彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。)   作:さちはら一紗

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第二十話 夏はまだ終わらない。

 

 ──夢を見ている。

 

 気付けば白い祭壇の前に立っていた。磨かれた石に反射する自分は十六の姿だ。

 振り向けば、地には黒々とした死者の亡霊たちが泥のように吹き溜り、嘆きを口にしている。

 

『何故おまえだけが生き残った』

『何故おまえが死ななかった』

 

 泥の中から伸ばされた黒い腕が、こちらを引く。自分は縋り付く亡霊を振り払うことも逃げることもせず。目を閉じ、しばらく黙ってその怨嗟を聞いていた。

 

「……ああ、わかってるよ」

 

 ──『陽南飛鳥』はあの日あの場所で、彼らと共に死んだはずだった。人間としての自分を土に埋めて、『勇者』になったはずだった。

 目を開ける。

 いつのまにか自分の姿は『今』に変わっていた。

 正面、闇に覆われ見えない亡霊の目を見据える。喉の奥につかえた石を吐き出すように、口を開く。

 

 ──わかっている。死者は、何も言わないと。

 

 だからこれは懺悔ではなく懇願でもなく。どこまでも一方的で身勝手な、独白だ。

 

「償うなんて言わない。許してくれなんて言わない。俺のことを呪ってくれていい。何をのうのうと生きてやがるって、何度夢に出てきてもいい」

 

「ちゃんと果たす。俺が終わらせる。最期は、地獄に堕ちるから。

 おまえらと一緒に死んだ俺を生き返らせることを、見逃してくれ」

 

 

 

「俺に『人間』を、やらせてくれ」

 

 

 たとえ何を言ったとして、亡霊がその手を離すことは決してなく。

 けれど目の前の亡霊を置き去りにした、遠い向こうで。

 死んだ少女が『いいよ』と笑って、殺した少年は『駄目だ』と言った。

 不意に現れたその姿に驚いて、彼らが夢から消え去るのを見送って。延々と未だに耳元で怨嗟を吐く、黒く蠢く何かをもう一度見る。

 亡霊だと思っていたこの泥の中に、どうやら死んだ彼ら(・・・・・)はいない(・・・・)らしい。

 

 

「──は? じゃあ……これ、何?」

 

 

 亡霊のような形をした泥は特に何も答えず、朽ちていく。乾いてボロボロと崩れ落ちていった呪い(それ)を、唖然と眺めて。

 理解した(・・・・)

 

「……そんなことあるかよ、ははっ……!」

 

 笑う。きっと、苦笑を通り過ぎて露悪的な笑みになっただろう。ひとしきり笑って、顔を覆って、悪態を吐いた。 

 

 

「都合の良い夢だ」

 

 

 こんな夢を見るくらいなら。いっそ悪夢の方がましだと思った。

 

 ──呪いは解けきらず、泥は未だに足を掴んでいる。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 明るい部屋で目を覚ます。

 上はいつもと違う天井、下は慣れないベッドの感触。横には動けば触れそうなほどに近く、彼女が穏やかに微笑んでいた。

 

「おはよう。遅かったわね」

「……らしいな」

 

 寝起きの悪い咲耶が先に起きているなど初めてだ。

 どうにも現実味がない現実だな、と昨夜のことを思い出して思う。冷静に考えて、なんで一緒に寝てるんだ? わからない。何も。宇宙の真理くらいに深遠だ……。

 横目に彼女の様子を見る。寝転がっているにも関わらず髪は整えられており、服も休日のラフな格好だが着替えてある。随分と前に起きていたのだろう。

 

「……おまえ、どのくらいこうしていた?」

「一時間くらい?」

 

 まあ、一時間だけならまだまともか。まと……も……? 一時間も俺の顔面眺めて何が楽しいんですか? わからない……深淵な謎だ……。

 

 起き上がる。意識の覚醒と共に見ていた夢の内容が雲を掴むように消えていく。

 咲耶もまたベッドの端から足を下ろした。

 

「なんか、変な夢見た気がするな」

「悪い夢?」

「いや。都合良すぎて腹を切りたくなる夢」

「それは悪夢よね??」

 

 切腹したくなるのはいつものことなので問題ない。

 夢の詳細を思い出せず、眉間にしわを寄せていると。咲耶は立ち上がり、目の前で両手を広げた。

 

「どうぞ」

「?」

 

 意図はわかるが理由がわからない。訝しげに見上げると、そのままふわりと抱きしめられる。

 細腕に引き寄せられた頭は、彼女の胸元に押し付けられ、驚きで息を止めた。

 ──急に、何を!?

 

「そろそろ泣けるんじゃないかと思って。貸したげる」

 

 ……ああ、なるほど。ずっと冗談だと思っていた例の話は本気だったらしい。

 納得と共に驚きは消え去る。息を吸うのも憚られるほのかに甘い芳香と、薄手の布地の向こうに生身に紛うほどの肌の感触、名状し難い柔らかさに押し潰されているというのに、不思議と冷静だった。

 別に脳味噌弄ってないんだけどな。この状況で劣情が湧かないあたり、まだ本調子じゃないのだろう。

 

 ……いや待て、本当に、微塵も湧かない。

 なんだこの、凪。絶望的なまでの、無風。

 

 異様だった。まさか彼女に触れて心臓が軋むことも頭に血が上ることもなく、酩酊の様な熱もないなど──この半年の自分を鑑みるとあり得ない事態だ。

 にわかに慌てる。あえてなすがままにされて、いつもの熱が戻るのを待った。

 だが特に、甲斐はなく。近すぎる距離に彼女の胸の鼓動を感じるだけだった。

 少し速い、音を聴く。

 ……ああなんだ、ちゃんと彼女も生きてるんだな。そう思い知って、少し目頭が熱くなったような気がした。

 気のせいだった。別に何も出ない。

 諦めて肩を離すと、咲耶は心配そうな顔をしていた。

 

「まだ、無理そう?」

「いいんだ。泣くのは全部終わってからでいい」

「そっか」

 

 ……というか、泣けないより厄介な事態になってる気がするんだよなあコレ。

 

 咲耶はそのまま、部屋の扉に向かう。

 

「コーヒー淹れてくる。いる?」

「貰うよ」

「お砂糖は?」

「四つ……いや、無しでいいや」

 

 どうせ味などわからないし。

 

 

 

 さて、こちらもいつまでも寝ぼけているわけにはいかない。

 右腕を繋げる。

 元の腕が治らなかった理由はもう聞いた。まったく馬鹿げた話だ。治そうと思えば治せたのに、深層意識が望まなかったせい、なんて真相は。

 

 ──きっとあの時の俺は、分かりやすい罰でも欲しかったんだろう。

 ならねえよ別に罰には。クソ不便なだけだよ。勿体ねえ。ついでに三本くらい生やしとけばよかった。腕が増えると多分強い。

 真面目な話、これで一番割を食ったのは俺じゃなくて咲耶だ。自分のせいだと誤解させたし。アホか本当。あとで土下座だ。

 ……などと、思えるのも今になったからだろう。今度聖女に生やす方法無いか聞いておくか……。

 ともあれ、この件については自業自得だ。これ以上文句は言うまい。

 

 繋げた右腕は相変わらず重く、その鈍色を目にすれば夢に見た彼らの顔がちらついた。

 別に呪いの剣でいい。呪いであった方が、いい。そう考えてしまうあたり、自分を救えない奴だと思う。

 肩にのしかかる重みを確かめ、拳を握り締めては開く。

 

「もうしばらくの付き合いだな、おまえとも」

 

 

 身支度を終えて居間に出ると、いつものソファで咲耶が待っていた。

 少し離れて座り、コーヒーを受け取る。マグカップにはひび割れた跡が残っていた。

 

「これ、俺が割ったやつじゃ?」

「直した。魔法で」

「……」

「安心して。呪いじゃないの使ったから」

「疑って悪かった。ありがとう」

 

 お互い、言葉もなくコーヒーを啜り──

 

 

 ──死ぬほど咽せた。

 

「苦ッッッ!? なんだこれ……!!」

 

 咲耶は目を丸くして、吹き出した。

 

「ふ、あははっ、砂糖要らないって言ったのあんたじゃん!」

「だからってこんな苦いことあるかよ!」

「仕様よ。由緒正しくコーヒーは五百年前からずっとこう」

「……なんか変なの入れた?」

「何も入れてないからだってば!」

 

 黒い液体を凝視する。

 砂糖を足しに行くのは何か負けたような気がした。

 腹を括って全部飲もうとして。 途端、咲耶にマグカップを奪われる。

 

「意地っ張り」

 

 そして渡されたのはひび割れのない、咲耶のマグカップだった。

 恐る恐ると啜る。ブラック派のはずの彼女のコーヒーは、甘いような苦いような、砂糖二つ分の味がちゃんとした。

 彼女は悪戯っぽく微笑んで、言う。

 

「こうなるかなって、思ってたの」

 

 ……俺が彼女に勝てるのはもしかして、もう異世界事だけなのかもしれない。

 

 

 

 

 ソファの端と端で、言葉少なに今日の予定を確かめ合う。

 ここ数日、生活が崩壊していた。それを再建しなければならない。

 ごくごく当たり前の日常を建設する会話をコーヒーの一杯文、交わす。

 ひと段落して、咲耶が聞いた。

 

「話しておくべきことは、もうない?」

 

「ない」と答えようとして、真っ黒なコーヒーの泥のような水面に映る、自分の目を見る。相変わらず酷い顔だなと思った。

 

「……いや、ひとつだけ」

 

 彼女に打ち明けることがあった。

 喉につかえる石のような何かは、もうなかった。

 ゆっくりと、息を吐く。

 

「咲耶。俺さ」

 

 

「人を、殺したんだ」

 

 

 彼女は静かに瞬きをして、ただ、頷いた。

 

「うん」

 

 

「知ってる」

 

 

 無言で啜ったコーヒーは、苦いままだった。

 

 

 ◇

 

 

 話は終わりだ。それ以上はお互い何も言わなかった。

 沈黙は穏やかに横たわり、窓からは明る過ぎる真昼日が差し込む。

 しばらくして話はまた再開された。家に残っていたなけなしの食糧を腹に詰めながら、ああでもないこうでもないと戦闘の振り返りや今後のことを議論する。恒例だ。

 それもひと段落し、二杯目のコーヒーが空になった後。

 スマホを手にして、咲耶は言った。

 

「それじゃあ、残りの夏休みの話をしましょうか」

「残り?」

 

 とは言っても休暇は残り少なく、予定は全部潰れた後だ。今更『普通の夏』をやり直す余裕など……。

 と、後ろ向きな考えが頭を過ぎったその時、手元の端末の割れた画面に、メッセージ通知が連続で鳴る。

 笹木たちからだ。

 

『来週開けてろって言ったのに音沙汰ないのはどういうことだよ』

『とっくに帰国してるんでいつでも遊びに行けますよ!』

 

「まじで……?」

 

 今からでも取り返せる夏休みが? あるんですか?

 

 咲耶は、端末を片手に得意げに笑う。

 

「あら。わたしたち(・・・・・)、実は何も諦めてなかったのよ?」

 

 

 ……俺の友達、全員最高かもしれない。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 約束の日の早朝。

 待ち合わせ場所の駅前には、仁王立ちする寧々坂芽々がいた。麦わら帽子に花柄のアロハシャツ。隣には笹木が幼馴染の分の荷物も持って待っている。  

 

 

「──っそい!!!!」

 

 

 開口一番、元気の良すぎる芽々の声に鳩の群れがバサバサと飛び立った。

 

「なんだ今の掛け声」

「『遅い!』と『今から海行くぞ!』の叫びです。というわけで、お久しぶりですね先輩(・・)。ご壮健で何よりです」

 

 ペコリと頭を下げる芽々。この支離滅裂な無礼&慇懃、懐かしい。

 なお、待ち合わせは時間通りだ。『遅い』は今日のことではなく、予定の延期を指しているのだろう。返す言葉もない。

 

 ハワイ帰りでこんがりと小麦色に日焼けした芽々は、咲耶を見て「か、髪……もう編めないんですか……」とよろめいた後、「あ、ひーくん」とこちらを振り返る。

 

「芽々とお揃いのアロハ着よ」

「いいぞ」

 

 土産のシャツを渡された。寿司柄だった。その場で着た。

 

「なんでよ」

「なんでだよ」

 

 咲耶と笹木がしらけた目をした。

 

「さっすがひーくんです。変な服着せたら天下一ですね!」

「それほどでもない。咲耶の方が似合うぞ」

「着ないわよ!」

 

「はいはい。電車そろそろ来るから行くよー」

 

 引率の笹木に引き摺られ、俺たちは改札に向かった。

 

 

 

 さて、笹木たちは『いつでも暇してる』と言ってくれたものの。十日程も現世を放ったらかしにした負債が溜まりに溜まっていて、結局俺たちが都合をつけられたのは一日だけだった。

 

「なので今日一日、朝から晩まで遊び尽くしますよ!!」

 

 芽々は我先にと改札の向こうへ消えていく。咲耶はカラコロとスーツケースを引いてその後を追った。大荷物の理由は、今日は海だけではないからだ。

 芽々たちが先に行った後、笹木が言う。

 

「初めてだ。芽々と海なんて行くの」

「意外だな」

 

 親戚で幼馴染だ。家族ぐるみの付き合いは当たり前かと思っていたのだが。

 

「……ま、ね。あいつ、外国にいた時期あるし。結構離れてたんだよ、おれたち実は」

 

「物理的な距離と心理的な距離は別ってことか」

「そうだね。もしかしたら飛鳥の方が芽々とは仲良いよ」

 

 微妙に申し訳ない気持ちになるな、それ。

 Tシャツの上に羽織った芽々と揃いのシャツを見る。

 

「……アロハ、おまえが着る?」

「それは嫌」

 

 ばっさり言った。何故だ。笹木だってペンキみたいな蛍光色とか平気で着てる癖に。アロハの何がいけないんだ、なぁ芽々!

 

「芽々は顔が天才だから何着ても似合うだけだよ。飛鳥は何着ても、変」

「そこまでは言ってねぇだろ芽々も……!!」

 

 笹木はゆるく笑う。

 

「ま、要は。誘ってくれて感謝してるってこと」

「いや、礼を言うのはこっちだ」

 

 誘い直してくれたことには感謝が尽きない。

 

「そこは素直に受け取れよ。木刀も新品にしてくれたしね」

 

 笹木はそう言って、リュックに刺さっている返した(弁償)ばかりの木刀を指差した。

 ……本当、頭上がらなくなってきたな。こいつらに。

 

 

 この駅は終点で、電車は既に止まっている。話しながらホームを歩いていると、先に電車に乗り込んでいた芽々がドアから首を出して「はーやーくー」とこちらを呼ぶ。

 その様子に、笹木は目を細める。

 

「おれも今日は頑張りますか」

 

 その横顔には決意めいたものがあった。

 ああ、そうだな。

 笹木を誘った理由はこれ(・・)だった。

 肩を叩く。

 

「草葉の陰から応援してるからな」

「死んでんじゃんおまえ」

 

 涼しそうでいいよな、草葉の陰(はかのした)

 

 

 ◇

 

 

 空は雲混じりの晴天。今年の暑さはなりを潜めるのが早く、晩夏の海は心地よい日差しに輝いている。

 アロハシャツを脱ぎ捨て、日焼けした肌を惜しげもなく晒した水着姿の芽々はご機嫌に波打ち際へと飛び出した。

 

「青い空! 白い雲! ビーチ、です! そしてクラゲの死骸……」

 

 浜辺にぼとぼと落ちている透明な物体を前に、芽々はスンッと真顔になる。

 

「盆過ぎたからな」

「芽々はハワイに帰ります」

 

 海水浴場はかろうじて空いていたものの閑散としている。波も高く、泳ぐには向かない。俺はどうせ泳がないのだが。

 

「クラゲは毒あるので怖いです……」

「大丈夫よ、芽々。わたしが守ってみせるわ」

 

 怯える芽々に、颯爽と咲耶が微笑みかける。

 髪が短くなった彼女はすらりと高い背丈も相まって、格好良く見えた。妙に輝いて見えるというか、なんというか。俗にいうとイケメンだった。

 

「サァヤ……きゅん!」

 

 きゅんって棒読みで口に出すやつ初めて見た。

 

「なんか、変な仲良くなり方してるなあいつら……」

 

 最近の女子高生は虫取りで友情を育むのか??

 ふと思い出す。

 

 ──そういや文月って、猫被っていた昔は女にも人気がなかったか?

 

 笹木が引きつった顔でこちらを見る。

 

「もしかして、おれのライバルって文さんだったりする?」

「そんなわけないだろ」

 

 ……ないよな?

 

 

 ぱっと咲耶がこちらを向く。俺を見た途端、一瞬にしてさっきまでの輝きが霧散した。

 イケメンの咲耶は目の錯覚だ。よかった。

 

「ねえ飛鳥、どう? わたしの水着!」

 

 散々「楽しみにしてなさい」だのなんだのと言っていた水着は、清楚な白のワンピースのようなものだった。思っていたよりも露出が低い。

 

「褒めてくれてもいいのよ?」

 

 こちらに来て、ふふんと得意げに見せつける残念美人の様相に安心する。これだよこれ。

 

「よく似合っているよ」

「むっ、なんか淡白だわ。ちゃんと見てる?」

 

 ばっちりと見ている。水着とはいえ、胸もへそも隠れている。いつもの魔女服よりよっぽど目に優しい。

 よく似合っている、のだが……少々違和感を持つ。

 

「咲耶、ちょっと一周してみろ」

「?」

 

 咲耶はその場でくるりと回った。ふわりとスカートの裾が広がってかわいい、それはいいとして。

 問題は後ろ。背中が(・・・)がらあき(・・・・)だった。

 白い布地に覆われていない、真っ白な肌。短い髪の下、うなじから背骨のラインが無防備に晒されている。布地と布地を繋ぐ紐が肌に食い込んで、薄い背中の肉感を否応なく強調させていた。

 …………まあ、そんなことだろうと思ったよ。

 

 俺はアロハを脱ぎ、咲耶の肩にふぁさりとかける。

 

「よし、これで完璧だ」

「………ッ」

 

 咲耶は無言で綺麗な足払いを俺にしかけた。

 水面に転かされた俺を、ナマコでも見るように蔑む咲耶。

 

「クソ野郎だわ、あんたやっぱり」

 

 つんっ、と顔を背ける。

 

「文さん……」

「笹木くん、あっちでかき氷食べましょうか」

 

 行ってしまった。上着は(・・・)しっかりと(・・・・・)羽織った(・・・・)まま(・・)

 

 

 高波に打ち付けられずぶ濡れになった俺を前に、咲耶たちを追わず残った芽々は泥団子を捏ねながら聞く。

 

「ひーくん今、わざと(・・・)攻撃くらいましたよね?」

「まあ、今のは俺が悪いからな」

 

 政治的判断で食らっておいた方がいい攻撃は食らうようにしているのだ。

 泳ぐつもりはないが濡れる覚悟はしていたし。魔法に比べれば足払いなどかわいいものだ。

 

「にしても、おかしいですね。ひーくんなら絶対うろたえると思ってあの水着選んだのに……」

 

 戦犯おまえかやっぱり。

 

 芽々のチェック柄の水着をちらりと見やる。単純な露出度なら芽々の方が高い。なにせビキニだ。

 芽々は童顔だが幼児体型ではない。流石に水着姿にまでなると女の子らしさが際立つのだが。特に『健康的だな』意外には何も思わない。

 では咲耶はどうか。

 正直に言おう。あいつは露出が低かろうが清楚な装いをしようが色気は消えない。凶器的な美人だ。

 咲耶の魅力に勝てるのはダサい服だけだ。嘘。変な服着ても咲耶はかわいい。最強。

 そのはずなのだが。

 

「なんか、平気なんだよな。ぐっとこない」

 

 ──水着姿を見ても、平常心だった。

 

 この前同衾した際の凪が今もずっと継続している。

 芽々は泥団子に砂をまぶしながら、愕然とこちらを見た。

 

「……え、なんですか。腕取り戻す時に恋心でも対価に支払ったんですか?」

 

 こいつ大概勘がいいよな。

 

「まあ記憶とか、色々。取り戻したんだけど」

 

 芽々はすっと目を細めた。

 

 

「ああ、どうりで──今の先輩、なぁんか違って見えると思ったんです」

 

 

 海に入るため、今は伊達眼鏡をしていない。その目には星こそないが、透き通る緑は妖しい光を讃えていた。

 元々目の作りが少し人と違う芽々に、どう見えているのかはわからないが。今朝、芽々が二年振りに俺を『先輩』と呼んだことが、何よりの証拠に思えた。

 

「別に咲耶を好きじゃなくなったわけじゃないんだが」

 

 ただ、以前ほどの熱はないのは確かだ。記憶をすべて取り戻した影響がまさかこう出てくるとは。

 文月咲耶に関する記憶を核にする、この半年の俺はいなくなった。原液の感情は水で薄まり、落ち着きを得てしまった。

 

「今の俺は咲耶を見ても『めちゃくちゃ綺麗だな』としか思わないんだ。困った……」

 

 泥団子を山積みにしながら芽々が眉を潜める。

 

 

「あの、恋愛素人質問で恐縮なのですが──何が問題なんですか?」

「大問題だろ?」

「はたから聞いたらバカップルですけど?」

 

 バカは認めるけど後半はまだ違う。

 

 

 ──単純に「感情が薄まった」というだけの話ではないのだ。

 記憶を取り戻して、我を取り戻してしまったからわかることがある。文月咲耶に対する感情の正体を、正しく理解してしまった。

 現世において、陽南(オレ)は文月を好きになった。

 文化祭の日の教室で惚れた。確かにそうだ。だがあの時点では至極淡いものだったのだ。所詮(・・)諦められる(・・・・・)ほどの(・・・)

 異世界において、勇者(オレ)は魔女に惹かれた。彼女が隕石(ほし)に見えた。間違いない。

 だが焦がれた理由は決して褒められたものではない。焦がれたのは、彼女ならばすべてを終わらせてくれるという希望故だ。

  結局のところ俺が再会の際、欠片でも自我を取り戻したのは「文月咲耶=魔女」という真相に対する怒りによるものだ。「そんなことがまかり通っていいのか」という世界の理不尽に対する激情が引き金に過ぎず、それはきっと、愛が引き起こす奇跡などではなかった。

 そして、現世に帰ってからの半年も……。冷静に考えると、あまりに歪な関係だったろう。

 

 ──果たして俺たちの関係は、「恋愛」と呼ぶに相応しいものだったのだろうか。

 

「うーん? 先輩が今更なところで躓いてる予感はしますが」

 

 芽々は悩ましげに泥団子を積み上げつつ、

 

「まあ、先輩の性癖。年下黒髪スレンダー低身長でしたもんねえ」

 

 俺は頷こうとして。

 

 

「──待て、なんで知ってる」

 

 

 にちゃあと悪い笑みを芽々は浮かべた。

 

 ──この女ッ!! どこで知った!!?

 

「……寧々坂。吐け」

「やーだ」

 

 腹立った。クラゲ投げた。

 

「ハ!? クラゲはいかんでしょ!! 毒ムリってゆったじゃん!」

「知ってるか。セクハラされたらクラゲ投げていいんだぞ」

「どこの法律!?」

「異世界」

「絶対嘘じゃん! ひーくん先輩のカス!! 末法!!!」

「ウワッッ泥団子投げんな!!」

 

 

 

 向こうでは笹木と咲耶がかき氷も食い終わって、暇を持てあましていた。 

 竹刀とスイカ柄のビーチボールを取り出しスイカ割りをし始める。目を瞑った咲耶が竹刀を構えてふらふらと歩き、笹木が誘導するが、如何せん二人だけなので的確に指示が通ってしまう。

 スイカ割り、本来は大人数でめちゃくちゃな指示を出して惨事を起こす遊びだからな。

 

「えい!」

 

 ぱこん、と安っぽい音を立ててビニールのスイカに竹刀が当たり、その瞬間。

 ブシャーーッッ!!! と赤い汁が飛び散る幻覚が見えた。

 

「うっっわ!?」

 

 ドン引きする笹木に、ドヤ顔の咲耶。

 

「血糊魔法よ。偽スイカでも映えるようにエフェクト仕込んでみたわ」

 

 市外なので大した魔法は使えないはずなのだが……そういうくだらない魔法は使えるのか。海水浴場に人がいないからって、好き勝手やりやがる。

 

「うーん……」

 

 言ってやれ笹木。

 

 

「色、もうちょっと果汁に寄せた方がいいんじゃない?」

 

 

 そこじゃないだろ笹木。

 

 

 一部始終を目撃し、芽々と顔を見合わせる。丁度転がってきたスイカ(ビーチボール)を芽々が拾う。

 

「ま、悩み事なら後でいくらでも聞いてあげますから。今を楽しまないと損ですよ?」

 

 ボールを手渡してくる。

 

「ああ、そうだな」

 

 懸念は尽きないが遊ぶ以上に大事なことなんて存在しないし、投げるのはクラゲでも泥団子でもないよな。

 

「咲耶!」

 

 俺はボールを投げ返す。それなりに勢いをつけ、とはいえ加減はして。

 

「なぁに、ビーチバレーでもする?」

 

 木刀を笹木に返した咲耶が受け取ったのを見て。言った。

 

「ああ。勝負しようぜ。なんでもアリ(・・・・・・)一対三で(・・・・)

 

 咲耶は、いや──三人は目の色を変えた。

 

「魔法は?」

「アリだ」

「木刀は?」

「アリだ」

「泥団子は?」

「アリだ!」

 

「聖剣は?」

「ナシだ!!!!」

 

 ボールを両手に持った咲耶が、ぴきっと青筋の立った笑顔を見せる。

 

「へえ〜。それで勝つ気でいるんだぁ……」

「やっと来たじゃん、異世界帰りのイキリムーブ」

「お約束ですけどやられると結構ムカつきますね〜!」

 

 俺も実はやってみたかったんだ。こういうの。

 

 

 

 なんのかんのと言って血の気が多いのは全員だ。

 芽々は一人で魔王に喧嘩を売ろうとするやつだし、笹木も穏やかそうな顔して容赦がない。咲耶は、言わずもがなだ。

 

「負けた奴がなんでも言うことを聞く、でどうだ」

「上等っ、だわ!」

 

 先手必勝、とゲーム開始の合図も待たず咲耶はボールを空に打ち上げた。

 アロハシャツは脱ぎ捨てられ、上体は再び露わになった。

 助走を付け、宙を跳ねる。弾む胸元に気を取られている暇はない。

 太陽の光が反射して、彼女の髪を、肌を、金色に輝かせた。

 眩しさに目を細める。攻撃的なサーブを打たんと、手を掲げる彼女を。

 

 隕石より綺麗だと思った。

 

 

 

 ──夏はまだ終わらない。

 

 

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