翌朝。
さわやかな朝の光と匂いのする『黄昏の館』の中庭にベルはいた。
周りを乱立する塔に囲まれ、塔の間を石造りの空中回廊がつなぐ。
どの回廊にも『ロキ・ファミリア』の団員たちの姿があり、一様にこちらを見下ろしていた。
お目当ては『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタイン。
彼女の戦い方を見て学び己の糧にせんがためだろう。一挙手一投足を見逃すまいという気概がうかがえる。
誰もがアイズが勝つことを疑っていない。どのように倒すのかを議論している者たちが、少々熱くなり始めている。
ベルは気にせず、黙々と体をほぐしていた。
かたやレベル5、かたや『
しかし、退く気もない。
戦いたいと言ったアイズの目は、あの人と同じ剣士の目であった。
自分はまだまだ未熟。自覚はあるが、剣士には剣士として応えねば、あの人に顔向けできない。
「気合いは十分、といったところかな?」
柔軟を続けていたベルに、フィンがにこやかに歩み寄ってくる。
「おはようございます。あ、昨日はありがとうございました」
ベルは直立し、九十度で頭を下げた。
昨夜は『黄昏の館』に泊めてもらったのである。
こんな時間に客人を帰すのは『ロキ・ファミリア』の沽券に関わる、とフィンが有無を言わさなかった。
ただし、制限は設けられた。
眷属でもない者が、
最低限の家具しかない殺風景な部屋に、翌朝分のも含めた食事を持ってこられ、体を拭くためのぬるま湯を張った桶と、少し大きめの手ぬぐいを貸し出された。
トイレは部屋に備え付けられていた。
そろそろ始めるぞ、と呼びに来られるまで、一歩も部屋から出ることはなかったのだ。
「気にしないでくれ。ああ、君が団員になれたら、館内をじっくり案内させよう」
だから頑張ってくれ、とフィンは片目を瞑った。
瞬間、背筋がゾワリとする。
振り返ると、アマゾネスの一人が、威嚇するようにこちらを睨みつけている。
「ああ、彼女のことは無視していいよ。とりあえず得物を選んでくれ」
フィンは苦笑を浮かべながら、脇に置かれた、木剣や木槍が突き立てられた樽を差す。
ベルは樽へと近づき、物色した。
そして手に取ったのは、木刀である。
二、三度、軽く振って感触を確かめ、小さく頷いた。
「これでいいです」
「わかった。じゃあ、腰の物はこちらで預かろう。それだと動きづらいだろう?」
「え、あ……」
「大丈夫。終わればちゃんと返すさ」
「はい」
差したままでも支障はなく、他人の手に渡すのは躊躇われるが、ベルは愛刀をフィンに渡した。
「……そろそろ、向こうも準備が終わりそうだね」
両手で丁重に刀を預かったフィンが、アイズの方へ目を向ける。
山吹色の髪をしたエルフをはじめ、何人かの女性団員が、アイズの両手両足に枷を取り付けている。
厚さ三十
当のアイズは、少し窮屈そうな表情をしている。重たくて動きづらいのだろう。
「けっして君を馬鹿にしているわけじゃないんだ。こうでもしないと公正に見極めることができないからね」
「まぁ、アイズが手加減を覚えれば、本来、無用なのだがな」
「ガハハ! それもあの子の良いところじゃろう。いつでも全力……儂は嫌いじゃないがな」
いつの間にか、リヴェリアが隣に来たので、ベルは挨拶をし、もう一人のドワーフの男に向き直る。
「えっと……?」
「ああ、彼とは初めてだったね。ガレス・ランドロック。僕やリヴェリアと同じく、『ロキ・ファミリア』の古株の一人だ」
「腐れ縁とも言うがな」
「否定はしない」
その立派な髭を撫でながらガレスが軽口を叩くと、リヴェリアも苦笑する。
「儂が今日の立ち会い人を務めることになった。よろしくな」
「あ、はい。こちらこそよろしくお願いします」
ガレスが握手を求めてきたので、ベルは応じる。
大きくてごつごつした手は、祖父を思い出させる。
「私は救護担当だ。なにかあれば、すぐにこいつで回復してやるから、安心しろ」
リヴェリアは左手の指の間に二本の小瓶を挟み、見せびらかせてきた。
「おい、それは
「万が一だ、万が一。備えあれば憂いなしと言うだろう?」
「リヴェリア……」
ギョッとするガレスに、リヴェリアがさも当然に言ってのけ、フィンが額を押さえた。
そこまで厳しい戦いになるのか。アイズの付けている枷は無意味なのでは、とベルは先ほどの決意が一瞬揺らぎそうになった。
「ふむ、そろそろ準備が整ったようだな」
アイズから女性団員が離れるのに気づき、リヴェリアはゆっくりと中庭の隅へと移動する。
フィンも倣い、リヴェリアの隣へ行き、ガレスはベルとアイズのちょうど中間に立つ。
アイズと向かい合う形となったベルは、今一度、彼女を見る。
いつもの青い軽鎧姿の彼女は、左手に細めの木剣を握っている。そして嫌でも目に付く枷は、緑色の光を不気味に明滅させながら、存在感を知らしめている。
「始める前にルールの確認じゃ」
ガレスがベルとアイズへと順に顔を向けながら説明をする。
要約すると、以下の通りである。
・公正を期すため、アイズに能力を制限する枷を施す。戦闘中の着脱は禁止。
・魔法の行使は禁止。
・アイズは利き手での武器攻撃を禁止。
・ベルは一撃でも入れれば、即勝利。
・一方が降参、または気絶などの戦闘不能状態に陥れば終了。
圧倒的にベルが有利な条件であるが、アイズは了承する。
それほどまでに自信があるのか。表情からはうかがえない。
「では、双方、構え…………始めいっ!!」
ガレスの野太い声で模擬戦が始まった。
ベルは右耳に添えるように右肩を引き、木刀を縦に構え、アイズは半身になって木剣の切っ先を向ける。
そのまま微動だにしない。
にわかに訪れる静寂。
(……隙がないっ!!)
力まず、自然体でありながら、こちらの動きを一瞬でも見逃しまいと見据えてくるアイズの姿が、山のように大きく見える。
(こんなに差があるのかっ!?)
ベルは己の見通しの甘さを悔いた。
達人になればなるほど、相対した瞬間に、その力量がわかるというが、ベルはまだその域には達していない。
にもかかわらず、彼女から発せられる気迫に、本能がたじろいでしまう。
(いや、怖じ気づいてどうする!)
ここで退いてしまっては、何のためにオラリオまでやってきたのかわからない。
英雄になる。これは、そのための試練。
亡き祖父と、もう会えない師に誓った自らの夢を燃料に、ベルは己を奮い立たせる。
しかし、ベルは動かない。
動けないのではなく、〝待ち〟を選択する。
「来ないの?」
アイズが表情を崩さず、ジリと左足を前に出す。
「こっちからいくよ」
言葉を発したのと同時であった。
ベルの左肘に衝撃が走り、体勢が後方へ崩れる。
見えなかったが、おそらく突いてきた。肩の動きや、筋肉の盛り上がりなどの予備動作がなかった。
「くっ!?」
持ち直そうとしたが、アイズが追撃を放つ。
首の左側から右腰にかけての袈裟斬り。ベルは防ごうとしたが、木刀は間に合わず、直撃する。
「がはっ!!」
痛みを感じる間もなく、地面に叩きつけられ、背中に衝撃がくる。
アイズの手は緩まない。
木剣を逆手に持ち替え、さらに突き刺そうとおろしてくる。
マズい。ベルは必死に体を捻り、これを回避し、そのままゴロンと転がりながら、距離を取る。
そして、バッと袴を鳴らして向き直り、もう一度木刀を構えた。
左肘と袈裟斬りを喰らった箇所がジンジン痛む。
(ヤバイっ! アイズさん、ムチャクチャ強いっ!?)
追撃はせず、こちらの様子をうかがうように、また半身に構えるアイズに舌を巻く。
躊躇のない連続攻撃は、まだ本気ではないのだろう。微塵も息を乱しておらず、先ほどと寸分違わぬ構えを見せる。
本当に枷の効果があるのか、疑いたくなる。
(出し惜しみしてる場合じゃないな、これは……!)
ベルが師から教わった剣は、〝待ち〟の剣。
すなわち、
しかし、彼女に併せるのは至難の業だ。
ならば、先に仕掛けるしかない。
それも、アイズが反応できない高速の一撃を。
それさえ入れれば、こちらの勝ちである。
玉砕覚悟。
この世に生まれて十四年。剣に触れてから七年。
まだまだ未熟で、世の理なんか、これっぽっちも理解していない若輩者。
それでも、夢がある。
他人が聞けば、笑ってしまうかもしれないが、矜持や信念だってそれなりに持っている。
その全てを込めて、ありったけの自分を、目の前の強敵にぶつける。
ベルは大きく、ゆっくりと息を吸い、深く、吐いた。
(戦闘描写が難しくて)一話では終わらんよ、一話では……