彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。)   作:さちはら一紗

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第十二話 最強だって風邪くらいは引く。

 

 昨日のデートは夢のような一日だった。

 なんてことを思う、翌日。わたしは憂鬱に溜息を吐いた。

 だって月曜日の朝だ。その上、しとどに雨が降っている。こんな日はまったく学校行きたくないけれど、そうも言っていられない。

『優先すべきは異世界よりも現世、普通の高校生をやることだ』と、飛鳥は言うので、わたしもきっちり優等生をやっている。わたしの願いはアイツの願いをいい感じに尊重することだ。……異世界のあれそれを片付けるにも、まだ準備の時間がいるしね。(そういうことは裏で進めている)

 だから、今日も制服に着替えて朝、アイツの部屋の窓へと跳ぶわけだ。(傘を差しながらジャンプするのはメリー・ポピンズみたいでちょっと楽しい)

 

 ……デート後だから、なんかちょっと甘い雰囲気になったりして。えへへ。顔を合わせるのがなんだか照れくさいかも。なんて浮かれ調子を引きずりながら、ベランダで傘を閉じ、飛鳥の部屋の窓をノックし開く。

 

「おはよう、なんだかすっかり梅雨ね。滅入っちゃうわ。……あれ? まだ起きてないの?」

 

 いつもわたしが部屋に行く頃には、飛鳥は制服に着替えて、髪まできっちり整えて、味噌汁を作りながら『おはよう』とすぐに返してくれるのに。

 ……朝ご飯の匂いもしない。

 閉じたままのカーテンをそろりと開く。

 雨の日の部屋は暗く、飛鳥はうつ伏せにまだ寝て──ちがう! 畳の上に倒れてる!

 

 

「う、嘘……死んでる……!」

 

 

 ──あれ、これ前もやったな?

 

 

 

 

 わたしの声で、うつ伏せになっていた飛鳥ががばりと首を起こす。生きてた。

 

「……ハッ、二度寝してた」

「いやそれ、多分気絶って言うのよ?」

 

 ……いや、二度も倒れるな。二度も。百年の恋も冷めるから。

 蛍光灯の紐を引っ張って、明かりをつけて飛鳥の顔を見る。らしくなく紅潮し、目の焦点が合っておらず、極め付けに「けほ」と軽い咳の音。

 ……なるほど。

 

「──風邪ね?」

 

 飛鳥はなぜか愕然とした。

 

「……え、俺風邪引くの!?」

「あんた人体をなんだと思ってる?」

 

 普段から寝不足と不摂生に過労気味、よく考えたら風邪を引かないわけがない。その上今は季節の変わり目で、昨日は冷たい海に入って……。

 って──どう考えてもわたしのせいじゃない!

 

「まさか。わたしが昨日『風邪引け』なんて呪詛(わるぐち)言っちゃったのがいけなかった……!?」

「いや流石にそれはないだろ。それで効くなら口喧嘩の度に俺死んでるから」

 

 顔を覆う。自分の言葉に責任を持たなければ……。

 

「大丈夫大丈夫。ちょっと熱っぽくて身体中がミシミシ言ってるだけだし。休むほどじゃない」

「それは結構重症でしょ!?」

 

 立ち上がろうとする飛鳥を引っ張って、座らせる。

 

「ほら、大人しくしてる! 体温計は……ないの? えぇ、わたしも持ってないんだけど!」 

 

 仕方がないから、わたしは飛鳥に覆いかぶさり手を伸ばす。

 

「まっ、(さく)……!」

 

 額を合わせて熱を測ろうと、飛鳥の長い前髪をかき上げて──、

 

「っ……」

 

 声を詰まらせる。

 

 

 長い前髪の奥、あらわになった額には。

 ──ざっくりと裂かれた大きな傷が、残っていた。

 

 飛鳥の表情が変わっていく。目を逸らし、ぐしゃりと髪を戻した。

 

「あー……その、な」

 

 その反応に、見てはいけないものを見たのだと思い知る。

 

「……ごめんなさい」

「いや……気にしないでくれ」

 

 困る。気にしている本人にそんなこと言われても。

 ──雨音がうるさかった。

 

「……身体が軋むって、もしかして古傷のせい?」

 

「そう、かも」と、曖昧な返答。溜息を吐く。思い返してみれば、もう夏なのに飛鳥は頑なに長袖のままだ。わたしですら、彼の傷の数を知らない。

 ──距離感、間違えたな。近付きすぎた身体を離す。

 

「……朝ごはん食べれる?」

「微妙。昼には、食えるかも」

「わかった。お粥作っておいてあげる」

「別にそこまで……」

「なに? 気に病まないでよね。あんたが味噌汁作るのと、変わんないわ」

「……ん、助かる」

「あまり美味しくはできないかもだけど」

「咲耶が作るならなんだって美味い」

「ばか」

 

 

 制服のまま、髪だけ高く結えて台所に立つ。ガスコンロは慣れてなくて火を付けるのにさえ苦戦した。

 ここはわたしの部屋と違って壁が薄いのか、外の音が突き抜けてくる。粥が煮立つ音が、苛む雨音を掻き消すくらい大きくなればいいのに。

 出来上がりを待つ間。わたしは六畳間の台所に立って、あいつは卓袱台の前に座って、顔を合わせないまま。

 

「ねえ、わたしのつけたのっていくつだっけ」

「いちいち覚えてないけど……二つぐらいじゃないか? 残ってるのは」

 

 唇を噛む。

 

「謝るなよ」

「謝らないわよ」

「ていうか怒ってないし」

「わたしもあんたに殺されかけたしね」

「お互い様だ」

 

 背を向けたまま、聞く。

 

「……傷、見られるの。やっぱり嫌?」

「嫌っていうか、恥ずい」

 

 飛鳥は言う。

 

「見られるのが、っていうかさ。『こいつ、無傷で勝てないのかよ』ってばれるのが恥ずかしいんだ」

「よくわからない」

「おまえ自爆前提だもんね」

「だって治るし」

「そういう話ではない。俺は正直、いつもどうかと思ってる」

「……それは、ごめん。よくわからないけど、気を付ける」

 

 続ける。

 

「ほら、俺は……勇者だったわけじゃん? つまり、あの世界で最強だったってことなんだけど」

「そうね。ほとんどあなた一人で、わたしたち全員を敵に回して勝っていたもの」

「同僚はいたけどな」

 

 それでも剣を振るうのはただひとり。他の誰も並び立つ者はなく、あの世界で彼こそが紛れもなく最強だった。

 

「でも、あんまり自分が強かった気はしないんだよな。正面突破とか苦手でさ、奇襲ばっかやってたし」

 

 それはそうだ。人と竜では大きさが違う。物理的にも、存在の格としても。だから彼は勝ち方を選ばなかった。それは別に、悪いことじゃないと思うのだけど。

 

「闇討ちとか格好悪い。仁義がない。無傷で勝てもしないくせに『最強』名乗るとか……もう、ダサすぎる」

 

 あいつはそう、思わないらしい。

 

最強(・・)ならば(・・・)真正面(・・・)から(・・)圧勝(・・)すべき(・・・)だ。──全部を余裕で、無傷で救えるような〝絶対〟であるべきだった」

 

 それが、あいつにとっての勇者(ヒーロー)の定義なのだろうか。あるいは〝理想〟だったのだろうか。

 

 

「まあ、それってつまり隕石なんだけど」

 

 

 首を回す。卓袱台に突っ伏した飛鳥は「俺、来世は隕石になって恐竜を滅亡させるんだ……」と妄言(たわごと)を吐いていた。

 ……こいつ、まさか。『勇者』と『最強』と『隕石』を等号(イコール)で結んでいる?

 

「えっ……あんた隕石目指してたの?」

 

 ばかなの?

 

「ていうか。隕石って破壊と滅亡の象徴だから、どっちかというと……魔女(わたし)側じゃない?」

 

 飛鳥は、ハッとしたように息を飲んだ。

 

「おまえが、隕石だったのか……」

「さては熱高いな?」

 

 鍋に向き直り、お粥の具合を確かめる。完成まではもう少し。

 

「え? 気にしてる理由ってそれだけ?」

 本当に?

「あと銭湯に入れなくなった」

 そっち? 

「俺のコーヒー牛乳……」

 そっちなの? 悲しいのはそっち?

 

「それに──咲耶だって、見たくはないだろ」

 

 ……ようやく本音だ。

 わたしは少し考える。気にしない、と答えるのは簡単だ。でも──それは嘘。だから。

 

「それ聞いてどうするのよ。あんた、わたしが何言っても気にするでしょ?」

 

 それくらいは、わかるわよ。

 わたし、あなたの言葉に一喜一憂しているから。褒められると耐えられないほどに嬉しいし……否定されると、耐え難く悲しい。

 好きな人の(・・・・・)言葉は(・・・)それだけで(・・・・・)呪いだ(・・・)

 ──わたしもう知ってるんだから。あなたが、わたしのことを好きだってこと。

 

「わたし、あんたの傷に塩を擦り込むようなこと、しないわよ。望まれたってしてやらない」

 

 (かこ)を肯定することはできない。だからといって、否定(のろい)だって吐くものか。

 

「あなたが自分の傷を呪うなら、わたしは呪わないでいてあげる。何を見ても素知らぬ顔をしてあげるわ。……意味なんて、あげないから」

 

 向けられる好意を背負う自覚を。渡す言葉に責任を持つということ。

『友達以上、〝両想い〟の恋人未満』って多分、そういうことだ。

 今のわたしにとって〝恋の定義〟はなんなのか、まだよくわからないけれど。〝愛〟は、責任(・・)だと思う。

 

 火を弱める。鍋の蓋を開ける。

 

「そうか」

「うん」

「安心した」

「よかった」

「咲耶、あのさ」

「なに?」

 

 掬った粥を味見する。

 

 

「俺、実は乳首片方もげてんだけど」

 

「ゲホッ」

 

 

 お粥咽せた。

 流し台に突っ伏す。……な、なに言ってんの!?

 

「向こうで胴体ザックリいったときにポロッと取れてさぁ、そのまま生えてこなかったんだよねー」

 

 ……えっ、うん、えっ!?

 

「いやこれ、マジで恥ずかしくて誰にも言えなくて。不謹慎なのはいいけどさぁ、ダサいのはよくないよなー。品性がない」

 

 ……不謹慎もダメでしょ!?

 

「でもこっちは深刻なんだから下品かと言われると微妙に納得がいかないしさー、じゃあそもそもなんで生えてんだよテメェはよぉ……」

 

 知らないわよ!!

 

 ようやく咳き込むのをやめて、畳を振り返る。飛鳥は卓袱台に頬杖をついて、こっちを見ていた。

 表情はスイッチを落としたみたいに無だ。飛鳥は調子が悪いと表情が消える。でも今のわたしは結構、あいつのことを知っているわけで。無表情でもわかることくらいはあるのだ。

 

「あんた、もしかして……わたしを困らせて楽しんでる?」

 

「うん」

「性格!!」

「これからしばらく『こいつ乳首一個しかないんだよな』と思う呪いをかけた」

「最悪! 最悪っ! バカ言ってないで寝ろ病人ッ!!」

 

 わはは、と棒読みで笑うアイツを半ば蹴っ飛ばすように布団に押し込む。

 なに? なんなの? 真面目な話をし続けるのに耐えられない病気なの!?

 

「いや、でも……うん」

 

 呟く。

 

「今、一番恥ずかしいこと言ったから──もう、咲耶に何見られても平気だ」

 

 わたしは、黙り込んで考える。

 

「……もしかして、今の全部『気にするな』って意味?」

 

 曖昧に肯定が返ってくる。

 溜息を吐いた。確かに気にするのが馬鹿みたいだと思ってしまった。だからといって今のはない。ないでしょ。脳味噌宇宙人め……。

 

「まぁ、見てもいいって言うなら……熱、測るけど」

「ん」

 

 今度こそ、座るあいつの隣に膝を下ろして。前髪をそうっと掻き上げる。額の傷はよく見ると二重(・・)になっていた。けれど、その謂れを聞くことはしない。

 無言で額を合わせ──熱さと同時に、はたと気付いた。

 

 この近さ……すっごく恥ずかしいかも。

 まるで、キスしようとしてるみたいじゃない……?

 今のわたしはとびきり冷静だし、ここで浮かれるほど不謹慎でもないのだけど。

 ……顔が、赤くなっていたらどうしよう。人が弱っている時に喜ぶような、はしたない女だと思われてしまう!

 

 ぱっと頭を離す。

 

「は、八度! ええ、そのくらいじゃないかしら!」

 

 必死で何気ないふうを装って「保冷剤とってくるから!」と冷蔵庫に向かった。

 恥ずかしい恥ずかしい。なにが恥ずかしいって、こんな場合で、しかもあんな馬鹿みたいな話の後ですら、熱を上げられるわたしの恋愛脳(スイーツ)具合が恥ずかしい!

 いくらなんでも、それは、ない!!ちょっとくらい冷めろ! 幻滅しろ! でも好……好き? かなぁ……。

 もうよくわからない。恋ってなんですか、地獄(てんごく)のお母様……。

 

「……あ」

「どうしたの?」

 

 保冷剤を両手に握りしめ、振り向く。飛鳥は額の傷をなぞりながら言った。

 

「今思い出したんだけどさ。これ……子供の頃にガラスで切ったやつだったわ」

 

 …………は?

 

「異世界関係ないじゃない!!」

 

 じゃあ、なんだったのよさっきの気まずさも暴露も!

 

「マジごめん。いやー、俺そういや記憶喪失だったね。ははは」

「ばか!!」

 

 保冷剤ぶん投げた。

 

 

 

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