彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。) 作:さちはら一紗
話は金曜日、飛鳥たちが『友達の定義』を詰めていた時に遡る。
放課後の教室で、二人のやりとりを目撃したひとりの男子生徒がいた。
彼の名前は
妙な噂については笹木はそこまで気にしておらず、挨拶や世間話は交わすのだが。どことなく雰囲気が浮世離れしており、周りにあまり興味がなさそうで、妙に話しかけにくい。
そんな、笹木慎の抱いていた印象を覆すのが、あの放課後の一幕だった。
年上で、意味ありげで、関わりにくい──それを厄いと言う者もいるが、笹木はひっそりとミステリアスでクールだと思っていた──二人が。
『友達の定義』、そんなことを馬鹿真面目に語っている。
笹木は盛大に困惑した。
──なんで? 高校生がやることじゃなくない? おかしいよ。
教室を遠ざかりながら、笹木は思った。
──やばい、逆になんかちょっと面白くなってきた。
笹木慎は普通の高校生だ。ただ少し、少しだけ。
好奇心に正直だった。
◇
喫茶
店の前に着き次第、とりあえず俺は扉を拝んだ。面接に落ちまくった末に辿り着いた店なので拝みもする。まあ、俺が入るのは裏口からなのだが。
などと考えながら、従業員用のスペースに裏口から入ったら。
「あれ、新しく入ったバイトって陽南だったんだ」
休憩室の前から、喫茶店の制服を着て現れたそいつは。この前の放課後の教室で咲耶とのやりとりを目撃された同級生、その人だった。
笹木慎。明るく染めた短髪に控えめなピアスという、一見軽そうだが表情と物腰が穏やかな、とっつきやすい同級生だ。
友達と言える程ではないが、それなりに話す仲ではある。だから、よりにもよってこいつにあの一件を見られた、というのがめちゃくちゃ気不味かったりするのだが──それは、一旦保留にして会話をする。
「なんだ。笹木もここで働いてたのか」
「うちの親戚の店なんだよ、ここ」
「へえ、世間は狭いな」
よろしく、と言い合う。
「陽南が同僚になってくれて丁度よかった。ちゃんと話してみたいって思ってたんだ」
……予想外に、好意的な言葉が続いた。
「そんな急に。なんで?」
「ほら、この前のこと。教室入る前に話、結構聞こえてたんだけど……あ、ごめんね。忘れるって言ったのにきっちり覚えててさ」
「ああ、別に全然、構わないけど」
いや、めちゃくちゃ構うけど! 今、『結構聞こえてた』って言ったよな。一体、どこからどこまで聞いてたんだ……。
笹木は人の良い笑みを浮かべながら、
「あの件で、陽南ってとっつきにくいかと思ったけどさ、意外と……うん、意外と面白い人なんだな〜って思ったんだよ。それが理由」
察する。
──その「面白い」は、かなり婉曲化した「アホ」って意味では?
こいつ、さては大分最初から聞いてただろ。
こんなことなら教室で話すんじゃなかった。
教室の周りの人の気配とか読めなかったのか、というと、そういうのは相当気合や緊張感がないと読めない。というより、俺は普段意識的にスイッチを落として、そういうことはわからないようにしている。だってもう、いらないし。常在戦場みたいな技術を維持していると、異世界ボケの原因にしかならない。(だから、ぽんぽんと魔法を使う咲耶に苦い顔をしているのだが)
にしても、そうか。アホって思われたのか……。
無言で打ちひしがれる。別に咲耶にアホって言われても響かないけど。他の人に言われると、めちゃくちゃ、クる。
「でさ、文月さんとはどういう関係?」
笹木は好奇心を隠さずに、聞いてくる。率直な態度だから不愉快ではない。
「ただの友達、っていうには、ただならないように見えたけど」
前言撤回。当然本質を突くな。
「えーと、アイツは、なんていうか……」
困る。アイツのことを、なんて言えと? 元宿敵だった友達、戦友のようなもの、いわば共犯者でもあるような──どれも物騒、有り得ない。
朝飯を共にする仲で、これからは夕飯も一緒に作る約束をしている──流石にそれを、何も知らない他人に「友達」と説明しないだけの良識はある。正しく通じないだろう。
俺たちにとっては、それが紛れもなく友達の範疇でも、だ!
ぽんぽんといくつかの答えが湧いては消えていくが、いつまでも言い淀んでいられない。限られた時間で思考し、ええいままよ、と脊髄で答えを選ぶ。
そう、アイツは。
「窓から入ってくるタイプの、友達」
「…………」
笹木、硬直。俺は、沈黙。
わかっている。明らかに選択をミスった。俺はもう、俺の脊髄を信じない。人間、思考を捨ててろくなことがない。
──なんでよりにもよって一番共感されなさそうな、それを選んだ?
というか俺、結構口軽いよな。割と失言するというか。余計なことを口走るというか。
冷や汗を流しながら、どう誤魔化そうかと考えているうちに、笹木の表情が変わる。
「陽南」
ずいっと詰め寄った笹木は、神妙な声音で俺に言った。
「……おれも、幼馴染が窓から入ってくる」
「まじでか」
目を合わせ、一拍。互いに間合いを測り、笹木が口火を切った。
「あれさぁ、おれは危ないと思うんだよね!」
「そうだよな、他の人に見られたら危ないやつになるよな!」
「うん? や、怪我しそうって意味だけど、それもわかるよ。ぱっと見泥棒みたいだし」
「それ。でも合理的だからって、やめないんだアイツは!」
「わかる。そういう問題じゃないんだ。合理的で許されちゃいけないこともある」
「常識だよな。窓から入ってくるのは常識を省みてない」
「でも正直、遊びに来てくれるのは嬉しいからあまり怒れないんだよね」
「妥協しそうになるよな。ちゃんとノックされただけで喜んでしまった……」
「だけどこう、別の意味で冷や冷やしない?」
「タイミング悪い時に入ってきたらどうしようってな」
「そう、変な時間に入ってくるんだよね」
「午前三時」
「それはマジでひどいね」
「迂闊に服も脱げん」
「部屋に変なものも置けない」
「……ああ」
「……うん」
語るべき言葉はもういらなかった。
「これ、誰にも言えなかったんだよ」
「俺もだ」
お互い無言で拳をぶつける。
いや、一時はどうにもならないだろと思ったが。どうにかなったな!
脊髄、責めて悪かった。おまえの選択は正解だった。これからも俺の脳と一緒に頑張ってくれ。
相互理解はすなわち友情の第一歩だ。初手で同僚、兼、同級生と良い関係を築いた労働環境には、もう勝ちが約束されている。前途は明るかった。
「あとなんか、入ってこられると窓を盗られたような気がするよな。俺の窓なのに」
「えっ、それはちょっと何言ってるかよくわかんない。何言ってんの? おかしいよ」
前途、ちょっと暗くなった。
◇
ともあれ、バイト初日からいい滑り出しだった。
業務自体も、飲食店は久々だったが、身体が覚えていたので特に支障もなく覚えていく。
と、日が暮れ丁度客足が少なくなった頃のことだ。店内に残る客はたった一人。
それは、鮮やかなオレンジ色の髪をした、背の小さい女の子だ。
カウンター席に座るその子は、俺に向けて手を上げる。
「ヘイ、そこの新入りぃ」
呼ばれてぎょっとした。なんだその変な喋り方は。
そいつはメロンソーダを啜りながら悠々とカウンター席で膝を組み、俺に管を巻く。
「貴方。一体全体、誰に断って、ここでバイトなどやってやがるのです?」
はんっと見下したような態度で、少女は言った。
「……は?」
なんだこいつ。迷惑客か?
中学生だろうか。そいつは分厚い眼鏡をかけていて、髪は両サイドで三つ編みのお団子にしていた。童顔で目が大きく、どことなく人形のような印象を受ける。多分、海の向こうの血が入っているのだろう。瞳はうっすらと緑がかっているし、髪もオレンジ色に見えるが言い換えれば「赤みがかった金髪」だ。まつげまで同じだから、地毛らしい。
端的に言って見た目は随分と可愛いのではないだろうか。少なくともひと目見たら忘れないくらいには。大分可愛いなそれ。
だが見た目が良くても、中身が駄目だと全部駄目だと思うのだ。
とりあえず仮称はみかん女にしようと決め、俺は問いに答える。
「別に、『誰に断って』って聞かれても。普通に面接受けて雇われただけですが」
みかん女は鼻を鳴らした。
「嘘ですね」
「なんで」
「この店はバイト募集を長らくしていません。募集していないはずなのに、知らない間に雇われていた貴方は不審です」
みかんは理路整然と、落ち着きのある語りで根拠を言う。
「あ、敬語はいらないです。年上に慣れない敬語使われるとむずっとします」
……ただの厄介な客かと思ったが。そうでもないらしい。
「わかった、白状する。実は──」
この店に雇われた経緯は正直、運だ。丁度マスターがバイト募集の張り紙を出してるところに遭遇したのだ。面接連敗だった俺は、そのまま速攻で勝負をしかけたのだが、マスターのお爺さんが、俺を見て言ったのだ。
『あれ、きみ。昔、ウチに通ってませんでした?』
……正直な話、俺は覚えていなかったのだが。適当に話を合わせているうちに、そのままあっさりと採用された。
完全に幸運の為せる経緯だった。捨てる神あれば、というやつだ。ありがたい話である。だから俺は喫茶店の扉を拝むし、なんならマスターの爺さんも拝む。
多分、そろそろ人生何もかも上手くいく気がする。バランス的にそろそろ運が回って来ないとおかしい。なんか次のジャンケンとか絶対に勝てる気がする。
「──というわけだ。だから、君が募集の張り紙を見ていなかっただけで、俺は正当に採用されている」
「いや今の話、ちっとも正当じゃないでしょ。ノリじゃねーですか」
ばれたか。
「
「結局信用がおけないことには変わりないので。
めめ。みかんは、名前が一人称の子なのだろうか。
「いや、試験て。何者なんだよ」
オレンジ髪の少女は冷ややかに俺を見て、真緑のメロンソーダを啜り、
「別に、ただのミステリアスでサブカルチャーな普通の女の子ですよ」
即座に矛盾する、胡乱な自称をした。
「あと、この店の……身内、ですかね〜。裏の支配者的な?」
……こいつも中二病か?
みかんはグラスを一旦置いて、隣の椅子にかけていた自分の上着を羽織る。そして上着のポケットから、名刺のような何かをスッと差し出す。それはうちの高校の生徒証だった。
「
よく見たら、彼女はうちの制服を着ていた。さっき羽織ったぶかぶかの
ブラウスが指定じゃないものだったせいで、今まで気付かなかった。校則がゆるいから皆好き勝手に着崩すのだ。制服を指定通り着ているのなんて、咲耶くらいじゃないだろうか。
差し出された生徒証を読む。
「なんだ、同学年じゃん。隣のクラスか。ビビって損した」
「流石に同輩とわかってなきゃ、あんな難癖付けませんよ。ただの失礼じゃないですか」
「……いや、同輩でも初対面相手にやることじゃないだろ」
同輩、と自分で言ってふと思う。そういや、本当だったら後輩だったやつらが同学年なんだよな。笹木に対してはあまり意識しなかったけど。目の前の少女は、だいぶ「後輩らしい」気がした。童顔と慇懃無礼のせいだろうか?
「えー。芽々、そんな変なことやりました?」
俺の指摘にきょとん、と首を傾げるご同輩。
「不審がっていたのは本当ですけど。『新入り』呼ばわりは半分威嚇で、残り半分は小粋なジョークだったのですが? ほら、フィクションでよくある、酒場でチンピラが絡むお約束。あれのパロディを芽々は演出しようと思って」
「一体何を言っているんだ?」
「そっか、通じないんですね……」と残念そうな表情を返された。
いや、なんとなくそんなシーンがあるのはわかるけど。それを演出って、何?
みかん女、あらため寧々坂芽々に向き直る。
「なぁ寧々坂、」
「ネネザカって言いにくいので、『芽々』でいいですよ」
「試験って何だ?」
「芽々が貴方を気に入るかどうかの試験ですけど?」
「それ、合格しなかったらどうなるんだ」
「そうですね。芽々の気に入らない人間が店にいる、ということなので……」
店の身内なら機嫌を損ねてどうなるのか。
──もしかして、クビ。戦々恐々とする。
彼女は、眼鏡をくい、と持ち上げる。
「シフトを教えてもらって、その時間は芽々があまり店に来ないようにします」
「……それだけ?」
「それだけですが? なんですか。芽々が貴方の労働の権利を妨げるとでも?」
「うん」
「まさか。そんな横暴するわけないじゃないですか」
理不尽な難癖をつけてきたくせに、言ってることがすごいまともだった。
なるほど。こういうタイプか。寧々坂芽々──彼女は一見わけのわからないことを言っているように見えて、しっかりと理屈が通っていた。眼鏡の奥の両目からは、理知的な印象を受ける。喋り方はちょっと変だし、第一印象はげんなりしたが。
「俺、多分おまえのこと好きな気がする」
「そですか。惚れちゃだめですよ、飛鳥さん」
顔色ひとつ変えず、芽々は平然と返した。
「あれ、なんで俺の名前知ってるんだ?」
まだ言ってないのに。
「はぁ。そんなの、知ってて当たり前じゃないですか」
まあそうか。同学年なら、そうだな。
「それで、試験って何をするんだ?」
「そうですね」と芽々はカウンターテーブルに立てられたメニューを開く。
「飛鳥さん、好きなコーヒーは?」
「俺はコーヒーわからん」
「そんな堂々と喫茶店の店員が言います⁇」
「小豆入れると美味いよね」
「ゲロ甘じゃねーですか」
『なんで雇われた?』という目で見てくる。早速失点したらしい。
「まぁ、いいですけど。じゃあ代わりに何か好きなメニュー、言ってくださいよ」
芽々は細っこい脚を組んだまま、気怠げにグラスの中身を啜る。ふと、芽々の手元のグラスに目が惹かれた。透明なガラスと氷の合間に、透き通った緑の液体が通る。淡い照明の光が反射して、綺麗だと思った。
「メロンソーダかな。アイスが乗っていると、なお良い」
俺の答えを聞いて、芽々はストローを唇から離す。グラスの中身は空になって、氷がカラコロと鳴った。
「なるほど。良い選択です。では、とりあえずメロンクリームソーダを追加注文で。それで試験を行いましょう」
「出来を試験するって意味か?」
バイト初日だぞ。クリームソーダくらい作れるけど。
「いえ、違います」
芽々は首を横に振る。
「試験の内容は……後でお教えしましょう」
そう言って、年下の後輩っぽい同輩は、にっこりと胡散臭く微笑んだ。