彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。)   作:さちはら一紗

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第三話 結婚しちゃえばいいんだ。

 

 異世界事情の方は膠着していたが、同居生活の方は極めて順調だった。始めた時には喧嘩のひとつふたつやみっつはするものだと覚悟していたが、今のところ穏やかなものだった。

 健全を心がけ、適切な距離感を保ち、几帳面に生活を運営していく。そもそも元から三食一緒に飯を食ってたんだ。大抵はどちらかの家にいたわけで、違和感なく馴染みもするし、八割はこれまで通りだ。どうやら生活に関しては俺たちは相性がいいらしい。

 そうして穏やかな七月を──主に学業の面で悲鳴を上げつつも──過ごし。あっという間に夏休みになった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 燦々と降り注ぐ日差しに蝉の声。空も草木も青々と色濃く、一年で最も趣深い季節である。

 

「夏休みですよ! というわけで、芽々と山に行きましょう!!」

 

 寧々坂芽々は麦わら帽子に網に虫取り籠という、今時小学生でも見ないような見事な装備一式を携えて、マンション前にやってきた。ついでに首からごついカメラを提げて。

 今時直で誘いに来るとは剛の者である。「芽々は現代っ子ですが『いそのやきゅうしようぜ』の心を忘れない古き良き文化の愛好者なのです」とのことだ。何言ってんだろうね。

 芽々に呼ばれてマンション下に降りてきた俺たちは答える。

 

「行きたいけど俺は補習」

「えー!」

 

 元は笹木と行く予定だったらしいがあいつは用事が入ってしまったらしい。

 

「芽々、山は好きなんですけど蛇とか毒ある生き物がちょい苦手で……一人だと行けないんですよね〜……」

「おまえ……何をまともなこと言ってるんだ?」

「芽々をなんだと思ってるんですか!?」

 

 ともあれ道連れが欲しいということか。隣の咲耶を見る。

 

「ああそうね。蛇は平気ねわたし。虫は苦手だけど殺せるかな」

 

 あの過去でなんで蛇がトラウマになってないんだろうな。俺はスプラッタ映画とか見れなくなったのに。

 

「あれ、蛇苦手って……芽々おまえ、魔王は平気だったのか?」

 

 今は蜥蜴の姿をしているが、芽々の前に出てきた時は蛇の姿だったと聞いた。

 

「実は『毒あったらどうしよう』ってビビってました。まあ洗脳しかけてくるやつに毒もクソもないんですけどぉ!」

「めちゃくちゃ頑張ったな、おまえすごいよ」

「わたしは全身毒なんだけど。現世の生き物には効かないから大丈夫よねあはは」

「ひん……」

「咲耶??」

 

 さては芽々にエロゲ呼ばわりされたこと、まだ根に持ってる? まあセクハラは駄目だからな。俺たちが面白体質なのが悪いのだが……いや誰が面白体質だ、面白くねえよクソが。

 ということで咲耶が芽々の引率を引き受けることになったのだが。

 

「あ。わたし、山に行ける服ない」

「俺のジャージ着るか?」

「借りる〜」

「勝手に箪笥からとっていいぞ」

 

 芽々が困惑げに俺を見上げた。

 

「え……結婚したんですか??」

 

 

 なんでだよ。洗濯物は完全に分けてるぞ。

 咲耶は、はっと何かを閃いたように呟く。

 

 

「あっそうか。結婚(・・)しちゃえば(・・・・・)いいんだ(・・・・)

 

 

「…………ハァ!?!!? 頭沸いてんのか!!?」

 

 だが咲耶は至極真面目な顔で。

 

「違うの。よく聞いて? 婚姻って逆に健全じゃない? 恋人はアウトでも逆に夫婦まで行ったら──セーフじゃない?」

「そうか? そうかも……」

 

 結婚の定義は社会的な契約関係だ。恋人関係などというものはほとんど不純異性交遊だが、結婚は不純ではない。役所に書類を提出し、公に誓っているのだから──と、考えて。

 

「いや、駄目だな。俺は言えん」

 

 試しに『結婚』と口に出そうとしてみたが、とても嫌な予感した。多分かなり正気にクる。

 

「そっかぁ、残念……いい解決法だと思ったんだけどなー」

 

 目に見えて気落ちした咲耶の隣で、芽々が頬を引きつらせていた。

 

「うへぇぁ……芽々、なに見せられてるんですかぁ?」

「最近の咲耶はバグってるよな」

「違いますよ。サラッと同意しかけたひーくんが一番ヤバいよ」

 

 …………。

 

「本当だ!?」

 

 クソッこっちもまだバグってる!!

 芽々はこの世の終わりみたいな顔で首を横に振った。

 

 

 

 ◆

 

 

 飛鳥にジャージを借りて、芽々と一緒に山に向かう。

 

「とりあえず。サァヤ、一緒に来てくれてありがとうございます!」

 

 ちんまりとした芽々は麦わら帽子がよく似合う。眼鏡の奥の瞳にはもう〝星〟は見えないけれど、あどけなくきらきらと輝いている。出会ったばかりの頃の胡散臭さはどこへやら。こうして見ると普通の女の子だ。いえ、すっごくかわいいという点で普通じゃないのだけど。

「ま、仕方ないから付いていってあげる」と言いつつ、わたしはかわいい女の子に弱いので、芽々に誘われたら山でも谷でもほいほいと行ってしまうのだった。……わたし、根本的にちょろいな。

 

「山って、何しにいくの?」

「めっちゃ生き物の写真をとります。夏!って感じでしょ」

 

 へへん、と芽々は首から下げた一眼レフを見せた。相変わらずサブカルで多趣味だ。

 

「いちお、捕まえる用意も持ってきましたけどね」

 

 わたしの周りはどうも写真好きが多い。飛鳥もまめに撮るし、わたしも趣味は飛鳥の盗撮(公認)だ。

 芽々のSNSにはキラキラのスイーツと田んぼのザリガニが違和感なく混在していた。「ザリガニも撮り方次第で()えなのです」と言うが、よくわからない。

 

 けど、山道を歩きながら「たまにはこういうのもいいか」と思う。一応わたしの身体は人間ではないので、夏の暑さは苦ではない。とはいえ涼しいに越したことはなく、山の中のしっとりと冷えた空気は好ましかった。

 それに、だ。わたしはぶかぶかのジャージの袖を口元に寄せる。馴染みの柔軟剤の匂いの奥──微かに持ち主の気配がする。

 えへへ……。飛鳥のジャージを着ていると、なんだか抱きしめられてるみたい。洗い立てだから気配を感じるのは九割気のせいなのだけど、それでもいい。

 ──実はまだ、わたしはちゃんと抱きしめたことも抱きしめられたこともなかった。

  多少身体が接触することはあっても、両腕で力一杯抱きしめるという経験がない。そもそも誰かに抱きしめられた経験自体あまりないのだけど、想像する限り恥ずかしさはあまり感じない。ハグって多分、挨拶みたいなものだと思う。ついでに全身で相手の存在を感じられるというだけの! いいなぁ……憧れる……。

 けれど聖剣なんてものがある限り、身の危険という本能的な憂いなく抱きしめることはできないし、抱きしめられることもないのだろう。忌々しい……はやくぶっ壊したい……ばきばきにしてやるの……。

 などと浮かれ心地と呪詛を織り交ぜながら坂道を登っていると、いつの間にか上流の澄んだ川辺に辿り着いていた。岩場で小休止しながら、嬉々とカメラを弄る芽々と話をする。

 

「それにしても、元気そうでよかったわ」

「芽々がですか?」

「だって落ち込んでたじゃない。この前から」

「あ〜……」

 

 ばつの悪そうな顔をした。芽々の様子がおかしかったのは前回の戦闘の後からだ。

 

「ほら芽々、魔法使いに大人しく従ってるフリして一矢報いてやろうとしてたわけじゃないですか。でも、そのせいで事態をややこしくしちゃったんじゃないかーって、反省したんです。何もしないほうが……お二人も、芽々を助けやすかったんじゃないかって」

 

「切り札も効きませんでしたしね」と苦笑する。

 

「別に気にしなくていいのに」

 

 一矢報いたかった気持ちはわかる。わたしも報復は絶対に自分の手でしたいタイプだし。

 それに芽々は巻き込まれた側なんだから好き勝手に文句でもなんでも言えばいいのだ。魔王はわたしがバキゴキにしとくし。

 

「それにあの後、夢見が悪くてですね……」

「夢?」

「飛鳥さんの両腕がもげる夢です」

「両腕」

「両腕をハサミにして帰ってきました」

「聖剣が、ハサミに……」

 

 芽々は頭を抱えて呻く。 

 

「それはもう、勇者じゃなくて蟹なんですよ……!!」

 

 

 ──想像する。

 両腕をチャキチャキ言わす飛鳥。

『蟹はすごいぞ。挟める』

 ──目眩がした。

 

「蟹はダメですひーくん、蟹キャラは……弱いんですよ……!!!」と、川辺に蹲りうごうごする芽々の背中をさする。

 

「ま、まあ。腕って結構千切れやすいものだから。気にしちゃだめよ。わたしも竜によく齧られたし」

「なんのフォローにもなってねーですよ!?」

 

 ……危なくない戦闘なんてないからなー。せめてわたしが前衛をできればよかったのだけど。いっそ危ないことは全部わたしに任せるっていうのもアリじゃない? 不死身だし……。なんて提案を、あいつが聞くわけもないか。

 

 どちらにせよ、だ。すべてを知る敵はもう捕まえたのだから。しばらくは無茶をする必要もないだろう。

 ──ええそうよ、ここからすべてうまくいくんだから!

 計画通り(・・・・)、一緒に暮らすのにも成功した。もはやあいつはわたしの手の内にある。

 ……そう、わたしの狙いは決して表向きの『健康的で文化的な共同生活』などではない。

 ──真の目的は『退廃的で甘々な同棲生活』だ!

 

 

 ──話は退院前に遡る。その日、飛鳥は退院後から夏休みにかけての予定を埋めていた。それはもう、バイトやらなんやらでギチギチに。

『そんなにお金に困ってるの……?』

『いや? でもあるに越したことはないし、暇だし』

 怪我人が忙しくしていいはずがないし、そもそも手帳が真っ黒なのはどう考えたって暇じゃない。けれど飛鳥は予定に空欄があることを「暇」と認識し、隙あらばと用事を入れる。

 勤勉? そんな可愛いものじゃない。あれは「暇=悪」という一種の固定観念(すりこみ)だ。

 ──そう、あいつはまだ異世界時代の365日強制労働ブラック体制が、身に染み付いているのだ!!

 

 わたしは思った。多分次は過労で倒れる。──このままじゃいけない。絶対。

 夏休みだぞ!! もっとだらだらしろ!! 退廃的に夜更かしして遅起きとかしろ!! あとわたしと遊べ!! わたしと!! わたしと遊びなさいよ!!

 

 ──なんて甘えは、表には出さないのだけど! わたしは物分かりの良い、都合の良い女でいたいので。だから本音は内側に隠し、ゆっくりと沼に引き摺り込むのだ。

 

 ふふふ……精々そのまま油断していることね。そのうち絶対に甘やかしてやるわ。ずぶずぶにして堕落させて負かしてあげる。深夜に油っこいもの食べたり、夜明けまで映画を見ちゃったり、クーラーのガンガンに効いた部屋で惰眠を貪る幸福というものを、その身に刻み込んでやるんだから……!!

 

「……サァヤ、何ひとりで悪い顔してるんですか?」

「はっ……!?」

 

 意識飛んでた。

 

 

 

 

 

 

 芽々をそっちのけで、わたしが自らの企みに溺れていたところ。「あ、サワガニ!」と立ち直って芽々は写真を撮りに行った。けれどそのすぐ「うきゃっ!?」と悲鳴を上げて芽々がわたしに抱きついてくる。

 

「や、すみませんその……ムカデが……」

 

 見ると、芽々が先ほどまで撮っていたサワガニの集まりの中に大きなムカデが乱入していた。ムカデは蟹の一匹に噛み付いている。食事中らしい。

 罪のない虫には悪いけれど今のわたしは芽々の味方だ。枝でムカデを引き剥がしてその辺にぽいと投げる。

 

「終わった」

「サァヤ〜〜!! めちゃ好き」

「まあこの程度? お安い御用だわ。ふふっ」

 

 騒ぎでサワガニは散り散りになってしまったけど。

 と、足元を見て気付く。一匹のサワガニがまだ逃げずにいた。おそらくさっきのムカデに食われたのだろう、片方のハサミがなくなっている。それはなんだか弱っていて、死にそうに見えた。

 

「…………。ねえ芽々」

「なんですか?」

「……サワガニって、飼える?」

「サァヤってー、庇護欲に弱いですよね」

 

 うるさい。自覚はあるの。

 

 

 

 芽々に虫籠を借り、サワガニをそっと中へいれる。

 

「名前どうしましょう。わたし、生き物を飼ったことないの」

「なんでもいいんじゃないですか? 一号とか二号とか」

「じゃああすかで」

「え、マジでいんの? ペットに好きなやつの名前つける人」

 

 そう? 割と一般的だと思うけどな。わたしの母親とか、浮気相手(すきなひと)の名前を(わたし)に付けたし。

 籠の中の蟹に囁く。

 

「あすか、強く生きるのよ……」

「えぇ……流石の芽々もドン引きです」

 

 なんでよ。

 

「ま、まぁ人の趣味はそれぞれですよね! 折角なので、もっと捕まえて帰りましょうか!」

「そうね。一匹じゃ寂しいし」

 

 網を持って前を行く芽々を追いかけようとして。ふと、下を見る。

 籠を大事に抱えたわたしの足元で、さっき投げたはずの毒虫(むかで)が千切れた腕を喰っていた。その光景をじっと見つめて。

 わたしは無言で、それを踏み潰す。

 

「? どうかしましたか」

「ううん。なんでもない」

 

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