彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。)   作:さちはら一紗

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第二十一話 わたしたちはきっとこれから。

 

 ──夕方。

 場所は閑散とした海水浴場から離れ、場所は海と山に挟まれた港町だ。行き交う人の向かう先を見れば屋台通りの光景が広がっている。

 

(流石にこっちは人が多いな)

 

 と、歩道の車止めにもたれかかって笹木慎は思う。

 

 祭りだ。花火大会だった。

 同日に海のち祭りとは、完全に体力バカの考える強行軍である。とはいえ夏休みの気力が有り余っている高校生にはそう難しいことではない。祭りは別腹だ。

 海水浴の後、一旦休憩を挟んで男女に分かれた。着替えなど諸々の準備があるためだ。再度の待ち合わせ場所で、スマホを弄りながら笹木は一人女性陣の到着を待っていたわけだが。

 カラコロと下駄を鳴らす音と馴染みある幼げな声が聞こえる。

 

「あ、いたいた! お待たせしました」

 

 芽々が人波からこちらを見つけ向かってきていた。それを少し後ろから追って文月もまた歩いてくる。浴衣姿で。

 

「マコのおよふくがビビッドカラーなおかげですぐ見つかりました!」

 

 笹木は私服のままだ。散々部活で和装をしているので今更浴衣など着る気がしなかった。だが見る分にはいいものだと思う。

 

 浴衣、いいよね。水着よりも好き。水着も好きだけど好きだということがバレたら社会的に危ういので、水着よりも浴衣の方が好きだという建前が必要なのだ男には──という説もあるが、『着込んでいる方がかわいい』というのもまた世の真理である。そういうことにしておこう。

 「いやスク水なら十年見てるし?」とか余裕ぶっこいてたら初めて見た幼馴染のビキニ姿が後からボディーブローのようにじわじわと効いている、とかではない。笹木は断固として浴衣派だ。

 

 まじまじと芽々の浴衣姿を見る。明るいレモン柄の浴衣だ。お団子は高い位置で左右に結われ、いつもより愛らしさを増してる。

 周りからくっきりと浮き出るような華やかな色彩が、幼馴染に非現実感を伴う不思議な存在感を纏わせていた。つまるところ、『画面から出てきたような錯覚』だ。

 似合う似合わないの次元ではない。十年一緒にいるのに、笹木は未だ幼馴染を見慣れることができていなかった。

 そんなどこか二次元的な雰囲気の幼馴染を、地に足つけた存在にするアイテムが〝分厚い眼鏡〟なのだが。

 

「あれ、裸眼で大丈夫なの?」

「はい! 今日はちゃんと(・・・・)見える寄りなので」

 

 笹木は幼馴染の眼鏡が伊達であることを知っている。だが、それがなければ人の顔を(・・・・)見失いやすい(・・・・・・)ことも。

 目立つ色の服を笹木が着るようになったのは、初めは幼馴染のためだったけど。それも昔の話で今は単なる笹木の好みだ。

 

 さて、笹木は芽々の浴衣姿を褒めることはなかったし、芽々もまたそれを慎に求めることはなかった。芽々は自分の満足のために洒落込むたちだったし、幼馴染としての距離感と笹木の性格からしても、ない。

 しかし今日は珍しく、芽々はくるりと浴衣を見せつけてくる。

 

「見てください帯! すごくないですか? サァヤがやってくれたんです」

 

 言われてみれば結び方が凝っている、ような……? わからない。いつもと何が違うわけ?

 そこで初めて浴衣姿の文月を観察する。

 芽々とは一転、淑やかな雰囲気を纏っていた。着なれているのだろう品のある佇まい、芽々とは別種の綺麗さがあり静かに人目を引く。その髪は短いながらも流麗に編み上げられ、簪でまとめられていた。

 芽々よりお褒めに預かった咲耶は恥ずかしそうにはにかむ。腐っても旧家の養女である。着付けは昔取った杵柄だ。

 

「芽々こそ本当にすごいわ。こんなに綺麗にわたしの髪、編んでくれるなんて」

「ふふーん。やりゃできないことはないのですよ。とってもお綺麗ですよサァヤ……」

 

 自分そっちのけで女子二人がきゃいきゃいし始めるのを、笹木は微妙な面持ちで眺めていた。

 正直美少女二人が仲良くしている様子は絵になる、と笹木は思う。だがその対象が自分の片思い相手なので心中穏やかではない。

 飛鳥、早く来てくれ。

 

 丁度、文月も奴の不在が気にかかっていたのだろう。きょろきょろと辺りを見渡す。

 

「あいつは?」

「飲み物買いに行ってる……あ、話をすれば」

「ひーくん、こっちこっちです!」

 

 見つけた芽々が手を振る方向に後ろを振り向く咲耶。コンマ数秒飛鳥の姿を探し、すぐ前に彼を見つけて目を見開いた。

 

 ──浴衣姿だった。

 

「な、なんで」

「見たいって言ってたんだろ?」

 

 様になっている、以上に言うことはない。

 陽南飛鳥は基本的に地味だ。整っているが印象の薄い顔立ち、辛気臭い雰囲気と気配を殺して歩く悪癖のせいで、変な格好でもしてやっと常人並みの存在感が出る。

 よく見ると格好いいがよく見ないとモブだ。浴衣など着れば逆に、似合いすぎて風景と化し誰の目にも止まらないだろう。

 

 ──ただ一人、この場で彼しか見えていない生態の彼女を除いて。

 

「き」

 

 咲耶は悲鳴を押し殺して叫ぶ。

 

「聞いてないのだけど!?」

「別にわざわざ言わないだろ」

 

 笹木は頼んでいたドリンクを受け取る。お淑やかを投げ捨て顔面を炎上させている文月に対し、この男は飄々としている。

 すかしよって腹立つな、と思った。ストローに口をつけながらぼそりと笹木は、隣の芽々に呟く。

 

「……浴衣選んでくれって頼み込んできたくせに」

「ね!」

 

 ──経緯はこうだ。

 ひょんな雑談から文月が浴衣好きだと知ったので飛鳥に横流しした。そしたら相談された。「話は聞きました!」と芽々が嬉々として浴衣を用意し、押し付けた。なお、その裏ではやはり芽々が咲耶に水着を選んでけしかけている。

 以上。芽々のやりたい放題。

 

「いや、水着も浴衣も二人で選びに行けばいいじゃん。どうせ付き合ってるようなもんなんだから」

 

 一部始終を把握して笹木は正論のツッコミを零した。二人きりで完結させないから芽々に玩具にされるんだよ。

 だが、解説の戦犯曰く。

 

「付き合ってないからですよ。どれだけイチャついても距離感バグってても、あの人たちは大真面目に『恋人未満』のつもりなんです」

 

 にたりと悪い顔で幼馴染は言う。

 

 

「だから好きあっているのを知ってなお──駆け引きしやがるのですよ」

 

 

 意味が、わからない。

 芽々はご満悦だった。

 

「あ〜楽し! これですよこれ! 人の恋路に首突っ込んで甘酸っぱい汁だけ啜ることこそ醍醐味です! こういうのでいいんですよカニとかいらん!」

 

 ──という背景があったりする。

 

 水着を着ると元々宣戦布告している咲耶に対し、しれっと不意打ちを仕掛ける飛鳥の方が圧倒的に姑息である。黙って好きな女の好きな格好をしてくるのは姑息。しかも「全然狙ってないが?」みたいな顔をしているのがもう卑劣。

 笹木は「全部バラしてやろうかな」とちょっと思った。笹木は普通に友達なので、奴が好きな女の前で格好つけたいだけの阿呆だということを知っている。

 

 ──だが、彼らは失念していた。

 文月咲耶が異様にサプライズに弱い女であることを。

 

 はわわわと小刻みに震えていた咲耶は、俯きがちに言った。

 

「ねえ飛鳥、ちょっとわたしの顎を持っててくれる?」

「なんつった? 顎?」

 

 ぷるぷると、涙目で顔を上げる。

 

 

「舌を、噛まないために。わたしの顎持ってて……」

 

 

「…………努力しててえらいな」

 

 

 ──そういやこいつ、ときめくと舌噛み切る女だった。

 

 と、飛鳥が諦めたように手を伸ばし。顎の裏に、指先が触れた途端。

 

「ひゃわぁああ!?」

「ウワッ変な声出すな!!? 猫か!?」

 

 敏感なところを触れられ取り乱した咲耶は反射的に舌を噛みそうになったが、悲鳴を上げたおかげで噛まずに済んだ。

 

「……ふぅ、耐えたわ!」

「もうさ〜、もうさ〜……バカだろ〜〜」

 

 目の前で繰り広げられる奇行に笹木は真顔になる。

 なにこれ。

 唖然としている間に、芽々は慎のドリンクをしれっと奪う。アイスティーを頼んだのが悪かった。紅茶系はよく芽々に奪われる。そのまま「は〜〜あ」と溜息を吐く芽々。

 

「折角愉悦しようと思ったのに。ひーくんは水着に反応しないし、サァヤはバグってるし。なーんもおもんな」

「人の恋愛を笑うとバチが当たるよ」

「甘んじて受けましょう。これが、罪の味……」

 

 ちゅーとアイスティーを吸われる。人の飲み物を勝手に奪うのも罪だ。

「ごちそうさまです」とドリンクを返される。まあ吸われた量は許容範囲だ。だが、ストローは少し、まずい気がした。

 ……数年前までは何も気にせずそのまま口をつけていたのだが。

 笹木はストローを抜いて蓋を開け、カップから直に飲み干した。氷を噛み砕くと頭が冷える。

 

 いつまでも惚けているわけにはいかない、と浴衣ショックから立ち直った咲耶は少し身を引いて、スマホを取り出し一心不乱に写真を撮り始めていた。好きな男の写真はいくらでも欲しい。ましてや、自分の好きな格好をしている時など。

 

「最高…………」

 

 歓喜に打ち震えていた。基本独占欲丸出しの咲耶だが、ときめきが一定以上高まると自分が彼女(予定)だということを忘れてはたからストーカーするのが悪癖だった。友達以上恋人未満=公認ストーカー。

 悪癖のひとつに盗撮があったが、許可済みかつ真正面からの盗撮は果たして盗撮と言えるのだろうか?

 

「だからさー、おまえはなんで一方的に撮るんだよ」

 

 撮られることに異論はないが何かが不納得らしい。飛鳥は自分のスマホを取り出して、ぐっと彼女の身を寄せ二人で映るようにシャッターを押す。

 折角の写真は複数人で撮る方がいいだろう。というか、そういう写真が欲しい。

 

 しかし彼は失念していた。

 ──文月咲耶が急に写真を撮られるとバグる女であることを。

 

 

「ひぁ、」

 

 

 ──あと、急に推しとツーショットとか、ときめいて、死ぬ。

 

 今にも舌を噛み切ろうとした、その瞬間。無言でガッと顎を掴まれた。

 

「やさしい……」

 

 咲耶はきらきらとした目で見上げる。

 

「ああ、うん……どうも」

 

 飛鳥の目が死んだ。

 一連の不可解な情事に芽々は顔を覆ったし、笹木は素直に哀れんだ。

 そうだよな。こんなことで好感度稼ぐために浴衣着てきたわけじゃないもんな。スカしてて腹立つとか思ってごめんな。

 

 

 死屍累々(約一名)の惨状から今度こそ立ち直り、屋台通りに向かう。

 日は暮れかけ、あたりはほのかに明るく、花火が打ち上がるにはまだ早い。始まるまでたっぷりと屋台を冷やかそうというわけだ。

 活気ある人波を抜いながら歩いていると、飛鳥が金魚すくいの前で立ち止まる。

 

「お、金魚すくい。懐かしいな」

「風流だものね。あんた好きそう」

「芽々、飼ってますよ。ひーくんも?」

「ああ、金魚鉢で空気を飼ってたことがある」

「何言ってんの?」

 

 今年もやりますか、と芽々が腕まくりしたところで。桶を見ながら何やら考え込んでいた飛鳥が、はっと閃いたように呟く。

 

「……天ぷら食いたくない?」

 

「最悪だ」

「あんた小動物は全部食べれると思ってる?」

「次は仲裁しませんからね」

 

 金魚を救うため、屋台から飛鳥を引き剥がした。

 

 

 気を取り直して射的屋台に向かう。

 

「ハワイ仕込みを見せてやりますよ!」

 

 芽々はじゃきんと(コルク弾なので音はしないが)構え、意気揚々と引き金を引くが。

 

「当たったのに落ちないんですけど!? しょぼ威力!」

 

 全弾命中、しかし目当て景品のレトロゲームはびくともしない。コルク弾がやわいのか、それとも銃の作りがゆるいのか。

 後ろから二人が野次を飛ばす。

 

「力が足りないなら拳で投げればいいんじゃないか?」

「無理だよ」

魔法(バフ)かけてあげましょうか? ぶち抜けるわよ」

「駄目だよ」

 

 笹木は追加課金し、芽々を手伝って真っ当に景品を落とした。

 

 笹木と芽々が縁日を遊び、飛鳥と咲耶は後ろから茶々入れるだけというのが続く。

 

「お二人はやらないんです?」

 

 芽々の疑問を前に、彼らは至極真面目な顔をして答えた。

 

「やってもいいが加減ができない」

「浮かれてはしゃぎ過ぎてしまうわ」

 

 彼らはそこそこ異世界ボケを自覚していたし、ほどほどに客観視もできていた。仮にも年上であり、十八歳相当の落ち着きは持ち合わせている。

 自分たちのスペックがおかしいのはわかっているのだ。──それを現世で発揮するとどうなるか、ということも。

 ついでに異世界モノのラノベも大分読んでるし、お約束(セオリー)も把握している。

 

 ──そう、ここで縁日など遊んだら自制が吹っ飛んでやりすぎて、出禁になるのがお約束……!

 

「『なんかやっちゃいました?』とか言ったらヤバいのは知ってるぜ!」

「ええ、『目立ちたくない』って言いながら目立つことはしないわ!」

 

 力強く自重を宣言する。なんだかんだで初心が「現世で正しく生きていく」であることは忘れていなかった。最近ずっと色ボケてたけど。

 笹木は白い目で見た。

 

「いや、結構やってるよ。そういうこと」

「えっ」

 

「えっ……」

 

 互いに顔を見合わせる。

 

(確かにこいつはするよな。俺はしないが)

(確かにこいつはしてるわね。わたしはしないけど)

 

「諦めたらどうです?」

 

「そうだな」

「そうする」

 

 そして二人は大はしゃぎで縁日に向かった。「苦手なものならセーフじゃないか?」ということで幼児に混じって型抜きを始め、散々に砂糖菓子の型を破壊していた。

 十八歳児共め。

 

 

 慎は遠巻きにその様子を眺めながら、あきれたように半笑いで隣の芽々に声をかける。

 

「よくやるよね」

 

 祭り程度であそこまではしゃげるのは才能だ。

 芽々は型抜きには参戦せず、眠たげに目を細めて頷いた。様子を見るに少し疲れているのだろう。文化系にはハードなスケジュールだった。

 

「でもわかりますよ」

「ああまではしゃぐ理由が?」

「駆け込みでも夏休みやりきろうとする理由も、です」

 

 空はもう暗くなっていた。夕方は夜に変わり始め、提灯の明かりが屋台通りを眩しく照らす。

 明かりに染まった横顔。一音一句噛み締めるように、芽々は言う。

 

「あの人たちは同じ夏が一回きりしか来ないことをわかってるんです」

 

 季節などない異世界で生きてきた彼らにとって夏は二年振りだ。そして異世界帰りはこの先も必ず続く平穏を簡単に信じたりしない。

 慎もまた、漠然とそれを理解する。今年は駄目だったならまた来年行けばいい、とはならないのだ。

 ──自分みたいに。

 

「ま、だから無茶なハードスケジュールにも付き合ったりしちゃうわけですね」

「友達だしね。そのくらいの特別扱いは……」

「違いますよ?」

 

 透き通る緑の両眼でこちらを見つめて。

 

「芽々は、『友達』は特別扱いしません。あの人たちは友達だから、じゃなくて『特別』だからです」

 

 らしくなく、落ち着いた声音で言った。 こちらを向いているはずなのに、何を見ているのかわからない遠い目だった。

 息を飲む。

 

 ──ああ、まただ。

 

 夏の始まりに感じた焦燥が錯覚ではなかったというようにぶり返す。

 いつから芽々はこんな目をするようになったのだろう。一緒に育ってきた幼馴染の考えることが理解できなくなったのはいつからだったろう。七年目からか、八年目からか──分水嶺はとうにすぎていたのかもしれない。

 

「……十回目」

 

 ようやく慎が絞り出したのは意味をなさない呟きだった。

 

「? ああ、マコと夏を過ごすのは丁度十回目ですね!」

 

 聡い幼馴染はそれだけで意図を拾う。

 慎と芽々は生まれた時からの付き合いだ。だけど幼い頃芽々は海外にいたから、顔を合わせるのは親戚の集まりだけ。こちらに越してきたのは小学生の頃だった。

 

 ──好きになったのは、芽々が隣にやってきた一年目の夏だった。

 

 屋台ではしゃぐ年上の友人たちを見やる。くだらないことに全身全霊をかけて、夏をしゃぶり尽くそうとする彼らを。

 

(そうだよな。来年も再来年も同じ夏がある保証なんてないんだ)

 

 たとえ『幼馴染』だとしても。そんな関係は、ずっと隣にいることを保証しない。

 

「あのさ」

 

 幼馴染を呼ぶ。呼びかけられた、背の低い幼馴染は自分を見上げる。自分は幼馴染の目を、見れないまま。

 

「芽々はおれの『特別』なんだけど」

 

 口をついて出たのは告白の前座でしかない言葉だった。

 自分が何を言ったのか遅れて、はっとする。

 

『なんだけど』ってなんなんだよ。違う、こんなところで言うつもりじゃなかった。

 それなりの状況を整えて、少しだけ関係を前に進めようとしただけなのに。今話すことじゃないだろう。

 ──だけど、そう思い続けて十年が経った。今言わずしてどうするのだ。

 心臓が早鐘を打ち始める。後戻りはもうできない。こんな、中途半端な告白ではなくちゃんと言い直そうと、芽々の瞳をようやく見て。

 

 にぱ、と無邪気すぎる笑顔に迎えられる。

 

 

「はい! 『幼馴染』ですもんね」

 

 

 迷いのないその返答に、慎は言葉を失った。

 そうじゃなくて、と訂正を入れられなかった。他に解釈の余地のない決定的な告白を畳み掛けられなかった。

 

「当然、マコは特別扱いさせていただきますとも」

 

 その笑顔に。嬉しそうに続ける、その言葉に。

 ──わかってしまった。芽々の『特別』は、自分の『特別』とは別物なのだと。

 

「……そっか。よかった」

 

 かろうじて当たり障りのない返事をし、薄く作り笑いをする。眼鏡をかけていない今の芽々は人の微細な表情の変化までは読みきれないだろう。

 

(……ああ、そうだった)

 

 寧々坂芽々が人の恋愛に首を突っ込む趣味はそもそも、知らないことを知りたいという好奇心からだ。

 彼女は恋愛をパターンと理屈で概要的に理解しているに過ぎない。他者の恋愛を分析することはできても、自分が感情を向けられる可能性を加味していない。聡いはずの彼女は、幼馴染から向けられる感情の正体を解することができない。

 

 寧々坂芽々には(・・・・・・・)恋がわからない(・・・・・・・)

 

 

「あ、綿飴! 買ってきますね」

 

 そのまま風のように目当ての屋台めがけて去ってしまう。その様子を慎は、ぐっと奥歯を噛んで見送った。

 

 

「……それで。二人とも何見てんのさ」

 

 いつの間にか戻ってきていた飛鳥たちが、物陰からこちらを見ていた。悪戦苦闘の末型抜きに成功したらしい。そんなドラマは知ったことじゃないが。

 

「いやなんだ」

 

 感嘆を込めて飛鳥は言う。

 

 

「人が恋愛に右往左往してるのめちゃくちゃおもしれ〜……」

 

 

 イラッとした。

 

「この世で飛鳥にだけは言われたくないよ」

「気付いてしまったんだ。他人事だとウケるって」

 

 根本的に芽々側の人間だった。性格くそやろう。

 笹木はキレた。

 

 おまえだろ散々右往左往やってるのは! 左右どころか上下にびたんびたん跳ねてるくせに! 『はねる』ばっか繰り出すギャラ○スみたいなもんだろおまえなんか……!

 

 流石の笹木も性格:おだやかを返上し噛みつこうとしたが。一方はらはらと見守っていたらしい、人の恋愛事情を見ると共感性羞恥で舌を噛み切る体質の咲耶が、口から血を垂らしながらぐっと拳を握りしめる。

 

「ま、まだ負けてないわ。脈はあるはず……!」

「慰めが痛いよ文さん。口の端に血がついてるから目にも痛いよ」

 

 

 溜息を吐いた。まったく騒がしい二人のせいで落ち込む気分じゃなくなってしまった。

 でも。

 ──人の恋愛を笑うヤツにはバチが当たれ。

 

「そういや『負けたらなんでも聞く』って海で賭けたよね。あれだけ啖呵切って飛鳥の負けだったけど」

「!? いや、アレは同点のまま俺がボール割って試合終わったろ!」

「おれのボール割ったから飛鳥の負けだよ」

「ぐっ……ごめん!」

 

「というわけで今度、ホラー映画鑑賞会しようか」

「いッ……」

 

 ()だ、と言いかけて飲み込んだ。敗者に文句を言う権利はない。

 飛鳥が青ざめる隣で、咲耶はぱぁっと顔を輝かせる。

 

「大丈夫よ、血が出なくてもこわーいのは沢山あるわ!」

「大丈夫じゃないだろそれ……!!」

 

 そこに丁度、綿飴を手に戻ってきた芽々が乱入。

 

「え、何なに? ひーくんの情けない鳴き声聞き放題の会!?」

「俺は鳴かねえ!」

 

「そういえば、全員分の言うこと聞いてくれるのよね?」

 

 と思い出した咲耶が聞く。

 

「芽々はどうするの?」

「ん〜……ウケること思いつかないんで、とっときます」

 

 んふふっ、と怪しげに目を細めて。

 

「飛鳥さんになんでも言うこと聞かせられる権利、なんておいしいもの。つまんないことに使えるわけないでしょ?」

 

 飛鳥は真顔になった。

 

「いや、芽々のは聞かないが」

「ええっ、なんで!?」

「ろくなこと考えてなかったろ、今」

「心外ですっ」

「つか綿飴旨そうだな。くれ」

「は〜〜?? いいですよ!!」

 

 騒ぎ始める三人を、少し引いて眺めて。

 慎は思う。

 

(悪くないな、うん。悪くない)

 

 今日この日を手に入れるために、彼らに何があったかは知らないが。彼らが費やした時間と自分が待っていた時間は知っていて、一度きりの夏の終わりの思い出としては悪くないものを作れた気がした。

 皆が楽しいなら十分だ。

 

「……マコ? 黙り込んでどうしました?」

「いや、なんでもない」

 

 肝心の、芽々との関係は一歩進んで二歩下がってしまったが。幼馴染との距離はここから詰めていけばいい。ずっとの保証はないけど、焦ることもないだろう。

 

「行こうか、そろそろ花火が上がる」

「前いきましょ、前!」

「わたしたちはいいわ」

「人混み苦手だしな。高台行くか」

 

 また後で合流しようと言って、飛鳥たちとは別れる。

 予定通りだ。事前に聞いてなかった芽々は少し不思議そうに、彼らを見送ったが。

 

「じゃあ、行っちゃいます? 二人で」

 

 はにかんで、芽々は何の逡巡もなく、子供の時と同じように手を差し出した。

 その手の大きさが変わっているのに、何も変わらずに。

 

「手ぇ繋ぎましょ。芽々が迷子になるので」

「やっぱ眼鏡しなよ。よく見えなくなってきたんだろ」

「うぇ〜、芽々実はあの眼鏡好きじゃないんですよぅ」

 

 慎はその手を今は幼馴染として握り返して。

 

「そういや、いいものがあるんだ」

 

 もう一方の手で鞄から二枚のチケットを取り出した。

 

 ──花火大会の特等席のチケットを。

 

「どうしてそれを!?」

 

 高校生が手に入れるには難しいそれを、芽々は驚いて見る。

 本当は、これの力を借りて告白のための下準備を整えようと思っていたのだが。中々実際には上手くいかないものだ。

 苦笑して、慎は答える。

 

「夏休みだからね」

 

(おれもそれなりにさ、頑張ってみたんだよ)

 

 ──普通なりに、少しだけ『特別』な夏になるように。

 

 

 

 ◇◆

 

 

 

 幼馴染組と別れて、彼らは高台に向かう。海と山の間にある町は、少し坂を登れば見晴らしの良い景色が広がるだろう。

 

「いい場所知ってるんだ。昔よく来た」

 

 足取りは履き慣れない下駄にも関わらず軽い。むしろ地に足つかない浮遊感。祭りの気に当てられたまま飛鳥は、危なげなくついてくる隣の彼女を見やる。

 

 こうして二人きりになったのは、同じ(とこ)で目を覚まし共にコーヒーを飲んだあの朝以来だった。咲耶は所用で数日実家に戻っていたし、飛鳥もまた後始末で数日を費やして、あれからまともに話す時間を取れてはいない。

 二人きりの会話をどうやるのだったか、と僅かに逡巡して。当たり障りないことを言う。

 

「楽しかったな、今日は」

「ふふっ」

 

 咲耶は軽やかに、相槌がわりに笑みをこぼして。足止めた。

 すうっと夜に溶けるように笑みを消す。何も取り繕わない無表情になる。

 

 

「──本当に?」

 

 

 (はしばみ)色の両眼がこちらを見つめる。飛鳥もまた、上げた口角を下げる。

 

「俺はそこまで嘘が上手くないよ」

「そうね。そうだったわ」

 

 再び歩き出した、二人の足取りは軽いとは言えなかった。 

 互いに気を遣い合いながら、腹の底を探り合うような微妙な距離感。

 気不味さはない。しかし気安さもまた、ない。

 

 ──日常は未だ修復が叶っていないまま、今日を迎えていた。

 

 お互い「いつも通り」の維持には一家言ある。夏を取り戻すのだというお題目を掲げた手前、友人たちの前ではそんな素振りを見せず年甲斐もなくはしゃぎ倒すことなど朝飯前だ。切り替えがよくなければ異世界帰りで人生などまともにやってられない。

 

 だが、こうして二人きりになった今。

 憂いなく楽しむために必要な仮面もまた剥がれ落ちる。

 そして思い出す。

 ──何食わぬ顔をして日常に戻るには、入った(ひび)が大きすぎることを。

 

 

 沈黙のまま足を進め、高台に辿り着く。

 周りの建物の影になって、知らなければ気がつかない穴場だ。下は軽く崖のようになっており、開けた視界からは町が一望できる。他に人の気配はない。

 

 花火はまだ始まらず、海と繋がった広く暗い夜空もまた、幕が降りたように沈黙していた。眼下には無数の街明かりが、星のように瞬いていた。

 その光景を前に彼女は思い出す。遠い過去にも思える夏の始まりに、夜の屋上で共に星を見たことを。『文月咲耶』が抱え続けた恋の呪いを解いて、好きだと言ってくれた日のことを。

 夏の終わりの夜の、ぬるく湿った空気を深く吸い込んで。

 彼女は口を開く。

 

「本当に良い場所。ここならできそう」

「何を?」

「大事な話を」

 

 振り向いた、彼女は丁寧に作られた微笑を浮かべて。

 

 

「忘れた? 『大事な話をするなら場所を選べ』って言ったの、あなたじゃない」

 

 

 かつて夜の屋上で彼が言った言葉の意味を、咲耶は今なら完璧に理解できる。

「そうだな」と彼は頷く。

 確かに、大事な話をするのは半端な道端では駄目だ。それなりの雰囲気に酔えて、崖のように逃げられないほど高いところがいい。

「そうでしょ」と彼女も微笑む。

 家は駄目だ。大事な話をするのに向かない。

 

 ──だって守るべき安息の地では日常を破壊する言葉を告げられない。

 

 だから、ここで。

 二人きりになったのは向き合うためだ。

 過去と感情と、今に。

 

 彼女は目を、閉じて。開く。昂る心に呼応して溢れ出した魔力が、眼球に張り付くレンズを突き抜けて片の瞳を赤く染めた。

 

 ──あの夜の屋上で好きだと言ってくれたことは、大事な思い出だ。忘れてない。

 

 だけど。

 

 

「ひとつ確かめさせて」

 

 

 晩夏の風が彼女の前髪を吹き上げる。硬く結われた後髪の先で、揺れる簪が寂しげに鳴った。

 

 

今のあなた(・・・・・)は、わたしのこと、本当に好き?」

 

 

 彼は答えない。

 表情は、恐ろしいほどに凪いだ無だった。その顔をされては感情を読み解けない。

 いつも(・・・)ならば(・・・)

 彼女は構わず畳みかける。

 

「あなたは『好きに理由はいらない』と言ったわ。潔いと思う。けれど、その潔さは『理由を考えてはならない』という意味ではなかった?」

 

 まるで彼の「理由」を知っているかのような物言いに、彼は目を尖らせ彼女は目を伏せた。

 

「ごめんなさい。ひとつ謝らなければいけない。あなたの夢に入った時に言ったわ、思考も記憶も読んでないって。それは本当。でも、感情(・・)は同化して伝わってしまったの」

 

 ……痛いほど。

 だから気付いてしまった。

 ──彼を呪う彼自身の怨念にも、魔女(じぶん)に抱いた感情の正体にも。

 

 痛みに胸を押さえた。それでもはっきりと声を上げる。

 

 

「ねえ本当に、わたしたちの関係は正しかった? 傷の舐め合いじゃなかった? 雛の刷り込みではなかった? ただの共依存ではなかった?

 

 ──あなたの感情は本当に、恋だった?」

 

 

 その問いかけに躊躇いは少しもなく。瞳は濡れながらも、真正面を見据えていた。

 彼は、口の端に諦めを浮かべる。

 

「それ、言ってしまうのか」

 

 それは薄々察していて、互いに口にしないようにしてきたことだ。

 

「わたしたち、今までずっと上部でやり過ぎたでしょ。表面上だけ取り繕っていい感じでいようとした。知るのが怖かったから。

 でも、もう。知らないのも怖いの」

 

 彼と彼女の関係はその時必要な隣にいる理由に合わせて何度も名を変えた。けれど〝因縁の元宿敵〟も〝友達〟も〝恋人未満〟も本質は何も変わらない。

 

 都合の(・・・)良い関係(・・・・)

 

 だが都合のいい関係でいるには戻れないところまで来てしまった。もう抜け出せないほど深くて、見て見ぬ振りにも限界がある。

 

 互いの過去も感情も。

 

(わたしたちはもう、知ってしまった)

 

 

 

 ◇

 

 

 

 彼女の糾問を聞いて。深々と溜息を吐きたいのを堪えた。

 ──人の恋愛を笑っている場合ではなかった。

 なにせこちとらそれ以前の話だ。

 

 まさか知られたくない感情が筒抜けになっていたとは思わなかった。今すぐ墓穴を掘って埋まりたい心地だが、それを責める気はない。

 故意ではなく事故だったのもある。

 それに。あの時俺を救おうとした彼女には、知る権利が当然にあったろう。

 問題は、そのせいで彼女が同じ迷路(・・・・)に入り込んでいたということ。俺の悩みが、とうに自分一人のものでなくなっていたということだ。

 ……そういうことは場所なんてどうでもいいから早く言ってくれればいいのに、とは自分が要求した手前文句を言えない。

 

 彼女の問いを整理しよう。何を(ただ)しているのか。

 複雑な話ではない。一連の問いかけは、要は「この関係はなんなのか」という『関係の再定義』であり「この関係でいいのか」という『契約内容の確認』であり。

「これからどうするのか」という、シンプルな話だ。

 

 まるで別れ話だな、と苦笑する。はぐらかす気は元よりないが、こんな崖っ淵に追い詰められては本音を言うしかないだろう。

 ──何から答えようか。

 そう逡巡して目を逸らした。未だ花火の上がらない、伽藍とした黒い空を眺める。

 

 

「──俺は、本当はたいしたことないんだ」

 

 口をついて出たのは弱音だった。墓の下まで持って行きたかった感情を「知っている」と言われては、もう。本音しか言えなかった。

 

「うん、知ってる」

 

 彼女は淡々と相槌を打つ。

 

「俺は君が思うような『絶対』なんかじゃなくて」

「うん」

「普通の、いや……普通にすら戻れないんだろうな」

「……うん」

「どうしようもない奴だ。君がいなければ今頃その辺で野垂れ死んでる」

「最悪ね。否定できない」

 

 単純に、彼女の存在は生命線だったのだ。

 断てばおそらく使い物にならないだろう。彼女と共にする食事はちゃんと味がして、隣にいれば生きている心地がした。なんでもないことを楽しいと思うことができて、過去も未来も考えずにいられた。だから離れられなかった。

 それだけを恋と呼ぶには、あまりにも情けない。

 

「だから君が言うように、正しい感情でも正しい関係でもなかったんだろう」

 

 だが。

 

 

「それでも好きだ」

 

 たとえこの関係の始まりも過程も間違っていたとしても、救われたという結果(じじつ)だけは何を差し置いても正しく存在しているのだ。

 

 今日一日考えて、思い知った。

 感情は確かに冷えている。だが論理的に考えて、俺が彼女を好きでないはずがない。

 少し客観視をしてみればわかることだ。

 ならば感情が(・・・)冷えている(・・・・・)理由は(・・・)また別だ(・・・・)

 

「今の俺はまだ真っ当な理由を言えるほど人間ができていない。それでも、君の全部に惚れ直すだろう」

 

 だからどれほど道に迷っても戻れるように標を、揺るぎない金科玉条を、『定義』を決めたのだ。

 恋など初めからくだらないものだと。それでもいい(・・・・・・)と。

 ならば。このくだらない感情もどうしようもない執着も全部。

 そういうことでいい。

 

「俺は咲耶のことをかっこいいと思ってるし、咲耶が俺のことをそう思ってくれるのなら、まだ格好付けたいよ」

 

 手放したくない。

 

 

「実は俺は、君の気を引くのに必死だ」

 

 

 彼女の目を見返す。糾弾し、告発する瞳に、答えを叩きつける。

 

 遠くで弾ける音と閃光。黒い空に花火が上がり始める。

 無言、見つめあう。花火なんて見ていなかった。彼女の潤んだ目に、光が灯っては散る。

 花火二発分が散る長い、長い沈黙の後。咲耶は小さな唇を震わせた。

 

 

「待って。もう一回言って。今の良かった。録音する」

 

「……なんて?」

 

 

 夜の中爛々と輝く目は、完全に据わっていた。

 

 

「録音してアラームに設定する」

 

「外道か?」

 

 

 天を仰いだ。なんでも言うことを聞くとは言ったけど、それは無い。

 

 ──冷静に考えて。俺の感情が冷めてるの、咲耶が変なせいでは?

 ちょっとこの女に正気で熱を上げるの無理じゃないか?

 普通の人間には荷が重いだろう。いや、俺は普通じゃないからいいのか。よくねえよ。

 

「ふふ、冗談よ。嬉しくて永久保存したくなっただけ。毎朝聞いて目覚めたいと思っただけ」

「そう、か。よかっ……いやよくねえ」

 

 言ってること何も変わってないじゃないか、おい。 

 だが彼女の穏やかな表情を見ていると、どうにも毒気が抜かれて。何も言えなくなってしまう。

 

 空に打ち上がる音の中でさえ、彼女の穏やかな声は確かに耳に届く。

 

「あなたの気持ち、伝わったわ。ありがとう。……何度もわたしに告白してくれて。だからわたしも返事をしなくてはね」

 

 花火の明かりに照らされて彼女は、静かに微笑んだ。

 

 

 ◆

 

 

 わたしは思い返す。

 これまでのことを。

 ──この夏のことを。

 

 

『それは、本当に恋愛なのかい?』

 

 鈴堂瑠璃の軽蔑に、口を引き結ぶ。

 人を見透かす天才の言葉は一足飛びに答えを当てた。

 ええ、その通り。わたしたちは本当から目を背けていた。

 

 

『恋愛って茶番だと思うんです』

 

 寧々坂芽々の愛ある罵倒に、胸の内で頷く。

 不可解な色恋を面白がる友人の言葉はしっくりと馴染んだ。

 ええ、本当に。わたしたちは茶番ばかり繰り返してどうしようもない。

 

 

『殺して、救わなければ、救われない』

 

 聖女ネモフィリアの極論を、分かりたくないと思いながら反芻して。

 けれど愛を知ってしまった人形の論理を、分かってしまうことを確かめる。

 言葉に力はなく、祈りに報いはない。わたしたちは人なんか救えるようにできていない。

 

 

 目の前の彼を見る。

 陽南飛鳥を。

 相も変わらず、その目は輝くことも腐ることもない。

 

『人を殺したんだ』

 

 知っている。

 彼の背負うものを、取り憑かれた影を、それはきっと隕石なんかで簡単に破壊されてくれないものだと。それがどうあがいても解けない呪いであることを。

 分かっている、つもりだ。

 

 

 文月咲耶(わたし)の信条を確かめる。

 

『人生なんて演劇みたいなものだ』

 

 現実から逃避するための支えでしかなかったそれは、いつしかわたしを現実に立たせるためのものになった。

 もうわたしは演技(うそ)に縋りつくことはない。けれど少しの強がりや、意地が、嘘が、誰かを生かすのに必要なのだと知っている。

 あなたが、本当は強くなどなかったのだとしても。

 ──わたしは、あなたの強がりに救われてきたのだ。

 

 だから今度はわたしの番だ。

 

 

 息を深く吸い込んで。心の中で、呪文を唱える。

 

『定義する』

 

 ──恋愛とは茶番劇である。

 あなたが好きだと態度で示し続け、自らの持てる力を尽くし、互いに合わせて己すら作り替える。浮いた愛の台詞を吐き続け、ときめきを再生産し続けて。あるいは隣で、この世で最も安らぐ沈黙を演出し続ける。

 それが嘘でも欺瞞でも貫き通せば本物に相違ない。

 

 たとえ言葉に何の力がないのだとしても。わたしはそれでも、想いを口にしよう。

 たとえ魔女が人を救えない生き物だとしても。文月咲耶(わたし)は陽南飛鳥を、人を、完膚なきまでに救うのだ。

 

 

「あなたの人生全部を頂戴。

 あなたは報われないし救われないし許されない。

 でも生きて。だとしてもしあわせになって。わたしと。

 誓うわ。人生かけてしあわせにする」

 

 

 ──それは祈りではなく願いで、そしてわたしにとって願いとはただの約束だ。

 

 

 

 花火の音は止んでいた。空は暗く、静寂が満ちている。

 崖下の星灯りを背に、彼は。夜の逆光の中でくしゃりと、眉を下げる。

 

「そうか、じゃあ」

 

 

 

「君を幸せにするまで死ねないな」

 

 

 

 わたしは──。

 冷ややかに見つめ返した。

 

「……いや、わたしより先に死んだら殺すから」

「ひでえ」

「わかってる? あんた本当にわかってる? ねえ」

「ははは」

「笑うな!」

 

 わかってない! こいつ、絶対わかってない! わたしがどのくらいの覚悟だったかとかなんかもう全部、伝わってる気がしない!!!

 

 頭が急速に沸騰した。怒りなのか悔しさなのか羞恥なのかよくわからないまま、びしりと指を突きつける。

 

 

「い、一生かけてわからせてやるわ! 覚えてなさいよ。最後にはわたしが勝つんだから!!」

 

 

 その瞬間。

 背後で盛大な爆発音がして、空が真昼のように明らんだ。

 音と光にびくりとして振り返る。

 どんどんぱらぱらと続く花火は、爆発炎上もかくやという勢いで夜空を金色に染め上げていた。

 

 ぽかんとする。これ、人死にが出る火薬の量じゃないの? 

 最近の花火って、すごい……。わたしの魔法でもここまで派手じゃない……。

 いや、うーん。頑張ればできるのかしら?でも見た目だけ綺麗でも肝心の威力がなければ爆発四散はさせられないし……。見た目イマイチでも破壊できればすべて良しだし……。

 などと、つい魔女の性で考え込んでしまって。隣でくつくつと笑い出した彼に、遅れて気付く。

 

「おまえは血の気が多すぎる」

 

 失礼な! 

 

 だけど飛鳥が、あまりに楽しそうに笑うから。気が抜ける。

 

「話の続きは後にしましょうか」

「そうだな。折角の」

 

 穏やかに目を細めて。

 

 

「綺麗な花火だ」

 

 

 その笑みを、瞬きの間に消えていく光を、目に焼き付けて。

 願う。

 

 一生笑ってて。一生。そのためならわたし、どんな魔法だって使える気がするから。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ──きっとわたしたちの戦いはこれからで。

 わたしたちの恋愛(こい)はまだ、始まったばかりだ。

 

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