彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。)   作:さちはら一紗

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第五話 もはや公認と言っていい。

 これはすこし昔の話だ。

 まだ『文月』でなかった頃のわたしは、うっすらと毎日が憂鬱だった。

 母親のろくに帰ってこない家。友達のひとりもいない学校。それが世界のすべて。

 何も持っていない昔のわたしは、伸び過ぎた背を縮めて地面ばかりを見て、息を殺して生きてきた。

 だから夜毎、夢に見ていたのだ。いつか、窓から素敵な魔法使いがやってきて。わたしに魔法をかけて。ここではないどこかへ。連れ出してくれる日が来ることを。ただ祈っていた。憂鬱な毎日が終わり、劇的に世界が変わる日が来ることを。

 そして十二の頃──祈りは聞き届けられ、夢は叶えられた。

「ある日突然お金持ちの家の養子になる」なんてことで、安っぽいほど劇的に世界は変わった。わたしは文句の付けようもなく幸せになった。

 けれど。たとえ世界が変わっても、中身は変わらない。十二年かけて培われた人格は、そのままだ。臆病で卑屈で陰気で頭が悪くて鈍臭い根暗女、どうしようもないわたしのまま。そんなわたしを、誰が愛するというのだろう? 

 

 わたしの境遇はいわば、念願かなって魔法使いに舞踏会に送り出されたようなもの。けれど、めでたしめでたしで終わらないのが人生で、幸せになったそこからが本番で。魔法が解けないように、踊り続けなければならなかった。

 だからわたしは『完璧』になろうと思った。本当のわたしを包み隠して、嘘とはりぼてで、優等生を演じる道を選んだ。そうして誰に嫌われることもない「文月咲耶」を作ったのだ。

『わたしは間違えない』と(のろ)った日からずっと。作り上げた「文月咲耶」の価値を示し続けることが人生の意味だった。

 

 そのためならば家の決めた婚約だって喜んで受け入れる。

 恋なんていらない。本当のわたしなんて愛されなくてかまわない。一生、嘘吐きのままでいいから。『完璧』だけが欲しい。完璧でさえいればきっと幸福でいられるのだと、曇りなく信じていた。

 ──それが、文月咲耶(かつてのわたし)のすべてだった。

 

 

 だけど。ある日突然別世界に落っこちて、現実の世界に帰ってきたあとにはもう、積み上げたものの価値は全部なくなっていたのだから。笑えない話だ。

 ……まあでも。あいつの家が更地になっていたことよりはましだろう。わたしは一応、『おかえりなさい』くらいは言ってもらえたのだし。

 そう、別に昔のことなんて大した話ではないのだ。十八のわたしは今紛れもなくしあわせで、大事なのは今だけだ。

 

 だから──今が、ずっと続けばいいのに。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 咲耶が芽々の家に行っている頃。俺は何をしているかというと、普通にバイトである。

 バイトはいくつも掛け持ちしているが、今日は例の喫茶店だった。喫茶木蓮。店内はコーヒーよりもカレーの匂いがすることが多い、駅前のレトロな店だ。

 夕方、仕込みのために入り口には『準備中』の札がかかっているため客はいない。今日シフトに入っているのは俺だけだ。

 ホールでひとり、掃除をしながら考える。当然咲耶についてのことだ。

 あの珍妙な恋愛定義に対して反論が思いつかないわけではない。でも、わからないのだ。咲耶があんな、どう考えてもおかしい理屈を言い放った理由を俺は知らない。向こうも話す気はないのだろう。思考の深いところやそれに関わる生い立ちは絶対に話したくないものだ。

 

 …………いや、面倒くせぇ!!

 まず対話しろ、と言ったのは俺だけども。今ならこの前、咲耶がいきなり喧嘩を売ってきた理由がわかる。

 もう面倒くさいから全部ジャンケンで決めようぜ。俺が絶対に勝つから。

 

 などと、上の空で延々と同じところを掃除し続けていたら。喫茶店のマスターがいつの間にか厨房からひょっこりと顔を覗かせていた。

「何か悩みでも?」

 

「ええ、まあ」と曖昧に返事をすると。マスターは髭を撫でながら言う。

 

「なるほど……では、カレー食べますか? それとも作りますか?」

「なんでそうなるんです」

「いや、なに。無心でスパイスを練る工程は瞑想や座禅に通ずるものがありますから。ついでに香辛料の刺激が脳によく作用し、閃きを得られるやもしれません」

「なるほど……?」

 

 一理ある、のか?

 

「まあ僕は君の悩みなどどうでもよく、いたいけなバイトをカレーの深淵に引き摺り込みたいだけなのですが……」

 

 好々爺然とした笑顔のまま、本音をバラした。身も蓋もない。心配されていたわけではないらしい。

 

「マスターって芽々に似てますよね」

「逆ですがね。よく言われます。祖父ですから」

 

 というか祖父って……今思うと、色々あやしくないだろうか? 自分は魔女の家系だのなんだの、ヤバいことを芽々は言っていた。

 じっと見つめてみる。カタギじゃないなら、なんかヤバいオーラとか漂ってないかと思ったのだが。

 

「なんです? 髭にカレーでも付いてますか?」

「いや、なんでもないです」

 

 やめとこ。触らぬ神に祟りなし。怪しいものには近付かないのが長生きのコツだ。

 

 

 

 などと無駄話をしている内に、喫茶店のドアが開く。

 

「では、お願いしますね」

「あれ、今は準備中じゃ?」

「ええ、事前にこの時間に来ると聞いていたので。特別に」

「なるほど?」

 

 わざわざ準備中に来るということは、マスターと仲の良い常連客だろうか?

 と思ったが、客は見覚えのない女の人だった。和服を着た妙齢の美人だ。妙齢は誤用の方で、若くはないが綺麗に歳を重ねている。茶道とか花道とかの先生をやってそうな雰囲気、とでもいうだろうか。所作がやけに上品だった。

 普段まじまじと客を見たりはしないのだが。なんだろう。何故か気になる。既視感とでもいうか。会ったことがあるような、ないような……。

 俺が忘れている誰かだろうか? ザルになってる記憶をさらうが、思い当たらない。思い出せないまま「ご注文は」と伺う。

 和服の婦人は目尻を下げて俺を見た。値踏みされているような視線に、少し肌が寒くなる。どこか色香のある微笑みを浮かべて。

 

「注文はそうねぇ。まずは、あなたを頼めるかしら」

 

 は? 店員に絡む迷惑客か?

 固まった俺に構わず、微笑む女は言う。

 

「あなたが、陽南君ね」

「なんで名前を」

 

 その確かめ方は初対面のそれ。

 ……いや、怖い怖い怖い。ストーカーか? さては最近、視線を感じた理由はこれか!?

 返答次第でそのまま通報しようと、身構える。だが、女は〝当然〟といった態度のまま。

 

「あらぁ。『娘が下宿先に男を連れ込んでいる』と知ったら、相手の素性を探偵でもなんでも使って調べるに決まってるでしょう?」

 

 ──娘。その言葉で既視感の正体を理解する。……ああ、似ているのだ。顔ではなく雰囲気が

 そして和服の女は名乗る。

 

「はじめまして。文月(こと)と申します」

 

 その物腰はしっとりと柔らかで、けれど今すぐ逃げ出したいような威圧感を放つ。

 

「──咲耶(むすめ)がお世話になっているらしいわね?」

 

『あらいけない。お世話になってるんじゃなくて、お世話(・・・)されてる(・・・・)の間違いだったかしらぁ?』と副音声で皮肉が聞こえる。

 気のせいだろうか。

 というか世話されてない。ちょっと毎日ちゃんと飯食ってるか確認されているだけで……あれ? それは、『されている』の範疇に入るのではないだろうか。これ以上考えるのをやめよう。

 

「……とりあえず、俺以外の注文を伺います」

 

 文月母は当たり障りのなくコーヒーを注文した後に、流麗な声で「プリンアラモードを二つ」と言った。

 ……二つ?

 

「あなたは何にする?」

 

 あっ、一人で二つとも食べんの!?

 

 

 

 

 

 文月母が何故か俺に会いにきた──その目的が何かはまだわからないが、状況は理解した。

 つまりこれは〝敵襲〟だということ。そして、突然の二者面談が始まろうとしているということ。あと、咲耶の継母(ははおや)は怖いということだ。

 

 どちらかというと俺は奇襲を仕掛ける側だ。実は正面から正々堂々とか好きじゃない。確実に勝ちたい。

 つまり、なんの前触れもない襲撃と倒し方のわからない敵は苦手だった。

 

 厨房に戻りマスターには事情を話すとあっさり休憩を貰えた。

 いや「いってらっしゃーい」じゃねえんだよな。さては知ってただろ、襲撃。事前に言ってくれても良くないか、俺の客だって。チクショウ……。

 自分用のコーヒーに小豆と蜂蜜と生クリーム全部入れないとやってられない。

 

 

 

 

 文月母の待つテーブルに注文を届けて、対面の椅子に座る。二つのでかいプリンアラモードを前にした和服の妙齢の美女、という絵面は珍妙で、なのに神妙な態度で構えているものだから頭が混乱してくる。

 が、気を引き締める。

 ──咲耶は確か「家に厄介払いされた」というようなことを言っていた。穏やかに話せる相手ではないだろう。

 不意の襲撃こそ許したが。先制、切り出すのはこちらから。単刀直入に聞く。

 

「咲耶を連れ戻しに来たんですか」

「どうしてそう思うのかしら」

 

 文月琴は山ような生クリームを崩しながら静かに返す。

 

「常識的に考えて──」

 

 原因不明の事件で二年失踪していた子が帰ってきた時。果たして親は真っ当に受け入れるだろうか?

 俺の家はそもそもそれどころではなかったので、気が回らなかったが。正直、まともに考えたらあり得ない。

 いくらこっちが事件については記憶喪失を装っているとはいえ。他人が事情を深く気にしないよう魔法で認識を誤魔化しているとはいえ。流石に家族ともなれば他人事ではないのだ。気にするに決まっている。

 ましてや、文月の家は今時婚約をとりなすほどの厳格な旧家らしいのだから。

 

「……一緒にいなくなっていた男なんて、近付けたくないことぐらい俺でもわかります」

 

 その辺も考えて帰ってきたばかりの頃には、これ以上咲耶に関わるまいと思っていたのだが。なし崩しになったからと現状に甘えていたツケがここで来たな。

 文月琴は鷹揚に頷く。

 

「ええ、まともに考えたらそうでしょうね」

 

 はっきりとしない物言いに違和感を覚える。楚々とした雰囲気の和服美人は、デパートの屋上みたいに賑やかなアラモードを突つきながら。

 

「でも知っているのよねぇ、ウチは旧家だから。神隠しが本当に起こることくらい」

 

 そう、ふわふわとした調子で言った。

 

「……はい?」

 

 いや待て。さらっと言ったけど。え、現世……神隠し起こるの? こわっ!?

 

「だから、そういう問題ではないわ」

「なら……婚約関係で連れ戻しに?」

 

 破談になったとは聞いているが、新しい相手を用意したから身を引けとかいうアレだ。多分きっと、古い家はそういうのがあるんだろう! 俺は庶民だからわからないが!

 

「いいえ。元々、娘が嫌がったら辞めるのが前提の婚約だったし、望まれない限り新しい縁談を用意するつもりはありません。今西暦何年だと思ってるの? いやだわぁ」

 

 ……あれ? 肩透かしだ。

 

「じゃあ、何の話をしに?」

「だぁって、大事な娘がダメ男に引っかかっているかもしれないなんて嫌だわ。そう思わない?」

「俺も嫌ですね。咲耶が変な男に引っかかっていたら」

「あらぁ、気が合うわねー」

 

 うふふと笑う文月琴。

 

「だから、確かめに来たのよー」

 

 ……あっ、俺、ダメだと思われてる?

 まあ思うか。金ないし……金以外も色々ないし……。

 逆に何があるんだ取り柄。ちょっと魔王倒せますね。あとお宅の娘さんにマウントをとって勝てます。

 どう考えてもダメだった。俺はダメです。

 

「やっぱり連れ戻しに来たのでは」

「あなたの答え次第かしら」

 

 微笑んでいるが、目が笑っていなかった。

 

 

「──お付き合い、なさってるの?」

 

 

 ……なんと答えるべきか。 

 俺は知っている。こういう時、嘘は有用ではないのだ。

 姿勢を正す。

 

 

「咲耶さんとは、健全な友人関係を結ばせていただいています。──生涯を前提に」

 

 

 文月母は豆鉄砲を食らった鳩のように目を瞬き、そのまま吹き出した。

 

「……あっはは! ほら、やっぱり変な子だった!」

 

 それは淑やかな外見に反して、割合プリンだのなんだのが似合う、とっつきやすい笑い方だった。

 

「やっぱり、って?」

「娘はきっと男の趣味が悪いだろうなと思っていたのよ。当たったわぁ」

 

 俺にも咲耶にも失礼だ。悲しくなってくる。

 そっか……咲耶は趣味が悪いから俺のこと好きだったんだ……そっかー……。

 

「でも悪い子じゃないみたいね。調べ通り、生真面目で実直だこと。安心したわ」

 

 くすくすと笑うのをようやくやめた文月母は、穏やかな目でこちらを真っ直ぐに見た。

 

「あの子を、よろしくね」

 

 返事は迷わない。

 

「はい」

 

 文月母は満足したように頷き、会話は途切れた。

 

 

 ……あれ? これで終わり?

 まだ何かあるんじゃないかと身構えていたが、特に何も言われないままだ。敵襲はどうやら乗り越えたらしい。 

 

 ……なんか、なんとかなったなこれ! 完!!

 これはもはや、親公認の仲と言っても過言ではないのでは!?

 

 頭の中、全力でガッツポーズをかました後。急激に冷静になる。

 いや、そもそも付き合ってなかったわ。一番大事なことを忘れていた。

 

 

 先の質問から考えて、文月母はどうやら勘違いしているようなので、とりあえずその辺の誤解を解くことにする。

 

「あら、恋人ではないの? 友人関係というのはただの建前ではなくって? ……え、本当に? 生涯を誓ってるのに??」

 

「その辺はまあ、学業とか諸々を優先して。あと現状、何故か咲耶にはフラれてますしね」

「どうして??」

 

 おい咲耶。母親すら困惑しているぞ。流石にこれは俺のせいじゃないだろ。

 あとなんか親と不仲っぽい雰囲気出してたけど、多分誤解だと思うぞ。話した方がいいよこれ。ちゃんと。

 空になったアラモードのガラス皿(ひとつ目)を脇に除けて、文月琴は僅かに身を乗り出した。

 

「ちょっと詳しく聞いてもいいかしら」

「むしろ聞いてください、お義母さん」

「あなたにお義母さんと呼ばれる筋合いはありません! なんてね。ウフフ」

「小芝居、お好きだと思いました。……琴さん」

 

 仲良くなった。

 

 

 

 ことのあらましをぼんやりと説明する。そして気付いたのは、文月母あらため琴さんと俺の間でそもそも「咲耶」への認識がズレていることだった。

 咲耶の猫被りはどうやら筋金入りで、家族すら完璧な優等生の顔しか知らなかったようだ。嘘だろ。

 なので、まずその辺をバラす。

 許せ咲耶。おまえが面倒くさいのが悪いんだ。

 

「まず、俺の知る咲耶は思い込みが激しくて、極論を唱えがちで、最終手段に踏み切るまでが異様に早い、危ないやつなんですが」

「…………ええ?」

「努力家で根性があって、それは美点なんですが、発揮する方向性が大体明後日なんで。結果、人を巻き込んで盛大によく転けます」

「…………えぇ」

 

 琴さんは沈痛に額を押さえた。同じような反応、普段の咲耶でもめちゃくちゃ見るなと思った。

 血が繋がっていないので当然顔は似てないのだが、喋り方や所作がよく似ている。咲耶も将来こんなふうになるんだろうか。いいな。……と思って、このままだとそんな未来がないことに気付いて少しイラッとする。

 

 俺の話した散々な咲耶の評価に、琴さんは眉を寄せて聞いた。

 

「本当に、うちの娘のことが好きなの……? 大丈夫なの?」

 

 おい咲耶。言われてんぞ咲耶。反省しろ咲耶。

 なんで俺が引かれてるみたいになってるんだよ。

 

「呉越同舟の乗り掛かった泥舟って感じですかね」

「出来れば別れることをお勧めするわぁ」

「はは。心配されているのが咲耶じゃなくて俺になりましたね!」

 

 娘がダメ男に引っかかってないか心配した親が、自分の娘のダメ加減を知ってしまう……まったくひどい話である。

 

「陽南君、悪い女に騙されちゃダメよ」

 

 まあ、泥舟だろうが船頭が誰だろうが、俺は山の頂上まで登りきるのだが。

 

「ところで。なんでいきなり俺に会いに来たんです?」

「娘に恋人について聞くのはデリカシーがないとは思わなくて? 嫌われちゃうわ」

「だからって直接相手に会いに行くのはもっとどうなんですかね!」

「……?」

 

「?」じゃないんだが。

 素行調査とかいう最終手段をいきなり使うな。聞けよ、咲耶に直接。まず対話しろよ!

 もしやズレてんなこの人。ズレ方が親子そっくりかよ。

 

 

 

 さて、ここまでぶっちゃけた理由はシンプルだ。娘の演技に気付かなかったとはいえ、琴さんは俺なんかよりも咲耶をずっと知っているはずだ。だから例の理由もわかるかもしれない。

 

「恋を嫌う原因に、心当たりがあるわ」

 

 琴さんは、俺を品定めするように目尻を下げた。

 

「──あの子の呪いを、解いて欲しいの。頼めるかしら」

 

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