彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。)   作:さちはら一紗

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第二章 アンコール、世界で一番悪い魔女。
第一話 友達以上恋人未満という関係。


 

 これは、むかしむかしの話だ。

 

 わたしはいつも本を読んでいた。

 図書室の片隅、人目を忍んだ本棚の影で。

 畳の上にカップ麺の抜け殻が転がる、狭いアパートの窓際で。

 いつもひとり、俯いて。

 

 少女(わたし)が愛したのはおとぎ話。空想的で非現実的な、夢物語だ。

 まだ「文月」でなかった頃のわたしは本だけが、唯一の友達だったから。

 

 夜毎、夢に見ていたのだ。

 いつか窓から素敵な「魔法使い」がやってきて、わたしに魔法をかけて。

ここではないどこかへ連れ出してくれる日が、来ることを。

 

 

 ──それなのにまさか、自分が「魔女」になってしまうなんて。

 あの頃は思ってもみなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「俺たちの関係の、『再定義』をするべきだと思う」

 

 掃除当番の後、俺と咲耶の二人だけが残る放課後の教室で、俺は教壇の上に立ち咲耶に言う。咲耶は箒を手にしたまま、首を傾げる。

 

「既視感のあるシチュエーションね?」

 

 五月、かつて『友達の定義』を詰めた時のことを思い出しているのだろう。俺は「わかっている」と強く頷く。

 

「大丈夫だ。同じ轍は踏まない。教室のドアには鍵を掛けた。目撃されることは、ない!」

 

 

 ──あの夜の大喧嘩から、十日ほどが経った。

 

 今の咲耶は、箒を持っていても魔女らしさを感じられない。それは、学校の箒の見た目が「らしくない」からだけではないだろう。

 あれ以来、咲耶は格段に、魔女らしい──いわば非常識的で喧嘩腰の振る舞いをすることが減った。友達になった時点でそうだった、といえばそうなのだが。

 なんと最近の咲耶は、俺の家に時々ちゃんとドアから訪ねてくるのだ。友達の肩書きを得ても頑なに窓から入り続けていた咲耶が、だ。

 

『あなたの主張もたまには聞いてみようと思って』

『これはこれでお客様って感じがして、悪くないわね』

『それにもう……窓から入る必要は、ないし』

 

 なんて言ったりする態度の柔らかさである。人は話せば分かり合えるという希望の光。呼び鈴を鳴らして玄関から咲耶が入ってくる光景を見て、ちょっと感動した。

 ……いや相変わらず、文月咲耶はちょっと非道徳的なのだが。

 

 呼び鈴は鳴らすとはいえ、鍵は魔法で勝手に開けて入ってくるし。喧嘩で自分の内臓を吹っ飛ばした後、かつて(はらわた)を見せた相手を焼肉屋に連れ込んで、目の前でしこたまホルモン食ったりするし。

 同物同治かよ。モツ無くした分はモツ食って治しますってか。引くわ。

 

 不死身の彼女は時々その辺、神経がどうかしている。こっちは膝を擦りむこうが腕が捥げようがいちいち再生したりしない常人なので、そういうグロいのは勘弁して欲しかった。

 

 ──ともあれ。

 多少のすれ違いはあったが仲の修復もすんなりと済み、暦は六月。梅雨入り前だ。

 どんどん夏らしくなる気候に合わせて咲耶の制服も夏服に変わっている。

 白いブラウスの素材が変わって、肩の華奢さを強調していたり。

 今までは一番上まで留めていたボタンがひとつ分開いて、ちらりと鎖骨が見えていたり。

 起伏ある胸元の上、乗るリボンの色合いが心なし鮮やかになっていたり。

 スカート丈と靴下が短くなって、すらりと長い脚が一層際立っていたり。

 薄着ゆえ、防御が甘そうになったのが気にかかる、もとい、目に毒だが。

 端的に言って、よく似合っていた。

 何より咲耶は静かに黙っていたので、普段より清楚さに一層の磨きがかかっており……というか。

 

「おまえ、なんで黙ってんの?」

 

 黙ってじっと見られると、なんだその。気まずい。

 

「別に? あなたってやっぱり、ばかなんだなー、と思って」

「心外な」

 

 咲耶は箒の柄の上に手を組んで、だるそうに顎を乗せる。清楚は死んだ。

 

 完璧な優等生の振りも刺々しい魔女の演技もしなくなった彼女は、いつも通りの低いテンションのまま、こちらを上目でじとりと見る。

 

「関係の定義は確かに、わたしたちには大事だけど。そんなことよりも、もっと話すべきことがあるでしょ? 今後(・・)についてとか」

 

 今後の課題──かつて俺たちが経験した異世界召喚の名残について、だ。それは異世界ボケとでも呼ぶべき生活のズレや倫理観のズレであり、脳味噌や肉体についての問題でもあったりする。

 

 俺の方の問題は、どうせ時間が解決するから放置でいいとして。

 咲耶の方はそうも言っていられない。

 魔女としての体質──不老不死。

 現世で普通に生きていくためには、それをどうにかしないといけなかった。

 

「あれだけ啖呵を切っておいて。まさか、何も考えてないわけじゃないでしょう?」

 

 口調こそ煽りのようだが、咲耶の表情は柔らかく信頼が滲んでいる。

 随分と買いかぶってくれるものだ、と笑いたくなる。

 俺は咲耶から目を逸らさず、しかし頷きもせずに言った。

 

「まあ、なんとかなるんじゃね?」

 

 咲耶は、手の上に顎を乗せるのをやめて、眼帯に覆われてない片目を見開いた。

 

「え、本当に何も考えてない……?」

 

「ない!!!」

 

 開き直って断言。

 

「嘘でしょ!? 楽観も過ぎれば破滅嗜好よ!?」

「……俺が隕石を好きなのはそれか!?」

「このバカ〜〜!!」

 

 冗談はさておき。

 

「悪い。最近は追試のことしか考えてなかった」

「それは、優先順位が正しくて何よりだわ」

 

 頷き合った。

 優先すべきは、異世界の問題よりも現世の問題だ。

 なにせ今は普通の高校生(二年遅れ)だ。

 まずは留年しないことの方が大事である。

 

 勉学と生活──学生の本分と生存の両立は、現世への適応の第一目標だ。

 だが、それも無事に乗り越えた。

 

 いける気がする。最近、調子いいんじゃないか?

 評価をつけるなら、人間として四十点。赤点回避だ。もはや天才と言っても過言ではない。俺は人間をやるのが上手い。よし。

 

「それに異世界(むこう)の問題についても。あまり、重く考える必要ないと思うんだよな」

「どうして?」

 

 咲耶は、綺麗な眉をひそめる。

 

「だってさ」

 

 ──かつて。異世界で悪の魔女だった彼女は、絶対に分かり合えないはずの宿敵で。

 負けることこそないが、それでも苦戦を強いられる相手だった。

 けれどその因縁も、禍根も既に失くなっている。今の彼女は、とっくに俺の敵ではない。

 敵ではない、どころか。この世でただ一人の、良き理解者にして何より大事な隣人だ。

 それに咲耶は言ったのだ。これからを手伝ってくれる、と。

 

 だから。

 

 

「──俺とおまえが手を組んで、勝てないものなんて。ないだろ?」

 

 

 今更、何を恐れることがあるだろう。

 

「〜〜っ!!」

 

 咲耶は赤い顔で、目を吊り上げる。

 

「あんた、そういうこと恥ずかしげもなく言うわよね! 羞恥心つよいくせに!」

「自分を疑ったら死ぬ異世界(ところ)にいたからなー」

 

 あの世界では、精神の脆弱性を突かれると呪われてうっかり死ぬ。おかげで、柄にもなく自信過剰になってしまった。

 

「とはいえ。咲耶の危機感もわかる。『何も考えてない』というよりは『考えようがなかった』というのが正確だ」

「そう、よね。現世(こっち)でなんとかできるとは思えないもの」

「……やっぱり一度、異世界(むこう)に戻らないといけないのかこれ? だとしたら、面倒だな……」

 

 沈黙。空気が少し重くなってしまったので、切り替える。

 

「とりあえず、先にすべきはこっちの話だ」

 

 折角、現世に戻ってきたのだから、やることなんて決まっている。

 すなわち二年前に中断された高校生活を再開することであり、青春を十全に取り戻すことだ。

 青春を謳歌する上で重要となるのは円滑な人間関係だと思う。

 友達は多いに越したことない、というのが昔の俺の考えだったが、今の俺はあまりそう考えていない。

 二年の失踪で縁が切れたり、新しい関係の構築が難しくなってしまったからだ。

 ──その分、今ある関係のひとつひとつを大事にしたいと思う。

 その中でも一番大事なのは、切っても切れない縁である、俺と彼女の関係だが、ひと口には言い表せない。

 けれどそれも面倒だ。

 俺たちの関係は複雑に絡まってしまったものだから、時々それを解いて、きっちりと名称(ラベル)の確認をしなければならなかった。

 名称くらいは単純な方が、やりやすい。

 

「というわけで、気を取り直して『関係の再定義』といこう」

「あ、結局やるのね。いいけど」

 

 俺は箒を片手に、黒板を叩く。

 

「さて、これまで俺たちは友達だったわけだが……流石に、今も『ただの友達』と言い張るには無理があるだろ」

 

 暫定、仮称、『友人』だが。

 現状を正しく認識するとこうだ。

 

 朝起きて、一緒に飯を食って。

 昼休みも、一緒に飯を食って。

 夜帰って、一緒に飯を食っている。

 

 要するに現状は一日の大半を共有しており、決定的なことに互いの感情を確認済みとまできた。

 どっかの誰かさんがうっかり暴走した時に、思いの丈を全部ぶちまけてくれやがって、売り文句に買い文句でこっちも正直に言わざるを得なくなってしまったものだから。

 

「これで『ただの友達』って言い張るのはもう、常識的じゃねえよ……」

 

 現実から目を背けられるほど、俺は器用ではない。

 

「それは……まぁ」

 

 咲耶は目を泳がせ、言葉を濁す。

 

「じゃあどうするか、って話なんだが」

 

 ──関係を、わかりやすく『先』に進めることは、できない。

 なにせお互い、異世界の後遺症で理性が少々フワフワとしている状態だ。

 こんな状態で本気で恋愛をするわけにはいかないのだ。

 古今東西、色恋にうつつを抜かした輩は馬鹿になると相場が決まっている。

 異世界のスペックで正気を失くす(バカになる)と、洒落にならない。

 彼女は肉体に引き摺られて人外の論理を掲げてしまうし、俺は俺で急造の自我が色恋なんぞの過負荷には耐えられない。

 お互いがちゃんと真っ当に人間に戻れるまでは、現状維持のお預けだ。

 ──だが、現状維持なんてそんな生温いことを、今更できるだろうか?

 いや、無理だ。無理っていうか、俺が嫌。

 

 有り体に、正直に思考しよう。

 今更無駄な隠し事も自分を誤魔化すこともしないと決めてある。

 

 なんか、面倒な問題が足元にゴロゴロ転がっているけど。

 正直、単純に──好きな子といちゃつきたい。

 

 それだけだ。マジでそれだけ。

 というかそれ以外にある? ないだろ。

 

 たとえ、健全な関係の範疇でなければならないとしても。

 これ真っ当な人心であり、道理だ。何もおかしくは、ない!

 

 だから屁理屈を捏ね、抜け道を探す。

 どうにかこうにかして、安全圏のまま『先』に進むための。

 困った時は先人の知恵や世の中の先例、つまり常識を参考にするのがいい。

 つまり、丁度いい定義の引用だ。

 

「鑑みるに。現状は『友達以上、恋人未満』と定義できるんじゃないだろうか」

 

 黒板に『友達以上』と書く。

 左手で書いたから歪んだ。まあいい。が、その先は書かない。

 なぜならば、『恋人』とか書くと照れるからである。照れると死ぬ。

 

 咲耶は胡乱な目で俺と黒板を見比べて、問う。

 

 

「……あなた、もしかして。

 死ぬほど(・・・・)浮かれてる(・・・・・)?」

 

 

 ──白状しよう。

 

 

その通りだ(・・・・・)

 

 

 だってそうだろ。諸事情あって付き合うことはできないとはいえ……両想い、なわけだし。

 その上現状は、三年前引きずりに引きずった失恋が報われたわけなんだから。

 

 正直、めちゃくちゃ嬉しい。

 もう人生何もかも上手くいく気がする。

 無敵だ。

 

 

「恋人じゃなくても友達以上としてなら、やっていいことがひとつあるんだ」

 

 どうやら世間では、友人関係にある人間が遊びに行くことを、何故か『デート』と称する文化があるらしい

 ──つまり、言いたいことはただひとつ。

 

 

「咲耶。俺と、デートしようぜ」

 

 

 そう。この面倒な問答はすべて、遊びの誘いをするためにあった。

 

 

 咲耶は数秒、呆気にとられ。

 

 

「……いや、普通に誘え!?」

 

 だって普通に誘うとか、照れるだろ。

 

 

 

 

 と、その時。ガラッと、教室の廊下側にある窓が開いた。

 うちの学校の教室と廊下の仕切りは、壁ではなく曇りガラスの窓だった。

 

「あ、やべ」

 

 ドアに鍵は掛けたのだが、廊下の窓に鍵をかけるのをすっかりと忘れてた。

 

「おっひさしぶりですね、飛鳥さん」

 

 廊下の窓を開け、ひらひらと手を振るオレンジ髪の少女。隣のクラスの同輩であり、中学時代の元後輩、そしてバイト先の喫茶店の孫娘である寧々坂(ねねざか)芽々だ。

 

 廊下から窓枠に肘をついて、ニコニコとこちらに笑いかけながら、芽々は言う。

 

「飛鳥さんってー、よく通るいい声していますよねー!」

 

 その笑顔には含みしかなく、視線は俺ではなくて黒板……『友達以上』という文字に向けられていた。

 つまり、芽々の発言を意訳すると、こうだ。

 

『全部丸聞こえですよ、バカ』

 

 

 俺は、なるほどと頷く。

 

「咲耶」

「なに?」

「……俺、浮かれすぎてたね」

「そうね、本当に。水を差すのもどうかと思って止めはしなかったけど」

 

「ちょっと死んでくるわ」

「え?」

 

 

「介錯は頼んだ」

「待って!!?」

 

 

 

 

 ◆

 

 

「介錯は頼んだ」

 

 芽々にすべてを聞かれていたことを理解した飛鳥は、わたしにそう言った。 

 それはもう、すっごく爽やかに。

 

「なに言ってるの!? あ、ちょっと、窓から飛び降りようとしないで! ていうか飛び降りに介錯とかないから!!」

 

 窓枠に乗り出した飛鳥のシャツを必死で引っ張る。

 

「あ、ヤベえ。二階だから死ねないわ」

「ヤバいのはあんたよ!!」

 

 ぺしりと頭を(はた)く。できるだけ加減はした。

 乱暴は、はしたないのでイヤなのだけど(この前の反省でもある)、なんと飛鳥は叩けば直るタイプの故障品(ポンコツ)なのでこうするのが一番早い。

 衝撃で我に返って、飛鳥はすんっとおとなしくなった。

 いやおかしいでしょ。

 

「ねえ、気付いたけど……あんた、まだ感情の出力がバグってるわ」

「かもしれん」

「かもじゃないのよ」

 

 溜息を吐く。羞恥心が強いとか以前に、時々──喜怒哀楽が、極端なのだ。

 奇行の原因はおそらくそれだ。

 それは、異世界(むこう)で感情を忘れていた反動で。

 ──要するに。

 

 陽南飛鳥は相変わらず、人間が下手だった。

 

「え。なにやってるんですか? こわぁ……」

 

 廊下の窓から様子を見ていた芽々がとても引いていた。

 

 

 

 そのまま芽々は廊下の窓から「よいしょ」と入ってくる。

 夕焼けみたいな赤毛の金髪にくりくりとした大きな瞳。緑がかった瞳はわたしたちとそれとは違い、自然な生まれついての色彩だ。

 肉付きのない細い足が覗く短い改造スカート、上に羽織るのはぶかぶかのカーディガン。それは肩からずり落ちていて、中の黒ブラウスがノースリーブのせいで生白い肩が見えていた。

 ニコリとこちらに笑いかける、芽々。

 分厚すぎる眼鏡が印象から浮いているけれど。やっぱり、寧々坂芽々はとびっきりに愛らしい女の子だった。

 

 ちなみに飛鳥の制服も半袖に変わっているのだけど。ワイシャツの下に長袖の黒を着ているから、あまり夏服の印象はない。

 邪魔くさい前髪も、隈のせいで少々悪い目付きも、うざったい右腕も、いつも通り。

 変わったといえば。最近少しだけ顔色が良くなった気がする。

 餌付け……もとい食卓共有計画の成果だ。

 それは、いいことだけど。

 

「ねえ飛鳥。いいこと? そもそも、こういう話を教室でやるのが間違いだったんだわ」

「くっ……!」

「なんで悔しそうなのよ」

 

 わたし今、常識的なこと言ったでしょ。

 

「でもわかりますよ飛鳥さん。わざわざ教室でそういうことやる理由」

 

 何故か隣でうんうんと頷く芽々。

 

「……ずばり〝黒板〟でしょう?」

 

「わかるのか」

「わかりますとも」

 

「……えと、どういうこと?」

「黒板はエモいアイテムですから。大事な話をする時には黒板を使いたい。そういう普遍的な心理があるのです」

 

 全然わからない。それは普遍的じゃないと思う。

 

「俺、芽々のことめっちゃ好きだわ」

「なんでよ」

 

 ねえ、なんでそんなところで軽々と『好き』って使うの。わたしには?

 わたしには一度しか言ってくれなかったのに? ねえってば。

 

「えっなんか異様に好感度高いんですけど。芽々、なんかイイコトしましたっけ?」

「ああ。俺が自分を見失わずに済んだのは芽々のおかげだ」

「???」

「俺が迷わずにいられたのは、あの時芽々がサクランボを最後に食べると言ってくれたおかげだからな。つまり、君は恩人というわけだ」

 

「は? 何言ってるんです? えっそんな真っ直ぐな目で見ないで。身に覚えがない恩! 意味のわからない好意! めっちゃこわいです。コワ!!」

 

 芽々はわたしの方へ逃げてくる。

 

「たすけて咲耶さん。こいつなんとかしてください」

「はいはい。うちの自我初心者がごめんなさいね……」

「たすけて〜〜」

 

 飛鳥から隠れるように、わたしの背中に隠れる芽々。その怯える姿はまるで小動物。

 こちらを見上げる潤んだ瞳、しがみつく小さな手の感触に、胸がきゅうっとなる。

 ……か、かわいい!

 

「ところで。咲耶さんのこと、そろそろあだ名で呼んでいいですか?」

「? ええ、いいけど」

「わーい。じゃあこれから、サァヤって呼びますね!」

 

 そう、呼ばれて。微妙な顔になる。

 

「あれ、お気に召しませんでした?」

「いえ違うの。わたし、その……」

 

「あだ名で呼ばれるのは、初めてで」

 

 一昔のわたしの振る舞いは親しみとは少し遠かったから。そんなふうに呼ぶ相手はいなかった。

 これは、なんだか。

 

「くすぐったい……いえ、嬉しいわ」

 

 誰かさんを見習ってちょっぴり素直に言ってみる。

 芽々は少し、驚いて。

 

「んふふ。サァヤって……かわいいひとですね?」

 

 小さな唇を緩め、半目でわたしを見つめて言った。

 どきりとする。

 

 どうしよう。

 年下の女の子に手玉に取られている……!!

 

 

 

「俺の分のあだ名は?」

 

 飛鳥がなんかすごく羨ましそうにこちらを見ていた。年上の威厳がない。

 

「欲しいんです?」

「欲しい」

「はーー?? なんだこいつぅ?」

「そうか、いやいいんだ……俺と芽々は、所詮その程度の仲だったんだな……」

「蹴っていいです? めっちゃ腹立つ」

 

 芽々はげしげしと飛鳥を蹴ろうとしたけれど、残念ながら全部避けられていた。

 

「まあいいですけどぉ。……さん付けするのもバカらしいですし」

「おい」

「間違えた。てめぇはさん付けする価値もない……」

 

 ゴミを見る目だった。

 

「んーとですねー。ヒナ、飛、ひー、墜落飛行機、センパイモドキ、くそがよ……」

「なんで今罵倒した?」

「じゃあ、ひーくんで」

「やったぜ」 

 

 いいんだそれで……。

 

「お返しに」

「あ、やだ。芽々のことは芽々以外で呼ばないで。虫唾が走る」

「……俺、マジで嫌われてる?」

「好きですよ。芽々のクリームソーダを汚した恨みだが?」

「そうかよかった」

「よくねぇんですよこのやろ」

 

「……あなたたち、なんの話してるの?」

 

 

 芽々は飛鳥と戯れ合うのをやめて、真顔になる。

 

「そーですね。いい加減、本題に入りましょうか」

 

 愛想も愛嬌もないその言い方に、僅かな違和感。

 

「実は、芽々は盗み聞きしに来たわけじゃなくて。お二人をご招待に来たのです」

「招待?」

 

「ええ。我がオカルト研究部の部室へ!」

 

 

 大袈裟な身振りと、広げられた両手に。

 飛鳥と顔を見合わせる。

 

「悪いのだけど、入部の誘いなら」

「バイトあるし普通に嫌だけど」

 

 わたしたちは今、だいたい似たような顔をしていると思う。微妙に苦々しい顔だ。

 

「つかなんだよオカ研って。おまえ、さては研究対象として俺たちを収集するつもりだろ」

「ありゃ、バレました?」

「バレるわ。おまえとは気が合うみたいだからな。何考えてんのか、なんとなくわかんだよ。……いや、誰がオカルトだ誰が。相変わらず失礼なやつだなおまえ」

「おっと、さては芽々のこと思い出してますね? かわいい後輩のこと忘れてたとかクソやろーですね! 今更先輩ヅラしてもおせーですよ、ひーくん!」

 

 わたしにさえ勇者と呼ばれるのを飛鳥は嫌がるくらいだ。流石に存在がオカルト扱いは許せないらしい。

 

「でも入ったらウチの部室の黒板、使い放題ですよ?」

「………………」

「あんたまさか、揺らいでる?」

 

 そんなに? そんなに黒板が好き?

 

「冗談です」

 

 

「実のところ、部活のお誘いではないのですよ。ただ、聞きたい(・・・・)のです」

 

 芽々はニコニコと、愛想笑いを浮かべたまま。

 その含みのある言い方に、わたしは思い出す。

 

 確か裏路地で秘密を目撃された一件の後。呼び出された喫茶店で、芽々は言った。

『事情は、あだ名で呼べないうちは聞きませんけど』と。

 

 つまり。

『あだ名で呼んでいいなら、事情を聞いてもいいってことですよね?』と。

 芽々は主張していたのだ。

 

 急にあだ名でわたしを呼んだのはそのためか。

 ……なんて、たちの悪い。

 けれど「その理屈は通らないわ」と返す前に、芽々はおもむろに眼鏡を外した。

 

 ぱちぱちと二、三度の瞬きをして、顔を上げる。

 わたしたちを見据える、大きな瞳の中には〝星〟が、瞬いていた。

 比喩ではなく。

 

 

 ──ぞわり、と鳥肌が立つ。

 

 普通の人間の虹彩に、そんなものはない。

 そして、その〝星〟は。わたしたちの異常な目を持ってしても、芽々が眼鏡を外す今まで気付けなかった。

 

 ──目の前の光景は正真正銘の『異常』だと、理解する。

 

 

「説得の必要は、なさそうですね?」

 

 星の瞬く瞳を、芽々はゆるりと細めて。花弁のような小さな唇を、歪める。

 

「どうぞ、話をお聞かせくださいな? 異世界の(・・・・)魔女サマがた」

 

 

 ──やはりあの時、記憶を消しておくべきだった。

 

 身を乗り出す。けれど、その前にわたしの腕は掴まれ、引き止められる。飛鳥だ。さっきまで浮かれていたのが嘘みたいに冷静な目で、彼は首を横に振る。

 

「話を聞いてからでも、いいだろ」

「……あなたが、そう言うなら」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 芽々の案内に従って、校舎の旧棟へ移る。日の当たらない廊下に軋む階段、空気は少しかびている。

 オカルト研究部の部室は、突き当たりにあった。

 古い引き戸には木製の看板がかかっている。看板にはどろどろと絵具を塗りたくられていて、一種の世紀末芸術っぽさを感じさせる。

 

「いいでしょ。この看板、マコが作ってくれたんですよ」

「笹木君……」

「あいつセンスが普通じゃねぇな」

 

 飛鳥がふと、扉を睨んで言う。

 

「つか、ここは天文部の部室じゃなかったか?」

「無くなりましたね」

「……そうか」

 

 それは他人事の呟きではなかった。

 

「あなた、帰宅部だったんじゃないの?」

「一応、籍だけ置いてたんだ。バイトで忙しかったからな」

「知らなかった」

 

「……中学の頃から、俺は天文部だったんだよ」

 

 その感傷も、一瞬だけ。

 さっさと部室へ入ってしまった飛鳥を追って中へと入る。

 

 視界に入るのは資料の溢れかえった本棚、歪んだ黒板、古びたソファに、場違いな望遠鏡と天球儀。そういうものが雑多に並んだ、部屋の中。

 

 わたしは、寧々坂芽々に向き直る。

 

 

 一度認識して(きづいて)しまったせいか。眼鏡をかけなおした後でも、注視すると瞳の星を見ることができた。

 

 ──ここから先は、誰に聞かれるわけにもいかない話だ。

 

 

「あなた、何者なの」

 

 芽々は、黄色がかった日射し差し込む窓の前。スポンジの見えたボロのソファの上で、折れそうな脚を組む。

 

「あらためて、自己紹介を。どこにでもいるサブカルな女子高生。オカ研ただひとりの実働部員。すべて、嘘ではないですが。此度(こたび)は、こう、答えましょう」

 

 

「──私、寧々坂芽々は。地球の魔女(・・・・・)の末裔、ですっ」

 

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