彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。) 作:さちはら一紗
咲耶は狂気の淵からほんの少しだけ戻ってきた。聖剣が起動したおかげで彼女にも角が生えており、その角が「理性」を補い始めていた。……人外の理性なのだが、まぁ、そこはそれ。今は関係のない話だ。
組み伏せるのをやめ咲耶の身体を起こす。赤い空の下、アスファルトの上に膝をついて。
すぅっと息を吸う。
「……で? 誰が、『自我がない』って?」
そろそろ我慢の限界だった。──いや、もう、ほんっと。
「俺が、どれほどの思いで、魔女を殺すのを止めたと思ってんだ⁉︎ どれほどの意思で、聖剣の機能に逆らったと思ってる‼︎ おまえ見てただろ、隣で! 節穴か⁉︎」
貫き通したのは自我だ。──それを、今更疑うなどあるか!
「こちとら証明は、とっくに終えてるんだ‼︎ 今更、ガタガタ抜かすなアホタレが!」
自我、意識、思考、感情、全部。それを他者に証明する手段はない。頭の中を覗けでもしない限り。けれど自分さえ確信できたなら、他に誰の存在証明もいらないのだ。
「それでも信じないって言うなら、おまえ、思考垂れ流してやろうか。これからずっと、何考えてるか話してやる。聞くか全部? 普段何考えているか。考えてるからなマジで。おまえ胸でかいよなとか全部口に出してやろうか、ええ⁉︎」
「も、もう言ってるからそれ……!」
咲耶は、露出の高い衣装の胸元を隠した。正気で着れるわけがない服だと思う。痴女だろもう。どこをどう隠してるんだよ。露出が高過ぎて逆に全然エロくないから助かるとか考え──思考を打ち切る。品性がなかった。許されない。死ね俺。
息を深く吐いて、落ち着ける。
「……いや、うん。節穴呼ばわりは、悪かった。『言わなきゃわからない』って言ったのは俺だったのにな」
くそ、同じ失敗ばかり繰り返している。
「……死んでも言わないつもりだったんだ」
嘘と隠し事はお互い様だ。それがなんのためなのか。自分のためで──互いのためだ。
横たわるのは『言ってどうにもならないことは言わない』という、暗黙のルール。だってそれは、泣き言だ。笑えない話は全部、無価値だ。だからどうした、言うほどのことでもない、と受け流していくのが〝正解〟だと思っていた。だが、そのせいで咲耶が傷付くならば。それは〝間違い〟だ。
「言わなくて……いや、言えなくて、悪かった」
──ずっと、それを言って受け入れられないことが恐ろしかった。
どうして言える。彼女に自分を否定されたら。『あなたは陽南君じゃない』と言われたら。立っていられる自信がなかった。咲耶をここまで追い詰めたのは、俺に意気地がなかったせいだ。
「確かに、今の俺には君の
ここにあるのは、初恋の記憶と感情を核に、かつての陽南飛鳥を参照し、再生した人格だ。それは、
「それでも、俺は俺だ」
答えは出ている。たとえ中身が空になったとしても。最後にたったひとつ彼女さえ残っていれば。俺がかつて陽南飛鳥であったことは変わらない。今は紛れもなく『続き』だ。
「俺は感情を動かして、思考を回して、ちゃんとここに生きている。そのことを、誰よりも俺自身が分かっている! ……だから何も問題なんて、ないんだよ」
今更、自我の在処に迷う必要なんてない。この感情は全部、正真正銘に、俺のものだ。
「……だから本当に。たいしたことはないんだ、全部。たいしたことは、なくなったんだ。──君のおかげで」
ようやく動くようになった左手を剣の柄に添える。彼女は黙り込んで、返事はなく、けれど俺を止めようともしなかった。
アスファルトに刃を突き立てる。先程まで、彼女が動かずに立っていた場所に。結界を作る魔法の、核を破壊する。
──言っただろ、ちゃんと倒しに行ってやるって。
赤い空は、粉々に砕けて消えた。
結界が解けた先の景色はいつもの夜だった。地面に傷はなく紋様も残っていない。正しく現世に、戻ってきた。
咲耶の目には僅かに正気の光が灯っていたが、まだ天秤が狂気の側に傾いているらしく。ゆらゆらとした瞳で、俺の言葉を反芻しているようだった。
「……どうして? あなたの言葉は、強がりだわ。そんなこと、もう言わなくていいの。ここに、簡単な結末があるのよ。あなたが受け入れてくれるだけで、すべての虚勢は要らなくなる……」
しゃがみ込んだまま、彼女は俺に縋り付く。
「あなたの中に、わたししかないなら尚更に! わたしのすべてを、あげるのに‼︎」
瞳は潤んで今にも溢れ落ちそうだった。
「わたしだけ見てわたしのことだけ考えてずっとわたしの側にいてよ‼︎ ねぇ、飛鳥……」
狂気の淵の駄々。彼女がずっと嘘で覆い隠していた本音。俺は、胸倉を掴む彼女の手に、左手を重ねる。
「やるよ。人生。──俺なんかの人生でいいなら、全部やる」
「……え、ぁ……えっ?」
咲耶は、眼を瞬く。ぽろりと、鱗が落ちるように、目尻に溜まった涙が剥がれて零れる。
「──えっ⁉︎ い、今、あなた何を……っていうか、わたし、今まで何を言ってたの⁉︎?」
「ようやく正気に返ったか。おかえり」
「えと、ただいま……じゃ、なくて! ……わたし、あなたに、その……‼︎」
咲耶は無意識に溺れている間に何を口走ったのか思い出すのに忙しいらしく、まったく言葉が出ていなかった。困惑と混乱に表情をころころと変えるものだから、少し可笑しい。
だが今は構わずに話を続ける。彼女の手を握って、大事な話を。
「俺もさ、ずっと考えてたんだ。……おまえの身体のこと、気付いてたよ。角、見た時からそうじゃないかと思ってた」
エプロンにも何故か血痕が残っていた。どうせ包丁で指でも切ったのだろう。だが、咲耶に傷は残っていなかった。
嘘は上手いけど根本的に隙だらけだし詰めが甘い。まったく隠すなら隠し通せ。……とは、バレた俺が言えることでもないか。
咲耶の眼を、覗き込む。決意を口にするために。『わたしに負けてよ』と彼女は言った。その返答が、まだだった。
「
人生なんざくれてやる。でも。
「俺は、おまえのことも、俺自身のことも、何もかも。まだ諦めちゃいないんだ」
だから魔女の論理で用意された簡単な結末なんて欲しくない。破綻が約束された関係なんて、いるものか。
「みくびるなよ。俺は結構やるヤツだって、おまえが一番知っているはずだ」
「それに……」
今更。今更だ、と。──今更、昔は両思いだったなんて知って何になる。ずっと、そう思っていた。全部手遅れで変わってしまった後なのだからと。
でも咲耶が。強引に窓をこじ開けてくれたから。今更なんかじゃなくなったのだ。
「この一週間、楽しかった。……楽しかったんだよ、本当に」
とっくに俺は、救われてたんだ。それは紛れもなく咲耶のおかげだ。でも。
「『おまえだけ見ておまえのことだけ考える』……正直、キツい誘惑だ。それもいいか、とちょっと思った。でも、そういう自分になることを俺は許さない。だって、それは。人間として正しくない」
「だけど、今の俺は。咲耶がいない人生も、嫌なんだ。だから、頼むよ……『いなくなる』なんて、言わないでくれ」
咲耶は、俯いて。俺の手を両手で握り返す。
「……ずるいわ、そんなの」
静かに滴を手の甲に落としながら。正気の声音で。
「そんなこと、言われたら。わたしもう……勝てないじゃない」
◇
そして、俯いていた彼女は残りの魔法を解いた。魔女のドレスはいつもの制服に戻る。捻じ曲がった角もゆっくりと頭蓋の中に収まっていく。
顔を上げる。咲耶は微塵も表情を変えないまま、ぽろぽろと涙をこぼし始めていた。
「迷惑かけた。ごめんなさい」
声と感情を震わせずに、ただ滴だけを零す、不器用な泣き方だった。
「どこまで正気で、どこまでが正気じゃなかったのかわからない。でも正気のまま、『あの結論』に至ったところまでは覚えているの。……わたし、やっぱり悪いやつで、人でなしの魔女なんだ」
「ばっかじゃねーの」
自罰なんて何の得にもならない、と思った。
「おまえ、人間味しかないよ。俺の三倍くらい『人間』だわ」
「……それ、あんまりじゃない? わたし、人間として三十点くらいよ? 逆算すると、あなたは人間として十点って意味だからね?」
「はは。合ってる」
「笑うな!」
「いや、でも。昔の俺とは違うって言ったけど。根本はあんまり変わってないと思うぞ? 多分」
思い出した限りだけど。それはちょっと言っておかないと、と思った。多分、咲耶は実際より深刻に受け取りすぎているから。
「? でもあんた、感性おかしく……」
「あー、あー…… ? それか、暴走の根拠は。……げ、まさか『更地』の件?」
「え、うん。察しいいわね……」
取り柄、それだけだからな。というかマジかよ。笑い過ぎて引かれた自覚と感情の出力をミスった認識はあったが。やっぱりあれ根本的に笑えないのかよ。現世、難しいな。
……いや、これ現世関係ないか。俺のせいだ。
溜息を吐く。
「あのな。隕石が好きなのは、元々。服の趣味も、元々。あと、不謹慎なのも元々だよ」
「………………はい?」
「俺、昔から、ばあちゃんの通夜で爆笑するようなヤツだった」
「は?」
「身内が犬神家死してたら、笑うだろ」
「何の話してるの⁉︎」
俺もわからないんだよ。うちの家系、俺以外バカだから。
「待って、聞きたいことは山ほどあるけど、とりあえず……なら、どうしてもっと早くそう言わなかったの⁉︎」
「おまえが弁解の隙もくれずに、喧嘩売ったからだよ!」
早く言えとか、どの口で言うか!
「脳味噌の治安が悪いんだよ、おまえは!」
「あんたが言うと洒落にならないわ⁉︎」
「俺は弄られてるから逆に治安が良いんだよ‼︎」
「死ぬほど不謹慎‼︎」
涙も引っ込んだ。
「……え? 陽南君て結構、変な子だったの? 普通の、いい子じゃなかったの?」
「だから。おまえ、昔の俺のこと知らねぇじゃん。友達じゃなかったからさぁ〜……。なんか外面よかっただけだよ昔の俺は」
咲耶はあからさまにショックを受けていた。
「わたし何を、思い詰めて……?」
「だから言ってるじゃん。割と記憶思い出してるし、結構自我あるって」
ところで記憶といえば。芽々って俺の後輩だった気がするんだけど。あいつなんで初対面みたいな態度とってたんだろう? 俺のこと忘れてるんだろうか? 薄情なやつだなー。
「とにかく、対話させろ対話。おまえは喧嘩っ早すぎる」
「あ、あんただって!」
「俺は、売られた喧嘩は全部買う。そういう主義だ」
そうだった、みたいな顔する咲耶。
「……な?」
反省した? やっぱり俺、あんまり悪くないだろこれ。とばっちりだ。
「わ、わたしの方が悪いのには異論ないのだけど、なんか、釈然としない……!」
それはまぁ。
「俺の態度が悪いからだね」
「わかっててやってんの⁉︎」
いやだって。今更、いい人願望とかないし。
ひとしきり言い合って落ち着いて、俺たちはようやく『いつも通り』になる。
咲耶はすんっと鼻を鳴らして、はっきりとした声で俺に言う。
「ねぇ、わかってる? すっきりした顔してるけど……問題は何も、解決してないのよ」
ばれたか。
そう結局『仲直り』をしたというだけで、喧嘩の原因はすべてそのまま残っている。俺の問題も、彼女の問題も、だ。
やはり、彼女は真面目だ。だから、俺は少しだけ不真面目でいるべきだと思うのだ。
「なんとかするさ」
「どうやって」
「知らね」
「適当な……!」
「でも、俺はおまえに勝てるから。そのくらいはできるんだよ」
大丈夫、ここから先は長い。死に急ぐ必要も生き急ぐ必要ももうない。
世界の存亡を懸けるよりも難しいことなんてこの世にあるものか。だから、人生なんざ楽勝に決まってる。
「忘れたのかよ。俺は、おまえと帰るって決めたから。最短で魔王を倒して、転移術式もパクって、生きて帰ってきたんだぜ。やり残したそのくらい、朝飯前に決まってるだろ?」
俺は自信をかき集めて精々不敵に笑ってみせる。
咲耶は、唖然として。
「実績がある分、たち悪いわ……!」
俺は取り繕った表情を崩して苦笑する。自分で言っておいてちょっと気恥ずかしかった。
「でもま、流石に、ひとりじゃきついから」
格好を付けるのも、ここで仕舞いだ。
「
ほら、約束通り。今度は、ちゃんと言った。
咲耶は目を丸くして、濡れたままの目尻を下げて。
「ばかじゃないの、もう」
まるで、いつかの教室でのように。綻ぶように笑った。
「仕方ないから……死ぬまで、手伝ってあげる」
◇◆
静かな町の真夜中の岐路で。膝をつき、手を握ったまま、彼と彼女は話を続ける。
「ねぇ……わたしのこと、好きだったの?」
確かめるように、彼女は言って。彼は躊躇なく答える。
「好きだった」
「今は?」
彼は、恋に連なる〝あの言葉〟を言おうとして。喉から出かけた言葉を飲み込んだ。
──頭の中で警笛が鳴る。言ったら終わりだ。
「……ごめん。まだ、言えない」
苦渋の表情。彼女はすべてを理解して、頷いた。
「……そっか。
──かつて、あの異世界において『言葉はすべて呪い』だった。なんだかんだといって、彼と彼女の〝中身〟は異世界製になっている。そのせいか。『自己暗示という名の呪い』が、効きやすい身だった。
──他者からの呪いの耐性は備わっていても、自身の吐いた言葉が、そのまま自らに刺さる呪詛になることは、止められない。それは、『思い込みこそを魔法にする』彼女にとっては〝恩恵〟とも言えるけれど。彼にとっては、洒落にならない。
呪いとは、精神の隙間に入るものだ。──だから異世界の人類は、かつて彼の精神を切り離した。けれど今。彼の自我はかつての名残から再構成したばかりのもの。急造の精神は、隙間だらけだった。
──だから、もし今。恋心を核に成り立つ自我が、
そうすれば。彼女しか見えなくなる人間の出来上がりだ。至るのは溺愛を受け入れて、盲目になる〝
どれほど言葉を尽くしても思いを伝えても──今は、肝心の告白すら許されない。
──文月咲耶の愛は未だに狂気の一歩手前にあり。
──陽南飛鳥の自我の証明はまだ確固たりえない。
ここが、彼らの立っている場所が、踏み外せば終わりの崖であることに変わりはない。落ちてしまえば、あとは、溺れるだけだ。
だから。
──彼は欠けた中身を埋めなければならなかった。
──彼女にかけられた呪いをすべて、解かねばならなかった。
今はまだ、彼女を抱き締めることすらまともにできない。それでも、彼は。
「言うよ。ちゃんと人間に戻れた時に。普通に生きていけるようになったその時に」
彼女の、手を引いた。立ち上がるために。
「誓うよ。必ず……伝えるって。近い未来のうちに。そう、待たせはしないさ」
それで十分、伝わるだろうか。
「……っ」
暗がりでもわかるほどに、彼女は顔を真っ赤にした。
「ばか、ばかっ、格好つけ!」
「うるせぇ嘘吐き。ちょっとは素直になれ」
「……ありがと」
「…………素直すぎると、心臓に悪いからやっぱりいいや」
「死ぬほどむかついた」
立ち上がった彼女は手を振り解き、彼の胸元に小さく頭突きをする。
「あんたのそういうところが。わたしの、思い通りになってくれないところが……嫌いよ」
彼は、少しだけ迷って。左手を彼女の背に回す。抱きしめるというにはあまりに弱すぎる、壊れ物を触る手で。『嫌い』というにはあまりにも甘すぎた声に、返事をする。
「知ってる」
これが精一杯だ。今は、まだ。
けれど、「いつかは」と思う。
それは祈りではなく、願いでもなく、ただの決意で。
──それを果たせなかったことなど、一度足りともない。
だから。
「いつか」の意味は、「必ず」だ。
空は、黒くて。
月が、綺麗だった。