彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。)   作:さちはら一紗

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第十三話 恋人未満にキスは許されるだろうか。

   ◆

 

 

 

 『おとなしく寝てなさいよ!』と言い残し、ひとりで学校に行った、その放課後。

 わたしは自分の家には帰らず、そのままあいつの部屋に行く。鍵は貰ってないので不法侵入だけど、それも慣れたことだ。

 ──いっそもう、わたしと一緒に住めばいいんじゃない? どうかしら、名案だと思うのだけど。

 

「寝てる、か……」

 

 部屋の様子をうかがってほっと息を吐き、適当に買い込んだ差し入れを置く。わたしが入ってきても起きないなんて、珍しい。

 わたしは枕元に座り、あいつの顔を覗き込む。髪を整えていないせいか、珍しく深く眠っているせいか、いつもより幼く見えた。昨日ずっと年上に思えたのが嘘みたいだ。

 きゅう、と心臓が鳴いた。唇が熱を持ち出す。

 前にも似たようなことがあったけど、どうやらわたしは彼の寝顔を見るとキスをしたくなるらしい。……本当に、はしたない性分だ。

 

 頭蓋が(・・・)キリキリと(・・・・・)軋んで(・・・)我儘を(・・・)囁く(・・)

 ──今ならバレない。バレないわ。バレないかなぁ。

 でも、たとえバレたとしても。怒られたりしないでしょう?

 ……ならいいんじゃない? 我慢しなくても──ええ、そうよね。

 

 規則正しい寝息は、犯行が完璧に済むことを保証する。ごくりと生唾を飲み込んだ。

 

 ──どこにキスを落とそうか?

 額は駄目だ。傷がある。瞳は駄目だ。澱んでる。唇は駄目だ。それは『恋人』の領分だ。わたしは(・・・・)まだ(・・)それを(・・・)許可されて(・・・・・)いない(・・・)

 ならば頬? でもそれは……唇よりも恥ずかしい気がする。

 

 わたしは唇へのキスは幼い頃から見慣れている。趣味の映画や恋人の多かった母親で、だ。そのせいか、そこまで羞恥することのほどでもない気がする。所詮キスなんてお芝居みたいなものじゃない?

 でも頬へのそれは、なんだか他の場所とは違うように思う。外国では挨拶程度、親愛の意味だとしても。逆に特別、わたしにとっては〝純粋な愛情表現〟という感じがするのだ。

 それは必要や欲望の介在しない、親しみと、慈しみ、混じり気のない愛情の印。

 それを……唇よりも殊更に、無警戒な場所になんて……。

 

 ──そんなはしたないこと、できっこない!

 

 はっと我に返る。いつの間に顔を寄せたのか、間近にあいつの寝顔があって、勢いよくのけぞった。

 ……いや、そもそもなんでキスしようとしてるんだわたしは!

 しません。しないったら。するわけがないでしょ。

 顔を覆って溜息を吐く。息で唇の熱を冷ます。

 

 

 ──あれ? もしかしてわたし今……ちょっと正気(・・)じゃなかった(・・・・・・)

 

 

 

 ◇

 

 

 

 目が覚めると、視界一杯に咲耶の顔があった。

 

「うわっ!?」

 

 近い!!

 

「あ、起きた?」

「……おまえ、何してんの?」

 

 襲われるところだったのだろうか? なにせ人が寝ている時にやることなんて、寝首を掻く一択である。怖い。

 

「安心して。何もしてないから。ちょっと寝顔を一時間くらい見てただけよ」

「それはそれで怖いな!?」

 

 おかしい。いつもならあまり近くに咲耶がいると、目が覚めるはずなのだが。……そんなに深く眠っていたのだろうか?

 

「熱下がったみたいね」

「え? ああ、うん」

 

 そう言われてようやく思い出す。風邪引いてたなそういや。

 半端に寝ぼけたまま、おぼろげな今朝の記憶をひとつひとつ確かめ──。

 …………。

 

「……俺、すごいこと口走ってたね?」

「うん。反省しなさいね」

 

 やばい、顔が見れん。体調が傾くと理性がどっかに飛んでいくらしい。

 逃げるように立ち上がる。

 

「ありがとう! もう大丈夫だって! だからほら、帰れ! うつるぞ!」

「わたし風邪ひかないし」

「バカだから?」

「あらぁ、吠えるわね! 元気そうで何よりだわ!」

 

 口が滑った。

 咲耶はむすっと不貞腐れる。

 

「ちょっと心配した」

「ごめん」

「お茶でも淹れるわ。待ってて」

 

 そう言って、当たり前のように咲耶はウチの台所に立った。その光景に、なんだか不思議な気分になる。……咲耶が俺の家に、いる。

 別に珍しいものでもない。毎朝来ている。だが、何かいつもとは違うのだ。

 そう、逆だった。いつもは咲耶は客として俺の部屋にくるわけだ。当然俺が茶を淹れる側。だけど今は、俺が目が覚めたときからから部屋に咲耶がいて、当たり前のように薬缶に火をかけている。その光景はなんだか……嫁っぽいというか──いや、これまだ頭茹ってるな!?

 ものすごく馬鹿なことを考えてしまった。顔でも洗ってくるか。

 と考えて気付く。

 一時間もだらしのない寝顔を見られていた……それは、ものすごい恥ではないだろうか?

 

 慌てて身支度を整えた。着替えも死角で済ます。

 あまりその、どうしようもない姿は見られたくないのだ。特に咲耶には。

 いやもう晒したけど。これ以上は流石に意地というものがあった。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 

「復調に半日もかかるなんて不覚だ……」

「ま、風邪を引くなんて最近人間らしくなったんじゃない? 五点加点ってことで」

 

 想像を絶する採点の甘さだった。風邪引いて加点なんてあり得ないだろ。

 ……まあ異世界(むこう)では、風邪どころか出血多量でも死なない有様だったから、それに比べると確かに普通の人間らしくなったのかもしれない。あの世界の法則では精神の方が大事なので、肉体ダメージは現世ほど重くなかったのだ。

 

 雨は穏やかに降り続いている。この部屋は窓が大きいので、雨でも部屋は充分明るかった。電気を点けるまでもない。咲耶は卓袱台に頬杖をついて、ふふ、と笑う。

 

「それに、たまには弱るのも悪くないわ。今なら勝てそう」

「だからなんだよその血の気」

 

 にしても、ただの風邪にしてはおかしかったような気がする。あそこまでぼんやりとするものだっただろうか?

 考えごとをしながら湯呑みの茶を啜る。

 

「ま、わたしのせいで風邪を引かせたようなものだから。責任は取るわ」

「責任?」

 

 咲耶は正座してぽんぽんと膝を叩く。

 

「どうぞ?」

「……何が??」

「膝枕だけど。見たらわかるでしょ?」

 

「なにを言ってるの?」と首を傾げる咲耶。

 なるほど、と頷いて。俺は空になった湯呑みを卓袱台に打ち付けた。

 

「わっかんねえよ!! 『何言ってんの』はこっちのセリフだ! 脈絡がなさすぎる!」

 

 咲耶はきょとんとして、「つまりね」と説明を始める。

 

「あなたが弱っている今が勝ち時でしょ?」

「そうだね」

「でも病み上がりに喧嘩を売るのははしたないわ」

「確かにな」

「だから、精神的優位を取ることで勝つべきよね」

「何言ってんの?」

 

 咲耶は大真面目な顔で言う。

 

「つまり。お詫びを兼ねつつ精神的優位(マウント)を取るために──あなたを甘やかそうと思ったの!」

 

 完璧な論理だと主張する満面。瞳は得意げに輝いていた。

 ……なるほどな。甘やかす、はちっともわからないが。膝枕というのは精神的優位を取るのに合理的だ。無防備に首を晒すわけだから、その体勢を取らせた時点で『いつでも寝首を掻ける』(イコール)『勝ち』と解釈できる。筋は通って……

 

「いやおかしいだろ!」

 

 筋が通ってるわけないだろ!

 

「膝枕はイヤ?」

「違う!!」

 

 立ち上がった俺を、咲耶は見上げて首を傾げる。……まさかこの女、本気でわからないのか? 

説教(はなし)が長くなりそうだ。とりあえず正座をさせようと思ったが、咲耶は既に正座している。──しまった。俺は「正座しろ」以外の説教の始め方がわからない。

 咲耶は座り込んだまま、何かを考えるように俯いて。

 厚い胸部装甲を、ふに、と自らの手のひらで持ち上げた。

 

「……やっぱり、胸の方がいい?」

 

 白いブラウスの山は、装甲などと言って誤魔化せないほど柔らかにたわんだ。

 

「は?」

 

 マジでなに言ってんのこいつ? 

 

「だってあなた、見てるじゃない。普段から、わたしの胸」

 

 沈黙する。眉間を揉んだ。

 

「いやっ、それは……好きな子の胸は、見るだろうが!!!」

 

 六畳間がシンとした。嘘だ。雨音はなんかいい感じに窓を打っている。侘び寂びだなぁと現実逃避するが、長くは持たない。

 

「…………すみません」

 

 正座した。

 駄目だ、今日。病み上がりで理性が効いてないから口が滑る。あんな最低な告白あるかよ。言い訳としても見苦しい。死ね俺。

 

「い、いいの! わたしも……その……似たようなもの、だから!」

 

 なにが? 咲耶も俺の胸を見ているということか? 怖。男の胸を見て何が楽しいんだ……。いや、妙な暴露したからそれは見るか。俺でも見るわ。

 ……死ぬか〜!

 

「ちょっと恥ずかしいけど、別にそういう目で見られても……」

 

 妙な気まずさに支配された空気の中。咲耶は少し目を背けて、か細い声を出す。

 うっすら頬を染めて、見上げる。

 (はしばみ)色の瞳が、薄暗い部屋の中で潤んで輝く。

 

 

「──あなたになら……いいわよ?」

 

 

 一から十まで何を言ってるのかわからなかった。

 困惑している間に、咲耶はするりと制服のリボンを解き、ぷちぷちとボタンを開け始める。白い、餅のような肌が柔らかに晒される。目の前の光景の意味がわからなすぎてガン見した。

 

「いや、よくねえよ!!」

 

 我に返る。

 

「嫁入り前の娘が肌を晒すなこの、バカ!!」

「どうして? いずれあなたに嫁入りするのに?」

「急に何言ってんだ!!?」

「あ、婿の方が良かった?」

「ちげえよ! 全部違う! ……な、なんでおまえ! そんなことを! こんな状況で言うんだよ大馬鹿が!!」

 

 最低だ! 咲耶には情趣がわからない。こいつはいっつも大事な話を微妙なところでする! 論理も頭も品性も貞操観念も全部おかしい!

 

 ボタンを全部外そうとしていた咲耶の腕を咄嗟に掴む。

 

「とりあえず、脱ぐな!!」

「きゃっ」

 

 そのまま勢い余って、重心は彼女の後ろへ。畳の上にもつれるように倒れ込む。身体の接触だけはぎりぎりで回避した。だがその距離はほとんどゼロと言ってよく、重なり合う視線と無言の間がじっとりと重かった。

 雨脚が強くなる。日が暮れて、部屋の中が暗くなる。

 探り合うように見つめる。

 

「……いつかもあったなこの構図」

 

 ずっと物騒で余裕のない喧嘩ばかりしてきたから、組み伏せるくらいは別に、初めてではない。

だが、見える景色が違う。潤んだ瞳に、ブラウスの合間から溢れるレースと、ほのかに赤い張り詰めた柔肌は、けして彼女の戦装束たるドレスの時とは、大気越しに伝わる温度が違う。

 そして──普段の言い合いで済ますにも、少し喧嘩を売られすぎていた。

 

「……退かないの?」

 

 頬を赤らめながらも、彼女は挑発的に口角を上げる。精神的優位を取ると宣言した通り、ここで引くつもりはないらしい。買い文句で返す。

 

「退いて欲しいなら退けって言えよ」

 

 咲耶は何も言わなかった。

 ……こいつ。

 危機感がないのか。舐められているのか。わかっていないのか。それともわかっていてやっているのか。

 正解が、わからない。

 頭が(・・)うまく(・・・)回らない(・・・・)

 

 ……難しく考えるのはやめだ。あえて勝ち負けだけを考える。

 ここで挑発に乗ってまんまと胸を揉んでみろ。それは確実に負けだ。据え膳を食わないことより、大人しく食うと舐められている方が恥なのだ。俺は痴女には屈しない。

 勝負の勝ち方はシンプルだ。相手の思惑通りに運ばせないこと。不意を打ち、意表を突くこと、予想を裏切ること。たかが恋愛だって、やるべきことは同じだ。

 

 理性の(・・・)出力が(・・・)下がって(・・・・)いく(・・)

 

 ──恋人未満で、どこまでが許される?

 ──どうせ将来的に付き合うならば、いいんじゃないか?

 膝に、胸に、触れていいと彼女は言う。感情の確認、合意はとっくに済んでいるのだ。

 ──最終的に責任を取るならば、今、唇に触れて何がいけない?

 いけない理由なんて、ないだろう。

 

 掴んだ手を離す。咲耶は逃げなかった。

 顔を近づける。咲耶は目蓋を閉じた。

 合意の返答と解釈。

 だから、彼女の唇に、触れようとしたその手前で。

 

「…………あっ」

 

 数ミリ先の唇から小さな吐息が漏れた。

 訝しんだその瞬間。

 咲耶は目を見開いて。

 

 

「──ごめんなさいっ!!」

 

 

 ゴンッ! と強い衝撃が脳を揺らした。

 触れたのは唇ではなく額同士、つまり。

 

 

 ──全力で、頭突きされた。

 

 

 

 

 

「痛っっで!!?」

「っぅ〜〜!」

 

 全力の頭突きに二人して畳で悶絶する。

 今、絶対割れた! 絶対脳味噌真っ二つに割れた!

 

「おまえ、いきなり何を……!!」

 

 ていうかこの威力、咲耶の方は額割れてないか!? 大丈夫かよ……。

 チカチカする視界の中で、隣を伺う。咲耶は酸欠の真っ赤な金魚みたいな顔で、血の滲む額そっちのけに両頬を押さえていた。

 

「あ、あああ、あ……、わ、わた、わたし、なんてことを……っ」

 

 その様子に、ようやく冷静になる。よく考えてみれば──さっきの自分は、最低だったのでは?

 

「悪い、その、さっきのは!」

「違うのっ!!」

 

 謝罪を振り切って、咲耶は立ち上がる。

 

 

「……ごめんなさい!! 近付かないで!!」

 

 

 そう叫んで、彼女はそのまま窓から逃げ帰った。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 流石に追えない。俺は保冷剤を取りに行って、そのまま冷凍庫に頭を突っ込んだ。頭がよく冷える。 

 ──冷静に考えて、付き合ってもいないのに接吻なんぞ許されるわけがなかろうに。

 

 

 

「……よし。切腹するか」

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