「くぅぉのぉぉぉぉぉ!!」
火蓋が切って落とされた安田記念。
アタシは走った。
あの有馬記念から3戦目。そろそろ結果を出さないといけない。
なにしろアタシは──グランプリウマ娘なんだから。
中距離の大阪杯。長距離だった天皇賞(春)。そして今回の安田記念は1600のマイルレース。
(短いんだから、足にかかる負担は短時間で済むはず……)
今までアタシが走ったレースは多岐にわたる。芝のオールラウンダーと言えるようなその経歴を反映して、トレーナーも距離を変えて試行錯誤しているんだと思う。
その気持ちは本当にありがたいんだけど……
(今回のレースは……)
今年に入って、今まで走った2回のレースは明らかな強敵がいた。
大阪杯は──骨折から復帰した去年の二冠ウマ娘、トウカイテイオー。
天皇賞(春)は──それに加えて誰もが認める現役最強ステイヤー、メジロマックイーン。
でも……今回のレースには、そんな絶対的強者がいない。
「だから、負けられないッ!!」
走りながら──横目で併走するウマ娘をチラッと見た。
葦毛の髪をはためかせて走るウマ娘。
しかし……彼女はメジロマックイーンではない。
その最強ステイヤーの存在が目立ちすぎているだけで、クラシック期にシニアに交じって走った有馬で3着と結果を残したその実力は決して劣らない
そんな葦毛のウマ娘──ホワイトストーン。
「だから……こそッ!!」
負けられない。
あのオグリキャップに有馬記念で勝てなかったウマ娘相手に、同じ有馬記念を制したアタシが、負けるわけにはいかない!
去年の有馬記念が、レベルが低かったわけではないと、証明するためにも。
そんな彼女が見つめる先──アタシ達のすぐ先には、こっちと同じように並ぶように二人のウマ娘が走っている。
先ほど、“絶対的強者”が
青いラフな服装が勝負服である──昨年のマイルチャンピオンシップの覇者、ダイタクヘリオス。
そして昨年から変更され、白いドレス型の勝負服になった──昨年の
(……………………なん、だけど……)
うん。ダイタクヘリオスはいい。彼女は隣の昨年二冠のウマ娘を最大限警戒して、油断なく走ってる。
問題は、その隣の警戒されているはずのウマ娘だ。
「…………」
長い黒鹿毛の髪をなびかせて走るマイル・短距離では圧倒的な強者──だったハズのウマ娘。
「ダイイチルビー……なのよね?」
なんて思わず疑いたくなるくらいにその様子が明らかにおかしい。
それは、出走前に嘆いていたダイタクヘリオスはもちろん、アタシの横を走っているホワイトストーンも気が付いたようで……困惑した様子で、アタシの方を見てきた。
──いや、こっち見んな。アタシに理由が分かるわけ無いでしょ。
(確かに最初から様子がおかしかったけど……)
なにやら色ボケした様子で観客席に手を振っていて……
「……そういえば、そうだったわね」
思い出して思わずアタシの目が鋭くなる。
(それにこの勝負服……これもう、アレよね?)
去年、マイルチャンピオンシップで見た勝負服はやっぱりドレス型だったけど色も形も違ってた。前のは黄色のドレスだったものね。
でも……なんでも表彰されたテイオーやマックイーンと同じように
胸元の赤い大きな宝石と、服自体にも赤の差し色が申し訳程度に入った白いドレスの勝負服。
(……ウェディングドレスよね、これは)
ヴェールがあれば完全にそう。
むしろそれだけは譲れらずに矜持を守った、誰かの意志さえ感じるんだけど。
(ダイタクヘリオスが嘆く気持ちは、分かるわ)
去年の彼女は本当に恐ろしかった。
アタシが彼女と一緒だったのはスワンステークスやマイルチャンピオンシップで、そのレースで彼女は勝っていない。
でも、その中でさえアタシは常に後塵を拝し続けたし、その速さを見せつけられた。
それに研究で見せられた去年の安田記念も含め、スプリンターである彼女の気迫と集中力はすごいものがあった。
優れた母を持つというプレッシャーに加えて、さらには『華麗なる一族』という名門を背負った彼女は、メジロ家の令嬢達に勝るとも劣らない品格と風格を持っていたもの。
それが……
(さっきから、全っ然レースに集中していないじゃないの!!)
末脚を生かすために溜めているのは彼女のいつものレース展開。
アタシ達の前で中段待機しているのは、作戦通りのはずなのに──力を溜めている気配がまるでない。
(意識が半分以上、観客席に飛んでる……)
なんか上の空というか……もしも最終コーナーを回ったら、そのままゴール版ではなく観客席めがけて走っていきそうとさえ思える。
そんな彼女が、何度もチラチラと見て、意識を向けているのは──
「く……」
その第4コーナーをいよいよ回る。
そして──ダイイチルビーの順位が、いよいよ動いた。
……腑抜けるように失速し始めた彼女を、アタシとホワイトストーンはあっさりと抜いたのだ。
「お嬢様……」
追い抜いた直後、彼女を気にしていたらしいダイタクヘリオスの悲しげな目が見えた気がした。
でも──腑抜けたかつての強敵を気遣う程の余裕は、今のアタシには、無いッ!
「ここ、から……ッ!!」
最後の直線。場面は最終局面──
アタシは、必死で足を動かす。
加速は──できる。
でも、その末脚は……平凡としか言いようがない程度の力しか出なかった。
もどかしさ、そして悔しさがこみ上げてくる。
今すぐに、自分の脚を殴って喝を入れたくなったけど──足を止めてそんなことができるはずもない。
(なんで!? あの時の……あの走りが、できないのよッ!!)
悔しくて食いしばり、口の中で歯がギリッと鳴る。
さらに力を込めようとするけど──全然、手応えはない。
(みんなが……見てるのよ?)
ここは東京レース場。トレセン学園の目と鼻の先なんだから……コスモが見ているに違いない!
それにセッツとシヨノも……オグリやアルダンたち同級生も含めて、
(なのに……だから、アタシは……みっともないレースを、するわけにはいかないのに!!)
これ以上、彼女達を失望させるわけにはいかない。
そして思い浮かべたのは〈
あのレースを見ていたミラクルバードとオラシオン、それに渡海って研修生。
(それに……)
『ダイユウ
『……ほんとに、あのレースの走りがすごかったから、私、興奮して……私も、もっとがんばりたいって思ったんです』
ロンマンガンに、レッツゴーターキン。
アタシの有馬記念を見て、アタシにあこがれたと言ってくれたウマ娘たち。
──彼女達に、無様な姿は見せられない。
──その憧れであり続けるために、もう
「かあああぁぁぁぁぁッ!!」
もどかしさから、思わず叫びが口から出ていた。
でも……アタシの脚は、アタシの気持ちに応えることはなかった。
集団に沈んだまま、アタシはゴール板を駆け抜けることしかできなかった。
「……………………ッ」
首から下げられたペンダントの、胸元で弾む一粒の丸い薄紫の石。
それが今のアタシには、とてもとても重く感じられ、顔を上げることは、できなかった。
外の走路では勝者が観客席に手をあげて応えていた。
その一方で──
「ダイユウサク……」
ゴールするや、逃げるように早々にコースから去った彼女を見て、オレは慌てて追いかけ、そして通路でたたずむ彼女を見つけた。
俯いたまま立ちすくむその後ろ姿に、オレは名前を呼ぶのが精一杯だった。
レース直後の疲労はあるだろう。
でもそれ以上に重い空気が、彼女を蝕んでいた。
そんな彼女の姿に、居たたまれなくなったオレは思わず手を伸ばし──
「触らないでッ!」
ダイユウサクの鋭い声が、オレの動きを阻む。
アイツの肩に触れようとしたオレの手は、思わず止まっていた。
それ以上、アイツは何も言わなかった。
だけど、言わんとしていることは、なんとなくだが分かる。
もしもオレが今、触れてしまったら──競走ウマ娘ダイユウサクは粉々に砕けてしまう。
そんな危うさと緊張感が、そこにあった。
オレが出してしまった優しさに甘えてしまえば、戻ることができない。それくらいに彼女は、追いつめられている。
その危うさに、オレは──思わず言った。
「休め、ダイユウサク……」
それしか、言うことができなかった。
触れることを拒絶されて、それがオレにできる精一杯だった。
アイツが競走ウマ娘であり続けることを選ぶのなら、それしかできない。
なぜならオレは、競走ウマ娘を助け、共に歩む──トレーナーだから。
「今のお前は実力の100パーセントが発揮できない状態だ。負傷しているのと変わらないんだ。だから……」
休養を指示したオレの言葉にアイツは──首を横に振った。
決して振り返ることなく、オレに背中を見せたまま、アイツは言う。
「足に異常が出ていないのに、休むわけにはいかないわ。だってアタシは……去年の有馬記念をとったウマ娘なのよ?」
グランプリウマ娘としての矜持──それがコイツの背中に重くのし掛かり、枷となって苦しめている。
オレにはそうとしか見えなかった
「……世間の目なんて、気にするな。今のお前は……」
「“去年の有馬はマグレ”、“マックイーンに勝ったのはフロック”……そんな言葉、聞き飽きたわ」
表情こそ見えないが、「ふふッ」と自虐的に笑うダイユウサク。
「“一発屋”……なんて呼ばれ始めてるのも、もちろん知ってるわよ」
そう言って、「お笑い芸人じゃないんだから……」と付け加える。
もちろんオレもそんな世間の評価は知っていた。
「そんな評価……一つの勝ちでいくらでも覆せる。お前も知ってるだろ? 一昨年の秋の天皇賞のオグリキャップを、お前も見ただろ? あんなに調子崩して、ジャパンカップと連敗して……オグリはもう終わった、って言われたのに……」
「もちろん、覚えてるわよ。有馬記念の勝利で……世間の評価は一転したんだから」
感動をありがとう? 今までコキ下ろしておいてなんだその言い草は──と思う気持ちもある。
それはウマ娘
でも……
「だから休め。そして、その後でお前が勝てば、評価は変わるはずだ。今は非難されても、それでも勝てば──」
「ホントに、勝てるのかしらね……」
ポツリと漏らした声が、妙に大きく響いた。
オレの彼女を見る目が、驚きで大きく見開かれる。
「ダイユウサク、お前……」
その肩が小刻みに震えているのが分かった。
思わず伸びたオレの手は──今度は彼女の肩へとたどり着いた。
「──ッ」
その瞬間、彼女の手がビクッと動いた。
跳ね除けられる、とオレはとっさに思った。
でも……この手は絶対に離せない、とも思っていた。
さっきとは真逆──今、ここで手を離せば今度はダイユウサクというウマ娘が崩れ去ってしまう。オレにはそう思えたからだ。
反射的に上がった彼女の手は……一度動きが止まり、それから両手で包むようにオレの手を優しく掴んでいた。
「……分かってる。でも、もう少し……頑張るわ。アタシを、応援してくれる人が、いるんだし……こんなアタシに憧れてくれる人が、いるんだから。それに……」
オレの手どころか腕を両手でしっかりと掴んだ彼女。オレはそれを逆の手を伸ばして背中から抱きしめる。
それで震えが止まった彼女は背を預けてオレに身を委ね、そしてポツリとつぶやいた。
「……グランプリって、重いわね」
彼女の手が、オレの腕をそっと撫でる。
オレは次のレースを決めた。
これに勝とうが負けようが、その呪縛からコイツを解放するには、それしか手はなかった。
次に走る……いや、走らなければならないレースは、
──そして新潟では……
「あれ? なんでターキン先輩、レース中にあんなにキョドってんの?」
「あぁ、集団に完全に埋もれてしまっていますね……」
「あ~、ゴールしちゃった……まぁ、これは完全に逃げ切られちゃったからね。仕方がない、かな?」
「いやいやいやいや……絶対に駄目なヤツでしょこれ。ターキンパイセン、
ミラクルバードとオラシオン、それに渡海とロンマンガンの4人は──思わず顔を見合わせて、ため息を付いた。
新潟大賞典の結果は、前走の1着が嘘のような──そんな大負けだった。
今日の〈アクルックス〉の成績は、お世辞にもいいとは言えない結果だった。
◆解説◆
【矜持と重圧の狭間で……】
・そっちはオリジナルなので、『大禍患』の説明をしますと、「禍患」とは好ましくない結果から生じる不幸な状態のこと。災難とか不運とか、そういう意味です。
【ホワイトストーン】
・すっかりお馴染みになったオリジナルウマ娘。
・“名前は出てくるけど空気”という本作での扱いだったのですが、今回はやっと走る姿+αの感情が込められた行動が描写されました。
・ただ、今後も
・元ネタ競走馬は本当に優秀で、32戦して4勝しかしていないというのが信じられないくらい。
・ウマ娘になったらまず間違いなく〈カノープス〉のメンバーになると思います。
・でもね、ホワイトストーンさんや。なんで1600の安田記念にあなたが出ているのか、それが不思議で仕方ありません。
・たしかにこの年の大阪杯の前に、休養明けで
・──どうしてもGⅠ欲しくて、でも他に出られるGⅠも無いし出てきた、という感じなのでしょうか。
・案の定、マイル戦のスピードについていけず、9着になっています。
【ダイイチルビー】
・はい。前回出ていた色ボケウマ娘は、ダイイチルビーでした。
・元になる競走馬は1987年生まれの牝馬。
・1991年の安田記念、スプリンターズステークスを牡馬にも負けずに勝利しており、グレード制導入以降で牡馬牝馬入り混じったGⅠを2勝以上したのは彼女が初。
・そうして91年のスプリンターズステークスを制したダイイチルビーでしたが、翌週開催だった有馬記念を制した誰かさんと同じように92年に入ると突然パッタリと成績が悪くなります。
・ただし、ダイイチルビーの場合は原因が分かっており、フケ(発情)のせいで競走意識が無くなってしまったから。
・──ええ、今のあの姿の元ネタはその状況なわけでして……
・こんな情けない姿を書いていたらあまりにも名誉棄損だ、と思いまして『たったふたりの
・なお、1992年の安田記念は、ダイイチルビーの最後のレースでした。
【勝負服】
・本作でのダイイチルビーは、元ネタ馬の勝負服(黄色に赤輪、袖が紫)から従来のものは黄色いを基調に、赤(これはルビーからでもあります)と薄紫のアクセントが入ったドレス型を設定してました。
・しかし前年のURA賞の表彰では(アニメ準拠で)年度代表はトウカイテイオー、最優秀シニア級ウマ娘はメジロマックイーンが受賞しており、ダイイチルビーは対象外。
・──実際の1991年JRAの表彰ではダイイチルビーは最優秀古牝馬、最優秀スプリンターに選ばれています。
・が、アニメでは尺の関係でしょうが、トウカイテイオーとメジロマックイーンのみが表彰されています。ただし「続いての~」という司会者の台詞があったのでJRA賞が他にあってそのシーン前に表彰されている可能性は高く、だとすると史実からその中で最優秀
・でも、マックイーンは最優秀
・そのため、レースの結果を見れば明らかに上回っているダイイチルビー陣営はもちろん抗議しています。
・本作の裏設定ですが、ここでは前年秋のメジロマックイーンの後着騒動で「マックイーンをジャパンカップと有馬記念をボイコットさせる」と激おこぷんぷん丸状態なメジロ家(の御婆様)を説得して出走させたので貸しがありました。
・まして残すシニア級のGⅠはその二つを除けばマイルチャンピオンシップとスプリンターズステークスという歴史の短い短距離レースだけ。
・「有馬の出走メンバーの予想を考えたらどう考えてもマックイーン一択。勝ったレースの格を考えれば最優秀シニアはマックイーンに……」という裏取引で釣り出したのもあり、マックイーンはその二つに出走。
・しかし有馬記念直前ではマックイーンはジャパンカップ4位な一方、ダイイチルビーが
・それでURAは「まぁ、二冠同士なら八大レース2勝のマックイーンが最優秀シニアで問題ない」と楽観視。
・──そこを空気読まない推薦枠の誰かさんが勝ったせいでURAの思惑が完全に崩壊。
・なんてことしてくれるんだ、
・でも約束は守るしかないわけで──ダイイチルビーがGⅠを3勝したわけじゃないし、秋の天皇賞は実質1着だし、JCジャパンカップは外国勢抜かせば最先着だし、そもそも有馬記念だって2着だし、ルビーには最優秀スプリンターをあげたし、と辻褄を合わせます。
・ところが、ダイイチルビー陣営にはシニア級の“最優秀ウマ娘”を譲れない事情があったので引き下がりません。
・GⅠ2勝の上に、順位が一番悪くても3着が1回しかないというダイイチルビー陣営の主張はもっともで、かといって、もちろん表彰を覆すわけにもいきません。
・「URA賞には最優秀
・とはいえ、誰がどう考えても最優秀
・正直、ダイイチルビーの成績は、レースの格を考えない成績ならトウカイテイオーに代わって『年度代表』だって狙える位置でしたから。
・……というかそれをアニメでテイオーに「きっと同情票も含まれていますわね」と言ったマックイーン。本作では見事に自分に刺さってますよ。
・──そんなわけで……
・すでにフケ状態だったダイイチルビーが熱望したデザインが反映されたデザインになったわけで。
・ちなみにこの勝負服はダイイチルビーのメンコが「白で耳と縁が赤い」ものだったのが元ネタで、そのため白いドレスに赤い宝石やアクセント、ということになっています。
【“一発屋”】
・ダイユウサクを指す二つ名に『世紀の一発屋』というものがありますが、この作品を書くためにいろいろと調べたりして、この“一発屋”というものだけは、すごく抵抗感があるようになりました。
・実際、ダイユウサクはいろんなレースで勝っているし、活躍しているし、惜しいレースもありました。
・確かにGⅠは1勝。でもそんな競走馬は他にもいますし、その1勝が強烈だったというのもわかります。
・だからこそ他のGⅠ1勝馬よりも目立つ“愛されている”存在なわけですが、やっぱり好きなのは「ものすごく遅いデビュー戦が13秒のタイムオーバーで、次も7秒という大幅なタイムオーバー」でスタートした落ちこぼれが、同年代のスターに隠れて走り続けて、あの有馬記念で大輪の花を咲かせたことだと思うんですよね。
・もちろん──例えば芸人の「一発屋」にもそこに至る努力や人生があるのはわかりますが、ダイユウサクを「一発屋」と呼びたくはないですね。
・まぁ、ウマ娘の場合…………仮にもウマ