彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。)   作:さちはら一紗

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更新遅れました。昨日の分です。






第十九話/エピローグa いつかは君の絶対に。

 とは言うが。さて。

 

『本気で帰るつもりは毛頭なく、』

 

「当然、帰すつもりもないな」

 

 

 俺の目的は奴に不死の解呪方法を聞き出すことであり、吐くまで決して帰すわけにはいかない。

 奴の目的はかの異世界を滅ぼすことであり、弟子たる最高傑作の魔女を連れ戻すまでは帰れない。

 

 どれほど状況がおかしかろうと、命と命運を懸けていることには変わりなく。

 互いにふざけている場合ではないことは重々に承知していた。

 先の軽口はすべて虚勢だ。呪術への対抗に精神の強度を求められる異世界の理では、余裕を取り繕えない者から死ぬ。

 

 それに今は。ふざけでもしなければ──授かった呪いに呑まれてしまいそうだった。

 

 魔女の口付けのせいで、身体中が焼けるように熱かった。得体の知れない高揚が精神を侵して、思考は加速し感情は膨れ上がる。

 本来、勇者の剣は感情を削ぎ落とすものだ。人為的作りだす明鏡止水の境地、無我の剣でなければ天の竜には届かない。その哲学に基づくもの。

 しかし魔女の呪い(それ)は真逆。彼女の魔法は情念を薪に燃やすもの。強い感情を暴走させ、狂気の淵に足をかけることで力に変える。

 性質はまったくの真逆だ。過ぎた熱は氷にも似る。火傷と凍傷が似るように。真逆ということは、ある意味で似ているということなのだ。

 

 つまりは──呪いの効果は似て絶大。心身は異世界時代の全盛へと巻き戻っていく。

 

 ──長くは持たない。

 強化とはいえ呪いであり、それは確実に心身を蝕む。思考が散らばり始めている。思考の裏で感情が荒れ狂っている。かろうじて、聖剣の精神制御でねじ伏せる、が。

 ──あいつはいつもこんな状態で戦っていたのか、と嘆息する。

 

 

 

 

 上空、こちらを射抜こうとする魔術(ほし)の雨は今も降り続けていた。

背後では、咲耶が奴の降らせる魔術を書き換え続けている。

 為すのは魔術の乗っ取り、主導権の取り合い──魔王がこちらへ転移した時に咲耶に仕掛けたのと同じことだ。

 放たれる(ほし)を撃ち返し、相殺する。

 だが『師匠越えには早い』という言葉に嘘はなく、敵は魔術において格上。すべてを防ぐことはできない。一手でも間違えれば総崩れとなる危うい消耗戦だ。

 それでも魔女は術の威力が強められた今も同じレベルの防衛を維持し、相手のリソースを削り続けている。行使する呪いの性質上、代償を支払い平静とは程遠い精神状態の中、彼女の為せる限りの『完璧』を差し出している。

 ──俺が、必ず勝ちに繋げると信じて。

 

 

 

 俺は上を見上げる。敵の位置を、高度を、彼我の距離を読む。

 眼前を海が阻み、いまだ空には星の矢が飛び交うが──道は、見えた。

 

 

 一歩《いっぽ》──地を蹴る。降る(あめ)の隙間に自らを射出する。眼前は緋海。人の歩みを拒む無慈悲な水面が待ち構える。

 正確無比に動く身体に反し、精神は過去と今の狭間に囚われ現実を置いて加速する。

 脳の内側で声が、反響した。

 

 

 ──かつて俺は、彼女に言った。

 

『おまえは俺に絶対に勝てない』

 

 ──否定しよう。君は強い。

 彼女は、自らの意志で世界を滅ぼすと決めた。ただ使命に従うだけだった俺とは違う。地の底でただひとり、立つことを決めたのだ。

 だからその主張がどれほど歪んでいても、その覚悟には価値がある。その強さに、俺は敬意を払い続けている。

 

 

 二歩──水面に頭を覗く僅かな岩を踏み締める。バキリと音がし、足場は砕けた。

 

 ──かつて俺は彼女に言った。

 

『俺は最強だった』

 

 ──否定しよう。真に最強であるならば、すべてを手遅れになる前に救えて然るべきだ。でなければ名乗る資格はない。

 どれほど君が強かったとしても。どれほど君の覚悟に価値があったとしても。俺が勇者(最強)であるならば。そんな覚悟を決めてしまう前に救えなければならなかった。

 

 

 三歩──足場はもうない。水面を蹴る。昔はできた。なら今もできる。

 

『俺は何も救えてなどいなかった』

 

 ただの事実だ。──だがあえて否定しよう。

 たとえ救えない過去があるとして。絶望や後悔は常人(ただびと)にのみ許される贅沢品だ。この手に力がある限り、そんなものは許されない。

 君が、俺の願いを叶えようとしたように。俺だって君の我儘くらいは聞いてやる。世界を滅ぼす願いは聞けない代わりに、仇討ちくらいはやってやる。君の剣くらいには、なってやる。

 

 ──四歩。目指すはただ上空。天より見下ろす悪鬼羅刹。この剣先を届かせなければならない。飛ぶ矢すらをも踏み抜いた。だがまだ足りない。まだ届かない。

 それでも。

 

 

『──わたしの、絶対のヒーロー』

 

 

 彼女は言ったのだ。間に合わなかった俺のことを、そう呼んだのだ。

 ──否定など、するものか! 

 それがどれほど事実とかけ離れた空言だとしても。

 好いた女の〝絶対〟の信頼に。

 

 

 

「応えられないようじゃ、格好がつかないだろう!!」

 

 

 

 ──五歩。思考が焼けつくその前に。身体が動かなくなるその前に。何もない宙を蹴り飛ばし、(くう)を跳ぶ。

 余裕はない。限界を超えた運用に肉体が悲鳴を上げる。無理に無理を重ねてようやく手にしたこの一歩に、先はない。

 

 だが、余裕がないのは敵も同じだ。

 魔王は既に第一原則に反した転移に受肉という大魔術を成した後。斬り飛ばした腕が癒える様子もなく。変化(へんげ)半人半竜で留まっている。

 限界だ。どれほど傲岸不遜を取り繕っても、それは醜い虚勢でしかない。

 

 ──奴が命ひとつ分を賭け金に為せるのはここまでだ。

 

 剣を、振りかざす。

 一度殺した相手を、二度殺せないわけがない。

 

「ここで詰みだ、クソ魔王」

 

 迫る眼前。秒を切り刻んだ時間の中で。

 奴の、少女の顔が嗤うように歪んだ。

 

詰むのは(・・・・)キミだよ(・・・・)

 

 少女(魔王)は指を、拳銃のように差し向ける。

 その先に装填される、光の矢。その輝きはこれまでのどの矢よりも強い。必殺の一撃と理解する。

 詠唱。

 

 

『──墜ちろ。「流星(La-sta)」』

 

 

 至近距離より、心臓目掛け魔術が放たれる。

 避けられない。

 否。俺は、避け(・・)なかった(・・・・)

 

 

「──喰え! 『竜殺し(Rapisgram)』!!」

 

 

 矢が肌を裂き、肉を抉り、血管を引き千切る。

 だが。

 その矢が刺さったのは心の臓ではなく、生身の左腕。

 狙いは外れた。外させた(・・・・)

 

『…………』

 

 ──ずるりと、少女の首が落ちる。

 

 矢が届くよりもこちらの斬撃が僅かに速かった。ただそれだけだ。

 ただそれだけで、勝負は決する。

 

 

 

 

 

 

『……ク、ハハハ、これが勇者か! 滅私の傀儡(くぐつ)が! 今やエゴで駆動し、情念を剥き出して、だのに躊躇もなく友と同じ首を刎ねるか! 矛盾している……恋に狂う魔女といい──まったく、キミたちは度し難いバケモノだ!』

 

 見知った少女と同じ首は、落ちながら嗤う。

 喋り過ぎる生首に言われたくはなかった。

 

 

 ──誰がバケモノだ、誰が。

 

 

「人間だよクソ魔王」

 

 

 

『──いいやバケモノだよ(・・・・・・)。キミは』

 

 

 

 自らの死を薪に。落ちる首は、最期に呪う。

 だが。そんな呪いを聞く耳は必要ない。そんな言葉に動かす心は必要ない。勝者が死者の戯言(ざれごと)を聞く義理はない。

 

 

 そして俺もまた、墜ちた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 落ちた先は浅かった。いつの間にか此処の景色は海から川に戻っていた。両手に固く握りしめた剣を川底に突き立てて、ようやく身を起こす。

 

 

 気は昂っていた。目が冴えて、夜の雨の中とは思えないほどくっきりと見えた。

 痛みはなかった。まったく、これっぽっちも。

 手には確かな、首を落とした感触が残っている。

 生理的なその忌避感を塗り潰すかのように脳内麻薬が止まらない。

 気分が、良かった。酩酊に、どこか似ていた。

 高揚が溢れかえる。

 

 

「……あっ、は、ははハハッ!! やればできんじゃん!!」

 

 自分の声が遠い。果たして俺はこんな甲高い声で笑う人間だったろうか。わからない、わからないが、ひどく心地が良かった。

 

「……そうだ、まだやれる」

 

 ──まだ(・・)殺ら(・・)なければ(・・・・)ならない(・・・・)

 

 水を押し除けて陸へと上がる。落ちた魔王の亡骸の場所へと向かう。

 首のなく血の出ない肉体は、砂利の上でマネキンのように横たわっている。が、奴はかつて灰からも蘇ったのだ。まだ生きているに違いない。

 奴は命が七つあると言った。ならばあと五つ分……五つ? 五つであっているのだろうか? 頭が回らない。数が数えられない。呪いの反動だろうか。イカれてきたな、と理性が言う。……まあいいか。大したことじゃないだろう。

 

 ──どんなバケモノも死ぬまで殺せば死ぬ。

 ──何度だって殺せばいい。

 

 そして、そうしたら、今度こそ──俺はすべてを(・・・・)救える(・・・)!!

 

 

 思考が溶けて壊れていく。理性が乖離していく。

 

「もう無理よ!」

 

 聞こえない。聞こえた言葉の意味を認識できない。

 

 

「っ……置いていかないで、って言ったじゃない!!」

 

 

 ガクン、と引っ張られるように、足が止まる。振り向けば、右腕が掴まれていた。剣の一部分であるそれを、掴む彼女の手が、じり、と焼けていく。

 

「つ、……ぅ」

 

 苦悶に歪むその顔に、いくとどなく繰り返す自傷でも聞かぬその声に、愕然として我に返る。掴まれた腕を振り払う。

 

「おまえ、何を……」

 

 ──そこで初めて、視界に彼女が入る。いつの間にか、彼女は魔女から人間の姿に戻っていた。

 頬を雨に濡らして、咲耶は言う。

 

 

「二戦目は、無理よ。あなたの身体が持たないわ。……お願い。たとえ、ここでアイツを完璧に殺せるとしても。あなたが無事じゃなきゃ意味がないの!!」

 

 

 何を言われているのだろう? と、訝しんで。

 ようやく、自らの身を顧みる。左腕の傷から夥しい量の血が、流れ出していた。

 別にこのくらい──ああ、そうか。

 ──ここは現世だから。血が足りないだけで、死ねるのか。

 

 

 

 理解した途端に、身体が重くなる。強化は解けたらしい。

 思考がおそらく正常になる。正気と共に痛みが帰ってくる。無理矢理に動かした肉体が盛大に軋みを上げていた。乱れた息を、吐き出す。

 

「おまえ、いつもよく、ここから戻って来れるな……」

「……慣れたわ」

「慣れるなよ、んなもん」

 

 ──ああ、クソッ、あと少しだったのに。

 

「……勝ちきれなかった」

「いいえ。わたしたちの勝ちよ。──『閉じろ』」

 

 突如。辺り一帯を覆う結界が、ばつんと弾ける。否、弾けたと錯覚するほど急激に収縮する。死体を起点に(・・・・・・)

 そして死体は消え、代わりに残されていたのは小さな籠だ。

 籠の中には貧相な黒蜥蜴が収まっている。籠が封印の術式であり、黒い蜥蜴は竜だった。

 

「あなたが戦っている間に、結界を乗っ取って……封印の術式に書き換えておいたの。悪い魔法使いは捕まえたわ。これで、あとは聞き出すだけ。──完璧ね? 大勝利」

 

 咲耶は、多分泣きっ面で微笑んでみせた。雨のせいでよくわからなかった。視界が霞んでいた。

 

 

「……はは。やっぱおまえ、すごいよ」

 

 

 緊張の糸がぶつりと切れる。

 途端に限界が来て、「あ、駄目だこれ」ということだけ理解する。

 

「ごめん、咲耶……ちょっと寝るわ」

 

 傾く身体が受け止められる。

 

 

「……ばか。それは気絶っていうのよ」

 

 

 落ちていく意識の中、遠くから戻ってきた芽々の声が聞こえた。

 雨は、まだ降り止まない。消えかける意識の中で微かに問う。

 

 

 

 ──俺は君の絶対に、足るだろうか。

 

 

 女々しい問いだ。答えなどわかりきっている。

 

 

 まだ遠い。

 理想が、まだ。

 

 

 

 

 

 

 

  ◇

 

 

 

 

 

 

 ──決着の、その後のことだ。

 

「ねえ飛鳥。わたしには病室に窓から入ってこないだけの良識があるのよ」

 

 扉から入ってきた咲耶はベッドの前で腕を組む。

 

「それなのに。どうしてあなたは、窓から身を乗り出しているのかしら?」

 

 

「……逃げるためだが?」

 

 

「なにから?」

「おまえから」

 

 

 ──あの後。一度起きて病院まで行ったことまでは覚えている。自力で歩けるくらいには軽傷だったのだが、そのまま呪いの反動でぶっ倒れてしまったらしい。気絶すると問答無用で入院させられるからやめた方がいい。失態だ。俺はそのまま家に帰るつもりだったのに。

 つまるところの現状、俺は入院患者で、咲耶は見舞客というわけだった。

 

 

「いや、なんで逃げる必要があるのよ」

「……合わせる顔がないだろうが」

 

 咲耶は「ああ」と合点がいったように頷いて。ひらりと手を振る。

 

「別に、気にしなくていいのに」

 

 怪我とは無縁のはずの、咲耶の両手には包帯が巻かれていた。

 

 

 ──呪いの影響で思考が溶けていたあの時の、記憶は曖昧だが。

 それでも、彼女が俺の剥き出しの右腕を掴んだことは覚えている。そうして掴んだ咲耶の手が焼けたことも、はっきりと。

 再生は発動しない。俺がつけた傷に限って、咲耶の治りは常人並みになるようにできていた。

 何故そんなことをしたのかを問うほど馬鹿ではない。あの時あの瞬間、そうでもされなければ、多分。俺は我に返ることがなかっただろう。

 

 ……暴走しかけて怪我をさせるなど、切腹ものだ。負傷について謝るのはルール違反としたせいで土下座もできない。逃げたくもなる。

 しかし往生際が悪いのはもっとダサいので、逃亡は断念し大人しくベッドに戻った。

 

「それからその、だな……あんなことがあった後で、素面で会えるわけがないっていうか……」

「あんなことって、どれ?」

 

 咲耶は、ずいとベッドに身を乗り出す。不可解そうに潜めた形のいい眉。

「声小さくてよく聞こえないの」と大きな目がこちらを見つめ、綺麗な顔がこちらに迫り──いや、だから!

 

 

 

「なんでおまえ、人の口吸っといて平然としてるんだよ!!」

 

 

 

 おかしいだろ!! それが一番!!

 ……いや、本当にそうだろうか。問題の優先順位はそれでいいのだろうか?

 駄目だ、理性が鈍い。キスの後遺症で頭がボケてるかもしれない。いや、なんだよキスに後遺症って……おかしいだろいい加減にしろよ……。

 

 間近の咲耶は、ぱちくりと目を瞬いて。自らの指を唇に当て、呟く。

 

「……ああ、そっか。あなたは恥ずかしかったのね」

「は?」

「わたし、口にキスってあまり、恥ずかしくないのよ」

「は??」

「あ、勘違いしないでね。正真正銘あなたが初めてよ?」

「は???」

 

 こちらが困惑している間、咲耶は「それは良くない、対等じゃないわ……うん、さいわい個室だし……」などとぶつぶつと呟いて。

 

「ねえ」

 

 じっと彼女の目が、俺を覗き込む。包帯の巻かれた彼女の指が、俺の頬を撫でた。絆創膏の下でちり、と焼ける痛みが走る。

 確か──あの時も、こうして頬に触れられた。既視感で身が竦んだ。

 硬直したこちらに、咲耶は口早に唱える。

 

「これは文脈として親愛を意味するし接触も最低限つまり呪術的効力はまったくこれっぽっちもないイコール平気という意味なのだけど」

 

 呪文のごとく捲し立てられた言葉の意図を理解するよりも、早く。

 

 咲耶の顔が、近付いて。

 空いている左頬に僅かな、くすぐったく触れる感触と。

「ちぅ」と躊躇いがちな、

 音が、

 

 

 

「………………は?」

 

 

 

 怪我のことも忘れて、反射的に頬を押さえた。

 ぱっと距離を取った咲耶は、背けた顔を真っ赤に染めて。

 

「その……わたしには、唇よりもこっちの方が恥ずかしい、わけだから……」

 

 唇を隠したまま、潤んだ目でこちらを見上げ。

 

 

 

「……これで、おあいこね?」

 

 

 

「は、はぁ〜〜〜!?」

 

 

 なんでそうなる、論理がおかしい、こればかりは対等とか公正とか関係ない話だろう!

 正座させられたいのか?? だが床に正座させるのは如何なものか……と考えて。

 

 

 

 ──そこで、ようやく大変なこと(・・・・・)を思い出した。

 

 

 

 

「…………ごめん、芽々。おまえのこと忘れてた……」

 

「え?」

 

 ニョキ、っと。

 芽々がベッドの下から(・・・・・・・)生えた。

 

「な、な……!?」

 

 咲耶は目を瞬いて。ぼっと肌を炎上させた。

 上半身だけを隙間から出して、芽々は床に転がったまま、げんなりとぼやく。

 

「えぇ〜気まず〜……。芽々、色恋沙汰は好きですけど、人の情事を覗き見る趣味はないんですよ……」

 

 いや、情事って言うな。

 

「…………なんで芽々がいるのよ!!」

「先にお見舞い来てたんですけど、『ヤベェ、咲耶の気配がする! 隠れろ! 俺は逃げる!』って、ひーくんが言うから」

「なんで言ったのよ」

「流れだ」

「なんで従ったのよ」

「ノリです」

「揃ってばかなの?」

「かもしれん」

「かもじゃなくてばかよ」

 

「いや、ごめんな。ほんと」

「芽々も逆土下座で謝ります」

「それ寝っ転がってるだけだろ」

「ばれましたー?」

「…………反省してない!!」

 

 芽々はようやくベッドの下から這い出す。

「それじゃあ芽々はご退散しますね」と膝を払い、部屋を出て行こうとする。

 だが、その前に。

「あ、言い忘れてましたけど」とくるりと振り向く寧々坂芽々。

 

 

 

「──助けてくれて、ありがとうございます」

 

 

 

 眼鏡の奥のその瞳に星はもうない。

 

 

 

「このご恩は必ずや、です」

 

 

 

 芽々は一切のおふざけがない調子で、礼を言った。

 拍子抜けして曖昧な返事を返す。

 ……あいつも意外と真面目な奴だな。

 

 

 

「あと、サァヤは紐でした。さっき見た」

 

 ……ヒモ?

 咲耶がばっとスカートを押さえた。

 ああ、なるほど…………。

 

 

「帰れ!!!」

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 ぴゅうっと嵐、もとい寧々坂は去った。きっと寧々坂芽々の辞書に反省という文字はない。あいつ……。

 まあ、それを差し引いても、芽々には礼を言わなくちゃいけないのだが。

 

 ──あの後、逃した芽々は戻ってきたのだ。タクシーを呼んで。そのまま病院に叩き込まれたわけだが、正直ありがたい話だった。流石にあのまま徒歩で病院まで行くのはつらかった。

 

 

 しかし芽々がいなくなり、二人きりになった途端、お互い無言になる。

 

 ──実はあれから、丸一日が経っていた。

 怪我の方は体感的に大したことはないのだが。原因不明の高熱で意識が戻らなかったらしい。いや、不明というか原因はアレなのだが。

 

 

「目が覚めなかったら、どうしようって……思ってた」

 

 口付けによる強化──即ち『最大の精神攻撃になる呪いを無理矢理に強化魔法に組み替える』なんてことがリスクなしで済むはずがない。『どうなっても責任は取る』なんて不穏なことを言うわけだ。

 

 すとん、と椅子にかけて。咲耶は声を絞り出す。

 

 

「……無事で、よかった」

 

 

 苦笑する。

 

「無事というにはお互いボロボロだけどな」

「そうね、本当に」

「無事の基準がバグってんだよ。無傷以外無事じゃないだろ常識で考えて」

「あなたがそれを言うの?」

「反省だよ」

 

 分かってはいるのだ。咲耶のことを鈍臭いなどと笑えない。

 奇襲と一撃必殺が専門なので、正面からかち合うと防御がどうにも甘かった。 

 ……もしかして俺、実は勇者じゃないんじゃないか? 異世界語の翻訳ニュアンスと日本語の語義が噛み合っていない気がする。

 多分忍者とかの方が向いている。俺は影が薄いしな。きっと天職だ。次は忍者になりたい。

 

 などと反省文を脳内でしたためていると。

 咲耶が、ふっと静かに笑った。

 

「……わたしも、ようやくわかったわ。あなたが無傷で勝たないと意味がないって言ったこと。完璧に勝たないといけない意味が」

 

 そうだ、何故ならば──

 

 

「──入院費(コスト)が、嵩む」

 

 

「それなのよ」

 

 

 顔を見合わせて、頷いた。

 

「期末試験も追試が確定なんだよこれで……」

「だめね。勝負に勝って社会に負けてるわ……」 

 

 ずぅん、と空気が重くなる。

 果てしなく大問題だった。学生の本分こそは学業であり、異世界なんざ所詮『その他』に分類される雑事であるべきだ。だから余裕綽綽でクリアしないとならないというのに、本業に影響が出るようでは片腹痛いし物理的にも痛い。

 

「……二度と怪我しない。二度と」

 

 鍛え直すか、山で。

 

「わたしも、二度とあなたに呪いなんてかけないわ」

 

「…………」

「…………」

 

 決着はついたのに何故か祝いのムードにならない。

 完全勝利(100点)を取る気で望んだら辛勝(60点)が返ってきた試験返却日のような有様だから、そうもなる。

 

 何よりも──お互い『これであっさり終わるわけがない』という予感があった。

 

「……ま、でも。六十点あれば合格だろ」

 

 異世界(むこう)じゃ手を組んだ後も散々な仲だったので、連携なんてこれっぽっちも取れなかったことを思えば。

 

「次はきっと、もっとうまくやれるさ。俺は伸び代しかないからな。身長だってまだ伸びる」

「まだ欲しいの?」

「でかいと強い」

 

「?? わたし、ヒール履くのやめようかな……キスしやすくてよかったのだけど」

 

 …………鍛え直すか、滝で。

 

 

 

 

 

 

 

「あ」

 

 咲耶が何か思いついたように声を上げた。

 

「思ったのだけど、キス、二回ともわたしからじゃない?」

「……だから?」

 

 ものすごく嫌な予感がした。

 咲耶はものすごく真剣な顔で言う。

 

「…………不公平じゃない?」

 

「何言ってんの?」

 

 何言ってんの?

 

「わたしたちの関係は対等であるべきよね」

「そうだな」

 

 

 

「つまり──飛鳥もわたしにキスするべきじゃない?」

 

 

「頭お湯か?」

 

 

 

 きりりと目を輝かせる咲耶(アホ)

 

「今なら何を言っても『呪いの後遺症だから仕方ない』で片付くことに気付いたわ!」

「言ってんだよ腹の内全部」

「ほっぺたでいいのに?」

「おまえそれさっき一番恥ずかしいって言っただろうが!」

「細かいことはどうでもいいと思わない!?」

「よくねえよ!! 恥を知れ、時と場合を弁えろ!!」

「わたしにキスしてよ!!!」

「い・や・だ!!!」

 

 

 咲耶はしゅん、と縮んだ。やばい、強く言い過ぎたか。

 傾げた首が、不安げな瞳が、こちらを見る。

 

 

「……イヤ?」

 

 

 顔を背けた。

 

「今は、格好悪いから、嫌だ」

 

 時と場合を弁えてほしい。

 病院は嫌いだ。ここじゃ何をやっても格好が付かない。

 

 

 

「…………いつか、そのうち。な」

 

 

 

 横目に見る。

 咲耶はあきれたようにくすくすと笑った。

 

「意地っ張り。格好つけ」

「うるせ」

 

 

 

「でも好き」

 

 

 

 そう言った彼女は、とびきりの、笑顔で。

 

 

 

 返事に詰まったのは多分。

 世界のせいなんかじゃなかった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 わたしは思う。

 ──ほらね、思った通り。簡単じゃあなかったわ。

 

 現実は中々思うようにはいかなくて。時々軽口ひとつ叩くのにも不自由して。触れ合うことすらままならない。普通に恋をすること、ただそれだけがどうにも難しい。

 

 それがわたしたちの現実で。もう少し、それが続くのだろう。

 

 

 でも、きっと大丈夫だ。あなたが「なんとかするさ」と言って、わたしが「そうね」と答える限り。

 今のわたしには、あなたの無茶を止めることすらできないけれど。あなたと一緒に無茶をすることくらいは、できるのだから。

 

 二人ならば。こわいものなんてひとつもない。──そうでしょう?

 

 

 

 そうして走り続けて、変わり続けて、助けられた分を助けて。

 あなたの隣にいられればいい。

 

 あなたが、わたしの絶対であるように。

 いつか。

 わたしが、あなたの〝絶対〟になれたらいい。

 

 

 

 

 ──そう願って。

 わたしはあなたに恋を、し続ける。

 

 

 

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