彼女は窓からやってくる。(旧題:異世界から帰ってきたら、窓から入ってきた魔女と青春ラブコメが始まった。) 作:さちはら一紗
『送っていく』とは言ったが、その言い回しは間違っていたかもしれない。と考えながら、バイト上がり、俺は急いで帰り支度をする。送るも何も方向が同じなんだから、『一緒に帰ろう』と誘えばよかったのだ。その方が友人としては正しかった。
……最近、俺たちの関係がおかしい気がする。こんなはずじゃなかった。友達、というのはもっと健全な関係のはずで。だからこそ、こうなるのが「最も冴えた解決」だと、少し前の俺は判断したのだ。
しかし正式に友達になってから、まだ五日しか経ってないというのに。あまりにも──壁が、崩れるのが早い。
……アイツ、好意がだだ漏れじゃないか? なんだよ「来ちゃった。えへへ」って。もう態度がフワッフワだろうが。食パンか? 先週まで全力で煽り散らしていた相手にする顔じゃないだろ。
まじで何考えてるんだアイツ。
……いや、何を考えているのか。まったくわからない、というわけではない。
──何せ二年前、あいつが俺のことを「好きだった」というのを、知っているのだから。
何故、それを知っているのかというのは簡単で。本人の口から聞いたからだ。
『わたし、ね。昔……あなたのこと、好きだったのよ』
と。
あの時は、現世に帰ろうとしてることがバレて異世界の奴らに追われるわ、なんとか逆転移が成功したはいいものの空から墜落するわでわりとズタボロになっていたし、お互い意識が朦朧としていたからか。彼女は、言ったことを覚えていなかった。俺も、正直本当にそれを聞いたのかは、確証がない。
もちろん事実だとしても、それは今は関係のない話で、あくまで過去形の告白だと重々に認識している。
だから、聞かなかったことにして素知らぬ顔をしているが──別に俺は、鈍感ではない、はずだ。勘は、いい方だと思う。
だから直感である程度は、わかる。
──彼女が、どうあがいたって俺に好意的であることも。
──それ以上に、何か〝好意ではない感情〟を抱かれていることも。
だが。それに向き合うには、まだ。
俺たちには、
そんなことを考えながら、裏口の戸を押し開いたせいか。よく磨かれた金属製の扉が、重いように感じた。
裏路地。閉店間際のこの時間は、表の通りも閑散としている。
俺が裏口の扉を開けると、咲耶が路地でしゃがみ込んでいるのが目に入った。
黒いワンピースの裾が地面につかないように、器用に屈んでいる。何をしているのかと、目を凝らすと、どうやら野良猫と戯れているらしい。
「んー、おまえ、わたしを怖がらないのね。黒猫だからかしら? 魔女は黒猫を連れるものだものね。ほんとは犬派なんだけど……ふふ、悪くないかも」
ふわふわとした声で、猫を愛でる咲耶。
「おまえ、うちの子になる? ……んん、流石に意思疎通はできないか……。いいなぁ、わたしも、どうせなら箒で空を飛ぶタイプの魔女になりたかったわ」
いや、めっちゃひとりごと言うじゃん。あたま食パンか?
俺はしばらく、その様子を眺め……とりあえず、写真を撮ることにした。
カシャリ、とシャッター音。咲耶が勢いよく振り返る。
「な、な…………!?」
驚愕と羞恥の表情になっていく咲耶を尻目に、写真を確認。
「おお。最近の携帯電話ってすごいな、綺麗に撮れる」
「未だにケータイ呼びなの⁉︎」
そうか。携帯電話ってもう言わないのか。語彙が古いのは祖母の影響だな。
「ていうか、なんで撮ったの⁉︎」
「友達の写真撮るのは普通だろ」
「理由聞いてるんだけど!」
「いや、かわいかったから」
「…………っ⁉︎?」
「猫が」
「…………そうね!」
「ちなみに俺は猫派だ」
「いつから聞いてたのよ!」
などとうるさくしていたら、猫が逃げた。すまん。
咲耶は、ずい、と俺に近付く。
「あのね、飛鳥。いいこと?」
うわ、顔近い。
真剣な表情で、彼女は片目に俺を大きく写して、言う。
「──この世にはね。急に写真撮られると魂が抜ける人種が、いるのよ」
「は?」
目尻が綺麗な形をしているな、とか考えていたから、何言っているのかわからなかった。
「どゆこと?」
「猫被ってる時は撮られてもいいけど、わたしの素は、撮られてもいいようにできてないんです! ので、その、急に撮られると……困る!」
なるほど、力強く情けないことを言っている、というのは理解した。
「大丈夫、おまえは美人だよ」
「えっありがとう……じゃなくてぇ!!!」
なんだ、情緒の忙しいやつだな。
「消して!」
「やだ」
「やだ⁉︎」
「ちゃんと咲耶にも写真送るからさ。連絡先交換しようぜ」
「あっようやく言った! する! けど‼︎ 写真は消してくれないのね⁉︎」
「だって、それは公正じゃないだろ。俺は撮られたのに」
「あんたは自分から撮られに来たじゃない!」
「はぁ? おまえがカメラ向けたからだろ」
「それは、その……」
頬を両手で覆う咲耶。暗い中でも、赤くなっているのが見えていた。
「ごめんなさい……わ、わたしも……写真消す、から……」
「? わざわざ撮ったものをなんで消す必要が?」
「価値観の相違だわ!」
どうやら、根本的に写真というものへの向き合い方が違うらしい。
「とにかく消しなさいってば!」
とうとう俺の携帯を、咲耶がひったくろうとしてきたので、とりあえず避ける。
「わかった。こういう時は、アレで決めよう」
友達の定義を詰めた時に、揉め事に対してのルールも定めてある。大抵は話し合いで解決する。というか、話し合いで勝ち負けを決める。つまり、納得した方が勝ちを譲る、ということにしてある。
だが、それができない今回のような場合の時は。
──厳正なるジャンケンで決める、と。
頷き合う。
「いくぞ、覚悟はいいか」
「ええ、どこからでもかかってきなさい」
そして。特に納得できる理由もなく写真を消して欲しい咲耶と、特に正当な理由もなく写真を残したい俺の、戦いの火蓋が、今、切って落とされようと──、
「いや、待て」
「ちょっと待って」
ジャンケンを始めようとして。お互い、最初のグーで固まった。
「……おまえ今、魔法で俺の出す手を変えようとした?」
「……あんた今、動体視力と反射神経で、後出ししようとした?」
…………。
「チッ卑怯者め」
「お互い様でしょーが!」
ふしゃーーっとする咲耶。でかい猫だな、と思った。
「でも、お互い妨害しあって条件は同じっていうか? 逆に公正なジャンケンになってる、のかしら……」
「あ」
「えっ何、なんか思いついたみたいな声出して」
さっきまで出していたのは、何もない左手の方だった。それをわざわざ包帯の巻かれた右に変える。
「右手だと、おまえの魔法が効かないこと思い出した」
「…………」
咲耶は、無言で、俺を見て。
「ずっるい‼︎」
くわっと目を見開いた。
「公正な勝負はどうしたのよ!」
「ハッ、知らないのか。人間は……負けたら死ぬんだぞ」
「いつジャンケンに命を賭けたの⁉︎」
「人生は常に命懸けだからなー」
「あたま異世界か⁉︎ いや、正々堂々って大事だと思うのよわたし!」
魔女が『正々堂々』とかお笑いぐさだな。フッと小馬鹿にして笑う。
「悪いが、俺は勝ちを選ばない!」
「ふざけんなぁ!」
咲耶は眼帯を外す。
「そっちがその気なら、わたしだって!」と光る左眼、赤い粒子が飛び散った。
いやもう、これなんの争い?
いいか。なんか楽しくなってきたし。
──そう考えたのが間違いだったと、数秒後に思い知る。
無駄に熱くなったせいで。
それぞれが一歩を踏み出し、腕を伸ばし、物理的な距離感と勢いを見誤った。
その結果は、互いに出した手の接触。
俺の右手と、赤い粒子を纏った咲耶の肌が、僅かにほんの少しだけ、掠めた。
──しまった、と思ったのも束の間。
「……え」
バチッと、赤と青の閃光が弾けた。
瞬間──目が、眩んだ。
秒にしてコンマ一秒もなかっただろう。
けれど不意打ちの衝撃に、一瞬、意識が断絶した。
視界が晴れて、まず、彼女を見て──愕然とした。
「いったぁ……、何、今の……」
路地に尻餅をついた彼女は、おもむろに頭に手を当てて、さっと青ざめる。
それも、そのはず。
──彼女の頭部には、捻れた〝角〟が生えていたのだから。
現世に帰って消えたはずの〝魔女〟の証であるそれ。服装は現代のままなのが、恐ろしいまでの違和感を伴っていた。
だが、彼女はすぐにこちらを見て声を震わせた。
「あんた、それ……」
ああ、わかっている。こちらも、気付いている。
握り締めた拳の包帯が解けている。露出しているのが肌色ではなく、金属の鈍色なのは、今はいい。今、気にするべきことじゃない。
問題は──何故か、今、俺が〝剣〟を握りしめているということ。
──現世ではとっくに呼び出せなくなったはずの、異世界の〝聖剣〟が、手の中にあるということだった。
立ち上がった咲耶が、一歩、後ずさる。
「……どういうこと、なの」
そして、間が悪いことに。
丁度そのタイミングで、裏口のドアがガチャリと開く。
出てきたのは、例の幼馴染二人だった。
「えっ」
「あら」
「うぇっ」
「げ」
丁度帰るところだった笹木と芽々と、裏路地で鉢合わせる。
異世界の証拠をばっちり目の当たりにして。
……誰だよ、人生そろそろ全部上手くいく、とか舐めたこと考えたのは。
◇
「……え、これは、何?」
笹木が困惑した顔で聞く。
「あらまあって感じ、ですねー?」
芽々が無表情で首を傾げた。
「マコは二人の失踪原因、神隠し説支持者でしたよね」
「うん、それが一番面白そうだから」
「まー、大体その方向性で合ってたってことでしょうか」
「えっほんとに! じゃあ、あれ全部本物?」
何故か嬉しそうな顔の笹木。
芽々はこちらにスマホを向け、パシャパシャと写真を撮る。
「あー……剣も角も写真に映りませんね。これはガチです」
確かめ方に隙がない。理解力が高すぎる。というか写真に映らないのか。初めて知った。
咲耶がゆらりと立ち上がる。
「──記憶、消すわ」
いつのまにか、据わった目をしていた。姿を変えた時から漏れ出していた、ぴり、と肌がひりつくような嫌な気配。それが、隣で増していく。
「待て咲耶」
「なに?」
返答は剣呑だ。〝魔女〟としての低い声音と、鋭い目付き。
──それが、嫌だと思った。
だから、こちらに引き摺り戻す。
「〝友達〟の記憶を弄るのは、人間としてやっていいことじゃないだろ」
さっきまで、彼女が芽々と親しくしていたのは見ている。基本的に壁の厚い彼女にとって、友達、と言えるかはわからないが。一か八かで、魔女を引っ剥がし、別の皮を被せる。
──今のおまえは、ただの、文月咲耶だろ。
彼女は鼻白んで、たたらを踏んだ。
「なによ、甘いこと言っちゃって……」
不穏な様子を感じとった笹木が、おそるおそると手を上げる。
「……あの。おれたち、今見たことは黙ってるよ?」
「はいはい誓います。契約しまーす」
芽々もまた軽いノリで、同上した。
「えっ」
「なんで」
「なんでって、言われてもですね」
「だってこんな面白そうなこと、忘れるのは勿体ないじゃないか」
口調こそ穏やかだが、表情には隠せない好奇心のようなものが滲み出ている。というか、なんか、あからさまにわくわくしている。
毒気を抜かれる。
「あと純粋に、脳味噌弄られたくないですし」
異常に早い飲み込みに、唖然とする。
「てゆーか、記憶が弄れるなら、口止めくらい魔法でちょちょいとなりません?」
芽々は、物騒な言葉を口にするには能天気すぎる声で、提案する。
「え、うん、できるけど…………え?」
咲耶が完全に素で動揺していた。
……どうやら。こいつらも大概、変な奴らだったらしい。
その後。『じゃあお疲れ様でーす』『また明日ー』と言って二人は普通に帰って行った。
「いや、なんでだよ」
変だろアイツら。そんなに滑らかにスルーできるか普通? どういう神経してるんだよ。
「……最近の若者は怖いな」
しかし解決したのだろうか、これは。もう何もわからない。帰って寝たい。
……眠れるだろうか、今夜。
ひとまず
装飾らしい装飾もない、無駄に大きい両手剣。嫌というほど見た
絶対に切腹しにくいと思う。刀しか格好良いと思わない。異世界のセンスは最悪。
渋々と、異世界の言葉──もう二度と使うことはないと思っていた言語で、『戻れ』と命じると。剣は、右腕の中に収まるようにして消えた。
右腕は、生身のそれではなかった。ブリキのような、よくわからない金属で出来ていて、それは剣とまったく同じ質のもの──というか。単純に。
聖剣は使用者に合わせて形を変えるのだという。だから、向こうで腕を失くした時からこうだった。
……いや、剣そのものというより、中に仕舞われているという点では、『鞘』とでもいうのが正しいだろうか。その辺は深く考えたことはないし、今となってはどうでもいい話だ。
大事なのは、
それが何故か今になって起動したということだ。
起動の衝撃か、彼女と触れた時の火花のせいか、巻いてあった包帯は解けている。仕方なくバイト中に使っていた手袋を嵌める。
だが、手袋と袖の隙間からちらちらと光に反射する鈍色が見えている。
顔をしかめて、袖をぐっと伸ばす。制服のシャツに伸縮性はないので、行いには特に意味がなかった。
振り返ると咲耶の方も始末を終えていた。
角は消えているし、魔女特有の嫌な気配も、もうない。だが彼女はこちらと距離を取ったまま。近付こうとはしなかった。
「咲耶」
呼ぶと、彼女はびくりと肩を震わせる。
ああ、うん。今、声低かったな。間違えた。
眉間を揉んでしわを消す。取り繕って明るい声を出す。
「さっきのやばかったな。いや、何がやばいって一番は笹木と芽々の反応だけど。明日どんな顔して会えばいいんだよコレ。あいつらすげえな。素面で帰っていったぞ」
「でもまさか、こんなことになるとは。ほら、アレ。なんだっけ。
「あれかな、やっぱり。おまえが魔法使ってる最中に
──そうか。こうしてお互いの身体が反応した以上。自分たちがどう認識しようと、関係の実態は『敵』のまま、ということか。
「あー、なんだ、その……」
咲耶は青ざめたまま、黙りこくっていた。
溜息を飲み込む。本来、俺も彼女もよく喋る方ではない。こんな状況では何を言っても滑り落ちるだけ。糠に釘だ。どんな言葉も刺さらない。
「……ごめん。俺ひとりで喋って」
返答は、不揃いの瞳が揺れるだけ。
──まずい。どこにも『正解』が見当たらなかった。時間はたっぷりとあるのに、脳も脊髄もろくな答えを寄越さない。
『もう全部終わった』と思っていたのに。そうじゃなかったと突然ひっくり返されてしまったせいか。
『何者』として言葉を発すればいいのか、わからなくなっている。見失いそうになる。
──いや、大丈夫だ。迷う余地はない。そのために定義したのだ。関係の名を。今の立ち位置を。それを今更見誤ることは、ない。
だから。
「帰ろうぜ」
なんでもないように背を向けて。自然な程度に距離を取って。先に歩き出そうとして。
彼女の手が、俺の左袖を、力なく引いた。
「お願い……」
か細い声。足を、止める。
「──今夜は、一緒にいて」
振り返らない。彼女の顔を見る自信がない。
明日も学校があるだろ、とか。そんなこと男友達に言うなよ、とか。
正論はいくらでもあって、けれど正しいだけのすべてになんの価値もないから。
間違えないように、ただひと言。
「わかった」
と答える。
それが正解かどうかは、わからなかった。