彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。) 作:さちはら一紗
──拳から滴る血一滴、地面に落ちる。
赤い粒子が煌めいた。
「『明かせ』」
異界の言語での詠唱、それを皮切りに。
岐路の一帯、何もなかった黒い地面の上に、赤い紋様が現れる。
──否、先程まで、魔法で隠されていた紋様が姿を現した。
複雑なようで単純な、幾何学のようで絵画のような、意味の読み解けない魔法陣。
「……っ」
足元一帯を埋め尽くすそれに、飛鳥は動揺を浮かべる。
──何故。
それは、魔法で隠されていたとはいえ、紋様に気付かなかったことへの動揺。
魔女の使う大掛かりな魔法には血肉が必要だ。魔法陣は『血で描かれていなければならない』。そして天敵である勇者(かれ)は、魔女の血の匂いには敏感だった。
だが、先も、今も──血の匂いはしなかった!
紋様は血のように赤い。
が、その赤に見覚えがある。
「……口紅か!」
「正解よ」
拳に握りしめていた割れた口紅のケース──傷から滴る〝血〟に染まったそれを、魔女は地面に落とす。
カシャン、と。地面に破片が飛び散ると同時。
詠唱の宣言。
「『定義する』!」
──まずい。彼女に喋らせてはいけない。
飛鳥は地を蹴って、
「『動くな』」
その前に、彼女の〝魔眼〟が光った。
逃げ──間に合わない!
かつて彼の窓の鍵を開け、記憶に鍵をかけた、その目の権能は『鍵』だ。
動きに
現世では一日に何度も使えない手札を、魔女は早々に、惜しげもなく費やした。
そして。誰にも邪魔をされることなく悠々と、魔女は
「血は赤く、口紅もまた同様に赤い。口紅はわたしの唇を形作るモノであり、類似するものはすなわち同じモノだ。薄皮一枚の上に塗った口紅は、もはや『わたしの唇そのもの』と言えるでしょう。──ゆえに『口紅は魔女の血肉である』」
その言葉で、『口紅』は『血』に改変される。口紅による紋様は、魔女の血肉で描かれたことになる。
条件は満たされた。魔法が発動し──世界の色が変わった。
街灯、塀、アスファルト、大地は現代のまま。空だけが真っ赤に染まる。それはまるで、あの異世界の真昼のような空だった。
「……なんの結界だ、これは」
動けないまま彼は問う。
「擬似的な異世界よ。わたしにだけ恩恵があるようにできている」
魔女はあっさりと明かす。言葉で語れば語るほど、魔法の強度は上がるからだ。
「異世界のモノは『カメラには写らない』」
肉体に紐づいている義手や、大層な代物ではない包帯については別だが。
「それをヒントに、わたしたちの『存在の座標』をずらしたの。ここら一帯を『現世ではない』と定義して、わたしたちがどこにいるのか、という『世界の認識』を塗り替えた」
説明しても理解の及ばないことを説明する。正直なところ、彼女自身にすらよくわかっていない。けれど深く考えないまま、そういうものだと飲み込んで、無理矢理な理屈を通すのが彼女の魔法だった。
十全に力を振るえない現世ではここまで面倒な手順を踏まねば、こんな簡単な魔法すら使えないが。それでも十分。
──だって、わたしに魔法は使えるけれど、彼には使えない。
剣が出せなければ、腕は多少魔法に耐性があるだけのもの。彼の身体能力は人間並みだ。
──
「これで魔法が解けるまでは……そうね、強度を高めるために『制約』を設けましょうか」
スマホを取り出して、アラームを設定する。
「十二時──すなわちおとぎ話の文脈において『魔法が解ける時間』。
冷や汗を彼は額に浮かべる。目の前の彼女が本気なのだと、気付いたからだ。
「何を、」
しようとしているのか。
「決まってるでしょう?」
魔女の魔法は呪いだ。呪いは認識に作用する。あらゆる言葉は呪いになるが故に、魔女の言葉はすべてが呪文だ。故に、躊躇うことなく目的を言葉にする。
「あなたは言ったわ。勝った方が、正しいんだって。わたしの目的は、あなたに勝つこと。たとえこれが間違った選択だとしても。勝って、わたしが正しかったことにする」
そして彼女の服装が変わる。堅苦しい制服から、黒と赤の、毒花のようなドレスへ。豊かな胸元、白い腹、長い脚を大きく露出するその装束は、艶めかしさよりも鮮烈の印象を与えるものだった。
象徴的な、捻じ曲がった角は無いが。まるで〝あの頃〟のような衣装を纏って。
彼女は、再び『魔女』を演じる。
──あなたはわたしを救ってくれた。だから今度は、わたしの番。
そのためには──
「わたしは今度こそ、
真正面から指を突きつける。
宣戦布告、それこそが、最高の呪文。
魔女は悪辣に、心底の笑みを浮かべた。
「勝って、あんたの
恩を仇で返す、愉悦と覚悟の笑みを。
◆
聖剣は使うほどに目が青くなる──そこから導き出した仮説が、『聖剣は使い手の肉体と精神に作用する』だ。
頭を弄られて勇者にされたのか、勇者になって頭がおかしくなったのか。どちらが先か、あるいは両方か。それを確かめる術はないけれど。
どちらだって同じことだ。結果、結果さえあれば過程なんてどうだっていい。
『鍵の魔眼』の効果は継続中。一度限りの全霊を込めて『施錠』したから、飛鳥はまだ動けない。
──勝利条件を、思考する。
まずは前提。彼の聖剣は『魔女殺し』の
現世での性能はわたしの方が上、とはいえ、その武器との相性は最悪だ。
だが、それさえなければ怖くない。聖剣の『起動』が、魔法そのものに反応してのことではないことは、彼に魔法をかけた時に確認済み。
起動は、
だから距離を保ち、近寄らせず、起動される前に、
──では、どうやって壊すのか?
聖剣は腐っても異世界最強の武器だ。ここは幻想の濃度が低い現世だから、多少脆くなっているとはいえ。真っ当に壊せるようにはできていない。
だから。わたしは彼を見据え、言葉を吐く。詠唱を始める。
「そもそも『聖剣』なんて、ご大層な名前がよくないわ」
──壊せるようにできていないならば。
「『定義する』」
──壊せるものに変えてしまえばいいだけだ。
「何が〝聖なる剣〟だ。精神汚染付きの『ろくでもない武器』のくせに。聖剣なんて美しい肩書き、『おこがましい』と思わなくて?」
つまり──最強の武器を〝
「〝この装備は外せません〟なんて、どこが聖剣だ。わたしはそんなの『認めない』。おまえなんか、ただの『呪いの武器』だ!」
詭弁、連想ゲーム、自己暗示、文脈の引用、論理武装、現状否定、認識の改変──思い込みを真実に。
「そして同じ呪いなら、〝呪いで出来た
つまり。
「呪いには呪いをぶつけんのよ!」
「それ何の
「教えない‼︎」
言いたかっただけ!
──詠唱の完了と、飛鳥の身体のロックが解けるのは同時だった。
彼は真っ直ぐにこちらへと走る。わたしに触れ、聖剣を起こすために。
けれどここは既にわたしの舞台。地面の赤い紋様に指を向け、次の詠唱を。
「『おまえは蛇だ』」
──紋様が、生物のようにうねり出す。
その外見は本来、蛇というよりは、紐や縄と形容するのが正しいだろう。けれどわたしが『蛇』と言えばそれは蛇であり、『使い魔』となる。
ソレらは彼の手足を絡めとり、わたしとの距離を縮めることを阻む。
飛鳥は無表情のまま舌打ちした。紋様の蛇には先の詠唱の効果を付与してある。
──剣の価値を零落させる呪いを。
締め付けられた右腕が、ぎしぎしと軋みを上げる。肘の関節、逆方向に折り曲げて引きちぎろうと、魔力を込める。だが。
──利きめが、悪い。
『右腕には
──まだ『零落』が足りない。
強く呪いを込める。
詠唱を重ねる。
「……おまえなんかっ、所詮は『呪いの武器』のくせにっ‼︎」
けれど、口から吐きこぼれたのは言葉だけでなく。
赤、──血、液。
こふ、と咳き込んだ。
遅れて、激痛。
わたしの腹が、べこりと凹んでいた。
──強い呪いの代償は血肉だ。事前に、使った口紅と同量の血液を支払っていたのだが、今ので足りなくなったのだろう。
対価の徴収──
「──ッ……!」
叫ぶこともできない、本物の痛みの中。
滲んだ視界で、飛鳥が鬼の形相を浮かべていた。
「やっぱテメェ、身体戻ってねえじゃねえか! この嘘吐きが‼︎」
「げほっ……うるさい、この、秘密主義者……‼︎」
血を拭う。涙を拭う。
痛い、のは、嫌いだ。でも。痛い目なんて死ぬ程見た。
今更泣き言を言うものか。どうせ治るのだ。死なない魔女の身体なんて、引き落とし日が来ないクレジットカードのようなものだ。内臓のひとつやふたつ、タダも同然で…………あ、焼肉食べたい。今、すごく。
と、いうか。
な、んだか。
思考が、とっ散らかる。
──意識が朦朧とし始めた。
血が足りない、なんてことはないはずなのに、まるで酸素が足りないような錯覚。現世はどうにも異世界とは違って、魔法を使うには息苦しい。必死で意識を保ち、出力を維持し続ける。縛り上げた彼の右腕から、みしり、と音が聞こえる。
あと少し。あと、少しなのだ。
──だから。
「とっとと壊れろ、クソ異世界……!」
◇◆
魔女の術式。赤い紋様の蛇たちは彼の手足を固め、動くことを許さない。付与された呪いは彼の身体を傷付けず、ただ右腕のみを蝕み、捻じ折ろうとしていた。
袖の下、包帯の下で、金属の肌の上に毒のような錆が広がっていく。最強の武器に対するは最強の呪い。『聖剣』がじわじわと『錆びた剣』に零落していく。
──戦闘の速度は、かつてと比べものにならないほど遅い。詠唱は回りくどく、攻撃は弱く、動きに冴えはない。所詮、ここは幻想とは縁遠い
現状を正しく見つめ、術式を把握、彼は口を開いた。
「……なるほどな。『聖剣は最強の武器である』という真実を、『解除不可能性』を以ってして、フィクションの『呪いの武器』の文脈で上書き。『最強の呪いを使う魔女』ならば『呪いの武器』に勝てる、という詭弁を押し通そうとしているのか」
呪いの構成要素を解体。そして、
「『くだらない』。そんな『戯言で勝てるわけがない』だろ」
──
彼に魔法は使えない。けれど呪文に意味がないかといえば──あるのだ。
何故ならば〝呪術〟とは、人類史上『誰もが使ってきたもの』だからだ。
約束に指切りをすることも。てるてる坊主に晴れを願うことも。そんな些細なおまじないやありふれた儀式はすべて呪術だ。
──そしてあの異世界は、現世よりもずっと『言葉が呪いになりやすい世界』だった。
この結界は『擬似的な異世界』だ。たとえ『恩恵は魔女にしかかからない』と制限をつけても、『外界からは不可視』という恩恵を与えるため、最低限の影響は彼にも及んでいる。
だから、
──真実を補強する、という効果が。
詠唱の内容はどこまでも正論だった。けれど、真実は、真実というだけで嘘よりも強い。
──呪いが打ち消され、蛇の拘束が緩む。
魔女は焦るように反論、
「『勝てる』! わたしがそうと決めたから、そうなんだ‼︎」
「うるせぇ! ガタガタ抜かすな! 『俺の方が強い』‼︎」
魔女は唸る。
──そんな身も蓋もないことを言うなんて! 呆れるべきか怒るべきかもわからない!
赤く歪んだ瞳を見つめ返して、彼は言う。
「咲耶。おまえには言ってなかったが──俺は自分で、自分の脳味噌を、少しは弄れる」
「……は?」
真実による
──ガチリ、と頭の中の撃鉄を起こす。
右腕に絡みつく『蛇』を引っ掴み、呪いを引き千切った。
「嘘ッ! 魔法を素手で千切るなんて、どうしてそんな芸当ができるのよ‼︎」
魔女の使い魔だ。人間の力でどうにかなるような、生易しい強度はしていない。
「代償ならあるさ」
真剣な表情に、ぞくり、と寒気が走る。
一体何を、支払って──
「明日めちゃくちゃ筋肉痛になる」
身体の出力を無理矢理上げただけだった。
「……そうでしょうね⁉︎ いや、違くない⁉︎ 代償ってもっと、こう……!」
……だ、だめだ、と首を横に振る。うっかり突っ込んでしまった。ペースに飲まれてはいけない。彼女の魔法において、『場の空気の掌握』は必須。なのに。
──主導権を、奪われる。
いや、そんな。こんなことで?
ふざけやがって!
「最悪、この、チート野郎‼︎」
「ちげぇよ」
飛鳥は、深々と溜息を吐いた。
「──おまえが、甘くなってんだよ。現世ボケか?」
口調はふざけているのに、眼には冗談の色がない。
絡みつく蛇を引きちぎりながら、歩を進める。
「せめて呪詛に触れれば焼けるようにしろ」
一歩。
「『腕だけ壊す』なんて甘いことを考えるな」
二歩。
「肉を断て。四肢を落とせ。ちゃんと、不意を突け」
三歩。
「──本気なら、勝ち方を選ぶな」
四歩。
「そんなだからおまえは俺に、負けたんだ」
彼我の距離は、あと七歩。
眼差しが、深く鋭い青色が、魔女を刺し、
「忘れたのか文月咲耶」
彼は、
「『おまえは俺に勝てない』。絶対に」