「──で、アンタいったい誰よ?」
そう不機嫌そうに尋ねたのは、我らがチームのボスであるダイユウ先輩。
しかしその絵面は、台車の上に鎮座したダンボール箱に向かって話しかけるという珍妙なもの。
さすがにその姿には笑いそうになるけど──さっきあっしらを驚かせた元凶がその箱の中にいると思えば、そんな気持ちも吹き飛ぶわ。
で、その元凶さんはといえば──
「パイセン。気持ち分かりますけど殺気出し過ぎ。箱の中の不審者、ビビりすぎて箱が小刻みに震えてんスけど」
あっしが言うと、ダイユウ先輩は無表情でこっちを見つめてくる。
なにその無言の圧力。怖いんですけど。「文句言うなら、アンタが尋問しろ」って雄弁に語りすぎ。
ああ、仕方ない。明らかに面倒な相手だけど、こうなったからには腹を括るしか──
「落ち着け、ダイユウサク。それについてはオレが話をすでに聞いている」
覚悟を決めたところで、さっきの大騒ぎの火付け役だったトレーナーがやんわりとダイユウサク先輩に話しかけた。
それであの人も少し落ち着いた様子になる
(……ああ、ダイユウサク先輩の相手はトレーナーに任せればとりあえず大丈夫ってワケね)
このチームのルールが少しだけ理解できたわ。
とまれ、話に入った乾井トレーナーは背後を振り返る。
そこには若い女性トレーナーがいて──って、ダイユウ姐さん、それ見て剣呑な空気まとってんじゃん。鎮火どころか完全に別のことろに延焼して火の手あがってるじゃん。
「……出てきなさい、ターキン」
その女性トレーナーはダイユウサク先輩に気づかなかったのか、あえて無視したのか、ダンボール箱へと優しく声をかけ──すると、その上部が恐る恐るといった様子で開いた。
細い手が現れて、頭の上にぴょこんと立った耳が見え、続いてふわふわと広がり気味の鹿毛の髪、整った顔立ちながらオドオドした怯えMAXの表情が見え……
そうして明らかにビクついた及び腰な姿勢で立ち上がり、尻尾は小刻みに揺れている。
そこにいたのは、ウマ娘だった。
「えっと、その、ぁぅぁぅ……」
小刻みにダンボール箱が揺れていたのは、このウマ娘自身が恐怖で震えていたからなわけで、ダンボールという衣が外れたせいでその怯え具合はさらにヒドくなっているっぽい。
「ターキン、落ち着きなさい。私がいるんだから……」
半腰のそのウマ娘に、さっき呼びかけたトレーナーが近寄って、軽く抱きしめた。
それで少しは落ち着いた様子で、震えが多少マシになる。
(そこまでされてるのにまだ震えてるって、どんだけ臆病なんだって話よ……)
雰囲気的に年上じゃないかなと思うけど、さすがにあっしもそのウマ娘には呆れさえ感じるわ。
で、そんな彼女を見て──
「あれ? キミってひょっとして……」
気がついたのはミラクルバード先輩だった。
そんな先輩の様子に、
そして彼女はミラクルバード先輩……ではなく、ダイユウサク先輩に向かって頭を下げた。
「あ、あのあの……お久しぶりです、ダイユウサクさん」
「──アンタ、誰よ?」
現実は無情である。
訝しがるような目でダイユウサクに見つめられ、彼女の表情は絶望に染まったワケで。
今にも泣き出しそうな顔になった彼女は再びダンボール箱の中に戻りかけ──
「ダイユウ先輩、覚えてないの? ほら、有馬記念の前の阪神レース場新装記念で一緒に走った……」
「ゴメン、覚えてない」
バード先輩が苦笑混じりでやったフォローを、ダイユウ先輩は無情にも叩き潰した。
案の定、そのウマ娘は「ヒュン」と音をたてるような勢いで、再びダンボール箱へとその身を隠す。
(……うわ、めんどくさ)
分かってはいたけど面倒くさい、このウマ娘。
というか、ダイユウ先輩も愛想の欠片もなさ過ぎでしょ。わざわざ気がついたバード先輩の方じゃなくて、一緒に走った縁を頼りに先輩の方へ話しかけたのに。
で、その「ターキン」って呼ばれた隠れたウマ娘は、再度その女性トレーナーに促されて立ち上がり、その姿をさらす。
あっしやシオンの視線にさえ、怯えてビクビクしている様子だし。
それに苦笑しながらも、話を進めようと乾井トレーナーが進み出て──
「で、改めて紹介するが、レッツゴーターキンだ。今回、うちのチームに入りたいと希望があって……」
「──ハ?」
いや、だからダイユウパイセン、殺気出し過ぎ。
あっしの背筋にも冷たいもの流れたけど。
シオンもビビってるし、慣れてるのかバード先輩は苦笑で済んでるけど──レッツゴーターキンさんってウマ娘は、泡吹いて失神しそうな勢いでビビりまくってますけど?
「トレーナー、ターキンって、それこそオープンクラスだよね? そこまで来てるのに、こんな時期にわざわざチーム移籍するの?」
一人だけ落ち着いてるミラクルバード先輩が、疑問をぶつけて、チラッと女性トレーナーの方を見た。
う~ん、確かに……先輩が彼女をチラ見するのも分かる。
そのレッツゴーターキンというウマ娘がもしもオープンクラスのウマ娘──怯えっぷりからとてもそうは見えないけど──ならチーム移籍をするというのはかなりの切羽詰まった事情があるのは間違いない。
そこまで上がったら、普通はチームもトレーナーも手放さないし、ウマ娘側にしたって環境の変化はリスクになるし。
真っ先に考えられるのは、トレーナーと修復不能なくらいに関係がこじれたってこと。
でもそれだと、この場にそのトレーナーがいるはずがないし、さっきからレッツゴーターキン先輩が彼女を頼りきっている姿の説明も付かない。
「あ~、それについてなんだが……」
「私に原因があるのよ」
答えづらそうにしながらも答えようとした乾井トレーナーを遮って、女性トレーナーが言う。
思わず乾井トレーナーは彼女を見たけど、それに頷いて説明し始めた。
「……実は私、妊娠しちゃって」
「え? それって乾井トレーナーのお子さんでしょうか?」
は? シオン、アンタ突然なに言っちゃって──
──ブワッ!!
ひぃッ!?
一気に部屋中に満ちた殺気に、あっしは思わず悲鳴をあげそうになる。
さっきのなんて比じゃないくらいの強烈な……
「……違うわよ。安心なさいな」
苦笑混じりに、チラッとダイユウ先輩を見る女性トレーナー。
それで強烈なプレッシャーは一瞬で霧散した。
ハァ……殺されるかと思ったわ。これは文句を言わざるを得ない。
「シオン……アンタ、も少し発言に気をつけるべきだわ」
「ご、ごめんなさい……」
不用意な発言は死を招くってのはまさにこのこと。
台詞の選択肢一つ間違えたらワンクリックで即デッドエンドとかどんなクソゲーよ。
往年のアドベンチャーゲームの方が即死しないだけまだ優しいわ。
ふぅ~、気を取り直して……って、えっと? あれ?
「だから私は──」
「あの、トレーナー。それに乾井トレーナーも……肝心のターキン先輩、失神してるんですけど?」
──なお、先程のダイユウサク先輩が放ったプレッシャーに、どうやらレッツゴーターキン氏は耐えられなかった模様。
なんというか──このレッツゴーターキンさん、メンタル豆腐過ぎて話がブツ切れになりっぱなしなんだけど。
ともあれ、この人のトレーナーの女性が介抱して、どうにか意識を取り戻したけど。
そうしてその女性トレーナーが気を取り直して、やっと事情を説明し始めたわけで──
「──それで、私は産休に入らないといけなくなったってわけ。ターキンはクラシックにも一緒に挑戦したし、最後まで面倒見たかったんだけど……さすがにそこまでは、ね」
あ、やっぱりこの
……メンタル
産休の後には育休があるのは定石。そうなれば結構な長期休養になるのは間違いないわ。
それまでターキン先輩が待ってるわけにもいかないし……ま、しゃーない。
「それで引き継いでくれる先を探そうと考えていたら、本人から『〈アクルックス〉がいい』って話を聞いて……珍しく彼女が自己主張したから、叶えてあげようと思ったのよ」
「えぅ……は、はい…………」
女性トレーナーの説明を受けて、ターキン先輩は頭を下げ、そしてチラチラとこちらの反応を伺っている。
そんな反応を面白く思わなかったのか、それでも不機嫌さは多少下がった様子のダイユウ先輩が面白くなさそうに尋ねる。
「なんで、〈
それにビクッと反応したターキン先輩は、一度、女性トレーナーを振り返った。
察するに、あの人から説明してほしくて救いを求めたんだろうけど……女性トレーナーは苦笑しながら、ターキン先輩に説明するように、無言で促す。
ま、そりゃそーだ。ここは自分の言葉で説明する場面でしょうね。
「……阪神レース場新装記念で、御一緒したときに、ダイユウサクさんがとても輝いて見えたんです。私なんて全然かなわなかったし、すごく速かったし……」
思い出すように始めたターキン先輩の話を、ダイユウ先輩はジッと聞いてる。
阪神レース場新装特別って……ああ、ダイユウ先輩が有馬記念の前に走ったオープン特別ね。
そこで勝ったから、推薦枠をもらえたっていう──
「で、そのすぐ後に有馬記念に出走するって聞いて、だから応援していたんですけど……ほんとに、あのレースの走りがすごかったから、私、興奮して……私も、もっとがんばりたいって思ったんです。ダイユウサクさんみたいになりたいって……」
萎縮しながらも、ハッキリと答えるレッツゴーターキン先輩。
あ~、その気持ち分かるわ~。
だから、あっしもこうして〈アクルックス〉に入ったわけだし。
この先輩も重賞走ってガンガン結果出すような一流どころには見えないし、その辺りの事情は一緒だわ。
例えば──ダイユウ先輩の前年にあったオグリ先輩の有馬制覇は、日本中が感動したって言われてる。
でも、それに一般の人たちと同じように感動して憧れても、あっしらみたいな一流じゃないウマ娘は時間が経てば経つほど冷静になって、熱狂からは一線を引いてたところはあった。
なぜならそれは──どこか“自分とは違う”って考えが頭のどっかにあったから。
(地方での好成績引っ提げて中央に殴り込んで、その上さらに結果出してたような
笠松で12戦10勝。中央来てからも重賞で活躍して毎年のように表彰されてた存在と自分を重ねられるヤツなんてそうそういるわけがない。
だから言ってみれば他人事で、完全な傍観者視線。観客の皆さん達と一緒の感覚ですわ。
(でも、あのダイユウ先輩の有馬制覇こそ、あっしらみたいなウマ娘に夢と希望を与えた──)
勝つと思っていなかったウマ娘が勝った。
それだけならまだよくある話。それこそ前年のオグリ先輩がそうだったワケで。
だけど、あの現役最強ステイヤーにして天皇賞(秋)の“真の覇者”と言われているメジロマックイーンを“記録上の覇者”プレクラスニーごと、
(あんな光景、シビレない方がおかしいわ)
しかもそれを成し遂げたのは、誰も歯牙にかけていなかったそれまで重賞をたった一度しか勝ったことのないウマ娘よ?
それを見た一流どころのウマ娘さん達は「なんでマックイーンが負けるんだ?」って考えるところなんでしょうけど──
(けど、あっしら二流以下は違う)
その勝ったウマ娘、デビューは遅れに遅れて同期がクラシックレースのエリザベス女王杯やら菊花賞を争ってたような時期。
おまけに、そこまで遅らせたのに17秒というありえないタイムオーバーをするような体たらく。
(こんなの知ったら誰でも思うわ、自分の方がマシだろ、って……)
それはターキン先輩みたいなデビュー済みの皆さんはもちろん、あっしみたいなデビュー前のウマ娘だって「いくら何でももう少しマシなデビューになるわ、さすがに」って思う。
(……というか、それ以下のデビューとか考えたくないわ。わりと、マジで)
でも、それを逆に言えば──デビューでそれだけ大失敗しようとも、そこまで上り詰められるってこと。
今はドン底でも、デビューの光明さえ見えないような状況でも……ガンバり続ければ、栄光をつかめるかもしれない。
(なぜなら──それを雄弁に語ってみせたウマ娘が、実際に現れたんだから)
そう思いながら、ダイユウ先輩を見る。
かくして、誰もが認める超一流の勝ち組ウマ娘を相手に、ドン底スタートの落ちこぼれウマ娘が起こした下克上は、デビュー前後を問わず、非一流ウマ娘たちの心を熱く燃やしたというワケ。
(ま、当の本人はその自覚、無いんでしょうけど……)
確かにこの前の
そしてなによりも──そんなダイユウ先輩を育てた〈アクルックス〉のトレーナー・乾井 備丈の株も急上昇するのは当然のこと、ってワケ。
こっちも本人は自覚なさそうだけど。
「さて、事情は皆分かったと思うが、改めて言わせて欲しい。レッツゴーターキン──」
「は、はい……」
そんな乾井トレーナーに声をかけられたターキン先輩は、振り向きながらパッと顔を輝かせる。
ま、あこがれのカリスマトレーナーに声をかけられて、舞い上がる気持ちは分からなくもない。
……それ見て不穏な気配を放つ先輩の姿がなければ、だけどさ。
「気持ちは分かったし、オープンクラスにまでなったキミがそこまで評価してくれるのもありがたいと思うし、受け入れたいと思う」
「あ……」
その表情が歓喜に包まれようとしたが──乾井トレーナーが待ったをかけた。
「だが、〈
「う……条件?」
「そうだ。これさえ達成してくれれば、オレはキミを歓迎する」
ターキン先輩の訝しがるような目に、乾井トレーナーは真摯な目で応える。
「どんな……ですか?」
「キミの予定されていた次走は谷川岳ステークスと聞いているが……」
乾井トレーナーの確認にターキン先輩は小さくうなずき、それでも自信がないのか、女性トレーナーの方を不安げに見た。
それを見て彼女は──
「ええ、間違いありません」
と、うなずく。
それを見て乾井トレーナーは──
「そこまでオレがきっちり面倒見るが、その谷川岳ステークスで勝利すること。それがチームに入る唯一絶対の条件だ」
そんな条件を出され──ターキン先輩は、悲壮な表情を浮かべて完全に固まっていた。
……いや、普通のオープン特別だよね? そのレース。
重賞じゃないんだし、そこまで絶望しなくても……
◆解説◆
【Let's go! Start!! 駆け抜けて 今のこの時代を 】
・今回はメジロマックイーンの持ち歌『はじまりのSignal』のイントロの歌詞から。
・「go」と「Start」の間に「!」を入れて少し変更してます。
・彼女の同期であるレッツゴーターキンが改めて再起する決意を込めて、という意味でこのフレーズ。
・そんなわけで、暫定的にレッツゴーターキンがチームに入りました。
【ターキン】
・まさかの再登場&チームメンバーに立候補、のレッツゴーターキン。
・基本的に〈アクルックス〉のメンバーは『架空馬モデル』か『大穴で勝利した実在馬』をモデルにしたウマ娘が対象(に気が付いていたらなっていた)です。
・そんなわけで、92年の秋に奇跡を起こした彼女はもちろん対象になってるわけで……
・改めて──第一章の第73話『大奇策! 遠回りこそが最短の道』で登場したウマ娘で、同名の史実馬をモデルにしたオリジナルのウマ娘です。
・この話の舞台になったのは、阪神レース場新装記念……史実で1991年12月7日に開催された阪神競馬場新装記念がモデルになったレースです。
・そこでダイユウサク以外に描ける視点として選んだのが彼女だったのですが──元々、馬名が語感で好きな馬だったので気に入ってしまいました。
・ただ、こうして出してしまったし「他のトレーナーついてるしな」と諦めていたのですが……
・外見的には以前の登場でも言及したアニメ2期第6話11分付近に出てくる、ナイスネイチャの少し後方を走るウマ娘……を基に、髪を少し長くした感じです。
【面倒くさい】
・史実のレッツゴーターキンは、見学ツアーで必ず放馬したり、オーナーズクラブの写真撮影するときも落ち着かずじっとしていられない、坂路に出すと放馬して厩舎に帰ってくる、という問題児……とんでもない気性難で有名な馬でした。
・しかし、担当した調教師の橋口氏はターキンの気性について、実際に騎乗して「繊細で、臆病である」としながらも「気の悪さはない」と、気性難の原因を理解していました。
・という感じで、やっぱり臆病な面が目立つ性格なので、ダンボール箱に入っての登場だったのです。
・なお、ダンボールと台車は部屋の中にあったのを適当に使ったのだと思われます。
【先輩】
・競走馬レッツゴーターキンは1987年生まれでメジロマックイーンやライアン、パーマー、アイネスフウジンと同い年です。
・ウマ娘になっていない競走馬で言えばプレクラスニー、ヤマニングローバル、ホワイトストーン、メルシーアトラ、それにダイイチルビーといったところでしょうか。
・そんな同期でウマ娘になっている中で一番縁が深いのはメジロパーマーですね。何度か同じレースで走ってますし。
・ターキンの大金星も、ある意味パーマーのおかげでもあるわけで……
【長期休養】
・すでにトレーナーを登場させてしまっていたターキンを、問題なく別のチーム&他のトレーナーに任せるのにはどうしようか、と寝る間も惜しんで熟睡した結果に思いついたのがこれ。
・産休から育休に入るのは当然の流れですし、そうしている間に担当していたウマ娘達はどんどん歳を重ねてしまうので待っていられない──だから他の人に託すしかない、というわけで円満な移籍を考え付いたのです。
・前のターキン登場の時には、“あえて男女をハッキリさせない”トレーナーにしていたんですが、おかげで今回のようなことができました。
・しかしさすがに、次は無理だよな……と何気なく登場させたけど、やっぱり後からチームメンバーにするのに同じ手は使えない、と思うのでした。
【オレがきっちり面倒見る】
・さて、ここでターキンのトレーナー交代になるのですが──話的には谷川岳ステークス後にトレーナー交代というのが自然に思えるところ。
・ここであえて乾井トレがトレーニングし始めるのは……史実では次走の谷川岳ステークスからレッツゴーターキンの主戦騎手が小島貞博騎手から大崎昭一騎手に変わるからです。
・まぁ、連敗中での試行錯誤なのか、この2戦前から小島騎手からは変わって別の人が騎乗していましたが。
・そしてこの谷川岳ステークス以降は、レッツゴーターキンが引退するまで大崎騎手が主戦騎手を務めました。