大湊警備府室蘭分遣隊のべつまくなし忙しなし! 作:旧姓かわかみ
「「艦娘科学教室?」」
づほちゃんと私の言葉が重なった。素っ頓狂な声を上げた私たちを叢雲が笑う。作業中の技官さんが、何があったのか不思議そうな顔でこちらを見たのが視界の隅に入った。
「そう、地域貢献活動の一環ね。地域とのつながりを作るのは当初から課題だったんだけど、そろそろ始めてもいいんでないかって」
「確かに。最初の頃はそんなことする余裕もなかったもんね」
室蘭は19世紀の終わりにも鎮守府を設置する計画があったけれど、見送られた歴史があると聞いたことがある。防衛上の理由もある一方、軍港化に対する室蘭市民からの強い反対もあったという。分遣隊基地の設置にあたってもやはり反対運動は起こったらしい。今はそういう話はほとんど聞かないので、私たち隊員もおおむね街に受け入れられていると思う。そこで、更に市民との交流を深め、地域といっそう良好な関係を築いていこう、ということなのだろう。
「それで、科学教室? 基地でやるの?」
「いいえ、本町にある青少年科学館っていうところよ。ちょっと施設は古いんだけど、そこで小中学生をメインターゲットにしてやるのはどうかって司令官がね」
「そっか、確かに基地だとそもそも興味ある人しか来ないもんね」
づほちゃんの問いかけに対して叢雲は丁寧に答えてくれた。私も気になることはある。
さっきから私がづほちゃんと呼んでいるのは、軽空母の瑞鳳。ドック班の担当艦娘は私とづほちゃんの二人でやっている。ドックには技官さんが多くいることもあってか、規模の割には艦娘は多くない。教育・演習班なんかそんなにたくさんいてどうすんの?ってくらいいるのに。専門職は不人気なのかしら?
「ふーん、でもどうしてうちのチームが?」
「あら、夕張ならそういうの得意でないかって思ったんだけど」
ちょっと、づほちゃんへの回答は丁寧だったのに、私にはずいぶんと雑じゃないの。
「そういうのって……具体的に何をすればいいのよ。理科の実験とか? 別に得意ってわけじゃないんだけど」
「ま、正直なんでもいいのさ。あなたたちにできて、子供たちが喜びそうなことね。工作とかそういうのでもいいのよ」
叢雲は手に持ったノートをうちわのようにぱたぱたさせながら言う。
「無茶言うなあ……でも、工作とかならまだできそうかな」
「言っておくけれど、あくまでも子供たち向けのだからね? 10cm高角砲の作り方とか、そういうのはダメよ」
「さすがに主砲は作らないわよ! でも電探とかならどうかな。小さいタービンとかでも……」
「それで、いつからやるの?」
話の方向が明後日に向かいそうになるのをづほちゃんが止めてくれた。危ない危ない。
「いえ、まだそういう案があるっていうだけなの。まずはあなたたちに相談して、企画の内容をこれから詰めていこうというところよ」
「なーんだ、じゃあまだやるかどうかも決まってないんだ」
そういえば私たちはいいけど、うちのボスはどう思ってるんだろう。ドック班のチーフを務めていて出撃をする機会は少ないけれど、艦娘でもある。若くしてそのポジションに就くほどに優秀なのがうちのボスだ。
「明石さんはこの話を知ってるの?」
「さっき会議で話してきたところよ。あなたたち二人に任せようかな、なんて言ってたわ」
「明石さん、最初から丸投げするつもりかあ」
「で、どうする? この話、進めちゃっていいかしら?」
明石さんのキラーパスは正直想定外だった。
でも、思い返してみれば小さいころから、技術館とか科学館とかそういった類の施設が好きだった。小学生向けの自由工作キットとかもよく買ってもらっていて、将来はモノづくりや、それに携わる人を支える技術に関する仕事をしたいな、ということを漠然と思っていた。高校を出て海防技官になって、色々あって艦娘になった今、このドックで人々を護るための技術開発に携われているので、夢は叶ったと言えるかもしれない。そんな私が科学館で仕事ができる、というのは思ってもみないことだ。そう思うと急にやる気も沸いてきた。
「そうね……うん、やってみたいな。づほちゃん、どう思う?」
「面白そうじゃない? 私も良いと思うよ。ちょっと何すれば良いか、まだ想像つかないけど……」
「じゃ、司令官に話しておくわね」
そう言うと、その辺に転がっていた椅子にいつの間にか座っていた叢雲は立ち上がった。
「そういえばあなたたち……青少年科学館、行ったことある?」
そんなの、存在自体いま初めて知ったところだ。づほちゃんも同じだったようで、顔を見合わせて二人で首を横に振って見せた。
「そう、じゃあ午後で出撃がない日に行ってみましょう。そのほうがいいでしょ?」
「まあ確かに……ええと、1日内勤なのって明後日だっけ?」
「んーと、明々後日ね、明後日は私はお休みよ」
「じゃあ明々後日の午後にしましょ。ちょうど土曜だから何かイベントをやってるかもしれないわ」
そんなことで、土曜日の午後に青少年科学館に行くことが決まった。帰って調べてみたら、北海道でも有数の歴史を持つ科学館だそうだ。館内の展示については簡単な説明はあったものの、具体的に何があるかまでは分からなかった。そこは当日のお楽しみということか。
科学館に下見に行くことになったその日は、朝から雲一つない快晴だった。地元の輪西製鐵から出向で来ているエンジニアさんによれば、室蘭でこんな日はそう多くないそうだ。こんな日に出撃任務があると気持ちが良いのだけれど、今日の出撃は長門さん達の部隊だけが担当となっている。
こちらはというと、午前中は執務室にこもって新型兵装のマニュアルをひたすら作成する業務に追われていた。私の作った図面とづほちゃんの書いた文章の整合性を検証し続ける、地味で閉鎖的な作業だ。だけどそれもお昼で終わり、午後は現調という名の外出。お遊びではないとはいえ、この天気のもと外に出られるのは嬉しい。
今回はあくまでも下見ということで、科学館側には基地から隊員が行くということは連絡をしていない。そこにいきなり艦娘の制服を着て3人で行くというのは混乱を招きかねない、ということで私服に着替えて行くことにした。
午前の業務を早めに切り上げてさくっとお昼を食べ、自室に戻って着替えた私たち3人は、叢雲の運転で科学館へと向かった。市役所の駐車場に車を止めると、その通りを挟んだ向かいにあるのが科学館だ。3階建ての小さな建物だが、どちらかというと2階建ての上に建屋が継ぎ足されたような、そんな見た目がする。壁面には室蘭市のマスコットキャラクターである「くじらん」が大きく描かれている。その脇の自動ドアをくぐり、館内に足を踏み入れた。
「懐かしいわね。小さい頃はよく遊びに来てたのよ」
「へー、さすが地元民だね」
3人分の入館料を叢雲が支払った。天井から延びる看板の、黒に白抜き文字で書かれた「展示室」という字の丸みを帯びたフォントが歴史を感じさせる。確かに設備は古そうだが、それだけ大切に扱われているということだろう。
展示室の内部には様々な展示があり、その多くが実際に自分の体で動かすことで体験できるようなものだった。ロボットアームをボタンで操作してブロックを積み上げてみたり、滑車で重りを持ち上げてみたり、説明をただ読むだけでなく、それを実際に動かすことで様々な事象の原理を体で理解させるような工夫がいたるところでなされていた。
奥の方には大掛かりな展示もあり、家族連れが「地震体験台」に乗っていたり、隣の「光をおいかけろ」という、床のパネルの光ったところを踏んでいく反射神経ゲームのような展示で遊んでいた。その並びには「ボートこぎ競争」という、2台の手漕ぎボートを模した展示があり、そちらはちょうど空いているところだった。
「よーしづほちゃん、一戦やろうよ」
「え、私? いいけど……」
挑まれると思っていなかったのか、気の抜けたような返事だ。そんなづほちゃんを展示に上がらせて、ボートに座った。目の前には室蘭市の地図があり、ちょうど基地のところから大黒島までランプで2本の線が引いてある。どうやらその距離を競争する、という設定のようだ。普段の出撃とまるで同じようなコースね。
「これ、どうしたらいいのかしら?」
「その辺にスタートボタンがあるはずよ」
「あ、あったよ」
づほちゃんがスタートボタンを押すと、カウントダウンのランプが点灯した。いきなり始まるのね? 心の準備も何もできていないわよ。
すぐに「スタート」のランプが点灯し、二人で一斉にオールを漕ぎ始めた。オールを動かすたびに、目の前の地図に引いてある2本のランプが前進するように切り替わっていく。なるほどそれぞれの進み具合がこれで分かるということか。それにしても、思ったよりも漕ぐのに力がいる。
「け、結構重いわね!?」
「そりゃそうよ、海の上を進むっていうのは意外と大変なのよ?」
叢雲が冷やかすような声で言う。艤装があれば、もうちょっと楽に漕げるのに! っていうか、冷静に考えると私たちが舟を手で漕ぐゲームに興じているのってなんだかおかしいわね。そんなことを思いながら必死に手を動かすけれど、私の方のランプは思うように進んでいかない。隣のランプとの差が開いていき、とうとうづほちゃんのボートがゴールの大黒島に到着してしまった。
「あー! まさか自分で振っておいて負けるなんて……づほちゃん速くない!? そんな力持ちだなんて知らなかったわ」
「ほら、私毎日弓引いてるから、それで鍛えられてるのかも」
空母たちは日々の訓練において艤装を外した状態で弓を引くことも多いと聞く。そりゃあ筋力もつくわね。
「ああー、そっかあ。私なんか最近艤装を軽くすることばっか考えてたから。もっと鍛えないと駄目ね」
「ま、これで海の上を行く大変さが分かったんでないの?」
叢雲がからっと笑いながら言う。
「そうね、普段どれだけ艤装に助けられているかがよく分かったわ……」
ボート漕ぎ競争を終えた私たちは入口近くの階段を上り、2階へと向かった。中央は1階から吹き抜けになっていて、フロアはそのホールを囲むような形になっている。上がってすぐのところには「フライトシミュレーター」と書かれた大きな展示があり、こちらも子供連れの家族が遊んでいた。画面がちらっと見えたけれど、まるでファミコンを彷彿とさせる粗いドットの描画のようだった。あの展示、一体いつから置いてあるのだろう。
その隣には視覚に関する展示が並んでいる。「色と光」というタイトルのつけられた展示には、色とりどりの円盤と、白黒の2色の円盤が並んでいて、展示筐体の前面についたハンドルを回すと中の円盤が回転する仕組みのようだ。
「ね、回してみてもいい?」
づほちゃんが左のハンドルを回すと、それに合わせて中の円盤も回転する。カラフルの円盤は回転するにつれ、色が飛んで真っ白の円盤に見えるようになった。「ニュートンの七色のコマ」という説明書きが下に書かれている。そこでふと疑問が浮かんだ。
「これ……写真で撮っても同じように白く見えるのかしら?」
「あー、確かに!どうなんだろ。やってみるね」
づほちゃんがスマホを取り出して、勢いよく回る円盤を撮影すると、目で見たのと同じように円盤は真っ白に映っていた。驚いている私たちに、叢雲が言う。
「それ、シャッタースピードが遅いからでないかしら」
「え?」
「シャッターのスピードが遅いと、その分長い時間光を取り込むわけでしょう。そうすると色が重なっていくから、結局目で見たの同じようになるはずよ」
「なるほどねー、それじゃシャッタースピードを早めればこの円盤の色も見えるってことよね?」
「たぶんだけれどね」
「それなら、試してみても良いかしら?」
スマホをポケットから出してカメラを起動した。確かシャッタースピードの設定ができたはずだ。
「バリさん、スマホのカメラでそんな設定できるの?」
「私のやつ、結構カメラに力入れてる機種だからね。あ、あった!」
「へえ、最近の携帯はすごいのねえ」
「叢雲、その台詞、なんかおばあちゃんみたいよ」
シャッタースピードを最速に設定して、再びハンドルを回して勢いよく回転する円盤を撮影した。少しブレてしまったけれど、確かに円盤の色がくっきりと見える。
「あ! 見て見て、叢雲の言う通りじゃない!」
「まあ、これくらいの予想は当然のことだわ」
「いやー、大人になってからこういうとこ来ると、面白いもんだね」
光と視覚の展示ゾーンを抜けると、「ブラックホール」と書かれた黒塗り壁のゾーンが現れた。宇宙に関する展示で、それをイメージして造作されているらしい。望遠鏡の仕組みや、天体に関する説明が展示されている。まだ冥王星が惑星とされていた時代に作られたもののようで、2006年に準惑星に降格したという注釈がつけられていた。
「この辺はちょっと専門外なのよね」
「私も……高校課程の地学でやったような気はするんだけど……」
「艦娘仕事に直結するようなことでもないからねえ」
づほちゃんにとっても興味関心の深い分野ではないようだ。そんな私たちに叢雲が呆れたように言う。
「あら、今はそんな余裕もないけれど、艤装保護システムを応用すればいつの日か艦娘が宇宙飛行士になる日も来るかもしれないわよ」
「おー、それはまた夢のある話ね」
叢雲って、普段から現実的なことしか頭にないと思ってたけど、こういうことも考えてるのね。それとも意外と本当にそういう話が上層部の方ではあったりするのかしら?
「そうなると、エンジニアのあなたたちもこういう知識をもっておかないといけないのよ」
「その時は叢雲も宇宙行くの?」
づほちゃんの問いに、いつもより少し穏やかな声で叢雲が応える。
「そうね、行ってみたいわね。さすがに艦娘としてではないでしょうけど」
2階を一周した私たちは、上ってきた階段で更に一つ上の階へ進んだ。3階は地元産業の提供で、それらの企業が製造している製品の紹介がメインのようだ。室蘭は港湾の街であると同時に「鉄のまち」として有名で、階段を上がってすぐのエリアは輪西製鐵と室蘭製鋼がそれぞれの会社に関する展示を設置している。
「この辺りは私たちに関連深いところよね」
「でも下に比べて……人が少ないような?」
「このフロアはどうしても『お勉強』感が出ちゃうからでないかしら。私は結構好きなのだけれど」
左側が輪西製鐵による大がかりな展示、右側が室蘭製鋼のパネル展示となっている。鉄に関連して磁石や合金に関する説明書きもあった。
「関連が深いといっても、さすがに素材レベルの話だと分からないわね」
「西山さんとか、佐々木さんとかなら詳しいんじゃない?」
づほちゃんの言った西山さん、佐々木さんというのはそれぞれ輪鐵、室鋼から出向で来ているエンジニアさんのことだ。私たちの工廠にも簡単な加工設備はあるけれど、基本的にそれらを操作するのは出向エンジニアの仕事であることが多い。私も本当はもうちょっと勉強した方がいいのだけれど。
鉄鋼の次は新日本ゼネラル燃料による、石油についての紹介コーナーだ。石油ができる仕組みや精製の方法、室蘭にある精製工場の紹介などがある。
「ん~……」
「あら瑞鳳、どうしたの?」
「さすがに私たちが原油タンカーを護衛してることは書いてないかぁ」
「ま、それは仕方ないわね。直接は関係があるわけでないもの」
石油コーナーを抜けると、広間のようなところに小さな台があった。何かしら?
「これ、室工大の人たちが作ったロボットでサッカーするやつね、子供向けのイベントでも披露してるらしいわよ」
疑問が伝わったのか、聞く前から叢雲が説明をしてくれた。実際にイベントで使っているのなら、私たちも使えたりしないかしら。
「うちらがやるとしたら何かできること、あるかな……あ、九九艦爆サッカーとか?」
「や、やめてよ! 艦載機はデリケートなんだから!」
妙案だと思ったけれど、空母のづほちゃん的にはアウトだったようだ。
「蒼龍と飛龍連れてきて、正規空母対決! なんてやったら面白いかなあなんて思ったんだけど」
「そ、そんなの、もし艦載機同士がぶつかったりしたらすぐに壊れちゃうのよ!」
「だいたい、正規空母対決なんて言ったって一般の人には伝わらないし、そもそもどうやって子どもたちに体験してもらうっていうのよ」
「だ、ダメか……」
「駄目よ」「ダメね」
一通り3階を回った私たちは、最後に係員さんに演示してもらえる展示を見ていこうという話になり、再び1階の展示フロアに戻ってきた。
「ね、私さっき気になるのあったんだけど、いいかな?」
づほちゃんが展示コーナーの一角を指さした。机の上には、大きな円盤を乗せた装置がある。
「あら、レコードね。じゃあこれ説明してもらいましょうか。えっと、すみません!」
叢雲が近くにいた係員さんを呼び止めると、青いエプロンをつけた初老の優しそうな男性が来てくれた。
「こちらの説明をお願いしたいんですけど……」
「もちろんですよ。皆さん、レコードって再生したこと、というかそもそも、見たことはありますか?」
私とづほちゃんと、揃って首を横に振った。
「現物見たの初めてかも」
「そうですか、では再生してみましょう。これをお渡ししますね」
「これは?」
係員さんが、カップ麺の容器に取っ手と小さな針が付けられているものを取り出してきた。手作り感が満載だけれど、これをどうするのかしら。
「このスイッチを押しますとレコードがこう、ぐるぐる回り始めるんですね。で、このカップの、針がありますでしょ?この針をそぉ~っと、レコードのこの凹んでるところに乗っけてみてください」
「私やってみていい?」
づほちゃんが係員さんの言った通り、針を回転しているレコードに乗せると……
「あ! なんか聞こえる!」
カップから音楽が流れ始めた! 何かは分からないけど、昔ながらの唱歌か何かのようで、やや擦り切れたような音がする。テレビで昔の音楽が流れるときもこういう音がするわよね。
「ほんとだ! え、このカップがスピーカーみたいになってるってこと?」
「そういうことです! 音って、どういう風にして伝わるか、皆さんご存知ですか?」
「えっと、空気の振動ってことですか?」
「その通りです! 皆さんさすが大人ですね、話が早い」
づほちゃんが、カップの針をレコードに乗せたままあっさりと即答した。
「それで、その空気の振動、これは空気の波とも言えます。高い音ほど短い波で、低い音ほど長い波なんですね」
「あ、周波数ですね?」
「おおっ、詳しいですね。説明しなくてももう分かっちゃいます?」
私も、と思って口をはさんでみたけれど、話を遮るようになってしまった。いけないいけない。
「いえ、すみません。そこからどうしてレコードの話になるのかは分からなくて……」
「じゃあ続けますね。このレコードっていうのはですね、この凹みのところに、その周波数、音の振動を、そのまんま刻んであるんです」
「「へえー!」」
づほちゃんと私の声が重なった。視界の端で叢雲が黙ってうんうんと頷いている。
「そうするとですね、こうやって針を落とすと、その振動がそのままこのカップに伝わって、カップがその通りに振動することで、同じように再生されると。そういう仕組みなんですね」
「いやー、知らなかったわ。今度私やってみていい?」
私も同じように針をレコードの窪みにそっと乗せると、やはりカップから音楽が流れた。手にも音の振動が伝わってくる。原理を理解しても、やっぱりなんだか不思議な感じがするわね。
「それじゃあ、この凹みってずーっと1本の線になってるってことですよね?」
づほちゃんがレコードの凹みに合わせて指を回しながら尋ねた。
「鋭いですね、その通りです。だから、針を落とした場所によって、再生される場所が変わるんですよ」
「やっぱり、そういうことなんですねー」
「それで、今これ流れてるの聞いてると分かると思いますけど、音がこう、ぶつぶつ切れているでしょう? なしてだと思います?」
「えー、レコードってテレビとかでたまに聞くけど、だいたいそういう音してるわよね?」
「もしかして、針で削れちゃってるとか、そういう……?」
「その通り。針でこすって、音を出しているわけですから、どうしても摩擦で削れていっちゃうんですよね。このレコードも昔からあるやつですから、だいぶ削れてきていますよ。その音が、レコードらしくて良い、っていう愛好家の人ももちろんいますけどね」
なるほどこうやって生の音を聞いてみると、温かみのある音などと言われるのも分かる気がする。侘び寂びに通ずる観念だったりするのかしら。
「じゃあ、聞くたびに音がどんどん変わっていくっていうことですよね」
「そういうことです。いやあ、大人の皆さん相手だと子どもたちとは反応が違って面白い。失礼ですが、皆さん室蘭の方ですか?」
係員さんから思わぬ質問が飛んできた。長くレコードに乗せていた針を持ち上げて私から答える。
「今はそうですね、仕事の関係でこちらで暮らしています」
「私はずっと室蘭です。だから、小さい頃もよく遊びにきていて」
後ろの方で黙って聞いていた叢雲が初めて口を開いた。
「そうですか、最近はそういう方もよく記念にいらっしゃるんですよ。ここも来年で閉館しちゃいますからね」
「……へっ??」
「おや、ご存知なかったんですか。今度の3月で閉館して、この裏にね、新しく同じようなのを、今ちょうど作ってるんですよ。それで、来年の12月にオープンするんです」
「えぇー! そ、そうだったんですか!」
「ちょっと叢雲、聞いてないわよ! 大丈夫なの?」
「だ、だだ大丈夫かどうかはわかんないけど」
叢雲が見たこともないほどに狼狽えている。こんなに焦っているのも新鮮だ。っていうか、こないだ調べたときにはそんなこと書いてなかったわよね?
「ど、どうされましたか?」
「い、いえ、何でも……あ、いえ、ええっとですね、実は私たち、海防隊の職員なんですけれども」
そう言うと叢雲は肩にかけた鞄から隊員証を出して見せた。
「ほー!基地の方でしたか」
「それで、地域還元活動として、こちらの方で何かこう、子供たち向けのイベントなど定期的に開催できたりしないだろうかと、そういうことを考えていたところだったんです」
「そうでしたか、そういうことでしたら、えっと、どうしましょう、この後お話していきますか?」
「えっ、でも来年で閉館なんじゃ……」
至って冷静な係員さんの反応に対し、づほちゃんが心配そうな声を上げる。
「閉館までの間だけでもやっていただけるのであれば、うちは大歓迎ですよ。ほら、工大の学生さんなんかね、毎月そういうイベントやってもらってるんですがなかなか好評で。でも学生さんたちも忙しいもんだからね、これ以上イベント増やすのは無理かなあなんて思ってたところなんです」
「ええと、市の方は通さなくても大丈夫なんでしょうか?」
「なんも問題ないですよ。なに、私どもは市から委託受けてこちらの運営してますけどもね、もう全部一任されてるんですわ。なので、この場ででも打ち合わせさせてもらえれば、話進められますよ」
「だって叢雲、どうする?」
呆気に取られていた叢雲に声をかけると、こちらも堰を切ったように話し始めた。
「あ、ええと、ありがとうございます。ただ、今日はその、二人にこの科学館を案内するだけで、まだ隊の方でもやると決まったところではないんです。なので、決まったら改めて、うちの責任者の方からご連絡させていただきます」
「そうですか、こちらとしてはそういったイベントの企画はありがたいですので、いつでもご連絡くださいね。いやそれにしたって基地の方が来てくださるなんて、思いませんでしたよ」
「っと、申し遅れまして失礼いたしました。室蘭分遣隊、基地運用本部の叢雲と申します」
そう言って叢雲は名刺を差し出した。さすが秘書艦、名刺も持ってるのね。もうすっかりいつもの調子に戻っているみたいだ。
「運用本部秘書艦……おぉ、艦娘さんなんですね。これはまた光栄です。私は吉川と申しまして、えー、名刺など持っていないので何も渡せず恐縮です」
「いえ、こちらこそ突然押しかけてしまって失礼いたしました」
「すると、もしかして、皆さんも艦娘さんでいらっしゃる?」
「はい、そうなんです。艦娘という職業を皆さんに身近に感じていただければ、ということを考えておりまして」
「それは良いことです。是非とも連絡をお待ちしておりますよ」
「ありがとうございます」
話がトントン拍子で進んでいく。しかし、肝心のイベントの中身がまだ何も考えられていない。もう少しヒントになるような何かがあれば……
「ねえ叢雲、もうちょっと話聞いてっても良いかな?」
「話? ……あぁ、展示の方の話ね? もうちょっとくらい大丈夫でないかしら」
「じゃあ、展示のお話の続きもお願いして良いですか?」
「もちろんです。したっけ、ジャンルを変えてみましょうか。イタンキ浜って、行かれたことはありますか?」
私とづほちゃんで顔を見合わせる。
「沖合にはよく行くけど、浜の方に近付いたことって、ないよね」
「そうか、さすが艦娘さんですね。ええと、イタンキ浜が『鳴り砂』だということも、ご存知ないですね?こちらの映像をご覧になってください」
職員の吉川さんが近くにあったブラウン管の小型テレビをつけると、そこには浜辺を人が歩く映像が映し出されている。
「よく聞いてみてください。人が歩くと、キュッキュッて、音がするでしょう」
「確かに!」
「これが鳴り砂というものなんですね、では、なぜ音がするのか、分かりますか?」
「うーん、砂が擦れて音がしているんだとは思うんですが」
「では、このイタンキの砂を顕微鏡で見てみましょう」
吉川さんが画面を切り替えると、机上の顕微鏡に乗ったシャーレの映像が映し出された。なんだか学校の理科の授業を思い出す。
「これがイタンキの砂なんですね。こうやって見ると、キラキラ光っている物が混じっているでしょう」
「ほんとだー。これがその音を鳴らしている正体なんですか?」
「そうなんです。では、この物質は何だと思いますか?」
「ええー、全然わからないや。叢雲は分かるの?」
「私はこれが何か、既に知ってるもの」
レコードに引き続き黙って聞いている叢雲に投げてみたけれど、つれない返事だ。
「さすがだなあ」
「これはですね、石英なんですよ。聞いたことありますか?」
「石英……クリスタル?」
「おおっ、詳しいですね。石英の中でも無色透明なものをクリスタルと呼んだりもしています」
「いやあ、あはは」
思い浮かんだ言葉を口走ってしまった……うん、ゲームで得た知識だということは黙っておこう。
「この石英が、砂の石にたくさん含まれていること。それが鳴り砂の条件なんですね。もう一つ、鳴り砂になるのに重要な要素があって。皆さん、ガラスを引っ掻いたことってあります?」
「あ~、嫌な音がするやつですね」
私が答えると、づほちゃんがさもその音を聞いたかのような苦い顔を見せた。
「そうです、原理的にはあれと一緒ですね。だから、形が鋭いものよりも、こういう丸っこいもののほうがいっぱい擦れてよく音が鳴るんです。じゃあ、こちらを見てください」
「うわ~、キレイですね!」
吉川さんが別のシャーレを顕微鏡に乗せると、たくさんの白い星型の小石が映し出された。づほちゃんが感動している。
「こちらは沖縄の砂なんです。綺麗な形をしているでしょう? これも石英がたくさん入ってるんです」
「さっきの話だと、これはあまり鳴らないんですか?」
「そうなんです。では今度は……よいしょっと、こっちの砂を見てみましょうか」
「さっきよりも白い粒がいっぱいありますね、これも石英ですか?」
「そうです。こちらはオーストラリアの……どこだったかな。ちょっと忘れちゃったんですが、とにかくここの砂浜はこんだけ石英が含まれていて、形も色々ありますから、それはそれはよく鳴るそうです」
航海中に砂浜に近づいたり立ち寄ったりしたことは何度もあるけれど、こんなにそこにある「砂」について考えたことなんてなかったな。今度ちょっと気を付けて見てみようかしら。
「それで、この石英なんですけれども、どこから来ているものか、想像つきますか?」
「うーん、海の中、じゃないんでしょうか?」
づほちゃんが答えた。
「海水が運んでくるのは間違いないんですが、石英ができるところは海じゃないんですね。火山なんです。花崗岩とかって聞いたことありますか?」
「あ、聞いたことあります!」
「この北海道の地図の、真ん中から下に伸びてるここの部分ですね。日高山脈っていうんですが、ここの火山活動で花崗岩から二酸化珪素が溶け出してくる。それがまた固まると、石英になるんですね」
「へーえ、それが室蘭まで流れてきてるんですね」
「そうなんです。それで、珪素って英語で何て言うか知ってますか? 実はすごく身近な言葉なんです」
「ええ? なんだろ」
「珪素自体は普段あまり耳にしない言葉だもんね」
づほちゃんと二人でまた顔を見合わせていると、後ろから叢雲が答えた。
「シリコン、ですよね」
「そう、シリコンなんです。聞いたことあるでしょう? シリコンバレーとか言ったりしますよね。珪素っていうのは、パソコンとかに使われる半導体の原料なんです」
「あー、それじゃあ確かに身近ですね!」
「そうなんです、だから、イタンキの鳴り砂も、私たちが普段使うパソコンや携帯電話も、全てその珪素が重要なんですね。全てこの大地から! 産まれたものなんです」
「す、すごい……! 鳴り砂の話からパソコンまで、こんなに繋がっているなんて!」
「ね、面白いでしょう? 今度是非イタンキの浜に行って、鳴らしてみてください。その時にこの話を少しでも思い出して、『あぁ科学館のオジサンがそんなこと言ってたなあ』なんて思ってくれたら、嬉しいです」
「ありがとうございました。すっごく面白かったです!」
「ね、こんなに面白い話聞けるなんて思わなかった!」
「こちらこそ、楽しんでいただけたなら、よかったです。そうそう、ご連絡の方もお待ちしていますね」
「はい、ではこれで失礼いたします」
吉川さんに別れの挨拶をして、科学館を後にした私たちは叢雲の車に戻ってきた。こんな晴れた日の外に長時間止められていたせいで、車の中はかなり暑くなっている。少し風が出てきたから、窓を開けておけばすぐに涼しくなると思うが。
「で、どうだったかしら? 何かできそう?」
「私こういう科学館とかって大好きだからさあ、普通に楽しかったよ。最後の話はよかったなあ」
「でもまだ何やったら良いかぜんっぜん思いつかないんだけど」
づほちゃんが心配そうな声を上げた。そういえば話を聞くのに夢中で私たちが何をするかを考えていなかった。
「あら、なんか通知きてる……ふっ、何よこの写真」
「何なに、どしたの?」
運転席に戻るなり、スマホを開いた叢雲が吹き出していた。づほちゃんが後部座席から身を乗り出して画面を覗き込んでいる。
「ほら、これよ。英子から送られてきたの」
「あ、英子さんと時雨じゃん! 二人ともどこにいるの?」
「これは測量山の展望台ね。一体何してるのかしら」
「へー、見せて見せて!」
山の上で撮られたと思われる、二人の写真が画面に映し出されている。この天気で高いところに登ったら、さぞ気持ちの良いことだろう。
「あ、それじゃあこっちも三人いるし撮って送り返しちゃおうよ」
「ちょっと、何勝手に……まあ良いわ、もう」
「うまく入るかな……づほちゃんもうちょい寄って……叢雲こっち向いて……はい、撮るよー」
うまく三人が収まった写真を撮れた。私がおっきく映っちゃってるけど、まあ仕方ないわよね。叢雲が呆れたような顔になっているのがおかしい。
「いい? それじゃ、帰るわよ」
来たときと同じく叢雲の運転で基地に帰ってきた私たちは、寮の部屋で作業着に着替えてから基地へと戻った。もう16時を回っている。出撃部隊も帰ってきた頃だろう。そう思って工廠ホールのドアを開けるやいなや、ボスが声をかけてきた。何やら忙しくなりそうだ。
「あ、おかえり! ちょうどよかった! づほちゃん、こっち手伝ってもらえる?」
「明石さん、どうしたの?」
「中破1、小破2ってとこかしら。修復急ぐよ!」
「私もそっち入ろうか?」
「うーん、それじゃ夕張はマサさんのライン行ってもらっていい?」
「了解!」
私は開発、づほちゃんは修理が今の主な担当となっている。づほちゃんが来る前は私が修理担当をやっていたので、こうやって急ぎの時は修理のラインに入ることもある。開発の方は修理ほど喫緊性が高くないので、この辺りは結構柔軟に運用できるようになった。づほちゃんが入ってきてくれたおかげね。
「マサさん、どんな感じ?」
「空母の中破だ、結構やられたなあ」
「バリちゃんごめん、油断してたみたい……」
「あら、蒼龍の艤装いじるの久しぶりね。任せといて!」
申し訳なさそうに蒼龍が立っている。本人に怪我はないみたいなのでよかった。
空母の艤装は巡洋艦よりも繊細で、中破レベルになると艦載機の発着が難しくなってしまい、修復も大変になる。空母の攻撃力は私たち軽巡クラスとは比べ物にならないけれど、その分部品の数や構造も大掛かりで複雑になっているのだ。
「ちょっと見せてね……あれ蒼龍、もしかして最近艦載機を発進するときの体勢変えた?」
「え? あ、もしかしたらそうかも。ほんの少し後ろに感じてるかもしれない」
「ほら、これ見てよ、前よりも結構重心後ろに入っている数字が出てるでしょ」
蒼龍に重心制御装置の出力結果を見せた。人型で艤装を背負って海に浮かぶためには艤装側である程度重心を制御する必要があり、蒼龍の場合は飛行甲板の下端にその機構がある。自身の経験から言って、ここに少しでも不具合があると海上でのパフォーマンスがかなり落ちてしまうので、私は修理の時に真っ先のこの数字を見るようにしている。ここは技官さんたちにはあまり注目されないポイントかもしれない。
「本当だ、あんまり意識してなかったけど、こんなに数字変わるんだね、っていうかバリちゃん、私の艤装の数字よく覚えてたね?」
「そりゃそうよ! どんだけ付き合い長いと思ってんのよ。っていうか、こんなに数字違うなら再調整しなきゃダメよ! 中破の原因、案外コレかもよ?」
駆逐艦や巡洋艦と比較して考えると、空母は海上における機敏性はそこまで重要視されないので、重心の制御についてもあまり敏感にはならないみたいだ。ぽいちゃんなんか、そこの調子がちょっとでもおかしいと感じたら、すぐに持ってくる。あの子の場合はあんだけピーキーな調整の艤装を乗りこなしてしまうので、本人のある種の野性的感覚がそもそも強いのではないかと思っているのだけど。
「発進を考慮してデフォルトの数字を下げておくから、ちょっと意識を前に置いといてね」
「前でいいの?」
「いいの。装置側で制御するのはあくまで艤装の重心なんだから。あなたの場合、胸部装甲が成長したから重心変わったんじゃないの?」
「ちょ、ちょっとお!」
蒼龍がややうわずった声を上げた。そりゃそんだけおっきなもんつけてたら、艤装もそれに合わせて調整しないといけないわよ、全く。
「おーい夕張、こっちの修復も頼むよ」
「あ、ごめんマサさん、見ておくわね。蒼龍、あなたも入渠してきたら?」
お風呂に向かった蒼龍を見送って修復作業の方に取り掛かった。
結局、この日は蒼龍の艤装修理でだいぶ遅くなってしまった。本人が定時ちょっとすぎに覗きにきて、相変わらず申し訳なさそうにしてたけど、あの子は明日も出撃があるから仕方ない。主力部隊組は他の部隊よりも出撃日数が多いから大変よね。
「あー、やっと終わったー! マサさんもお疲れ!」
「お疲れさん、明日休みでしょ? ゆっくりしてな」
「ありがと! あ、づほちゃんも今上がり?」
「そうなの、こっちも長門さんと青葉さんの艤装だから、結構大変だったのよ」
戦艦の艤装は空母ほどデリケートではないけれど、重量も出力もかなりのものになるので作業は慎重にやらなければならない。青葉の場合は本人と艤装の練度が高く、あれこれ調整を加えているからその分時間もかかる、ということだ。改二計画が通れば少しは効率化できるのに、って明石さんがぼやいてたっけ。
「おなかすいた~! この時間だと……もう食堂もやってないかあ」
「私つくろっか?」
「え? づほちゃんいいの?」
「いいのいいの。どうせ帰ったって晩ご飯作らないといけないし」
基地の食堂は衛生講習を受けて登録をした隊員であれば、いつでも厨房を利用することができる。営業時間外でも利用できるようになり、残業後でも食堂の備蓄食材で食事を摂れるので、づほちゃんはよく利用しているようだ。
「うわー! づほちゃんうちに嫁に来てほしー!」
「マサさんはどうする?」
「俺はうちで娘とカミさんが待ってっからな、これで帰るよ」
「あ、じゃあ私の分もお願いしていいー!?」
どこかから声がする。これは明石ボスの声だけど、どこからだろう?
「ここだよー」
「うわあ! 明石さん、どっから出てくるのよう」
「この子、来週修理するんだけど、最後に一応自分でも見ておこうと思ってね」
明石さんがクレーンの下から現れた。そういえば変な音がするって言ってたっけ。
「すごい汚れてるわよ……明石さん、顔拭いて着替えてから来てね?」
「ん、りょーかい。じゃ着替えてくるから、戸締りやっといてね?」
づほちゃんに言われて明石さんが出ていった。マサさんと3人で最終の見回り、消灯をして、最後にセキュリティロックをかける。工廠の中でも、艤装庫は特にセキュリティが強く、艦娘用のIDカードでないと施錠・解除ができない。そしてここの施錠がされていないと、ドック棟のロックもかけられないので、ドックチームの艦娘は退勤が遅くなりがちだったりする。ともかく、最後に艤装庫の確認施錠を終えて、玄関で待つづほちゃんに声をかけた。
「中の施錠、完了したよ」
「うん、じゃあこっちもロックかけちゃうね」
入口のパネルをづほちゃんが操作する。
「じゃ、俺はこれで上がるから」
「マサさん、先に上がっててもよかったのに。お疲れ様でした!」
食堂は本部棟の奥の方にある。外から見たらまだ執務室の明かりがついていたので、誰かがまだ残っているみたいだった。食堂の方はすでに消灯されていて、さすがに誰もいない。
「バリさん、何にする?」
「ん~、チキン南蛮ってできるかな?」
「ちょっと待ってね……うん、大丈夫」
「じゃ、私も同じのでよろしく!」
「うわ! 明石さんいつの間に!」
作業着から普段の制服に着替えてきたボスが知らない間に後ろに立っていた。
「夕張、普段から索敵を怠ったらダメよ? 色々載せてるでしょ?」
「だって、今は何も載せてないし、そもそも明石さんは敵じゃないもん……」
軽口を叩きながら食券を買い、厨房に一番近い卓に腰かけた。
「で、青少年科学館、どうだった?」
「ん? ああ、面白かったよ! 昔からああいうの好きだったから。でも、科学教室で何をやろうか、全然思いつかないのよねえ……」
帰ってきてからずいぶんと慌ただしかったので忘れかけてたけど、そういえば昼間は科学館に行ってたんだった。そう思うとなんだか長い一日だったなあ。
「あ、そういえば聞いてよ明石さん、蒼龍ったら重心変わってたの。ぜーったいまた胸大きくなったと思うのよね」
「ああー、あの子、どんどんおっきくなるよねえ……私たち、体の変化小さくなってるはずなのにね」
艦娘は艤装による身体保護システムが適用されると、体の成長というか、変化がかなり小さくなる。そうすることで私たちが戦闘で自分の身体の方に損傷を負うことを少なくしているらしい。ずいぶんとオカルトなシステムだけど、みんなが実年齢よりもだいぶ若く見えるのはそういうことだ。明石さんなんか、こう見えて本当はもう30近いはずじゃなかったかしら。
そうして明石さんと今日の修復作業のことや科学館でのことを話していると、厨房のづほちゃんが声をかけてきた。
「お待たせー、できたよー!」
「わー、づほちゃんありがとー!」
「うーわ、めっちゃ美味しそう!」
「明石さん、これ業務用のを解凍しただけよ?」
づほちゃんは昔から台所に立つことが好きだったらしく、ここでも真っ先に食堂の衛生講習を受けて、お昼も自分で準備することもあるらしい。私たちはそれぞれのトレーを持って席に着いた。
「でさあ、話戻すんだけど、蒼龍が中破したの絶対重心が変わったからだと思わない?づほちゃん、同じ空母としてどう思うよ」
「分かんないわよぅ、私そんなに重心変わった経験ないもん……」
づほちゃんは確か高校生のときに艦娘になったと言っていたはず。居酒屋に行くと必ず年齢確認されるらしい。それでいてこの子はそれなりに飲むから、店員さんからすると気が気じゃないだろうな。
「あ、それやったらいいんじゃない?」
「え?」
「科学教室だよ。例えば、水に浮かんだ状態で重心が変わるとどうなるのか、っていう実験とか?」
「……あー!全然考えてなかった!そっか、普段やってることを見せればいいのね」
「でも、艤装の内部の話とか、しちゃって大丈夫なの?」
づほちゃんが尋ねる。確かに普段の仕事に直結することだと、機密とかに引っ掛かっちゃいそうだけれど。
「そこは、ほら、貨物船の話にするのはどう? コンテナの載せ方とかさ。で、詳しいことは言えないけど、艤装も同じような原理なんですよ、ってことにしたら、なんかほら艦娘感出るじゃない?」
「確かに!それならできそうね……」
さっすがボス明石。丸投げかと思いきやちゃんと考えてくれてたのね!よかったー!
「ねえねえ、明石さんは来ないの?」
「え?……いや~、そういうのはさ、若い子たちが出てきた方が、みんな嬉しいんじゃない?」
「いうて明石さんも見た目そんな変わんなくない?」
「ま、私は留守番してますよ。技官さんたちだけにしちゃうのも忍びないし」
づほちゃんの誘いを明石さんはのらりくらりと躱す。そういうところ、ほんと上手なのよね……
そのあとは、食事をしながら3人で企画の内容についてああでもないこうでもないと議論を重ね、舟の模型と重りを用意して、重りを乗せた時に舟が傾いたり転覆したりしてしまうのを体験してもらおう、という話になった。明石さんは最初に貨物船という話をしたけれど、最終的には工作艦のようなクレーンを模した重りを準備して、高さのある構造物を舟に乗せるためにはどうやって重りを積めばいいかを考えてもらう、といった案も盛り込まれた。それこそ工作艦の明石さんに来てほしかったんだけど。
その内容を私の方で簡単に資料にまとめて、後日叢雲に提出した。叢雲の方で科学館に連絡をしてくれるという。それから、松山さんにお願いして名刺も作ることになった。あの人ほんとに何でも屋だなあ。
入隊してからずっと基地の中か海の上でしか働いてこなかったけれど、名刺を作るとなるといよいよ外の人と一緒に働くんだという実感が湧いてくる。初めて営業に出るサラリーマンの気持ちってこういう感じなのかしら。ちょっと緊張してきたかも。でも、手前味噌ながら楽しい企画案が出来たと思うし、何より子供のころに好きだった科学館という施設での初仕事だ。うん。楽しみだという気持ちの方が圧倒的に大きい。そうとなれば、その準備も始めなくっちゃ。業務上必要なことだし、工廠の部材、使ったっていいわよね?早速船とクレーンの模型づくり、その設計から始めましょう!