大湊警備府室蘭分遣隊のべつまくなし忙しなし!   作:旧姓かわかみ

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本編
第1回「入江のなかよし」


 火曜日、11時26分。いや、ヒトヒトニーロクと言った方が良いのか。私は今、猛烈にお腹がすいている。朝食を食べなかったわけじゃない。今日は朝から会議続きだったのだ。しかも出席するだけで隠れてメールチェックしててもいいような、どうでも良い類のものでもなかった。頭を使い、たくさん喋ったのだからお腹ぐらいすいてもよかろう。

 まず9時半からはドック設備の週例ミーティング。参加メンバーは私、ドックチーフの明石さんと、提督の秘書艦である叢雲ちゃんの3人。何もないときは提督が出てくれるんだけど、今日は忙しかったようだ。

 議題は先週のミーティングで明石さんから要望のあった設備修繕についての経過報告。艤装補修設備の一部に異音が発生しているらしく、その修理と合わせて大湊から持ってきた装備開発設備のリプレース、というのがその要望の内容だった。

 補修設備の修理は、木曜日に室蘭どつくのエンジニアさんに現調に来てもらって、昨日見積が来たところだ。最初は簡単な作業で済むと踏んでいたのだけど、複雑な機構を一度バラさないといけないらしくて、思ったよりも大掛かりな作業になってしまうようだった。当然明石さんの方が普段からその設備を使っているから、作業内容について疑問質問がいっぱい飛んできて……

 ああ、現調の時にエンジニアさんに色々聞いておいてよかった。明石さんの質問には一通り答えることができて、ちゃんと納得もしてもらえたようだ。明石さんとの質疑応答の間、叢雲ちゃんが借りてきた猫みたいになってたけど、こればっかりは仕方ない。

 それから、装備開発設備のリプレースについては……これは明石さんもドサクサで出してきたようなもので、既に前回のミーティングの時点で提督からは無理だと言われていた。だけど、仮に実施する場合の金額や課題は押さえておきたいということで、情報をまとめておくように、というのが提督からの指示だ。

 こちらは崎守製作所の営業さんに話を聞いてみたら、既存設備が相当古いものだそうで、リプレースするなら一から設計してこのドックに適合するように入れた方が良いですよ、なんて言われてしまった。なんだか先方にとって都合のいい話にも聞こえるけど、今回は実際に導入するわけじゃないし、設計から導入まで依頼する場合の金額目安だけ出してもらうことにした。新型機は旧型機よりも出力が高く熱がこもりやすいから、などと言って空調の追加まで入れてきたあたりは営業さんもなかなか抜け目がない。

 ただ、確かに去年の夏場の開発チームは大変そうだった。体調管理という面で課題があるのは間違いない。室蘭は内陸ほど極端な気温にはならないはずだけど、近年は昔よりも暑さが厳しくなっているようにも感じる。恐らく叢雲ちゃんや提督の方がよく肌で分かっているだろう。大規模なプロジェクトにはなるが、来期予算に入れてもらうためにも今から動き始めた方が良いかもしれない。

 というようなことを話し終えたあたりで1時間が経った。私も叢雲ちゃんも次の予定があるし、会議室の前では次に使う補給物資調達チームが待ち構えている。艤装補修設備については見積通りに進めることとし、装備開発設備の続きはまた次回に持ち越し、ということで会議は終了となった。

 

 補給物資調達チームの大淀さんに会釈し、明石さん、叢雲ちゃんと別れた。次は受付近くの郵便室へ行き、郵便担当との週例。郵便担当は月毎の当番制なんだけど、配属されて日が浅い子が就くことが多くて、どちらかというとカウンセリングというか、お悩み相談みたいになることもある。

 今日も担当の松輪さんが届いた大量の荷物を前にオロオロしていた。よく見れば全て工廠行きの資材で、恐らく大淀さんが発注したものと思われる。だから慌てなくてもいいよ、後で工廠に連絡すれば取りに来てくれるからね、と優しく諭してからミーティングを始めた。

 この子、仕事ぶりは真面目だし問題なくできているんだけど、ちょっと気が弱いのか、なんだか自信なさげ。話を聞いてみると、なにやら今朝叢雲ちゃんに怒られてしょんぼりしているらしい。伊勢さんなんて、この仕事やってた時に提督宛の郵便物をダイレクトメールと一緒にシュレッダーにかけちゃってすごい怒られたことがあって、それに比べたら大したことないんじゃない、ということを話してみた。引き合いに出した伊勢さんには悪いけど、ちょっと松輪さんも元気出たみたい。

 そうして話をしていると局員さんが配達にやってきて、郵便をどっさり置いていったので、二人でその仕分けと配布をしていたら、あっという間にこんな時間。片付けないといけないことは結構溜まってるんだけど、もうお腹すいちゃったし、先にお昼行ってあとは午後に回しちゃおうか……

 などと思い至ったが最後、もう仕事なんて手には付かない。既に頭は食べることでいっぱいだ。しかも今日は朝からお昼の行き先を決めてある。目が覚めたときから猛烈に、あの店のあれが食べたい!と食欲中枢が主張していたのだ。

 私は弱い。自ら噛み切らない限りは、この舌の欲望に勝てる日など来ないのではなかろうか。

 

 そんなことを考えているうちに、提督の執務室の前までやってきた。そうだ、提督と叢雲ちゃん宛の郵便を配りに来たのであった。これでもう午前の仕事は終わりなのである。誰がなんと言おうとも、この郵便を配り終えたら私はお昼を食べに行くのである。たとえ提督であっても、いまの私を止めることはできない。

「……ふう」

 一つため息をつく。提督というと厳格で高齢のいかつい男性が想像されるかもしれない。しかしここの提督は私より少し年上ではあるものの、そこまで大きく年は離れていない。だからといって貫禄がないわけではないが、普段は温厚で話の分かる人だ。勝ち目はある。いや、そもそも止められると決まっているわけではないのだが。

「…………よし」

 意を決してつぶやく。傍から見ればまるで異性に思いの丈をぶつける決心をしたかのようにも見えるだろう。それはある意味では正しい。私はこの郵便物を配り終えたら、すぐにその足でお昼ごはんを食べてきたいので、急ぎの仕事は受けられないんだという胸中を、提督に吐露しなければならない。

 私は事務官なので、提督の直接的な指揮命令系統下にいるわけではない。とはいえここは基地の規模も大きくないこともあり、実質的に私も提督の指示のもと仕事をしているようなものだ。軍隊において上官命令に逆らうというのがどういうことか、理解はしている。それでも私は、上官である提督に反旗を翻してでもお昼ごはんを食べにいくのだ。そんな心意気が、口をついて出てきた。

 ただ、繰り返すようだがまだ提督に止められるということが決まったわけではない。っていうか、叢雲ちゃんとか満潮さんなんかしょっちゅう提督と喧嘩してるし、それに比べたらかわいいものなんじゃないの。二人の顔が思い浮かんだところで私は考えるのをやめ、執務室のドアに手をかけた。

「提督、失礼します。郵便をお持ちしま――あれ、叢雲ちゃんだけ?」

 執務室に提督の姿はなかった。逡巡したあの数刻は一体何だったのだ。室内には叢雲ちゃんが一人、膝の上にノートパソコンを載せた状態で応接用のソファに沈んでいた。秘書艦用のデスクもあるのに、既に物置と化している。

「あら英子、郵便?もうそんな時間なのね。ありがとう。提督は出かけてるけど、何か用?」

「いや、特にそういうわけじゃないんだけど……むしろ都合いいくらいかな」

 やはり深く考える必要などなかったか。空腹で余計なことばかり思い浮かんでいたようだ。やはり腹が減っては戦はできぬ。午前の仕事はこれで終わりにするのがよい。そう思うと気分も明るくなってきた。この腹を満たすというきわめてプリミティブな喜びを誰かと分かち合いたい。

 そうだ、それならば――

「叢雲ちゃん、もうお昼入れる?」

「まあ今日は別にいつ入っても大丈夫ね。13時より前に戻っていれば十分かしら」

 話をしながら、提督宛のものと一緒に、叢雲ちゃん宛の郵便も提督の机に乗せておいた。どうせあとでチェックしてくれるだろう。直接渡したら、その場で開封してしまって次の仕事が始まりかねない。

「ほんとに?そしたら、外に一緒に食べに行かない?」

「良いけれど。どこで食べるか決まってるの?」

 そう言うと叢雲ちゃんはノートパソコンをぱたんと閉じ、ソファから浮かび上がってきた。私が机上に乗せた郵便の隣にパソコンを置き、伸びていた充電ケーブルを差し込む。そこは提督の机なんだけど、彼女にそんなことは関係ないらしい。

「決まってる~~!もう今日は目が覚めた時から『入江のなかよし』って決まってるんだ」

「何なのそれ……ま、いいわ。久しく行ってないし、付き合ってあげる」

 叢雲ちゃん、最初はちょっと怖いのかな、厳しいのかなって思ったけど、本当は不器用で優しい子なんだよね。うう、良い同僚ができてよかった。

「じゃ、早速行きましょう!」

 

 室蘭基地は、室蘭港フェリーターミナルの駐車場だったところと、その向かいにある製鋼所の海側を買い上げた部分がその敷地となる。設置当初は旧駐車場部分だけを使用していたみたいなんだけど、間もなくして製鋼所部分に広がったそう。だからか、今でも基地内では「旧駐」「旧製」なんて呼んだりしている。とはいっても、旧駐にあるのは倉庫と隊員寮くらいで、一日のほとんどは旧製側で働くことになる。

 出入口は室蘭港側が正面口とされていて、他に御前水側にも一箇所存在する。ただ、そちらは自動車や貨物列車で出入りすることが大半で、少なくとも私は徒歩で使ったのは数えるほどしかない。いわゆる室蘭の市街地に出るには、徒歩であれば正面口一択となる。

 そんなわけで、叢雲ちゃんと二人で正面口を出て歩き始めた。

「明石はさ、油断も隙もないのよね。事あるたびに工廠の改良とか言い出してくるのさ」

「まあ~~それだけ仕事熱心だってことじゃん?」

「そうだけど、今でも結構優遇してる方なのよ?」

 いま私たちが向かっているのは、さっきも言った通り「入江のなかよし」というお店で、正しくは「室蘭ラーメンなかよし 入江店」という。入江店ということからわかる通りチェーン店で、市内にいくつか店舗がある。

 さて、室蘭でラーメンというと何を思い浮かべるだろうか?多くの人はカレーラーメンを想起するものと思う。事実、この近くには室蘭カレーラーメンのお店もあり、そちらも美味しいのでまた今度紹介したい。しかし今日訪ねるのはカレーラーメンのお店ではなく、家庭的で素朴な味わいの、昔ながらのラーメンのお店なのだ。

「そういえば、今日提督どっかいっちゃったの?朝は見かけた気がしたけど」

「千歳の航空基地に出かけたわよ。なんでも要人警護の依頼があったとか」

「え?提督が警護すんの?できんの?」

「まさか!来月にどっかのお偉いさんか誰かが来るから、うちの艦娘に依頼したいらしいわ。それで今日はその打合せよ」

 艦娘はその特性上、内陸部や機上での警護も可能なので、他所の防衛隊からの依頼も少なくない。航空や陸上からの依頼報酬はそのままこの基地の財政に貢献するため、本業の海上防衛を圧迫しない限りで受け付けているようだ。ここも人数が増え、外からの依頼も受けられるようになり、ようやく会計が火の車から脱したらしい。私も詳しくは知らないけど、よほど良い案件なんだろうな。

「それでわざわざ千歳まで?提督も大変だねえ。じゃあ今日は一日帰ってこないんだ?」

「ううん、夕方には帰ってくるって言ってたわ。千歳っていっても高速で1時間ちょっとだし、そんな遠くないのさ」

「ちょっとまだその感覚がわかんないんだよね……」

 提督や叢雲ちゃんは室蘭生まれの室蘭育ち。だからか、叢雲ちゃんと喋ってるとたまに北海道訛りが出てきてちょっと可愛い。本人はあまり出さないようにしてるみたいなんだけど、その顔で方言女子ってちょっと反則だぞ。ちなみに誰も興味ないと思うけど、提督はびっくりするほど訛りが出ない。

 私はというと、東京生まれの東京育ちなんだけど、親が室蘭出身で小さい頃はよく遊びに来ていたので、この土地に縁がないわけではない。ただ、今は祖父母も亡くなり、親戚が近くにいるくらいで、二人からすれば完全に「内地」の人間だ。

 

「あら?昼時だけどあんまり並んでないのね」

「それを見越して早めに出てきたんだよ。12時過ぎてからだともっと大変だよ」

 そのお店は基地の正面口を出てまっすぐ進み、陸上競技場、臨海公園を通り過ぎて消防署の向かいにある。基地から一番近い飲食店の一つで、関係者の出入りも当然多い。入江臨海ビルという雑居ビルの外階段を上がり、2階入口を入って目の前が「室蘭ラーメンなかよし 入江店」だ。混んでいるときは外の階段まで人が並んでいることもあるくらい、街の人々に愛されている。

 現代の人類は濃厚なこってりラーメンや、太麺・野菜マシマシの超大盛りラーメンなど、いろんな形でラーメンと向き合うことができる。そんな中でもこの「なかよし」は、あくまでもオーソドックスな伝統の味を守り続けている。変わらぬ味わいがそこにある限り、人々はこのラーメンに魅了され続けるのであろう。

「英子、ここのお店そんなに好きだったの?」

「え?そうだよ。小さいときから、室蘭に来るといつも家族で食べに来たんだよね」

「ふうん」

「やっぱりさ、こう、過激なラーメンが食べたくなる時もあるけど、最終的にはこういう『ザ・街のラーメン!』みたいなのが一番強いわけよ、なんだかんだ言ってね」

「一体何と戦ってるっていうのよ」

 呆れたように叢雲ちゃんが笑う。

「それにさあ、昔から変わらない味があるって、尊いことだよ。ほっとするというかさ、心のふるさとみたいなもんなのよ、私にとってはね」

「そんなに?まあ私も好きではあるけど、当たり前にここにあるから、そこまで重大にとらえたこともなかったわ」

「私にとっては家族の思い出でもあるからね。当たり前が当たり前であることに感謝しなくちゃ」

 街は変化し続けてゆく。人々の思い出の場所も風景も、無慈悲にも年月はそれらを消し去ってしまうことがある。残念なことに、この街は私の知る限りの昔に比べると、統計上の人口は減少の一途を辿っているし、小さいころと今とではやはり風景は変わっていると感じる。もちろん全てが別物だというわけではないけれど、まるでジグソーパズルのいくつかのピースが、知らない間に同じ形の異なるピースに入れ替わっていたような、そんな小さな変化が至るところで起こっている。

 だけど――

 それは決して、この街にだけ起こっているわけではない。私が育った東京だって、街の様子が日に日に変わってゆくのは同じだ。そこに住んでいると、きっとその変化はあまりにも緩やかで、当然のものとして捉えらえるに違いない。

 私はというと、この街に対してまだ小さい頃の記憶が頭の中に根強く残っている。それと目の前の景色を比べてしまうと、大きな変化のように感じてしまうのだ。ずっとここに住んでいた叢雲ちゃんはこの街が変化するのを見続けてきた。だから、それを自明のこととして受け入れることができるのだろう。

 ……まだまだ私も、この街の住民になりきれていないんだろうな。

 

「お待ちの2名様、こちらの席へどうぞ!」

「お、呼ばれたね」

「思ったより早かったわね」

「ここは回転も早いんだよね」

 店内は全てカウンター席で、10人ちょっとが座れるようになっている。スープのにおいが私の食欲中枢に対して集中攻撃を加えてくる。手際よく調理をする店員さんの姿を視界の端に入れつつ、二人並んで席に着いた。

「叢雲ちゃん、なに食べるかもう決まってる?」

「そうね、私は……しおラーメンにしようかしら。英子は?」

「私はね、なかよしのラーメンはしょうゆって決まってるんだ。すいませーん!注文いいですか?」

 室蘭に来てからもう1年は経つ。入江のなかよしにも月に1~2回は来てるだろう。しょうゆの他にみそ、しお、それからミックスラーメンなんてメニューもあるのだけれど、それでも毎回、飽きずにしょうゆラーメンを頼んでしまう。これもやはり、家族で来たときに食べたしょうゆラーメンの記憶をつなごうとしてしまうのだろう。幼少の頃と違うことといえば、ネギ抜きにする必要がなくなったことくらいか。

「いつもそうなの?飽きないわねえ」

「いやいや、いつ食べても飽きないのがなかよしなんだよね」

 しばらくして、お目当てのラーメンが眼前に相まみえた。これぞこれ、この世のまこと。私が朝から焦がれ憧れていた、なかよしのしょうゆラーメン様である。やあやあ皆の共、頭が高い、控えおろう。見よ、この濃いしょうゆの色と、小麦色の麺の美しいコントラストを。そこに色鮮やかなネギ、歯ごたえのありそうなメンマと、見るからに脂の乗って柔らかそうなチャーシューが美しくバランスよく並べられている。これぞなかよしの黄金比、すなわちここは現代に完全復活したパルテノン神殿であるといっても過言ではない。パルテノンといえばかの有名な古代ギリシアの歴史家ヘロドトスは「なかよしは室蘭の賜物」と評したという。時代は下り、古代ローマの政治家ユリウス・カエサルは入江のなかよしで同僚とばったり出会ったときに「ブルートゥス、お前もか」という名言を残したと言われている。平和な時代だったことが窺える。西洋だけの話ではない。伊弉冉・伊弉諾が天の沼矛でかき回していたのはなかよしのスープだったそうだ。そういえば、なかよしから帰るときに振り返ってはいけない(なぜならまた食べたくなってしまうからだ)、という伝承は古事記とギリシア神話の奇妙な共通点だと言われているが、このラーメンのおいしさを考えれば納得できるというものだ。国境の長いトンネルを抜けるとなかよしであり、メロスは親友を身代わりにしてまでなかよしまで走ったのだ。なぽれおんは死ぬまぎわ、なかよしのラーメンを食べたいよ、しるぶぷれと言ったとか言わぬとかじゃかじゃん。はっ、私はいったい何を。否、そんな説明をしている場合ではない。見た目でも楽しませてくれるのはいいことだが、一刻も早くこの狂おしく愛おしいラーメン様に祈りを捧げながらいただかなくてはならない。万が一麺が伸びてしまったり冷めてしまったりしたらそれは神への冒涜である。と、そんなことを考えていたら叢雲ちゃんのしおラーメンも提供されたようだ。むむ、そちらも美味しそうである。しょうゆラーメンが街に降りる夜の帳だとすれば、しおラーメンはまるでその闇夜に浮かぶ月のようだ。なるほど、月に叢雲とはよく言ったものだなあ。

「あら、待っててくれたの?延びちゃうから先に食べててもよかったのに」

「いやいや、神聖なるラーメン様に祈りを捧げていたのですよ。さあ、いただきます!」

「?」

 卓上にはニンニクや胡椒などの一般的な調味料が並んでいる。しかしここのしょうゆラーメンはそんなものに頼らずとも最初から最後まで美味しいのである、というのが私の持論だ。「室蘭ラーメン専門店 なかよし 入江店」と住所・電話番号の書かれた袋を開けて箸を取り出す。

 まずは蓮華でスープをひとすくい。先ほども言った通り、ここのしょうゆラーメンは醤油の色が濃く、「室蘭ブラック」などと呼ぶ人もいるようだ。だがしかし、口に入れてみれば意外にも見た目ほど極端な味ではなく、まるで無骨な職人かのように純朴で、まっすぐに醤油味なのだ。この味が私を掴んで離さず、いつもいつも同じスープを頼んでしまう要因となっている。

 そして待望のラーメン様だ。麺はややちぢれていて、そして何よりやわらかい。口の中に入れると、歯を立てるまでもなく麺は細かく千切れ、その断面からにじみだす麺そのものの味とスープの味が、まるで最初から一つのものであったかのように絶妙な塩梅で混じりあう。この麺とスープの味のバランスこそ、真のなかよしの黄金比といえるだろう。

 おっと、スープと麺だけではない。細かく刻まれたネギ、こちらはなかなかの仕事人だ。麺にひっついて口の中にうまくもぐりこみ、刺激にも似たアクセントを加えてくれる。そしてメンマは逆に歯ごたえがあり、ほんのりと甘い。ネギと対極の存在ともいえるが、いい仕事をしているという点では共通している。

 そこにこのチャーシューときた。スープは見た目の印象を覆す味だが、チャーシューはものの見事に見た目を裏切らない柔らかさ、そしてパンチのきいた味付けになっていて、そのコントラストが孕む意外性が、何度食べても新鮮な驚きを私にもたらしてくれる。ただの醤油ラーメンと侮ることのできない奥深さがここにはあるのだ。

「お客さん、何人ですか?2名様?ちょっとお待ちくださいね!注文決まってますか?しょうゆ2ですね、外でお掛けになってお待ちください!」

「あら、もうこんなに並んでるのね」

「やっぱり早めに出てきて正解だったね」

 いつの間にか店の外のスツールにまで人が並んでいる。近くには市や支庁の役所だけでなく、室蘭の名士企業の本社などもあり、そういったところで働く人の心のオアシスにもなっているらしい。常連さんにもなると顔を覚えられたりもするのだろうが、私はまだその域までは達していない。

 

「ふーおいしかった!」

 はじめは味の考察をしながら食べていたはずだが、いつの間にやら夢中でラーメンを食らってしまっていた。するすると食べてしまえるのも、この昔ながらの味わいが成せる業だろう。ちょうど叢雲ちゃんも箸を置いたところのようだった。

「英子、お会計ぴったり出せる?」

「んーとね、出せるよ」

「じゃ、私大きいのしかないから、一緒に会計しておくわね」

「はい、じゃこれでよろしく。ごちそうさまでした!」

「ありがとうございましたー!またよろしくお願いしまーす!」

 店員さんの威勢のいい返事が嬉しい。さっきまで煩悩のようにありとあらゆる言葉で埋め尽くされていた頭もだいぶスッキリした。余計なことを考えずに午後の仕事に取り掛かれそうだ。兵站の重要性を今一度認識することができたという点でも、大変有意義な時間であったといえよう。会計を終えた叢雲ちゃんが暖簾をくぐって出てきた。

「付き合ってくれてありがとね」

「いいのよ、お昼をどうするか悩まなくて済んだしね」

「そいじゃ、帰るとしますか!」

 ビルの狭い階段を下りる。空を見上げると、ようやくお日様が顔を出したところだった。おなかもいっぱい、気分も晴れやかになってくる。

「そういえば、さっきの明石との打ち合わせで出た、開発設備の件なんだけど」

「ええっ、もう仕事の話?基地に戻ってからにしようよ~~」

「ダメよ、あいつが出ちゃったからこの後忙しいのさ」

「そんなあ」

 真面目か!まあそこが叢雲ちゃんのいいとこでもあるんだけどさ。

「作ってくれた資料、司令官に送っておいてもらえる?あいつ、油断すると私に判断までさせようとするのよ。さすがにそこまでは気が回らないわ」

「はあい、わかったよ。……あ、そういえば、松輪さんと何かあった?」

「松輪? あぁ、今朝、司令宛の荷物を持ってきてくれたんだけど、重たそうな箱をわざわざ抱えて持ってきたのよ。あの子、体小さいのに……」

 叢雲ちゃんがため息をついた。なんだかその場面がありありと目に浮かんでくるようだ。

「それで台車を使うようにって?」

「そうよ。それがどうしたの?」

「なんかね、注意されたことをいたく気にしてたんだよね」

「あの子、なまら怖がりだからねぇ。優しく言ったつもりだったんだけど」

 まあでも、分かるよ松輪さん。提督の秘書艦って、松輪さんからしてみれば偉い人だもん。本人は優しく言ったつもりでも、額面以上に受け取っちゃうよね。叢雲ちゃんって第一印象は厳しい人って感じあるから余計にだろうな。

「でも、そんな松輪さんも出撃とかしてるんだよね、どんな感じなの?」

「それがね、実はなかなかすごいのよ。こないだ時雨の部隊と演習したんだけど、あの子一回も被弾しなかったの」

「へー、やっぱり体が小さいと当てづらいとか、そういうのあるの?」

「そんなレベルじゃないのよ。時雨なんて、このところ演習で外したことがなかったのに、その時は松輪に3発も避けられたの。それで時雨は松輪を狙うのを止めたみたい」

「松輪さんもすごいけど、時雨ちゃんも強いんだね……いや強いとは聞いていたけどさ」

「うちの主力部隊の隊長だもの。さすがに火力や耐久力は戦艦には勝てないけど、その分時雨は当てるし当たらない。もうしばらく艤装の入渠修理をさせていないはずよ。その時雨の攻撃を避け続けるってのはなかなかの逸材ね」

 叢雲ちゃんが熱っぽく語っている。あの松輪さんが戦っているところなんて想像もつかないけれど、人は見かけによらないのだな。そういえば、ここに来てしばらく経つものの、みんなが戦っている姿って見たことがないな。戦果の話をたまに聞くくらいだ。

「ねえ、演習って近くの海でやってんの?」

「日によるかしら。大規模海上演習だとイタンキの沖合でやるし、少人数なら基地正面でやることもあるわよ。陸上でやることもあるわ」

「ふぅん。ね、今度近くでやるとき、見に行ってもいい?」

「なに、もしかして仕事サボるつもり?」

 叢雲ちゃんがいたずらっぽい表情を浮かべて言う。

「えっ! そ、そういうわけじゃない、よ?」

「ほんとかしらねぇ? ま、仕事が終わってるようなら見にいらっしゃい。ちょうど明後日の午後、また時雨のところと演習よ。2対2だからドック脇から見えると思うわよ」

「おー、木曜日の午後ね。打ち合わせ入ってないし、今のうちに色々終わらせておくかあ」

「そうしなさいな。……あ、そういえば今朝、部屋にスマホ忘れてきちゃったのよね。一旦取りに帰ってから戻るわ」

「うん、私はこのまま戻るよ。付き合ってくれてありがとね」

 旧駐の隊員寮に向かっていく叢雲ちゃんの背中を見送る。

 

 前職のとき、クライアントのコアビジネスについて理解を深めることは重要だと上司からよく言われていた。この基地の仕事で言えば、艦娘のみんなにとっては「護るために戦うこと」になるだろう。そのことについて深く知るためにも、木曜までに面倒な仕事は終わらせておかなくちゃね。

「さーて、午後もがんばって働きますか!」

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