彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。)   作:さちはら一紗

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第十二話 わたしの初恋。

 いつか飛鳥と遊ぶこともあるだろうと思って、取り寄せたばかりのゲームの封を切る。

 この手の対戦ゲームは、かつて健全な交友関係を持っていた飛鳥の方が経験値があるはずで、むしろわたしには不利な勝負を挑んだつもりだったのだけど。 

 

「ボコボコにするって、啖呵切ったくせに……」

「みなまで言うな。わかっている。これは多分昔からだ」

「……ド下手じゃない‼︎」

「みなまで言いやがったな⁉︎」

 

 画面の中で、飛鳥はあっけなく連敗していた。

 

「あっはは、意外だわ!」

「うるせぇ、俺はテーブルゲームなら結構やるんだよ!」

「あは、そんな感じするかも。多分そっちだと勝負にならないわよ、わたしが弱くて。チェスとかポーカーとか、一応ひと通りできるけどね。お嬢様の嗜みだから」

「……いや、悪い、調子に乗った。俺も別に強くないと思う」

「ふふふ。今度試してみる?」

「は? 負けねえ」

「手のひら返すの早すぎるわ。何その血の気」

「人間は負けたら、」

「はいはい死ぬ死ぬ。というわけで、はい。死ねー?」

「うわまた負けた! チクショウ‼︎」

 

 夜が、更けていく。

 

 

 

 ──これは、昔の話だ。

 

 三年前。わたしたちがまだ、正真正銘に普通の高校生だった頃。かつて、陽南飛鳥に恋をしていた頃の話だ。その初恋のきっかけを、わたしは確かに覚えている。

 当時、誰にも嫌われない優等生を演じて生きていたわたしは、あまり目立たない同級生だった彼を、気が付けば、いつも目で追っていた。その理由は何故なのか。

 確かに彼は、地味で目立たなくて比較的に大人しい少年だった。けれどそれは自ら矢面に立つことがないというだけで、いつだって和の中にいた。

 別に人気者というわけじゃない。けれど気付けば当たり前のようにそこにいる。

 善良で、親切で、けれど取り立てて評価されることもないような普通の子。特筆して印象を残さないくせにどこにでもよく馴染んで、本当に誰とでも分け隔てなく仲が良い……そういう子、クラスにひとりはいるでしょう?

 

 言うなれば背景に溶け込む名脇役。例えるなら通学路の街路樹。気にも留めないけれど、いなくなると寂しいもの。そういう普遍的な親しさを感じさせる同級生が、陽南君だった。

 わたしが「誰にも嫌われない」ことを計算して動いているならば。彼は「誰彼からもうっすらと好かれる」ことを天然でやっていたのだ。

 ──それは、今の飛鳥にはすっかりと、できなくなったことだけど。

 

 だから。昔のわたしは、思ってしまったのだ。

 ……ああいいな。あの人はきっと人生を上手くこなしていく側だ。呼吸すらも下手なわたしとは、違う人間だ。

 根暗で陰湿で自分に自信がないわたしは、わたしにはできないことをできる人が好きだった。わたしは、不器用なはりぼてで出来ていたから。わざと壁を作って高嶺の花を装うことでしか処世ができないわたしなんかより、ずっと器用な彼が……羨ましくて、憧れて。気付けば、いつだって目で追っていた。

 それだけの、仄暗い憧れの感情を抱いているだけだった。

 わたしたちは、ただの同級生として終わるはずの関係だった。

 

 ──それが変わったのは、夏の終わりの文化祭。

 わたしはその頃、文化祭準備の仕事に追われていた。周りにいい顔をするということは普段の積み重ねが大事になる。大きな行事の時なんて最たるもので、頼み事を断れやしない。そしてわたしは、実行委員に祭り上げられた。『文月さんなら任せられる』と。

 確かに、そうだろう。わたしが作り上げた「文月咲耶」なら完璧に、そつなくこなしただろう。問題は、中身のわたしのことなんて誰も知らないということで。実際のわたしには人を纏める器なんてなかったし……実際、最後にはボロを出して当日にとある失敗を犯してしまった。さいわい周りは皆優しくて、起きたトラブルを責めもせず、むしろわたしの努力を肯定してくれた。

 だけど。本当は根暗で陰湿で人と関わるのが苦手で、嫌われること、間違えること、完璧ではないことを何よりも恐れて生きてきた当時のわたしの心は、すっかりと限界を迎えてしまったのだ。

 文化祭の最終日。もう、自分がいなくても状況が回ると判断できたその時に、ぷつりと糸が切れた。華々しい祭りのすべてから背を向けて、わたしはひとりで逃げ出して。がらんどうの教室でひとり、カーテンにくるまって息を潜めていたのだ。甘い(・・)缶コーヒー(・・・・・)を両手に抱えて。

 

 ──そのわたしを探しに来たのが、陽南君(あなた)だった。

 

『文月、ここにいたんだ』

 

 あの頃、今よりもずっと柔らかく喋る人だったあなたは、わたしを見つけて。わたしのいつもと違う様子には何も触れずにいてくれた。そして祭りの喧騒から遠く離れた教室でふたりきり。たわいもない会話に付き合ってくれた。陽南君には一緒に文化祭を回る友達なんていくらでもいたはずなのに。もっと楽しいことなんてあったはずなのに、わたしを案じてくれたのだ。

 

 ──それはかつて唯一、わたしが何も演じずに、誰かと話をした時間。纏う皮が破れてしまった今とは違って、完璧に取り繕えていた〝昔のわたし〟が、本当に誰にも素顔を見せられなかった時代の〝文月咲耶〟が、限りなく素でいられた僅かな時間──それが、あなたの前だった。

 

 それだけの話だ。

 それだけの話、だけど。

 

 ──恋に落ちるには、十分でしょう?

 

 その時彼に差し出された、さして美味しくもない缶コーヒーの味をずっと覚えている。彼に貰った二本目(・・・)の缶コーヒーは、苦かった。

 ブラックなんて飲んだことなかったけれど。わたしはその日から、コーヒーに砂糖もミルクも入れることはなくなったのだ。まるで、あの日の思い出に縋り付くような振る舞いだ。自分の浅ましさに笑えてくる。

 

 ──そしてそれは、綺麗な初恋の思い出であると同時に失恋の記憶でもあった。

 

 当時のわたしには定められた婚約者というものがいて、わたしには恋よりも優先すべき生き方があった。それだけではなく、彼がわたしをなんとも思っていないのも知っていた。好意も、敵意も、特別な感情は何も、あなたからはずっと読み取れなかった。

 陽南飛鳥は誰にでも親切な人だったから、その親切がたまたまわたしに向いただけ。誰にでも優しいあなたが、わたしにだけ優しかった都合のいい時間はあの一日だけ。

 わたしはそれだけで、ささやかに救われた。だから。

 叶うはずのない恋は心の箱に仕舞われて、ただの綺麗な思い出になる──はずだった。

 

 はずだったのだ。

 

 ──最悪な異世界に落っこちて、最低な出会いを、果たすまでは。

 

 

 遠い遠い向こう側で。再会の時には誰だかわからなかったほどに、背丈も顔つきも目の色も何もかも変わってしまった勇者(あなた)は、それでもわたしを助けてくれた。

 あの頃の魔女(わたし)というのは、本当にどうしようもない女で。異世界なんてわたしの人生ぶち壊しにしてくれた報復に滅ぼしてやろうと本気で思っていた。

 

 ──どうせ逃げられないのだから。

 ──どうせ帰れないのだから。

 ──どうせ、誰も助けてくれないのだから。

 

 本当に、それだけの絶望で。

 けれどあなたはあっけなく、わたしが諦めていた願いをすべて叶えてくれた。

 それにどれほど救われたか、語り尽くせるはずもない。

 だから。わたしは、その恩に報いなければならない。

 

 絶対に──何をもってしても。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 連敗を繰り返した飛鳥は、わたしの隣で大の字になる。

 

「力加減がわからん。コントローラー壊しそう」

「だろうと思って、丈夫なのを買っておいたわ」

「マジ? 助かる。今から本気出すわ」

「あら。わたし、あなたがいつも本気なの知ってるのよ」

「そんな都合の悪いことは忘れろ。俺は忘れた」

「本当になんなのよあんた」

 

 起き上がって再戦。

 

「ていうかやっぱり、人数が足りないわよね」

「まあ、な」

「……ちゃんと、あの子たちと友達になれるといいな」

「大丈夫だろ、多分」

「あんたって楽観主義者ね」

「悲観は飽きが来るからなー」

 

 カチカチとコントローラーの音が響く。けたたましい効果音が画面から鳴る。

 

「……あ、あーー! うそ⁉︎ 負けたんだけど⁉︎」

「うわはは。どうだ見たか! よし、概ね理解した。次も余裕で勝つ」

「は? 調子こいてんじゃないわよ」

 

 ──ゲームの画面を見つめ直し、コントローラーを握り直す。

 本番は、ここから。あなたに勝つ方法をよく考える。

 

 考えるということ、思考には依存性があると思う。わたしは頭の出来が良くないから、それを補うためにいつだって何かを考え続けている。

 それは地上で鰓呼吸をするような所業だけど、それ以外の方法を知らないし、わたしずっとそうして生きてきた。

 それでも結局わたしの目は節穴で。この世界はわからないことばかりだ。

 

 だから、いざとなれば。考えた上で小賢しいだけの思考(それ)を投げ捨てる。何も考えていない無神経な顔を繕って、踏み込んでいく。理屈じゃない無謀を振りかざす。

 それが、昔の文月咲耶(わたし)にはできなかったことで。悪い魔女になって、少し自由になったわたしにはできることだ。

 ……実はわたしは、今の自分のことがそんなに嫌いではなかったり、する。

 

 そうやって。無茶苦茶な理由をつけて、あなたの部屋に窓から飛び込んでまで。

 強引にでもわたしは今、あなたの隣にいることを選んだのだ。

 

 ──画面の中で彼を蹴倒して。

 

「わたしの勝ち、ね?」

 

 隣を振り向く。

 心底悔しそうな顔をしてくれるあなたの顔が、好きだと思った。

 今あなたの視界の真ん中にいることを、幸福だと思った。

「もう一戦!」と子供のようにいつまでも言って欲しかった。だから。

 

 朝なんて、もう、来なくてもいいと思った。

 

 

 

 

 向こうで再会した時の彼は、本当に酷い目をしていた。澱んだ泥水に青の絵の具をぶちまけたような、死んだ目だ。

 今の飛鳥はちゃんと笑うようになったし軽口も叩くようになった。わたしが失敗したら呆れてくれるしわたしに負けたら悔しがってくれる。昔の陽南君とは違うけれど。態度も口も性格も悪くてちっとも穏やかな顔なんてしてくれないけれど。それで、十分だと思う。

 

 どうせ初めから、わたしの立つ場所(ここ)は酷い地雷原だ。過去に見て見ぬ振りをする関係は綱渡りのように不確かだけど。多分その危ういバランスの上にいることが唯一の〝正解〟だから。

 踏み外したって死にはしない。今更失うことなど何も怖くない。あなたと昔のように、たわいもない話が出来さえすれば、それでいい。

 わたしは自分で認めざるを得ないほどの馬鹿だけど、まだ愚か者にはなりたくなくて。いつだって、欠けたることもない〝完璧〟な正解が欲しかった。

 でも。願いを叶えるには。

 正しいことを、正しいようにやっているだけではいけないことを、爪先から天辺まで〝間違い〟に染まった今の魔女(わたし)は知っている。

 

 ──この時間がいつまでも続かないことを、わたしはよく理解していた。

 わたしとあなたは同じではないから。

 わたしは、あなたとは違って──もう、人間の身体ではないから。

 

 異世界の後遺症だ。わたしの身体は、時を止めたまま歳を取らなくなっていた。

 友達の定義をすり合わせた時彼は言った。『言わなければわからない』と。言わなければわからないのだから、言わないのは当然のことだ。爪も髪も、わざと少しずつ伸ばして自然な代謝を装っているだけだ。

 

 ──わたしは、嘘を吐いている。

 

『二年前に中断された続きの人生』を『将来を見据えて、現代社会で清く正しく生きていく』を、と。彼は共通の目標を掲げたけれど。

 実のところ、わたしはこれっぽっちも興味がなかった。

 

 だって無理だ、とっくに人でなしのわたしには。

 初めからわたしたちの目標は一致などしていない。けれどわたしは嘘を吐いてまで、同じものを見ているフリをした。

 わたしは魔女だから。魔女は「願いを叶える存在(もの)」だから。

 

 ──わたしの願いは、あなたの願いを叶えることだから。

 

 わたしは「人間」の演技(ロール)をし続ける。

 必要のないご飯を食べて、必要のない眠りについて、正しく生きていける振りをする。

 けして彼に「手遅れ」を悟らせないように嘘を貫き通す。

 その嘘が、わたしなりの最大限の誠意。

 

 わたしは救われた。だから、今度はわたしが、恩と友誼に報いる番だ。

 それはけして、浅ましい恋のためなんかであってはならない。

 

 わたしたちは友達以上になってはいけない。

 だって深すぎる関係になれば、あなたの前からわたしがいなくなった時に傷になる。

 わたしはあなたになんの呪いも遺したくない。

 

 文月咲耶(わたし)はもう、勇者(かれ)に恋をしていない。

 けれど、魔女(わたし)は。陽南飛鳥(あなた)を今でも深く、愛している。

 

 だから。

 間違ったわたしは、正しいあなたの未来には、いらないのだ。

 

 あなたがちゃんと、しあわせになるのを見届けて。魔女(わたし)はあなたの前から姿を消す。

 

 

 ──それが、わたしの「目的」だった。

 

 

 

   ◆

 

 

 

 時計は午前三時を回る。

「寝よう」と言い出したのは、どちらともなくだった。「帰らないで」と願った通りに彼はわたしの家に留まって、ソファの上で眠ってくれた。わたしは眠らずにこっそりと彼の側で、朝を待っていた。

 ……実のところ。

 割合早い段階で、わたしは彼が異世界(むこう)を引き摺りすぎていることに気付いていた。

 それを「どうにかしないと」と思って。会いに行く口実に「敵対の継続」を選ぶしかなかったのが少し前までのわたしの真相だ。

 飛鳥はそんなわたしを受け入れ「友人」にしてくれた。

 それでもわたしの企ては、何も変わらないはずだった。

 

 ……誤算は、わたし自身の浅ましさだった。「友達」という、あまりにもわたしに都合が良い役を与えられてしまった途端に、「隣に居たい」という欲に逆らえなくなってしまったのだ。みっともなくて恥ずかしいことに、わたしは魔女になってからどうにも理性が弱くて。欲の方が強くなるとどうしようもなくなってしまう。

 

 わたしは彼の寝顔を覗く。こっそりと魔法をかけて深い眠りを(いざな)ったから、身じろぎひとつしない。

 普段の彼には(うで)のせいであまり魔法が効かないのだけど。今夜は記憶を消すために一度自らわたしの魔法を受け入れてくれたから、あっけなく無許可の二度目もかかってくれた。

 多分、今ならば触れても起きることはないだろう。

 ……たとえばキスを落とすことだって、今ならばれやしない。

 

 額に親愛、目蓋に憧憬のキスくらいは許されるだろうか、と。悩みに悩んで。歯止めが効く気がしなかったからやめた。

 ……願いを、見失ってはいけないから。

 

 ──わたしの願いは、「正しく生きたい」というあなたの願いを、叶えることだ。

 

 でも、その対価に。ひとつだけ我儘を、言わせて欲しい。

 どうか。

 

 

 ──あなたの青春を、ください。

 

 

 卑しくて浅ましいわたしに思い出だけを。あの日失ったままもう二度と手に入らないはずだった、かつて手を伸ばすことすらしなかった輝かしい日常だけが欲しい。

 あなたが現世(ここ)でちゃんと生きていけるようになるまでの僅かな時間。

 隣で、友達で、いさせて欲しい。

 

 

 ──そしてわたしの青春はすべて、あなたのために。

 

 

 面倒くさいわたしは不器用なやり方しかできないだろう。

 人に頼るのが苦手なあなたに悟らせないように遠回りにはなるだろう。

 それでも。あなたに愛を捧げる覚悟は二度救われたその時から。とっくにできていた。

 

 

 わたしは、初めから知っている。

 あの異世界での記憶が真っ暗闇だったことを。そして現世にいる今ですら未だ薄明が遠いことを。

 人間に戻れない魔女(わたし)はきっと、ずっと夜の中にいるまま、あなたと同じ道を歩めないということを。

 

 だからせめて、あなただけは「正しい人」のまま、この先を生きてくれますように。

 その隣から、「間違ったわたし」はいつか消えるとしても。

 

 ──この長い長い夜が明けるまでは、あなたの側に。

 

 そう祈ろうと、手を組みかけて。

 天に中指を突き立てた「魔女」にはとっくに、祈る先がないことを思い出した。

 

 

 

 

    ◆

 

 

 

 

 次の日は特筆すべきことなど何ひとつない、最高の一日だった。

 昨日の帰り道で約束したことをすべて完璧にこなして。くだらない軽口を絶え間なく応酬して。「おはよう」から「おやすみ」までを、正しく口にして。

 夕飯の後。

 彼がわたしの部屋を、扉から出ていくのを見送った。

 

 

 着信に気が付いたのは、その後だった。メッセージの送り主は、寧々坂芽々。

 

『明日、時間はおありですか』

『大事なお話があります』

 

 

『飛鳥さんについて、です』

 

 

 嫌な、予感がした。

 

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