「──そんなわけで、ウチで引き受けることになった」
理事長達に頼まれたことや、ヒルデガードというそのウマ娘の生い立ちを説明すると、ダイユウサクは渋々、といった様子で「わかったわよ……」と答えた。
それからヒルデガードに対し、「……よろしく」と挨拶をする。
とても愛想がいいとは言えないようなその挨拶に、ヒルデガードは──
「よ、よろしくおねがい、します……」
相変わらずビクビクしながらの怯えた様子で挨拶を返していた。
こんな調子で、はたして他のウマ娘になれることができるんだろうか、とオレは不安にもなる。
ともあれ、我が〈アクルックス〉は期待の新星を迎えたのだが……
「……うん? また来たのか、ヒルデガード」
昼休み。
少し仕事が長引き、さて昼食でも……と思ったオレは、トレーナー部屋の扉の向こうで気配を感じた。
それで扉を開けてみたら、そこには小柄なウマ娘が驚いた様子でオレを見上げていた、というわけだ。
しかし、これは初めてのことではない。なぜなら──
「やっぱり、ここにいたんだ。ヒルダ」
そんな明るい声が聞こえる。
ヒルデガードはその唐突な声でビクッと身を震わせ、尻尾をピンと立てた。
声の主はミラクルバード。彼女は朗らかな笑顔を浮かべ、車椅子をこちらへと進めてきたのだが……
「──ッ!!」
「あ、オイ……」
戸惑うオレをよそに、ヒルデガードはサッと素早く動き、まるで盾にするようにして隠れた。
その反応には、さすがにミラクルバードも「まだ慣れないよね」と苦笑を浮かべるしかない。
「ここだと思って、一緒に食事に行こうって誘いに来たんだけど……」
「悪いな。気を使ってもらって」
「ううん。大丈夫だよ、トレーナー」
ミラクルバードは笑顔でそう言うと、車椅子をその場でクルッとターンさせて、そのまま去っていく。
その姿が見えなくなって──ヒルデガードはやっとオレの影から出てきた。
内心、ため息をつきながら……
「じゃあ、飯にするか?」
「…………ッ!」
オレの言葉に「うんうん」と嬉しそうに頷くヒルデガードの無邪気な姿は、微笑ましくも感じていた。
午後──授業が終わり、ウマ娘達は思い思いに学園の各所へと散っていく。
そんな中で、チーム所属のウマ娘達は、やはり自分のチームの部屋へと集まるわけで……
「あの……ヒルダさん、よろしかったらどうぞ」
トレーニングを開始する前のこの時間、オレは〈アクルックス〉の部屋へと移動していた。
メンバーが揃うまで、机についていたオレだったが、早めにやってきたオラシオンがコーヒーを煎れてくれた。
そしてオレのカップの横に、もう一つ恐る恐るといった様子で並べるように置く。
そうして、座っているオレの肩にしがみつくようにして立っているヒルデガードに向かって、さっきの言葉を言ったのだが──
「………………」
──あからさまに警戒している様子で、手をオレの肩をしっかりと掴んだまま離そうとしない。
もちろん、カップに手を伸ばす気配もなかった。
そんな様子に、さすがにオラシオンも「あはは……」と気まず気に苦笑を浮かべる。
「クロ──じゃなくてシオン、僕が代わりに飲むよ」
オラシオンと一緒にやってきていた渡海くんが、ぎこちない笑みを浮かべつつ、オラシオンの煎れたコーヒーカップに手を伸ばした。
チームメンバーになったばかりのヒルデガードには、彼女用のコップさえまだ用意されていないので、お客様用のコーヒーカップである。
それを──ヒルデガードは、ジッと見つめていた。
「……え?」
思わず手を止める渡海。
様子を見られていたので、ヒルデガードはコーヒーが飲みたかったのかと思ったのだが……彼女の興味はコーヒーではなく、渡海くん本人であった。
ジッと見つめたあとで、ヒルデガードは躊躇いながら彼にニコッと微笑みかけた。
「あ……」
そんなヒルデガードに、渡海くんも応えるようにして思わず微笑む。
それを見てオレは改めて思い知らされた。
(……やっぱり、人には愛想が良いんだな)
そう思うと同時に、彼女の心に刺さっているトゲはかなり深いものに思えた。
あれだけ丁寧に優しくオラシオンが接しているのにウマ娘相手には全然心を開こうとしないのだから。
──そして練習時間となりトレーニングは開始され……
ウォーミングアップを終えたダイユウサクの下へ、オレは近寄った。
準備運動を兼ねて体をねじったり、その場で腿上げをしつつ足踏みしたり、という彼女の動きを見ながら、声をかける。
「足の状態はどうだ?」
「うん。前からだけど痛みは──」
オレへと振り向いたダイユウサクだったが、言葉を止めた。
そしてジト目を向けてくる。
「その、アンタの横に引っ付いているのは何?」
ダイユウサクの視線を受けて、ヒルデガードは慌ててオレの後ろへと回った。
その様子にますますダイユウサクは目を吊り上げ──
「まぁまぁ、落ち着け……」
とりあえずはウマ娘に慣れさせるしかないんだから、怯えさせたら駄目だろ。
オレは慌ててダイユウサクをなだめ……それで彼女は無精無精といった雰囲気で、睨むのをやめた。
「で、併走なんだが……できそうか?」
「アタシが? そこのヒルデガードと?」
「ああ。まずはどれくらい走れるのか見ようと思ってな」
ウチのチームで走れるウマ娘は3人だ。
その中で現時点でもっとも経験と実力があるのは、言うまでもなくダイユウサク。
というか、他の二人の経験が少なすぎるからな。ヒルデガードはデビュー前だし、オラシオンに至ってはこの春に本格的なトレーニングを開始したばかりだ。
(ミラクルバードが走れれば、それが最適なんだが……)
レース経験こそダイユウサクには到底及ばないが、事故で走れなくなる前のミラクルバードの実力は折り紙付きだし、レース勘もいい。
さらには指導者的な視線も持ち合わせているのだが、いかんせん事故の後遺症で走ることができない。
「そりゃあ、足に痛みがあるわけじゃないし。もちろんできるわよ」
「軽めで全然かまわないからな。オラシオンも一緒に、3人で併せてみてくれ」
ダイユウサクが不満そうなのは明らかだった。
だからオレはオラシオンも入れての3人で、当初の実力を見るというのを諦めて、アップがてら走らせようと思ったのだが──
──3人で併走させた結果……
「な……」
オレは、ポカーンとしてそれを眺めることしかできなかった。
全力で逃げるヒルデガード。
それを全力で追いかけるダイユウサク。
そんな二人に戸惑いながら、どうしていいのか分からずマイペースに走るしかないオラシオン。
「どうしてそうなるんだ……」
思わず頭を抱えそうになる。
もちろん、トレーニングになんてならなかった。
そんな日が数日続いたある日のこと──
「い・い・加・減・に・し・て!!」
ついに我慢の限界を超えた、といった様子でダイユウサクが額にでっかい青筋を立てながら、オレのいる机に両手をついて、グイッと詰め寄ってきた。
「……なにがだ?」
うん。オレだって分かっている。
アイツが何を怒り、誰に対してイラついているのかくらいは。
案の定、ダイユウサクはギンとそちらを鋭い目で睨み──視線を向けられた方は怯えた様子でオレの影に隠れる。
「その娘に決まってるでしょ!? いったい、どういうつもりなの?」
「どういうつもりって……だから、コイツは他のウマ娘に慣れていなくて……」
「慣れようとする気持ちさえ無いじゃないの!!」
ダイユウサクがピシャリと言い、ヒルデガードは思わず首をすくめる。
オレの実感でもあったダイユウサクのその言葉を、もちろん否定することはできなかった。
かといって肯定するわけにもいかず、オレは黙って聞いているしかない。
「併せだけじゃなくても、ジョギングだろうがなんだろうが一緒に走れば全力疾走で逃げるのよ? トレーニングにならないどころか、アタシやシオンの邪魔でしかないわ!!」
「それはお前がムキになって追いかけるから……」
「トレーナーの指示を無視する後輩を指導しようとしてるんでしょ!? なんでアタシが悪いのよ!」
それは……ごもっともだなぁ。
オレは横を振り向き、しがみつくように小さくなっているヒルデガードを見る。
彼女のウマ娘嫌いは、理事長達の話を聞いてオレが想定した予想を遥かに上回っていた。
確かにイジメられたトラウマなのかもしれないが、彼女の頭の中には「ウマ娘=敵」「人間=味方」と強烈に植え付けられているようである。
そしてそれを上書きするのは、簡単なことではない。
「……アンタのやり方じゃあ、何年かかっても克服させるなんて無理よ」
ダイユウサクに指摘され、オレは表情をゆがめた。
もちろんオレも正解と確信しているわけじゃないが、他にいい方法が浮かばないのも事実だった。
「そう言われてもな。どうしたらいいのか見当もつかないんだぞ?」
そもそもオレはウマ娘競走のトレーナー。心の傷を癒すカウンセラーでも何でもなく、完全に門外漢なんだ。
そもそもこういうことをトレーナーに任せる、理事長に問題があるような……と思っていると──
「アタシが、キッチリ治してあげるわ。その性根ごと……」
再びヒルデガードを睨むダイユウサク。
それでビクッとして逃げようとしたヒルデガードの首根っこを、ダイユウサクは捕まえていた。
「~~~~ッ!!」
声にならない悲鳴を上げて、必死にオレに助けを求めるヒルデガード。
その様子にオレもさすがに──
「オイ、あまり乱暴なことは──」
「この娘のことを思ってやることなんだから。不安ならちゃんと見てなさいよ」
文字通り、ヒルデガードを部屋から引っ張り出したダイユウサクは、そのまま歩いていく。
危うくポカーンと見送りかけたオレだったが、慌ててその後を追った。
そして部屋に残っていたオラシオンに、渡海くんが──
「止めなくてよかったの?」
「私がですか? なぜ、止めないといけないんでしょうか? それとも、彼女が心配なんですか? 渡海さん?」
「あ、いや、そこまで……」
そう尋ねると、笑顔で問い返してきた。
彼女も彼女で密かに怒っていたらしく、いつになく妙に圧のある笑顔を浮かべている。
そんな彼女にたじたじになる渡海であった。
──そうして、ダイユウサクによる“治療”が始まった。
集められたのは、数人のウマ娘達。
そして彼女たちはヒルデガードのすぐ側にいたのだが……
「なるほど、それで私が呼ばれたんですか」
そう言ったのは、チーム〈スピカ〉に所属するスペシャルウィークだった。
発案したくせに説明を丸投げしてきたダイユウサクに代わって、オレは彼女に事情を話したのだ。
「ああ。境遇が近いスペシャルウィークなら、親しみやすいと考えたんだ」
似たような境遇を持つスペシャルウィークなら、その雰囲気からヒトを感じるのではないか、という発想は悪くないと思う。
それにスペシャルウィークは明るく素直な性格だから、人付き合いも上手い。
「よろしくね、ヒルダちゃん!」
スペシャルウィークは屈託無く笑って、ヒルデガードを受け入れてくれる。
その雰囲気に戸惑いながら……ヒルデガードはこくんと頷いて「よ、よろしくお願いします」と答えていた。
「明らかに、他のウマ娘の時と反応が違う……」
「そうだね、コスモにもそう見えるよ」
思わずつぶやいた独り言に返事があり、オレは驚いてそちらを見た。
いつの間にかすぐ横に、スペシャルウィークとヒルデガードを見て「うんうん」と頷いているコスモドリームがいる。
「なんでコスモドリームが?」
「あのねぇ、乾井トレーナー。人見知りのユウが、他のチームに顔が利くと思う?」
「……思わないな」
「でしょ? そういうこと……」
コスモドリーム曰く、ダイユウサクから頼まれて、〈スピカ〉のメンバーと仲の良い〈アルデバラン〉のウマ娘に仲介をしてもらったらしい。
他のチームを巻き込んでことが大きくなってきているのに戸惑いを感じるが……〈スピカ〉のトレーナーはもちろん、相生さんや巽見にもお礼を言っておかないとな。
そう思って見ていると──スペシャルウィークを通じて、ダイワスカーレットやウオッカといった〈スピカ〉の面々がやってきて、次々と話しかけている。
「へぇ、スペ先輩と似たような生い立ちってワケか」
「ふ~ん、でもそれならアタシ達のことも苦手ってことよね?」
ヒルデガードは「あわあわ……」と焦りかけたもの、スペシャルウィークが間に入ってくれたおかげで、逃げ出さずにきちんと挨拶ができていた。
その中にはあのメジロマックイーンやトウカイテイオーの姿まである。
「……トウカイテイオーはともかく、メジロマックイーンまで協力してくれているのか」
「〈スピカ〉が総出で協力してくれているみたいね」
スペシャルウィークが所属しているチームとはいえ、〈
接点と言えば、ダイユウサクがメジロマックイーンやトウカイテイオーと同じレースで走ったことがあるくらいだ。
(しかもメジロマックイーンにとってダイユウサクは……)
オレは思わず苦笑してしまった。
マックイーンにしてみれば、有馬記念でしてやられた相手だから思うところもあるだろうに。
それでも協力してくれるのは本当にありがたい。
「……後でお礼を言っておけよ。ダイユウサク」
近くにコスモドリームがいたからか、いつの間にか来ていたダイユウサクに、オレはジト目を向けつつ言ったのだが……プイとそっぽを向いて文句を言う。
「アンタが抱え込んだ厄介事でしょ? それの解消に動いてるだけなんだから、自分でお礼を言ってきなさいよ」
「……メジロマックイーンに頭を下げたくないのか?」
「違うわよ!」
ムキになって言うダイユウサクに、オレは小さくため息をついて、あとで〈スピカ〉のトレーナーに感謝しに言ったときにでも併せて彼女にもお礼を言っておこう、と思った。
(あのトレーナー、東条先輩とも仲が良いみたいだし)
確かトレーナー室が同室だったはず。
ってことは、挨拶しに行くと東条先輩もいるってことか。最近、会う機会がないけど、会ったらなにを言われるか……
「ねぇ、乾井トレーナー。一つ言っていいかな?」
「どうした、コスモドリーム」
オレが考えにふけっていると、コスモドリームがダイユウサクにではなく、オレに話を振ってきた。
彼女は、ヒルデガードとスペシャルウィークを見ながら苦笑し──
「理事長、なんで〈スピカ〉にあのウマ娘を頼まなかったんだろ?」
打ち解けている二人を見て、オレも確かにそう思った。