彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。)   作:さちはら一紗

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第十八話 魔女は窓からやってくる。

 長い夢を見ていた。

 降り注ぐ灼熱と閃光、意識が粉々になる衝撃で目を覚ました。頬をつねるどころではない。

 跳ね起きたのはソファの上。醒めた先は最早見慣れた居間の真ん中。だが夢にまで見た隕石の余韻に浸る暇もなく。

 ──部屋は魔力に満ちていた。

 

 床には赤い魔法陣(らくがき)が描かれている。

 静寂に微かに響く秒針の音、文字盤は深夜三時。窓は硬く締め切られて、けれどカーテンは開け放たれていた。

 硝子の向こうには黒い夜空、煌々と照らす真円の月が微笑んでいる。──異常な大きさで。

 この空間は既に現世と切り離された結界の中と、理解したその瞬間。

 

 窓が(・・)ブチ(・・)割れた(・・・)

 

 割れた窓ガラスは嵐のように、部屋の中を吹き荒らす。咄嗟に腕で目を覆った。

 だが輝くガラス片は、そのひとつひとつが光のように溶けていく。

 ──夢から醒めてもここは既に現実ではなかった。

 いや、夢から醒めた先はかつてあれほど憎んだ、俺たちの異世界(げんじつ)だ。

 

 ブチ抜かれた窓の向こうで、大きすぎる月が赤く染まっていく。

 彼女(・・)は、月を背負ってそこにいた。

 翼持つ蛇、魔法使いにして竜、魔王のその背に傲岸不遜に乗って立ち。

 

 魔女は窓からやってくる。

 

「ねえ飛鳥! いい夜ね」

 

 風に棚引く短い亜麻色の髪には悪魔めいた角。纏う毒々しい黒の夜会服が、柔らかな肌を惜しげもなく晒している。

 魔性の瞳を赤く輝かせ、赤い唇を釣り上げて。彼女は笑って、告げるのだ。

 

 

「いい夜だから──あなたに喧嘩を売りに来たわ!」

 

 

 いい笑顔だった。

 とびきりの。

 花も怖気付いて枯れるほどの。

 

 目の前の光景の異常は明白。彼女の頭には今はないはずの角があり、何より──魔王の封印が解かれている。

 

「……おまえ、何を」

 

 その問いの答えを聞く、その前に。部屋の扉が開く音がした。

 背後には、聖剣を携えた聖女が居る。

 

 

 

 ◆◆

 

 

 

 話は魔女と聖女の交戦の後に遡る。

 深夜零時。魔女は竜の牢を訪れ、告げた。

 

「アージスタ。わたしと『契約』を結びましょう」

 

 

 ──話は更に、聖剣を奪われた翌日の作戦会議に遡る。

 如何に聖女を倒し聖剣を奪い返すかの話し合いの最中に、飛鳥(かれ)は言った。

 

聖女(あいつ)をこちらに引き入れたい」

「それ本気で言ってる?」

「ああ。この先(・・・)を考えるとそれが一番いい。……魔王への対処が膠着している。封印したはいいものの、尋問は成果ナシ。魔王(あいつ)魔女(おまえ)の呪いを解く方法を吐く気がない。となれば力尽く──吐くまで殺すしかないわけだが」

 

 魔王には命が七つある。あと五つ残っている。聖剣を取り返したところで、あと五回は戦う必要がある。

 必然、あと五回死にかける可能性があるわけだが。 それは回復手段無しではあまりにリスクが高すぎる。死なないにしても五回も入院したら人は留年するので。

 だが、

 

「聖女の回復術があるなら楽ができる」

 

 敵と協力するにはより強大な『共通の敵』がいればいい。

 聖女は魔王が生きていることを知らない。人形にとって使命は絶対であり聖剣回収が最優先だとしても、「魔王を倒す」という大義の前には交渉の余地がある。

 ──もっとも、毒を盛り退路を断ってからの交渉(・・)だが。

 

 だが結局、話を持ちかける前に聖女とは決裂した。

 あまりにも高い殺意の前に手を組むどころではなく。咲耶は交渉が決裂した場合の極秘プラン「聖女殺す」を発令した。

 聖女の目的が飛鳥を殺すことなら協力は見込めない。そして魔王の封印を解いたところで聖剣無しでは対処不可能。彼は弱体化したこちらへ牙を向くだろう。

 聖女の想定外の完全敵対により、共通の敵を放つという計画は御破産になった。

 

 ──そもそも魔女は聖女を引き込むなど死んでも嫌だったのだが。

 

 彼を好き勝手に利用した相手とどうして手を組まなければならない? 

 合理であっても感情で納得できない。わかりやすく敵でいてくれるならそれが一番良いと思っていた。

 だが。今夜の一戦を期に、咲耶はもう知っていた。聖女の殺意の理由を、彼女の想いの正体を。

 同類(・・)だというのならば、許しはしなくとも理解はしよう。

 ──ならばこの手に、賭ける価値はある。

 

 

 そして魔女は竜に契約を持ちかけた。

 

「おまえの封印を解くから、わたしに力を貸しなさい」

 

 魔法使いは、気怠げに目を細め一蹴する。

 

「何のためにだい? 時間の限り沈黙すればボクが勝つようにできている。キミの契約とやらに乗る意味がない」

 

 だが魔女は、揺るぎなく答える。

 

「意味ならあるわ。これは最高の形で世界を滅ぼすための賭けよ。契約内容くらい確認してもいいんじゃない?」

 

 魔王は目を細めたまま、否定を口にしない。それを肯定と受け取り、魔女は口を再び開く。

 

「勇者の造り方を聞いた時にわかってしまったのよ、おまえの真意。難儀よね魔法使いは。魔法のためには感情的にならざるを得ないから、時々本音が筒抜けになる」

 

 感情を押し隠して駆け引きをしようにも、それができる相手はもう何百年とあの世界にはいなかった。

 

「この現世(せかい)にわたしを連れ戻しに来たと言ったけど。おまえが本当に執心なのは魔女じゃないでしょう」

 

 あの薄暗い魔王城の奈落で、魔女は彼の懺悔を聞いた。

『必ずや悲願を果たし、この星を滅ぼそう。繰り返された千年の召喚はここで終わらせる』

 邪悪の分際が口にするにはあまりにおこがましい、綺麗事めいた誓いを。

 

「勇者の造り方を話した時、あまりに自分たちのことを棚に上げて人類を扱き下ろすんだもの。変だと思ったのよ」

 

 勇者も魔女もその造り方に本質的な違いはない。

 生贄のための異世界召喚。その醜悪さの優劣を語るなど無為だ。

 なのに竜は、人類の所業を本気で(・・・)許せないように語る。

 

「もしかして、異世界召喚は人類が最初に始めたのではない? 勇者に追い詰められたおまえたちは、対抗して異世界召喚に手を染めざるを得なかったのではない?

 ……初めは魔女を丁重に扱っていたのだったか。でも、おまえたちは異世界召喚の罪を異世界召喚でもって贖わせようとして、しくじった。同朋は皆狂い、けれど著しく強化され、人類を追い詰め返すに至った……。

 全部想像だけど。そう間違ってはないんじゃないかしら。わたし、勘は悪いけど。悪い想像(・・・・)には自信があるの」

 

 竜は人類を憎んでいる。あの都を憎んでいる。異世界召喚そのものを憎んでいる。

 

 

「──おまえが執心なのは魔女ではなく、わたしたち(・・・・・)だ」

 

 

 この竜を、いつか殺すとずっと思っていた。

 けれど一度二度と、勇者に倒されるのを見て気が付いた。

 ──こいつには悪の大魔王らしさが足りていない。

 甘いのだ。自分を殺した勇者にも気持ちが悪いほど好意的で、現世にやってきた時も飛鳥を殺そうとはしなかった。

 甘さの理由はなんだ?

 魔女は考える。

 

「『世界の半分を勇者にやろう』この世界で最も有名な魔王の台詞よ。……あいつは最終決戦を会話すらせず、背後から不意打ちで魔王を倒してしまった。だから、知らないの。あの時──魔王(せんせい)は勇者に何を言おうとしたのか。

『答えて』」

 

 この会話は『契約』の手続きにあるものだった。

 彼らにとって契約は強力な魔術だ。真名(まな)と共に結ぶ契約は、その過程ですら嘘を許されない。

 だから。彼は、真意を答えた。

 

「『よく来た勇者よ。私は待っていたのだ、ずっと。キミのような勇者を。──ボクと共に、この世界を滅ぼさないか』」

 

 ──あの時、告げられないままに死んだ言葉を。

 

 

「ええ、ええ! きっとそうだと思っていたの! 契約の意味ならあるわとびきりのが。──もし勝てば、最高の結末をおまえにあげる。

 ねえ師匠(せんせい)。自業自得の破滅の結末はお好きでないかしら? わたし実は、クソみたいなバッドエンドが好きなのよ」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 そして現在(いま)

 わたしは再び敵として、あいつに会いに行く。

 

 あいつが死ぬまで待つなんて悠長なことを魔王にはさせない。聖女が黙って聖剣を持ち逃げすることも。あいつが過去の記憶に呪われ続けることも、だ。

 わたしが魔王も聖女も勇者も、全員、ここに引き摺り出してやる。

 

 ここは結界に切り離された異世界空間。ここではいかなる破壊も現実には作用しない。

 叩き割った窓の向こうに飛鳥はいた。背後には聖女が沈黙して置物のように立ち尽くしていた。

 飛鳥が目覚めるその前のことだ。魔王の封印を解いた後、気配を察知して彼女はやってきた。それまで聖女を阻んでいた結界も排除してここへと誘い込み、わたしは言った。

『これがあいつを救う方法だ』と。

 その理由を確かめるまで、聖女は自らの『救い』を行使することはない。

 

 飛鳥は、唖然と警戒がないまぜになった目で「何をした」と問いかける。

 わたしはそれを空から見下ろして答える。

 

「契約を結んだの! 魔王と正統な手順(・・・・・)を踏んで(・・・・)決着を付けるための契約を。勇者が勝てば、死ぬ前に魔女(わたし)の呪いを解く方法を教える」

 

 その条件のひとつが、再び魔女(わたし)が勇者の敵になることであり魔王の味方として戦うことだ。

 聖剣に触れずともわたしが竜の因子を発露した姿であるのは、契約のおまけに過ぎない。魔王に力を分けてもらい、聖剣なしで変身できるようになったのだ。

 ……不死の呪いは少しばかり濃くなったけど、誤差のようなものでしょう。どうせ(・・・)勝てば(・・・)呪いは(・・・)解けるの(・・・・)だから(・・・)

 嫌な予感を感じたのだろう。飛鳥は苦々しく頬を引きつらせ、問う。

 

「負けたら、どうなる」

 

 わたしが賭け金にしたのは『最高の結末』だ。

 口の端を釣り上げた。

 

 

「もし負ければ──世界を滅ぼしに行くの。

 勇者(あなた)が、その手で」

 

 

 魔王は望んでいた。『異世界召喚の罪は異世界召喚でもって贖われるべきだ』と。

 

魔女(わたし)がただ滅ぼすだけじゃ足りないわ。悪いことをしたらそれ相応の報いがなければならない、そうでしょう? 

 ──人は、人が自ら作り出した業によって滅ぶべきだわ。勇者を(・・・)造り出した(・・・・・)人類は(・・・)勇者の手(・・・・)で滅びる(・・・・)べきだ(・・・)

 

 それこそが因果応報。自業自得の破滅の結末(バッドエンド)。魔王に提示した、わたしが考える最高(さいあく)の結末。

 ──要するに。

 

「勝てば約束を果たすハッピーエンド、負けても世界を滅ぼすハネムーン。──悪くない賭けでしょう?」

 

 どちらに転んでも、願い通り(・・・・)

 

 

 契約の内容を聞き、飛鳥は。唖然を通り越して血相を青から赤に変えた。

 

「……本っ当に! おまえは一人だとろくなことをしないな!!」

 

 ……ああ、その怒り慣れてない声色は懐かしい陽南君(あなた)のものだ。けれどその叱り方は馴染みきった飛鳥(あなた)のものだ。ここにいるのは紛れもない、『陽南飛鳥』だ。

 頬が緩んで仕方なかった。

 

「それほどでも──あるわ!」

「ねえよ! 褒めてねえ!!」

 

 

 ──わかってる。本当は。無理矢理引き摺り出して追い詰めて立ち上がらせる。こんなもの、冷静に考えれば毒でしかない。

 ようやく『人間』に戻ったあなたに、再び『勇者』を強いろうというのだから! 

 でも。

 

「『まだやる(・・・・)』とあなたが言った!」

 

 たとえ毒をもって毒を制すやり方でも。これが、わたしなりの救い方。

 

 

「さぁ、御膳立ては済んだわ! 魔女の据え膳、毒まで食らってちょうだいな!!」

 

 

 ──結末(すくい)は、あなたの手の中に。

 

 

 ◇

 

 

 目の前に広がるのは冗談みたいな光景で、聞かされたのは冗談みたいな話だった。

 どいつもこいつも正気じゃないな、と俺が言って。いつものことだろ、ともう一人の俺が言う。

 頭の中は煩いが、思考はすっきりと晴れていた。統合されたばかりの自我にはまだ違和感があるが……じきに慣れるだろう。

 もう慣れた。

 

「魔王、ひとつ聞きたい。おまえはこれで(・・・)いいのか(・・・・)

 

 契約内容の是非を問う。あれは少々魔女に都合が良すぎる内容だ。

 魔女を背に乗せた竜は答える。

 

『嗚呼、勿論だとも。私は元の存在定義を言えば、魔王でなく魔女に仕える竜でね。こうして足蹴にされるのも懐かしいと思えば悪くない』

 

 いや、そっちじゃない。蹴られたいとか聞いてない。

 背の上でイラッとした咲耶がメリメリと竜の鱗を剥がし始めている。やめてやれ。

 気にも止めずに竜は答え直す。

 

『──そしていずれの結末も肯定しよう。結果として己が殺されても構わないさ。私の願いは、世界の正当な滅び(・・・・・)ただそれだけだ。君には世界を滅ぼす正当な資格(・・・・・)がある』

 

 そして竜は魔法使いらしく、甘言を囁く。

 

『キミは、この戦いにわざと負けることを選んだっていいんだぜ?』

 

 負ければ(・・・・)世界を(・・・)滅ぼせる(・・・・)、と。こちらの本心を蛇の目で見透かして言う。

 

 俺は答えなかった。

 目が覚めた今、ツケにし続けてきた感情は全部蘇っている。はっきりと自分の中身が理解(わか)る。

 拳を固く握りしめる。

  ──ああそうだ。俺は、あの世界が、心底から嫌いだ。

 だが。

 

魔女(・・)。ひとつ言いたい」

「そう呼ばれるのは久しぶりね! ええ、何かしら!」

 

 ぱっと無邪気な笑顔でこちらを見下ろした彼女に、問う。

 

 

ハネムーン(・・・・・)って(・・)()?」

 

 

 ──いや、何? ほんと。全然わかんねえ。

 

 これまでの割合咲耶に甘かった俺は鳴りを潜めている。多分、今の俺は魔女のことをゴミを見る目で見ていた。綺麗なゴミだな……。

 彼女は曇りない眼でこちらを見返す。

 

「終末旅行の英訳よ。常識でしょう?」

 

 得意満面。

 

『違うよバカ弟子』

「英語赤点か?」

 

 旅行どころかもたらしてんだよ、終末をよ。

 

 奴らの理屈はこうだ。

 俺には復讐の権利があるから負けてもいい、負けてもハネムーンだから悪くない。

 なるほど──、

 

 いや。

 いいわけがないだろう!!

 

「……なんでッ、俺が直接滅ぼすって話になってるんだよ!!」

 

 言ってねえよ! 滅ぼしたいとは!! 滅べとは願ったけど!!

 

「え? だって復讐は自分の手で為したくない? 絶対」

「絶対嫌だ。嫌いな奴は俺の知らないところで勝手にどうにでもなって欲しい」

「あっは、宗派違いね!」

「倫理性の違いだな」

 

 解散。とは言えないのがこの状況。

 後ろをチラリと見やる。魔王をダシに引き摺り出されただろう聖女は、状況の推移を沈黙して見守っている。前門の宿敵、後門の元同僚。退路はない。

 

 顔を覆う。溜息を吐く。

 

 

「……わっかんねえよ、おまえらのこと。

 ──なんで異世界のことだけ(・・)滅べって思えるんだよ」

 

 

「えっ」

『うん?』

 

 

 あの世界が嫌いだ。あの世界の人類はクソだ。それは正しい。けれど間違っている。

 

「そもそも、人類はクソで世界はクソだ。そんなこと──ただの常識(・・・・・)だろうが。異世界だろうと、現世(・・)だろうと(・・・・)!!」

 

 今なら夢で、俺の言ったことがわかる。

 ああ確かに『この程度の過去』だ。勇者の造り方は最悪だが、人類にしては(・・・・・・)まだマシだ(・・・・・)

 あの世界は、あの時代は、最小限の犠牲を徹底していた。勇者を作るための犠牲と、魔女以外の犠牲は存在しない世界だ。文句は巻き込まれたのが俺たちだったということだけだ。

 人が、世界が、最悪なんてこと。俺は異世界なんかに行く前からずっと知っていたじゃないか。

 悪意は標準、因果は応報せず、ある日突然伏線もなく隕石は降ってくる。俺の両親も、祖母も、家も、そうして破壊されていった。

 陽南飛鳥の人生は初めからずっとそうだった。

 そんなことは悲劇ですらない。ただの『普通』だ。

 

 ──世界は押し並べてクソだ。例外は、ない。

 

 もしも、人類の愚かさを理由に世界の滅びを導くというのなら。人類すべて(・・・・・)に罪を弾劾しなければ道理に合わない。

 

 

「だから、中途半端なんだよテメエらは!! それでも魔王か、それでも魔女か!! 滅ぼすならキッチリ滅ぼせ、全宇宙をよ……!!!」

 

 

 世界を滅ぼす巨悪二人は、神妙に呟く。

 

 ──いや、別に、そこまでじゃない。

 ──うん、そこまでじゃないかな……。

 

『君は大魔王か??』

「わたしより闇堕ちしてる……」

 

 ……ふむ。

 

「今のは冗談だ」

「笑えない!!!」

 

 別におかしなことは言ってないと思うんだが。

 人生なんて二千年以上前からずっと一切皆苦だし。世界なんてどうせ五十億年後には滅んでるし。

 俺は来世があるならブラックホールになりたい。隕石より強いし、自我ないし。最高じゃん。何故わからない……?

 閑話休題(それはともかく)

 

「ああ、そうだ。確かに俺は『滅んじまえ』と呪った。それでも(・・・・)、だ」

 

 知っている。それでも世界が捨てたものじゃないということを。

 知っている。それでも人が捨てたものじゃないことを。

 

 

「俺は、世界を救うことの正しさを、疑った事は一度もない!!」

 

 

 それは感情ではない。安い絶望でも自分本位の恨みでもない。そんなものでは揺らがない、意志だ(・・・)

 すべてを思い出した今だからこそ断言できる(・・・・・)

 世界は押し並べてクソだ。だがそれは、けして滅ぼす理由に足りはしないのだと。

 

 

 彼女は、あきれたように笑みを溢した。

 

「まったくもってわからないわ。あなたって、人間に戻っても変なんだ」

「おまえにだけは変と言われたくない。俺が人類のスタンダードだ」

『いやそれはない』

 

 俺は、諦めたように笑い返す。

 

「分かり合えないわねわたしたち」

「相入れないな俺たちは」

 

「ええ」

「だが」

 

「それでもいいわ」

「それでいい」

 

 どちらが正しいかなんて無意味だ。善悪を論じることに果てなんてない。

 だから、勝ち負けで決めればいい。

 ずっとそうしてきたのだ。これからも、そうすればいいだけだ。

 足を止めるのは戦えなくなってからでいい。

 売られた喧嘩(・・・・・・)は全部買う(・・・・・)

 

「ならば。どうかわたしを屈服させて、叱って、完膚なきまでに負かして頂戴」

 

 夜天。赤い月を背負って、魔女は宣戦布告(となえる)

 

「今宵は旧暦文月の満月、わたしが一年で一番強い時。手は抜かない。全力で行くわ。……その上で、勝ってくれると信じてる(・・・・)

 

 世界で一番、悪い笑みで。

 

 

「──さぁ、始めましょうか。最終決戦を何度でも!!」

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 苦笑と共に彼は窓辺に立つ。

 

「ひどい茶番だな。今から痴話喧嘩で世界の存亡を決めようってんだから」

 

 纏うのは聖女の術によって再現された異世界時代の装備。右腕には聖剣が再び収まっている。紛れもない、あの頃の『勇者』の姿だ。

 聖女はそれを──無表情のまま──不納得の目で見ていた。

 ここまで状況を整えられては、聖剣を彼に渡さない理由はなかった。

 だが納得がいかない。わからなかった。魔女がどうしてこんなことをしているのか。これがどうして、彼を救うことになるのか。

 魔女は彼に『世界を救え』と強いている。それは自分たち人形の罪深い行いとどう違うのだろう。

 ──それこそが、彼を追い詰めたのではなかったか?

 

 聖女は俯く。聖剣の代わりに錫杖を握り締め、葛藤を口にする。

 

「これで、いいのですか……。本当に、これで貴方は(・・・)救われる(・・・・)のですか(・・・・)

 

 彼は、その問いには答えず。窓の向こうを、彼女を見上げて呟く。

 

「……あいつはどこまでわかっててやってるんだろうな」

 

 察するに足る事実がここにある。

 おそらく今、文月咲耶は(・・・・・)悪い魔女を(・・・・・)演じている(・・・・・)。それが何のためか──自分のためと気付けないほど、彼は愚鈍ではない。

 

 異世界で自我を取り戻──いや、再構成した時のことだ。魔女の正体が文月咲耶だと気付いた後、別に魔王を倒す必要は必ずしもなかった。最終決戦なぞ容赦無く無視して、とっとと現世に帰ればよかったのだ。

 だがそうしなかった。できなかった(・・・・・・)

 理由にあったのは「帰還の為の術式を手に入れるついで」などという建前ではない。

 

 ──寒々しい罪悪感と、灼けるような使命感。記憶を失くしても自我を上書きしても消えなかったそれ。

 自分が世界を救おうとしたのは、正義感からなどではない。それが(・・・)唯一の(・・・)贖罪だった(・・・・・)からだ(・・・)

 

 彼女は夢に入り込んでも、記憶や思考は読んでないと言った。けれどもう、浅い付き合いではない。弱さすらとっくに見透かされた関係だ。

 ──きっと彼女は、暗にすべてを理解している。

 世界を救って尚、彼が自分を許すことができなかったことも。

 

 だから彼女は『負ければ世界は滅ぶ』と脅しをかけたのだ。

 自身を絶対悪(ヒール)の側に置いて。──彼を、絶対のヒーローに仕立て上げるために。勝てば(・・・)世界を救える(・・・・・・)ように(・・・)

 それだけがきっと勇者(かれ)救う(ゆるす)のだと、理解して。

 

 まったくどうしようもない据え膳だ。こんなもの、食わずにいられるわけがない。

 滅茶苦茶にも程がある。見透かされているのが情け無くて死にそうだ。

 だが。

 ──笑わずにはいられなかった。

 

 

「聖女。ひとつ、聞いてくれ。──これが最後の恨み言だ」

 

 世界を滅ぼすに足る理由など、彼の哲学ではひとつも導き出せない。

 だが、どんなに理屈で飲み込んでも、それしか最善がなかったと理解しても、あの世界の所業が、陽南飛鳥の人生における最悪(・・)であることに変わりはない。

 

 ──よくも俺の人生滅茶苦茶にしてくれた。

 たとえ意志で捻じ伏せても、恨み言が消えることはない。

 

 ──よくも取り返しの付かない道に追い込んでくれた。

 この先何を許してもきっと、本当に自分を許せる時など来ない。

 

 

「おまえらのことが正直憎い。一生恨む。でも許す」

 

 

 だとしても人類の『滅びたくない』という祈りは正しかった。

 だとしても『明日が欲しい』という祈りは美しかった。

 ならばいい。

 もう、いい。

 

 ──そのために、俺の二年と少しくらいはくれてやる。

 

 

ネモフィリア(・・・・・・)

 

 

 生まれて初めて、人に名前を呼ばれた少女は。 顔を上げた。彼を、見た。

 

 

「俺たちはまだ、世界を救えるらしい」

 

 

 その笑みは。恨み憎しみ、卑屈と自己嫌悪が根付き。なのに清々しく、歓喜すら滲ませ。諦めにも似た穏やかさと誰もを裏切らない自信を浮かべた、人間(・・)の表情だった。

 喜怒哀楽のすべてがない混ぜになったその笑顔を、少女は両の目に焼き付ける。

 もしも自分に涙を流す機能が残っていたら、と詮無いことを願った。そうでさえあれば、きっと。

 

 ──自分には感情があるのだと、認めてしまえたのに。

 

「使命の、優先順位を変更。『聖女の権限において、聖剣の使用を全面的に再承認します』

 ──貴方が、『勇者』です……!」

 

 その手に握られた青い剣の輝きに、目を細めて。少女は、

 

「どうか」

 

 ──世界を。そして、貴方を含むすべての未来を。

 

「……お救いください」

 

 祈りを口にした。

 

 

「ああ、任された」

 

 

 そして彼は、背を向ける。

 

 

「後ろは、おまえに任せる」

「……はい」

 

 夜風に外套が棚引いた。

 靴を踏み鳴らす、力強い音を聞く。けして広くはない背が、窓から出て行く。

 聖女はその背から、けして目を離さない。

 

 ──聖女ネモフィリアは知っている。

 彼が世界を呪ったことも、死を願ったことも。けれども彼が、決して負けなかったことを。

 最後の最後まで、為すべきことを為そうとし続けたことを。それを二年、少女は後ろで見続けていて、だからこの人を救いたいと思った。

 

 救いたいと思うことは愛なのだと魔女は言う。ネモフィリアには魔女の破綻した論理を理解することはできず、彼女の強すぎる感情には共感できない。

 

(ああ、でも──、)

 

 使命を強いた自分たちに、こんなことを思う資格はないとしても。どうか想うことだけを、許されますよう。

 

(私は、貴方を。この背中を)

 

 

(──愛したのです)

 

 

 ◇◆

 

 

 彼と彼女の戦いのその過程、その結末は──、

 

「大体おまえサプライズ隕石理論ってなんだよ! 人の人生クソ映画扱いしやがって! よく考えたらメチャクチャ罵倒じゃねえか!!」

「はぁ〜? わたしたちの人生より映画の方が高尚じゃない! よく考えなくてもアレ祝福なんですけど! 愛なんですけど!!」

 

「わっかんねえよ、この物語脳がッ!!!」

「わかれッ、このっ隕石馬鹿!!!」

 

 

 ──最早、語るまでもないだろう。

 

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