Fate/Fiend Friends [フェイト/フィエンド フレンズ] 作:皇緋那
風羽を乗せた狼が、ビルの上を次々と飛び移り、駆け抜ける。その傍らにキャスターが付き添い、追手を警戒してくれている。
同時にフェンリルの氷の魔力は弾丸となって撒き散らされ、周囲の建物は無差別に撃ち抜かれていた。昨日より規模は小さく、聞こえる悲鳴や破壊音も地味なものだ。それでも多少は風羽の心を癒してくれる。気休め程度ではあるけれど。
風羽にも、キャスターとその子供たちにも、昨日受けたダメージが残っている。無傷なのは使っていないヘルだけだ。本当はこの日、息を潜めて体を休めるつもりだった。
あの男が……芹沢紘輝が余計な相手を連れてきたおかげで、こうして逃げる羽目になっている。
「伏せてください」
キャスターの言葉を受けて、風羽は体をフェンリルに密着させた。頭上を黒い矢が通り抜けていき、その他にも迫る矢があったが、キャスターがルーンを刻んで撃ち落とした。
どうせ追ってきても、紘輝の味方をしているような人間だから、お人好しかと思っていた。どうせ、巻き込んだ大勢を助けようとして、追跡を中断すると。しかし、あの女は違う。周囲から聞こえる悲鳴など気にも留めていないらしく、あの女を乗せた黒い馬は真っ直ぐ、風羽とキャスターを追いかけてくる。
それでも、サーヴァントの強さならばキャスターは誰にも負けないはず。問題は、ただでさえダメージが残っていることに加え、風羽が魔術をろくに使えない一般人だということだ。キャスターの子供たちを維持するだけで精一杯で、彼らに全力で宝具を使わせてやれない。
「キャスター! ヘルを!」
キャスターは返事の代わりに、指示通りに巨人を出現させて答えた。半身の腐った女──死の女王ヘル。その魔力は土や建物の壁からゾンビを生成し、すぐさま追手は彼らに群がられた。それでも馬は先に進むことをやめず、蛇が暴れて数を減らし、どうにか突破しようと足掻いている。
そこへ追い討ちに氷の弾丸とルーンの魔術を放ってやった。しかし黒い蛇が馬の騎手を庇うように動き、その身を砕かれながらも防ぎきった。直後、蛇は即座に再生し、ゾンビの迎撃に戻る。
さらに驚くべきは、先程砕かれた蛇の肉片でさえ、蠢き膨れ上がり、複数体の大蜥蜴となってこちらへ向かってくることだ。
ヘルに指示を出し、ゾンビを壁にして蜥蜴の追撃は免れた。それでも、それを踏み越えて今度はあのサーヴァント自身が追ってくる。彼女は再び矢を番えて放ち、ヘルの腐肉がえぐれる嫌な音がした。
「ライダー。マスターの方は私がやる」
「あぁ、そうするがいい。足止めならばやってみせよう」
その言葉の直後、ふと攻撃が止んだかと思うと、魔力の流れが一変する。ゾンビを大量に展開して向かわせ、フェンリルの氷、キャスター自身のルーンを重ねて総攻撃を試みるが、止められない。マスターの女はゾンビの中をすり抜け、既にこちらに駆け出しており、ライダーはそれを通すべく詠唱を開始する。
「とうに過ぎた栄光だが……使えるものは使うのが私だ! 殖えろ、『
光に包まれたのはライダーの肩にある蛇だった。注ぎ込まれた魔力からその細い姿が膨れ上がり、いくつにも枝分かれして、乗騎と同じ黒馬がヘルの使うゾンビ以上の速度で量産されていった。その数は百をゆうに超え、なおも増殖を続けていた。
彼らは鼻息を鳴らし、先導するライダーと共にゾンビを蹴散らして迫ってくる。氷弾もルーンも間に合わない。一頭を倒したところで、それ以上に新たな黒馬が現れるのだから。
これがあのサーヴァントの宝具か。数で勝っていると思い込んだところを完全にひっくり返された。ヘルの姿を探したが、黒馬に飲み込まれ、あの巨躯が見えなくなっていた。キャスターの方を見ても、この無尽蔵とも思える馬の軍団は彼女の魔術で捌ききれておらず、風羽の助けを求める視線は誰にも気づかれなかった。
それでも、フェンリルの脚ならなんとか逃げ切れるかもしれない。周囲を氷結させ、足場を滑らせれば、なんとかなってくれないか。
そんな希望的観測は、フェンリルの脚がライダーの放つ黒い矢に射抜かれたことで有り得ないと悟る。フェンリルはバランスを崩して倒れ、風羽は放り出されて宙を舞う。運良く街路樹に引っかかって土の上に落ちたが、全身を衝撃が襲い、うまく呼吸ができなくなる。
だが、これで周囲に味方は1人もいない。追いつかれれば終わりだ。なんとか立ち上がろうと地面を這いずって、標識の柱を掴んでようやく両足で地に立つ。
「はぁ、はぁっ、な、なんなの、あの女──」
「何って、同じ魔術師でしょ?」
肩を掴まれた。振り向くまでもなく、追手の女だと確信する。振り払って逃げ出そうとして、足をかけられてそのまま倒れ込んでしまう。
「何の目的があってのことか知らないけど……あなたがいると、紘輝くんが安心できないの」
向けられた殺気で、風羽は今自分が狩られる側であることを実感する。その時、視界に入った右手の令呪に助けを求めようとして、風羽は背中を踏みつけられる。口から、蛙の潰れたような音が出た。その後に言葉は続けられなかった。
「……逃げようとしないでよ。今、ここで、殺すって決めたんだから」
宣告とともに始まる詠唱。彼女の狙いは首か、頭か。向けられた指先を見て、紡がれる言葉に恐怖を抱く。咄嗟にキャスターの教えてくれたことを思い出し、苦し紛れに指差しの呪い──ガンドを放ち一瞬相手を怯ませるものの、どうにか脱出できただけで逃げられるほどの時間は勝ち取れない。
詠唱は一節、また一節と紡がれる。魔力の気配は高まって、彼女の指先にはシャボン玉のように水が漂い圧縮されてゆく。恐らくは高圧の水流、まともに食らえば人体に穴を空けるくらい造作もない代物に違いない。それを強く意識してしまい、息が詰まって、声が出なくなる。
まだ死にたくはない。まだ見ていないものがある。まだ、風羽の願いは叶っていない。
脚は動かせなかった。言葉は出なかった。ただ出来たことは、相手を見つめるだけ。突きつけられた指先を前に死を意識して、そして再び魔術詠唱が完成し、高圧の水流が一瞬で風羽の──横を、通り抜けていった。
「ごめんね。これも、紘輝くんのためだから」
そこで敵の攻撃が止む。どういうことかわからないまま、相手はなにもない場所を見下ろし、まるで風羽がそこで死んでいるかのように言葉を残し、簡単に背を向けた。
意味がわからず、立ち尽くす風羽。周囲を見回し、慌てて物陰に隠れる。そして少し息を整えると、右手をかざしてしっかりと言葉を紡いだ。
「……令呪を以て命ずる。キャスター、私のところに戻ってきて」
光とともに1画目の令呪が消費され、直後には風羽の目の前に、傷ついたキャスターの姿が現れる。彼女は驚いた表情で風羽の顔を見ると、すぐさま満面の笑みになって、風羽のことを抱きしめた。
「あぁ、ご無事でよかった、マスター! 申し訳ありません、私が至らなかったばかりに、このような……しかも、令呪で私を助けていただけるなんて」
「あ、あの、子供達は」
「傷は深いですが、私は彼らとの複合サーヴァント。先程の令呪の奇跡によって、ここに呼び寄せられております」
傷ついたフェンリルとヘルが一瞬だけ実体化し、その後すぐに見えなくなった。完全に破壊されてはいないらしく、まだやり直せる。
「それよりも……マスター。その瞳は、まさか」
キャスターが指した先には、フェンリルの氷が解けたものだろうか、水たまりができていて、そこにひどく怯えた顔の自分が映る。その瞳は普段からすれば有り得ない赤色に輝いており、一筋の血涙が頬を伝っていた。
「これ、って?」
「『魔眼』に違いありません。恐らくは、ノウブルカラーの。
どこかでまた魔術の授業をしましょう。その眼があれば、あのような魔術師に負けることはなくなるでしょうから」
どうやらあの時、追い詰められて開眼したこの魔眼が、風羽を助けてくれたらしい。水たまりの水面に映った自分を見つめ、風羽は生まれて初めて、自分の眼球に感謝した。
それから、キャスターに肩を貸してもらいながら、どこか身を隠せる場所に動こうと、よろよろと歩き始める。