彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。) 作:さちはら一紗
次の日の朝。俺は窓から咲耶の部屋に入る。窓は開けっぱなしで、なんならカーテンすら半分開いていた。無用心なやつだな。
咲耶は居間のソファの上で、力尽きるようにして眠っていた。呼びかける。
「咲耶。起きろ」
「ん、ううん……? あすか……?」
寝癖のつかないさらさらの髪の隙間から、寝ぼけ眼がこちらを見る。寝巻きは肩からずり落ちていて、白い肌が半分ほど見えていた。ぽう、とした顔で咲耶は俺を見て。
「……へぁあ⁉︎」
朝が弱い割りには意外と早い覚醒だった。咲耶はわたわたと髪を整え、居住まいを正す。ロールで生きている彼女は、人にだらしない格好を見せたくないのだろう。
「な、なんで窓から⁉︎」
「昨日の反省だ。相互理解は大事だと考え直してな。おまえのやり方を、俺も一度は試してみるべきだと思ったんだ」
「魔女じゃないのに窓から入るなんて、頭イカれてる……!」
「は? 何言ってんだおまえ。誰が好き好んでやるかよ。緊急時しかやらねえよ」
「緊急?」と咲耶が眉をひそめる。
「え、何……何が、あったの」
「遅刻だ」
咲耶はおそるおそる、と時計を見る。
「……それだけ⁉︎」
「それだけだけど。緊急事態以外のなんだって言うんだよ」
ただでさえ成績が壊滅しているのだ。余計な失点は欲しくない。仕方がないので大抵の無法は許されるし、窓から入ることも容赦される。当たり前の話である。
「てかおまえソファで寝てんのな。部屋たくさんあるのに……」
「い、いや昨日は寝落ちしただけだし」
「ちゃんと寝ろよ〜」
「あんたには言われたくないんですけど!? うっ……めちゃくちゃ湿布臭い」
「おまえのせいでな!」
「ごめん、でも近付かないで。や、にじり寄って来ないで」
遊んでいる場合ではなかった。
「四十秒!」
「ま、待って〜‼︎」
驚異的な速度で身支度を終えた咲耶と、部屋を出る。自転車のカゴに自分の荷物を投げ入れ、咲耶に促す。
「ん。後ろ乗れよ」
「……えっ、自転車で行く気? 上り坂よ」
「気合入れればいける」
「ふ、二人乗りは危ないわ」
「いや、おまえ落ちても死なないじゃん」
「そうだけどぉ!」
咲耶は諦めた顔で、綺麗にスカートを折りたたみ、荷台に腰掛ける。そして鞄を持っていない方の手を俺の背に回した。
日常だと鈍臭いとはいえ異常な騎乗経験を持っている女が今更自転車の荷台ごときでバランスを崩すわけがない。だから、咲耶が俺の背中にしがみつく必要なんてない。……なんなら近付くほど匂うと思うんだが。無言でシャツを掴んでいる、咲耶の手を見る。
「……なによ」
「いや? 別に……おまえ実は結構、俺のこと好きだよなって」
そう、しみじみと思っただけだ。
「ハァ?」と咲耶は、呆れたようにそう言って。
「……知ってるくせに」
か細く、拗ねるように返した。
「ああ、忘れない」
どことなく空気は妙になる。軽口のようには流せなかった。多分、昨日までの関係にはもう戻れないのだと思った。それもいいか、と頷いてみる。それもまた、選択と積み重ねの結果ならば、きっと悪くはない。
俺は揚々とペダルを踏み込んで──、
めちゃくちゃ足が痛くて悶えた。
ペダル、重っ。咲耶、重っ……。
「だから無理すんなって言ったじゃない!」
「無理じゃねえし! ぜんっぜん余裕だ! 超軽い‼︎」
「ぜったい嘘‼︎」
一番の急勾配をなんとか上り切った後。信号前で一時停止する。ママチャリで坂道二人乗りは純粋に腹が減ることに気付いた。
「あ〜〜、くそ。朝飯、食う暇なかったのが痛い」
「一応……朝ごはん、あるけど」
振り返る。咲耶は抱えていた鞄を開けて、食パンを取り出した。
袋ごと。
「ははは嘘だろ? 食パン一欣、鞄の中に入れるやつがいるか⁉︎」
「いやっ、魔法で出したし⁉︎ 鞄からに見せただけで入れてはないし!」
「だからって、食パンって……っ」
「ジャムもあるのに⁉︎」
「っ、やめろ出すな、笑かすな。バカだろおまえ。バカじゃん、はは」
「はー⁉︎ じゃああげないから! ひとりで食べてやる‼︎」
器用に自転車の荷台で食パンを食べ始める。いや信号待ちだからってジャムを塗るな。無駄に所作だけ優雅になるな。なんだこいつ。
しばらく眺める。信号は、まだ赤だ。
「咲耶」
「ふぁい?」
「俺、おまえのこと、めちゃくちゃ好きだ」
咲耶は、けほっえほっと咽せた。食パン、喉に詰まったか。可哀想に。
信号が青に変わったので自転車を走らせる。そのまま、ごつんと背中を小突かれた。
「わたし、あんたのそういうところ、ちょっと嫌いかもだわ‼︎」
咲耶はそう言って、怒って。多分、笑った。
くだらない、本当に。だからこそ、この朝が愛おしいと思ったし、明日もまたこうであることを願った。そのためならなんだってするし、なにも恐くない。
嘘じゃなく、そう思えた。
◇
すべては遠く過ぎ去って、変わっていったものばかり。でも、取り返しがつかないと諦めるにはまだ人生は長すぎる。
何よりもまだ、青春は終わっちゃいない。
だから。これは、あの日終わったはずの初恋を、失われたはずの日常を。すべてを笑い飛ばして、全力で取り戻していく、俺たちの〝これから〟の話だ。
一章終了、ありがとうございました。