雪を被ったような純白の服装と銀髪──
画面に映った彼女がこの東京エリアの国家元首だと認識したとき、椅子に座っていた社長たちが、ほぼ同時に立ち上がる。
それは、社長クラスだけではない。傍に居た荒事専門のプロモーターたちも思わず姿勢を正すほどの存在。
唯一、将監と他数人は態度を直すことはしなかったが、それでも目を見開いて驚いていた。
学の浅い将監でも知っている。
礼儀も無い、礼儀の礼の字も知らない将監でも、姿勢を正す、もしくは跪かなければいけない存在だと知っている。
無論、そんなことをするつもりは無いが、突如として現れた権威者の登場に目を細めた。
それと同時に、ドクロを描いたフェイススカーフの下に隠された口角が上がる。
何やら随分と面白い話しになりそうだ。
『楽にしてくださいみなさん。私から説明します』
誰一人着席する者はいなかった。
『といっても依頼自体はとてもシンプルです。民警のみなさんに依頼するのは、昨日東京エリアに侵入して感染者を一人出した感染源ガストレアの排除です。もう一つは、このガストレアに取り込まれていると思われるケースを無傷で回収してください』
画面に別ウィンドウが開かれると、ジュラルミンシルバーのケースのフォトがポップアップされる。
それとは別に、横に現れた数字は成功報酬だ。
その額に、周囲の空気が変わる。
驚嘆、困惑、好奇、歓喜……ただ、今のこの状況では困惑の方が大きいか。
流石、国家元首より直接の依頼。この錚々たるメンバーが集められたのも納得が行く。
「質問よろしいでしょうか」
手が上がるのは
「ケースはガストレアが飲み込んでいる、もしくは巻き込まれていると見ていいわけですか?」
『その通りです』
聖天使の淀みない回答に将監は胸の内で舌打ちをした。
──面倒だ。それに限る。
巻き込まれている、となると、それはガストレア化と同時に皮膚部などに癒着している可能性が高い。
これが、外部に露出していればまだ良いが、問題は身体の内部の何処かにあった場合。
確かに、聖天使は言った。
これでは、いつも通り大剣を振ってぶった切る訳にはいかない。
ガストレアを排除すると同時に破壊してしまったら、本末転倒だろう。
故に、面倒。
見える範囲から徐々に外殻や皮膚を削ぎ落とし、内部にあるであろうジュラルミンケースを探し当てなければならない。
出来ないわけではないが、余り乗り気しない内容ではあった。
こうなると、力技でなぎ倒してきた将監にとっては不相性。それは、影似社長も良く分かっているだろう。
将監は、この依頼の担当は別の人間に宛がわれるだろう、と確信した。
急速に下がっていく熱。上がっていた口角も今ではへの字に変わった。
社長が他にも質問している後ろで、将監は軽く溜息を吐く。
そんな時だ。
またもや、服を引っ張られる感覚。
ウゼェ、メンドクセェ、と億劫になりながらも下を見れば、やはり自身のパートナーでもある
また、腹が減っただと宣うのであれば、その脳天気な頭を殴りつけてやろうと思い、拳を固め、そして──緩める。
眉を顰め、警戒するように視線をしきりに周囲へと向ける夏世。
何かを警戒している。だが、その何かが分からなくて困惑しているようだった。
どうやら、何かしらを感じ取ったらしい。
彼女自身の第六感か、それともウイルス因子である『イルカ』の能力かは知らないが、夏世の感は良く当たる。
まるで、敵の位置が分かっているかのように、その的確に当たる勘には随分と助けられてきた。
だからこそ、将監はゆっくりと大剣の柄へ手を伸ばし、握り締める。
何やら、あの学生二人組の女の方が、かの国家元首に質問しているようだが、今はどうでもいい。
警戒しろ。意識を集中させて、周りを見ろ。
そして、突如部屋に響き渡るけたたましい笑い声。
『誰です』
「私だ」
声の主に全員の視線が集中する。
唯一、空席であった『大瀬フューチャーコーポレーション』の席に、シルクハット、燕尾服、何より目を引くのは顔を隠す仮面。
そんな怪人が卓に両足を投げ出して座っていたのだ。
両隣に座っていた社長は忽然と現れた仮面の男の存在に驚きの悲鳴を上げて、椅子から転がり落ちた。
コイツ、今どこから。
いや、そんなことより、誰一人気が付かなかったのか?
──否。気が付いていた。
将監は夏世へと視線を向ける。
夏世もまた将監へと視線を向けており、ゆっくりと首を縦に動かした。
なるほど、コイツか。先ほどまで夏世が感じていた違和感の正体は。
男は「いよっと」と掛け声を上げて、身体を反らせて跳ね上がれば、卓の上へと土足で踏み上がり、中央へ悠然と歩いて止まる。
そして、聖天使へと向き直り相対した。
『……名乗りなさい』
「これは失礼」
男はシルクハットを取って身体を二つに折り畳んで礼をする。
「私は
「お、お前ッ……」
「フフ、元気だったかい
どうやら、あの学生と知り合い、もしくは因縁があるらしい。
だが、どうでもいい。
自分にとっては、心底どうでもいい。
将監は影似社長へと視線を向け、大剣の柄を今一度握り締めた。
無論、将監の性格を把握している影似社長は視線にも気が付いており、周りから見えないように手の平を将監へと向けていた。
それが、「まだ、待て」という意味だと知っている将監は、気を高ぶらせながら、何時でも飛び出せる準備をする。
「──おおそうだ。丁度良いタイミングなので私のイニシエーターを紹介しよう。
「はい、パパ」
何処からともなく現れて、影胤の横に来てはスカートの裾をつまんで辞儀をする少女。
「蛭子小比奈、十歳」
「私のイニシエーターにして娘だ」
ウェーブ状の短髪、フリル付きの黒いワンピース。
だが、腰の後ろに交差して差された二本の小太刀が異質さを際立たせていた。
「今日は挨拶に来たんだ。私もこのレースにエントリーすることを伝えたくてね」
「エントリー? なんのことだ」
「『七星の遺産』は我らがいただくと言っているんだ」
その単語に反応を示したのはただ一人。
大画面に映っている国家元首、聖天使だけだった。
「七星の遺産? なんだよ、それ」
「おやおや、君たちは本当に何も知らされずに依頼を受けさせられようとしていたんだね、可哀想に。君らが言うジュラルミンケースの中身だよ」
まだか、まだダメなのか社長。
もう、十分だろう。
聞きたいことは、十分聞けただろう。
「諸君ッ、ルールの確認をしようじゃないか! 私と君たち、どちらが先に感染源ガストレアを見つけて七星の遺産を手に入れられるかかの勝負といこう。七星の遺産はガストレアの体内に巻き込まれているだろうから、手に入れるには感染源ガストレアを殺せばいい。
開いた手が閉じられ、拳へと変わる。
それが──合図だった。
「判断が遅ェんだよ、社長!」
自身の社長へ嫌みを言いながら将監は踏み込んだ。
フッ、と将監の姿が消える。あの巨体とも言える姿が一瞬にして消えたのだ。
目で追えないとは正にこのこと。
気が付けば将監は卓の上へと昇っており、下から切り上げるように大剣を構えて影胤の懐に潜り込んでいた。
「おおぅッ?」
「お前も遅ェよ」
タイミング、間合い、全てが完璧。
逆巻く突風を纏って、漆黒の大剣が天を貫く天津風の如く振り上げられる。
だが、その時、将監は不思議に思った。
目の前の男は文字通り、何もしていなかった。
その傍にいる少女は反射的に小太刀を抜こうと腰に手を持って行っているのに。
普通はガードをする。無駄だと分かっていてもガードはするものだ。
それは、もはや生物としての本能に近い。
目の前に迫り来るボールに対して反射的に手を前に出すのと同じように、身体とは、本能とは、反射的に動いてしまうものだ。
なのに、目の前の仮面の男は動いていない。微動だにはしているが、それは攻撃を防ごうとする動きではなかった。
これが、まだ背後からの奇襲と言うのならば理解できる。知覚していないものに反応するなど、まず不可能だからだ。
だが、コイツは。目の前の仮面の男はしっかりとこちらを捉え、尚且つ目で追っていた。
──何かある。
それは、多大なガストレアとの戦闘による経験から来るものか、それとも将監の持ちうる天賦の才か。
将監は振り上げようとした体勢から無理矢理身体を動かして、少しだけ後方へ身を引いた。
「──へぇ……」
「ッ!? クソがッ!」
引き気味に繰り出した斬撃は、切っ先部分が影胤に当たるぐらいのものであったが、その前に不可視な壁のようなに当たる。
硬い。やはり、何かあった。
奇妙な雷鳴音と青い火花のような軌跡を描いて、大剣は振り切り頭上高く持ち上げられる。
本来ならば、ここから更に二撃目の振り下ろしがあるが、得体の知れないナニカに防がれてしまった以上、追撃は得策では無いだろう。
ただ、その勘に従ったお陰で大剣を弾かれることは無かった。
敵の前で武器を失うという決定的な隙を晒すということは、生死に直結するといっても過言では無い。
確かに、そのまま気にせずに大剣を振って不可視のバリアごと切り裂くことも出来たかもしれない。
だが、その場合、大剣が負けて折れるという可能性も秘めている。
所詮はタラレバ。結果としては、相手の一人勝ち。
ビビった自分が情けない。憎たらしい。殺してやりたい。
「将監、下がれ!」
「──チッ!」
影似社長の一喝の意図を瞬時に汲んだ将監は舌打ちと共に大きく後退した。
そして、周りに集まっていた全ての社長とプロモーターが自衛用のピストルを抜いて一斉に引き金を引く。
咄嗟に将監は夏世を自身の後ろへ引っ張り隠すと、大剣を前へと持って来て、切っ先を地面に着ける。
その瞬間、耳をつんざく発砲音と三六○度あらゆる方向からの銃撃。
だが、再び雷鳴音が鳴り響き、今度はハッキリとその不可視の壁のような正体が分かった。
影胤を中心に広がるドーム状のバリア。文字通り、彼はバリアを張っていたのだ。
弾丸が当たる度に青白い燐光を発し、角度によっては弾丸は跳弾して調度品に当たっていく。
それを予期していた将監は自身の大剣から手へと響いてくる衝撃に、思わず舌打ちをした。
射撃している社長も出来れば守りたかったが、率先して射撃している社長を今さら首根っこ引っ張って背後に回わすわけにもいかず。
それに、後々で何を言われるか分かったものではない。
何せ、プライドが高い社長のことだ。面倒になることぐらい分かりきっている。
そして、視線を下斜め後ろに向ければ自身の膝裏辺りにしがみつくようにして、成り行きを見守っている夏世の姿。
お前も撃てよ、と思ったが、こうして射撃の機会を奪ったのは自分自身だったと気が付く。
咄嗟の行動であったが、思わずそれが裏目に出てしまったようだ。
だが、それも、射撃が止んで静かになった室内の状況を見れば、結果的に良い判断であったことだと分かった。
「そんな……」
硝煙のきついにおいが漂う奇妙な静けさの中、運悪く跳弾が当たった人間のうめき声と、信じられないものを見た、とでもいうような声が聞こえてくる。
弾痕だらけの卓の中央に長身の仮面の男と少女が周囲を見下ろしていた。
列席した高位序列者たちは全員が麻痺したように動かない。
ただ、その中で将監だけは苛立たしそうに、大剣の柄を握り絞めていた。
影胤が鷹揚に両手を広げる。
「斥力フィールドだ。私は『イマジナリー・ギミック』と呼んでいる」
「……バリア、だと? お前、本当に人間か?」
まるで、SFの世界のような話しだ。バリアを張れる人間など現実には信じがたい。
「名乗ろう、諸君。私は元陸上自衛隊東部方面隊機械化特殊部隊『新人類創造計画』蛭子影胤だ」
「……まさか、ガストレア戦争が生んだ対ガストレア用特殊部隊? 実在するわけが……」
どうやら、将監の雇い主である影似社長は聞き覚えがあるようだった。
だが、都市伝説や眉唾だと思っていたらしい。
「信じる信じないは君たちの勝手だよ。まあなにかね里見くん? つまり私はあの時まったく本気じゃなかったのだよ。悪いね」
影胤は音も無く
すると、そこには赤いリボンがあしらわれた箱が現れた。それを、卓の上に置くと、愕然としている蓮太郎の肩に手が置かれる。
「君にプレゼントだ。ではこの辺でおいとまさせてもらうよ。絶望したまえ民警諸君。滅亡の日は近い。いくよ小比奈」
「はい、パパ──」
「──逃がすと思ってんのか? あァ?」
全員が信じられない状況に放心している中、将監だけその内に怒りを燻らせていた。
だからこそ、悠然に窓の前まで歩いて行こうとする影胤の前に将監は立ち塞がる。
ふざけるな。
自分はまだやれる。
まだ、負けたわけじゃない。
──あからさまに見下してんじゃねェんだよ。
立ち塞がる将監に、目を細め、何よりその瞳を赤く光らせた小比奈が小太刀を抜いて、一歩前へと出る。
「……パパ、さっきからコイツうざい。
「ハッ! やれるもんならやって見ろよ、クソガキ」
小比奈が構える。
将監も大剣を振るうべく我流に構え──殺気立つ。
ぶつかり合う。
斬り結ぶ。
誰もが固唾を持って見守っている中、成り行きは全く違う方向へ向かった。
小比奈の後ろで見守っていると思っていた影胤が突如として拳銃を抜いて──発砲。
「ッ!?」
まさか、バレると思っていなかったのだろう。
まさか、そこから発砲されると思っていなかったのだろう。
驚き、目を見開いて、撃たれた事実に身体が硬直する。
銃を構え、今にも引き金を引き絞ろうとしていたのだ。今さら、違う行動を、回避行動を取れるはずも無く。
悟る。
悟って、そして──安堵する。
「チッ……おい、邪魔してんじゃねェよ。殺されてェのか」
漆黒の大剣が、それを振るう大きな背中が見える。
影胤が発砲したと思われる弾丸は、将監が大きく腕を伸ばして壁となった大剣の側面に着弾し、弾頭が潰れた弾丸が床へと落ちる。
「……すみません、将監さん」
失態だ。相手を甘く見ていた。
彼の足を引っ張ってしまった。
「ふむ、道が開かれたようだ。行くよ、小比奈」
「でも、パパ。アイツ、まだ殺してない。弱いクセに、ウザい」
「ダメだ、愚かな娘よ」
「うぅ、でも……パパぁ……!」
駄々をこねる小比奈を尻目に影胤は窓を割ると、未だに殺気だって将監を睨む小比奈の手を引いて、ごくごく自然な動作で飛び降りた。
それを見届けて将監は大剣を納める。
だが、この内に眠る怒りは収まっていない。否、収まりきっていない。
奥歯を噛み締め、握り締めた拳に血が滲むほど、その怒りは怒髪天へと変わっていた。
「
『答える必要は無い』
聖天使の傍に立っていた天童
重い沈黙がおりかけたその時、突然半狂乱の体で男が会議室に飛び込んできた。
「大変だ。しゃ、社長があああああッ!」
どうやら、その男は会議に欠席した『大瀬フューチャーコーポレーション』の秘書らしい。
その秘書が言うには自宅で社長が殺されたとのこと。そして、その死体の首が何処にも無いということ。
点と点が結ばれる。
蓮太郎の前に置かれた三十センチほどある箱。
言わずもがな、その中身は大瀬社長の頭部であることは分かりきっていることだろう。
「……ぁの野郎ぉッ!」
『静粛にッ!』
聖天使の澄んだ声に、全員が顔を上げる。
『事態は尋常ならざる方向に向かっています。みなさん、私から新たにこの依頼の達成条件を付け加えさせていただきます。ケース奪取を企むあの男より先に、ケースを回収してください。でなければ大変なことが起こります』
「中に入っているものがどういうものなのか、説明していただけますね?」
『いいでしょう、ケースの中に入っているのは七星の遺産。邪悪な人間が悪用すればモノリスの結界を破壊し東京エリアに“大絶滅”を引き起こす封印指定物です』
相手は躊躇なく人を殺し、首をプレゼントしてくるような男。
加えて、あの都市伝説並の眉唾ものであった対ガストレア用特殊部隊、機械化兵士の一人。
そんな相手とケースを巡って依頼を完遂しなければならない。
そして、何より辞退は出来ないと一番最初に言われている。
その事実に、これからの行く末に各社長、それに追従して付いてきていた高上位のプロモーターたちの表情は暗い。
だが、将監だけは違った。
その内に、溢れんばかりの屈辱感とそれに比例して噴き上がる怒りを抑えるのに必死だった。
あの仮面の男はこちらを見てなかった。
こっちはずっと見ていたと言うのに、一度しか見てなかった。
それが、気に入らない。
それが、気に食わない。
ムカついて、イラついて、ムシャクシャして。
腸が煮えくりかえりそうだ。
なんで、あの
どうでもいいし、興味が無い。
だが、どう考えてもあの時、あの瞬間はこっちだろう。
一番に攻撃したのは誰だ?
感心させたのは誰だ?
殺気を向け続けたのは誰だ?
──自分だ。
この瞬間、あの瞬間、見るは自分だろうが。
眼中に無いっていうその態度が気に食わない。ああ、心底気に入らない。
七星の遺産? 大絶滅? それがどうした。
新人類創造計画? 対ガストレア用特殊部隊? それがどうした。
モノリスがどうした。機械化兵士がどうした。
それが、一体どうしたっていうんだ。
関係無い。
今、あるのはこの怒り。
あの蛭子影胤に対する怒りだけ。
気に入らねェ。気に喰わねェ。見下してんじゃねェ。
ふざけんな。こっちを見ろ。
ヤロウに見せつけてやる。
俺だって見せつけてやる。
テメェの相手は俺だ。
イキがった雑魚のガキじゃなくて──俺だろうが!
この──
ちょっとだけ将監が強くなっている……ように見えるかも? 言い訳させてもらえるなら、千番台だからこのぐらいはして良いと思ってます。勝手な想像ですが。