彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。) 作:さちはら一紗
飛鳥のその言葉を聞いて。わたしは、
「……は?」
耳がおかしくなったかと思った。けれどすぐ思い直す。わたしの耳がおかしくなるわけがない。おかしいのはアイツの頭だ。わたしは息を大きく吸いこんだ。
「いや、意味がわからない。どうしてそうなるの⁉︎」
「え、普通に考えて」
「あんたは全然普通じゃないし、論理が結構飛躍してるわ⁉︎」
「そんなことないだろ」
あるのよ! 飛鳥は全然ぴんと来ていない顔をしていた。こいつ……。
「あのね、飛鳥。わたしはあんまり冴えてないの。それでもって結構、頭が固いの。自分でわかっているのかって? ええ、わかっています。わたしはわたしのことを完璧に理解しているのが売りの女なので」
いや、なんで売り込んでいるんだわたしは。
「だからあなたの考えていることなんて! 一から十まで説明されないとわからないの!」
正しい台詞が、表情が、役柄がわからなくなっている。まるでらしくないことを話してしまっている。本当は叶うならば今すぐ口を噤みたい。でもわたしが言わなければ話が進まないことは確信できた。飛鳥は合点がいったように頷く。
「ああ、そうだよな。俺も、おまえが考えていることなんてわからないし」
それはそうだ。多分、わたしたちは根本的に分かり合えないようにできている。そうでなくとも人は、簡単に分かり合えたりしないのだから。でも自分で言っておいて……なんだか。思っていたよりも歯痒かった。だって今の言葉はまるで──不理解を「仕方ない」と受け入れてしまうみたいだったから。
差し出したもののとりあえず保留になった左手を、飛鳥は何かを考えるように顎にやる。
「あー……説明する前にこれだけ確認しとくか。咲耶、さ。なんでわざわざ面倒くさい『演技』なんてしてるんだ?」
「それは、」言葉に詰まる。彼の疑問は至極当然。わたしは自分がそれなりに不可解な振る舞いをしていることを自覚している。多分、人間というのは普通は。「被った猫の脱ぎ方がわからない」なんてことにはならないのだと、思う。わたしみたいに。
──だってわかんないんだもの。〝役柄〟を演じる以外に生き方の正解がわからない。令嬢も魔女も、本当の自分から遠すぎる役柄で、それらをずっと演じ続けて生きてきたから。──そういう生き方しか……わたしは、知らない。
そんなことを赤裸々に言えるほど、まだわたしは開き直れていなかった。
言い淀んでいると、飛鳥はひらりと手を振った。
「ま、いいや別に」
別にいいんだ、そっちから聞いたくせに。なんなの。いえ、言えないのだけど。それはそうとしてなんだかうっすらと腹が立つ。……腹が立つのは、彼のすまし顔にだ。その顔はまるで「大体わかるからいいや」と言っているみたいだった。
ついさっき、わたしのことなどわからないと言ったくせに。群青の空みたいな両目に、まるで。いつも見透かされているような気がする。
というか、本当に見透かされているのだろうか? たしかに飛鳥の前では
「ていうか割と素、出てるしな」
見せたことないはず……え?
「朝のひっくいテンションとか素だろ」
「………………え?」
「あ、そこは無意識なんだ?」
わたし、もしかして、思ってたより……もっと、だめ? 人間として三十点もない? そんな…………。
「器用にやってんのかと思ってたけど。意外と不器用なんだな」
その言葉がぐさりと刺さった。かなり、クリティカルに効いた。ふらっと倒れないように、わたしは足元に力を入れ、涙目にならないようにキッと彼を睨み返して。
──飛鳥が、半分きまり悪そうに苦笑したのを、直視した。
「なんだ。じゃあ、何も遠慮することなかったか」
その途端。わたしは反論の手札をすべて失う。
……ずるい。ずるいと、思う。だって今の、ちょっと困ったような優しい笑い方は──昔の〝陽南君〟に似ていた。「むかしむかし」のカテゴリに放り込んで閉まっていたはずの、冷えた彼への好意が、じわりと熱を持ち始める。
ああいけない。このままじゃわたしは詰んでしまう。
──わたしは、その顔には、弱い。
「と、ともかく! さっきのは……友達に、なんて、どういう理由で言い出したのよ」
慌てて気持ちに蓋をして、話の続きを促す。というか戻す。
「ああ。まず、例の勝負の話に遡るけどさ。あれ、俺は早々に放棄してたんだよな」
「そうでしょうね。あんた忘れてたし。行動を起こしてもいないもの」
「訂正。一応、やろうとはしたんだ。けど、『あ、ヤバイなこれ。どっかでしくじる』って思ったんだよ。俺はおまえほど器用じゃないから、親しくなると絶対にボロが出る。なんせ、うっかり異世界って口走って病院送りにされそうになるくらいだ。……程よく孤立した方が、理屈に合ってた」
たとえどれほど取り繕っても、今さら
「それで勝負の風化狙いっていうか」
「ノーゲーム狙い?」
「そうそう。俺にできないのにおまえに友達ができるとも思ってなかったし」
「死ぬほど失礼」
「それに、たとえこのままでも。──おまえがいるから、別に寂しくなかったし」
「そう…………ぇ?」
わたしはまたも、耳を疑う。え、今。こいつ、何を言った……?
『おまえがいるから寂しくない』(リフレイン)
…………いや、何言ってるの!?!?
聞いてるこっちが恥ずかしさで叫び出しそうになって、代わりに思い切り舌を噛んだ。大丈夫、舌を噛めばポーカーフェイスは保てる。いざというときの処世術だ。あ、だめ。膝が震え出した。
「今日さー、おまえいなかったじゃん、昼休み。寂しかったんだよなー」
追い討ち。膝から崩れ落ちそうになった。……な、なんでそんなこと言うの⁉︎ わたしは直視しないように飛鳥の方を見やる。へらへらしていた。あ、こいつ! 絶対何も考えてない! 絶対何も考えてないで言ってる!
ギリギリギリと舌を噛み締める。すごく、血の味がする。
「ていうかそもそも、既に咲耶とは友達のつもりでいたんだよな」
何それ知らない、と目線だけで言う。なにせまだ舌を噛んでるので。
「俺は友達になるのに合意とか取らないんだよ。文化の違いだな。だからおまえがそのところきっちり線を引くタイプで、役割とか肩書きとか何者かを気にするやつだってこと、知らなかったんだよ。……いや、ていうかわかるか。はよ言え。めちゃくちゃ考えてようやく気付いたんだぞ。おまえがことあるごとに自分が『魔女』だって言う理由が、まさか『線引き』だとは思わなかったわ」
わかりにくいのは、紛れもなくわたしが悪いけれど。 伝えるつもりがなかったことを、早く言えなどと言われても。
飛鳥は「あ〜」と、言葉を探すようにフィラーを伸ばして。
「そんなわけだから、悪いがこういった作法を知らないんだ。……全部、そのまま言うぞ」
真っ直ぐに、わたしを見る。
「俺が、素でいられるのはおまえだけだし、分かり合えるのも結局、君だけだって思ったんだ。それは多分、咲耶も同じだと思う」
かつて分かり合えないと思っていた彼が、よりにもよって理解を語る。
ひとつだけ混じった「君」という呼び方。それに、本気を感じてしまう。
「それに。こっちで一番初めに友達になるなら、咲耶がいい。向こうで敵だったおまえが。……それでようやく、『終わった』って感じがする」
そして彼はもう一度、手を差し出す。
「友達になろうぜ、咲耶。俺は、〝文月〟でも〝魔女〟でもない、〝ただの咲耶〟とそうなりたい」
なんのてらいのない、こちらが聞いていて恥ずかしくなるような台詞を、微塵も恥じずに。飛鳥は、続ける。
「それで、
──〝友達〟なら、おまえもわざわざ窓からじゃなくて、普通に入って来れるだろ?」
「……あ」
その言葉は、わたしの〝制約〟を完璧に理解したものだった。
「名案」と言った意味をようやく把握する。彼は、ちょっと前には「さっぱりわからん」と一蹴したわたしの論理を理解してしまったのだ。
以前、『魔女は窓から入ってくるもの』だとわたしは言った。
──正確には、魔女だから窓から入ってくるしかできなかったのだ。
わたしは、演じる生き方しか知らない。それは「役以外の振る舞いを、自分に許さない」ということだった。
だから、かつての
つまりは。飛鳥はわたしに、新しい「役」を与えようとしているのだ。〝普通の友達〟という役を。
──そうすれば、わたしは〝友達〟のロールに則って、正しく自分の前に現れると踏んで。
舌の代わりに苦虫を噛む。自分が意味不明な論理を掲げている自覚はあるのだ。なのに。
「なんで、わかっちゃうのよ」
「半分は勘だ」
「半分考えてるじゃないの」
……わたしには、あなたが何を考えているのかさっぱりわからないのに。
差し出された掌をじっと見る。わたしに取られるのを待っている手だ。骨張った長い指に、短い爪。広い手のひらには目を凝らせば、いくつもの小さな傷跡が見てとれる。
溜息を飲み込む。あなたはなんて、わたしに都合の良い提案をしたのだろう。でもきっと、そんなうまくはいかないのだ。
だって今更、ただのわたしとあなたに戻るには──重ねた傷が、多すぎる。
『本気で世界を滅ぼすつもりか』と詰る声が、脳裏で亡霊のように蘇る。あなたはかつて
わたしは俯く。
「……ひとつだけ聞かせて。あの時の、もしもの話」
元はただの高校生だったわたしたちが、敵同士、嘘みたいに世界の命運を賭けた時のことだ。
「もしも
顔を上げる。彼は、
「そんなの決まってる」
即答、だった。
「その時は。おまえがあの世界を滅ぼすのを、隣で大人しく見ていたよ」
感情の読めない瞳に、けれど迷いはなく。
飛鳥は静かにそう、言い切った。
「え」
「なんだよ。俺は、往生際はいいんだよ」
「あなたはそういうのを、絶対許さないと思ってたのに」
飛鳥はしかめ顔をする。不本意だとでも言いたげに、言い訳のように語る。
「確かに主張は真逆だったし。おまえのやろうとしてることはおかしいとは、思ってたけど。正しいとか間違ってるとかは別に、どうだっていい」
「考えてもみろよ。世界だのなんだの、普通の高校生には重すぎるわ。しかも現世とは違う異世界だぞ。世界が違えば価値観が違うんだ。根本的に部外者の俺たちの倫理観で、善悪が測れるもんか。どっちが正しいかなんて、意味がない」
「なら、勝った方が正しいってことでいいだろ。俺が勝ったから、俺が正しかっただけだ。だから──おまえが勝ったら、おまえが正しかったってことに、していたよ」
それを聞いて。わたしは──、
あきれた。
「え、意味わかんない。ばかじゃないの? 脳筋だわ。いえ、むしろ野蛮? 今すっごい倫理の点数悪そうなこと言わなかった?」
「おまえはめちゃくちゃ倫理の点数良さそうだよな。倫理観ないくせに」
……聞いたら納得するかと思ったけど。なんだか、かえってよくわからなくなってしまった。やっぱりわたしには、こいつの考えていることがよくわからない。
でも。ひとつだけ、確かに
──なんだ。彼は、最初から。
そう、思い至ってしまったから。
途端ガチャリと。わたしの心にかかっていた鍵が、開く音がした。
我ながら、あっけなく。
──これは、わたしが
二年前まで、わたしの人生は「完璧」だった。
根暗な自分を取り繕って、それなりの人気者を演じて。わたしは考えうる限り最善の高校生活を享受していたし、その先の未来のことも何ひとつ疑っていなかった。
普通ではなく、普通よりも恵まれた高校生だっただろう。
なのに。ある日突然「異世界」なんかに飛ばされて、わたしの人生全部だいなしになってしまったのだから!
あんまりの理不尽に、人生の酸いも甘いも知らない
そしてそのまま異世界で、わたしは「魔女」になったのだ。
『どうせ、誰もわたしを助けになんて来ないのだから』
と、
〝元の世界に帰る〟なんて夢物語を、完璧に諦めて。
──そうして悪に堕ちた
けれど。向こうの世界で、あとは
『ったく、これ以上クソッタレな異世界に付き合ってられるか! おい咲耶、帰るぞ!』
──どうやって。
『知らねえよ。今から考えるんだよ。は、できるわけがない? ハッ、おまえにできなくても。俺は、おまえに勝ったから、できるんだよ‼︎』
──どうして。
『ガタガタうるせぇな……いいから、さっさと望め! 帰りたいって、言え‼︎』
『俺が、叶えてやる』
なんの根拠もない、意味がわからない理屈。
どうして助けてくれるの、とその問いの答えは聞けないまま。
わたしは、恩を売られてしまった。無茶苦茶な理屈を振り回したまま、完膚なきまでに救われてしまった。
──だから、あなたへの感情は。
恋なんていうくだらない気持ちで──そんなもので、片付けていいものじゃない。
「好き」なんて……そんな言葉で言い表せるものでは、ないのだ。
ただ。現世に帰ってきたのに「めでたしめでたし」というわけにもいかなかったのは、ちょっと笑える。アイツの家は何故か更地になっていたし。わたしはというと、家に持て余されたし。学校だってあのざまだ。
わたしは、悟って、想って、考えた。
──ばかみたいね。結局、帰る場所なんてなかったのよ。帰りたいと望んだけど、帰る場所もなかったから……居たい場所なんて、あなたの隣しかないの。けれどあなたはわたしを見ていない。わたしにはあなたしかいないのに、あなたはまるで、別にそうじゃないみたいな顔をする──。
だから。
わたしは飛鳥に会いに行く口実に「魔女」を要した。かつての敵対を引きずることを選んだ。そして〝同じ気持ち〟を味わわせてやろうと思っていたのだ。否定や敗北を、思い知らせてやる以上に。わたしが彼を必要としているように、
──素のわたしは、根暗で、不器用で、面倒くさくて、浅ましい。
そんなどうしようもないわたしの陰謀はあっけなく、正攻法で真正面から壊されてしまった。否定されたと思っていたのは勘違いで、初めから気持ちは同じ。おまけに隣にいるための言い訳まで与えられて。望まれたのは、誰にも晒したことのない本当の〝
──思えば、昔から。陽南飛鳥という生き物は、肝心なところで正解を引く天才だった。
ああ、本当にばかみたい。なんて無様だろう。わたしは、ひとりで何をやっていたのか。
──望んだのは、こんなに簡単なことだったのに。
◇
屋上。昼休みが終わるまで、あとわずか。
俺は提案への返事を待つ。合意の握手を求め、手を差し出したまま。
とりあえず俺は速攻で、自分の発言を忘却した。一部始終が勢い任せだった。多分結構、恥ずかしいことを言っただろう。もう全部忘れた。何も覚えてない。都合の悪いことは忘れるのが人生のコツだ。自分で言うが、俺は結構人生が上手い。
咲耶は無言無表情のまま、じっと俺の手を見ながら──、
「……なぁ咲耶。なんか口から血が出てんだけど。なんで? 大丈夫か?」
薄紅色の唇の端からたらりと赤いのが、流れていた。咲耶はこくりと喉を鳴らして、口元を隠しながら声を発する。
「なんでもないわ。ちょっと口内炎が爆発しただけだから」
「こっわ」
口内炎、爆発するのか。気を付けよう……。
咲耶は残っているコーヒーに口をつける。……え、コーヒーで血を洗い流してないかそれ? こっわ…………。いや、まあ、うん。いいや。
腕を差し出しっぱなしも格好がつかないし、いい加減疲れてきた。
「それで、返事は?」
咲耶は、鷹揚に頷いて。
「いいわ。あなたの提案、受け入れましょう」
俺の左手を握り返そうとして──、
一寸先でぴたりと止まった。
「……ねぇ、今気づいたのだけど。これでわたしとあなたが友達になったらあの勝負はどうなるの?」
どちらが先に友人を作れるか、というアレだ。
「そうだな。そりゃ言い出しっぺの法則で俺の勝ちだろ」
「んなわけあるか! というかそういう法則じゃないわ」
「それが通らないってんなら、じゃあ。『引き分け』だな」
「……まぁ。それならいいかしら?」
咲耶は釈然としなさそうに、視線を彷徨わせ、はたと気付いたように俺の目を見る。
「あんた、『名案がある』って言ってたけど……まさか」
おっと、気付かれたか。
「そう、これは。
咲耶は、うんざりとした顔をした。
俺の左手を握り返すのをやめて、代わりにぺしりと叩く。
「あんたって、やっぱり性格悪い!」
失礼な。ちょっと意地でも負けたくないだけだ。
「でも……ありがと」
そう言いながら、咲耶は気の抜けた笑顔を浮かべる。
ああ、そっちの方が。露悪的な〝魔女〟の笑みよりも、欠点のない〝文月〟の微笑みよりも──ずっといい。
「別に。おまえのためじゃないさ」
そうして。俺たちは三年と一ヶ月をかけてようやく、友達になったのだった。
いや、遅すぎるわ。
◇
翌日、朝七時。天気は良好、気温は上向きに初夏の前触れ。今年は随分と気象がよく、五月は比較的に涼しめだ。まぎれもなくいい朝だった。
上機嫌のまま俺はコンロで味噌汁を沸かす。
「……やべ、米炊くの忘れた」
弁当分はあるのだが、朝食分がない。
「しまったな。抜くか」
と、その時。コンコンと音が聞こえた。
──ノック音は、窓からしていた。
眉間にしわが寄っていく。盛大に溜息を吐いて、コンロの火を止める。
薄いカーテンを開けると、ガラス一枚隔てたすぐその先に、制服を着た文月咲耶が微笑みながら立っていた。何故か両手に、バカ長いフランスパンを抱えて。
俺はやけくそ気味に窓を開けた。
「……なぁ。おまえ、『朝は魔女やる気がない』って言ってたよな」
「言ったわ」
「『友達ならドアから入って来れる』って理屈は合ってるよな」
「その通りね」
「咲耶、今、素だよな?」
「ええもちろん」
「…………なんで窓から入ってきてんの?」
咲耶はしたり顔で言う。
「合理的だから」
「合理」
「窓から入ると直線距離、つまり早くて近い。完璧に効率的だわ」
「ああ、うん……うん? 合理と常識、どっちが大事だ?」
「大丈夫よ。あんたにだけは常識語られたくないから」
「おまえ、素でも喧嘩売るじゃん」
表情がわずかに乏しく、声色は少し低い。素であることは確かなんだが。
「どうやらそうみたいね?」
自分で自分の言っていることに、今気付いたように咲耶は小首を傾げる。マネキンのような綺麗な顔に、あどけなさが滲んでいた。
「みたいね、って。自我初心者かよ」
まあ、ノックするようになっただけ成長か。
「それで、何しに来た? 友達ができたのに浮かれて朝っぱらから突撃とか?」
「んなっ……勘違いしないで。別に、パンを買いすぎたからお裾分けしに来ただけ。このバゲット、大きすぎてひとりじゃ食べきれないから仕方なくよ」
「そうか。俺も今、味噌汁を作りすぎたところだ。丁度よかったな」
嘘だけど。わかめ増やすか、今から。
「まあ入れよ」
「言われなくとも。……おじゃまするわ」
「ん。いらっしゃい」
そうしてしばらくの
「頂いておいてなんだけど。この組み合わせって、どうなのかしら」
「別にいいだろ」
「そうね──合わなくたって、いいわ」
やけにしみじみと言って、正座した咲耶はお椀に手をつける。
「そう、意外と合うんだよ。パンと味噌汁」
白い目で見られた。なんだよ。
と、俺も小さく切ったパンに手を伸ばして、ふと気付く。
買いすぎたって言ってたけど。これ、そもそも近所のパン屋のだ。夜明け前に開き、朝にはもう売り切れる、この辺じゃちょっと人気の店のものだった。
……こいつ確か、朝弱いよな?
咲耶はすまし顔のまま、綺麗に味噌汁を飲んでいた。
「なぁ咲耶、やっぱさ」
「俺のこと、実は結構好きだろ」
咲耶は静かにお椀を戻し、
「そうね。嫌いじゃあ、ないわ」
「え」
「なんで驚くのよ」
「いや。知らなかったなぁって」
「なんでよ」
咲耶がそれなりに好意的なのは、どうあがいても伝わっていた。でも。
たとえアイツが、俺のことを実は結構好きだとしても。それ以上にアイツは今の俺のことを、嫌っていると思っていたのだ。
実は『友達になろう』と言った時、断られたらどうしようと内心ビビっていた。絶対言わないけど。死ぬまで言わない。
咲耶はふいっと顔を背け、わずかに上目でこちらを伺う。
「……別に、好きでも嫌いでもないわ。普通よ普通」
『普通』それは、いい言葉だと思う。何よりも。
「そうか。よかったよ」
──こちらに帰ってきてわかったことがある。
俺たちの
それなりに面倒で、それなりに厄介で、それなりに世知辛い。
でも、こいつが側にいるならそれも悪くないと思える気がした。異世界ボケしてない彼女に、俺は必要ないかもしれないけど。
まあ、なんだ。ほら、色々と変なままかもしれないけどさ。それも普通の日常として。なんかいい感じにやっていけたらいいよな。
と、ぼんやりとした頭でぼんやりとしたことを考えながら。
大きな窓だけが取り柄の部屋で、日差しの中ふたり、ちぐはぐな朝食を終える。
「ごちそうさま。美味しかったわ。それじゃ、わたしは一旦自室に帰るわね」
「別にわざわざ戻らなくても。おまえ、魔法で荷物こっちに呼び出せるだろ。うちの洗面台使っていいぞ」
「え?」
「効率的だろ。どうせ、一緒に学校行くんだから」
白状しよう。咲耶がどちらにせよ、友達という肩書きに俺は浮かれていた。完全に。
いや、だって。なりたかったよ友達。俺は三年前からずっと。その上、朝から家に来るとかなんだよ。普通に嬉しいし、浮かれるに決まってるだろうが。
「あと、多分」
だから、浮かれたまま口走る。
「俺は明日も味噌汁を作りすぎるし」
ひらたく言えば『これからも朝飯食おうぜ』ってことなんだけど。
咲耶は、ゆっくりとその意味を考えて。
「あんたってもしかして……友達には、甘い?」
「さぁな」
俺は笑って、誤魔化した。
さて。
あいも変わらず、彼女は窓からやってくるけど。
俺たちは一緒に、ドアから部屋を出る。
ささやかな変化を積み重ねていく。
これはそういう、これからの、少し変わった日常の話だ。