彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。) 作:さちはら一紗
夕方、飛鳥はまだ家に帰っていないようだった。
帰宅したわたしはサワガニがたくさん入ったケージ(芽々に借りた)をテーブルに置く。
ペットを飼うのは初めてだ。これからいい感じの水槽とか用意しなくちゃ。けれど家にそんな気の利いたものはない。ひとまず、タッパーで代用?
と、その時。スマホの通知に気付く。
『咲耶さん。ケーキ焼きすぎちゃったから引き取りにきてくれるかしら』
義母とは長らく距離感を測りかねていたのだけど、最近はこうして些細な連絡が来るようになっていた。色々と我儘を聞いてもらっている手前、わたしは義母に頭が上がらない。
──異世界に失踪していた二年間については一応、先々で『気にしないように』と魔法で暗示をかけている。おかげで家の者にも深堀りされることはない。
同居についても暗示を使えば簡単に許可は下りる……と、考えたのだけど。飛鳥のおかげで
というわけで、真っ当に許可を貰いに行った。ある程度は正直に話し、彼がわたしの恩人であると説明した。
同居の許可はあっさりと降りた。なんなら義母は「まだお付き合いしてないの?」とか言うし、いつの間にか飛鳥とお茶友達になっている。なんでよ。
それはともかく。ここから実家は少し遠い。着替えて今から行かないと夕飯の時間に間に合わなくなるだろう。
問題はサワガニたちだ。涼しい山を降りて暑い下界に連れ出したせいか、皆ぐったりとして見えた。どうしよう……。
『飼うなら冷暗所ですよ冷暗所。暑いと死にますからね』
芽々のアドバイスを思い出す。冷暗所といえば……。
「……はっ。冷蔵庫!」
わたしはサワガニをタッパーにお引越しさせ、冷蔵庫に入れた。
「よし、完璧ね」
実家で水槽貰って帰ろ。
二時間後。ケーキと水槽をお土産に戻ってきた頃には、夏の長い陽も落ちていた。家に帰ると明かりがついていて、玄関の向こうからはお味噌汁のいい匂いが漂ってきていた。
部屋の扉を開けると、丁度飛鳥がテーブルに料理を並べているところだった。
「おかえり、晩飯もうできてるぞ」
こちらを振り向いた、飛鳥。学校帰りのきっちりとした服装の上から、お揃いのエプロンを付け、ゆるい笑顔で出迎えたその姿を見た途端。
頭にピシャリと電撃が走る。
「けっ」
「け?」
──結婚!!!!!!!
……じゃなくて! 麻痺しかけた頭を慌てて回す。
「け、結構なお手前ね」
「どうも?」
危ない。衝動的に叫ぶところだった。あまりにも飛鳥がご飯作って「おかえり」って言ってくれるシチュエーションの破壊力が高過ぎて。
だってこんなのって、こんなのってもう……〝結婚〟じゃない? それ以外の語彙って……要る??
えー、結婚しよ? もういいじゃん。なんか難しいことおいといてさー、わたしと結婚しない? どうかしら。いい考えだと思うんだけど。
えへへへ結婚して……好き……。
「こほん」
全力で駆動し始める恋愛脳はそのままに、わたしはいつも通りの涼しい顔をして支度を済まし、テーブルについた。
ちなみに日々のご飯は当番制だ。少し前までは鍋を焦がし指を切っていたわたしも、飛鳥に教わったおかげでもう一人で料理ができるのです。
揃って「いただきます」と手を合わせる。
それにしても、今日のお味噌汁はいつもより香ばしくていい匂いがするような……。
「いやー、蟹なんて何年振りだろうな。いい出汁だ」
向かいの飛鳥が上機嫌に言う。
……蟹?
わたしはおそるおそると味噌汁のお椀を覗き込んだ。お味噌の海に浮かぶのは──からりと揚がった沢蟹だった。片方だけのはさみを投げ出して、さっきまで生きていたはずの、名前を付けたあの子の死体が、かぷかぷと浮かんでいた。
茫然と、お椀を見つめる。
「あすか……」
「ん?」
そっと箸を置き、自分が呼ばれたつもりで返事をした飛鳥(人間)を見る。
「離婚よ」
「…………いや、結婚してねぇ!!?」
◆
「うわーーん飛鳥のばか!! あすかが死んじゃった!!」
──どうしてこんなことになっているのでしょうか。
夜中、いきなり家まで泣きつきにやってきた咲耶さんを前に、私──寧々坂芽々の目はおそらく瀕死でした。
これまでのあらすじというものを、ぐちぐちの愚痴状態になった咲耶さんから聞き出すに曰く。
『沢蟹は……食うだろ!!』
『なんで蟹に俺の名前付けてんだよ、嫌がらせか!?』
とまあ、ひどい大喧嘩になったそうな。
「いや、そんな喧嘩の理由あります???」
天井を見上げました。電球が目にチカチカとして頭がクラクラしてきます。
何せ今日、芽々の一日は密度がヤバいのです。
朝、目の前でサラッと結婚しようとする異常な惚気を聞かされ。昼、蟹に好きな人の名前を付けようとする奇妙な惚気を聞かされ。夜、痴話喧嘩という名の実質の惚気を聞かされているので。胃もたれです。
色恋沙汰は好きですが、それはあくまで過程への知的好奇心。夫婦喧嘩は犬も食べない。蟹は食われました。
「まあ冷蔵庫に入れたら食材ですよね」
「でも謝ってくれなかった! 謝ってくれなかった!!」
あっ、はい。
心を無にして部屋のローテーブルに突っ伏す咲耶さんを宥めます。けれど心を無にしきれず、呆れが口からだだ漏れになりました。
「なんていうか、よくやりますよねぇ」
咲耶さんは恨みがましそうに芽々を見上げます。
「わ、わかってるわよくだらないことくらい……最近はご無沙汰だったけど、ちょっと前までは天気がいいか悪いかだけでも喧嘩してたんだから……」
そもそも咲耶さんは虫を殺すのになんの躊躇もない人です。魔女だからか愛は深い割に生き物への情に欠け、死生観がズレている──ということを飛鳥さんが言ってました。「あいつ精神が人外なんだよな」と。
実は私はそこまで異世界時代のことについて詳しくありません。魔王と戦ってた時のやりとりも、肝心なところは異世界語だったので聞き取れませんでした。
ですが、あの人たちが躊躇なく自害できたり芽々と同じ顔した魔王を殺せたりする人間だってことは知っています。
だから、蟹のあすかさん(なんですかこのワード)への悲しみは長持ちしていないのでしょうし、どうやら怒りも鎮火していて、反省も済んでいるのでしょう。咲耶さんはたまに年下みたいに大人気ないですが、おばかさんではないのです。たぶん。
「要するに、久々のガチ喧嘩に引っ込みがつかなくなってるんですね?」
「うぅ……」
はぁ、と溜息。
「──茶番ですね」
ずんばらりと断じます。
「茶番って……」
「それ以外のなんだというんですか?」
たじろぐ咲耶さん。
言いたいだけ愚痴を言わせてあげたのですから、私も少し好きに言わせて貰いましょう。
「そもそも芽々、恋愛って茶番だと思うんですよね。クソ真面目に告白とかデートとか駆け引きとかして。さっさとヤりゃ終わる話を甘っちょろい砂糖菓子にする茶番」
「でも茶番は好きです」
「ひーくんもサァヤも、本気で茶番をやるじゃないですか。……本気で『好き』をやってる。それって結構、努力じゃないです? いや、愛なのかもしれませんけど。がんばっててすごいなーって思う。芽々には一生できませんもん、そゆこと」
咲耶さんは潤んだ目でこちらを見ます。この人はたまに捨て猫のような目をするな、と思いました。その目を私じゃなくて飛鳥さんに向ければいいのに、と思います。多分あの人はすごい形相をしながら拾ってしまうのでしょう。
まったく恋って意味不明です。けれど芽々はよくわからないものが好きなので、恋に全力なこの人たちが好きなのです。応援する理由はそれだけで十分。
頬杖をついて、ニコリと笑いかけます。
「──というわけで、仲直りしてもらいますね。早急に」
丁度、ピンポンと呼び鈴の音が鳴りました。
「あ、ひーくん来た」
「なんで!?」
「芽々は仲直りセッティングガチ勢ですから。サァヤが逃げ込んできたらチクるに決まってるでしょ。なに言ってんの?」
「……そんな!? まだ心の準備ができてないのに!?」
慈悲はなし。そのまま家からぺいっと放り出しました。なおこれは比喩表現であり、実際はうだつく咲耶さんを子猫を引きずるようにして飛鳥さんが強引に回収していきました。
「うちのアホが迷惑かけたな」
「ちゃんと首輪つけてろください」
「飼い主かよ俺」
そうだよ。
まったく幼馴染でもあるまいし、夜中に人の家に惚気吐きに来ないで欲しいものです。
咲耶さんを引き渡した後。部屋の窓から私は外を見下ろします。二人が夜道で何事か話した後、手を繋いで並んで帰っていくのが見えました。どうやら無事に仲直りはできたようです。いや、手ぇ繋ぐんかい。
「……ほんと、仕方ない人たちですね」
こういうのが見たくて、恋愛に茶々を入れているのだったな、と思い。
我に返りました。
(……本当に見たいですか? これ)
やめよかな、この趣味。コスパ悪いです。