見えぬ輝きの最南星《アクルックス》   作:ヤットキ 夕一

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 ──その日、僕は河原に膝を付き、頭を垂れて祈っていた。

 そのとき何を願っていたのかは覚えていない。なにしろ小さいころの話なんだから。
 たぶん飼っていた犬の子供が無事に産まれますように、とかそういうことだったんだと思う。
 親から大きくなった犬のお腹の中に赤ん坊がいることを聞かされて、新しい命がいることに驚きと期待に胸を膨らませ、同時に出産の危うさという現実も聞かされて不安を抱いていたから。
 あのときの僕には、家の近くを流れる大きな大きな川のほとりで、とにもかくにも愛犬と新しい命が無事でありますように、と祈ることしかできなかった。

 そうやって目を閉じて、子供なりに一生懸命祈っている僕の肩が──ちょんちょんと叩かれた。
 なんだろう、と思って振り返ると……そこには当時の僕と同じくらいの年格好をした、女の子が不思議そうに僕を見ていた。

「ねぇ、なにをしているの?」

 純粋な疑問に、僕は素直に答えた。

「祈っていたんだ」
「祈る?」
「うん。僕の家の大事な家族が、増えることになる家族も含めて、無事でいますように。生きてますように、って」
「家族が……無事で?」
「そう」

 僕は彼女の問い返しにハッキリとうなずいた。

「お祈りって……ここで?」

 さらに疑問を持った彼女が訊いてくる。
 赤みを感じさせない真っ黒な黒髪の彼女の艶やかな髪。その頭の上にはヒョコっと二つの耳が姿を覗かせていた。
 その彼女は、周囲を──そして僕が祈りを捧げていた目の前に流れる大きな川を見ていた。

「うん……」
「でも、お祈りってお寺とか教会で、神さまの前でするものじゃないの?」
「この近くにそういうの、ないからなぁ」

 自分の家の近くだから、そういうのが無いのは知っていた。
 少なくとも、お父さんやお母さんから出歩いていいって言われている範囲の中に、そういうものは無い。
 実はここだって、本当ならその範囲からはずれてる場所。
 でも、僕はここにきた。
 ここで祈りたかった。

「だからここでお祈りしたかったんだ」
「どうして?」
「川だから……こうして川にお祈りしたら、その流れにのって、きっと神様にまで願いが届くはずだからね」

 雄大さでは川の背景になっている大きな山の方が勝ってる。
 でも──山は動かない。
 ひょっとしたらそこに神様がいるのかもしれないけど……あまりに遠いその山の天辺までお祈りが、僕のお願いが届くとは思えなかった。
 でも、目の前の川は大きく、そしてゆったりと流れている。
 その流れに任せれば、まるで僕が作って流した笹舟のように下っていき、そしてきっと神様のところまで届く。
 当時の僕はそう信じて、その川に祈っていたんだ。

「じゃあ、私もお祈りしたら、神さま、聞いてくれるかな?」

 パッと顔を明るく綻ばせた彼女。
 どこの誰かはそのときわからなかったけど、それでも彼女が何者なのかは、当時の僕でもその耳やお尻の尻尾で分かった。
 ──ウマ娘。
 人と共に生きてきて、人よりも優れた身体能力を持つ、走るために生まれてきた者達。
 そしてその魂は、こことは異なる遠い遠い世界で活躍した存在(もの)が長い旅路の末に流れ流れてこの世界へとやってきて、その身に宿るといわれている。
 その魂のありように、目の前の川の流れとを無意識に投影していたのかもしれない。
 目の前の川を見る彼女の目は、ひどく神聖なものを見ているかのように、畏敬に溢れていた。

「うん……きっと、聞いてくれるよ」

 僕がそう言うと、彼女は笑顔で頷く。
 そして「じゃあ……」と目を閉じ、「お母さんが元気になりますように」とつぶやきながら一生懸命祈っていた。

 ──それが僕と彼女の初めての出会いだった。

 聞けば家が近所であるその黒髪のウマ娘と僕は、幼なじみとして幼少期を過ごすことになった。
 周囲の大人達と同じように彼女を、その綺麗な髪から「クロ」というあだ名で呼ぶほどに親しくなり──

 ──しかし、彼女は僕の前からいなくなった。

 彼女の母親の体調が悪化して亡くなり、母子家庭だった彼女が身寄りが無く孤児院に引き取られたからだ。


 そうして──さらに僕は成長し、中央トレセン学園へとやってきた。


 競走ウマ娘を鍛え、補佐して共に勝利を目指すトレーナーとなるために。



第二章 A HorseGirl’s Prayer ~レッツゴーターキン/オラシオン~
第1R “女神様よ、祈りを捧げます──”


 

 高等部への進級まであと一年──

 

 4月は何かと落ち着かない。

 新入生となる中等部、高等部の1年生もちろんのこと、そういう新しい顔が入ったことで他の各学年もやっぱり学年が変わったことで落ち着かない空気になってしまいます。

 そしてそんな中でも競走(レース)は開催されます。

 そのためにそれに備えなければならない者も多数いますし……特にクラシックの世代は大変です。

 一生に一度しか走れないクラシックレース。桜花賞や皐月賞の前哨戦はすでに始まっているだけでなく、本番も間近です。

 その緊張感は特にすごいものがあります。

 

「…………っ」

 

 そんな空気から逃げるように、私──オラシオンは中央トレセン学園の敷地内でも人の少ない方へと歩いていました。

 私のデビューは高等部に上がってから、と決めていますので今はレースの緊張感からは無縁なのですが──

 

「所属チーム、ですか……」

 

 そんな私を悩ませているのが“それ”です。

 幸いなことに、私のことを高く評価してくださっている方がおり、しかもそれが──中央トレセン学園の生徒会長、シンボリルドルフさんでした。

 おかげであの方が所属しているチーム〈リギル〉に来ないかと誘われ、ゆくゆくは生徒会に所属し、すでに学び始めている経営学や経済学を生かし、会計として助けてくれないか、と言われています。

 

(もちろん名誉なことなんですが……)

 

 そこまで高い評価をいただけているのは非常に光栄なことです。生徒会長だけでなく、そのトレーナーである東条ハナさんも私の実力を認めていただいています。

 一時期は、私も〈リギル〉に入る方へとかなり傾倒していたのですが……

 

(養父が、その会社が……)

 

 養父の会社が経営難に陥ってしまい、養父が苦難に陥ってしまいました。

 もちろん優しい養父は私に「気にするな」とは異ってくださるのですが……私を救ってくださった方のことを見捨てるようなことはできません。

 

(チーム〈リギル〉に入ってしまえば、生徒会に所属することになる……)

 

 トゥインクルシリーズに挑戦しながら、巨大な中央トレセン学園の生徒会の一員になれば多忙になることは間違いありません。

 そうなれば養父の会社を心配し、いざというときは養父を助け、護る──それは私にとって絶対に切り捨てることができないもの──ことができなくなってしまいます。

 皮肉なことに、〈リギル〉での高評価が他のチームからの注目も集め、お誘いいただいているのですが……かといって〈リギル〉からの誘いを無碍にして他のチームに入るのも、義理に欠けるというものです。

 

(このように、悩み迷っているからあのような事態を招いてしまうことに……)

 

 そして、今、私の心を深く傷つけ、悩ませているのは──とある噂でした。

 それは私に関するもので、偶然耳にしてしまったのですが……

 

「あ~あ、〈リギル〉から誘われるなんて、ホントに羨ましすぎ。もう完全に勝ち組じゃん」

「なに、オラシオンのこと?」

「もちろんよ。なのにあの()……もったいぶってまだ決めてないみたいよ? ホント、ムカつくわ」

 

 廊下を歩いていたときに偶然耳にしてしまった噂話。

 その言葉が胸にグサリと突き刺さりましたが……

 

「い~や、あのウマ娘、〈リギル〉にいけない事情があるのよ」

「「え?」」

「──オトコ、よ」

「「ええ~ッ!?」」

 

(……え?)

 

 噂話をしていたウマ娘だけじゃなく、それには私も思わず立ち去ろうとしていた足を止めていました。

 

「なんでも、あるチームのサブトレが他のチームに『あいつはオレと深い関係にあるからウチで決まっている。他のチームは余計な勧誘をするな』って密かに広めてるらしいわよ?」

「なにそれ。優等生な顔しておいて……」

「え~、それってどこのチーム?」

「えっと確か、〈ポルックス〉とか──」

 

 ──途中から噂をしているウマ娘たちの言葉は私の耳には入ってきませんでした。

 いったい、なにが起こっているというのでしょうか。

 

「……な、なんですか。それは……」

 

 深い関係?

 いったい誰と誰が?

 もちろん私にはそのような関係の者はおりません。孤児院で育ち、兄弟姉妹のような家族のような情愛を抱く相手はいますが、それ以外の方とそんな親しい関係になったことなど……

 

「……ッ、ここは」

 

 そんなことを考えている場合ではないのに、トゲのように私の心に深く突き刺さったそんな噂話に悩まされ、学園の敷地内をあてどもなく悩みさまよっていた私は、気がつけば水辺のほとりにいました。

 池のようになっているその中心には、ウマ娘たちの信奉する三女神の像が立っています。

 

「やはり私は……迷いがあるときはここに来てしまうのですね」

 

 私は像の前でひざまずくと、胸の前で手を組み──そして祈りました。

 

(ああ神よ、三女神さま……その中の一柱であらせられるゴドルフィン様よ、迷える信徒をお導きください)

 

 私はどうすればいいのでしょうか。

 〈リギル〉に入るべきか、それとも別の道を選ぶべきか。

 勝手に想い人を捏造され、根も葉もない噂という悪辣な行いに、私はどう対処するのが正解なのでしょう。

 その〈ポルックス〉のサブトレーナーという方に心当たりはありませんが、やたらと馴れ馴れしく接してくる、俗に言う“チャラい”男性トレーナーに絡まれたことがあったのは確かです。

 異性慣れしていない私は強く断ることができず、持っている神官位から悩み事を聞く感覚でその方の話を聞いていたのですが……

 

(まさか、それでこのように言われてしまうなんて)

 

 隙をつかれた、とも言えるでしょう。いかにも異性慣れしていそうなかのトレーナーなら()()()()()()()のも得意でしょうし、それをさも事実として広めることも可能でしょうから。

 

「ああ、もう。本当にどうしたら……」 

 

 私はもう一度、すがるような思いで祈りを捧げました。

 このままではチームはもちろんのこと、私の想う人さえも捏造されてしまいます。

 

(私にとって想い人がいるとしたら……)

 

 こうして祈ることを教えてくれた人でしょう。

 かつて──まだ母が生きていて、生まれ故郷で出会ったあの人くらいだと思います。

 あの人と出会ったから、こうして“祈る”ようになりました。

 祈ることで迷いを断ち、強靱な心で困難に立ち向かえる。そんな強さを手に入れられました。

 しかし、この問題に関しては──

 

(──ほどなく解決されるでしょう)

 

 どこからともなく……それは私の心の内から聞こえたものかもしれません。

 私ではない誰か他の声が、そう答えたのでした。

 

「い、今のは……」

 

 私の祈りに、呼びかけに答えてくださった女神様の言葉でしょうか。

 そう思って私が戸惑っていると……

 

「……あれ? 先客がいたんだ……」

「え?」

 

 横合いから不意に聞こえてきた声。

 それはウマ娘でもヒトの娘の声でもなく、男性の声。

 しかも学園内に多くいる男性トレーナーのような大人のそれよりも明るさと溌剌さという若さを感じさせる声で──

 

「あ、あなたは、ひょっとして……」

「き、キミは……」

 

 なによりもその声が私の心に刺さりました。

 さらにはまとっている雰囲気も──声変わりを迎えて変わってしまった声よりも遙かにそれを雄弁に語り──最後に分かれたあのときのそれをまざまざと思い出させ、私は思わず尋ねていました。

 

「渡海、くん?」

「クロ……?」

 

 彼の口からこぼれたあだ名(それ)を聞いて、私は確信しました。

 幼いころから一切変わらない、私の髪から彼がつけた、私たちだけのあだ名で──それを他の人が言うはずがありませんから。

 

 そのとき──神が吹かせ(たも)うたのか──強い一陣の風によって、周囲の木々から舞った桜吹雪が、私たちを取り囲んだのでした。

 

 そしてハッキリと感じたのです。

 私の物語が動き出そうとして脈動する、その大きな動きを。

 




◆解説◆

【A HorseGirl’s Prayer】
・元ネタは「馬の祈り」と言われているイギリスウェールズのある厩舎の片隅に貼られていたという作者不詳の詩のタイトル『 A Horse’s Prayer』から。
・主役であるオラシオンの名前の意味が「祈り」であるため、そこからとりました。
・なお、余談ですが……今章は元々「この優れたウマ娘に女神さまの祝福を!」というタイトルでした。
・これは「優駿」+「このすば」+「護くんに女神の祝福を!」というタイトルの合成です。
・内容も、三女神=サラブレッド3大始祖と捉えて、その中のバイアリータークが日本でほとんど血筋が絶えている(2021年のバイアリーターク系の種牡馬は種牡馬はギンザグリングラスとクワイトファインの2頭のみ)のを、「信者がほぼいない」として、オラシオンの祈りに応えて(勝手に)下界するという駄女神ドタバタコメディにしようと……と思っていたのでした。
・しかし間章1をアップしてから読み直して、「自分にドタバタコメディはムリ」と判断したため、ボツにして以前通りの路線と現在のタイトルに。
・しかし、第一章に引き続いて英語タイトルになってしまい、以降は日本語にしづらくなったという弊害が……

【“女神様よ、祈りを捧げます──”】
・二章第1話のタイトルは章タイトルの元になっている「馬の祈り」の詩の1行目……
  「To thee, my master, I offer my prayer.」
から。
・この詩、馬から飼い主へのお願いという内容の詩なので、それをウマ娘の三女神に対する祈りに変換しています。

川にお祈り
・小説『優駿』はオラシオンの生産者であるトカイファームの長男、渡海正博がシベチャリ川に祈っているシーンから始まります。
・オラシオンが生まれるシーンへとつながるのですが、その際に飼い犬にも子供が生まれており──本作の子犬が無事に生まれるように、というのはそれが元ネタです。

クロ
・第一章でも渡海がたびたび呼んでいたオラシオンのあだ名。
・これは原作でのトカイファームでの名前が「クロ」だったため、小説『優駿』で渡海正博がデビューしてからもたびたび「クロ」と呼んでいたのが由来。
・本作では基本的に、二人の時くらいしか、「クロ」と呼びません。

オラシオン
・本章の主役であり、本作オリジナルのウマ娘で、元ネタは宮本輝氏の小説『優駿』に登場する競走馬。
・青鹿毛の牡馬で、系統的にはマンノウォー系の血統。
・つまりは三大始祖で言えばゴドルフィンアラビアン系であり、“三女神=三大始祖”を採用している本作で、その中でも敬虔な信者という設定のオラシオンは「ゴドルフィンの信者」になっています。
・母子家庭で育ったのですが、母が早くに亡くなって身寄りもなく、孤児院に預けられたのですが、社会貢献活動でそこへ出資していた企業の経営者が「この娘は大成する」と養女に迎えて、トレセン学園の中等部へ入学。
・その大恩に報いるために、真面目に励み──才能を認められてデビュー前から注目を浴びるウマ娘になりました。
・外見は、青鹿毛の黒髪をセミロングにしており、前髪に白く小さめの白い星形の模様が一つあります。
・これは小説『優駿』では青鹿毛であること──以前も書きましたが、映画だと役者(役馬?)の座を勝ち取ったメリーナイスが栗毛だったのでそうなってます──や、顔に綺麗な星形の白斑があることが元ネタです。
・“オラシオン”というのはスペイン語の「祈り」という言葉なので信心深く、神官位を持つほどに敬虔な信徒になっているのは、そこから。
・そのため、性格的にも落ち着いていて真面目、という設定になっています。
・しかし、デビュー前のこの時点では本人も含めて気付いていないのですが、「実はレースになると苛烈になる」という本性があり、それは原作準拠の性格です。
・なお、愛称は↑のように渡海だけ条件付きで「クロ」と呼びますが、他はだいたい「シオン」と呼んでます。以前から付き合いのあるミラクルバードだけは「オーちゃん」と呼んでますが。

〈ポルックス〉のサブトレーナー
・久しぶりに登場した、チーム〈ポルックス〉。
・胸糞悪いエピソードはたいてい押し付けられてしまうチーム。
・今回のエピソードは……『優駿』でオラシオンを担当するのは砂田調教師という人でその厩舎に入るのですが、その前に増矢調教師の厩舎に入りかけた経緯があります。
・この増矢という人物、問題のある人で馬主や生産者を騙して小狡く稼ごうと企て、それが馬主の和具氏にバレて愛想をつかされて砂田厩舎にお世話になることになった、という経緯があるのですが……
・で、増矢調教師の息子が騎手で──この増矢騎手もこれまた性格がクソで、和具社長の娘に一方的に惚れているだけなのに「アイツはオレにぞっこんで、結婚する予定だ」と周囲に言いふらすようなクズでした。
・さて、こんなクズエピソード、どうやって使おうか、と考えていたら、「そういえば第一章でクソなチームあったな」と思い出し、〈ポルックス〉の再登場となりました。
・あのときに先代メイントレが復帰して、その弟子だった担当トレーナーがサブトレに降格していますが、その体制のままになっています。ですので、ここでいう“サブトレ”とは、第一章でダイユウサクをバカにしていたあのチャラいトレーナーのこと。
・メイントレはまともな人なので、このサブトレの流した噂を後に知って驚き、オラシオンに謝罪しています。


※次回の更新は2月14日の予定です。  

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