彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。)   作:さちはら一紗

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第十五話 願うはあなたの幸福ただそれだけ。

 ──拳から滴る血一滴、地面に落ちる。

 赤い粒子が煌めいた。

 

「『明かせ』」

 

 異界の言語での詠唱、それを皮切りに。

 岐路の一帯、何もなかった黒い地面の上に、赤い紋様が現れる。

 ──否、先程まで、魔法で隠されていた紋様が姿を現した。

 複雑なようで単純な、幾何学のようで絵画のような、意味の読み解けない魔法陣。

 

「……っ」

 

 足元一帯を埋め尽くすそれに、飛鳥は動揺を浮かべる。

 ──何故。

 それは、魔法で隠されていたとはいえ、紋様に気付かなかったことへの動揺。

 魔女の使う大掛かりな魔法には血肉が必要だ。魔法陣は『血で描かれていなければならない』。そして天敵である勇者(かれ)は、魔女の血の匂いには敏感だった。

 だが、先も、今も──血の匂いはしなかった!

 

 紋様は血のように赤い。

 が、その赤に見覚えがある。

 

「……口紅か!」

「正解よ」

 

 拳に握りしめていた割れた口紅のケース──傷から滴る〝血〟に染まったそれを、魔女は地面に落とす。

 カシャン、と。地面に破片が飛び散ると同時。

 詠唱の宣言。

 

 

「『定義する』!」

 

 ──まずい。彼女に喋らせてはいけない。

 

 飛鳥は地を蹴って、

 

「『動くな』」

 

 その前に、彼女の〝魔眼〟が光った。

 

 逃げ──間に合わない!

 

 かつて彼の窓の鍵を開け、記憶に鍵をかけた、その目の権能は『鍵』だ。

 動きに(ロック)を。飛鳥の身体が停止する。

 現世では一日に何度も使えない手札を、魔女は早々に、惜しげもなく費やした。

 そして。誰にも邪魔をされることなく悠々と、魔女は定義(ことば)を綴る。

 

「血は赤く、口紅もまた同様に赤い。口紅はわたしの唇を形作るモノであり、類似するものはすなわち同じモノだ。薄皮一枚の上に塗った口紅は、もはや『わたしの唇そのもの』と言えるでしょう。──ゆえに『口紅は魔女の血肉である』」

 

 その言葉で、『口紅』は『血』に改変される。口紅による紋様は、魔女の血肉で描かれたことになる。

 条件は満たされた。魔法が発動し──世界の色が変わった。

 街灯、塀、アスファルト、大地は現代のまま。空だけが真っ赤に染まる。それはまるで、あの異世界の真昼のような空だった。

 

「……なんの結界だ、これは」

 

 動けないまま彼は問う。

 

「擬似的な異世界よ。わたしにだけ恩恵があるようにできている」

 

 魔女はあっさりと明かす。言葉で語れば語るほど、魔法の強度は上がるからだ。

 

「異世界のモノは『カメラには写らない』」

 

 肉体に紐づいている義手や、大層な代物ではない包帯については別だが。

 

「それをヒントに、わたしたちの『存在の座標』をずらしたの。ここら一帯を『現世ではない』と定義して、わたしたちがどこにいるのか、という『世界の認識』を塗り替えた」

 

 説明しても理解の及ばないことを説明する。正直なところ、彼女自身にすらよくわかっていない。けれど深く考えないまま、そういうものだと飲み込んで、無理矢理な理屈を通すのが彼女の魔法だった。

 十全に力を振るえない現世ではここまで面倒な手順を踏まねば、こんな簡単な魔法すら使えないが。それでも十分。

 

 ──だって、わたしに魔法は使えるけれど、彼には使えない。

 

 剣が出せなければ、腕は多少魔法に耐性があるだけのもの。彼の身体能力は人間並みだ。

 

 ──現世(ここ)では、魔女(わたし)の方が強い。

 

「これで魔法が解けるまでは……そうね、強度を高めるために『制約』を設けましょうか」

 

 スマホを取り出して、アラームを設定する。

 

「十二時──すなわちおとぎ話の文脈において『魔法が解ける時間』。鐘の音(アラーム)が鳴るまでこの結界は続く。残る一時間、現世の誰もわたしたちを観測することはないわ」

 

 冷や汗を彼は額に浮かべる。目の前の彼女が本気なのだと、気付いたからだ。

 

「何を、」

 

 しようとしているのか。

 

「決まってるでしょう?」

 

 魔女の魔法は呪いだ。呪いは認識に作用する。あらゆる言葉は呪いになるが故に、魔女の言葉はすべてが呪文だ。故に、躊躇うことなく目的を言葉にする。

 

「あなたは言ったわ。勝った方が、正しいんだって。わたしの目的は、あなたに勝つこと。たとえこれが間違った選択だとしても。勝って、わたしが正しかったことにする」

 

 そして彼女の服装が変わる。堅苦しい制服から、黒と赤の、毒花のようなドレスへ。豊かな胸元、白い腹、長い脚を大きく露出するその装束は、艶めかしさよりも鮮烈の印象を与えるものだった。

 象徴的な、捻じ曲がった角は無いが。まるで〝あの頃〟のような衣装を纏って。

 彼女は、再び『魔女』を演じる。

 

 ──あなたはわたしを救ってくれた。だから今度は、わたしの番。

 

 そのためには──魔女(わたし)を阻むその聖剣(うで)が、邪魔だ。

 

「わたしは今度こそ、勇者(おまえ)に勝つ」

 

 真正面から指を突きつける。

 宣戦布告、それこそが、最高の呪文。

 魔女は悪辣に、心底の笑みを浮かべた。

 

「勝って、あんたの右腕(のろい)──ぶち壊してあげる!」

 

 

 恩を仇で返す、愉悦と覚悟の笑みを。

 

 

 

   ◆

 

 

 

 聖剣は使うほどに目が青くなる──そこから導き出した仮説が、『聖剣は使い手の肉体と精神に作用する』だ。

 頭を弄られて勇者にされたのか、勇者になって頭がおかしくなったのか。どちらが先か、あるいは両方か。それを確かめる術はないけれど。

 どちらだって同じことだ。結果、結果さえあれば過程なんてどうだっていい。

『鍵の魔眼』の効果は継続中。一度限りの全霊を込めて『施錠』したから、飛鳥はまだ動けない。

 

 ──勝利条件を、思考する。

 

 まずは前提。彼の聖剣は『魔女殺し』の文脈(いみ)を持つ。

 現世での性能はわたしの方が上、とはいえ、その武器との相性は最悪だ。

 だが、それさえなければ怖くない。聖剣の『起動』が、魔法そのものに反応してのことではないことは、彼に魔法をかけた時に確認済み。

 起動は、宿敵(わたし)との接触による例外的な攻撃反応。魔法を使っている時のわたしに右手が触れることで起動する、という飛鳥の仮説を採用。つまり──触れられなければいい。

 だから距離を保ち、近寄らせず、起動される前に、(うで)ごと壊す。

 

 ──では、どうやって壊すのか?

 聖剣は腐っても異世界最強の武器だ。ここは幻想の濃度が低い現世だから、多少脆くなっているとはいえ。真っ当に壊せるようにはできていない。

 だから。わたしは彼を見据え、言葉を吐く。詠唱を始める。

 

「そもそも『聖剣』なんて、ご大層な名前がよくないわ」

 

 ──壊せるようにできていないならば。

 

「『定義する』」

 

 ──壊せるものに変えてしまえばいいだけだ。

 

「何が〝聖なる剣〟だ。精神汚染付きの『ろくでもない武器』のくせに。聖剣なんて美しい肩書き、『おこがましい』と思わなくて?」

 

 呪文(ことば)で、聖剣の文脈(いみ)を零落させる。概念の強度を下げる。

 つまり──最強の武器を〝錆びた剣(くだらないモノ)〟に変える。

 

「〝この装備は外せません〟なんて、どこが聖剣だ。わたしはそんなの『認めない』。おまえなんか、ただの『呪いの武器』だ!」

 

 詭弁、連想ゲーム、自己暗示、文脈の引用、論理武装、現状否定、認識の改変──思い込みを真実に。

 

「そして同じ呪いなら、〝呪いで出来た魔女(わたし)〟が勝てないわけがない‼︎」

 

 つまり。

 

 

「呪いには呪いをぶつけんのよ!」

 

 

「それ何の文脈(ネタ)⁉︎」

「教えない‼︎」

 

 言いたかっただけ!

 

 

 

 

 

 ──詠唱の完了と、飛鳥の身体のロックが解けるのは同時だった。

 彼は真っ直ぐにこちらへと走る。わたしに触れ、聖剣を起こすために。

 けれどここは既にわたしの舞台。地面の赤い紋様に指を向け、次の詠唱を。

 

「『おまえは蛇だ』」

 

 ──紋様が、生物のようにうねり出す。

 その外見は本来、蛇というよりは、紐や縄と形容するのが正しいだろう。けれどわたしが『蛇』と言えばそれは蛇であり、『使い魔』となる。

 ソレらは彼の手足を絡めとり、わたしとの距離を縮めることを阻む。

 飛鳥は無表情のまま舌打ちした。紋様の蛇には先の詠唱の効果を付与してある。

 ──剣の価値を零落させる呪いを。

 

 締め付けられた右腕が、ぎしぎしと軋みを上げる。肘の関節、逆方向に折り曲げて引きちぎろうと、魔力を込める。だが。

 ──利きめが、悪い。

 

『右腕には魔女(わたし)の魔法が効かない』と彼は言った。飛鳥当人に魔法をかけるならまだしも、(うで)そのものに対しては効きが悪すぎる。起動していないとはいえ、中身はやはり『魔女殺し』だ。

 

 ──まだ『零落』が足りない。

 

 強く呪いを込める。

 詠唱を重ねる。

 

「……おまえなんかっ、所詮は『呪いの武器』のくせにっ‼︎」

 

 けれど、口から吐きこぼれたのは言葉だけでなく。

 赤、──血、液。

 

 こふ、と咳き込んだ。

 遅れて、激痛。

 わたしの腹が、べこりと凹んでいた。

 

 ──強い呪いの代償は血肉だ。事前に、使った口紅と同量の血液を支払っていたのだが、今ので足りなくなったのだろう。

 対価の徴収──内臓(なかみ)が、消し飛んだ。

 

「──ッ……!」

 

 叫ぶこともできない、本物の痛みの中。

 滲んだ視界で、飛鳥が鬼の形相を浮かべていた。

 

「やっぱテメェ、身体戻ってねえじゃねえか! この嘘吐きが‼︎」

「げほっ……うるさい、この、秘密主義者……‼︎」

 

 血を拭う。涙を拭う。

 痛い、のは、嫌いだ。でも。痛い目なんて死ぬ程見た。

 

 今更泣き言を言うものか。どうせ治るのだ。死なない魔女の身体なんて、引き落とし日が来ないクレジットカードのようなものだ。内臓のひとつやふたつ、タダも同然で…………あ、焼肉食べたい。今、すごく。

 と、いうか。

   な、んだか。  

      思考が、とっ散らかる。

 

 ──意識が朦朧とし始めた。

 血が足りない、なんてことはないはずなのに、まるで酸素が足りないような錯覚。現世はどうにも異世界とは違って、魔法を使うには息苦しい。必死で意識を保ち、出力を維持し続ける。縛り上げた彼の右腕から、みしり、と音が聞こえる。

 

 あと少し。あと、少しなのだ。

 

 ──だから。

 

 

 

「とっとと壊れろ、クソ異世界……!」

 

 

 

   ◇◆

 

 

 

 

 魔女の術式。赤い紋様の蛇たちは彼の手足を固め、動くことを許さない。付与された呪いは彼の身体を傷付けず、ただ右腕のみを蝕み、捻じ折ろうとしていた。

 袖の下、包帯の下で、金属の肌の上に毒のような錆が広がっていく。最強の武器に対するは最強の呪い。『聖剣』がじわじわと『錆びた剣』に零落していく。

 

 ──戦闘の速度は、かつてと比べものにならないほど遅い。詠唱は回りくどく、攻撃は弱く、動きに冴えはない。所詮、ここは幻想とは縁遠い現世(うつしよ)だ。だが、今。この結界(セカイ)に二人しかいないのだから。彼と彼女が〝最強〟であることに、揺るぎはない。

 現状を正しく見つめ、術式を把握、彼は口を開いた。

 

「……なるほどな。『聖剣は最強の武器である』という真実を、『解除不可能性』を以ってして、フィクションの『呪いの武器』の文脈で上書き。『最強の呪いを使う魔女』ならば『呪いの武器』に勝てる、という詭弁を押し通そうとしているのか」 

 

 呪いの構成要素を解体。そして、

 

「『くだらない』。そんな『戯言で勝てるわけがない』だろ」

 

 ──対抗詠唱(せいろん)を、口にする。

 

 彼に魔法は使えない。けれど呪文に意味がないかといえば──あるのだ。

 何故ならば〝呪術〟とは、人類史上『誰もが使ってきたもの』だからだ。

 約束に指切りをすることも。てるてる坊主に晴れを願うことも。そんな些細なおまじないやありふれた儀式はすべて呪術だ。

 ──そしてあの異世界は、現世よりもずっと『言葉が呪いになりやすい世界』だった。

 

 この結界は『擬似的な異世界』だ。たとえ『恩恵は魔女にしかかからない』と制限をつけても、『外界からは不可視』という恩恵を与えるため、最低限の影響は彼にも及んでいる。

 だから、呪文(ことば)に効果は、出てしまう。

 ──真実を補強する、という効果が。

 

 詠唱の内容はどこまでも正論だった。けれど、真実は、真実というだけで嘘よりも強い。

 ──呪いが打ち消され、蛇の拘束が緩む。

 魔女は焦るように反論、

 

「『勝てる』! わたしがそうと決めたから、そうなんだ‼︎」

「うるせぇ! ガタガタ抜かすな! 『俺の方が強い』‼︎」

 

 魔女は唸る。

 ──そんな身も蓋もないことを言うなんて! 呆れるべきか怒るべきかもわからない!

 

 赤く歪んだ瞳を見つめ返して、彼は言う。

 

「咲耶。おまえには言ってなかったが──俺は自分で、自分の脳味噌を、少しは弄れる」

「……は?」

 

 真実による虚言(のろい)の打ち消しによって拘束は緩んだ。手足はかろうじて動く。

 ──ガチリ、と頭の中の撃鉄を起こす。

 右腕に絡みつく『蛇』を引っ掴み、呪いを引き千切った。

 生身(・・)()腕力で(・・・)

 

「嘘ッ! 魔法を素手で千切るなんて、どうしてそんな芸当ができるのよ‼︎」

 

 魔女の使い魔だ。人間の力でどうにかなるような、生易しい強度はしていない。

 

「代償ならあるさ」

 

 真剣な表情に、ぞくり、と寒気が走る。

 一体何を、支払って──

 

 

「明日めちゃくちゃ筋肉痛になる」

 

 

 身体の出力を無理矢理上げただけだった。

 

「……そうでしょうね⁉︎ いや、違くない⁉︎ 代償ってもっと、こう……!」

 

 ……だ、だめだ、と首を横に振る。うっかり突っ込んでしまった。ペースに飲まれてはいけない。彼女の魔法において、『場の空気の掌握』は必須。なのに。

 ──主導権を、奪われる。

 

 いや、そんな。こんなことで? 

 ふざけやがって!

 

「最悪、この、チート野郎‼︎」

「ちげぇよ」

 

 飛鳥は、深々と溜息を吐いた。

 

「──おまえが、甘くなってんだよ。現世ボケか?」

 

 口調はふざけているのに、眼には冗談の色がない。

 

 絡みつく蛇を引きちぎりながら、歩を進める。

 

「せめて呪詛に触れれば焼けるようにしろ」

 

 一歩。

 

「『腕だけ壊す』なんて甘いことを考えるな」

 

 二歩。

 

「肉を断て。四肢を落とせ。ちゃんと、不意を突け」

 

 三歩。

 

「──本気なら、勝ち方を選ぶな」

 

 四歩。

 

「そんなだからおまえは俺に、負けたんだ」

 

 彼我の距離は、あと七歩。

 眼差しが、深く鋭い青色が、魔女を刺し、

 

「忘れたのか文月咲耶」

 

 彼は、宣言する(となえる)

 

 

 

「『おまえは俺に勝てない』。絶対に」

 

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