見えぬ輝きの最南星《アクルックス》   作:ヤットキ 夕一

93 / 198
第9R Let's go! 止まらず行こう!

 ガコンッ!

 

 ──という音と共にゲートが開く。谷川岳ステークスの開幕です。

 普段は、場合によってはそれにさえビクッと反応してしまう私──レッツゴーターキン。

 でも今日は普通に反応してスタートを切ることができました。

 

「集中……集中……」

 

 スタート直後から、いえ、その前のゲートに入るとき……どころかもっともっと前、ターフに出てきた時もそうでしたし、控え室に一人でいるときから、ずっとずっと口の中でこの言葉を呟いていました。

 これこそ──乾井トレーナーが指摘して、私に授けてくれた秘策です。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「いいか、ターキン。お前の弱点は、その気の小ささ、臆病さだ」

「は、はぃ……」

 

 オレは、〈アクルックス〉メンバー(現時点では候補)のレッツゴーターキンへの指導としてそれを指摘した。

 しかし真っ向から指摘したために、彼女は申し訳なさそうに首をすくめてしまう。

 う~ん……別に叱ってる訳じゃないんだがな。

 

「でもな、その欠点はお前の長所が原因でもある」

「長所……?」

 

 オレが言うと、彼女は不思議そうに首を傾げた。

 よし、少しは興味を持ってくれたな。

 

「ああ、その通りだ。お前の長所は“視野の広さ”だ。周囲が見えすぎてしまうから、多くのことを気になってしまう。で、気が小さいからそれを気にしすぎてしまう」

「うぅ……」

 

 図星で、心当たりがあったのか彼女は僅かに顔をしかめた。

 しかし臆病であるということは、周囲を気にしすぎているなによりの証拠だ。周りが見えないヤツは、逆に言えば周囲の視線を気にしないからな。

 〈アクルックス(うち)〉にはマイペースで周囲と距離をとりがちなヤツがいるからそれがよく分かる。アイツ、臆病という言葉からは程遠いしな。

 ……なんか、遠くから睨まれている気がするが、まあ気のせいだろ。

 

「ようは敏感すぎるんだ。だから……鈍感になれ!」

「は、はいぃ!?」

 

 そんなことを急に言われても……簡単にできるわけないじゃないですか。と言わんばかりの戸惑いの声。

 臆病な彼女はそんな抗議をオレにできるわけもなく、かといって素直に従うこともできず……案の定、涙目になりかけていた。

 オレはそんな姿に思わず温かな笑みを浮かべてしまう。

 

「難しく考えるな、ターキン。見えすぎる、つまり視野が広すぎるのなら狭めればいいんだ。レース中、一緒に走る全員に注意を払っていたら、それこそレースどころじゃなくなるだろ?」

「わ、私も、そんなことは……して、ない……」

「ああ。わかってる。でも場当たり的に周囲を気にすることはしているだろ?」

 

 オレが言うと、彼女はわずかに眉をひそめた。

 “場当たり的”という言葉が少し辛辣だったか?

 だが、それを気にするということは、その自覚があるんだろう。

 

「してる。けど……そうしないと、他の人がどう動いてくるかわからないし、不安だから……」

「なるほど。当然だろうな。じゃあ聞くが……その周囲っていうのはどれくらいの範囲だ?」

「え……?」

 

 戸惑うターキン。

 具体的な範囲を聞かれてもとっさに答えることはできなかった。

 

「つまりは、お前が気になる範囲ってことだ。で、その範囲が広すぎると言っているんだ。だから色々気になっちまうし、そのせいで注意があっちこっちに飛ぶ」

 

 これは生まれつきの臆病な性格によるものだろう。

 しかしそのせいで、余計に気を使いすぎてレースに集中できない原因になっているんじゃないか、とオレは判断した。

 もっとレースに集中できれば──きっと変わる。

 

(ジュニア期にデビューしているんだし、菊花賞に出走できるくらいの才覚はあったんだ。現にオープンにまで昇格できている)

 

 重賞を連勝してからの7連敗……きっとなにかの歯車が狂っているだけに違いない。GⅢを連勝するだけの力は間違いなくあるんだから才能が無いわけがないんだ!

 そして今はその連敗さえもトゲになってる。彼女の臆病な性格に拍車をかけて自信を奪い、そのせいで高まった不安がさらに周囲を気にさせて集中力を削いでいる。

 完全な悪循環だ。

 

「お前の場合、他よりも注意力がありすぎるんだから、周囲への意識なんてぶつからない程度で十分だ」

「え? えぇ!? そ、そんなことをしたら……そんなの無理ですぅ!!」

 

 分かってる。

 前のトレーナーからコイツがいかに気が小さいか十分に聞いているし、オレも〈アクルックス(チーム)〉の部屋にやってきたときのダンボール箱に収まった姿には度肝を抜かれているからな。

 その臆病さが筋金入りなことくらい百も承知だ。

 そして、そんな彼女に周囲を見るなというのがどれだけ酷なことか……

 

「も、もしも危険が迫ってたら……前の方で接触があって、それに巻き込まれたら……後ろから来る人に気がつかずにぶつかったら……」

「ボクみたいになっちゃう、かな?」

 

 オレの隣にいたミラクルバードが苦笑混じりに茶々を入れる。

 それで“あの”事故を思い出したのか、ターキンは「ひぃッ!?」と短く悲鳴をあげた。

 オイオイ……脅してどうするんだ、ミラクルバード。

 ジト目を向けると、「ゴメン」と言わんばかりに眼前に手のひらを立てて、苦笑しながらオレに謝る。

 ターキンは気が小さいんだから、あまり脅かすな。

 オレは咳払いをして、ターキンの注意をこちらへ戻す。

 

「心配するな。あんなのはそうあることじゃない。現に……長いトゥインクルシリーズの歴史の中で、あんな事故を起こしたのはコイツ一人だろ?」

「その言い方……ひどいよ、トレーナー」

 

 ターキンを脅した罰として、ミラクルバードの頭を拳でコツンと軽く小突きながら言い、それに対して頭を押さえながら抗議してくるミラクルバード。

 だがオレはそれをあえて無視した。

 

「いいか、ターキン。後ろから来る相手だってもちろんぶつかりたくはない。なぜならぶつかれば相手も痛いし、怪我をするリスクがある。そこまで分かるな?」

「は、はい……」

 

 オレの剣幕に圧されるように、レッツゴーターキンは頷いた。

 もちろんコース争いで接触することもある。が、それを言ったらターキンが怯えるだけなのであえてスルーした。

 それだって死角から行くのは事故の元で御法度。審議になって処分を受けかねない。

 そんなリスクを抱えてまで危険な橋を渡る例外を気にしていたらキリがない。

 

「だから後ろからくるヤツらは基本的に避けてくれる。お前がとっさに変な動きをしない限り、相手は避ける。さらに言えば、相手は前を──前にいるお前のことを視界で捉えているんだ。その予兆には気がつくはずだ」

「で、でも……」

「お前だってそうだろ? 前を走ってるウマ娘が横に出てきそうなくらいは、見ていて分かるはずだ」

「は、はい……でも、それって周囲に気を使ってるってことじゃ……」

「言ったろ、ぶつからない程度でいいって」

 

 それより広範囲に注意を払うのは──もちろん間違いじゃあない。

 周囲の展開の把握は、自分のコース取りを含めた作戦の判断基準になるし、流れを読めれば臨機応変なレース展開が可能になって、勝率も上がるだろう。

 だが──今の、気が小さく心配性なだけのレッツゴーターキンでは、その情報を持て余すだけだ。

 あれこれ心配して消極的になるだけ。

 そうなるくらいなら、いっそ見ない方がいい。

 

「その上で大事なのが……集中(コンセントレーション)だ」

集中(コンセントレーション)?」

 

 首を傾げるターキン。

 

「次のレースではあるウマ娘一人に意識を集中させて、そいつをとことんマークするんだ」

「そ、そんなこと今までしたことない……」

「なら今回が初めての挑戦だな」

 

 不安げになるターキンにオレは笑顔でそう言ってやった。

 しかし、今までレースで相手をマークしたことがなかったのか? 菊花賞や他の重賞まで経験しているのに……

 

(あの人のやり方は、優しすぎた)

 

 思わず前任者の方針に対する愚痴が頭をよぎった。

 でも……逆に言えば、だから7連敗なんて十字架を彼女に科してしまったんだ。

 そして臆病すぎる性格がひどくなったのも、彼女の優しさへの甘えでもある。

 

(それを壊さない限り……これより上は目指せない)

 

 オレは確信した。そして先の約束が功を奏したと思った。

 臆病さという殻を破らなければ勝てないのだから。

 

「そして、()()()()()作戦だ」

「──ッ!!」

 

 オレの言葉に、ターキンの耳がピンと動く。

 なるほど。やっぱり……コイツはただ臆病なんじゃない。そんな自分を変えたいと思い、そして勝利を渇望している。

 なら──オレはトレーナーとしてそれを応援するだけだ。

 

「他はさっき言ったように走っていて他とぶつからない程度に最低限でいい。もちろん……コースから外れるような逸走には気をつけないといけないけどな」

 

 最後にそう冗談めかして言った。

 ターキンはそれにぎこちない、ひきつったような笑みを浮かべている。

 う~ん……大分無理をしてるな。

 心の中で苦笑していると──隣にいたミラクルバードが車椅子を漕いでターキンに近寄り、持っていた紙を手渡す。

 それを受け取ったターキンは、恐る恐るといった様子でそれに目を通した。

 

「これは……」

「マークする相手だ。見覚え、あるよな?」

「は、はぃ……」

 

 彼女が手にした紙──情報が書かれた資料には、そのウマ娘の写真もあった。

 それを見てピンときたのだろう。

 もっとも写真だけじゃなく、名前で分かった可能性もあるが。ターキンとは前走で一緒になっていたし。

 

「掲示板に乗ったとはいえ、結果的には連敗を伸ばしちまったが……前走は悪くない走りだったと思うぞ」

 

 その前走の映像を見ての感想を言うと、彼女はぱーっと表情を晴れやかにする。

 嬉しそうにコクコクと何度も頷いている。

 

「しかしやはり集中力不足だった。コイツにもっと注意を払っていれば……勝てたかもしれない」

「そ、それは……」

 

 表情を一転させ、曇らせるターキン。そして半信半疑な様子でオレを見た。

 確かにこいつの前には逃げ切った1位がいる。

 だがそこにはクビの差しかなかっった。

 もしもターキンが後ろから迫る彼女に早めに気づいて、それを押さえ込んでいれば──そのクビ差よりも前にいた可能性だってあるんだ。

 

「コイツの末脚はオレも見たことがあるからな。その時から警戒はしていたさ」

 

 そのウマ娘は、オレが前にダイユウサクの走ったレースで見た顔でもある。

 あの大事な大一番だったからこそ注意を払っていたんだが、結果的にはダイユウサクがさらに圧倒的な末脚で差しきっている。

 そんな、オレが指示したマークすべき相手は──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 トレーナーの指示通り、私は精一杯走りながら、そのウマ娘へ注意を払っていました。

 再度、ちらっと視線を後方に向け──その姿を確認します。

 パッチリとした目を見開き、まばたきしないんじゃないかと思うくらいに前をジッと見つめるウマ娘。

 

ハヤブサオーカンさん……)

 

 前走のマーチステークスでも一緒だった彼女。

 そしてもっと前──去年の12月にも一緒になった。

 その猛禽類を思わせる目つきと、ボサボサっと跳ねた髪型はまさにハヤブサで……

 

『まるで鳥みたいだよね』

『お前が言うな、ミラクルバード』

 

 トレーナーさんとミラクルバード先輩のそんなやりとりを思い出して──思わずクスッと笑ってしまう。

 いけない。きちんと、トレーナーさんに言われたとおり集中しないといけないのに……

 私はあの人に言われたとおり、周囲とぶつからない程度の最低限の注意を払いながら、その人の動向に注意を払っていました。

 脇目を振るどころか、大きく見開いた目でジッと前を見つつ、腕を振り脚を動かす彼女。

 

 そしていよいよレースは終盤になって……

 

「──ッ!」

 

 彼女が──動いたのがわかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「で、渡海パイセン。ターキン先輩に授けた乾井トレの作戦って?」

「一人へのマーク、と聞いてるけど……」

 

 終盤へ差し掛かった谷川岳ステークス。

 出走しているレッツゴーターキンのチームメンバーとしてこの場にいる〈アクルックス〉の3人は、それを固唾をのんで見守っていました。

 私──オラシオンと、ロンマンガンさん、それにトレーナー育成課程の研修生である渡海さん。

 

「……マンガンさん、目上の人への言葉遣いは気をつけた方がいいと思いますが?」

 

 私とロンマンガンさんは同学年ですが、渡海さんは一つ上になります。

 それを指摘したのですが──

 

「え? ちゃんと敬意払ってるって。ねぇ、パイセン」

「えっ、あ、えっと……まぁ、そうかな?」

「……伝わってませんよ、その敬意」

 

 私がジト目でマンガンさんを見ます。

 でも彼女は、そんなことを意に介さず、レースの方に集中している様子でした。

 私はこれ見よがしにため息をついたのですが、それさえも気にしないマンガンさんが渡海さんに尋ねました。

 

「で、誰をマーク?」

「たしかハヤブサオーカン……」

「あ~、あの猛禽類みたいな目ン玉に頭ボサボサな上、右耳に王冠の耳飾りつけた、見るからに(ハヤブサ)王冠(オーカン)な、あのウマ娘ね」

 

 マンガンさんが苦笑しながら言ったそのウマ娘は、後方待機といった位置取り。

 そしてターキンさんも同じような場所でレースをしています。

 あの、マンガンさん。結構ひどい論評してますが、この方も先輩ですよ。それもかなりの……

 

「……でもなんで、ハヤブサオーカン?」

「前走のマーチステークスで、中盤で最後方から追い上げて最終的には2着に入っている。それが後方で待機するターキンと作戦が一緒だから、仕掛ける指標にはうってつけなんだろうね」

 

 ハヤブサオーカンはベテランの域に達している程の経験豊富なウマ娘。

 そのセンスが、ターキンさんを上回っているからこそ、仕掛けのタイミングの参考にしようというのではないでしょうか。

 

「それに、乾井トレーナーもハヤブサオーカンさんのレース運びは実際に見たことがありますし……」

 

 私が補足すると、マンガンさんは意外そうな顔で振り向きます。

 

「え? そうなの?」

「はい。阪神レース場新装記念……ダイユウサクさんだけでなくターキンさんも出走したそのレースに、ハヤブサオーカンさんも出走していましたから」

 

 無論、私もダイユウサクさんの応援で見ていましたから、その時のことは覚えています。

 後方からの差しを得意とするハヤブサオーカンさん。一時期はダイユウサクさんの前にまで上がっていったのですが──あの人の爆発的な末脚には及びませんでした。

 

「うわ、それには気づかなかったわ~」

 

 悔しそうに言うマンガンさんですが、彼女の場合、ダイユウサクさんが有記念を制した後で、レースを見返したのでしょう。

 実際に、一戦一戦その場で見ていた私達とは違いますから。

 そんなハヤブサオーカンさん……をマークしている様子のターキンさん。

 その様子を見ていて、少し違和感が──

 

「……以前と、違う?」

「え? なにが?」

「ターキンさんの様子です。落ち着いているというか……以前のターキンさんはもう少し周りを気にしすぎてソワソワしていたと思うのですが」

 

 良い意味で大人しいその姿は、とても集中しているように見えました。

 

「それが乾井トレーナーの狙いだよ」

 

 渡海さんが落ち着いた声で答えました。

 それで意図が分かった私は「なるほど」と納得していました。

 

「……どういうこと?」

 

 それにマンガンさんはチラッと私を見てきました。

 

「ターキンさんの長所は“視野の広さ”です」

「あ~、チラッと聞いたけどトレーナーも言ってたね」

「そしてそれは、その広さに対応できる情報処理能力──つまりは見合った“注意力の許容量(キャパシティ)”を持っているということでもあります」

「……え?」

 

 理解できなかったのか、彼女は私の方を振り向きました。

 私はターキンさんから目を離さないまま、それに答えます。

 

「視野が広いということは、多くの情報(もの)が目に入るということです。そして先輩の性格上、その目に入る多くのものに対して注意を払っている」

「ああ、広範囲のレーダー持ってるから、それに反応するものすべてを警戒してるってことね」

「ええ、まぁ……そういうことです」

 

 独特の例えだったので困惑しましたが、だいたい意味はあっている……でしょう、か。

 

「しかしターキンさんの場合、その許容量(キャパシティ)の大き過ぎるせいで、それに余力が生じ、必要以上に周囲を気にしてしまっていたんです」

「え? あんな余裕なさそうなのに、余力あったの?」

 

 普段のターキンさんを思い出したのか、マンガンさんは戸惑っているようでした。

 確かに普段から落ち着きがないですからね。

 

「その余力を使ってさらに警戒しているので余裕がなくなり、神経質になっているんです。ですからその余力を──」

 

 私はターキンさんから別のウマ娘──さっき二人が話していたそのウマ娘へと視線を移しました。

 

「他の人へのマークに……強敵一人の動向に最大限の警戒をさせることで注意力のリソースを割かせる、ということでしょう」

 

 確かに出走メンバーを見れば、ハヤブサオーカンさんをマークするのはわかります。

 確かに前走は破れ、彼女は2着。

 ダイユウサクさん以上の先輩の大ベテランは確固たるパターンを持っています。

 悠然と最後方を走り、そこから一気に差す。

 まるで猛禽類の狩りのような戦法──その末脚は恐るべきものがあり、今のターキンさんでは太刀打ちできるかどうか。

 

「だから、負けないためには彼女よりも前の位置をキープする必要がありますし……」

 

 最後方から追い上げるスタイルだからこそ、その前で走るのは容易です。

 そうして前を走っていても、ターキンさんの優秀な警戒能力であれば──後方の動きを警戒することだって可能。

 敏感なそれをもってすれば──

 

「今までハヤブサオーカンさんが培ってきたレース勘で弾き出した仕掛けるタイミングを──()()ことができる」

 

 彼女の猛禽の目は、ターキンさんを強敵と警戒せず、獲物として捉えることもない。

 まったく歯牙にもかけず──まさに“眼中にない”状態。

 だから誰よりも臆病なウマ娘が細心の注意を払ってまで、その動きを追われていることにも気が付かず──

 

「──動いた」

 

 渡海さんが静かに言った言葉が、私たちの間に奇妙に大きく聞こえました。

 そして渡海さんが言ったとおり、後方待機していたハヤブサオーカンさんがグンと上がっていくのが見えました。

 まさに獲物に向かう(はやぶさ)を思わせるその速度。

 でもそれは──乾井 備丈というトレーナーが、レッツゴーターキンという高性能なレーダーを使って張った、巧妙な罠。

 

「ターキン先輩ッ!」

 

 周囲のウマ娘がその加速(スパート)に付いていけない中、少し前を走っていたウマ娘の一人が、ほぼ同じタイミングで動きました。

 “隼の飛翔”にも劣らぬ加速で、その前を“いざ往かん(Let's Go)!”と駆ける者がいたのです。

 

「──ッ!!」

 

 ノーマークだったがゆえに、突然現れたようにその目に映り──ハヤブサオーカンさんは驚いたように、大きく見開いた目で彼女を見つめていました。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「集中、集中……集中、集中……」

 

 私は何度も何度もその言葉を呟いていました

 乾井トレーナーから授けられた、その作戦。

 そしてなによりも──

 

(あのウマ娘(ひと)の……)

 

 トレーナーさんから出されていた指示は、ハヤブサオーカンさんへのマークと、もう一つありました。

 それは──

 

『ハヤブサオーカンがスパートを仕掛ける気配を感じたら、あとはもうアイツを気にするな』

 

 そう言われて戸惑う私に、トレーナーさんは──

 

『全力で走ることに集中しろ。そしてお前もスパートをかけるんだ』

 

 ──そう言いました。

 トレーナーさんが言うには、オーカンに追いつかれたら勝負は分からなくなる。だから全力で走って追いつかれるな、と。

 

『他のことに気を取られていたら、アイツに捕まるぞ』

 

 そう注意してトレーナーさんは「追いつかれないための最高の練習相手を用意する」と言ってくれました。

 併せでそのトレーニングしてくださった相手は──

 

(ダイユウサクさん……)

 

 通常の走りから、合図でスパートをかける練習。

 その時に彼女が見せたのは──すさまじいまでの集中力でした。

 

(これが……グランプリウマ娘の、実力……)

 

 そして阪神レース場新装記念では、一度抜かれたハヤブサオーカンさんを、さらに抜き返しています。

 その末脚は、彼女以上のはず。

 だから──

 

「絶対に……抜かれないッ!!」

 

 ダイユウサクさんと同じ加速ができれば──

 負けない速さで駆け抜けることができれば──

 

「私は……ハヤブサオーカンに、負けないッ!!」

 

 トレーニングに付き合ってくださった、ダイユウサクさんのためにも……

 必勝の策を授けてくれた乾井トレーナーのためにも……

 そして、なにより……

 

「今まで私を支えてくれて、一緒に走ってきたトレーナー(あの人)のためにーッ!!」

 

 あの人に「私はもう大丈夫!」と胸を張りたい。

 あの人が何の憂いも心配もなく、宿った新たな命を慈しんで抱きしめられるように。

 

「私は──勝つッ!!」

 

 そのために無我夢中で走り──

 先行していたウマ娘たちを抜き──

 前走で全く届かなかった逃げたウマ娘さえも追い抜いて──

 

 

 ──私は、ゴール板を駆け抜けた。

 ──406日ぶりに……前に誰もいない、先頭で。

 

 

『差しきってゴール!! これは意外、伏兵レッツゴーターキンが谷川岳ステークスを制しました!

レッツゴーターキン、去年の3月17日以来の勝利ですッ!!』

 




◆解説◆

【Let's go! 止まらず行こう!】
・今回のタイトルも『ユメヲカケル』の歌詞からです。
・言われないと気付かないレベルかもしれませんが、それでも『ユメヲカケル!』からの歌詞です。誰が何と言おうとも。

谷川岳ステークス
・例年4月終盤~5月頭に新潟レース場で開催されるオープン特別。
・2019年にリステッド競走が設定されていされてからは、それに指定されています。
・リステッド競走は格付け的には通常のオープン特別よりも一つ上で、グレードレースよりも下というもの。
・基本的には新潟の芝1600で開催されていますが、福島開催になった1995年は芝1800、また2005年から2009年にかけては1400での開催になっています。
・データを見ていて思ったのは、今まで晴天だったのが半分くらいしかありません。時期と場所のせいなんでしょうかね。
・開催時期のせいで、たびたび天皇賞(春)や皐月賞と日程が重なることがあります。
・これを制した有名な勝ち馬だと1995年のタイキブリザードでしょうか。
・今回のモデルになったのは1992年のもの。
・4月26日の開催で天気は晴れ、牡馬は良。

ハヤブサオーカン
・実在の競走馬を元にしたオリジナルウマ娘。
・モデルになったのは同名の競走馬。青鹿毛の牡馬。
・1984年5月27日生まれ──つまりはダイユウサク達オグリキャップ世代よりも一つ上で、タマモクロスやゴールドシチーとかイナリワン、ウマ娘化されていない馬だとメリーナイスなんかが同年代になります。
・そして重賞は──未勝利。オープン特別は1着や2着も多々あるのですが、重賞になるとダメになってしまうようです。
・GⅠだと安田記念に2度出走しているのですが、ダイイチルビーが制した1991年はまだわかりますが1993年のヤマニンゼファーが制したレースに出走しているのは、ちょっと驚きです。
・数えとはいえ10歳……しかも最下位とかじゃないし。11着で前はニシノフラワーだったという。
・引退レースは1993年の七夕賞──ツインターボが勝ったレースですね。
・本作のハヤブサオーカンは、名前通りのイメージです。
・牡馬なので左耳に王冠型の耳飾りがあり、ボサボサっとした短めの髪で、目は黄色で大きく見開かれています。無口で、じーっと何かを見つめていることが多い。そんなウマ娘です。

逃げたウマ娘
・マイネルヨースのこと。前走のマーチステークスを逃げて制しています。
・ちなみに2着はハヤブサオーカンで、クビの差にまで追い込まれていました。
・元ネタの同名の競走馬は1988年生まれの栗毛の牡馬。
・重賞勝ちは無し。それでも生涯賞金は1億6500万を超えています。
・この馬もハヤブサオーカンと同じように、重賞になると途端に成績が下がっています。
・前に本文で「オープンになると満足してしまうウマ娘」について触れましたが、それはこの2頭の成績を見て思いついたネタでした。
・ちなみに書いてる人は名前見たときから「マイネル・ヨース」な感じだと思ったら、血縁馬や同じ馬主の馬を見るとマイネスカーレットやマイネエルザ、マイネクロシェットとあるので「マイネ・ルヨース」だったようです。
・なお、この馬主さんの馬名はマイネシリーズよりも“コスモ~”のシリーズの方が遥かに多く、その数は約120頭にもなります。
・……でも、コスモドリームは違う馬主さんの馬です。

去年の3月17日以来の
・レッツゴーターキンが1992年4月26日の谷川岳ステークスの前に勝ったのは、1991年3月17日の中京記念。
・あれ? ……1年1ヶ月と9日ぶりということは365+31+9で405日ぶりの勝利なのでは?
・本文中に406日って書いてあるのは間違いじゃないの!?
・……いやいや、1992年は閏年なので、2月29日があったんです。そんなわけで+1日で406日ぶりの勝利でした。


※次回の更新は3月10日の予定です。  

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。