彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。)   作:さちはら一紗

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日間1位ありがとうございます。びっくりした。








第三話 君と食べる飯のことしか考えてない。

 

 

 文月咲耶という人間(わたし)を語る時に、賛辞はすべて無意味だ。

 だって、人目に映るわたしは全部、演技(ウソ)でできているんだから。

 自分の『本当』を演技で包み隠して生きてきた人間が、わたし。

 自分自身をロールプレイする演劇体質。それは決して、褒められた生き方ではない。要はただの嘘吐きだ。

 

 ──飛鳥の前では素顔でいられるようになった今も、わたしの本質は同じだった。

 

 こちらの返答を叩きつけて、飛鳥を置き去りにした後。夕暮れの廊下でひとり、溜息を吐く。

 

『駆け落ちでもするか?』

 

 ふと。

 彼の冗談を思い出し……

 

「〜〜〜っ!!」

 

 勢いのまま、壁を殴った。

 

「……痛っった!?」

 

 関節バキッて言った! バキッて!

 

「はぁー……ばかっばかっ、もうばか!!」

 

 廊下に誰もいないのをいいことに、ひとりで呻く。

 飛鳥が急にあんなことを言い出した理由は、わかっている。

 わたしたちは、あからさまに喧嘩を売らなくなった今も勝ち負けにはこだわっていて、普段の会話もその延長線上にある。

 勝敗の判定は単純、言い返せなくなった方が負け。

 だから、『勝てればなんでもいい』と思ってる飛鳥は、なんの恥ずかしげもなく爆弾を放り込む。

 それでこっちの反応を楽しんでるのだ。

 

 あいつは時々、すごく意地悪だ。

 そしてわたしは、口喧嘩(レスバ)に弱すぎる!

 

「……て、いうか」

 

 わたしは駆け落ちの定義を思い出す。駆け落ち、すなわち『許されない関係の二人が、追手を振り切り、逃げて共に暮らすこと』

 ……なんだか、見に覚えがあった。

 

 わたしたちの現状を思い浮かべる。

 許されない敵同士の関係なのに手を組んで。

 裏切った異世界の追手から逃れて現世に落ち延びて。

 お隣でほとんど一緒に暮らしている。

 

 これ……実質の駆け落ちじゃない!?

 

 

「う、うわぁぁ…………わ、わ、わーー…………!」

 

 気付いてしまった。気付いてしまった!なんてことに!!

 

 熱い頬を押さえて、廊下の冷たいガラス窓に熱の出た額を押し付ける。

 頭からぷしゅぷしゅと蒸気が出そう。

 

 ──だけど。

 

 窓に映った火照った顔、情けないその表情を客観視して。わたしの理性の部分は、スッと冷えていく。

 

 大丈夫。これはただの動揺。驚きで平静さを失っているだけだ。

 こんなもの……こんな感情に、なんの価値もない。

 恋なんて──恋人、なんて。

 

「わたしには……許されていないわ」

 

 

 額に触れる窓ガラスが、とても、冷たかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ねえ陽南。『なんか落ち込んでるみたいだから相談に乗る』って言ったのは、確かにおれだけどさ」

 

 

 気もそぞろに、バイトを終えた後。喫茶店の休憩室のテーブルで、笹木が言った。

 バイト中ミスこそしなかったものの、俺の様子がいつもと違うことに気付き、親切にもこれまでの経緯(いきさつ)を聞いてくれた、同僚兼同級生の笹木は。

 

「……何言ってんの?」

 

 はてしなくしょっぱい相槌を打った。

 

「だから、喧嘩の流れで『人生くれ』って言われたから、俺は『いいよ』って言った」

 

 これまでのいきさつ、以上である。ちなみに笹木は現世のファンタジー事情について一切知らない、と芽々から確認をとっているので、その辺は伏せてある。

 

 笹木は「??」と目を細めた。

 

「プロポーズじゃん」

「だよな?」

 

 そして、今日の放課後。咲耶に言われたことを要約すると『あんたと恋人とかムリだから』だ。

 

「……なんで今更、フラれてんの?」

「知らないよ。おれに聞かれても困るよ」

 

 いや、確かにあの時、咲耶は正気ではなかったけれど。あれは酔っ払って出る本音のようなもののはずだ。反省会での様子を見るに、咲耶の記憶もばっちり残っていた。

 おかしい。なんでこんなことに。

 

「俺の純情を弄ばれている……」

「自分で純情とか言うのキモいと思うよ」

 

 笹木が辛辣だった。

 

「もしかして。文月さんって、相当……」

「相当ヤバくてアホで面倒なヤツだよ」

「好きな子の悪口言うのもどうかと思うよ」

 

 これでも悪態を吐かなくなった方なのだが。

 笹木が半目でこちらを見る。

 

「おれさ、正直路地裏でのあの時からずっと、剣のこととか聞きたかったんだけど? それがなんで意味不明な痴話喧嘩の話を聞かされてるんだよ。わかんないよ」

「俺も女心がわからん……」

「そういう話じゃないよ。聞けよ」

 

 遠慮がなくなってきた。

 

「はーあ……まさか正体がこんなやつだとは思わなかった」

「え、ごめん。……なんだと思ってたの?」

「浮世離れしたカッケー非日常の住人」

「そっか、普通の人でごめんな」

「陽南は変だよ」

 

 んなことないだろ。

 

 

 

「相談には乗るとは言った手前、力にはなりたいけど……」

 

 お手上げ、という無常感を漂わせて、首を横に振る笹木。

 

「いや、大丈夫だ。とっとと本人に聞くことにする」

 

 同じ轍は踏まない。推測を巡らせる前に、わからないことは直接確かめる。

 つもり、だが。

 おそらく。これは異世界とか魔女とか関係のない問題だと思う。

 咲耶自身の……文月であった頃からの、何かだ。

 魔女だのなんだのを抜きにしたって、あいつは根本的に面倒なのだ。

 演じて生きていたのが昔からだと言っていた。普通の人間は、そんな生き方をしない。

 

 異世界(むこう)の問題ならば、こちらも当事者だ。前回の反省もあるし、聞くことに躊躇はない。

 だが現世における彼女の問題に踏み入るのは……果たして、俺に資格があるのかどうか。

 とか、一応考えはするものの。

 

「いややっぱり、どう考えてもプロポーズだったろ!! 俺結構緊張して返事したんだけど!? もう話はあれで終わりだろうが! 言っただろ、好きって! 確かめただろ!! なんで振り出しに戻ってんだよクソが!!!」

 

「……うん、同情するよ」

「あいつ、ほんっと面倒くせぇ!!」

 

 ああ、クソ! 本人に対してでなければ恥じらいがないから、プロポーズだのなんだのも言い放題なのに! 冗談でもなく真面目に、咲耶に直接『そういうこと』を確認しようとすると脳味噌がバグる。

 だから明確な合意を取らずにここまで来たのだが。それが完全に、仇になっている。

 あいつも面倒くさければ俺も面倒くさい。

 もっとシンプルでいいのに。

 人生なんざ、生きてさえいれば全部上手くいくくらいの難易度でいい。

 

「まー、喧嘩の仲裁には呼んでよ」

 

 テーブルに頬杖をついて、笹木はさらっと言った。大分厄介な話を聞かせたにも関わらず、だ。

 ……こいつ、いいやつだな。

 と思ったのも束の間。 ニコニコと、いい笑顔で。

 

「あれでしょ? 喧嘩って、バチバチやり合うんでしょ?」

「笹木おまえ……」

 

「見たいだけだろ」

「あはは、そんなこと……」

 

「あるよ」

「あるんだ」

 

 まともと見せかけてこいつ、やっぱり芽々の幼馴染だな。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 次の日の夜、いつも通り咲耶の家に行く。手の中には、ついこの間渡されたばかりの「合鍵」があった。

『はい、鍵。毎日来るんだから、ないと不便でしょ?』と、当たり前のように渡されたのだ。

 いや、意味がわからん。

 

『合鍵は「わたしはもう二度とあなたの敵にならない」って示すためのものだから』

 

 などと言われて丸め込まれてしまった。

 ……いやでも、おかしいだろ。合鍵を渡される関係って、諸事情を抜きしにしても、それはもう「友達」じゃないだろ。

 

 

 一応、インターホンは鳴らしてから鍵を開ける。

 

「いらっしゃい」

 

 扉の向こうには咲耶がいて、当たり前のように出迎える。

 

「お邪魔します、って。迎えに来るなら、鍵渡した意味あるか?」

「あら。客人を迎えるのは当然の礼だわ」

 

 澄まし顔で礼儀を語るけれども。咲耶に正論を言われると釈然としなかった。

 

 

 夏めいてきたせいか、咲耶は随分と薄着だった。

 ざっくりと胸元のあいたブラウスに、ショートパンツといういでたち。傷ひとつない白い柔肌が、無防備に晒されている。

 最近、気付いたが。どうやら咲耶は露出に対して無頓着だ。

 向こうでえげつないデザインの服ばかり着ていたせいだろう。その辺が、麻痺しているというかなんというか……。

 

 ……まあ、人の部屋着にとやかく口を出す権利はないのだが。

 

「ふふ。なんだか『いらっしゃい』って言うのもなんだか変な感じね」

 

 こっちの葛藤だの動揺だのは知らず、こちらを出迎えた咲耶はわかりやすく上機嫌だった。

 そう、何事もなかったかのように。

 これがいつも通りであるかのように、だ。

 溜息のひとつでも吐きたくなる。

 おまえ、昨日俺をフッてんだけど。本当にわかってる? わかってないんじゃないか、これ。

 念を込めてじっと見つめてみる。

 

「どうしたの? こわい顔して」

 

 あっ、これはわかってないな。確実に。

 

「なんでもな……いわけじゃないけど。今はいいや。先に飯作ろうぜ」

 

 靴を揃え玄関を上がって、もうすっかり見慣れた廊下を抜ける。

 

「あ、そうだ。これ買っておいたから。ありがたく使うといいわ」

 

 先にキッチンに入った咲耶が、何やら手に持ってこちらに戻ってくる。その手には、いつか見た咲耶のエプロンの色違いが。

 

 いや、色違いって。

 つまるところ。

 

「お揃いじゃん……」

「……は、ハァ!?」

 

 咲耶は急に顔を赤くして、新品のエプロンを投げてきた。

 避けずに受け止める、けど。なんで顔面に投げるんだよいつも。

 顔? 顔がムカつくのか?

 

「ち、違うから! 機能性とか、なんかそういう基準で選んだだけなんだから!! ほんとに!!」

 

 上擦った声で言い訳する咲耶。

 ……この反応、さては本気でお揃いだとか今まで気付かなかったな。

 咲耶はまだ自分のエプロンを握り締めたまま、葛藤するようにチラチラとこちらを見ている。意識しすぎだろ。なんだかばからしくなってきた。

 最近ずっと、この調子だったのだ。そんなの浮かれるし、勘違いだってするだろうが。

 

 なんでこれでフラれてんだよ。本当に。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 いつまでもうだうだとやっていると夜が更けるので、程々に。しばらくもすれば夕飯の用意も終わる。

 

 咲耶に「料理を教えてほしい」と言われてから半月だが、咲耶は生真面目なので、多少不器用だとか鈍臭いだとかは問題にならなかった。つまり着々と上手くなっている。

 そりゃ、俺がバイトでいない時もひとりで黙々と自炊しているのだから、上達もする。

 努力家で偉いよな。千切りすら面倒くさいからキャベツめくってそのまま食う、とか、俺みたいなことはやらないらしい。

 

 料理ができるからといって、実際やるかどうかは別の話。一人分の飯なら、俺は正直なんだっていいのだが、二人分なら流石に気を使う。

 だって、延々とキャベツの千切りを食ってる咲耶なんて見たくは…………いや、それはそれで愉快かもしれない。 

 咲耶は、困らせると良い反応をするのだ。山盛りの千切りの皿を抱えて、『え、なんで? 今日キャベツだけ……?』とうろたえる咲耶をたっぷりと堪能した後、惣菜屋で買ってきたコロッケを出すとどんな反応をするだろう。わくわくする。

 ──などと考えながら、生姜焼きのタレが染みたキャベツに箸をつけたところで。咲耶が俺を見て、不思議そうに言った。

 

「あれ、あなた左利きだった?」

「刃物は元々両利き。箸は左に矯正している途中」

「なんで今更……?」

「いや、問答無用で右腕引っこ抜こうとしたやつが言うかそれ?」

 

 喧嘩の原因がコレだったことくらい、重々理解している。

 

「別に『今はまだ必要だ』って言っただけで、いつかは捨てるよ。そりゃ」

「ぶっ壊していいの!? やったー!」

 

 うわ、物騒なのにいい笑顔。なんだこいつ。いいけどさ。

 

「全部終わったら好きにしろよ。粉々にして燃やして焼き芋でもしよう」

「可燃ゴミじゃないのよ!?」

「芋食いてぇな。次はめちゃくちゃポテトサラダ作ろうぜ」

「……あんたもしかして、ご飯のことしか考えてない?」

「最近はな」

 

 咲耶は、にまーっと満足そうにこちらを見ていた。……なるほど。そもそも料理を教えるだのなんだのは、こっちを心配しての口実だったな。

 

「人間として何点?」

「六十点あげる!」

「採点が甘すぎる」

 

 自己評価より二十点も高いとか、どうかしている。

 

 

 

 物騒な話題もくだらない話も全部、同じように消費して、共有する時間。日に日に、どちらかの家にいる時間が長くなってきた今日この頃。隣の居心地はぬるま湯のようで、まあいいか、と少し思ってしまう。まあ、こんな日常が続けば。それでもいいか……と。

 そんなことを考えて。ふと、思い至る。

 

「なあ、咲耶。もしかしておまえは、『このまま』がいいのか?」

「ええ、その通りよ。相変わらず察しがいいわね?」

 

 ……残念ながら、咲耶が昨日、俺をフッたことは揺るぎない事実らしい。

 あーあー。もしかしたらアレ、夢かもしれないと期待したのに。上手くいかねーなー、現実。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 『このまま』がいいわけを聞こうと思ったのだが。のらりくらりと雑談に躱されたまま、食事どころか後片付けまで終わってしまった。

 忘れていた。ある程度の論拠がなければ、延々としらばっくれられる、ということを。

 すれ違いそうになったら嘘も隠し事も無しだ、と前回の反省で約束はしたが。そもそも『話したくないことは話さない』というルールも健在だった。

 自分の事情(こと)をあまり話したくないのは、どちらかというと俺の方だったりする。人間、墓まで持っていきたい秘密のひとつやふたつ……いくつだっけ? まあ、あるものだ。だから俺も、咲耶に「ヤダ」と突っぱねられたらそれ以上は聞けない。その一線は、今も絶対だ。

 

 なので、どうしても真意を吐かせたいのなら。事前に外堀を埋めておかなければならなかった。なにせ人間は、図星を指されたら真相を吐かざるを得なくなるものだ。推理ドラマで見た。犯人を追い詰めるシーンとかで。

 

 しかし、どう埋めるべきか。外堀。

 考える。

 ……そういや芽々が『本棚は人を筒抜けにします』とかなんとか言ってたな。試してみるか。と、咲耶に「また本貸してくれ」と言ってみる。「お好きにどうぞー」と言われたので、そのまま書庫部屋に入った。

 

 部屋の本棚にはぎっしりと分厚い本が詰まっており、ついでのように映画のディスクも並べられていた。本の種類は、新しそうなライトノベルから古い海外文学、大人っぽい実用書まで幅広い。それに比べると漫画は随分と少なかった。

 ……なるほど、うん。

 

「全然わからん」

 

 駄目だ。分析しようにもやり方が不明だし、雑多すぎる。

 強いて言うなら、咲耶が好きそうだと予想していた少女漫画の類がまったく見当たらないのが、気にかかるが……それよりもB級ホラー映画のDVDが視界にちらついて仕方ない。

 そうして、本棚の部屋で三十分ほど粘っていたのだが。わかったのは、俺は探偵にはなれないということだけだった。

 

「あら。まだ本探していたの?」

 

 いつの間にか咲耶は、白いワンピースのような寝巻き姿になっていて、髪が少しだけ湿り気を帯びている。風呂上がりだった。俺がこの部屋にいる間に入ってきたらしい。髪からほのかに柑橘の匂いが漂ってくるものだから、避けるように距離を取る。

 

「だからおまえ、俺がいるときに風呂入るのやめろよ」

「大丈夫。今度は鉢合わせないように、扉に看板かけといたわ」

「なるほど頭いいな……って、そういう問題じゃないんだよ」

 

 相変わらず危機感がゆるっゆるだこいつ……。

 

「あなたがいるから下着でうろつくのもやめてるのに?」

「俺がいないとやってるのかよ」

「……あっ、ごめんね。わたしが窓から急に入るせいで、あなたは部屋で服脱げないのに……わたしだけ不公平だったわね」

「違う。公平とかそういう話じゃない」

 

「わたしは別に、あなたが部屋でパンツ一枚でいるのを見ても気にしないからね!」

「俺が気にすんだよドアホ!!」

 

 貞操観念どうなってんだよ。

 

 

 

 

 

 

 方便として本を貸してくれ、と言ったので。何か適当に見繕ってもらう。

 ろくな分析こそできなかったものの、本棚を眺めたおかげで、気になっていたことを思い出した。

 

「そういや咲耶ってさ、翻訳文学の女みたいな喋り方をするよな。お嬢様だからか、と思ってたけど。元々庶民ってことは、その口調も演技なのか?」

「ううん。これは昔から」

「なんで」

 

 咲耶はほんの少し黙り、「まぁ、あなたにならいいか」と、答える。

 

「──友達がいなかったの。『文月』になる前の、昔のわたしって。それで、本ばかり読んでいたから。気付いたら喋り方がこうなってたわ」

 

 昔の咲耶、というのはおそらく、俺の知るどの彼女とも違うのだろう。本当は根暗なのだ、というがあまりぴんとこない。

 

「おかげで養子に取られた後も、言葉遣いに苦労はしなかったから。人生、どこで何が役に立つかわからないものねー」

 

 なんて笑いながら言う。あまり軽い話題には思えなかったが、意外とすんなり教えてくれた。……そのくらいの信頼はある、ということだろうか。

 

 ならば。

 

「そろそろ聞いてもいいか。前、聞けなかったこと」

「なぁに?」

 

 五月の屋上で、話をした時のこと。

 友達になろうなんて小っ恥ずかしい提案を大真面目にした時のことだ。

 

「咲耶はさ、なんでわざわざ面倒くさい『演技』なんてしてたんだ?」

 

 あの時の咲耶は、返答に沈黙を選んだが。今の咲耶は、へらりと笑って、なんでもないことのように言った。

 

「ああそれは。ほら、わたしって庶民だったのに、ある日突然お嬢様になってしまったわけじゃない? ボロが出ないように常に演じてたら……素の出し方を忘れちゃったの」

 

「あなたのおかげで、素を思い出したけどね」と咲耶は肩を竦める。素も時々、芝居がかっていた。

 

「くだらないでしょ?」

「そうだな。よくもまあ、そのグダグダの素を隠し通せてたなと思う」

「うっ……」

「あの頃はみんな、文月に騙されてたってわけだ」

 

 俺ですら、最近まで気付かなかった。 

 

「それって、結構すごいんじゃないか?」

 

 俺の返しが予想通りではなかったのだろう。咲耶はぱちぱちと目を瞬く。

 

「なんだよ。俺は『くだらない』とか言わねぇよ」

 

 だって。咲耶は、俺のためにわざわざ魔女を演じていたくらいだ。

 なんでそうなる、思考が明後日だ、とは思う。けれどそれに助けられたのも事実で、咲耶自身は大真面目だったことくらい、わかっている。

 

「それにおまえ、アホなことさえ言わなければ今でも結構、ホンモノのお嬢様っぽいし」

 

 たとえば、ぴんと伸びた背筋だとか。食器の使い方が綺麗なことだとか。そういう些細な所作の端々に育ちの良さを錯覚するのだ。……実際の育ちが、何にせよ。

 

「嘘も貫き通せば本物って言うだろ」

 

 というか素を知っているのが俺だけなら、俺以外の誰が咲耶のこれまでを認められる、という話だ。

 ──だから、俺くらいは。どんなにくだらなくても、彼女の努力のすべてを肯定してもいい、と思った。

 

「やるじゃん、エセお嬢様」

 

 咲耶は目を丸くして。

 

「……わたし、今、褒められた?」

「褒めた褒めた」

「全然褒められた気がしないのだけど」

 

「えー? おかしいわ」とかなんとか微妙な反応。

 

「でも……褒めてくれたのは、あなたが初めてかも」

 

 咲耶はふっと頬を緩めた。

 

「ありがと」

 

 いい顔をするようになったな、と思ったのも束の間。

 

 

「ちなみにだけど。お嬢様学校だった中学じゃ速攻でエセがバレたわ!」

「まさかウチの高校に来た理由って」

「公立ならお嬢様ロールもチョロいと思ったからよ!!」

「褒めたのが台無しだな!?」

 

 

 

 咲耶自身のことについては聞けたものの。本題に踏み込むにはまだ足りなかった。

 本棚を見て、もうひとつだけ気付いたことがある。──恋愛小説の類が、見当たらないのだ。本の種類は広範だ。古典から流行まで。なのに恋愛が主題と分かる本が、一冊もない。

 

「咲耶って、恋愛モノは読まないのか?」

「……苦手なのよね」

「なんで」

 

 咲耶は冷ややかな目と声で、言う。

 

 

「わたし、恋って感情、嫌いなの」

「……は?」

 

 

 今、何言った?

 

「おまえ、俺のこと」

 

 好きって言ったのに!?

 

「ええ、好きだったわ。初恋だった」

 

 さらりと言う。なんでもないことのように。あのいちいちとわかりやすい反応をする咲耶が。不自然なまでに平然と!

 

「どういうことだよ……」

 

 咲耶が長い前髪を弄る。赤目は手元に隠れて、見えるのは元の彼女自身の暗い瞳だけ。

 

「だって。終わった恋は思い出だもの。──思い出は、綺麗なものでしょう? 終わった(・・・・)恋は(・・)嫌う(・・)理由が(・・・)ない(・・)

 

 何故か、奇妙な定義を聞かされていた。

 

「恋を追うことは、汚くて破滅的だわ。綺麗なのは終わった恋だけ。許されるのは愛だけよ。──わたしは、文月咲耶(わたし)をそう定義している」

 

 頭が混乱してくる。これは一体、何の呪文だ?

 だが、彼女がなんの魔法も使ってないのは自明だった。

 ……いっそ、これが何かの詠唱ならば対処のしようもあった。おかしなことに、これは『ただの会話』だった。

 理解できない、納得できない、だから反論の仕方もわからない。

 柔らかな白いワンピース姿の今夜の彼女には、魔女らしさなんて感じない。

 年相応、むしろ……二年、時が止まっている分、幼くさえ見えた。

 

「……俺とは『そうなれない』って言った意味も、それか?」

「そうよ」

 

 十六のままの少女の顔で。文月咲耶は、理由(わけ)を語る。

 

 

「わたしはあなたを愛しているから──あなたに、恋をしたりしないわ」

 

 

 彼女の顔は。演技や嘘偽りのない、無表情だった。

 

 

 

    ◇

 

 

 

 あのまま「そろそろ寝る時間だから」と別れて自室に戻る。というか、戻らされた。

 

 俺たちの間における会話は口論の派生だから、勝ち負けが不文律で存在する。

 言い返せなくなった方が負けだ。負ければ従うしかない。

 だからといって、大人しく寝付けるわけがなく。戻った六畳間に座り込んで、考える。

 

『直接聞く』って、決めたからな。ちゃんと聞いた。聞いたけども……。

 卓袱台に頭を打ち付ける。ゴン、といい音がした。いい感じに頭が冷え、いや、冷えるか!

 

「意味わかんねえ!!」

 

 あいつ何言ってんの!? 宇宙語喋ってんの?? 魔女じゃなくて宇宙人か!?

 

 かろうじて。彼女にとって「愛」と「恋」は、決定的に違うということだけがわかって。

 だが、まったく。これっぽっちも飲み込めない。

 

 だって。同じだろ、それ! ほぼ同じじゃないのかおまえのそれは!!

 

 もしかして……俺が調子に乗ってただけなのか? 

 もうだめだ人生。何もわからない。死ぬか。

 

 

 たかが恋愛がこんなに難しいとは思わなかった。……いや、割合器用だった昔の俺でも匙を投げるくらいには難しいものだったか。

 まあ、でも。

 

「……世界を救うより難しいわけ、ないだろ」

 

 物事を単純化する。

 要は、これはいつもの勝負なのだ。

 「友達(このまま)」を維持したい咲耶と、「恋人(このさき)」の確約をしたい俺の。

「関係の定義」を何にするかという。

 

 曖昧に、あやふやになんかはしない。わかりやすく言葉にして定義にして約束にする。そうして面倒事の全部を片付けて、今を作ると決めたのだ。

 

 ──だから、やることはいつも通り。

 アイツに勝つ方法を、考える。

 

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