彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。)   作:さちはら一紗

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第二話 一緒に通学してもまだ友達じゃない。

 翌朝アパートを出ると、丁度隣のマンションから咲耶が出てきたところだった。

 

「あら。おはよう」

「おはようっていうか、さっきぶりだけどな」

 

 つんと澄まして、ここで会ったのはさも偶然です、みたいな顔をしているが。鉢合わせるのはよくあることだ。多分わざとだろう。

 制服姿の咲耶は、夜とは真逆の雰囲気だった。上品ながらもどこか刺々しさのある、黒のワンピースから一転。白い糊のきいたブラウスに、左右対称に結ばれた赤いリボン。そしてふわりと広がる紺のスカートは膝丈の清楚な長さだ。几帳面に制服を着こなした姿はお嬢様然としている。ただし、左眼を隠す眼帯だけは浮いていたが。

 

「そういやおまえ、夜あの後、カーテンにぐるぐる巻きになってなかった? 窓から見えてたんだけど」

「…………そんなことしてない」

 

 バレバレの嘘だが追求する気はなかった。朝から喧嘩腰になれるほど若くはない。

 

 駐輪場へ自転車を出しに行くと、当たり前のように咲耶が付いてくる。ついでに無言で、まじまじと俺を見ていた。

 

「なんか変なモノでもついてるか?」

 

 制服はいつも通りネクタイがないだけで、顔もちゃんと洗ったし、髪も一応整えてはある。前髪が少々長いのはお互いに同じだ。俺も異世界(むこう)の名残で両目が青い。隠すほどではないがあまり短くすると目立つ。あとは変、といえば。右手の包帯ぐらいだが、眼帯女にそれを言われる筋合いはない。

 

「いえ。ただ……」

 

 咲耶は真顔で、ぽつりと。

 

「一生制服着てればいいのに」

「一生留年しろって意味かよ」

 

 朝から喧嘩売りやがって。これだから最近の若者は。

 

 

 

 朝の咲耶は静かでテンションがとにかく低い。笑顔もなければ挨拶だってまともにしてくる。曰く『朝は魔女の時間じゃないから』とかなんとか。絶対朝に弱いだけだと思う。

 俺は自転車を引いて歩く。俺たちの住む町は山際で、坂や階段が多い。学校は急勾配の上に建っているため通学に自転車はほとんど使い物にならない。わざわざ持って行くのは、放課後にバイトを梯子するためだ。つまり実質の徒歩通学。朝にこうして会った以上、咲耶と並んで歩いて学校に行くことになるのは必然の展開だった。

 

 互いの間隔は触れそうなほどに狭かった。俺が自転車を引いているせいだ。あまり距離を開けると道が塞がる。だからこれは意味のない近さだとわかっているのだが……気にしてしまうのは性(さが)というものだ。いかに態度の悪い文月咲耶とはいえ、女子には変わりない。それもとびきりにスタイルのいい美人だ。

 ちらりと横を見る。ぴんと伸びた背筋と細い腰を締め付けるスカートが、張りのある胸を強調している。咲耶は女子にしては少し高めの身長だから、目に毒な大きさが……近い。

 人の身体的特徴を凝視するのは礼儀に反しているなと、と思い直し、微妙に視線を上へ逸らす。俺の左側を歩く彼女の、眼帯に覆われていない方の瞳は憂鬱そうで、唇はきゅっと引き結ばれている。

 ──咲耶は絶対に俺の右側を歩かない。

 

「おまえさ、学校行く時いつも不機嫌だよな」

 

 こちらを振り向いた咲耶は、眼帯をぐいと引っ張る。

 

「こ、れ」

 

 隙間から鮮やかすぎる赤色の目がこちらを睨む。確かカラーコンタクトでもごまかせなかったと言っていた。中二病のくせに眼帯は嫌いとは、どういう了見なのか。

 

「って、おい。そんなに引っ張ったら、」

 

 忠告も虚しく咲耶は手を離す。眼帯が、バチンッといい音を立て戻った。

 

「痛っった!」

「嘘だろ……」

 

 苦痛に歪む形相で、片手で顔を覆う。

 

「こ、こんなもののせいでっ……美少女が台無しよっ」

 

「今の自滅がなにより一番台無しだよ」

 

 わなわなと震えて目を押さえるその様子は、いかにも闇に呑まれてそうなのだが、経緯が経緯なのでただ哀れ。

 

「つか流石に、美少女を自称するのは……きつくないか?」

 

 両方早生まれだからかろうじて十八だが、本来ならば大学生か社会人かという年齢だ。

 

「わ、わたしの外見は十六の頃から変わっていないし」

「そうだけど。おまえは可愛いっていうか綺麗寄りだし、美人って言うならまだしも……」

「うぁ、」

 

 咲耶は髪をくるくると指で弄び、視線を彷徨わせる。

 

「あ、あなたに褒められても! ……いえ、わるい気はしないわ。その……ありが、」

「いや褒めてない。おまえが綺麗なのも美人なのもただの事実だ。事実を並べた以上の意味はない。そこに石ころがあるな〜、くらい」

「死ぬほどむかついた」

 

 

 

 

 寝ぼけた頭で不毛なやりとりをしているうちに、別れ道が見えてくる。片方は近道の階段でもう片方は回り道の坂道だ。その岐路で咲耶は立ち止まり、つられて俺も足を止める。

 

「ねえ、飛鳥。覚えているかしら。四月からずっと続けている勝負のこと」

「うげ……あれまだ有効だったのか」

 

 その勝負とは何か。それについてはまず「俺たちが現世に帰ってきたこと」が周りにどう扱われたか、という話をしなければならない。

 戻ってきたら「召喚された二年前のあの瞬間に戻る」などという都合のいいことは起こらず、約二年しっかりと時が進んでいた。浦島太郎にならなかっただけマシだろう。

 そのため現世では、俺たちは行方不明者として扱われていた。それが、突然帰ってきたのだから騒ぎにもなる。魔女が魔法で誤魔化したおかげで、そこまで大ごとにはならなかったが。一回、事情を聞かれた俺がうっかり「異世界」などと口走ったら、病院にぶち込まれそうになったりした。危なかった。

 そんなこんなの一悶着をなんとか片付け、学校に戻ったわけだが……俺たちの高校は、立地が悪いため地元の生徒が多く──その頃には、失踪事件の噂は見事に広まっていた。

 要は、新学期早々好き勝手に言われていたのだ。神隠しにあったとかどうとか。駆け落ちに失敗したとかどうとか。ヤクザに誘拐されたとかどうとか。異世界に転移していたとかどうとか。いや、誰だよ正解引いてるヤツ。

 まあ面白おかしいのは半分くらいで、残りは「なんだか厄いから関わらない方がいい」という悪評だ。噂に辟易した咲耶が「全員洗脳しとく?」などと、瞳孔かっ開いた目で言っていたのを覚えている。全力で止めた。倫理観の異世界ボケは洒落にならない。

 

 つまるところ、だ。俺たちは学校で浮いた。それはもう見事に。

 そんなこんなで人間関係に苦戦していた四月、どちらともなく言い出したのだ。

『いっそどっちが友達を先に作れるか、勝負しない?』『乗った』

 さてそれが現世(こちら)で一番初めにふっかけられた勝負であり──それは五月の半ばになっても、決着がついていなかった。

 

「それで、調子はどう? ……なーんて。あんたが相変わらず孤立してるのは同じクラスだから知ってるけど」

 

 ぐ、と声を詰まらせる。

 

「おかしい……こんなはずじゃなかったのに……。何故だ!」

「それ本気で言ってる?」

「いやだって、たかが友達くらいなんか普通にやってたら、できるはずだろうが……」

「……ほんとにわかってない?」

「これっぽっちも」

 

 咲耶はわざとらしく溜息を吐いた。

 

「じゃあ教えてあげるわ。こういうのはね、第一印象で決まるのよ。新学期初日の自己紹介、あんた何言ったか覚えてる?」

「普通にやった」

「鮮明に思い出して」

「ええ? 確か、名乗った後に『何も言うことがないな』と思ったから。そのまま『よろしく』って言った、気がする」

「さては自己紹介の前に何も用意しないタイプ?」

「そういうもんだろ、自己紹介なんて」

 

 いやぁ、紹介できる自己がなかったことに気付かなかったのは不覚だった。

 はぁーーあ、と咲耶は大きな溜息を吐く。

 

「なるほどね。つまりあなたは前評判と外見でデバフ……じゃなかった、失点を背負ってるにも関わらず、無愛想に名を名乗って、しばらくの間重く沈黙して。結局やる気なんて微塵も感じられない、投げやりな言葉だけ寄越して席に着いた、ってことよね?」

「うん。うん……? なんかそう聞くと……」

 

 咲耶の言った通りに、客観的に想像してみる。

 

 ──無言で椅子を立つ自分。

『陽南飛鳥。………………。よろしく』

 シンと静まり返る教室──。

 

「……うわ! 関わりたくねえ! え、俺、そんなんだった⁉︎」

「そうよ。そこであなたという人間への裁定は下ったの。噂の真偽がどうであろうとね。しかも、『ヒナミ』と『フミヅキ』で出席番号が連続のせいで、わたしの番、あんたが空気ぶっ壊したその直後よ。完っ全に割りを食わされたわ。いえ、あなたのせいじゃないわやっぱり。わたしの落ち度ね。あんたがやらかすことまで読んで、完璧な自己紹介を用意できなかった、わたしのね!」

 

 青筋を立てて微笑みながら、捲し立てる咲耶にたじろぐ。

 

「え……ごめん……」

「ふふっ。ようやく自分の醜態を思い知った? 無様っ。あんたが顔を青くしてると嬉しいわ。ちなみに今もあんまり変わってないから」

「嘘だろ⁉︎」

「だから鏡見ろって言ってんのよ」

「いや、でも! おまえも同じ(・・)ようなもんだろ!」

 

 俺がその、客観的にちょっとアレらしいことは認めるとして。人間関係を構築できてないのはお互い様だ。散々魔女を自称している電波な彼女に言われる筋合いは無い、無いんじゃないか、ギリギリ無い気がする!

 我ながら苦しまぎれの反論に。

 彼女の片目が、すっと細まる。

 

「──同じだったら、どれだけよかったか」

 

「……どういう意味だ?」

 

 彼女は、黙って俯いて。一拍の間の(のち)

 

 顔を、上げる。

 

 

「なんでもないわ。陽南君(・・・)

 

 

 彼女の表情を見て、俺は固まった。

 柔らかな声と笑み。そこには先までの低血圧めいた唸るような声音や、こちらを睨みつけるような視線は、跡形もなかった。それはまるで春の日差しのような──二年前(かつて)の〝文月咲耶〟と、まったく同じ微笑みだと。記憶が言う。

 

 軽やかに笑いながら小首を傾げる彼女は、親しみとけれど触れ難い不可思議な魅力を漂わせて。

 

「わたしのことを思って言ってくれたのよね。ありがとう。でも、ご心配には及びません。わたしこれでも結構……やるときはやるんだから、ね?」

 

 何ひとつまるで当たり障りのない台詞を、滑らかに吐いてみせる。

 髪型も、化粧も、眼帯も、全部、二年前の彼女とは違う。今の咲耶は真夜中に窓から踏み込んでくる、どうしようもない魔女のはず。

 視界が、世界が塗り変わるように錯覚する。赤い粒子は飛んでいない、魔法にかけられたわけではない、だというのに。

 

 ──そこには、完璧に。

 ──かつてと同じ優等生の〝文月咲耶〟が居た。

 

 

「それじゃあ、お先に失礼させてもらいます。……お互い、頑張りましょうね!」

 

 そう言って、彼女は俺を置いて先へ行く。ここは別れ道だ。自転車を引いては登れない階段を彼女はひとり、軽快な足取りで登っていく。

 

「あ、おい。文月(・・)!」

 

 つられて昔の呼び方で、後ろ姿を呼び止めた。彼女は、くるりと段上で振り返って。

 

「……ばーか!」

 

 それはもう見事な、あっかんべーをしてみせた。そうして、ようやくかつての〝文月〟の幻覚は、掻き消えたのだった。

 置いて行かれた俺は、唖然と立ち尽くす。

 

 

「……あいつ。ちゃんとした顔、やればできるのかよ」

 

 

 まじかよ。なんで俺の前でだけああなんだよ。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 咲耶が通学路で「友達作り」なんて古い勝負を蒸し返してから──翌日。

 あれから咲耶は、まるで昔の文月に戻ったように、急激にクラスメイトと距離を詰めていた。いや、急というのは正確ではない。勝負を忘れていなかったということは、今までもこつこつとアプローチを続けていたのだろう。俺がただ見ていなかっただけだ。

 今日なんか「昼食にお呼ばれした」と得意げにマウントを取ってきた。お呼ばれってなんだよ。あいつ、語彙が絶妙にお嬢様なんだよな。お嬢様なんだけども。

 

 さて、その「お嬢様」という記号は二年前まで、彼女を高嶺の花たらしめていた要因だった。だが俺が思うに。かつての文月咲耶の美点というのは、もっと内面的なものだった。

 ──彼女は、敵がいなかったのだ。人目を引く存在であるにも関わらず、おそらく誰にも嫌われていなかった。美人であることや家柄が良いことに、やっかみを受けたりもしていなかった。咲耶はけっしてそれを鼻にかけたりはしなかったから。

 意外と成績なんかは普通だったりして、皆を牽引するよりはどこか一歩引いて相手を立てる立ち振る舞いで、だけど行事なんかの頼み事や面倒事を決して断らず、素朴に慕われている……そんな優等生だった。

 文武両道とか眉目秀麗とか生徒会長とか、そういう絢爛な四字熟語が肩書きにあったわけではない。たがその「完璧に標準的な優等生」とでも言うべきそつのない在り方は、どことなく踏み込みがたさを感じさせ、彼女を「特別」に、「高嶺の花」にしていたのだと思う。人間が出来過ぎていると作り物っぽくて逆に近寄りがたい、という話だ。

 ……いや、今とは大違いだけど。逐一俺にマウントを取ろうとするようなやつじゃなかったんだ、本当に。

 

 そんなことを考えながら、昼休み。俺は屋上でひとり弁当を食べていた。

 俺は、というか俺たちは昼休みには大体屋上にいた。屋上はいい。自室で一番趣きに浸れるのが窓なら、学校で一番は屋上だ。なぜなら高いし、高いところは風が心地よく空が近く、あと何よりも人がいない。屋上には風情しかない。

 ……と思ったら、同じことを考えて屋上に来た咲耶に遭遇したのが、四月。当然のように、お互い「屋上」を譲らなかった。

『あ? ここは俺の場所なんだが?』

『は? あんたが出て行きなさいよ』

 などと言い合ってるうちに、その日の昼休みが消えた。当然昼飯は抜きだ。以来、「屋上の占有権を主張することは不毛」ということで合意が成って、なんだかんだと昼休みは一緒に飯食うようになっていた。

 

 本当は、屋上は立ち入り禁止で鍵かかっているのだが。いつもは咲耶が魔法で鍵を開けて、そのおこぼれに預かる形で屋上に入っていた。──だが、今日は俺ひとりだ。

 別に、ちょっと壁を登れば楽に侵入できるので、咲耶がいなくても何も問題はない。念願の屋上を独り占めだ。早々に弁当箱を空にし、パックの牛乳を啜りながら、ひとりきりの屋上に浸る。

 

「……いや、別にそんな気分よくねえな」

 

 なんか日差し、暑くなってきたし。なんか足元は埃っぽいし。そんなに屋上っていい場所か? 教室の方がいいよ。冷静に考えればなんだよ風情って。風情で飯が食えるのかよ。風情をおかずに飯は……いや食えるな。俺はできるけども。

 などと鬱屈していると、昼休みも残り十分というところで屋上の扉が勢いよく開いた。

 

「ひとり侘しくご飯食べてるあなたを笑いにきたわ」

「はいはい。ご丁寧に説明どうも」

 

 つかつかとこちらにやってくる咲耶は、得意げな表情で、手にはブラックコーヒーの缶を持っている。チープな銘柄の、無糖のブラックコーヒーだ。フェンスに身を預けながら、咲耶は絶妙に似合わないそれを随分と美味しそうに飲む。

 

「それで、昼食会はどうだったんです? 咲耶さん」

「上々。今のところ友好的な関係を結ぶまであと一歩ってところ。あの勝負は、わたしの勝ちで揺るがなさそうね?」

 

 ふふ、と。上機嫌に両手で缶コーヒーを抱えながら咲耶は言う。

 

「そうか、」と俺は相槌を打ち、

 

 

「──ちゃんと演じきったみたいでよかったよ」

 

 

 咲耶の表情が、一瞬にして強張った。

 

「どうして」

「流石にあれだけヒント出されたらわかるわ。おまえが『演技をしてる』ことくらい」

 

 咲耶はまるで覚えがない、という顔をする。「あなたの前では見せてないのに」とでも思っているのだろうか?  意外と隙だらけな自覚がないらしい。

 まずはひとつ。

 

「おまえさ、疲れるとわざわざ美味くもない缶コーヒー飲む癖があるよな」

 

 そしてふたつめ。

 

「あと、なんか上手くいかないことがあるとカーテンに包まる癖もある」

「んなっ」

 

 指摘された咲耶は耳を赤くし素っ頓狂な声を上げたが、一瞬でむっとした顔を作り、

 

「なにそれ。それがどうしたっていうの。わたしが美味しくないコーヒーを飲もうと、自分の部屋で何をしようと勝手でしょ。それがどうしてさっきの指摘に繋がるのよ」

 

 なるほど、もっともな言い分だ。だから、俺はもっと昔の話を蒸し返すことにした。

 

「覚えてないか?」

 

 ──俺たちがまだ、正真正銘に普通の高校生だった頃の話だ。

 

「三年前、高一の時の文化祭でさ。当日ちょっとしたトラブルがあった」

「ええ、実行委員だったからよく覚えているわ……」

「結果的に上手く行ったのは、あの時おまえが必死で対応してくれたおかげだな」

 

 咲耶はばつが悪そうに黙り込む。

 

「でも、その後。おまえはどこにも見あたらなくなって。探しに行った俺が、教室でひとりカーテンに包まって缶コーヒー飲んでる咲耶を見つけた」

 

 今となってはもう、随分と昔の話だが。咲耶は溜息を吐いた。

 

「……なんでそんなディテールまで覚えているのよ」

「記憶力はいいんだよ」

「試験散々の癖に」

「うるせ。でも合ってるだろ。おまえの癖」

 

 真顔で小さく頷く。

 

「まあ、確かにそうよ。わたしは時々、缶コーヒーを飲んだり、カーテンに……その、埋もれたり、したくなることは否定しない。でも飛鳥。それを〝演技〟と結びつけるのは無理がない? 肝心の繋がりはどこ?」

 

 飄々と、顔色ひとつ変えずに言ってのける。口調に揺るぎはなく、論理に隙らしい隙はない。たしかに昔のことを持ち出して癖を確定させても、根拠にはまだ弱い。

 ……昨日の通学路で、俺は昔のように名前を呼ばれて。一瞬、彼女が昔の〝文月〟に戻ったと思った。でも、そうではない。戻ったのではなくて、あいつが昔の文月を()っていたんだ。そう考えると、しっくりくるのだが……。

 やっぱり駄目か。咲耶なら、ノリで問い詰めたらテンパって聞いてないことまで吐くかと思ったんだが。流石に舐めすぎだったらしい。

 しかし。

 

「……飛鳥、か」

 

 昔の彼女には「陽南」と苗字で呼ばれていた。何せ、かつての文月は男友達を作らない生徒だったから。が、同級生としてはそれなりの仲ではあったと自負している。

 それが何故、昔よりずっと険悪な仲になった今、俺たちは下の名前で呼び合っているのか。その理由は、明確だ。

 ──異世界で再会したその後に、「名前で呼ぶこと」を要求されたのだ。

 俺は了承した。片方だけでは公正ではないから、お互い呼び合うのは必然だ。向こうの世界では、俺たちは肩書きばかりで呼ばれていて、正しく俺たちの名前を呼んでくれるのはお互いしかいない。それは敵だった過去を差し置いても、名前を呼ぶ理由に足りた。

 だが今になって引っかかる。理由はそれだけじゃない気がする。

 

 ──そう、確か。

 

『文月って、呼ばないで。それは「わたしが呼ばれている」って、感じがしないの』

 

 ──彼女はそう、言っていたのだ。

 

 

「なあ、咲耶ってさ。……元々は、お嬢様じゃなかった?」

 

 彼女が動かしたのは眉だけだったが、それだけで核心をついたのは分かる。咲耶は諦めたように答える。

 

「……そうよ。養子」

 

 それは確かに、二年ぶりに苗字で呼ばれても呼ばれた気がしないわけだ。

 

「知らなかったよ」

「言ったことないもの。誰にも」

「そうか。見抜かれたこと、ないんだな」

 

 ──生粋(ほんもの)のお嬢様ではないことを。

 

「やっぱ咲耶、演技上手いんじゃん」

 

 反論はなかった。

 

「て、ことはさ」

 

 彼女には反動のサインがあることを俺は知っている。それは今日、二年ぶりに猫を被った状態で同級生たちと昼食を共にした後のこと。あるいは先日、夜中の俺の部屋で自爆としか言えない振る舞いをした後のこと。そこから導き出せる可能性がひとつある。

 

 

「──もしかして〝魔女〟すら、演技だった?」

 

 

 沈黙は雄弁だ。……なるほど。

 

「おまえはそもそも、異世界ボケなんて、はじめからしてなかったんだな」

 

 同級生たちに向けて被る猫に比べ、普段魔女ぶっているのがどうして絶妙に下手なのかは知らないが。まあ、年季の違いとかそういうものだろう。

 俺は咲耶が異世界ボケを直し〝昔の文月〟のように戻るのを見守るつもりでいたが。そもそも〝昔の姿〟すら嘘であるなら、俺の目標というやつは見当違いだったことになる。

 

「いやぁ、気付けてよかった! なんだ、そうだったのか。ああスッキリした」

 

 これで致命的なミスをする前に目的の軌道修正ができる。ついでに話の通じない電波な魔女なんて本当はいなかったし、咲耶はただのバカじゃなかった。

 うむ、ひと安心だ。というかほぼ全部解決した。いや、空が広いな!

 と、ひとしきり満足して頷いていると。隣で咲耶が顔を引きつらせていた。

 

「い、異世界ボケ? わたし、そう思われてたの?」

「それ以外に何を思うんだよ」

「………………」

 

 なんか白い目で見ている。なんだよ。

 

「あ〜〜、もう!」

 

 咲耶は髪を、崩れない程度にくしゃくしゃとやって、

 

「ええそうよ! あなたに会う前からずっと、異世界(むこう)に行く前からずっと、わたしは『わたし』を演じて生きてるし、令嬢も魔女も全部ロールプレイよ!」

 

 勢いよく、仮面をひっぺがした。

 

「けどそれが何? それを知って、どうするのよ!」

 

 悪くない往生際だ。六十点。

 

「いや。別に、何をするってわけでもないけど……」

 

 思考を巡らして、思い付く。

 

「ああそうだ。提案がある。とびっきりに冴えた、名案だ」

 

 訝しむ彼女へ、俺は左手を差し出した。

 

「咲耶」

 

 

 

「俺と、友達にならないか」

 

 

 

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