彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。) 作:さちはら一紗
ルビミスってて申し訳ない。
気がつけば俺は咲耶の家にいた。
漂い始めた香ばしい匂いと、摂取した
入ったこともないのにここが「咲耶の家」だと認識しているあたり、記憶には残っているんだろう。俺はソファの上でこれまでの経緯を遡り、
「………………」
割とすぐ、全部思い出した。
「腹切って詫びるか……」
ものすごい醜態を晒した。死ぬしかない。ここが往生際だ、とソファの上で姿勢を正し、
「いや、剣がないわ」
そうだよ。もうないよ。聖剣とか。
やべえ。今完全に異世界ボケしてた。
俺の独り言を聞きつけたのか、台所の方からぱたぱたと足音がする。
「その様子だとようやく頭にカロリー回ったみたいね。人語、解せる?」
咲耶がこちらへとやって来る。
家で見る彼女はいつもとはまったく違う雰囲気だった。飾りげはないが自然体な休日の私服には、赤いエプロンを重ねている。長い髪は後ろでひとつに束ねられいた。咲耶のポニーテールは初めて見る。細い首筋が惜しげもなく晒されており──端的に言って、どきりとした。
ほとんど起き抜けみたいな頭には強すぎる刺激で、動揺しながら彼女をまじまじと見る。
咲耶は仁王立ちし、冷ややかな眼差しで微笑んだ。
「──何か、言うことは?」
言うこと。その髪型とエプロン、めちゃくちゃいいと思──ではない。
正気に返った。それどころではなかった。俺はソファの上で正座したまま頭を下げる。
「人体の脆さを完全に忘れていました」
咲耶は腕を組んで、こくこくと頷いていた。
「そうね。あなたの言うこともわかるわ。この二年、土手っ腹に穴が空いても死なない世界で生きてたもの。ファンタジー補正よね、幻想の濃度が高い異世界ってすごーい! ……でも、現世はそんなことないから。タマひとつ腹に食らったら死にますからね、うつし世は。飯抜いても死ぬのよ」
語彙が咲耶にしては上品じゃない。タマとか飯とか普段の咲耶は言わないのだ。これは、相当に怒っている。
「その……この借りは必ずや」
くい、と顎を上げたままこちらを見下ろす視線。
「別に、返さなくていいわ。借りならわたしのほうがあるし」
そうだろうか。
──借りがあるのは、こちらの方だ。
「ま、これ以上責めるつもりはないから。あなたにはあなたの事情があるのは考慮します。わたしがそれに対し、どうこう言えることはない。けど」
咲耶は、眉を下げて、か細く言う。
「……助けのひとつも求めてくれないのは、寂しいわ。友達なのに」
ぐさりと胸に刺さる。
「すまん」
「まったく。二度目はないんだからね!」
「それで、その。話があるのだけど」
正座したまま俺は頷く。
「ええと。カレーに、具を追加したんだけど、ね?」
咲耶はしどろもどろに、視線を彷徨わせ。
「……なんか、入れすぎて味がボケた。水っぽいし酸っぱい……助けてぇ……」
仁王立ちから一転、表情がふにゃふにゃになる。
「おまえ……」
なんでそんな一気に崩れるんだよ。
「何よぅ。あなたに『助けを求めろ』と言った手前ですからね、わたしは実践するわ。あなたとは違うので。あなたとは違うので! 文句ある⁉︎」
「いや、えらい」
「舐めてんの?」
「感動している」
「棒読みなのよ」
本心なのに。
「正直、とっても情けないけどね! でも美味しくないものを出すよりマシなのよ‼︎」
「俺は、おまえのそういうところが割と好きだ」
「……⁉︎ いや、褒めてないでしょ! 褒めてないわよね今の、っていうかあんた、さてはまだ頭回ってないな⁉︎」
……いや。やけくそとはいえ、包み隠さず正直に言える強さは、俺にはない彼女の美徳だと思う。本気で。
さて、彼女について台所に向かい、鍋の中身を覗き見る。ちょっと赤みがかった普通のカレーに見える。
「……これ、なんとかできる?」
言われるがまま味見をする。正直、俺は味とかよくわからないのだが。
「十分美味いよ」
「お世辞はいいから」
本心なのに。
とりあえず調味料をいくつか使い、咲耶に味見をしてもらいながら整える。
「……美味しい!」
「よかった」
「飛鳥って、料理上手よね」
「別に上手くはないけど。ばあちゃんに最低限は仕込まれてるから」
「へぇ〜。そうなんだ」
相槌の声音がなんだか嬉しそうだった。不思議に思って咲耶を見る。
「飛鳥っておばあちゃん子だったんだな〜って。あなた、全然自分のこと教えてくれないじゃない? わたし、あなたがどんな人でどんなふうに育ったかなんて知らないもの。それがちょっと知れてうれしい」
「それはお互い様だと思うけど。……まぁ、友達だし」
「そっかー。友達かー。ふふ」
咲耶はにこーっと笑う。身体もわずかに跳ねて、束ねた髪が揺れた。
……あ、もしかしてこいつ。今日はすごく機嫌がいいな。というか元々機嫌がよかったから、「カレー食べる?」しに来たのか。俺が機嫌を損ねていただけで。
よくわからないけど機嫌直ってくれてよかった。ありがとうばあちゃん。今度好きだったまんじゅうと激辛のカップ麺を供えに行こう。
と思いながら調味料を戻すため、冷蔵庫を開けて気付く。
「なぁ咲耶。なんで焼肉のタレだけ何種類もあるんだ?」
咲耶が顔を背けた。
「…………おまえ」
「お、美味しいじゃない!」
「舌が庶民なんだな、エセお嬢様」
「さよなら、わたしのイメージ……」
「おまえのことを知れてうれしいよ」
「知らなくていいこともあるのよ、この世には」
そうか、世界の真理を知ってしまったな。
そして大皿が二人分、テーブルに並ぶ。
ごろごろと具の入ったカレーなんて本当に何年振りだな、と思いながら相伴に預かる。カレーは美味いし、人の作ったご飯というものは美味い。「わたし料理下手だから」とか、咲耶は卑下してたけれど、全然そんなことはないと思う。
……と言っても「空腹の人間の言うことなんて信じません」と一蹴された。
今日は何を言っても信じてもらえない。俺のせいだな。
日頃の行いを改めなければと心底思った。信頼は欠かしていいことがない。
食事の最中に、咲耶がふと言い出す。
「さっきから、あなたの金銭事情を考えていたのだけど埒が明かないからもう聞くわね。……そもそもあんたの家、なんで更地になってたの?」
ごもっともな疑問だった。
「正直、笑いを取りにくいから言いたくないんだけど」
「そういう基準なの? ていうか笑いを取りたいの?」
「いや別に」
「? ええと、言いたくないならいいのだけど……」
「いや、黙ってた方が深刻に思われるから、言う」
別にそんなたいした話ではないのだ。
「俺さ、そもそも親がいないんだけど。でもその辺で特に苦労はなく、俺はばあちゃんに育てられたということだけが重要で」
「ああ、それで料理を」
「ただ高校入る直前に、ばあちゃんも死んで──あっこれは綺麗にぽっくり逝ったのでまじで気にしないで欲しくて」
「随分と予防線張るわね」
「何も苦労してないのに『苦労したんだね……』って目で見られるのは、嫌だろ」
「本人が気にしてないのに『そうなんだ……』って言われるほど気まずいことないわね」
咲耶が淡々と頷く。
「それに、昔のことはよく覚えてないし」
「そ。じゃあわたしも気にしないわ。……それで、結局更地はなんだったの?」
「掻い摘んで言うと、俺が異世界に飛んだ直後に家の持ち主になってた伯父が会社ぶっ潰してな。売っ払う羽目になったんだとさ」
「……え、なに? 純粋に現世が世知辛いって話?」
「そう、だから言いたくなかった」
異世界、微塵も関係がない。召喚されなくても更地になっていただろう。世は無常だ。
伯父との仲も悪くない。俺が生きてたことを手放しで喜んでくれるくらいにはいい人だ。だから本当に、たいした話ではないのだが。
「これ、笑い取れると思うか?」
「取れない。無理」
「やっぱり? だよなー」
「まず取ろうとしないで」
「鉄板ネタになるかと思ったんだけどな。異世界から帰ったら家が更地になってたって」
「ウケないウケない、不謹慎」
「俺は家帰った時爆笑したのに」
「わたしはそれ見たとき、隣で引いてたからね」
「どうせ更地になるなら原因は隕石がよかった……」
「⁇」
隕石は良いものだ。あの圧倒的な暴力の前では人類は無力だ。そういうところがとても良いと思う。理不尽が極まった桁違いの脅威にはいっそ見惚れるというもので、あれこそがまさに最強だ。生まれ変わったら隕石になりたい。
などと物思いにふけっている間に、咲耶はすごく微妙な顔をしていた。
「あのね。確信したけど。あんた感性おかしくなってるわ」
俺の服をガン見する。
「なんだよ」
今日はわかめじゃないのにまだ文句あるのかよ。
ごちそうさま、の後。食後の紅茶と共に咲耶が言う。
「とにかく、当面の目標の修正をしましょう。まずは生存、いいわね? それなしで社会復帰も何もありません」
「ごもっともです」
「その第一歩として! 提案があります」
びしりと指を突きつける。
「わたしに料理教えて。対価として、その分の食費はわたし持ちね」
それは、なんというか。都合が良すぎて受け入れがたい。
「咲耶、金は? それ、親御さんのお金で俺が飯を食うことにならないか?」
それはちょっと筋が通らないだろう。
「いえ、仕送りは受け取っているけど。手をつけずに生活費はほとんど自分で出してるわ」
「……どこから?」
バイトしてるとしても足りないだろう。
咲耶は、目を泳がせた。
「えと、その、マネーゲームのビギナーズラックで少々……」
「うわっ上流階級の遊び」
「ち、ちがうの。婚約破棄の慰謝料が入って、ヤケで触ったらなんか、増えちゃって……」
「えっ」
「えっ?」
今、さらっと言ったが。彼女に付随していた「婚約」というもの。これが、文月咲耶を「高嶺の花」として名高かくしていたのが、かつての話だ。そのため、彼女には男友達というものが一人もいなかったのだが。
「……婚約破棄されたのか?」
「されたわよ。わたしがこっちに帰ってきた後、即」
さらりと言う。「まじか……」と俺が反応に困ると、咲耶は軽く笑いを零した。
「
と軽く言っているけど実際はどうなのか。咲耶の表情を読もうとするが、飄々としてまったく読めない。くそっ、今演技入ってるな。
「ということなので。環境のおかげではありますが、一応、自分が自由に使えるだけの資金はあるの。問題はないわ」
逃げ道が一個塞がれた。苦し紛れにもう一手。
「……友達って、三食共にするものか?」
咲耶はゆっくりと瞬きをした。
「確かに、普通はしないのでしょうね。でもわたしたちはします。なぜなら友達の定義には、友達の数だけ正解があるのだから。以上! これが完璧な論理よ!」
『その反論は既に想定済み』というように、得意げに胸を張った。
「勘違いしないことね。これはあくまで利害の一致。引目を感じる必要はないわ。……ていうか倒れられる方が困る! 怖い! だからあなたのためなんかじゃないのよ。本当に」
俺は両手を上げた。
「全面的にそっちが正しい。完敗だ」
「…………よしっ」
咲耶は小さくガッツポーズした。
「でも全額そっち持ち、っていうのは勘弁してくれ。来月以降は懐も大丈夫だと思うんだ。新しくバイトに受かったし」
「あらおめでとう。面接、苦労してそうだったものね。ちなみにどこ?」
「駅前の喫茶店。ほら、ドアが真緑の」
「ああ、あのなんかレトロな店ね」と相槌を打ち、咲耶は両手にカップを抱える。
「へえ、ふーん……」
「なんだよ」
「なーんでもない」
そう言って、意味深に微笑んだ。
◇
「……そういえば。ここ数日、ずっとカレーの匂いがしてたけど。なんでだ?」
「う、それは」
カップの縁を指でなぞって、上目にこちらを見る咲耶。
「あなたのお味噌汁が、美味しかったから……負けたくないなって思って。とりあえず絶対に作れる料理を、ひとつ覚えようとずっと練習してたの……」
まじかよ。めっちゃカレーが好きな人かと思ってた。
「咲耶……」
赤面する彼女に、伝える。
「俺は、出汁を取るのが上手いぞ」
「…………なんで今ドヤ顔した? なんで今マウント取った?」
いやだって。
「そこに隙があったから」
「あんた性格悪いわ、ほんと」