一方、『黄昏の館』を抜け出したベルはというと……。
「おいしいニャっ!」
「ほんと! これ、マジで美味いわっ!」
「やるな、少年っ! やはりミャーを唸らせる尻を持つ者は、ひと味違うニャ!」
「ふむ、確かに美味しいですね」
「うふふ、これならおかわり何杯でもいけちゃいます」
「ありがとうございます、っと!」
メインストリート沿いにある酒場『豊穣の女主人』の厨房でフライパンを振るっていた。
「はい、出来上がりです!」
簡単な野菜炒めだが、実に食欲をそそるにおいが漂い、向かいのカウンター席に座る女性従業員たちの顔が自然とほころぶ。
「へぇ、想像以上だね」
ドワーフの女店主ミア・グランドがベルの両肩をガシっと掴み、ぐるりと振り向かせる。
「アンタ、冒険者なんてならずにウチで働きな。給金だってはずむよ?」
「……えっと、どこのファミリアにも入れなかったら、でいいなら……」
「それでもいいさ。もし入れたとしても、ウチの副料理長の枠は空けといてやるよ。気が変わったら、いつでも言いな」
ミアは、そのごっつい手でベルの頭をポンポンと叩き、厨房から出て行った。
★★★
その光景を目の当たりにしていた女性従業員たちは、揃って手にしていたフォークを取りこぼす。
「あの母ちゃんが白髪頭を認めたニャ……!?」
「まさか少年の尻の良さに気づいたニャ……!?」
「いい加減、尻から離れろって……けど、明らかに私達と対応が違うよね……?」
クロエに突っ込みを入れつつも、やはり驚愕の顔になるヒューマンのルノア・ファウストは、隣のエルフへと目を向ける。
「ええ。やはり、
リュー・リオンは薄緑色の髪を払うようにして、さらに隣を見る。
「それもあるとは思うけど……」
リューの視線を受け、小首を傾げるシル・フローヴァ。
薄鈍色をしたポニーテールの亜種のような
料理を終え、フライパンや使用した調理器具を、誰に言われるまでもなく洗い始めた彼を、この店に連れて来たのは自分だ。
本当に、たまたまだった。
おつかいの帰りに、珍しい極東柄の大きな荷物を背負っていたのを見つけ、思わず声を掛けた。
振り返った彼を見て、やられた。
透明だった。
とてつもない悲しみを経験したのか、少し影があるが、それすらもアクセントになっていて、その美しい魂の輝きを引き立たせている。
これは絶対に手に入れるべきだ。
今までがそうであったが、欲しいモノは必ず手に入れてきた。
だが、それらが霞むほどの強い欲求に揺さぶられた。
永い年月をかけて追い求めてきた
お金を持っていないというので、ミアに無理を言ってオマケしてもらった。
その料理が出来上がるまでの間、ベルの話を聞いた。
冒険者志望だが、まだファミリアに入団できていない。しかも、あの『ロキ・ファミリア』も駄目だったと言う。
ルノアあたりは「また無謀な……」と呆れていたけれど、それは当然の反応だ。
彼女たちに彼の
その点、ロキならば感づきそうではあるが、手放したというのであれば、是非もない。
他のファミリアであれば、多少、強引な手を使ってでも手に入れることはできるが、『ロキ・ファミリア』が相手となると、簡単にはいかない。
それでも最後には自分の手元に置くことになるだろうが、そのための労力がないことに越したことはないのだ。
だが、少々、雲行きが怪しくなってしまう。
思案を巡らせているうちに、料理が出来上がり、ベルの元へと運ばれてきた。
いただきます、と極東人の食前の挨拶を終えた彼が、一口食べた瞬間、
「この料理、どなたが作っているんですかっ?」
と聞かれ、素直にミアを紹介した。
すると、彼は袖口から小瓶を取り出した。
ちょうど調味料を入れるのに最適で、口の部分を
「坊主! アンタ、まさか……っ!?」
「ええ、僕も〝さすらいの
驚くミアと笑顔のベル。
しばらく見つめ合ったと思ったら、どちらからともなく右手を出して握手したのである。
何事か?
自分を含め、リューたちも訝しんだ。
すると、彼は語り始めた。
戦いを教わった師と入れ替わるようにして、一人の料理人が故郷の村へと訪れたそうだ。
彼はけっして名は明かさず、自らを〝さすらいの
村で唯一の酒場に入ると、その腕前は瞬く間に噂になり、酒場は大繁盛したらしい。
ベルはそのとき修行に明け暮れる日々を送っており、身も心もボロボロになっていた。
心配したベルの祖父が「料理ができる男はモテるぞ」と、料理人に料理を習うようにすすめたそうだ。
ベルは気が進まなかったが、料理人は二つ返事で引き受けてくれたそうだ。
これまで料理を教えてくれと頼まれたことは数え切れないほどあり、その全てを引き受けてきたそうだ。実際、酒場の店主にも、村の女たちにも教えていたのだ。
最初は嫌々だったベルだが、やっていく内に料理の楽しさを知ったらしい。
何より、食べてくれた人が「美味しい」と笑顔になるのが、嬉しかったそうだ。
そうしてベルは料理人が村を離れるまでの二年間を、戦いと料理の修行に費やした。料理という時間が増えたことで、ボロボロだった体と心は持ち直した。
「――で、これが卒業の証なんです」
と、ベルは手にした小瓶をカウンターの上に置いた。
張り合うように、ミアも厨房の戸棚の奥から小瓶を引っ張り出し、彼の小瓶の横に並べる。
彼女もオラリオに来る前に、その料理人に教わった口である。
(……)
もう一度、描かれた横顔を見る。
(食物神よね……?)
だが、
するとミアが鼻を鳴らす。
「坊主、アンタの腕を見せてもらえないかい?」
「え? でも……」
「客に出すわけじゃないさ。もうすぐ昼の営業も終わっちまうから、この娘たちの賄いを頼むよ」
「そういうことなら」
と、厨房に入り、あっという間に料理を作ってみせたのである。
そのどれもが美味で、ミアの作る物と遜色がない。
彼女が雇い入れようとするのも頷ける。
だが、駄目だ。
彼を
ミアには悪いが、いつも通り、我儘を聞いてもらおう。
獲得したならば、通いという形でベルをこの店に来させることだって出来るのだ。
「あ、ゴミ捨て頼まれてるんだった! ちょっと、行ってくるね~!」
シルはおもむろに席を立ち、
そして近隣の建物の屋根の上を見上げる。
「あ、いた! あの~!」
手を高く挙げて手招きすると、一人の猫人が降り立つ。
「どうかなされましたか?」
片膝をつき、頭を垂れる彼の耳元へ、顔を寄せる。
――
その声色は、普段のシルを知る者からすると別人に思えるほど艶があり、聞く者の脳髄を一瞬にして蕩けさせるほど甘い。
「っ……はっ」
快楽で、彼はその身をビクンと震わせるも、そのまま溺れてしまうことなく、普段通りの返事をし、すぐに屋根の上へと消えていく。
「あんまり派手にやっちゃうとダメですよ~! 後々、面倒ですからね~!」
戦闘に発展し、オラリオの住人や建造物に被害が及ぶのはよろしくない。シルはいつもの声音で釘を刺し、手を振って彼を見送った。
「さてと……」
あとはどうやってお持ち帰りしようか。
ゴミ置き場にゴミ袋を捨てた、シルの口元は妖しく弧を描いた。
さすらいの料理人の登場はありません。