彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。)   作:さちはら一紗

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第一章 アイツは窓からやってくる。
第一話 午前三時、魔女は窓からやってくる。


 

 

 窓が好きだ。

 吹き抜ける涼風や、部屋に差し込む日差しの心地良さは言わずもがな。住処においてもっとも大事なのは、大きな窓があるか否かだ。

 そんな基準で選んだ築ウン十年の、住人もろくにいないボロアパートが俺の城であり、静かな夜中に窓辺で勉強をする時間は悪くないものだ。

 たとえ二年遅れ(・・・・)で進級した高校二年の五月。早々に追試を食らい、これっぽっちもわからない問題の数々に頭を抱えていたとしても。

 けっして、悪くない時間だったのだ。

 ──ベランダに彼女の気配がするまでは。

 

 風がぶわりと薄いカーテンを膨らませる。開け放った窓から風と共に入り込んだ赤い光の粒子が、弾けて消えた。

 俺は窓の向こうに目をやる。カーテンは強風で開ききっていた。

 トンと踵を鳴らす、着地音。

 今にも崩れそうな錆びたベランダに、軽やかに降り立つ一人の少女。

 纏うのは真っ黒なワンピース。深いスリットから、すらりと長い脚が伸びている。華奢な肩に似つかわしくない胸元が、着地の衝撃に上下に揺れて存在を主張する。たなびく長い亜麻色の髪の隙間から覗くのは十代の幼顔だ。

 女と少女の両方の魅力を奇跡的なバランスで兼ね備えた、よくできたマネキンのようないっそ作り物めいた美少女が、窓の向こうにいた。

 

 ただでさえ現実感がない容姿のその少女には、ひとつだけ決定的な違和感がある。

 こちらを真っ直ぐに見つめる──片方だけが真紅の、虹彩異色(オッドアイ)

 ほのかに色づいた唇を吊り上げて、彼女は会釈のように小首を傾げる。

 

「ご機嫌よう、飛鳥(あすか)。いい夜ね」 

 綻んだ花も顔を背けるような完璧な笑顔で。透明な鐘のようなしっとりと響く声で。

 

「いい夜だから、あなたの顔を見たくなって。……会いに来ちゃった」

 

 甘く囁くその言葉を聞いて。途端。

 卓袱台の上のノートに突き立てていた俺の鉛筆の芯が、バキリと折れた。

 

 

 

 俺こと、陽南(ひなみ)飛鳥は清く正しいごく普通の貧乏学生だ。少なくとも今はそれを自負しそうあらんと努めている。

 そしてこの、浮世離れした女の名は文月咲耶(ふみづきさくや)。同級生であり、しかし〝ただの〟というには少々複雑な因縁のある相手だった。

 

 折れた、というか力一杯折ってしまった鉛筆の芯をゴミ箱に投げ捨て、俺は彼女に聞く。

 

「なぁ咲耶。今、何時か知ってるか?」

「午前三時」

 

 時刻は夜更けを通り越した夜明け前だった。俺は眉間を押さえる。

 窓は好きだ。大きな窓がある部屋ならばどんなところだって都だと思う。ボロでも冷房がなくても構わない。

 だが窓から入ってくる人間がいるなら話は別だ。そういう場合、物件価値というのは著しく下がると俺は思うわけだ。

 なぜなら窓から入ってくる人間を俺は二種類しか知らない。それは泥棒か──或いは「魔女」かの二択。

 要するに、深夜に窓から入ってくるやつは最悪だということだ。

 

 俺はベランダに近付く。そして笑顔で佇む彼女に、きっちりと笑い返して言う。

 

「帰れ」

 

 ピシャリと窓を閉めた。

 そのまま鍵をかけてカーテンを閉める。なんだか慌てたような女の子が窓を叩くのは無視した。

 今夜はもう駄目だ。朝まで勉強する気だったが、今ので完全にやる気をなくした。

 寝よう。深夜にやることなんて勉強か寝るかの二択だ。学業に励む以上に大事なことなど学生にはないし「窓の外になんか変なのがいたな」なんてことは寝たら忘れられる些事だ。

 俺は窓に背を向け、布団を敷くために卓袱台をガタガタと動かす。

 

「待って待って……待っててば!」

 

 きっちり鍵をかけたはずの窓がガラリと開いた。ご丁寧に靴を脱いで、畳の上へ侵入する文月咲耶。育ちの良さと行儀の悪さが奇跡的に両立していた。

 

「いきなり締め出さなくてもいいじゃない! 仮にもお隣さんなのに!」

 

  形のいい眉を釣り上げて、理不尽に俺を非難する。

「それは窓から侵入していい理由にはならないし、俺は夜更けに窓から入ってくる不審者をお隣さんには持ちたくなかった」

 

 建物としては隣、部屋としては向かい。彼女は、俺の部屋の正面にあるマンションの三階の住人だった。アパートとマンションにはそれなりに距離があり、しかも俺の部屋は二階で、彼女の階とは一階分の高低差がある。推定間隔、約七歩。この二つの部屋をベランダ越しに渡ることは普通のヤツにはできない。──つまり、この女は普通ではない。

 彼女は腕を組んで、つんと澄ました顔で言う。

 

「しょうがないでしょ! だって、魔女は(・・・)窓から(・・・)入ってくる(・・・・・)もの(・・)なんだから」

 

 窓の鍵を見る。こじ開けられた鍵に付着したキラキラと光る赤い粒子。

 それは〝魔法〟の残り香だった。

 

「……だからイヤなんだよ」

 

 そう、傍迷惑な隣人である彼女は──あろうことか、本物の〝魔女〟だった。

 

 

 

 

 こうなるまでの経緯を簡単に、初めから説明しよう。

「異世界召喚」という概念(モノ)がある。ある日突然こことは異なる世界に喚び出されるというファンタジー小説ではよくある話だ。

 そしてそういった場合の異世界というのは、世界の滅亡を企む悪の魔王に脅かされ人類が生存を懸けて戦っている、というのがお約束(セオリー)らしい。

 二年前、俺と彼女はその「異世界召喚」に巻き込まれた、いわば同期だった。

 ただし召喚された陣営は逆だ。

 思い出すのもなんとなく恥ずかしい話だが。

 ──俺、陽南飛鳥は人類側に「勇者」として。

 ──彼女、文月咲耶は魔王側に「魔女」として。

 それぞれ召喚され、そしてお互い正義や悪のために勤しんでいたわけだ。

 

 お互いの正体に気付いた時は酷かった。

 『こんなところで何やってんだよ‼︎』

 『それはこっちの台詞なんだけど⁉︎』

 みたいな、ものすごく気まずいやりとりがあったりなかったりした。

 

 で、なんやかんやとあった末、無事にこうして現代に帰ってきたというのが、ここまでの話だ。

 その辺りの詳しい話は、今はいいとして。

 問題は、目の前のコレだ。未だに厚顔に「魔女」を自称するこの女だ。

 折角念願叶って現世に帰ってきたと言うのに、コイツは常識とか倫理とかを異世界(むこう)に置いてきてしまったらしい。

 「魔女」としての振る舞い以外をきれいさっぱり忘れてしまったらしく、こうして夜な夜な俺に喧嘩を売りに来るのだ。

 

 ──ひらたく言うと、異世界ボケである。

 

 

 

 

 

 俺は午前三時の侵入者に告げる。

 

「いいか、何度でも言うぞ。窓から入ってくるな、窓から」

「じゃあどうすればいいのよ」

「普通に正面の扉から、常識的な時間に尋ねてこいよ」

「なんで、わたしがあなたの家を訪ねないといけないの?」

 

 何故か、話が、通じない。

 

「は? じゃあなんで来てんだよ。来んなよなんだおまえ。なんで舌の根乾かないうちに矛盾したこと言えんだよ」

「矛盾してないわよ。考えたらわかるでしょ。ていうか日常会話で『舌の根』とか使う人に常識語られたくないのだわ」

「翻訳文学の女みたいな喋り方するやつに言われたくねえわ」

 

 だがそこまで言うなら、と彼女の言っていることの意味を考える。この側迷惑な隣人はことあるごとに自分が「魔女」であることを誇示しようとする癖がある。そこから答えを推測しようとするが……。

 

「わからん。はよ吐け」

 

『これだから剣しか知らないやつは……』みたいな顔で大袈裟に肩を竦める文月咲耶。口調は翻訳文学、仕草は洋画、中身は電波、哀れな生き物。

 魔女は哀れまれているとも知らず、得意げに指を立てる。

 

「いい? 窓から入ってくるのは〝侵入〟だからいいのよ。なぜなら『魔女とは侵入するもの』だから」

 

 俺は曖昧に頷く。魔女は泥棒と同じ系統の悪人だ。窓から侵入するというロジックはギリギリ理解できる。

 

「でもドアから入るのは〝訪問〟だから駄目なの。『魔女(わたし)勇者(あなた)と馴れ合う関係じゃない』から」

 

 俺は、もう一度頷こうとして。

 

「……は? なんだその謎理論は。全然わからん」

「これだから鉄の塊振るしか能のない奴は……」

「そうだな。聞いた俺が悪かった」

 

 これ以上付き合ってると頭が痛くなる。やはり追い返すか。

 ハエ叩きどこにしまったっけな、と背を向ける。

 と、咲耶は突然神妙な声で言い出した。

 

「ねえ……あんた。全然関係ない話するけどさ。部屋着ダサくない? そのTシャツ、死ぬほどダサくない?」

「今度は真っ向から失礼だなおまえ」

「いや真面目に。鏡見てきなさいよ、ヤバイって。右腕にぐるぐる巻きの包帯と相まってなんかもう最悪って感じだから」

 

 片目だけが赤いヤツに外見がどうこうと言われたくない。絶対に。

 

「そっちこそ。夜中に洒落込んで何するつもりだったんだ?」

 

 咲耶の着ている黒いワンピースは上等で、とても部屋着などと呼べる代物ではない。そういや咲耶は良家のお嬢様だったか、と彼女の服をまじまじと見る。咲耶は何故か視線を彷徨わせた。

 

「えっ。べ、別に、わたしが何を着ていたってどうだっていいでしょ」

「そうだね。マジでどうでもいいね。自分で聞いといて全然興味なかったわ」

「……それはそれでムカつく」

 

 別にただ……めちゃくちゃ似合っているなと見てしまっただけだ。ざっくりと胸元が開いた大胆なデザインなのに、何故か上品でいやらしさがない。……少し、目のやり場には困るが。こいつの見てくれだけはいいことを思い知らされて、ちょっと腹が立つ。

 

「で、結局。何しにきたんだよ」

 

 まあ、心当たりなんてひとつしかないのだが。

 

 

 

 ──さて、俺と彼女の関係の、前提の話の続きをしよう。

「異世界召喚」なんて言葉こそファンタジーな響きだが、それを正しい日本語に訳すると拉致である。

『異世界召喚=拉致』

『世界をお救い下さい勇者様=強制労働年中無休二十四時』

 これが当事者からすると正しい認識だ。つまり、割とイヤイヤやっていた。

 

 現世(こっち)に帰ってきてからいくつか参考文献(ライトノベル)を読んでわかったのは、どうやら俺たちの異世界は福利厚生が最悪だったらしい、ということだ。

 休みも給料も何もない。なんか、楽しいこと、何もなかった。クソブラック異世界め。俺も辺境でスローライフとかしたかった。現世に帰ったら家が更地になってたからボロアパートでバイト生活(ハードライフ)なんだが。意味がわからない。現世もカス。

 ……話が脱線した。

 

 そんなわけだから、俺たちが現世に帰りたいと思うのは自然なことだった。俺たちはたまたま敵陣営にいただけで、意思は概ね一致していた。

 知らない世界で強制労働をさせられ続けるのはごめんだ。勇者(オレ)はとっとと異世界を救いたかったし、魔女(アイツ)はとっとと世界を滅ぼしたかった。さっさとこんな仕事から解放されるために。

 だから、根本的に同じ境遇にも関わらず。お互いの正体を知らないまま、全力で敵対してしまったのだ。

 

 結果。俺は一度、全力で魔女(アイツ)をボコボコに負かした、というわけである。代理戦争の勝ち負けなんてどうだっていい話だと、俺は思うのだが。彼女は勇者(オレ)に惨敗したことが、それはもう気に食わなかったらしく、このラスボス後遺症に侵された高飛車中二病お嬢様は負け戦の私怨を持ち越して、未だに「喧嘩を売ってくる(つっかかってくる)」のだ。おかげでかつてのいざこざが終わり、現世に帰ってきた今でさえ。俺たちは未だに、犬猿の仲だった。

 

 まったく往生際の悪い。因縁だの禍根だの、犬にでも猿にでもキジにでも食わせておけ。敗者は敗者らしく大人しくしてろよ。俺は負けたら潔ぎよく腹を切ろう。これだから魔女は駄目。

 ──そんなわけだから、文月咲耶がわざわざ俺のところにやってくる理由なんてひとつしかないのだ。

 

「目的? ええ、それはもちろん! こんな時間まで起きて勉学に勤しんでいる、可哀想な誰かさんを笑いに来たのよ!」

 

 ほらな。

 とてもいい笑顔だった。ああ本当に、顔だけは綺麗だ。もう黙っててくれないかな。

 そうか、と俺は作り笑いを浮かべて頷く。

 

「よかったな隣に住人いなくて。得意の高笑いし放題だぞ。おまえの肺活量と腹筋に敬意を払うよ。ほら笑えよ。点数つけてやる」

「喧嘩売ってんの?」

「買ったんだが?」

 

 ふふふ。ははは。

 

「死ねバカ」

「うるせえナスビ。はよ本題入れ」

 

 咲耶はむすとしたが、このまま口論し続けるのも不毛だと理解したのだろう。大人しく膝を畳んで卓袱台の前に座り込み、そのまま無断で閉じておいた俺のノートを覗き見する。

 

「ねえ。この前の試験ではわたしが圧勝したでしょ」

 

 喧嘩を売ってくるとは言っても現代でできる争いは限られている。気も話も合わないが「暴力沙汰は避ける」という一点はお互いに守っていた。だから俺たちにできる勝負は限られており、成績という実に高校生らしい項目もその対象だった。

 

「わたしはぎりぎり上位者一覧に滑り込んで、あなたは理数系赤点で惨敗の追試。どう見てもわたしの勝ちよね?」

「そうだね。俺はそんな程度の低い争い、醜いと思うけどね」

「めちゃくちゃ低い声で『覚えてろよ……』って言ってた癖に」

「俺は覚えてないから言ってないが」

「は? 舌引っこ抜くわよ」

 

 売られた喧嘩、全部買う。往生際とか知らん。最後に勝ったやつが勝ちだ。

 咲耶はさらりとした髪を弄びながら、俺のノートをめくり続ける。

 

「ふぅん。どうやら追試の勉強もてんでダメみたいじゃないの」

 

 とても嬉しそうに言いやがる。

 

「異世界の勇者サマも高校数学の前にはカタナシなんてざまあないわ!」

 

 俺はもう一度ハエ叩きを探しに行く。

 

「ええ。そんなことだろうと思った。だろうと思ったのよ。ふふっ」

 

 見つからない。殺虫剤じゃ駄目だろうか。

 

 

「──ねえ、いいものを上げましょうか」

 

 

 彼女の囁き声に、振り向く。

 肘をついて甘やかに笑みを浮かべる彼女の、細めた真紅の左目が、長い前髪の隙間で妖しく輝いていた。

 

 その笑い方を、知っている。

 ──それは〝魔女〟としての笑い方だ。

 

「……おまえ、何するつもりだ?」

 

 異世界(あちら)で持っていた力には及ばないとは言え、彼女は今でも魔法が使える。例えば鍵を開けるとか、人の記憶を操作するとか、そういう物騒なものだ。

 魔女なんてだいたい泥棒と近似である。彼女に残されたのは所謂、悪人の才能だ。こいつなら、たとえば追試の試験を盗み出して対価を要求するとかやりかねない、と身構える。

 ……もしそういうことを考えているならば。異世界同期のよしみとして、俺が引導を渡してやらなければと思う。

 と、後ろ手に隠したハエ叩き(やっと見つけた)を握りしめる。

 

 俺の問いかけを了承と受け取ったらしい咲耶は、にこりと微笑んで何かを手渡してくる。

 

「はい」

 

 どこからか魔法で取り出したのだろうそれは、見覚えのないノートだった。

 ……は?

 

「わたしのノート。貸したげる」

「なんで?」

「勝負する敵の歯応えがなさすぎるんじゃつまらないもの。ええ、敵に塩を送るのも魔女の嗜みです!」

「それは義の逸話だからおまえとは一番遠い。おまえは嬉々として傷口に塩を擦り込む方」

「……お望みならば今度やってあげるわよ」

 

 受け取ったノートをめくる。それはわかりやすくて綺麗な、いわば手書きの参考書とでも言うべき代物だった。

 

「手取り足取り教えてあげる、なんて義理はないけど。あんたならそれで十分でしょ。あと一応、他の科目のやつも色々持ってきたから」

 

 追加でどさどさと卓袱台に乗るノートや使い古しの参考書など。

 

「勘違いしないで欲しいのだけど、これはただの気まぐれだから。あんたが……あまりに見てられないんだもの。ふふん、せいぜいわたしに、感謝することね?」

 

 俺は黙って目の前の光景を眺め、ようやく理解した。

 ……なるほどな。つまり、用件というのはこれだったらしい。

 

『目的? こんな時間まで起きて勉学に勤しんでいる可哀想な誰かさんを笑いに来たのよ』 

 という文月咲耶語を正しく人語に翻訳すると、以下。

『困っているようなのでささやかながら力を貸しましょう』

『あんまり遅くまで起きていると心配です』

 

 わかるかんなもん。はよ言え。

 はぁ、と溜息を吐く。

 

「おまえさぁ」

「なによ」

 

 

「実は俺のこと、結構好きだろ」

 

 

「……ハァ?」

 

 

 顔を、おそらく怒りで紅潮させた咲耶はノート一冊取って俺に投げつける。

 ベシャ、と顔面に直撃したが甘んじて受けた。

 

「何言ってんの? バカじゃないの? アホ! 自意識過剰! Tシャツにわかめって書いてるくせに! 死ね!」

「いやTシャツがわかめは関係ないだろ。わかめに謝れよ。あいつらすごいぞ。増える」

「わかめ喉に詰まらせて死ね!」

「お、今の呪詛はよかった。七十点くらいある」

「殺す。いつか殺す」

 

 言いながら、咲耶は窓を開け放つ。

 

「帰る!」

 

 その前に。「咲耶」と、軋む欄干をよじ登って帰ろうとする彼女の後ろ姿を呼び止める。

 

「何よ」

 

 

「ありがとな」

 

 

 振り返った彼女は、毛を逆立てた猫のような顔をして。

 

 

「別に、あんたのためじゃ、ないんだから‼︎」

 

 

 捨て台詞を残し、七歩分の距離をひとっ飛びに部屋へと帰っていった。

 

 いや俺のためじゃなかったら誰のためだ。流石にわかるわ。やっぱアイツ、バカだな。

 

 

 

 

 

 

 ──二年前。つまり、俺たちが異世界なんかに飛ばされる前の話だ。

 文月咲耶という少女は、正真正銘の高嶺の花だった。容姿端麗、品行方正で、成績もそれなりに良く、人に優しく親切で……本当に、お淑やかでいい子だったのだ。それが、異世界で再会したらあのざまである。

 ──だがあの文月咲耶も確かに同一人物なのだ。どんなに中二病を拗らせても悪ぶっても、根が世話焼きで真面目で良いやつには変わりない。ちょっと異世界ボケしてるだけで。

 それをわかってるのは俺だけだ。だから、俺は彼女と縁を切れない。

 

 やるべきことはひとつ。同じ異世界転移経験者のよしみというやつだ。

 あいつがちゃんと異世界ボケを直して、普通に真っ当に、元の彼女に戻れる日が来るまで、温かく見守ってやろうと思う。それが俺の、現世での当面の目標というやつだった。

 それはそうと売られた喧嘩は全部買って俺が勝つ。腹立つから。

 

 

 俺と彼女の関係というのは、それだけ。それだけだ。

 ──だから。二年前、あいつが俺のことを「好きだった」らしい、なんて過去は。

 今はまだ、あまり関係のない話だった。

 

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 

 ──思えばわたしたちの確執の始まりは、あの台詞だった。 

 

『おまえ……本気で「世界を滅ぼそう」なんて、頭沸いてんのか‼︎』

『そっちこそ、本気で「世界を救おう」なんて、脳味噌おかしいんじゃないの⁉︎』

 

 敵対していた相手が召喚されただけの、同じ境遇の、しかも同級生だったと気付いたら、普通は和解できそうなものだろう。けれどわたしたちはそれができなかったのだ。それは何故か。思うにきっと、わたしたちはお互いに真面目すぎたのだ。

 異世界での二年は長かった。だからわたしたちは二人とも、嫌々と異世界の事情に付き合わされていたくせして「勇者」と「魔女」の役割を全うすることに、本気になってしまっていたのだ。

 同じ境遇で真反対の立場と、真反対の主義主張。似ているからこそ、断絶は決定的。

 わたしたちは同時に、悟った。

 

 ──ああ。こいつとは、絶対に分かり合えない。と。

 

 

 

 

 現世(こちら)に帰ってきて、わたしは実家を出ることにした。いくつかあった候補地のひとつが、今住んでいるこのマンションの一室だ。周りには街灯が少なく、わざわざそこに住む理由はなかった。そのマンションが丁度、飛鳥の住むボロアパートの隣だと知るまでは。

 選択に躊躇はなかった。わたしは迷いなく飛鳥の部屋の対面を選び、そこに引っ越した。同じ二階ではなく三階にしたのは、完全に悪あがきの誤魔化しだと自覚している。

 ……それにしても。初めて入った日、飛鳥が「俺の窓がぁぁ!」とか喚いてたけどあれはなんだったのだろう? 

 ええと、ともかく。そういった経緯で、わたしはあいつのお隣さんになったのだった。 

 ──すべては陽南飛鳥に、会いに行くために。

 

 

 

 そして今日。時は、飛鳥の部屋に侵入するより少し遡る。

 五月も半ばの涼しい夜半、時刻はもうすぐ午前三時になろうとしていた。

 現世(こちら)に帰ってきてからわたしがやることと言えば、もっぱら二年の間に出ていた本を消化することだった。その夜読んでいたのは、好きだったファンタジーの続きの巻。けれどわたしはそれを、うまく楽しめずにいた。

 原因はわかっている。自分が異世界(ファンタジー)を経験してしまったせいだ。

 

「……さいあく」

 

 ふてくされて寝てしまおうかと思ったけど、眠気すらまったくなかった。わたしは分厚いカーテンをめくり、窓の外をぼんやりと眺める。向かいの二階だ。

 

「電気、まだついてるし」

 

 カーテンが薄いせいで、卓袱台に向かうシルエットまで筒抜けだ。

 

「……あいつ、追試食らってたな」

 

 わたしはしばらく考え込んで、立ち上がる。わざわざ服を着替え、ノート類を急いで取りまとめる。仕上げに、鏡を覗き込む──毒々しい赤色をした瞳が映り込んで、辟易した。

 節操なしに読書を嗜むわたしが、いわゆる〝中二病〟なんて概念を知らないわけがない。オッドアイなんて最悪に痛いと思う。それに、深夜三時に窓から入ることが不躾だってことも当たり前にわかっている。

 わたしは、完璧に、わかって(・・・・)いて(・・)やっている(・・・・・)

 

 すぅ、と静かに息を吐いて。わたしはさっきまで無表情だった顔に、笑みを実装した。計算された完璧な、異世界(むこう)用の「魔女」の顔を。

 

「完璧」

 

 そうして深夜。わたしは、意気揚々とアイツのベランダへと乗り込んだのだった。

 

 

 ──そう。その夜もわたしは〝完璧〟なはずだった。

 着地のタイミングも、挨拶の声色も、作った笑顔も、仕草さえ!

 なのに。

 結局いつも通りあいつのペースにぐだぐだにされて、用意していた台詞も全部すっぽ抜けて、表情筋なんてもうめちゃくちゃになって、挙句の果てにどうだっていいような口論で負けて、これ以上は分が悪すぎると逃げ帰る羽目になったわけだ。

 本当に、いつも通り!

 

「ああもう、最悪‼︎」

 

 帰ってきた自分の部屋の窓の前で膝をつく。

 あいつ、あの目! 絶対にバカにしてた! 絶対わたしのことを「バカだな」って思って見てた! ちがうのに、ちゃんと考えてやってるのに! 考えて、ちゃんと用意して、そのすべてを……しくじっているだけで……。

 

「いえ、それは、それはむしろ何も考えてないよりひどいわ。ひどい無様だわ」

 

 ぐるぐるとさっきのやりとりが頭の中を回る。ノートを差し入れる言い訳ももっとちゃんと綺麗に、隙がないものを用意していたはずなのに。……最初、窓から締め出されるまではいい感じじゃなかった? いい感じにミステリアスな魔女を演出できていた気がするのだけど。……逆に言うとそこだけじゃなかった? わたし、今日、いいところ、あった?

 口走った台詞を思い返してひとつひとつ吟味して、ついでに飛鳥の反応・返答・表情と照らし合わせる。あれはあれで常に「はぁ?」って顔をしてるからよくわからないのだけど、あいつの「はぁ?」にも実は結構種類があるのだ。わたしは詳しい。

 

 ──評定結果、魔女として五十点。人間として三十点。極めて低い。わたし、今日、いいところ、ない。

 

「なんでよぉ……」

 

 カーテンにくるまりながら呻く。

 ……いや。本当は。わたしがこうなってしまう原因を、ちゃんとわかってる。全部、昔のわたしが残した厄介な病のせいだ。

 

 ──二年前、こうなる前のわたしは陽南飛鳥のことを好きだった。恋という一過性の病の、好きな人を相手にしてうまく喋れなくなってしまうという症状。これはその、名残だ。

 あくまで名残で、初恋は過去形でしかない。わたしは今のあいつを、これっぽっちも好きじゃない。だからこんな症状には、爪の先ほども意味はないのだ。ないのに。

 

「うぅ……条件反射で喧嘩を売るのはできるくせに……」

 

 因縁というものが明白にあるおかげでわたしの無意識が、ふさわしい言葉を弾き出して自動的に喧嘩を売ってくれる。別にそれはいいのだ。十全に理性が機能していたとしてもわたしは飛鳥に喧嘩を売る。それは決定事項だ。それは、わたしの目的に即している。

 わたしの目的は、なんなのか。確執を由来とするそれは、あいつが何ひとつとして問題にしておらず、わたしひとりだけが未だに拘っていることだ。

 かつて異世界で。勇者(あいつ)魔女(わたし)をこっぴどく打ち負かした。

『本気で「世界を滅ぼそう」なんて、頭沸いてんのか?』

 そう言って、わたしの異世界での二年を〝全否定〟して。

 

 

「なによ。わたしが──どうして、世界を滅ぼしたかったかも、知らないくせに」

 

 

 わたしの目的は、あいつに「同じ気持ちを味わせてやること」だ。『いつまで魔女やってんの? 普通に生きろよ』とか小馬鹿にして言うのは、自分は勝ち逃げしておいて、とてもとても性格が悪いと思う。

 ……というかあいつ、自分が普通なつもりなの? どのへんが? 一体どのへんを普通だと思ってるの? 絶対鏡見た方がいいと思う。わかめがよ。

 

 だから。わたしはことあるごとに、あいつに喧嘩を売りに行く。

 ただそれだけの関係で。わたしがあいつの隣にいるのは、ただそれだけの理由だ。

 

『実は俺のこと、結構好きだろ』

 

 あいつのまるで棒読みの台詞を思い出す。棒読みだ。そういうところが、最低だと思う。

 

「別に……そんなのじゃ、ないんだから」

 

 呟く唇が熱いのは、気のせいだ。

 

 

 絶対に。

 

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