それは私がまだ中央トレセン学園の中等部に入学して数ヶ月、といったころのことでした。
その日、私は養父に連れられてレース場に来ていました。
トレセン学園入学前から私は養父に連れられてこのようにレース場に足を運び、トゥインクルシリーズのレースを共に見ていたのです。
だからこそこの世界に魅せられ、あこがれ、この道に進んだ……というふうに養父の影響を大きく受けているのですが。
そして、それはこの日に開催されたレース──高松宮杯でのことでした。
「ダイユウサクううぅぅぅッ!!」
「コスモドリームううぅぅぅぅッ!!」
かたや栗毛の髪をショートカットにしているウマ娘。
かたや鹿毛の長い髪を後ろに流しておでこが強調されている髪型のウマ娘。
そんな二人が鎬を削り、熱いデッドヒートを繰り広げていたのです。
「あの二人……どうして?」
その様子に、私はそう思ってしまいました。
なぜならそれは優勝を争うわけではなく、もっと下の順位を争っていたものだったからでした。
しかしそれでも──
(順位なんて関係ない! 負けられない理由がある!!)
二人──特に鹿毛のウマ娘の目が雄弁に語る強い思いに、私は魅せられ思わず見入ってしまっていました。
全力で走るショートカットのウマ娘からは不思議なオーラのようなものが立ち昇り、それを吸収するようにもう一人へと吸い込まれたかと思えば、次の瞬間にはそちらもまた同じようなオーラを出して──競い合う二人。
そして二人はゴール板を通過します。
……結果は、鹿毛のウマ娘が7着。そしてそのウマ娘が最後に抜かしたのが一人間に入って、栗毛のウマ娘が9着、という結果でした。
私は、そのレースの結果よりも彼女たちが抱いて走った強い願いに惹かれ……思わず祈っていました。
「三女神様、どうかあのお二人の願いを、聞き届けください……」
──それが私がそのチーム、〈アクルックス〉とそれに所属するダイユウサクさんを初めて目にしたレースでした。
もちろんこの時は、私がそのチームにはいることも、そのダイユウサクさんがまさか有馬記念を制することになるなんて、夢にも思っていませんでした。
僕がトレーナーを目指した動機について、故郷でのことが大きいのは間違いない。
家の近所にいた、ウマ娘の親子。それも母子家庭の親子だった。
母親の方は病弱だったみたいで、それでも母子家庭だったから一生懸命働いていたらしく、僕もあまりその姿をよく覚えてはいない。
でも、娘の方はよく覚えていた。
一見して大人しそうだけど、親しみやすい。
そんな、川に向かって祈っていた僕に声をかけてきた黒髪のウマ娘を、僕は「クロ」とあだ名を付けて呼んだ。
彼女は嫌がることなく、それどころか僕がその名を呼ぶと嬉しそうな顔をしてくれて──二人で一緒によく遊んだ。
そんな僕らに、唐突に別れが訪れた。
彼女の母親が──亡くなってしまったのだ。
母子家庭だった彼女──“クロ”を引き取る親戚もいなかったらしい。
「クロを助けてあげてよ!!」
僕は「自分のご飯を半分にしてもいいから」と両親に訴えたが……今にして思えばそういう問題じゃない。
やっぱり自分の子供を抱えながら、さらにもう一人他人様の子供を引き取るというのは難しかったらしく、うちの親も彼女を引き取ることはできず──“クロ”は孤児院に預けられることになった……らしい。
なぜ推測かといえば、そこで僕と“クロ”は別れたからだ。
僕の家と、“クロ”が引き取られた孤児院は距離的にかなり離れていて、その様子が全く分からなかった。電車やら飛行機やらを乗り継がないとたどり着けないような遠くだった、と親からは説明されたし。
遠い遠い場所に行ってしまった“クロ”。
でも、彼女のことは僕にハッキリと大きな影響を与えてくれた。
彼女とのふれあいがあったからこそ、彼女たちウマ娘について興味を持ったし、彼女たちの“競走”という競技に興味を持った。
ウマ娘ならざる僕が、その競走に関わるのに──トレーナーという存在を知り、そして目指すこととなった。
……たとえそれが、ひどく困難で険しい道だったとしても。
そうして僕は、彼女がきっかけになってできた道を通り……トレーナー候補生として中央トレセン学園のスタッフ育成科へと進学することができた。
「なるほど。
中央トレセン学園の三女神像の前で、久しぶりの再会を果たした僕と“クロ”──ことオラシオン。
ここに来るまでの経緯を僕が話し、彼女はそれを興味深そうに聞いていた。
ちなみに最初こそ、子供のころのように「渡海
「でもまさか、あのオラシオンが“クロ”だったなんて……」
彼女を見ながら苦笑する。
トレセン学園のスタッフ育成コースに入学してからそれほど経っていないけど、それでも来年デビューする目玉のウマ娘として“オラシオン”という名のウマ娘のことは新入生の僕らのところまで届いていた。
目下のところ、彼女がどこのチームに所属するか、ということで学園内では話題になっていたし、たとえ高等部の新入生の中でさえも例外じゃなかった。
だから僕は、“オラシオン”という優秀なウマ娘の存在を知っていた。学力も運動能力も優秀で同学年に並ぶ者がいないほど、と。
まさかそれが、遠い昔に離ればなれになった幼なじみだなんて想像できるはずもなかった。
「そんな。私はただ目の前のことを頑張っているだけですから。ぜんぜん優秀ではないので、必死になるしかなくて……」
「そんなことない。優秀じゃなかったら、〈リギル〉から誘われたりなんてしないんだから自信を持ちなよ」
謙遜も過ぎれば……なんて言葉もある。
それに、自分の実力を見誤っているようでは他のライバルの力量を推し量ることさえできない。
自意識過剰が論外にしても、過ぎた謙遜による自己の過小評価も目を曇らせてしまう。
でも──僕の挙げた〈リギル〉という言葉にクロの顔は陰った。
それに気がつき、同時に彼女がチームを決めていないという話を思い出した。
「……やっぱり噂通り、まだチームを決めていないんだね?」
「噂? ……あなたが聞いた噂話って、どんなものなのでしょうか?」
彼女の陰った表情に、さらに不安が広がっていくのがわかった。
そんなに気にするなんて……ひょっとして、変な噂でも流されているんだろうか。
「僕が聞いているのは、オラシオンって優秀なウマ娘が、一流チームの〈リギル〉に誘われている、ってくらいだけど?」
中等部からいるウマ娘たちと違って、高等部からスタッフ育成コースへと入学した僕のような存在は、学園内のアンテナがまだまだ低い。
それを説明しながら、そう話すと──“クロ”は「そう……」と力なくつぶやいて、そっと息を吐いていた。
それが安堵のため息のように、僕には思えた。
「僕が聞いているのは、オラシオンって優秀なウマ娘が、一流チームの〈リギル〉に誘われている、ってくらいだけど?」
彼の答えに私は「そう……」とつぶやきながら思わずホッとしていました。
(よかった。あの〈ポルックス〉の噂は、まだ聞いていないみたいで……)
あの根も葉もない噂を、幼なじみの彼に聞かれるのは本当に嫌だと思いました。
とはいえ……彼もこの学園で学ぶ者の一人である以上、いつかはきっとそれが耳に入ってしまうと思います。
そうしたら、どう思われるか……
(噂を信じてしまうでしょうか。それとも、私がそういうウマ娘ではないと信じてくれるでしょうか)
幼なじみなら、私が見ず知らすのトレーナーと深い仲になるような不埒なウマ娘ではない、と信じて欲しいとは思います。
でも何年も会っていなかった間柄でもあります。
その長い年月で、私が変わってしまったと思われるかもしれませんし、逆に私のことを信じてくれると思っている彼が変わってしまった可能性もあります。
不安になって私はチラッと彼を盗み見たのですが──
「チーム選びか……僕も同じような悩みを抱えているんだよ」
「どういうことですか?」
「高等部のスタッフ育成コースで、トレーナー志望は研修を受ける必要があって、研修生として受け入れてくれるチームを探さないといけないんだ」
競走科の私はスタッフ育成科について詳しくありませんので、それは初耳でした。
渡海さんの説明によれば、トレーナーになるのは狭き門なので育成科の時点で数が少なく、そのせいで実状があまり知られていない、ということでした。
「……渡海さんは、どこで研修を受けたいんですか?」
「それはやっぱり、
そう言って彼は目を輝かせながら答えてくれました。
「それってやっぱり……」
「ああ、もちろんさ。去年の有馬記念を制したオグリキャップの育ての親だからね」
六平 銀次郎。
数多くの有力なウマ娘を育て上げ、《フェアリー・ゴッド・ファーザー》の異名を持つ名トレーナーとして有名な方です。
彼が言ったように、近年ではあのオグリキャップさんが笠松から中央に来た際に担当したのが有名でした。
そしてオグリキャップさんと言えば、昨年末の有馬記念で見せたラストランでの奇跡の勝利です。
あの姿に憧れないトゥインクルシリーズ関係者はいないと思います。
それなら納得できます──
「あとは、天才トレーナーの奈瀬 文乃さんとか……」
……む?
今度は《王子様》の異名を持つ、若手トレーナーの最高峰と言われる人の名前でした。
オグリキャップさんの同級生でライバルのスーパークリークさんの担当トレーナーだったのも有名ですし、なによりも見た目が美人で……
「あのチーム、去年サブトレーナーが独立したって噂も聞いたから、機会はあると思うんだけどね」
「へぇ、そうですか……」
ふむ……なるほど。
でも天才という方達は、独特の感性をもっていらっしゃるようですから気難しい方が多いと聞きますし、果たしてそう簡単に奈瀬トレーナーが研修生を受け入れてくれるでしょうかね。
まして、天才ゆえに普通の人には理解できないような感覚で思考を巡らせるので、結論は聞けても、そこに至る論理が分からないということになりかねません。そうなると研修先としては非常に不適ということになるわけで──
「……クロ? どうしたの、いったい?」
「え? なにがでしょうか?」
「いや、なんか急に難しい顔になって眉間に皺寄せて考え込んで、僕の話も聞いていないみたいだったから」
「聞いていましたよ? 奈瀬トレーナーのところで研修したいんですよね? 確かに非常に優秀な方で多大な結果も残していますし、あのチームから独立したトレーナーがいたという話は私も聞いています」
チーム選びをしているからこそ、そういった情報も私は集めていました。
その新設チームのことも調べたんですが、どうやら所属ウマ娘が一人しかいないソロチームのようで、新メンバーの募集も熱心ではないようなので選択肢から外したのですが。
「さすが、中等部からだとそういう情報にも詳しいんだね」
「そ、そんなことありません。やっぱり私もチームを探しているので……」
「じゃあ、協力しない?」
「え……?」
私は驚いて彼の顔を正面から見つめてしまいました。
「たまにこうしてここ──三女神像の前に集まって、お互いに集めたチームの情報を共有しないかな、と思ってさ。といっても……学園に詳しいクロの方が集めてくる情報が多くなっちゃうだろうけど」
そう言って彼は苦笑を浮かべます。
そして申し訳なさそうに、「頼るようになってしまって申し訳ないんだけど」と続けました。
「……わかりました。学年では一つ後輩ではありますけど、中央トレセン学園の歴という意味では2年の経験がある私の方が先輩ですからね」
私が「クスッ」と笑いながらそう言うと、彼も苦笑を安堵した笑みへと変えてくれました。
「よかった。研修先はなるべく早く見つけないといけないのに、情報がないから本当に困っていたんだ」
「そういう事情なら、なおさらですよ」
私は高等部までデビューする予定がありませんから、そこまで切羽詰まっているわけではありませんし。
彼のチーム探しを手伝っていれば情報も集まりますから、自分にもあったチームが見つかるかもしれません。
「渡海くんにピッタリの研修先が見つかりますように……」
私は胸の前で手を組み、三女神の像へと祈りを捧げました。
そして願わくば──同じチームで活動できますように。
……幼いころからの知り合いという気心の知れた相手の方が、お互いにやりやすいですもんね。
それからまもなくして──私は、あの現場に遭遇しました。
渡海さんを含めたチーム選びで悩む私は、その日も三女神像へ祈りを捧げ──導かれるようにして遭遇した、とあるウマ娘同士の喧嘩の現場。
そこで垣間見た彼女とトレーナーの絆を見て……
(これです!)
“今年以内に必ずGⅠをとる”という、自分を追いつめる約束。
それは、自分自身を──そしてパートナーであるトレーナーを信じていなければ絶対にできない約束です。
しかもそれに自分の人生を賭けるという、その姿勢に絶対な信頼関係を見ました。
(この二人の関係こそ、私にとっての理想……)
とあるチームのサブトレーナーとの関係に関する誹謗中傷に心を痛めていた私にとって、その二人の関係がとても輝いて、そして眩しく見えました。
(このチームなら……)
私は心打たれ、そしてこれこそが三女神様が与えてくださった“天啓”に間違いないと確信しました。
直後に、やってきた渡海さんに相談して、それからこのチームのことを調べ──
(知れば知るほど、間違いありません……)
まさに私たちにとって好条件が整っていたチームでした。
少人数……というよりも所属している競走ウマ娘はたった一人しかいないソロチーム。
しかしメンバー募集は行っています。
さらには競走ではなく、サポートスタッフとして、数少ない私の知り合いのウマ娘が所属していました。
「オーちゃん、悩んでいるならウチのチームに来ない?」
以前……それこそ昨年末から今年の頭のころに、悩んでいた私にその方は声をかけてくださっていました。
(──ミラクルバード先輩)
私の養父と彼女の父親が知り合いという縁で、学園に入学する前から付き合いのある親しい先輩です。
私が入学する以前、将来を有望視されていた彼女はクラシックレースに出場したのですが、その初戦である皐月賞で大事故を起こしてしまい、その後遺症で今も下半身が動かないそうです。
競走ウマ娘だった彼女は、現在は競走科からスタッフ育成コースへと転科して、そのチーム──〈アクルックス〉を支えている方でした。
「ウチのチームは、トレーナーはちょっと変わったところもあるけど良い人だし、見る目も確かだよ。なによりメンバーが一人しかいないから人間関係で悩むことないし」
そんな過去があるのに、それを全く感じさせない明るい笑顔を浮かべて、彼女は誘ってくださいました。
「……まぁ、その唯一いるメンバーから嫌われなければ、ね。大丈夫だよ。うん」
少し視線を泳がせ気味に言ったその言葉は、若干気になりましたが。
ともあれ、声をかけてくださっていたということもありますし、なにより私を心配してくださった先輩のその気持ちがうれしかったのです。
(それに……私の事情も理解してくださっていますし)
養父の経営している会社が、倒産の危機にある。
それが素直に〈リギル〉のお誘いを受けなかった理由ですし、その事情を親同士のつながりのおかげでミラクルバードさんも知っていましたから。
さらには、〈アクルックス〉は小さなチームなので、サブトレーナーも研修生も抱えておらず、渡海さんの研修を引き受けてくださる可能性が高かった、というのもありました。
私が加入してもまだ2人なうえ、私のデビューは次の年の夏以降でしたし、それに渡海さんを抱えたとしても、チームの負担は軽く済むはず。
現状で一人だけ所属している先輩──ダイユウサクとおっしゃられるウマ娘の方の邪魔になることも、ないでしょう。
私と渡海さんはそう思って、この天の南極にもっとも近い一等星の名のチームの門戸を叩きました。
幸いなことに、〈アクルックス〉の担当の乾井トレーナーは厳しくも優しい言葉で私たちを受け入れてくださいました。
そして──当初、私たちが
〈
それは、加入させていただいた年の、その年末のこと──
『ダイユウサクだ! ダイユウサクだ!
これはビックリ、ダイユウサクーッ!!』
それは去年のオグリキャップ先輩が起こしたものに続く二年連続の“奇跡”。
勝利を願いながらも、それはないと諦められていた昨年と違う、全く予想外の──誰も勝つと思っていなかった先輩が掴んだその栄誉に、私は心打たれました。
その結果に、メジロマックイーン先輩の勝利を信じていた多くの人は唖然としていましたが──ダイユウサク先輩とトレーナーだけは、その勝利を諦めていませんでした。
(それに……)
先輩の背中には、多くの願いが集ったのです。
あの人がここまで歩んできた──30戦以上に及ぶ積み重ねによって得た縁による先輩への期待と希望……
その思いの強さが、あのマックイーン先輩さえも寄せ付けないラストの加速を生んだように、私の目には見えました。
「………………」
私は、思わず胸の前で手を組んで、祈りました。
そんな大勢の人達の願い……祈りが成就したことへの祝福と、そして私も彼女のように──多くの人の願いを背負って走るウマ娘になりたい、と。
◆解説◆
【“安らかなる環境を与え賜え──”】
・これもまた「馬の祈り」の詩からで──
Provide me with a clean shelter, a clean dry bed
And a stall wide enough for me to lie down in comfort;
から。
・タイトルにする関係で短くするため、かなり意訳になってます。
【亡くなってしまった】
・小説『優駿』で、競走馬オラシオンの母馬であるハナカゲは、オラシオンがデビューする前に死んでしまいます。
・シナリオ上、馬主にあたる養父の娘にする必要性があった──その人の隠し子とか非嫡出子とするのは余計な話が増えそうなので却下──ので、それとも整合性がとれそうなので、母親死去→孤児→養女という流れになりました。
【あの現場に遭遇】
・第一章の第60話、62話のこと。
・金杯(西)で初めてダイユサクが重賞制覇した際に、乾井トレーナーが初めて担当したものの道半ばで学園を去ったパーシングがそれに気づいて、トレーナーに嫌味を言いに学園へ来訪。
・その現場を見たダイユウサクがブチ切れて、今年中のGⅠ制覇を宣言し、できなければなんでもやってやると啖呵を切る。
・パーシングもそれに対し、どうせ泣きを入れると思って過激な条件を出したら、売り言葉に買い言葉で約束が成立してしまった。
・──というシーンでした。だいたい。