ガストレアが……。
ガストレアなんてものがこの世に存在しなければ、一体どれだけの人が死なずに済んだだろうか。
もし、仮に平和な世界で出会っていたら、どんなに良かっただろうか。
いや、それだと出会っていないだろう。
もしかすれば、私は生まれていなかったかもしれない。
生まれていたとしても、平和な世界であればきっと両親を始めとした周りの人たちに、蝶よ花よと育てられていただろう。
そんな、何も知らない
そもそも、私も視界に捉えず、彼も私を認識せず、お互いに知らないまま、すれ違って終わるんじゃないだろうか?
──うん、きっとそうだ。
それが、普通なんだ。
それが、当たり前なんだ。
この世界が間違っているだけで、きっとそれが普通なんだ。
だから、この出会いもきっと何かの間違いだったんだろう。
彼は
そこに何か繋がりがあるわけでもなく。
私は、彼にとって換えの効く道具に過ぎない。
出会った時からそうだった。一緒に戦ってきても変わらなかった。
口は悪いし、直ぐ暴力を振るうし、仕事以外に関しては知らん振り。
私はまだ何十年も生きてない幼い子供なのに。
何かを失敗すれば、高圧的に怒鳴ってくる。
ちょっとした悪戯をすれば、すぐに殴ってくる。
私より馬鹿なのに、難しい言葉を使おうとする。
出会いは最悪、出会った後はもっと最悪。
生きているだけで良い、なんて言う人もいるが、生きている方が辛いって思う。
でも、それでも……私はあの背中の温もりが忘れられない。
今でも疑問に思う。
彼は──
何故、私を助けたのだろうか。
それが、今になってちょっとだけ分かった気がする。
もう手遅れかも知れないけど、分かったような気がする。
「──っぁ……将監、さん……? 将監、さん……ッ!」
空を舞う
身体の至る所に穴が空き、空洞を埋めるかのように溢れ出す血液。
それは身体を伝い、衣服を濡らし、厚底の軍用ブーツを赤く彩らせて、地面へ吸い込まれていった。
それを、
否、見るしかなかった
何故なら、その撃ち込まれた弾丸は自分に当たるはずだったから。
何故なら、その小太刀は自分を切り裂くはずだったから。
ぐらり、と将監の身体がふらつき、片膝が折れて地面へと倒れ込む。
それを、咄嗟に受け止めた夏世は斬られた痛みに顔を歪めながらも、将監に声を掛けた。
「っ、将監さん! しっかりしてください! 将監さんッ!!」
「キミは……そうか。私は少し勘違いしていたようだ」
「いや、言ってしまうのは無粋かね? まあ、今さら無粋だの、無礼だの、あってないようなものか」
くつくつ、と喉の奥で噛み締めるように嗤う影胤。
上品に、けれども、何処か挑発的に、満足いくまで嗤った。
「ククッ……いや、失敬。まさか、このような終わりを迎えるとは思わなくてね。……うん、闘争とは、決着とは、呆気ないものだよ。ただ……そんなキミに私は一つ謝らなければならないことがある」
影胤は銃口を向けたまま、少しだけ喜色を含んだ声色で言った。
「キミは──人だ。どこまで行っても人なのだな。様々と見せつけられた気分だよ。人と呼べるかどうかも分からなくなった、私は特にね」
だから──そう、だからこそ、思う。
「敢えて、言わせて貰おう。伊熊将監。私は
──私は人だ。
どんな身体をしていようと。
どんな思考をしていようと。
どんな──化物だろうと。
人というものを見せつけた伊熊将監を殺し、否定し、拒絶して、実感出来る自分という存在。
この
だからこそ、『新人類創造計画』なのだ。
雌雄は決し、楔は分かたれた。
これから、人という概念は変わる。
ガストレアなどという天敵に対抗するために生まれた機械化兵士が、これから“人”と呼ばれるようになる。
我々の存在意義だ。新人類の存在証明。
ガストレアと戦争をしてこそ、初めて我々は本当に人として表舞台に上がれる。
ガストレア戦争が継続してこそ、我々の勝利だ。
弱肉強食。食物連鎖。
人もまた自然の摂理に逆らえず、その一部に過ぎない。
大きく果てしないその枠組みの中で、更に人という枠組みに収まっている。
その中の食物連鎖に勝ったのだ。この新しい人間が。
片腕を無くし、身体中に弾丸を撃ち込まれたこの人間を前に、自分は殆ど無傷。完全勝利と言っても過言ではない。
彼に、バリアを破る術も無く、
加えて、虎の子のイニシエーターも結局は負けており、庇われている。
伊熊将監に勝ち目は無かった。そこに
敢えて言うのであれば、千寿夏世を庇わず、見殺しにしていれば、まだ手傷の一つや二つ付けられたかもしれない。
伊熊将監は結局、獣に成りきれなかった人だと言うことだろう。
最も、獣が人に勝つなどそうそう無いことは自明の理だ。
初めから決まっていたことだ。
これは、
ただ、意味のある戦いであったのは間違いない。
これによって、大きく物語は動いていくだろう。
脇役は消え、敗者は消え、前座としては素晴らしいものであった。
次に舞台に上がるのは、誰か?
それは、主人公だ。
「これ、はッ……!?」
息を呑む。
その壮絶な光景と、片腕と自身の武器を失った強者の姿を目の当たりして、言葉を失わざるを得なかった。
「パパァ、ビックリ。ホントに生きてたよ」
その場に似つかわしくない猫撫で声が聞こえてくる。
今し方、将監の片腕を切断したであろう小太刀を見せつけながら、その少女は──蛭子
「きっと来ると思っていたよ。だが、少し待ちたまえ……踊り終えた演者は舞台から降りるのが慣わしだろう?」
「まっ、待てッ、影胤──」
影胤が構えている銃、その銃口が何処に向いているのか。
影胤の言葉を考えるのならば、その演者はもう一人しかいない。
将監の傍で、涙を流しながらその身体に縋り付いていた夏世だ。
「────ぁ」
引き金が引かれる。
撃鉄が落ちて、雷管に打撃し、弾丸が発射される。
確実に捉えられた照準。絶対に外さないであろう至近距離での発砲。
ガストレアを屠るために作られた
蓮太郎では間に合わない。例え、
だからこそ、夏世は死んだと思った。
だが、死ななかった。
痛みも無く、衝撃も無く、ただ、唖然とした表情で見えていたのは──あの背中だった。
「っ、ぐ……ぁッ!」
喀血する。
人とはこう口から血を吐き出せるのか、と場違いな事を思うぐらい、その人物は喀血し──立ち上がった。
「キミは……まだ、立ち上がるのか?」
口から血を流し、身体中から血を溢れさせ、片腕すら無くなった男が、人間が、新たに撃ち込まれた銃弾を受け止めて、立ち上がる。
その姿には影胤も予想していない上に想像すら出来なかった。
当たり前だ。誰が、こんなこと想像出来る。
死んでいて当たり前の傷を負って、まだ立ち上がる人間を影胤は知らない。
まだガストレアならば分かる。あの人智を越えた存在ながらば、納得出来る。
だが、これは余りにも異常だ。
「オレ、はッ……ま、だッ……終わって、ねェぞ……ォッ!」
立ち上がり、そして、膝が崩れる。
最後の力で、夏世をもう一度だけ守り、立ち上がったのだ。
文字通り、死に体。もう後少しもしないうちに将監は息絶える。
それは、間違いない。
だが、その少しの時間が彼を生き残らせた。
「天童式戦闘術一の型五番ッ──『
「ッ、イマジナリー・ギミック!」
神速の突きが青白いバリアにぶつかり合い、重低音を響かせた。
「パパァ!! ──っ!?」
「ハァァァ!!」
蓮太郎を狙った小比奈の小太刀は、延珠が振り上げた靴の裏が防ぎ、弾く。
そうなってしまえば、致し方なし。
影胤と小比奈は一度、大きく飛び退いた。
二組の距離が開く。
影胤たちからすれば、一秒もあれば詰められる些細な距離。
だが、十分な時間とチャンスだった。
「イチかバチかだッ、おい!」
「っ、これ、は……?」
腰から鈴なりに連結されたプラスチック製の注射器を取り出し、二本だけ抜き取るとそれを夏世に投げ渡した。
手の中に収まった注射器を見て、状況が追いついていない夏世は訳も分からず困惑する。
「説明してる暇はねぇ! それを将監に打ち込め!」
もしかすれば、助かるかも知れない。
そう小さく言葉の後に付け足した蓮太郎は、目の前の敵と相対する。
「影胤……ケースは何処だ……ッ!」
「幕が近い。決着をつけよう、
生ぬるい風が肌を撫でつける。
自然と噴き出てくる汗がシャツを濡らして気持ちが悪い。
蓮太郎はネクタイを乱雑に緩めると、静かに目を閉じた。
制服の右腕と右足の裾を捲り、腕をピンと伸ばす。
「止めるぜ影胤……ッ、お前に無慈悲に殺された者のためにも、そして
みしりと音がして右腕と右足に亀裂が走り、可塑性エストラマーやシリコンなど人工皮膚が反り返りながら剥落、足下に溜まっていく。
やがて蓮太郎の右腕の下から真っ黒い腕が現れた。
それに合わせて、右足からも先を覆う光沢のあるブラッククロームが覗く。
「バラニウムの義肢、だと……? 里見くん、まさか君も?」
影胤は小さく身を震わせる。
「オレも名乗るぞ、影胤。元陸上自衛隊東部方面隊第七八七機械化特殊部隊『新人類創造計画』里見蓮太郎」
影胤が両手を広げ、けたたましい嗤い声を上げた。
「そうかそうかそうだったのかッ、一目見たときからなぜか君を気に入っていたが、まさか本当に同類だとは! ヒヒ、ヒハハハハ!」
昂揚が収まらないとは正にことのこと。
存在証明、存在意義、それを確認し終えた後に
これほど、素晴らしいことは無い。
「さあ、さあさあ! 始めようじゃないか! 我々の証明を! 意義を! ああ、いや……改めて聞いておこう! 里見蓮太郎、私と共に来ないかッ?」
「世界が滅んでも願い下げだ、クソ野郎ッ! 戦闘開始ッ! これより貴様を排除するッ!」
それが、開戦の合図だった。
両者が激しくぶつかり合う。
お互い、相手を殺すために銃を持ち、拳を構え、敵を斬らんと技を繰り出していく。
東京エリアの命運を賭けたその戦いの外側で、彼らもまた戦おうともがいていた。
「お願い、将監さん……どうか、戻ってきて……ッ!」
一途の望みを賭けて、夏世は蓮太郎から渡された注射器を将監に突き立てる。
分からない。どういった物かも分からない。
だけど、今はそれに賭けるしかない。託すしかない。
注射器に入った薬液がゆっくりと将監の身体の中へ入っていくのを、夏世は縋るような目で見ていた。
次回、最終回の予定です。あくまでも予定です。