彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。)   作:さちはら一紗

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第十四話 魔女は祈らない。

 わたしたちが現世に戻ってきたのは、まだ寒い二月のことだった。

 

 すべてを振り切る逃避行は、無傷で帰るというわけにはいかなかった。

 その上、現世に転移が叶ったと思ったら空から落ちたものだから。魔法やらなんやらで受け身は取ったものの飛鳥は裂傷、擦過傷、打撲やら、とにかく軽傷のオンパレードで、けれど治癒魔術なんてものは持っていないからそのまま病院送りになっていた。

 それで入院中にうっかり異世界のことを口走ってしまったというのだからお話にならない。閉鎖病棟に入れられそうだ、と公衆電話で泣きつかれたので、わたしが魔法で関係者の記憶とカルテを書き換え事態の収拾をする羽目になったのだ。

 本当に、ありえない。

 

 その頃わたしたちの仲はまだ険悪で──というのも互いの正体に気付かない内はわたしたちは普通に殺し合っていたので、今更友好的な態度など分からなくて──飛鳥の『たすかる』『悪い』『ありがとう』という言葉すら濁って聞こえたし、わたしも刺々しい返答しか持ち合わせていなかった。

 そうして事態の収拾を終えたのだけど。彼は何故かそのまま、外へ向かおうとしていた。

 

「とっとと病院、戻んなさいよ。肋骨とか折れてんでしょ。貧弱勇者」

「戻る時誰がおまえのこと庇ったと思ってんだ。ありがとうございますも言えねえのか」

「あらあらあら。失言かまして無様に泣きついてきたのはどちら様だったかしらぁ」

「はいはいありがとうございます。ありがたすぎて涙出そう」

「顔面鏡に突っ込め半笑い野郎」

「うっせぇ脳味噌治安最悪女」

 

 中身のない薄っぺらな罵倒の応酬、条件反射のように悪態を吐くだけの虚しい関係。

 患者衣のまま、目の下に深い隈を作った彼は溜息を吐いて言う。

 

「……せっかく病院抜け出してきたから、一回、家に帰ろうと思ったんだよ」

「あんた、家族……」

「いないけど。いないからさ、家、ほったらかしなんだよ」

 

 この人には、現世にすら、「おかえり」と言ってくれる人もいないのか。わたしが最初からしかめ面をしていて良かったと思った。飛鳥はぼんやりと虚空を見て、呟く。

 

「家、アライグマにめちゃくちゃにされてたらどうしよう」

「……はい?」

「舐めんなよアライグマ被害。あいつら可愛い顔してえげつねぇんだぞ」

 

 気が、抜ける。

 

「そういうこと、なら? ええ、帰るといいんじゃないかしら。よくわからないけど」

「……で、なんでおまえはついてきてんの」

「別に、いいでしょ。暇なのよ」

「あそ」

 

 ついてくるな、とは言われなかった。

 

 

 

 深夜、冷え冷えとした夜の道を無言で歩き続ける。

 わたしの格好は上等なワンピースにガラの悪いスカジャンなんて、おかしな組み合わせで、二月にはまだ寒すぎる服装だった。わたしもまだ、現世のやり方を思い出せないでいたのだ。けれど飛鳥が患者衣のまま、わたしよりもずっと寒そうな格好で、顔色ひとつ変えずに歩いているのを見て。じくじくと心臓が痛んだ。

 ──寒いとか、多分、彼は忘れてしまったのだ。

 袖から見える右腕は、痛々しく包帯に覆われている。その中身が何であるかをわたしは知っているけれど、現世の人たちが気付くことはない。あの包帯は異世界(むこう)の特別製だから、巻いているかぎり中身がバレることはない。ちょっとやそっと触れられるのだって平気なのだという。それでも流石に病院相手には誤魔化すのが厳しかった。

 外すことができないから、きっと面倒はこの先ずっと付き纏うのだろう。

 

「……この装備は呪われていて、外すことができません」

「なにそれ」

「ゲームであるでしょ」

「あー……あった気がする」

「はぁ? あんた、その程度の知識で異世界勇者やってたの?」

「逆になんで知ってんだよお嬢様のくせに」

「基礎教養だし」

「……そうなの?」

「多分だけど」

「でもなんか、あんまりファンタジーっぽくなかったぞ。人類」

「……そうね。ディストピア小説みたいだった」

「はは。もう二度とSF読めねえ」

「代わりに異世界モノを読むといいわ。『本物』は、素敵なんだから」

「本物って……物語は虚構だろ」

「嘘が偽物って、誰が決めたの? ……あんなのが実在の『異世界』なんてわたし、認めないから」

「そうなの?」

「そうよ」

 

「すべての異世界は、『完璧な夢物語』であるべきだわ」

 

 

「だから、あんな異世界(セカイ)は要らなかった」

 

 

「……それで滅ぼそうとするのはマジで狂ってる」

 

 救おうとする方が正気じゃない、と思った。

 

「……なら。なんで、わたしなんかを助けたのよ」

「ハッ、理由なんているかよ」

「そう。お優しいことね、勇者様」

「俺はそういうふうに呼ばれるのが嫌いだよ」

「飛鳥」

「ん。それで、いい」

 

 吐いた息が白かった。

 電車もバスも走っていない時間。半端に田舎っぽい町のひと気のない道を歩き続けて、ふと。彼は、足を止めた。

 

「……どうしたの?」

 

 目の前は空き地だった。ぽっかりと空いた空間に売地の看板。飛鳥はずっと、その空白を見つめて。

 

「家、ここ」

「は?」

「なんか、なくなってんだけど……」

 

 言葉を失う。

 帰ってきたはずだったのに。おかえりどころか、帰る家すら、ない、現実。

 

 

「……く、あはははは!」

 

 

 つんざくように、笑った。ぞっと寒気がしたのは、冬のせいなんかじゃなかった。『壊れてしまった』と思った。

 

「ハハッ……こんなことってあるかよ、すげえな人生‼︎ まだ落ちるか⁉︎」

 

 ──かつてあなたは穏やかに笑う人だった。

 そんな土砂崩れのように嗤ったりはしない。

 

「ふっ、くく……やっべ、骨に響く……痛、死ぬ、死ぬ無理、クソッ痛ってぇな死ね‼︎」

 

 ──かつてあなたは柔らかに話す人だった。

 そんな錆びたナイフのように喋ったりはしない。

 

「あーあ、もう笑うしかねえだろこんなの。いっそこのまま隕石でも降ってきたら、最っ高だ‼︎」

 

 ──かつてあなたは綺麗に目を輝かせる人だった。

 

 そんな、死んだような、腐った目を──陽南飛鳥はしなかった‼︎

 

 肺が重たく息苦しい、そんな錯覚に襲われる。

 ぐるぐる目眩と吐き気が渦巻いて、けれどわたしの身体は嘔吐のやり方すら忘れていて。

 ただ、ただ、顔を掻き毟らないように耐えるのが精一杯だった。

 

 空は真っ黒で、星ばかりが嫌に綺麗で。

 嘲笑うような細い月が、彼の背で、わたしを見下ろしていた。

 

「なぁ、咲耶」

 

 ──笑えるだろ、と。同意を求めるように、死んだ目で笑うあなたに。

 

 わたしは舌を噛み切って、すべてを取り繕って『そうね』と綺麗に微笑み返した。血を飲み込んで、持てる全霊を尽くして、泣き出したいのを堪えたのだ。

 あの夜が一番暗かった。どこか遠い世界の真っ暗闇よりも、あの夜が。

 けれど、どんなに暗い夜よりも──あなたのことが、怖かった。

 

 

 

 こうなる前からわたしは、『人生なんて演劇みたいなものだ』とずっと思っていた。

 あの異世界で、望まぬ役を与えられ舞台の上に引き摺り出された二年。

 魔女(わたし)は、舞台(セカイ)を壊すことだけを考えて生きていた。

 けれどあなたは、舞台を降りる選択肢を与えてくれて。わたしたちは目を焼く照明(ひかり)から逃げ出した、はずだったのに。

 ……過去から、逃げられはしないのだと思い知らされる。

 逃げ出したはずのここは深く暗い舞台下で。真夜中より深い奈落の底なのだと。ようやく、気付く。

 

 

 ──ああ、やっぱり。あんな世界、滅ぼしておけばよかった!

 

 

 後悔。後悔しかない。

 向こうの世界で、最後の戦いのその時に。

 勇者(あなた)に負けなければよかった。

 あなたの手を取らなければよかった。

 あの時、ちゃんと勇者(あなた)に勝って!

 

 ──綺麗にすべてを、滅ぼしておけばよかったんだ‼︎

 

 ……でも。今更そんなことを考えても手遅れだ。

 わたしは、わたしひとりだけが……あなたに、救われてしまったのだ。

 あの世界に、飛鳥(あなた)ひとりを取り残して。

 

 なんて浅ましいのだろう。救われたいなどと願った自分自身を、呪う。

 わたしは、わたしのために世界を滅ぼしたがっていた。

 わたし自身の怨念と復讐のために。そのために、わたしは魔女になることを選んだ。それは嘘じゃない。

 けれど、あなたと再会したその時に、あなたの目を見た時に、世界を滅ぼす理由は変わっていたのだ。深く暗い……腐った青色。

 

 ──あなたの瞳を曇らせる世界なんて、滅んでしまえばいい。

 

 その憎悪は、今でもわたしの中に燻っている。

 冷たい夜の中、わたしは思考を回す。

 想いが軋みを上げて、答えのない問いの答えを探して、目が回る。

 

 ──かつて恋した人が壊れてしまったら、どうすればいいのだろう。

 わたし自身の存在すら、もう、歪んでいるというのに。

 できるのはひとつだけ。いつか普通に戻れることを祈って、人として生きていけることを願って、すべてを笑い飛ばして、隣にいる。それだけができること。

 ──それだけが、終わった恋の行き着く先。残された愛の証明。

 

 だからわたしは、隣にいることを決めた。

 隣で、いつかあなたが、正しく笑えるようになるのを見届けようと思った。

 隣にいる理由がそれで手に入るならば、それで願いが叶うのならば。

 わたしは魔女だって道化だって演じてみせる。

 

 だから。

 なんでもいいから。

 もう、なんだって構わないから。

 

 わたしに怒って。

 わたしに笑って。

 

 

 わたしを見てよ。

 

 

 

 ──ねえ、飛鳥。

 

 

 

 

   ◆◇

 

 

 

 そして、現在(いま)

 夜風は正常な空気で、初夏の匂いだけが満ちていた。

 温度の涼やかさと相反するように、彼女と彼の間の距離は、不穏の塊で満ちていた。

 

「あなた、わたしを助けた理由なんて『ない』って言ったわよね」

 

 本来、勇者(かれ)魔女(かのじょ)の関係は、殺し合って終わりのはずだった。

 それを打ち止めた理由はなんなのか。

 

「わかっているわ。『あなたはわたしのことは覚えていた』、いえ……あの世界で、わたしのことを思い出したからでしょう?」

 

 互いが同じ境遇だったのならば、争う理由がないからだ。

 ──ただし、勇者(かれ)は『救う』という機能に支配されていたが。

 

「思えば、戦っている時のあなたはまるで機械のようだったわ。自我なんて、なかった。でも、わたしに再会したことで現世を思い出して、ほんの少し自我を取り戻した。記憶の中に文月咲耶(わたし)しかなかったから、あなたのわずかな自我は選択した。

 それしか覚えてないから! それを、優先した。それだけでしょ。たまたまわたしに会って正気を取り戻したから! わたしを助けてくれたんでしょう! あるいは、それすらもなく。ただ、目の前にいた女の子(わたし)を、勇者(おまえ)の機能は救おうとした! 『理由がない』ってそういうことだろう!!」

 

 彼女は口調を荒らげる。らしくなく、低く、囁くように憎悪を吐く。

 

「ふざけるなよ」

 

 右目が赤く、飛鳥を睨めつけて、一切の反駁を許さない。

 

 

 

   ◆

 

 

 

 ──わたしは思う。

 

 異世界なんて本当はなくて、全部、わたしたちの頭がおかしくなっただけで。

 それで全部片付くなら、そういうことでいいとすら思っていた。それで元に戻れるなら。

 でも、あいつの腕はおかしなままで。わたしは死なない身体のまま。わたしたちの現実は、どこまでも空想のまま。

 異世界に、呪われ続けている。だから願った。

 あなただけはせめて、正しく生きていけますようにと。

 ……けれど、それが根本的に間違っていたとしたら? 最初からわたしたちは同じで、とっくに『正しくないもの』に成り果てていたとしたら? 『正しく生きる』なんて願いが、滑稽なままごとでしかなかったとしたら?

 ──今更、何を我慢することがあるのだろう。

 

 愛した人の心が奈落から帰ってこなかったら、どうすればいいのか。その答えは簡単だ。奈落よりももっと深く、愛してしまえばいい。

 わたしの願いはあなたの幸福だった。そのために、すべてをひとっ飛びに解決する方法を、わたしは初めから知っていた。

 ──幸せなんて所詮、脳の働きの結果にすぎないのだ。

 中身を弄った、異世界の人間の不道徳を責められはしない。だって、それは魔女(わたし)にはとてもしっくりとくる発想だ。……とても、効率的で、冴えたやり方だと思えてしまう。

 だからこそ、あなたを救う方法なんて最初からわかっていた。

 魔法で脳味噌を弄くり回して幸福を書き込んでしまえばいい。それだけで、すべての憂いは解決する。そうすれば、地雷原を怯えながら歩くような綱渡りの会話もしなくていい。

 ……それをしないことが、わたしの果たすべき義理だと信じていた。だけど。あなたがとっくに壊れていたというのなら、あなたがとっくにわたしと同じ間違った生き物になっていたのなら、そんな義理に意味はない。

 

 ──初めから。わたしは、魔女(わたし)のやり方で、あなたを愛してしまえばよかったのだ!

 

 倫理も正しさも要らない。そんなものでは救われない。必要なのは愛と庇護。あなたを守るという、強い意志。今度こそ。あなたの目を塞いで、籠の中に閉じ込めて、もう何にも傷付けさせやしない。

 論理が破綻している? 別に、かまうものか。

 だってわたしは魔女だから。

『悪い魔女はどれだけ間違ってもいい存在だ』と、「定義」で、「制約」で、「文脈」で決まっている。わたしは、わたしの決めたルールに沿っていれば〝何をやってもいい〟そういうことになっている。

 それが「魔女」の正体──それが、あの異世界で最強の呪術師だったわたしの〝魔法〟の実態だ。

 どれだけ間違っていても、最終的にわたしが願いを叶えられればそれでいい。

 

 たとえあなたが〝成れの果て〟に過ぎないとしても。

 愛する覚悟は、とうにできている。

 

 

 わたしは祈らない。

 

 ──魔女は、自らで願いを叶える生き物だ。

 

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