トレーナー室で、自分の机に突っ伏したオレは頭を抱えていた。
そしてため息をつく。
「頭痛ぇ……」
思わず声がでる。
すると──横から声がかかった。
「いったい何を悩んでるの? 先輩のことだから病気じゃないんでしょ? ナントカは風邪ひかないって言うし」
「夏風邪かもしれねえだろ……」
「そうやって返せる元気があれば病気じゃないわね」
半ば呆れ顔でオレを見ている、相部屋相手である巽見。
「で……どっちの結果を嘆いてるの? 安田記念? それとも新潟大賞典?」
「どっちもだ」
そう巽見に返したが──正直な話、安田記念は覚悟はしていた。
だが、ターキンは完全な予想外。
「う~ん……まさか、
ダイユウサクの負けは理由がわかってる負け。その解決方法はわかっている。脚が元に戻ればいいだけの話だ。
……まぁ、その方法の目処はついていないけどな。
しかし、ターキンの負けは──
「ターキンは前走でいい流れを作れたと思ったんだが……」
「いつも自分で言ってるじゃないの。“ウマ娘
巽見が痛いところをついてくる。それを言われたらなにも言えない。
しかし“絶対”はなくとも、少しでも勝つ確率を上げるのがオレ達トレーナーの仕事だ。
だからこそ、その負けレースの分析をしなければならない。
(アイツのメンタルの弱さは、やっぱり簡単には治らないな)
一番考えられるのは、“甘え”が出たことだ。
前回、独り立ちできたと思ったところに、直前まで一緒にやってきたトレーナーに祝福させたことで、「見てもらえている」という意識を生ませてしまったのは失敗だった。
だから今回、前のトレーナーもオレもいないことでその甘えが裏切られ、そして動揺して落ち着きを失った。
そして一番の原因は──
「この一年以上の連敗で、すっかり自信を失っていることの方が深刻じゃない?」
ポツリとそれを指摘した巽見。やっぱり優秀なトレーナーだな、お前は。
レッツゴーターキンはGⅢを連勝できたウマ娘だ。
だからこそ、連敗を断ち切りさえすれば、同じGⅢの舞台でも戦える──少なくとも次につながる結果は残せると、オレは思っていたんだ。
だが心の傷は、本人には自覚がないかもしれないが、思ったほどに深かったらしい。
「それと、負けグセを気にするのなら、もう一人の現役も気にした方がいいと思うけど」
「アイツの場合は、ターキンと違う」
恐れ多くも分不相応に“
最悪、もう戻らないかもしれない──半年近くが経過して、そんな恐れがオレの頭の中には生まれてさえいる。
(でも……アイツは今まで、よく頑張った)
ドン底からスタートして、這い上がり、奇跡を起こした。
そうして栄冠を掴んだアイツにもう一花、という気持ちは、共に歩んできた者としてもちろんある。
しかしさすがに「もっと頑張れ」とは、オレには言えない。
だから後はもうアイツの気が済むまで好きなようにやらせてやりたいと思っている。
だが、ターキンは違う。
「ターキンは、まだなにも為していないからな」
「なにも? GⅢ連勝をしてるのに?」
世のウマ娘はGⅠを何勝もするような一流ウマ娘だけではない。
かといってオープンクラスに昇格するのがやっとの、並のウマ娘からしてみれば、ターキンのやったこともそれは十分に大きな“成し遂げたこと”だろう。
「アイツの意識はもっと上にある。だからまだトゥインクルシリーズを走り続けているし、ダイユウサクの有馬記念制覇に自分の夢を重ねたんだろ」
並のウマ娘ならGⅢ連勝で満足し、7連敗で諦めてしまっている。
ましてその最中に二人三脚だったトレーナーが退くのなら、なおさらだ。
でも、アイツは走ることを選んだ。
そんなレッツゴーターキンが現状の成績で満足しているわけがないんだ。
「アイツが上を目指すには、また自分の強さを積み上げる必要があるんだ。そしてその積み上げたものが自信になり、弱いメンタルを守る盾と鎧になる」
アイツのメンタルが弱いのを理解しいていながら、2戦も付かずに走らせてしまったのは正直、失敗だった。
特に前走──その前はオレがいない状況を体験させるのと、前任者のことがあったからまだ良かったが、次のレースは考えるべきだった。
一年以上ぶりの勝利に、ターキンが喜んでトレーニング中の調子がよかったのを過信したというのもある。
「……でも、もし負けがかさんだら逆効果じゃない?」
「もちろんそうだ。だが、去年のダイユウサクみたいに結果を出せなくても上を見続ける、なんてことはターキンにはできない」
絶対に心が折れてしまう。
現に、今回の最下位という結果でさえだいぶショックを受けているようだからな。
「勝ち……たとえ負けても良かったところを見つけるためにも、次からはオレが付かないとな」
そもそも、せっかくオレが担当になっているのに、今までオレが出走レースに立ち会っていないのもおかしな話だ。
少なくとも何度かそれを繰り返して、様子を見る。
──ただ、問題もあった。
「とはいえ、時間が無いんだよな……ターキンのレースに付き添うようにするにしても。もう宝塚記念の時期だぞ?」
「春レースも終わり、ね」
ふと、巽見の顔が陰った。
今は担当しているウマ娘がいないはずの彼女だが、思うところがあるのだろうか。
そんな巽見の言うとおり、有馬記念が秋レースの終わりなら、宝塚記念は春レースの終わりにあたる。
2つの
そして春が終われば夏がくる。
「夏になればメイクデビュー戦が始まることになる。そうなると出走するメンバーが2人増えるかもしれない」
もちろん本人達の仕上がり具合に任せるしかないが、少なくともオラシオンとロンマンガンの2人が出走する可能性が出てくる。
「それはさすがにそれにトレーナーが行かないってわけには……ね」
「ああ……」
巽見の言葉にオレはうなずいた。
ダイユウサクの場合、前のチームでデビューが遅れに遅れたという事情はあったが、トレーナーが来なかったというヒドい目に遭っている。
同じことを二人に経験させるわけにはいかない。
また、そのうちの1人のオラシオンは〈リギル〉の勧誘を受けていたこともあって注目されている。
それを断って〈
「そっちが始まる前に、ターキンを安定させたいんだが、果たして間に合うか……」
少なくとも秋までに、アイツが失った自信を回復させなければ。
それに秋になれば重賞レースが格段に増える。ターキン自身が栄冠を掴むためにもそれに間に合わせなければならない。
(だから、次からはダイユウサクの日程とはかち合わないようにするしかない……)
アイツの次走は決まっている。宝塚記念だ。
投票で出走が決まるレースだが、そこはそれ腐っても有馬記念を勝ったウマ娘──たとえそれ以来勝ちが無くても、出走できそうなくらいに票は得ている。
(それを避けた上で、地方のレース場での開催と……)
さて、その条件で考えると、レッツゴーターキンの次の
「ほら、マンガン! もう一本だ!!」
「う、うへぇ……」
オレが出した指示に、呼吸を整えていたロンマンガンは、うつむいていた顔を上げ、露骨に苦い表情になる。
「
ブツブツというロンマンガンの声が聞こえてくる。
今日、オレはロンマンガンに完全についてトレーニングしていた。
「トレーナー……あっしなんかほっといて、ダイユウ姐さんとかターキン先輩とか、現役を優先して見た方がいいんじゃない?」
「二人ともレースが終わって間もないからな」
「えぇ~? そう言ってすでに数日経ってるじゃん。それに……」
ブツクサ言いながらジト目気味にロンマンガンが向けた視線の先には──ダイユウサクが軽めに走っている姿があった。
「姐さん、いるし」
「軽めの調整を言いつけてある。だからオレがジッと見てる必要はない」
「ならターキン先輩は?」
ロンマンガンの問いに──オレは答えるのを躊躇った。
レッツゴーターキンは、新潟大賞典以降から練習に顔を出していなかった。
(やっぱりショックだったんだろうな……)
一年以上ぶりの勝利……からの最下位。
それが惜敗だったわけでも、強いメンバーに囲まれたような仕方のない敗戦でもない。
(確かに重賞だった。しかしGⅢだ)
メンツを見ても……確かに勝利したメジロパーマーは春の天皇賞に出走したような馬娘だ。そこでダイユウサクと戦ってもいる。
だが、メジロマックイーンの圧勝に対し、抵抗したといえるようなものではなかった。
オレがマークを指示したシャコーグレイドも、あくまであのメンバーの中で警戒するべき、という範囲でしかない。さらにはターキンの“差し”が目印にできる相手だったからという側面が強い。
まぁ、それでも、そいつらに負けるのはまだしも……
(そんな中で、
連敗を脱出して光明が見え、「さあ、これから──」という時に出鼻をくじかれたんだ。
その心境を考えると──
「今は結果を受け止め、考える時間も必要だろ……だから、放っておく」
「えぇ~……それでパイセンが走るのやめたら、どうするんです?」
「そうしたらそれまでだろ。それがアイツの決めたことならオレはそれに従うしかない」
走りたくない者を走らせても意味がない。
走りと勝利に飢えた者たちが競い合っているのがトゥインクルシリーズであり、その世界で生き残れるはずがないからな。
心折れた者は、去るしかないんだ。
「まぁ……そうなったら、前のトレーナーには謝りにいかなくちゃいけないけどな」
「ターキン先輩が自力で立ち直れるようには思えねえんですけど」
「それでも、立ち直ってもらわないとなぁ……」
ロンマンガンに冗談めかした苦笑を浮かべながら──オレも少しだけ不安はあった。
実のところ、オレが担当したウマ娘が
しかもそれは、ダイユウサクではない。
アイツがタイムオーバーして最下位だったのは、オレが担当する前の話だ。
そしてオレが担当した
(しかもアイツ、そのまま辞めちまったからな……)
あのレースの直後のオレは、それでもパーシングが戻ってくると思っていた。
だからこそ次を考えていたが──それが傲慢であることを思い知らされた。
もちろん彼女の場合は“
だから正直な話、
確かにオレは2戦連続で
ただしそれは……
(
では、レッツゴーターキンの場合は?
オープンクラスまで上り詰め、GⅢ連勝までしているんだから、ダイユウサクやパーシングのような“不完全燃焼”ということは無いと思う。
もしもそれで満足をするのなら……オレはそれでいいと思う。
──だが、もしも……それでも上を目指すのなら、オレは喜んで手を貸そう。
それがトレーナーの役目であり、あの人から引き継いだ意志なんだから。
「──トレーナー、遠い目してる場合じゃない。さっさとターキン先輩、探さないでいいの?」
「……先輩の心配よりも、自分のことを考えような、ロンマンガン」
「ああ。あっしは、シオンと同じトレーニングできてるんで大丈夫。それ以上は間に合ってまーす……」
ササッと離れようとするロンマンガンに、オレはジト目を向けた。
「オラシオンと同じトレーニングしていたら、
「は? え? オラシオンに……勝つ? いつの間にそんな話になってんの?」
「このチームに入ったときからだろ。GⅠ制覇、したいんだよな?」
「そりゃあ、そう言いましたけど……」
不満げに口をもごもごさせるロンマンガン。
「オラシオンの出ないレースを選んで走り続けるつもりか? 勝負から逃げ回るヤツは勝利なんて掴めないぞ」
「……それ、あっしじゃなくてターキン先輩に言ってくださいよ」
そういって諦めたように大きなため息をついたロンマンガンは、オレの指示に従ってトレーニングを再開した。
やれやれと言いたげな態度だったが、それでもやっぱり向上心はある。
オレはロンマンガンの評価をそのように維持したのだが……
……その翌日、ロンマンガンもトレーニングを休んだ。
うん。自分の目に少し不安を抱いたさ。
……アイツ、本気でやる気あるんだろうか? あるよな?
◆解説◆
【希望と愚行】
・今回はロンマンガン回扱いで、タイトルは彼女の時のルールに沿って選定。
・ロンマンガンのは基本的に「麻雀アニメの各話タイトル」となっていますので、今回もアニメ『闘牌伝説アカギ』の第20話からそのまま採用。
【夏風邪】
・「夏風邪はバカがひく」……と言われるのを受けての言葉。
・巽見トレのいう通り、「バカは風邪ひかない」とも言われているので、そこに矛盾が生じるわけで。
・夏風邪をひけばバカ判定されるけど、そもそもバカなんだから風邪をひくことは無いので、バカではないはず。
・……一つ言えるのは、夏風邪ってきついんですよね。書いてる人は季節の変わり目と冷房でけっこうひくもので。
・まぁ、安田記念は5月半ばだったので、“夏風邪”といえるかどうか……
【メイクデビュー戦】
・夏競馬と言えば新馬戦。
・そして元ネタが架空馬の今回の二人のうち、オラシオンは小説『優駿』にきちんとデビューした時期が書かれています。
・だた……もう一人のロンマンガンに関しては明確なデビュー時期が書かれていないんです(脇役なので)。
・3歳時(旧表記)の描写が全くなく、ダービー前に勝利してダービー出走しているので、少なくともその前にはデビューしているのは間違いないだけで、その年にデビューしている可能性もあるということしかわかりません。
・いや、本気で困るんですよねぇ……実在馬モデルでは絶対に起きないことなので。
・さて、マンガンのデビューどうしますか。
【ダイユウサクではない】
・じつはダイユウサクが
・2つのどっちもタイムオーバーというインパクトの強さもあって、そのイメージが強いんですよね。
・でもそれ以降は、最下位どころか総出走頭数の半分よりも下(つまりちょうど半分は除く)になったのは、有馬以降になる1992年を除くと5歳の貴船ステークスの16頭中10着と、7歳の京都大賞典での7頭中5着になった2回のみ。
・その京都大賞典も、2000メートル超のレースには初挑戦な上に、絶対強者メジロマックイーンが出走したせいで極端に出走した数が減っていたせいでもありますからね。一応は掲示板に入ってますし。
・そんな安定していたはずのダイユウサクが、史実では92年になった途端に、8頭中6位、14頭中9位、13頭中8位、18頭中14位ときて、最後は