彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。)   作:さちはら一紗

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第十話 ふたり並んで帰路に就く。

 明るい夜だった。

 雲間の月は大きく、ほんの少しだけ満月に届かない。

 今朝は雨だったから自転車は持ってきていない。だから間隔を寄せる必要もなく、俺たちは人ひとり分の間を開けて無言で歩く。

 夜だからもういいかと諦めたのか、咲耶は眼帯を付け直さなかった。おかげで今夜は横顔がよく見えた。視線は、合わない。

 

 こうして夜道を並んで歩いていると、現世に戻ったばかりの時のことを思い出す。俺がうっかり周囲に異世界のことを口走ってしまった時のことだ。病院に監禁されそうになったから仕方なく脱走し、咲耶に電話をかけたことがある。『何かあるといけないから』と電話番号をあらかじめ教えられていたのだ。不機嫌そうに、けれど速攻で飛んできた彼女は、

『ありえないわ。まったく! どうしてそんな初歩的なミスをできるのかしら? あなたひとりが自滅する分にには構わないけど、わたしに迷惑はかけないでよね! ……この貸しは、高くつくわよ!』などと、散々罵倒しながら魔法で事態収集をしてくれた。その借りはまだ、返せていない。

 その一件の際も二人で延々と夜道を歩いたのだが。あの時はまだ彼女も刺々しく、道行きは無言でも耐えられた。それで十分な関係だったから。

 でも、今は違う。

 

「咲耶、あのさ」

 

 俺は、意を決して呼び止める。

 

「……そろそろ喋っていいか?」

 

 無言に耐えられなかった。限界、無理、クソ気不味い。

 咲耶は、目を丸くして。弾けるように笑い出した。

 

「ふふ、あはは。何かと思えば、そんなこと! ……はー、おかしい」

「何が」

「だって真面目な顔して、そんな情けない声出すんだもの。あなたって顔には出ないけど、声には出るのね」

 

 ぐ、と言葉を詰まらせる。目元を擦りながら、咲耶はからかうように言う。

 

「ふふ、そんなに気まずかった?」

「いやもう、手汗がすごい」

 

 片手だけでよかった。

 隣を歩く彼女は、俺の顔を覗き込むようにして、嬉しそうに微笑んだ。

 

「ええ、ええ。お喋りしましょう。わたしも、丁度……そうしたい気分だったの」

 

 

 たわいもない話をした。

 今日あったなんでもないようなことを。

 大半は善良な同級生の話であり、不思議な同輩の話だった。バイトを見つけた経緯とか、二人と親しくなった経緯とかだ。

 それで結論は「あの子たち、やっぱり変よね?」で落ち着いて。丁度その時、俺の携帯に芽々から大量の無意味なスタンプメッセージが届いてことに気付いて、顔を見合わせて笑った。

 確かに『死蔵スタンプ送りまくってやりますよ』とは言ってたけど、本当にやるのかよ。あんなもん見せた後だっていうのに。逆にめちゃくちゃいいやつだと思った。

 

 そして今度は明日の話をする。

「明日の味噌汁の具は何がいいか」と訊けば、咲耶は「お味噌汁に何を入れるのかよくわからない」と答えて、俺もそもそも冷蔵庫の中が空だったことを思い出したので「とりあえず明日の放課後は買い物に行こう」と約束をした。

 返すように「明日のお夕飯は何にしましょう」と訊かれたから、カレーの次に覚える料理は何がいいだろうと考えていたら「あ、唐揚げ食べたい」と咲耶が言い出して「いきなり揚げ物は無茶じゃないか?」と返せば「唐揚げを嫌がるなんて男子高校生の自覚が足りない」と怒られた。

 

 そうやって。

 ひとつひとつ足元を確認するように。意識的に『普通の会話』を重ねていく。現世だけで話題は十分事欠かない。だから余計なことを思い出す暇はないのだ。

 暗い道を街灯が少しずつ照らしている。咲耶のワンピースの裾がすぐ横でひらひらと揺れる。いつの間にか俺たちの間合いは縮んでいた。隣を歩く彼女の背筋はぴんと伸びて、足取りは軽く表情は柔らかく声は弾んでいる。そのことに、安堵する。

 そうして緩やかな坂の登りながら。なんでもない会話の延長戦を続けていく。

 

「そういえば飛鳥、もうすぐ追試じゃなかった?」

 

 うわ、現世もイヤなことあった。

 

「ノート、貸してくれたおかげでなんとかなりそうだ。助かってる」

「別に、もう直接教えるくらいはしてあげるわよ」

 

 咲耶は苦笑する。ほんの数日前に『教えてあげる義理はないけど』と言ったことを思い出したのだろう。咲耶から渡されたノート類は本来、自分のために作られたものだと思う。要は、相当な労力を費やした自習の跡だった。

 

「咲耶ってさ、昔は完璧な優等生って印象だったけど。本当は努力家だよな」

「努力というか。わたし、単に要領が悪いのよ。真面目にコツコツやってようやく中の上なんだもの。やんなっちゃう」

 

 明るく自嘲する。

 

「昔は正直、高嶺の花なんて噂される度に胃痛がしてたわ。なんでもそつなくできますって顔だけしてたの。雰囲気だけのはったりよ」

 

 器用すぎて不器用なんだよな。

 

「ほら、わたしって。見た目しか取り柄がないから?」

「おまえは性格もいいよ」

「うぁ……急に、褒めるな! ていうか、性格がよかったら……」

「よかったら、何?」

「……初めから、あんたに嘘なんて。つかずに済んでたわ」

 

 面倒なロールを演じてばかりの彼女は確かに、言い換えれば『嘘吐き』かもしれない。

 

「その辺はまぁ。俺がどうこう言うことじゃないな」

「そうね。あなたもいい性格してるもの」

 

 いい性格。言葉は同じなのに意味が逆だった。おかしいな。

 

「それにしても。試験の科目の話、わたしは英語が一番苦戦したんだけど」

 

 確かに普通、言葉は二年も使わないと忘れるものだろう。

 

「なんなら国語もだめになってたもの。でもあんたはその辺、割と点数取ってなかった? あれ、どうやったの?」

 

「ああ、うん……」と言葉を濁す。

 

「これ、異世界(むこう)の話になるけど」

 

 咲耶は、沈痛に額を押さえた。

 

「あー、ごめん。今のなし。間違えたわ……」

 

 その反応に、なんだかおかしくなって笑いが漏れる。

 

「なによう」

「いや、なんでも」

 

 ……そうか、彼女も。『正解』を探しながら喋っていたのか。

 

「咲耶が気にしないなら別にいいんだ。話すよ」

「……そ」

 

 何か納得いかなさそうに、唇を尖らせた。

 

「ん、ほら。召還されて異世界(むこう)の言葉が分かるようになったじゃないか。俺はなんか、目が覚めたら急に使えるようになってたって感じなんだけど」

 

 咲耶はそれを聞いて、眉を顰めた。

 

「待遇が違うわ。わたしはあっちの言葉、自力で覚えたんだけど。それ……脳味噌弄られてない? 大丈夫?」

「うわ、魔女の発想だ。こわ……」

「で、それがどうしたのよ」

「それが、わかるのは異世界語だけだと思ったらさ、現世(こっち)の他の言語もフワッと分かるようになってたんだよな。いや、流石に喋れたりはしないけど」

 

 咲耶は天を仰いだ。

 

「チート引き継ぎじゃない! ずるいわ、わたしも欲しかった! つまり、アレとかコレとか原書で読めるってことよね、いーーなーー」

「チートって。ま、このくらいの土産はあっていいだろ」

「そうね! あーあ、わたしも何か貰っておけばよかったなぁ」

 

 その言葉で、ふと。今が聞き時だと思う。

 

「……そういやおまえ、あの体質は直ったか」

「ええ」

 

 さらりと答えた咲耶は腕を伸ばして、形の良い手を広げて俺に見せる。

 

現世(こっち)に帰ってきてから、ちゃんと髪も爪も伸びるようになったわ。成長期は終わってるから、あんたの身長を越せないのが残念ね」

「はは、身長で張り合うとか小学生かよ。……昔は咲耶より少しだけ低かったんだっけ」

「そうよ。知らない間に大きくなっちゃって、生意気」

 

 多分そのことを昔の俺は気にしていたと思うけど。目線の高さが同じじゃなくなったのは少し、残念かもしれない。

 

「というか、そもそも。あなたどうして学校に戻ったの? いえ他意はなくて。ただ……高校生活に未練があるようには、見えないし」

 

 確かに別の選択肢ならいくらでもあった。というよりは、そもそも学校に戻っている場合じゃなかったというのが正しい。家更地になってるし。でもそうしなかったのは、何故かというと。

 

「咲耶、こっちに帰ってきた時に『学校に戻ろうかな』みたいなこと、言ってただろ」

「……それだけ?」

「それ以外にも色々あるけど」

 

『じゃあ俺も戻るか』で、他の選択を全部消したのは本当だ。

 咲耶は、両目を瞬いて。

 

 

「あなたって、もしかして……わたしに甘いの?」

 

 

「そうだよ。ようやく気付いたか。おまえ以外が窓から入って来たら問答無用で殺虫剤かけてるわ」

「あはは。野蛮だ!」

 

 髪をなびかせて、彼女は高らかに笑う。ああ、今の表情。写真に残せたらよかったのに、と自然に考えて。俺もアイツも両方バカだな、と思った。

 

 

 

 

 そして咲耶は、神妙に。

 

「ねぇ。飛鳥は、この先どうするの。高校を卒業したら」

 

 将来の話を。明日よりも、ずっと先の話を切り出した。

 

「そうだな。とりあえず働いて、余裕ができたら進学する。堅実にやっていけたら、あとはなんでもいいや」

 

 現世は割合ちゃんとしているので、野垂れ死ぬことはそうないだろう。

 

「咲耶は?」

「わたしは……大学には行くかな。向いてそうな学問って、何があるかしら?」

「哲学」

「あは、難しそう」

 

 彼女は、二、三歩。先を行く。

 

「あーあ、わたし。頭よくないからなぁ。どうしよう。全然思いつかないのよね」

「昔は何になりたかったとか、ないのか」

 

 地に足つかない不安定な足取りで、黒のワンピースを翻し、くるりと振り返る。

 

「素敵なお嫁さん」

 

 幼げに、彼女は笑って。

 

「今どき、甘い考えで笑えるでしょ」

「笑わねーよ」

 

 ──だってそれは、多分。潰えた夢の話だ。

 

「別に、なんでもいいんじゃないか。やりたいことをやればいい」

「そうね。全部やれば、いいか」

「そうだよ。これからの人生は……長いし」

 

 自分で言って自分で驚いた。そうか、あと半世紀も続くのか人生。気が遠くなるな。

 

 ひと気のない静かな道を、彼女は後ろ向きのまま四、五歩と進む。

 

「ねえ、あなたは昔、何をやりたかったの?」

 

 咲耶の問いにほんの数秒、思い出そうと試みて。

 

「忘れた」

「……そっか」

 

 後ろ歩きで、俺の目の前を歩いていた彼女は立ち止まる。

 

「ね」

 

 後ろの街灯が彼女に逆光を浴びせる。

 表情が、暗くて、よく見えない。

 

「もしも。わたしがまた──」

 

 真っ暗な顔で、彼女は低く、問いかける。

 

 

「──悪い魔女になったら、どうする?」

 

 

 ……これは、さっきまでと地続きの将来の話だ。そしてその答えを決して、間違えてはいけない。

 迷わずに、答える。

 

「その時は、」

 

 

「──ちゃんと、倒しに行ってやる」

 

 六、七歩と。小さく遠ざかっていく。

 街灯の真下へと入った、彼女は。光に照らされてしっとりと微笑んだ。

 

「わたし。あなたの、そういうところが……嫌いよ」

 

 それは『嫌い』なんて言うには、あまりにも柔らかすぎる表情で。

 

「知ってる」

 

 多分、俺も似たような顔をしていると思った。

 

 

 

 ──大丈夫。これはいつもの、ただの軽口の延長線上だ。たとえ、大丈夫じゃなかったとしても、今ここに積み上げた日常を壊さないことだけが果たすべきことで、そのための力はまだここにある。

 だから。恐れることなど何もない。

 拳を握りしめて、アスファルトを踏みしめる。咲耶との間に空いた距離を一息に詰める。

 

「ほら、さっさと帰ろうぜ」

 

 咲耶は、少し驚いたような顔をして。ふっと表情を緩めた。

 

 

 

「あ、待って。遠回りしてコンビニ寄ってもいい?」

「いいけど。何買うんだ」

「決まってるでしょ。今夜は、長くなるんだから」

 

 咲耶はにんまりと赤い唇を歪める。

 

「わたしはなにせ極悪なので、深夜にポテチとか買っちゃうのです。ついでに、言い訳が効かないほど庶民舌なので、コーラだって買っちゃうの」

 

 なるほど、それは確かに。

 

「世が世なら大罪だな」

「でしょ?」

 

 やはり。

 今夜は、眠れないらしかった。

 

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