彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。) 作:さちはら一紗
──これは遠い昔、遠い世界の昔話だ。
その世界には竜がいた。
竜は世界を愛し、人を愛していた。
理由などはない。星より生まれた彼らは皆が皆、人の願いを叶える魔法使いであり、地に満ちる人を愛するようにできていた。
ある時、人と竜との間で戦が始まる。
戦の理由を覚えている者はもう、誰もいない。
大事なのは、それはどちらかが絶えるまでは終われない絶滅戦争であったことだけだ。
さて。
その時代に、
名を星喰いのアージスタ。
けして強くはなく、聡明ですらなく、けれど魔術にだけは長けていた彼の役割は異世界から魔女を召喚することであり。魔女をもてなす従者となることだった。
喚び出された魔女の役割は初め、ただ数滴の血を竜に捧げることのみだった。
けれど同朋は次第に血に狂い、不死の少女を喰い散らかすようになる。
従者たるアージスタはその制約により、ただ
ただひとり正気で、生贄の魔女の悲鳴を聞き続けた。
狂っていく竜たちを眺め続けた。
そして。
──遅すぎる数百年目にようやく悟る。
『我らは疾く滅ぶべきだ』
かつて誇り高い魔法使いであった竜は皆、言葉すら忘れ獣に堕ちた。
世界にはもはや神話にも語れぬ惨状しか残ってはいない。
狂いきった同朋を一匹残らず地に落とし、根絶やしにしなければならない。
人の子を喰い物にするふざけた呪いなど、早く終わらせなければならない。
──わかっていた。そう思うのならば今すぐに皆の首を落とせばいいと。
だが。だがその前に。
我らが滅ぶその前に。
あの醜悪な人類を、なんとしてでも滅ぼさねばならない。
その誓いだけが、若く、さして強くもなかった竜を魔王にした。
神話にも語れず、
──だから。
千年の過ちの果て。
生贄の身でたったひとりで立った魔女のことを。人も竜も世界も全て滅ぼすと啖呵を切った弟子のことを。本当に愛していたなどということも。
だから余計なことは知らなくていいと、どうせ滅ぼす世界の醜悪さなど知らないでいいと、
『所詮邪悪な竜には、無価値な話だ』
◆
わたしは問う。
「考えたのよ。『魔女』も『勇者』も本質的には同じだと。わたしたちは所詮、別世界から召喚しただけの『人間』。多少適性があるだけの器に過ぎない。そうでしょう?」
別世界から呼び出されても特別な力が目覚めたりはしない。
そのままでは世界を滅ぼすことも救うこともできやしない。
だからわたしは竜の因子を埋め込まれ、あいつは脳を弄られた。
……でも。それだけでは、まだ足りない。
RPGに喩えれば、あの異世界は始めからラストダンジョンみたいなものだ。
経験値稼ぎのスライムをすっ飛ばしていきなり狂ったドラゴンが出てくる、Lv99でないと旅立つことすらままならない、ゲームバランスのイカれた世界。
──そしてわたしの役割は本来、永遠にLv1の生贄だった。
だからわたしは裏技を使った。死に続けながら正気を保つことで、自身の怨念を経験値に変換して。ようやく魔女として世界を滅ぼせるだけの力を得た。
──ならば、あいつは?
あいつだって初めはLv1だったはずだ。それがただで
魔王はらしくなく勿体ぶることもせず、淡々と頷いた。
「そうだ。キミも彼も本質的には同じモノ。召喚された者の役割は、等しく
彼は言う。勇者の定義はあくまで『聖剣の使用者』であり、魔女とは違って『別世界の人間』である必要はないのだと。
「あれは『聖剣』とは名ばかりの呪いの武器だ。血と怨念を媒介に、命を力に変換し、
意外には思わなかった。
呪いは呪いでしか打ち勝てない。呪いを断つ剣が、別種の呪いそのものであるのは納得がいく。
「その剣の担い手を選ぶ儀式に、生贄として捧げられるのがキミたちだ」
──殺される、ただそのためだけに喚び出される。
その身勝手に対する怒りは、今はどうでもいい。
眉を潜める。話が繋がらない。
「わからないわ。生贄だというのなら……あいつは、なんで生きてるの」
──殺しても死なない
「
呼吸を止める。嫌な予感が確かな輪郭を持ち始める。
「魔女も勇者も本質的には同じだ。キミたちは等しく呪われている」
瞬きを止める。「何に」と問う。
「……ああ、確かこの世界にもよく似た呪術があったね。壺の中に毒虫を入れて、最後の一匹になるまで殺し合わせる、古代の大陸の呪術だ」
心臓が止まる。いつか踏み潰した百足が、脳裏を這う。
「もし壺の中で最弱の
呪いの名は『
忌々しさを隠しもせずに、師は吐き捨てる。
「勇者の造り方は蠱毒だよ」
◇
──夢を見ている。
これが夢だとわかったのは、視界のど真ん中に過去の自分の姿があったからだ。
俺は『今』の姿をしていて、一歩引いて『過去』を眺めている。他人事のように。
場所は円形に囲まれた祭壇。吹き抜けた天井から覗く空は朝夕を問わず焼けている。異世界の空だ。
いつの夢かを理解して、俺は溜息を吐きその辺の瓦礫に腰を下ろす。思い通りにならない類の明晰夢だと察したからだ。
『世界をお救いください』と聖女は言った。
滅びゆく世界を救うことは正しいことだと思っていた。
その方法に正しさが微塵もないとは聞いていなかった。
ああ、まったく。馬鹿げた話だ。頭が悪いにも程がある。
──勇者になりたい奴らが殺し合って最後に生き残った奴だけが勇者、だなんて。
そして──とっくに事は終わった後だった。
祭壇は血に濡れていた。
額は裂け、腕は千切れ、死ぬほど血が出ていて、死んではいなかった。
生き残っているのは
目の前には少女の死体がある。
高潔な少女だった。
『こんなところで人を殺すために勇者になろうとしたんじゃない』と真っ先に異を唱えた。
けれど儀式を止めることは叶わず、
目の前には少年の死体がある。
苛烈な少年だった。
『こんなところで死ぬために勇者になろうとしたんじゃない』と真っ先に剣を抜いた。
けれど最後の最後に僅かに躊躇を見せ、
他にも、自分が手にかけたわけではない、けれど俺が生き残る代わりに死んだ誰かの死体が幾つも転がっている。
きっと地獄の方が穏やかな景色をしていると思った。
その地獄に似合わぬ聖女が降り立つ。
「選定は成りました。すべての祈りは一振りの剣に。すべての命は御身の糧に」
唱える祝詞は目の前の女こそがこの地獄の取り計らっているのだと示していた。
聖女は血に濡れた祭壇に傅く。人形のごとき表情に、なんの感情も浮かべずに、祈り手を組む。
「──どうか世界をお救いください、勇者様」
死にかけの、引きつれた声で。
割れた眼鏡の奥で、青く濁りった目で、呪詛を吐く。
「滅んじまえよクソ異世界」
──ああ、そうだな。
そしてそのまま死んじまえ
遠巻きに
とっくに過ぎ去ったことだからだろうか。或いは
ただそれでも、目の前の光景のすべてが肯定できない「間違い」であることだけは痛切に理解した。
足元には千切れた
あの後、
だが惜しいとは微塵も思わなかった。
あれは人殺しの手だ。
──夢はまだ、醒めない。
◆◆
「あれこそが退廃と悪逆の都。
人類は命を焼べ、祈りを焼べ、意思も心も焼き尽くして、ただ生きながらえるだけために生贄を捧げ続ける。
そこに罪悪の念も良心の呵責もありはしないよ。
儀式を執り行う心なき人形に感情はない。人は何食わぬ顔で堕落と安寧を享受するだけ。
──我らが獣に堕ちたならば、あれは家畜に堕ちたのだ」
「救いはないよ。どこにもない。だから滅ぼさねばならない。
かつて人を愛した我ら竜が、最後の知恵ある者が、あれに引導を渡してやらねばならない」
「我が愛弟子よ。勇者を愛した愚かな魔女よ。思うだろう?
──あんな世界は、滅んでしかるべきだ、と」
人を愛し、人を憎んだ竜は囁く。