共に高松宮杯で3着だった次のレースとして、1989年の第40回朝日チャレンジカップに出走しました。
・そのレースで、第3コーナーでは前から3番目の位置にいた突然失速して、上の着順の馬と10馬身も離された最下位という大惨敗に。
・その原因は心房細動で、レース中に発症してしまい、このような結果になってしまいました。
・次のレース(地方レースで名古屋市の“市制100周年記念”)では見事に1着になっていますが、同89年のマイルチャンピオンシップでは影響があったのか無かったかはわかりませんが10着になり、それを最後に引退しています。
【オースミシャ──】
・第36回有馬記念を引退レースに決めたオースミシャダイですが、事前の体調は最悪。
・陣営は棄権も考慮しましたが、引退レースなので棄権せずに出走を決意しました。
・そのせいで──出走数15中の15番人気。最下位人気になってしまいます。
・そして結果も……奇跡は起こらず、終始最下位で走り続け、最下位だった15着。
・公式ウマ娘にはなっていませんがアニメ2期の4話での有馬記念の回想で、バテバテになって倒れたツインターボのあとにゴールしたのがオースミシャダイ(に相当するウマ娘)です。……真っ白だったけど。
・まぁ、調子最悪だったし、しょうがないね。
・……でも、あれ? これこそ記念出走なような気が。
・なんてちょっとギャグキャラ的な扱いを受けていますが、前年の有馬記念に出走していて、オグリキャップの奇跡の陰で5着に入ってます。
・同レースのオグリの騎乗は武豊騎手で有名ですが、実はオグリよりも先に騎乗依頼が来ていたのがオースミシャダイ。
・オースミシャダイの調教師が父の武邦彦氏だったこともあり、オースミシャダイ陣営には話をつけてオグリキャップに騎乗したという経緯がありました。
・──そんなわけで、シンデレラグレイに出てくる可能性もありますね。
・ちなみにこのオースミシャダイ。“シャダイ”と名前についているので勘違いされそうですが、社台ファームとは関係なく俗にいう社台系ではなかったりします。
・馬主は山路秀則氏で、ナリタブライアンと同じ馬主。
・馬名の“オースミ”は、馬主の冠名は「ナリタ」と「オースミ」なのでそこからです。
・じゃあ、問題の「シャダイ」は……? というと、父馬のリアルシャダイから。こちらはリアルに社台ファーム所属の社台系。
・オースミシャダイがレースに勝った時に、社台ファームにお祝いが届いたとか、……というのは別の馬(シャダイカグラ)のお話。