彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。) 作:さちはら一紗
──真っ白な部屋で目を覚ます。
「どうか世界をお救いください勇者様」
立ち尽くす自分の目の前には銀色の少女がいた。幼い容貌に鈴の声、しかし無表情で無感動な、人形のような少女だ。
少女は修道服や巫女服のような清廉な衣装を纏い、祈りを捧げるように跪いている。その祈りの先が自分であることに気付く。
ようやく自らを顧みた。知らないはずの
生身の両手には剣があった。どこか近未来的で、かつ古臭い、大仰な両手剣だ。
体格に恵まれていない自分には重すぎるはずなのに、不思議としっくりと手に馴染む。
磨かれた剣身を覗き込む。映った自分の目は他人のような青色をしていた。
空のそれとも、海のそれとも違う。薄気味の悪い──冷めた、青。
息を飲んだ。
「どうしたのですか」
少女はこちらを見つめる。
「世界を、救っていただけないのですか」
返事に詰まる。冷たい汗が背を流れる。声が、出ない。
後ずさろうとした、その瞬間。
──真っ白な部屋が、真っ黒に染まる。
暗転。少女のいた場所にはいつの間にか、黒い影が立っていた。
大きな、亡霊のようなその何かは蠢きながらこちらへと手を伸ばす。
『世界を救え』
振り払おうにも縋り付く。亡霊が、囁く。
『
そして意識はぷつりと途絶えた。
◇
──真っ暗な部屋で目を覚ます。
「……ッ、は」
跳ね起きる。布団を蹴飛ばす感覚に我に返った。
「…………夢、か」
ちらりと自室の時計を見やる。
そう、自室だ。元は咲耶のマンションの空き部屋である、一番小さな和室。俺のアパートを所用で占拠する代わりとして、居候させてもらっているこの部屋も、もう一ヶ月もすれば見慣れたものだった。
日付は変わり、十五日。事件より二晩。昼間に作戦会議をしたことは記憶に新しい。深夜を指し示す時計の針は、布団に入ってから数十分しか動いていなかった。
溜息を吐く。
眠るのはずっと苦手だった。
野営ばかりしていた頃の癖だ。どこでも寝れる代わりに、物音、気配、そういうものですぐ目を覚ましてしまう。そもそも身体に金属の腕がくっついていると寝苦しくて敵わなかった。
その、呪いの装備がなくなった今、むしろよく眠れるようになってもおかしくないのだが。まさか
原因はやはり、聖剣がないだろう。
夢は記憶の整理だという。だがこれまで、異世界のことを夢に見ることはほとんどなかった。記憶に蓋がされていたからだ。その蓋が聖剣だった。
精神操作の機能付きとはいえ、自我さえきっちり保っていれば洗脳は抵抗できる呪いだ。ここが現世ということもあって、昔の自分の記憶は比較的容易に取り戻せているのだが。異世界時代の、自我を取り戻す前の記憶は靄が深くかかっていた。
なんか、くだらないことしか覚えていないのだ。飯がすごく不味いとか。
だが今は
夢に見るのはそのせいだ。
その夢が、ただでさえ浅い眠りを削っている。
窓を閉じ切った部屋は静まり返っていて、自分の息の根が嫌に煩い。
「痛ぇ……」
身を屈めた。無い右腕が馬鹿みたいに疼く。袖の上から爪を立てる。息を、止める。
──自分は一体、何を忘れているのだろう。
ようやく息ができるようになった頃には眠る気などさらさらになくなっていた。
「……顔でも洗ってくるか」
◇
部屋から廊下に出て気付く。なにやら異臭がする。深夜だというのに台所の扉の隙間から光が漏れていた。
咲耶しかいないだろう。だが何をやっているのか。疑問に思って扉を開けると、異様に香ばしい匂いが溢れ出した。
──咲耶は台所で、餃子をしこたま食っていた。
「は?」
こちらに気付いてびくっと肩を震わせる咲耶。その光景を二度見三度見。
「……今、何時だっけな」
咲耶は箸を置き、屈辱的な表情で答えた。
「午前三時、です…………」
昔、人の家に窓から入って来た時よりもよっぽど畏っていた。こいつ、不法侵入より夜中の立ち食いを見られる方が恥なのか。
「こ、これには正当な理由があるのよ。最初からお聞きになって?」
謎の羞恥心で中途半端にお嬢様口調になった咲耶の供述によると。
「
魔女の身体は人間のような栄養補給を必要としない。だが魔法を使った後は、眠気や空腹感を錯覚するらしい。
「ついでに魔法使ってるうちにちょっと正気が削れてきて……このままじゃうっかりキスしてしまう! と思ったの」
…………。
「だから餃子を焼きました」
……わっかんねぇ。どういう理屈?
咲耶は唇を(油で)艶めかせて、真っ直ぐな瞳をこちらに向ける。
「大丈夫。にんにく臭を滾らせた今のわたしは完璧に安全。絶対にキスできない」
なるほどたしかにその対処法は正気じゃないな。頭痛が増した。
いや、色気がなくてありがたいと思うべきか。長い脚が無防備に晒された部屋着姿も、もう見慣れて何も感じない。ここにいるのは隠れて夜食をかっ食らおうとした、ただの同居人である。色気は食い気で相殺された。にんにくはすごい。
俺は考えるのをやめた。
視線を逸らすと台所から見える、付けっぱなしになったテレビに気が付く。映画が流れていた。見ながら休むつもりだったのだろう。ゾンビ映画を見ながら飯を食うのはどうかと思うが……。
「あ、ごめんなさい。ホラー苦手だったわよね」
「いや、平気だなアレは。血糊が嘘くさい」
「あはっ、そういうのだから」
あまり血の出るものは苦手だった。昔は平気だったのだが。いつから不得手になったのだろう、と遠巻きに画面を凝視する。
餃子の大皿を抱えて、咲耶は小さく問う。
「……眠れないなら、一緒に見る?」
「ん」
頷いて、冷凍庫からアイスを一本取る。
◇
ソファの端と端の定位置に座る。 咲耶は綺麗な姿勢で皿をかかえ、俺は口でアイスの袋を開ける。
沈黙がどことなく重い。映画でも誤魔化せない。なんとなく気を遣われているような気がして、いつもなら冗談くらいは言えるのだが、今は何も思い付かない。
気不味いまま、無言。アイスを半分食べ進めたところで。
「あ」
棒の印字に気が付く。『当たり』だった。
「
この頃妙に引きがよかった。
「喜ばないんだ」
「この年で引き換えに行くのはなんか、な。幸運も持て余しちゃ意味がない」
「わかるかも。それに、いいことって起こりすぎると不安よね。乱数調整っていうか。あとで悪いもの引きそう」
「……ああ、でもその理屈なら心配いらないな」
「なんで?」
「俺たちは異世界転移なんていう天文学的確率の貧乏くじを引いた後だ。もう
咲耶は目を丸くして。
「あは、ふふふ」
「く、ひひひっ」
吹き出した。
「わたし、最近やたらとガチャのSSRが引けるの!」
「俺なんかこの前福引でめちゃくちゃいい醤油当たった!」
「そんなところで釣り合いを取られても!!」
「嬉しいけどさ、いらねー!!」
二人してげらげらと笑う。何がおかしいのかもよくわからなかった。
「ね、ひと口ちょうだい。その幸運」
視線は当たりのアイス。残る半分は話す間にも溶けかけている。
「間接キス」
「気にしなかったらセーフだし?」
「いやおまえ餃子食ってんじゃん……いいけど」
「いいんだ」
棒アイスを手に持ったまま差し出す。「はむ」と齧り付いた。溶けたアイスが唇について、ぺろ、と舌で舐めとるのを見る。食い気は色気を打ち消すはずだが、何故か艶めかしい。
「お返し。あーん」
無言で見ているうちに、餃子を差し向けられていた。
「……箸とってくる」
立ち上がり、逃亡を図る。が、服を引っ張られた。腰を落とす。
諦めて口に入れた。美味いけどさ。しかし餃子って。よりにもよって初めての「あーん」が餃子って……。
複雑な感情ごと飲み込む。
「……ふふ」
「なんだよ」
「なんでもないわ」
いつの間にか間の距離は詰まっていた。ソファの端と端に戻ることはしなかった。
そのまま、すっかり見逃した映画を巻き戻す。
だが、見ている内に気付くのだ。
「なあ咲耶。この映画……メチャクチャつまらなくないか?」
しかし咲耶は気を悪くするでもなく、したりと言う。
「お気付きになった? レビューが散々なのを選んだの」
「苦行か?」
画面の中では蠢くチープなゾンビが暴れている。映像の出来には目を瞑るとしても(出来がいいとグロいので困るが)、話が支離滅裂でありえないほどつまらない。
天井を仰いだ。
「ご、ごめん。飛鳥ってクソ映画ダメな人だったのね。無理、しなくていいからね?」
そもそも文月咲耶に「クソ」とか汚い言葉使って欲しくないんだな俺は。
いいけどさ。咲耶の趣味がちょっとアレとか……いいけどさ。
好きな相手の好きなものに付き合うくらいの甲斐性は持ち合わせている、つもりなのだが。
エンドロールまで耐えられる気がしなかった。
「もういっそ突然隕石が降って終わった方がマシだろ……」
「サプライズニンジャ理論ね」
「なにそれ」
「突然ニンジャを出した方が面白くなる脚本はクソって話。逆説的に突然ニンジャを出せばどんなクソ映画も破壊できる」
「忍者に失礼だ」
まあ隕石が降ってきたら嬉しいからな。……いや、クソはクソだわ。
「疑問なんだが。なんで面白くないのに見るんだ?」
咲耶は少し、迷うように口を開いて。ぽつりと言った。
「……好きだったのよ、
咲耶は誰かを真似る口振りでその教訓を唱え、自嘲げに笑う。
「なぞるつもりはなかったのだけど」
彼女はソファの上で長い足を折り畳み、膝を抱える。
「なんだかんだで似るし、教えからは逃げられないのよね」
「……そうだな」
教えが死んだ人間のものであるほど重いことを知っている。いなくなった後では、些細な思い出が遺言のように思えてくる。
言葉少なでも彼女の言いたいことが理解できたのは、多分。俺たちが異世界だけでなく現世でも似た境遇だからなのだろう。そんなところは似なくてよかったのに、と思う。
「あ、でも本当に好きなのよ。駄目なところも愛せるの」
横を向く、悪戯めいた笑み。
「なにより──つまらなくて絶妙に眠くなるのが、夜更かしには最高」
咲耶はふっと、眉を下げる。
「……訂正。最高っていうほどたいしたものじゃないけどね」
──ああ、そうだな。本当に。
「さっきのさ、俺には逆な気がするよ」
「逆?」
『どんな映画も現実より』ではなく。
「どんな現実も、クソ映画よりはマシ」
「……あっは、相容れない!」
──本当に。たかが眠れない夜など、たいしたことなかった。
「それはそうとして。口直しに次はいい映画が見たいわ」
「やっぱ苦行じゃねえか」
とまあ、言い出した咲耶は置いといて。
映画が見終わった頃には既に時刻は早朝。鳥の声まで聞こえる。
途中で寝落ちするかと思ったのだが、結局最後まで見てしまった。寝支度は一応済ませたが、自室には戻らず居間に戻る。ソファの背から、咲耶がこちらを仰ぎ見る。
「今から寝る?」
「寝てもどうせ、な」
『もう朝だ』という意味で言ったのだが。咲耶は目を細め、囁くように訊く。
「……悪い夢でも、見た?」
……そういうふうに聞こえたか。
「なんでわかる」
「わたしもずっとそうだから」
さらりと答える。
「うっかり世界を滅ぼす夢を、よく見るわ。そしてあなたにすっごく怒られる」
なんとなく、彼女が嘘を吐いている気がした。「すごく怒る」なんて言葉では済まされない夢なのだろう、本当は。けれどそれを聞くことはしない。
「手、出して。いいものあげる」
咲耶が魔法で
「よく眠れる薬」
……怪しい。が、とりあえず口に放り込んだ。噛み砕いて気付く。
「いや、ラムネじゃん」
「チッ」
なんで嘘吐いた。
「あんた錠剤噛むのやめなさいよ」
「味がしないもんは食いたくない」
というか、俺が無防備にもらったものを食うと思っているのだろうか? 食うけどさ。咲耶になら毒を盛られても構わないが。
もらった
「……こうなったら膝枕しかないかしら」
水むせた。
「何が!?」
「あなたを寝かせる方法だけど?」
「??」
「寝落ちするまで映画見る作戦もラムネを睡眠薬と言ってプラシーボ催眠する作戦も失敗。だからもう、
「色ボケ宇宙人か?」
……こいつやっぱ最近正気がどっか行ってない?
「冗談はさておき。ここで寝てくれないとこの先の計画に支障が出るの。わるいけど、何がなんでも寝てもらうから」
「二徹くらい余裕。俺は強い」
「おだまり人間」
咲耶は立ち上がり、じっとりとした眼差しで俺に顔を近づける。まるで聞き分けのない子供を見る目だ。
「違うだろその目は。なあ」
「顔面からデバフが滲み出てんのよ
「顔の悪口は言ったら駄目だろうが!」
「寝ろって言ってんのよ!!」
そのまま彼女はスチャリと魔眼を光らせた。赤い光を浴びた途端、身体が硬直する。クソッ久々に食らったなこれ!
「ふふっ。聖剣がない今のあなたは魔法耐性がゼロだもの。観念することね?」
咲耶はにんまりと微笑み、こちらに顔を寄せる。卑怯だろそれは! と言いたいが、実際やたらと魔法が効いていて、指一本動かせない。口も動かない。
耳元、囁きが落とされる。
「『──おやすみなさい』」
さてそれは呪文だった。蕩ける声は蛇のように耳朶から脳髄に入り込み、意思の主導権を奪い去る。
──いや、結局魔法で眠らせるのかよ。というかこれ洗脳!!
身体が、膝の上に倒れ込む。その感触をよく認識する間もない。否応なく目蓋が、落ちて、いく。
最後に声を振り絞った。
「覚えてろよ……」
そこから先の記憶はない。
◆
「『覚えてろ』って捨て台詞吐きながら寝落ちする?」
膝の上でスヤ、と寝た飛鳥を前にわたしはちょっと引いていた。そんなに嫌? わたしの膝。
魔法で部屋の電灯を消す。部屋は早朝の薄明かり。乗せた頭は意外と重たくて、伝わる熱は生きもので、それ以上に人間なのだなと思う。
頭をそうっと撫でた。前髪の隙間から、普段は見えない傷痕が
「……まったく、どの口で余裕だとか吐くんだか」
眠れない夜の恐ろしさは、わたしだって知っている。人並みの眠りを必要としない不死の身体では、眠れる日が少ない。眠れたとしても、悪夢は隣人を通り越して同居人のようなもの。見ない日の方が珍しい。おかげですっかり寝起きが悪くなってしまった。
けれどわたしは魔女なので、その気になれば魔法で好きな夢くらいは見れる。悪い夢を見た後は、口直しにちょっと良い夢を見直せばいいだけだ。
でも。それは
普通に戻るということは、弱くなるということだと思う。でも多分、飛鳥はそれがわかっていない。
『最強ならば全部を余裕で、無傷で救えるような〝絶対的な最強〟であるべきだ』
いつかそう言ったことを思い出す。
あの時からずっと思っていた。自分のことを「普通だ」って言いながら、最強であろうとするのは、矛盾だ。歪だと思う。その歪みを、多分、本人がわかってない。
にわかに苛立ちがつのる。
わかんないんだろうな。わかんないんでしょうね。
わたしには、あなたの弱さを受け入れる用意があることを。
──別に、わたしには。甘えたっていいのに。
『──願いさえすれば、いつだって甘やかしてどろどろに溶かしてあげるのに』
脳味噌の底の方で、幻聴が響いた。
『気付いてるのでしょう? 今なら呪いもかけ放題。今なら勝てるわ。あいつを思い通りにできるわ』
耳障りなそれは、自分の声をしていた。そう認識した途端、隣に
『閉じ込めて、どこにも行かせないで、わたしのものにしてしまえばいい。かつてわたしの望んだことが、今なら簡単にできる』
角が出せないのに魔法を使いすぎただろうか? 聖女の対抗策だけでなく、魔王の封印と尋問の方も並行していたのは流石に、無理があったかもしれない。
『はやく、キスのひとつでもしてしまえ』
幻聴が囁く。くらり、と意識が溶けていく。
普通に戻るということが弱くなるということなら、
──弱くなれ。弱くなってしまえ。そうしたらわたしが、あなたを思い通りにできる。わたしに守られるくらいに弱くなってしまえ。
そういう醜い欲望が心の中で渦巻いていて、本当にどうしようもない。
『弱くなれ』
「うるさい」
頭の中の声を黙らせる。
確かにかつてはそれを望んだ。無理矢理わたしのものにして、脳味噌をくちゅくちゅしてしあわせにしようと本気で考えた。それしか解決法がないと思った。
だけど今は違う。
(わたしは、わたしに負けないあなたが好き)
だからすべてをひとっ飛びに解決する
──眠れない夜の恐ろしさを知っている。
かつて異世界から帰ってきたばかりの頃は、何をしても夜が長くて仕方なかった。好きだったはずの本も、くだらない映画も、わたしを救いはしなかった。そんな時に窓から見えるあなたの部屋に明かりが灯っていることだけが、仄暗い悦びだった。
だけどもう、わたしは一人で長い夜を怖がることはなく。それが誰のおかげかなんて考えるまでもない。
あなたがわたしの夜の救いだった。
──願わくばわたしが、あなたのそれであればいい。
(だからって、常時にんにく臭い女でいるのはちょっと無理……)
……がんばれ、わたしの理性。
◇
──明るい部屋で目を覚ます。
カーテンの隙間から差し込む日差しは既に真昼の気配がする。起き上がろうと枕に手を触れて、ひやりと冷たく柔らかな感触に、それが枕でないことを思い知る。
「ヒッッッ」
悲鳴をぎりぎりで飲み込んだ。ついでにソファから転がり落ち、しこたま身体を床に打った。
昨晩──というか今日の早朝のことを思い出す。
枕の正体は膝であり、膝という呼称は欺瞞であり、その本質は太腿にすぎない。して、太腿とは制服のスカート丈の標準的な長さからしてもご理解いただけるように、女体において無防備に晒されるべきではない部位だ。ましてやその上にどこの馬の骨ともしれない男の頭を乗せて眠らせるなど豪語同断である。俺が咲耶の母親ならそいつの息の根を止めている。殺してくれ……。
そもそも咲耶の継母である琴さんが同居の許可を出してくれたのは俺が何もしないと信頼していたからだろう。
(咲耶は「え、『既成事実作っておしまいなさい』って意味だと思った」とアホを抜かしていたがそんなわけないだろエセ清楚エセ令嬢この痴女)
酷い目覚めである。何が酷いって、
論理的に考えて人間の膝の寝心地が枕よりいいわけがないのに、起きた瞬間からわかるほど調子が良くて、自分が現金すぎて死にたくなった。
「最悪だ……こんな寝方、身体が覚えてしまったらどうしてくれる……」
いや、アホ。咲耶がアホ。
百歩譲らなくても寝ろというのはわかる。入眠時に魔法を使うのも、まあこの際妥協しよう。だからって膝枕をする理由はひとつもないだろ!! ダアホ!!
床を叩いた後、彼女の方を見上げて。
「……すぅ」
咲耶はソファに座ったまま眠っていた。
……人間ひとり膝に乗せたまま寝落ちした? 嘘だろ…………。
冷静に考えて、六時間の膝枕とかアレだ。膝の上に石を乗せる拷問的なアレ。そのまま寝るとか正気じゃない。
小言を飲み込む。
ベッドに運ぶべきだろうか、と考えるが流石に片手で運ぶのは無理があった。仕方がないので咲耶の部屋に、仕方なく勝手に入り、枕と毛布を持ってきてそのままソファに寝かせておく。
「ん、むぅ……」
もぞ、と寝言を言って、けれど起きる気配はなかった。
深夜に奇行に走るくらいだ、相当に疲れていたのだろう。咲耶は割と常識があるので、変なことをする時は演技か疲れているか色ボケているかの三択だ。
そのまま大人しく寝ていればいいと思う。とはいえ無防備な寝顔を晒されていると妙に腹が立ってくる。
……こいつ、さては我慢してるのが自分だけだと思ってないか?
腹が立ったので寝顔をおかずに飯を食うことにした。米がなかった。食パンで妥協する。まあ咲耶を見ながら食ったらなんでも美味い。
そうして、砂糖だけ溶かしたコーヒーを飲み干した頃には、冷静になっていた。
昨日協議した〝計画〟の内容を思い起こす。ソファの前の低いテーブルには、メモ用紙と試験管の瓶が置かれている。その瓶の中身が昨晩完成した魔法であることを知っていて、そのために彼女が夜遅くまで起きていたことを知っている。
紙に書かれた文字を読む。
『わたしの準備はここまで。後は任せたから』
手法に文句はあるが、休ませてもらった手前はきっちりと働かねばならない。呟く。
「ありがとう、行ってくる」
咲耶はソファの上で、ぱち、と目を開けて。
ふにゃりと微笑んだ。
「……いってらっしゃい」
そのまま寝た。
いや、起きたならベッド行けよ。
ちゃんと寝ろおまえが。