Fate/Fiend Friends [フェイト/フィエンド フレンズ] 作:皇緋那
その日、突如として日本に白夜が訪れ、人々は夜空に蒼い光を見た。
星空を上書きするように、太陽を思わせるほどに強い輝きを放つその物体。直径数十メートルはあり、その材質は今の地球上の技術ではなんなのかさえわからないような代物だ。その日に輝きを見せるまで、誰にも観測されておらず、誰もこの日のことを予想だにしていなかっただろう。無論、どのコンピュータの計算も異常を示していなかった。
けれど、確かにそれはこの星へと現れた。
数時間ほどの短い光だが、白夜という現象は、眠っていた人々も夜を更かしていた人々も、科学者も魔術師も一般人も等しく、大いに驚かせた。
そんな彼女は地上に凄まじい速度で迫り、やがて地表に降臨する。その巨体を支えるには細すぎる脚で建造物を踏み潰し、土砂を巻き上げながら、しかしその着地は穏やかなものだった。
場所は静岡県熱海市の住宅街、その真ん中だ。特別な霊脈を宿しているだとか、そんな理由があったわけではない。けれど、不思議と彼女はその街を選んだ。その地が、とある映画に於ける怪物の襲撃を受けた街だと、人々に知られていたからだろうか。
やがて、彼女は脚のみならず、本体を地に臥せる。下敷きとなった全てがその重量にひしゃげ、ついに彼女そのものが地球上に降り立った。
今まで放っていた輝きはほんの1分もしないうちに失われていき、伸ばしていた鋭角の脚を折り畳み、後には地球外物質の巨大な球体だけが残る。熱海の街に夜の闇が戻り、隕石は最初からそこにあったかのように、月明かりを浴びていた。
かくして、地球上にない物質の結晶体のようなモノが、一夜にして熱海市に現れ、鎮座するようになったのである。
さて。その隕石が宇宙から来訪する瞬間を、胸を高鳴らせながらじっと眺めていた少女がいた。
夜を塗り替えるほどの眩い色は綺麗な青で、街を覆い尽くすほどの快音は甘美な調べで、まるでそれは宇宙がもたらした祝福のよう。
なんて、美しい光景なんだろう。一夜明けた今でも脳裏に焼きついて離れない。何度でも鮮明に思い出せる。
少女は心を奪われていた。恐らくこの時、宇宙がもたらした災厄の種を、誰よりも歓迎していた人間だった。
だからこそ、彼女が最初に運命を手繰り寄せたのは、必然であったのかもしれない。あるいは、彼女は既に隕石に導かれていたのか。
熱海市に住む普通の少女──
クラスでは目立たない存在で、帰宅部所属。趣味は読書。優しい両親と三人で、一軒家で平穏に暮らしている。
高校はもう夏休みに入っていて、部活にも入っていない風羽は登校する必要は無い。眠気に任せて二度寝することだって誰も咎めやしない。
だけど、眠い目をこすりながら、風羽はベッドから飛び起きた。真っ先に確認するのは窓の外だった。
枕元に置いてあった愛用の眼鏡を慌てて装着し、日光の眩しさに目を細めつつ、目的のものを視界に捉える。
昨夜目撃したあの隕石は、住宅街の真ん中に鎮座している。瓦礫に囲まれたその姿は、まるで巨大な水晶玉だ。
直径数十メートルもあるらしいそれを撮影すべく飛ぶテレビ局のヘリコプターに、調査にやってきた自衛隊の車両が行き来しているのも、小さくだがなんとなく見える。
「……夢じゃ、なかったんだ」
風羽は頬をつねり、しっかり痛いことを確認すると、嬉しくなって、自分の部屋を飛び出した。そのまま大慌てで朝の身支度を開始する。
長い茶髪を三つ編みにして、愛用の眼鏡を拭いて、パジャマから外行きの服に着替えたら、朝食も食べずに財布と携帯電話を引っ掴み、玄関に向かって駆け出した。
母がどうしたの、と呼ぶ声がしたけれど、聞こえないふりをする。扉を開け放って、青空の元へ踏み出す。
「見てみたい、もっと、近くで……!」
実の所、風羽は隕石だとか、そういう類のものが大好きであった。あれだけの巨大なものが空から降ってくるなんて、人生で二度とないに違いない。
憧れを抑えきれず、思わず駆け出したくなる。
「おーい、風羽!」
道を駆け出そうとしていた風羽を呼び止めたのは、隣の家の庭で家庭菜園に水をやっている、同年代の少年だった。
彼の声が聴こえるなり、風羽は歯を食いしばって立ち止まる。その顔から高揚の色は消えていた。
「夏休みなのに、朝早いんだな」
彼は隣家に住む同級生、
だが、風羽の側からしてみれば、お節介で、察しが悪くて、どうしても苦手な相手だった。
しばしの沈黙。彼からしたらただの挨拶のつもりだろう。それでも風羽は水を差された気分になり、顔を顰める。そして少し考えてから、取り繕うのもやめた。
「……ごめんね、急いでるから」
いつもなら、ここまであからさまに冷たくあしらおうとはしない。隣人の芹沢一家とトラブルを起こすのは、普段目立たない存在でいようとしている風羽にとって不本意だからだ。
けれど、せっかくこの道の先にあんな魅力的なものがそびえ立っているのに、こんなことで歩みを妨げられるのはどうしても癪に障った。
紘輝の顔色を見ることもなく、その場から逃げるように走り出す。残された彼は首を傾げていることだろうが、関係なかった。
普段の運動不足がたたり、道中で息を切らして公共交通機関を利用してしまったが、やがて風羽は結晶体のところに到着した。
マスコミや近隣住民が多く集まっているところをくぐり抜けて、調査中らしい自衛隊の人達には見つからないように気をつけながら、隕石そのものに近づいていく。普段の学校生活でいつもやっていることだったから、息を潜めるのは得意だった。
周囲に誰もいないことを確認してから、ようやく風羽は立ち止まる。ひとまず、目の前にそびえ立つ謎の塊を改めて観察する。
宝石のように見えるけれど、風羽の知るどの宝石とも一致しない色彩と質感。それだけでも、本当に宇宙からやってきてくれたんだと嬉しくなった。
どんな感触がするんだろう。硬いのか軟らかいのか、熱いのか冷たいのか、いろいろな想像を巡らせながら、思わず手を伸ばした。
手のひらがゆっくり近づいていき、心臓の鼓動がどこまでも速くなっていって、そして最後には、風羽の肌と結晶体が触れ合った。
その瞬間から、風羽の脳になにかが流れ込んでくる。
「──え? なに、これ……きゃっ!?」
突如、隕石に触れていた右手に痛みが走った。それは静電気なんかよりずっと強い電撃で、跳ね返されて、瓦礫の上に尻もちをついてしまう。
「いったた……何が起きたの……?」
土を払い落としながら、火傷にも似たひりひりという痛みが残る手を見た。だが、そこにあったのは傷口ではない。先程まではなにもなかったはずの右手の甲に、赤い痣が浮かびあがっていたのだ。
「……令呪」
風羽はそのような現象を知らない。なのに、知らないはずのものを知っている。
痣の名前は令呪。聖杯戦争へと参加する資格たる聖痕。その存在を認識した途端に、湧き上がる使命感が風羽を立ち上がらせた。
「召喚の儀式、やらなくちゃ。だって、聖杯戦争、だもんね」
聖杯戦争。七人のマスターが七騎のサーヴァントを従え、願いを賭けて殺し合う儀式。
それがなんなのか、本来魔術世界と全く関わりのないはずの風羽だというのに、はっきりと理解出来る。出来てしまうのだ。
風羽は隕石から離れ、さっきまでの疲れも忘れて歩き回り、人気のない空き地を探した。見つけたのは寂れた公園で、多少近隣住民の目はあるだろうが、考慮しないことにした。
それからは、自分のものじゃない知識に従って行動するだけだった。
自分の手首を力任せに引っ掻き、できた傷から溢れた血で砂の上に図形を描き、それを魔法陣代わりにして、詠唱を紡ぎ始める。
「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。祖には遥かなる
降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
小難しい言葉の群れを、一字一句迷うことなく連ねていく風羽。やがて彼女の血で描かれた魔法陣は輝きを放ち、その中に異様な気配を形作ってゆく。
「
繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
詠唱を進むと、風羽の両眼に熱く煮えたぎるような感覚が襲いかかってくる。同時に陣の放つ輝きが増し、視界はゼロになる。
だが怯まない。止まろうとしない。
「──告げる。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うならば応えよ」
風羽の肉体が軋み、手首の傷口から血が噴き出した。光の中の気配はより存在感を増し、シルエットは膨れ上がっていた。
「誓いを此処に。
我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。
汝三大の言霊を纏う七天、
抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ──!」
詠唱の完了とともに放たれる一際強い輝き。姿を現すのは、三体の大きな影と、一人の女。
彼女の綺麗に伸びた桃色の髪はこの世のものとは思えないほど美しく、儚げであった。だがそんな美しさよりも、人間とは決定的に違う『力』の気配こそが、風羽を惹き付けてやまなかった。
女は静かに目を開くと、視界を取り戻してからただ呆然としていた風羽に微笑みかけた。
「貴女が、私のマスターですね」
風羽は恐る恐る頷く。
「はい、ここに契約は成されました。
私はキャスター。魔術師のサーヴァントです。この子達ともども、よろしくお願いしますね」
伸ばされた女の手に、ためらいがちに手を伸ばす。助け起こしてくれるキャスターの手の感触は、暖かくて柔らかい。隕石の質感とは違っていた。
「……あ、あの」
恐る恐る口を開く。
「あなたは、私と一緒に、全部壊してくれる人ですか?」
「もちろん。私はサーヴァントであり、この子達も同じです。主様が望むのなら、何もかも破壊してみせましょう」
笑顔とともに放たれたキャスターの言葉に、風羽は胸が高鳴って、聖杯戦争が楽しみになってしまった。自然と笑みがこぼれて、彼女と繋いだ手をぎゅっと握りしめた。
キャスターと共に召喚された三体の怪物は、キャスターと同様に強力な気配を放ちながら、誰かの指示を待っているようにじっとして動かない。
拘束具をつけられた大狼は地面に伏せ、長い蛇体で公園を取り囲む大蛇は頭を垂れ、半身が腐肉である痩身の巨女は跪いていた。
サーヴァントは神話や歴史に刻まれた存在をこの世に呼び戻すもの。であれば、彼らはきっと、ゲームや小説で目にしたことがある存在そのものなのだろう。
大狼、フェンリル。
大蛇、ヨルムンガンド。
女神、ヘル。
それらは北欧神話に於いて、世界を破滅へと導いた者達の名だ。そしてその母と言えば、キャスターの正体はロキと結ばれ彼らを身ごもったという女巨人に違いない。
その強大な気配と現代の常識から外れた姿を見るたび、今すぐにでも彼らの力を試したくなる。けれど、風羽は首を強く振った。
「う、ううん。まだ、我慢しなくっちゃ」
脳内にいつの間にか存在したカウントダウンが示す期限は1週間後。その時まで、お楽しみはとっておこう。
ラグナロクが再び地上に齎されるまで──残り、7日。