Fate/Fiend Friends [フェイト/フィエンド フレンズ] 作:皇緋那
ぴしゃり、と乱暴に襖を閉める音がして、直後に愚痴の声が続く。
怒りを露わにして悪態をつく女と、怯えた目で相槌をうつ女。和服姿の2人が旅館の廊下を歩いている。
「まったく……なんなのよ、あの使い魔は! いくらサーヴァントだからって……!」
「そ、そうですよね、あれはちょっと、ですよね」
「決まってるじゃない。私はこの家の当主よ。この街で一番偉いの。それを解ってないんだわ!」
高慢に聞こえる言葉だが、それを否定する者はこの場にいない。
熱海市には何百年もの昔から、とある魔術師の家系が居着いていた。かっこつけて言えば、影の支配者、というやつだ。
実際にそれだけの期間、代を重ねながら土地を管理してきたのだから、支配者と言っても差し支えないだろう。
熱海は霊地としてはそこまで突出していないものの、近代以前より将軍御用達の温泉地である。
土地だけでなく魔術師の歴史も深く、共に生きてきた魔術師も何代も重ねた名家となっていた。
その名家の表の顔が何かというと──江戸以前から営業を続ける老舗の温泉旅館『
廊下に立つ女のうち、悪態をついている背の高い方はその現当主であり、旅館の女将である女『
ここ数日、若葉は情報と現実に振り回されっぱなしであり、ストレスが溜まっている状態だった。
それもそうだ。今の熱海には根も葉もない噂が飛び交い、住宅街には宇宙から落ちてきた巨大物体が鎮座しているんだから。
土地を管理する身でもある若葉は、それはもう頭が痛い。
「はぁ……しっかし、誰の許可があって隕石なんて落ちてきたのやら。しかもこの土地で聖杯戦争をやろうなんて、不遜にも程があるじゃない。ねぇ、
そう言いながらも、若葉は既にサーヴァントを召喚しており、聖杯戦争を勝つ気でいる。傍らの女── 『
「そ、そうですよ、こんな、聖杯戦争……なんて、勝手というか、なんというか」
「ふん、まあいいわ。そんな常識知らずにあげる聖杯はないもの。あのサーヴァントだって使いこなしてみせるんだから」
「で、ですよね、若葉様なら、そうなります」
「もちろん。聖杯を手に入れて、私の支配はもっと広がるの。この街だけじゃないわ」
肯定を繰り返す姫螺璃に気分をよくして、若葉の行き場のない苛立ちは和らぎ、聞いてもいないことまで話していた。その様子に姫螺璃も、若葉より大きな胸を撫で下ろす。
「やっぱり、姫螺璃が一番私の凄さをよく解っているわね。あのサーヴァントも見習って欲しいわ」
姫螺璃としては、そんなふうに褒められても嬉しいとは思わないのだが。
なんて話しながら廊下を歩くうち、やがて廊下の奥から従業員が追いかけて来て、若葉になにかを報告すると、彼女は大きなため息をつく。
呆れているというより、必要とされている自分に酔っているかのように。
「はぁ……あんた達、私がいないとなんにもできないのね。
私はお客様の所に戻るから。姫螺璃、あんたはあの女の相手をしてなさい」
若葉が従業員とともに、早足でその場を離れていく。 隕石が落ちてきても、旅館の宿泊客が大きく減ったわけではない。むしろオリンピックによる客の増加に加えてバーサーカーの世話をしなければならなくなり、彼女の業務は増えていた。
だからこそ、若葉はお気に入りである姫螺璃を隣に置き、自分のストレスをケアしようとしていたのだが。
一方、残された姫螺璃の方は、若葉の背中が遠ざかっていくのを見送ると、嫌そうに来た道を戻るしかない。
「怖いから嫌だけど……若葉様の言いつけだから……」
姫螺璃は分家の子で、若葉の従者のようなものだ。彼女の命令には従わなくてはならない。
声に出して自分に言い聞かせ、思い切って、先程若葉が乱暴に閉めたばかりの襖を開いた。
この部屋は本来、従業員たちのための休憩室になっている。しかし、今では1騎のサーヴァントが使っており、とても心の休まる場所ではない。
その向こうにいるのは、若葉を苛立たせている張本人。半透明のヴェールと華やかなドレスに身を包み、麗しい姿をした人外だ。
つまらなそうに己の金髪を指でくるくると弄んでいたが、姫螺璃を見るとそれを辞め、悪戯っぽく微笑む。
「あら、もう戻ってきたの。まあいいわ、わたくし、退屈で仕方ないの。なにかしてみせて頂戴な」
くるくると巻いた鮮やかな金の長髪をかきあげ、青い瞳で見下してくる。
彼女こそが、若葉が召喚したサーヴァント。クラスは
彼女が召喚されてからすでに3日目であるが、姫螺璃はこの瞳にも態度にも慣れずにいた。
「そ、それじゃあその、舞を……披露させて、いただきます」
姫螺璃ができる芸といえば、昔から家の人達にやらされている、呪術儀式に使える舞くらいのものだ。演目は違えど、昨日もバーサーカーに見せた。
まだバリエーションがあるからいいものの、残りのレパートリーは日に日に減っている。いつまで姫螺璃は彼女の暇つぶしとして機能していられるだろうか。
バーサーカーの欲望はたいてい底無しだ。まだ足りない、もっと出せと何度も催促して宿泊客に出す分の食料まで食い尽くそうとするし、退屈を持て余せば脅迫付きでなにかしろと言う。
実際、使い魔のくせにと彼女の要求を拒否した使用人の中には、彼女が巻き起こす海水の渦に呑み込まれて死んだ者もいる。
そうはなりたくない以上、魔術師たちはバーサーカーの機嫌を損ねないようにするしかなかった。
心底では激しく怯えながらも、震えずに細かい動作まで演じていく姫螺璃。バーサーカーはそれを笑顔で見守っている。
「ふふ、昨日も見たじゃないとか思ったけれど、意外と色々あるのね。
なかなか面白いわ。もっとやってみせなさい。ほら、もっともっと」
演目がひとつ終わるたび、相変わらずにも満足せず次を求めてくるバーサーカー。姫螺璃の体力と集中力も削られていくが、殺されるよりマシだと踊り続けるほかない。
若葉が苛立っていたのは、彼女のこの性質のせいだ。
数日前、徳間家はとある魔術協会への報告を傍受した。それはあの巨大隕石に触れた魔術師が、サーヴァントを召喚したという報告だった。
それから若葉たちは必死で聖杯戦争について調べ、若葉は隕石に触れて令呪を授かり、さらに大枚をはたいて触媒を用意した。
狙ったのはギリシャの大英雄、オデュッセウス。一族の資産の多くを費やしたことで、彼の船に使われていたといわれる木片を触媒として用意し、万全の状態で召喚の儀式に臨んだのだ。
しかし結果として、召喚できたのは大英雄ではなく、その英雄を苦しめた試練の方だった。
──『カリュブディス』。
オデュッセウスが旅路の中で出くわした渦潮の魔物であり、彼と共に旅をしていた仲間達を皆飲み込んでしまったという怪物だ。
並外れた大食も、元々人間でないのだから仕方がない。若葉も姫螺璃も、彼女はこういう存在だととうに諦めてきた。
しかしこのカリュブディスにはもう一つ、厄介な性質がある。
「あぁ、その踊りはもういいわよ、貴女」
「へ、あ、はいっ、わかりました」
集中していたのがぷつんと切れて、突然バーサーカーの興味が自分から離れていったことに、姫螺璃は恐怖を覚えた。
気まぐれで飽き性。いつ殺されてもおかしくないのがこの女の相手をするということだ。
「……あの、わ、私、どうすれば」
最悪このままむしゃむしゃと食べられることも覚悟して、姫螺璃は恐る恐る尋ねる。すると、振り返ったバーサーカーにはくすりと笑って返された。
「せっかくだし、お話でもしましょうか」
バーサーカーは長い髪の毛を触手のように伸ばし、押し入れの引き戸を器用に開けると、座布団を取り出して自分の目の前に置いた。
そのまま座れと促され、姫螺璃は恐る恐るその通りにする。どうしても向かい合う形になるが、目を合わせるのは怖すぎるため、バーサーカーの髪の毛ばかり見ていた。この世のものとは思えぬ艶を宿した麗しさが、むしろ不気味だった。
「あのつまらない女って、上下関係の話と聖杯戦争の話しかしないんだもの。わたくしを楽しませようと努力する貴女の方がずっと、見ていて面白いわ」
バーサーカーの手が伸びてきて、姫螺璃の髪をそっと撫でた。背筋が凍るものの、黙って受け入れるしかない。
愛玩動物に構うような手つきは、彼女が人間と自分を同列に扱っていないことを感じさせる。
「わたくし、貴女が気に入ってるの。
あの踊りはもういらない、って言ったら、貴女は次に何を見せてくれるのかしら。ふふ、明日も明後日も、楽しみに待ってるわね」
バーサーカーの細い指が姫螺璃の喉に触れる。
もっと違う方法でバーサーカーの機嫌をとらなければ、姫螺璃は簡単に切り捨てられるのだ。お気に入りだと言われても、それは最悪の寵愛。若葉がやたらと姫螺璃を側に置きたがるのと同じくらい迷惑なことだ。
聖杯戦争とはまた違う、姫螺璃の生存を賭けた戦いは、彼女とバーサーカーの間で静かに始まっている。